  日常
  
  <4>
  
      
  「この道を右に曲がったところが、織原の家っス」 
      桃城が後ろを歩く手塚とリョーマを振り返って神妙な顔をした。 
      「そうか」 
      「………」 
      「まず俺が行って、織原と織原の兄さんを連れてきます。部長と越前は、その公園で待っていてください」 
      手塚に頷かれて、桃城も小さく頷き、踵を返した。 
      角を曲がって、桃城が姿を消すと、二人は黙ったまま道の左側にある公園に入る。 
      重い沈黙が流れていた。 
      学校を出てから、二人はろくに会話をしていない。 
      俯くリョーマを手塚が見遣り、眉を寄せて前方を睨む手塚の横顔をリョーマがそっと見つめる。そんなことの繰り返しだった。 
      話を二人に振るのはもっぱら桃城で、だが桃城も、これから向かう先の幼馴染みのことを思ってか、いつもより口が重く、必然的に三人は黙ったまま目的地へ向けてひたすら歩き続けた。 
      「………いよいよ、っスね…」 
      先に重い沈黙に堪えられなくなったのはリョーマの方で、手塚の目を見ず、呟くようにそう言ってみた。 
      「ああ」 
      手塚もリョーマを見ずに頷く。だが。 
      「越前」 
      名を呼ばれ、リョーマはゆっくりと手塚を見た。手塚も、静かな瞳でリョーマを見つめていた。 
      「今朝、俺が言ったことを覚えているか?」 
      「え…」 
      「すべてが終わったら、お前に話したいことがある、と」 
      リョーマは「ぁ」と小さく声を発してから頷いた。 
      「オレも、部長に話したいことがあるって言ったの、覚えていてくれてます?」 
      「ああ。もちろんだ」 
      手塚に頷かれて、リョーマはほんの少しだけ微笑んだ。 
      いや、微笑んだつもりだったが、巧く笑えず、リョーマはそっと瞳を伏せる。 
      「…越前…」 
      「……はい?」 
      柔らかく、手塚に名を呼ばれてリョーマは内心ドキリとしながら再び顔を上げた。 
      「………部室で…俺と不二は、少し、言い争いをしていただけなんだ。お前が気にしているようなことはないから、安心していいぞ」 
      「……え?」 
      リョーマは瞳が零れそうなほど、大きな目をさらに見開いてしまった。 
      「俺と不二はなんでもないから……それだけは言っておいた方がいいと思って、な」 
      「な…なんで……そんなこと、言うんスか」 
      戸惑うリョーマに、だが、手塚は小さく微笑んだだけで答えなかった。 
      (そんなふうに言わなくたって、オレは誰にもバラしたりなんかしないのに……) 
      リョーマの瞳が切なく揺れて足下に落とされる。 
      「あの……オレは……部長が、好きな人と幸せになれればいいな…って…思ってるっス……だから…そんな心配しなくても…大丈夫っス」 
      「…え?」 
      今度は手塚が目を見開いた。 
      「俺の、好きな人と…?」 
      リョーマは俯き加減のままこくんと頷いた。手塚はふっと目を細めて小さな溜息を吐く。 
      「……たぶん、俺の想いが届くことはない。それでも、越前にそう言ってもらえただけで、俺は幸せだ」 
      ありがとう、と言いながら髪を優しく撫でられて、リョーマは揺れる瞳で手塚を見上げた。 
      「部長…」 
      「おまえこそ、好きな相手と幸せになれ。お前が幸せなら、それでいい……」 
      リョーマは小さく首を横に振った。 
      「オレも、ホントはこのままがいいっス……でも、きっと、いつかは……だから、全部解決したら、オレの想いにも、自分で決着つけるんス」 
      「………そうか」 
      「はい」 
      リョーマの瞳に切ない決断を感じ取り、手塚は微かに眉を寄せた。リョーマの様子からして相手と想いが通じる可能性が低いのかもしれない。 
      自分ならば、リョーマにそんな顔をさせはしないのに、と手塚は思う。 
      もしも自分がリョーマに想われていたら、絶対にリョーマを離しはしない。片時も傍を離れずにずっと触れていたい。 
      だが。 
      「………」 
      手塚は心に湧き上がりかけた激情を静めるかのように、一度ゆっくりと瞬きをした。 
      リョーマの想い人は、自分では有り得ない。自分には、リョーマをそっと、見守ってやることしか許されはしないのだ、と。 
      「越前」 
      「はい」 
      「これだけは言っておく。俺は、何があっても、お前の味方だ」 
      「え…」 
      目を見開くリョーマに、手塚は柔らかく微笑んだ。 
      「俺は、お前を傷つけようとするすべてのものからお前を護ってやりたい。この先、たとえ何があっても、だ」 
      「部長……?」 
      手塚の言葉は、リョーマにはとてつもない愛の言葉に聞こえた。 
      「あ、あの……部長……それって……」 
      「ほら、どう見たって恋人同士でしょ、あの二人」 
      唐突に、公園の入り口の方から凛とした高い声が聞こえた。 
      リョーマと手塚が声のした方に視線を向けると、桃城と、華奢な感じの少女と、もう一人、すらりと背の高い高校生くらいの男が立っていた。 
      「おい、織原、お前、ちゃんと反省してんのかよ!」 
      桃城が慌てたように少女の肩を掴んだ。少女は唇を噛みしめ、桃城からぷいっと視線を逸らす。 
      手塚とリョーマが黙ったまま三人を見つめていると、少女の後ろに立っている男がそっと頭を下げた。 
      「織原誠と言います。君たちには申し訳ないことをした。………すまなかった」 
      「あなたが…」 
      手塚が男をじっと見つめると、少女が兄を庇うように前に進み出た。 
      「お兄ちゃんのせいじゃないわ。全部私が頼んだことなの。………ごめんなさいっ!」 
      手塚とリョーマは顔を見合わせてからもう一度少女とその兄に視線を戻した。 
      「どうしてあんなことをしたのか、話して欲しいんだ」 
      手塚が柔らかな声音で少女に向かってそう言うと、少女は俯いていた顔をゆっくりと上げて真っ直ぐ手塚を見つめた。 
      「最初は偶然だったんです。お兄ちゃんが心配で、あとを追いかけてあの火事の現場に来た時、偶然越前くんを見かけて…」 
      「心配で…?」 
      手塚が聞き返すと、今度は少女を庇うように男が口を開いた。 
      「俺は、ここ半年ほど連続して放火をし続ける犯人を以前から追いかけているんだ。それが、その犯人が、とある掲示板で犯行予告するという噂を聞いて、その掲示板に行ってみると本当に犯人からの予告の書き込みがあって……それまでの情報と照らし合わせてみても、その書き込みが犯人本人のものである可能性が濃厚で……それ以来、俺は書き込みがあるたびに、予告された現場に行くようにしていたんだ。…妹には何度も止められているんだけどね」 
      男の言葉に頷きながら、手塚とリョーマは今のところ乾の情報の通りだと思った。 
      「あの日も予告されたあたりを見回っていたんだけど、俺が見つけた時にはもうかなり火が回ってしまっていて……消防車が来る前に、とりあえず住人を全部助け出してから、火事の様子をカメラに納めた」 
      「え、アンタが隣の人たち助けてあげたんスか?」 
      「当然だろう?いくらスクープだからって、危険にさらされている人を見殺しになんかできない」 
      男に強い真っ直ぐな瞳で見つめられて、リョーマは頷いた。 
      (この人、すごく正義感の強い人だ…) 
      「そうしたら俺を追いかけてきていたらしい妹が、急にどうしても一枚撮って欲しい写真があるって言って」 
      「それで俺たちの写真を?」 
      手塚の言葉に男は頷いた。 
      「人混みに紛れて撮らせてもらった。なんで二人を撮るのかと妹に尋ねたら…この写真で、武くんが今好きな人を諦めてもらうんだ、って…」 
      兄に視線を向けられて、少女は頬を真っ赤に染めて俯いた。 
      「あの写真は武くんだけに見せるのだと思っていたんです。なのに、ずいぶん大袈裟なことにしてしまったようで…それを知ったのはつい昨日だったので止められずに二度も………本当に、申し訳ない」 
      男がまた深く頭を下げた。 
      「ちゃんと訂正してくれるんなら、オレはべつにいいっス。怒ってないし。それより、なんでオレと部長、だったんスか。たまたまあの火事の時に一緒にいたから?」 
      「それも…あるけど……」 
      少女は少し口籠もった。 
      しかし、意を決したように姿勢を正すと、真っ直ぐにリョーマを見た。兄と似た瞳で。 
      「そこに真実がなかったら、私はあの写真を使おうとは思わなかった」 
      「真実?」 
      怪訝そうに眉を寄せるリョーマの横で、手塚も同じように眉を顰めた。 
      「あなたと手塚先輩は、他の人とは違う、何か特別な繋がりがあると感じたのよ。誰も入り込めないような深い絆みたいなもの」 
      「そんなの、ないっスよ……ね、部長…」 
      「………」 
      リョーマが見上げた手塚は、ひどく苦しげな表情をしていた。 
      「二回目の……手塚さんのマンションに行って様子を見ていた時は、火事の時よりももっと『特別になってる』って感じがしたし……だったら武が入り込める隙間なんてないんだってことを教えたかった」 
      「……あの時もあなたが写真を?」 
      手塚が男に尋ねると、男は頷いた。 
      「実はあの晩、また犯人の予告があって………あのマンションの階段からだと、あたりを見渡せるからと妹に言われて一緒に行ったんだ。そうしたらまた写真を撮れっていうから、さすがに二回も撮るのは気が引けたんだけど………」 
      それでも断り切れなかったのか、と手塚は思った。きっと妹をとても大事にしているのだろう、と。 
      「オレたちと同じ階から撮ったんスよね。結構離れたところから撮ったのに、ブレてないし、ピンぼけしてないし、すごい巧いっスね」 
      「……写真部だからね。カメラの腕には多少自信はあるよ」 
      男が困ったように小さく笑った。 
      「誠さん、去年は青学の写真部の部長だった人なんだ。だから大石先輩が写真部に当たるって乾先輩から聞いた時は、ちょっとドキッとしたよ。でも今の写真部の部長に知らないって言われたらしいって聞いた時はホッとした」 
      桃城が控えめに付け足すようにそう言った。 
      「あれ、でも、新聞社の人が『写真を投稿してきたのは中学生』って言ったんじゃ……」 
      リョーマが首を傾げると手塚が頷いた。 
      「…たぶん、『15歳』と書いてあるのを見て咄嗟に中学生だと思い込んでしまったのではないか?直接本人と会ったわけではないから、先入観でそう思ったのだろう」 
      リョーマはなるほど、と頷いた。確かに本人と直接会っていれば一目見てすぐに「高校生」だとわかるだろう。それほど男の身長は高く、大人に近い体格をしていた。 
      「あ、でも、青学の写真部の連中には俺が写真を送ったってことは言ってある。今の部長が『先輩にはやられました』って、悔しそうにしてて……なのになんで知らないなんて……」 
      手塚は屋上で聞いた大石の話を思い出してみた。 
      『写真部の部員じゃないらしい』 
      『悔しそうに「やられたよ」って言っていた』 
      確かそんなようなことを、大石は言っていた。 
      「そうか……大石も勘違いをしたんだ。青学の今の写真部員ではないという意味で言った言葉を、きっと『写真部には関係ない』と言われたと思い込んでしまったんだろう」 
      「あ……なるほど……」 
      目を見開いて頷くリョーマに、手塚も頷いて見せた。 
      もしもあの時点で写真を撮った人物が判明していたら、事件はもう少し早く解決していたかもしれない。だがそうなっていたら、手塚にこんなにも想いを募らせることはなかったかもしれないと思うと、リョーマは複雑な心境になった。 
      (いや…大石先輩には感謝しなきゃ…) 
      大石が誤解しなければ、きっと手塚のことをこんなにも好きにはならなかったかもしれない。だが逆に考えれば、大石が勘違いしてくれたおかげで、手塚とはより親密な時間を過ごすことができたのだ。 
      だから、手塚との距離を少しだけ縮めるための時間をくれた大石には、感謝こそすれ、少しも恨むことなどないと、リョーマは思う。 
      (きっとオレは、遅かれ早かれ、部長のこと、好きになってた。あの、高架下のコートでの試合の時から、オレにとって部長は『特別』になったんだから……) 
      リョーマがそっと見上げた手塚もひどく柔らかな表情をしていた。リョーマの視線に気づき、躊躇いがちにふわりと微笑んでくれる。リョーマもニッコリと微笑み返した。 
      (部長……大好き……) 
      そのままじっと見つめ合う二人を見て、桃城が大きく咳払いをした。リョーマは怪訝そうに桃城を見てから、ふと思い出したように口を開いた。 
      「…そういえば、そのマンションでの写真を貼ってからは、なんでやめちゃったんスか?オレたちが囮作戦しいていたの、気づいたとか?」 
      「囮作戦?なによそれ」 
      少女は剣呑な瞳をリョーマに向けた。だがすぐにふっと瞳から力を抜いて視線を逸らす。 
      「……三回目もやろうと思っていたわよ……でも……」 
      黙り込んでしまった少女を、手塚とリョーマは訝しげに見つめた。 
      「……確かに、囮作戦やろうってことになって、部長と越前に街を歩いてもらっていた時も、コイツ、後ろからついてきていたんスよ」 
      「え?」 
      桃城の言葉にリョーマは思わず声を上げた。手塚は小さく眉を寄せている。 
      「クラスの友達と偶然街に来たみたいに装って、ずっと俺たちの後ろからついてきていたんス。途中で諦めて帰ったみたいっスけど」 
      「帰ったんだ……じゃあ、夜にはいなかったんスね」 
      「夜?」 
      リョーマの呟きに桃城が眉を上げた。 
      「夜ってなんだよ、越前。もしかしてあのあと夜にもやったのか?囮作戦」 
      桃城に問われてリョーマは頷いた。 
      「その、ちょっと、買い物に行くついでに……っスよね、部長」 
      「………ああ」 
      「……その時も俺たちは君たちの傍にいたよ」 
      遠慮がちに言う男の言葉にリョーマと手塚は視線を向けた。 
      「じゃあ、あの公園に…?」 
      リョーマの問いに男は頷く。 
      「あの捕り物騒ぎのことも知っているよ。だから妹はもう……」 
      そこまで男が言ったところで、急に手塚の携帯が鳴り出した。 
      「こんな時に…」 
      手塚が小さく呟いてから電話の通話ボタンを押す。 
      「もしもし……ああ、乾か。……え?」 
      手塚の瞳が険しく見開かれた。 
      「部長?」 
      どうしたのかと覗き込んでくるリョーマの瞳を見つめ、手塚は電話の向こうの乾の言葉に相槌を打ちながら耳を傾けている。 
      「そうか………わかった。今すぐ出て来れるか?俺たちもそこに向かう」 
      「…?」 
      リョーマは桃城と顔を見合わせて首を捻った。 
      何か、ただごとではない雰囲気だった。 
      「たぶんそっちと同じくらいに着く。…ああ、ではまたあとで」 
      そう言って手塚は電話を切り、リョーマと、そして神妙な顔つきのまま立っている男を見た。 
      「放火魔の書き込みがまたあったそうだ」 
      「えっ!?」 
      その場にいた全員が手塚の言葉に息を飲んだ。 
      「でもあの掲示板は今は閉鎖されてしまって…」 
      男が身を乗り出すようにしてそう言うと、手塚も頷いた。 
      「確かに、以前のは警察によって閉鎖されていますが、あの放火魔はまた別の掲示板に犯行予告を書き込んでいたそうです。やっと乾がそれを探し出してチェックしたところ、ついさっき、書き込みがあったらしい」 
      「部長!」 
      リョーマが手塚の腕を掴んだ。 
      「今度はどこっスか。すぐ行こうよ!」 
      「ああ」 
      「俺も一緒に連れて行ってくれ!」 
      男が手塚の前に歩み出た。 
      「お兄ちゃん!もうやめてよ!本当に犯人に鉢合わせしたらどうすんのよ!」 
      「俺は先輩と約束したんだ!絶対犯人を捕まえるって!」 
      声を荒げる兄の様子に、妹は息を飲んだ。 
      「…あと少しで追いつめられそうだったのに……先輩は、きっと悔しがっている。だから俺が、俺の手で、あの放火魔を捕まえて先輩の無念を晴らしてやりたいんだ!」 
      「お兄ちゃん……」 
      「先輩というのは、一ヶ月前に亡くなった方のことですか?」 
      静かに手塚に訊ねられて、男は唇を噛んで項垂れた。 
      「あなたの、先輩だったんですか」 
      「………」 
      男は俯いたまま小さく頷いた。 
      「すごく……写真を愛している人だった。高校を出たら、知り合いの…プロの写真家のところにアシスタントに入って勉強して、いつかは自分もプロになるんだって……すごく輝いていて……俺の憧れの人だった……なのに……」 
      両手をグッと握り締めながら、男は顔を上げた。 
      「あの人の夢も、希望も、俺のささやかな幸せも、全部、あの放火魔が奪い去ったんだ。俺は、犯人を、絶対に許さない」 
      手塚は男の瞳の中に、激しい怒りと憎しみの暗い炎を見た気がした。だがその炎の奥に、どうしようもない絶望感や虚無感が垣間見えたようにも思えて、手塚は、男がこれほどまでにその放火魔を捕まえることに執着する理由が理解できた。 
      (憧れ、だけではなかったということか…) 
      きっとその先輩とこの男の間には、とても優しい日常が流れていたのだろう。 
      部活で出逢い、話をするようになって、互いを理解して行くに連れて、男の中で「憧れ」という想いは「恋」と名を変えたに違いない。 
      その変化が、手塚には手に取るようにわかった。 
      なぜなら、突然始まる恋は、手塚にも覚えがあるからだ。 
      その先輩の傍にいるだけで、この男は温かな幸福感に包まれたことだろう。 
      話をしただけで、心が沸き立つような熱い想いが込み上げてきたことだろう。 
      その指先が、ほんの少しでも相手に触れることが出来た時は、きっと、例えようもないほどの感動が心の中を駆け抜けたに違いない。 
      当たり前に流れていく日常の中での、ささやかな幸せ。 
      それはずっと続くはずだったのだ。 
      あの放火魔が、何もかも燃やし尽くしてしまうまでは。 
      手塚は、真っ直ぐに男の瞳を、見た。 
      「一緒に行きましょう。今度こそ、犯行を未然に防いで、犯人を捕まえるんです。俺たちも、手伝います」 
      「…っ、……ありがとう…っ」 
      深く頭を下げる男の背に、少女がそっと触れた。 
      「お兄ちゃん……私も行く。彦根さんは、私も大好きだったもん」 
      「真実……ありがとう……ぁ、少し待っていてください。すぐにカメラを取ってきます」 
      手塚にそう言うと、男は踵を返してカメラを取りに家に向かって走っていった。 
      「……お兄ちゃんの先輩、彦根さんって言うんだけど、すごく優しい人で、ちょっと天然なところもあったけど夢がいっぱいあって……絶対に、お兄ちゃんと彦根さんは、一生、二人で一緒に生きていくんだろうなって、思ってました……」 
      走り去った兄の背中を見つめながら、少女がぽつんと呟いた。 
      「手塚さん、あの公園で言ったでしょう。『この世には性別を超える恋愛があることは確かだ』って。…『盗撮などという歪んだ欲望よりも、ずっと純粋で綺麗な想いだ。馬鹿にしたり、蔑んだりするものではない』って。あの言葉、私に対して言っているみたいに聞こえたんです」 
      「え……」 
      手塚はゆっくりと視線を少女に向けた。 
      「最初、お兄ちゃんが彦根さんのこと好きだって知った時には正直言ってビックリしたけど、彦根さんと一緒にいる時のお兄ちゃんはすごく幸せそうで……だからあの二人のことは応援してあげようと思ったんです。でも、武が越前くんに、って言うのは、どうしても信じられなくて、許せなくて、認められなくて………あの盗撮犯と同じようなこと、私も考えていたのかもしれない」 
      手塚は小さく眉を寄せた。リョーマも俯き加減に視線を落とす。 
      「誰かが誰かを好きになるのって、性別とか関係なくて、本当に純粋で綺麗な想いなんだと思う。……だから、あの時から、その綺麗な想いを私が汚すようなことは、もう出来ないなって思っちゃって」 
      自嘲気味に小さく笑う少女を、桃城はどこかつらそうに見つめた。 
      「だから、武にはもうあんなことはやらないって、言ったんです。でも……越前くんのことは、諦めな、って…お兄ちゃんに撮ってもらった、越前くんと手塚さんの最後の写真を見せて」 
      「え?」 
      リョーマがふと顔を上げた。 
      「最後の、写真って…?」 
      少女はクスッと笑った。桃城は顔を顰めてそっぽを向く。 
      「武、あの写真、あとで見せてやんなよ。この二人、自分たちのことにはすごい鈍そうだから」 
      「………」 
      桃城は小さく舌打ちしてぐしゃぐしゃと頭を掻いた。 
      「桃先輩?」 
      不審そうに顔を覗き込んでくるリョーマに桃城が口を開きかけたと同時に男が公園に戻ってきた。 
      「お待たせしました。これで、先輩の仇を取ります!」 
      「ぁ、それ、彦根さんのカメラじゃ……」 
      少女が目を見開いた。男が頷く。 
      「学校の部室に残っていた先輩の形見だ。今日こそ、絶対に犯人を追いつめてやる。だから、先輩と一緒に、行こうと思って」 
      「うん」 
      妹に小さく笑いかけてから、男は手塚とリョーマに視線を向ける。 
      「それで、今日は、どの辺に?」 
      手塚が頷き、ゆっくりと口を開いた。 
      「今回は、俺の家の近くのようです」
 
  一陣の風が五人の髪を同じ方向へ乱しながら、日の沈みかけた深い橙黄色の空へと吹き抜けていった。 
      
 
 
 
 
 
  
      続
 
 
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      20050809 
      
      
  
    
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