  日常
  
  <2>
  
      
  翌朝目覚めたリョーマは、自分がしっかりと手塚に抱き締められて寝ていたことを知って狼狽えた。 
      確か自分は手塚の背中にひっつくようにして寝ていたはずなのに、目覚めてみれば手塚の左腕が自分の頭をしっかり抱え込み、右手は背に回されている。自分の腕は胸に折り畳まれるようにしてすっぽりと手塚の腕の中に収まり、さらには自分の脚と手塚の脚が絡み合い、下腹部も触れ合うほどに身体が密着している。 
      (うわ…) 
      おかげでリョーマは一気に覚醒してしまい、あらぬところまで目覚め始めてしまった。 
      (こんな状態じゃ、すぐに気づかれる……っ) 
      どうしようかと、もぞもぞ身体を動かしていると、手塚が小さく声を発して目覚めたようだった。 
      「ん……どうした…?」 
      「お……おはよ、部長……あの……これ…」 
      「………ああ…すまない」 
      手塚はリョーマを抱き締めていた腕をそっと解こうとして、時計を見て途中で止めた。 
      「部長……?」 
      手塚はふわりと微笑むと、もう一度リョーマを抱え込んだ。 
      「アラームが鳴るまであと30分ある。もう少し……このまま寝かせてくれないか……」 
      「え?……うん…いいっスよ……」 
      リョーマが了承すると、さらにギュッと抱き締められた。 
      (なんか……本物の恋人同士みたいだ……) 
      こんなことが出来るのも今日までかな、と考えて、リョーマは小さく眉を寄せる。 
      (最後なら、もう少し、このまま…) 
      手塚の静かな鼓動に包まれるような感覚に、リョーマもそっと目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
  今日は土曜日なので授業はなく、テニス部の練習のために、二人はいつもよりもゆったりと家を出た。 
      玄関を出ると、向こうから「越前」と、いつものように声がかかり、続いて自転車の急ブレーキの音が聞こえた。桃城だった。 
      「はよっス、桃先輩」 
      「え、あれ?部長……」 
      桃城は手塚の姿があることにひどく驚いて目を見開いた。 
      「…おはよう」 
      「あっ、おはようございます、部長!」 
      挨拶を忘れていたことに気づいた桃城が、慌てて頭を下げた。 
      「昨日、うちに泊まってもらったんスよ。ね、部長」 
      「ああ」 
      見上げるリョーマを柔らかな瞳で見つめ返しながら手塚が頷く。 
      「あー……そ、そっか……じゃ、俺、今日は先に…」 
      「桃城」 
      また自転車を漕ぎ出そうとする桃城を手塚が呼び止める。 
      「はい。…なんスか?」 
      ほんの少し顔を強ばらせて桃城が動きを止める。 
      「一緒に行こう。少し、話がある」 
      桃城の顔が明らかに強ばった。 
      「………はい」 
      自転車から降りて、桃城は二人と共に歩き出した。
 
  「昨日、菊丸から、例の火事の写真を新聞社に投稿した人物の名前を教えてもらったんだ」 
      「…そっスか」 
      歩きながら、最初に口を開いたのは手塚だった。淡々と語る口調に、桃城も静かに答える。 
      リョーマは黙って手塚にすべてを任せていた。 
      「織原誠という男、知っているか?」 
      「織原…?…いや、知らないっス。それが写真送ったヤツの名前なんスか?」 
      「そうだ」 
      「へえ……」 
      桃城はどこか、前方を睨むような目をした。睨む、と言うよりは、何か合点がいって納得したような顔にも見える。 
      堪らずにリョーマは口を開いた。 
      「掲示板に写真を貼り出した人の名前も、だいたいわかったっスよ」 
      「えっ?」 
      桃城は驚いて立ち止まり、隣を歩くリョーマを見た。 
      「マジか?なんで…っ」 
      リョーマはじっと桃城を見つめた。 
      「………やっぱ、知ってたんスね、桃先輩」 
      「え………」 
      今度は手塚が黙ったまま、リョーマにすべてを任せた。 
      「なんだよ、それ。俺が知ってるわけないだろ」 
      「だって桃先輩、今、『犯人は知っていた』って言ったじゃん」 
      「言ってねぇだろうがっ、そんなこと!」 
      掴みかかりそうな勢いの桃城から、手塚はさりげなくリョーマを引き寄せて自分の身で庇う。 
      ハッとした桃城は、ふいっと目を逸らして俯いた。 
      「…桃先輩、『なんで』って言ったでしょ。フツーは先に『誰だ』って訊くんスよ」 
      桃城は俯いたまま目を見開いた。 
      「写真貼ったのが『誰か』ってことよりも『なんでわかったか』の方が気になるなんて、それは誰が写真を貼ったのかを、桃先輩はもう知っているからっしょ?」 
      「…………」 
      桃城は顔を上げてゆっくりとリョーマに視線を向けた。 
      「桃先輩のクラスメイトの、織原真実って人。知ってるよね、桃先輩」 
      桃城は静かに頷いた。 
      「………ああ、知ってる。俺の……幼馴染みだからな……っ」 
      桃城はグッと奥歯を噛み締めると、いきなり自転車を放り出してその場に土下座した。 
      「すんませんでしたっ、部長、越前!俺は、…犯人知ってたのに、ずっと黙ってましたっ!」 
      「桃先輩…」 
      「さっきの、織原誠っていう人も知ってます。織原の兄さんです。でも、あの人が写真を撮った人だってのは知りませんでした!これは嘘じゃないっス!」 
      目を見開くリョーマを残して、手塚がスッと桃城に歩み寄った。 
      「頭を上げろ、桃城。そんなことはしなくていい。お前を責めるつもりは毛頭ない」 
      手塚の言葉に、だが、桃城は黙って土下座したまま動かない。 
      「桃先輩…オレも、桃先輩を怒るつもりはなくって……ただ、知りたいんスよ、ホントのことを」 
      「話を聴かせてもらえないか。出来れば、彼女と、その兄の織原誠という人物にも話を聴きたい。なぜあんなことをしたのか」 
      桃城はゆっくりと顔を上げた。 
      「…だが話を聴くのは練習が終わってからでいい。今から込み入った話を始めると練習に遅れる」 
      手塚の隣でリョーマがクスッと笑った。 
      「部長は本当に部活優先っスね。でも、ま、オレも練習したいし。ガッコ、行こうよ、桃先輩」 
      「越前……」 
      リョーマは倒れている桃城の自転車を起こして桃城に笑いかけた。 
      「ほら、桃先輩、早く!遅刻したら、部長にグラウンド走らされるし!」 
      手塚はチラリとリョーマに視線を向けて、心外そうに眉を寄せながら小さく溜息を吐いた。 
      「…ああ」 
      桃城は立ち上がってリョーマから自転車を受け取る。 
      「部長」 
      だが短く逡巡してから、桃城は手塚に真っ直ぐな瞳を向けた。手塚は黙ったままその瞳を受け止める。 
      「全部、俺が悪いんです。だから、織原のこと、責めないでやってくれませんか」 
      手塚は答えずにゆっくりと前を向いて歩き始めた。 
      「部長!」 
      手塚を追いかけるように桃城も歩き出す。リョーマも二人のあとから歩き始めた。 
      「俺、織原に告られて、でも、応えてやれなくて……幼馴染みだったから、きっぱり断れなくて曖昧にしていたら、あいつ……俺に、好きなヤツがいることに気づいて……それで…」 
      「お前に諦めさせるためにやったことだ、と?」 
      「え……知って……」 
      「ああ。だから今は、話さなくていい」 
      桃城は目を見開いたまま口を噤んだ。 
      立ち止まってしまった桃城の後ろで、リョーマも同じような表情で立ち尽くしていた。 
      (桃先輩……部長のこと、好きだったんだ……) 
      今までの桃城の不可解な行動が、リョーマの中でストンと収まった。 
      最近ではその不可解さが特に著しかった。 
      自分と話している時は屈託なく笑う桃城が、手塚の前では妙に力んで話すこと。 
      自分が手塚と話をしていると、桃城がさりげなくこちらを睨んでいたこと。 
      自分が手塚からの誘いのために桃城の誘いを断っても「部長なら仕方がない」と、妙に寛容だったこと。 
      (そうだったんだ……だから、桃先輩に、部長のこと諦めさせて、自分の方に目が向くようにって、その織原って人は……) 
      手塚は見た目も、中身も、テニスの腕前も、非の打ち所のない魅力ある存在だとリョーマは思っている。何せ、自分が好きになってしまったくらいなのだから。 
      だから、桃城が手塚にそういった感情を向けているのであっても、ちっとも不思議ではないと、リョーマには思えた。 
      「桃先輩……」 
      桃城がゆっくりとリョーマを振り返った。 
      同じ人へ切ない想いを抱える桃城に共感してリョーマの心が痛む。 
      「…その織原さんって人はちょっと間違えてるけど、好きな人がいるのは…間違いないっスよ……」 
      小さく笑うリョーマに桃城は眉を顰めた。 
      「……やっぱ、いるのか、好きな人……」 
      「うん……そう言ってたから…」 
      「……は?」 
      リョーマの言葉に、桃城は怪訝そうに聞き返した。 
      「そう言ってた?」 
      「…もう行こう、桃先輩」 
      「あ、ああ……え?」 
      少し先で振り返って待っていてくれる手塚を追って、リョーマが軽く走り出した。 
      首を傾げる桃城には目もくれずに。
 
 
 
 
  練習が始まり、手塚が『部長』の顔になると、リョーマは少し離れたところから、そっと手塚を見つめた。 
      話の内容はわからないが、手塚の落ち着いた声音は、離れた場所にいてもリョーマの耳に届く。 
      乾の持つバインダーを覗き込みながら、大石も交えて何やら真剣に話をしている。たぶん、これからの練習メニューの打ち合わせなのだろう。 
      ふと、考え込んだ手塚が口元に手を当てる。 
      リョーマはドキリとした。 
      (部長の……唇……) 
      見ていられなくなって視線を逸らし、だが、どうしても気になって再び手塚を見つめる。 
      その、唇を。 
      (あの唇で、今朝……オレの……) 
      フラッシュバックするかのように今朝の手塚とのやりとりを思い出し、リョーマは一気に頬を染めた。
 
  あと30分だけ、と言って目を閉じた手塚が、ふいに、何かに気づいたように目を開けた。 
      「越前…?」 
      「ご……ごめん、部長っ、その、……あ、朝の生理現象だから、気にしないで……」 
      手塚に抱き締められて、リョーマの雄は反応してしまっていた。朝だから、と言い訳をしてみるが、抱き締めてくる手塚の腕の強さは変わらない。 
      「…そうだな……朝だから、だな……」 
      手塚は小さく溜息を吐くと、リョーマの雄を、パジャマの上から撫で上げた。 
      「あッ」 
      リョーマの身体がびくんと揺れるのを、手塚はきっと抱き締めた腕の感触で感じ取っただろう。 
      「すぐに達きそうだな」 
      「う、うん…だから、……離してよ、部長……トイレ、行くから……」 
      そっと身体を離す手塚にほっと安堵しながらリョーマが身体を起こそうとして、だがそれは叶わなかった。 
      「部長?」 
      手塚がリョーマの肩を押さえてそのまま寝ているように無言で促す。 
      「ぶ、ちょ……?」 
      手塚は微かに微笑んでから、リョーマのズボンを下着ごと、そっと脱がせる。 
      「あ…」 
      勢いよく跳ね上がった熱塊に、リョーマは思わず真っ赤な顔を逸らした。 
      もう何度も手塚に見られたとはいえ、朝からこんなに猛った自分を晒すのは、まるで性行為に飢えているようで恥ずかしい。 
      だが、もしかしたら昨夜の続きのように手塚が手でいかせてくれるのではないかと思い、チラリと視線を戻して、リョーマは自分の瞳に映った光景に息を飲んだ。 
      手塚の唇が、ゆっくりとリョーマの雄を覆い尽くしてゆく。 
      「な……なにして……っ」 
      手塚はチラッとリョーマを見遣り、何も言わずに口の中へ奥深くリョーマを銜え込んだ。 
      「ぁ……あんっ」 
      あまりの気持ちよさにリョーマはうっとりと目を閉じた。温かく柔らかな口内を出し入れされてリョーマの腰が浮き上がる。 
      「ああ……、ぶちょ……すごい…気持ち、いい……」 
      添えられていた手塚の手が、しっかりとリョーマを握り込んでリョーマを扱き始める。先走りで自ら濡れ始めたリョーマの先端を舌先で舐め上げ、時折きつく吸い上げながら、手の動きを早めてゆく。 
      「あ……あっ、ダメ……そんな、したら…出る……ぶちょ、出るよ…っ」 
      手塚に抱き締められた段階ですでにはち切れそうに張りつめていたリョーマの熱塊は、手塚からとんでもない熱烈な愛撫を受けて、すぐに限界まで膨れあがってしまった。 
      (まずい…っ) 
      リョーマは咄嗟に自分の手で自身の根元を押さえ込み、射精を堪える。 
      「ぶちょ……、はな、して……出るってば……っ!」 
      必死に訴えるリョーマに小さく微笑みかけて、手塚はさらにきつく愛撫を加えてきた。 
      「あっ、あ…っ?」 
      ギュウッと押さえ込んでいたリョーマの手を、手塚は力づくで外しにかかる。 
      「だ、ダメだってばっ!」 
      だが、思いの外力強い手塚の手に、リョーマの手首は身体の脇に縫いつけられてしまった。 
      「あっ、あああぁっ」 
      銜えられ、きつく吸い上げられ、ひとたまりもなかった。 
      「あ…あぁっ……あ……んっ」 
      リョーマは、腰を手塚の方へ突き出すようにして身体を硬直させ、呆気なく熱液を放ってしまった。 
      「あ…あ」 
      はぁはぁと激しく胸を上下させながら痙攣を繰り返すリョーマの中心に顔を埋めたまま、手塚はリョーマがすべてを出し尽くすまで待つ。 
      「や……なん、で……ぶちょ…っ」 
      リョーマが出し尽くしたのを感じて、手塚は艶やかな水音をさせて顔を上げた。 
      「………こうすると気持ちいいと聞いたことがあるんだが……嫌だったか?」 
      リョーマは真っ赤な顔で目を見開き、だがブンブンと首を横に振った。 
      「すごい……気持ちよかったっス……天国いきそうだった……」 
      目を潤ませてうっとりと呟くリョーマに、手塚は微笑んだ。 
      「そうか」 
      ゆっくりと手首を離され、だが解放された手はそのままに、リョーマは深く息を吐いた。 
      そうしてハッと気づいたように目を見開き、勢いよく起きあがった。 
      「部長っ!?まさかオレの……飲んじゃった?」 
      口元を手の甲で拭っていた手塚が「ん?」といったふうに顔を上げた。 
      「……ああ……咄嗟に、飲み込んでしまった」 
      「な……っ?」 
      リョーマはあまりの羞恥に涙が出そうになった。 
      「ごめん…部長……気持ち悪いよね……すぐ口濯いできた方がいいよ?」 
      「ん…いや、大丈夫だ」 
      「でもっ」 
      恥ずかしさだけだったリョーマの胸に、手塚への申し訳なさが湧いてきて、しゅんと項垂れてしまった。 
      「……怒ったのか?」 
      困ったようにリョーマを覗き込んでくる手塚に、リョーマは俯いたまま首を横に振った。 
      「すまない」 
      手塚の大きな手で頭を撫でられて、リョーマはゆっくりと顔を上げる。 
      「……じゃあオレも……今度はオレが部長のを…口でしてあげるよ…」 
      手塚が目を見開くのとアラームが鳴り始めるのがほぼ同時だった。 
      「時間切れのようだ」 
      どこかホッとしたように微笑む手塚を恨めしげに見つめてから、リョーマはアラームを止めた。 
      「あ、あとでっ、絶対オレも、部長の、口でするからっ!」 
      「越前…」 
      腕を掴んで縋りつくような瞳を向けるリョーマを、手塚は優しげな瞳で見つめる。 
      「だって……オレだけなんて……部長にも……気持ちよく、なってほしいから……」 
      「ありがとう……越前」 
      手塚に顎を捉えられ、優しく口づけられる。仄かに舌先に感じる青臭さに、リョーマは眉を顰めた。 
      それでも舌を絡め取られると、リョーマは頬を染めて大人しく手塚の求めるままに口を開く。 
      「ん……」 
      「………」 
      ゆっくりと、小さな水音をさせて離れてゆく手塚の唇を、リョーマはボンヤリと見つめた。 
      (これが最後、かな……) 
      いっそのこと、今、手塚に想いを打ち明けてしまおうかと、リョーマは思った。 
      どうせもうこんなふうに同じベッドで一緒に朝を迎えることなどないのなら、二人だけでいられる今この時に、素直に想いをぶつけてみようかと。 
      「部長…」 
      「ん?」 
      だが、呼びかけて、リョーマはハタと思い出した。 
      手塚は「部長」なのだと。 
      そして自分は、テニス部の「部員」。 
      手塚が静かに、青学への熱い想いを託そうとしてくれている、少しだけ特別な「後輩」。 
      「………なんでもないっス…」 
      やはり言えない、とリョーマは思った。 
      確かに、こんなことまでしてくれるのは普通ではないかもしれない。 
      いくら手塚が部員思いの心優しい部長だとしても、後輩の性欲の処理を、自分の口を使って施してくれるなど、あり得ない。 だが、手塚も性に対して好奇心のある年頃には違いないのだから、リョーマの身体を使っていろいろ試しているのかもしれないとも思える。 
      気持ちいいからキスをする。 
      ただの性欲処理として互いのものに触れ、欲求を解消している。 
      口づけるのも、抱き締めるのも、そして性器にまで触れてくるのでさえ恋愛感情とは無縁の行為なのだとしたら、リョーマが寄せる想いは手塚にとっては迷惑でしかないだろう。 
      想いを告げて、手塚にその気が全くないことを確認してしまうよりは、今のまま、少しでも希望を持っていられる方が幸せかもしれない。 
      「…支度をしよう、越前」 
      「……ういっス…」 
      ベッドから降りて、手塚は自分が使うはずだった布団を畳み始める。もちろんシーツはさりげなく外して。 
      その後ろ姿を見つめながら、リョーマはきつく眉を寄せた。 
      (いや、やっぱ…部長に言おう。オレらしく。ストレートに) 
      例えこの優しい時間をなくしても、自分の心にはいつだって忠実でありたい。 
      (でも、まだ、だ) 
      想いを告げるのは今じゃない、とリョーマは心の中で呟く。 
      (全部解決したら、その時に、オレの想いも、全部部長に言うんだ) 
      きっとすべてのことが解決するのはすぐ目の前だ。 
      だから、すべてが終わる時、自分の想いにも決着をつけよう、と。 
      その結果、手塚に拒絶されることになったとしても、想いを告げないまま自分の心に背いてまで安穏な日常生活を送るつもりは、リョーマには、ない。 
      「部長」 
      手塚は黙ったまま振り返った。 
      「あの写真のこと、全部解決したら、部長に話があるんス」 
      「………俺も、お前に話したいことがある」 
      「え?」 
      「すべてが解決したら、もう一度、俺の、あのマンションで話がしたい」 
      リョーマは一瞬目を見開き、そして頷いた。 
      すべてが解決したら。 
      その時、二人の関係は変わるのだろうか。 
      それとも、自分だけ、何かが変わるのだろうか。 
      手塚は、何かを変えようとしているのだろうか。 
      リョーマはベッドから降りて手塚の正面に立った。 
      「すべては、今回のことが解決してから、っスよね」 
      「ああ」 
      手塚は真っ直ぐリョーマを見つめて頷いた。 
      何かを、決意したような瞳だった。 
      「部長……もう一度、気持ちいいキス、してくれませんか……」 
      「………」 
      手塚はゆっくりと瞬きをしてから、優しくリョーマの頬に触れた。 
      「俺も、もう一度、しておきたかった」 
      リョーマが目を閉じると、身を屈めて手塚が口づけてくる。 
      「ん……」 
      甘い吐息を零しながらリョーマはそっと手塚の背に手を回した。手塚の指先がリョーマの髪に差し込まれ、するりと髪を梳いてからその力強い腕で深く抱き締めてくる。 
      舌は熱く絡まり合う。時折離れそうになる唇を、どちらともなく追いかけて、深く重ね続ける。 
      互いの中心が熱くなり始めるのを感じて、二人は唇と、身体を離した。 
      ほんの一瞬だけ、見つめ合う視線が熱く絡み合ったような気がした。 
      「………ありがと……部長…」 
      「……ああ」 
      二人は微笑み合うと、熱の残る身体を完全に離してそれぞれ支度を始める。 
      そのまま、階下に降りるまで、二人は何も話さなかった。
 
  「そんな熱っぽい瞳で手塚のこと見つめていたら、今度は僕が写真撮っちゃうよ?」 
      「えっ?」 
      いきなり耳元で囁かれてリョーマは飛び跳ねた。 
      「ふ、不二先輩っ!?」 
      「昨日、手塚がキミの家に泊まったんだって?何かあったの?」 
      「べ、べつにっ」 
      帽子を被り直してその場を去ろうとしたリョーマは、だがふと思い直して不二を見上げた。 
      「不二先輩」 
      「ん?」 
      「もうすぐ、全部解決すると思うっス」 
      不二は頷いた。 
      「英二から聴いたよ。新聞社に写真を投稿した人の情報。掲示板に写真を貼り出した子と苗字が同じだって、手塚も教えてくれた」 
      リョーマはチラリと手塚を振り返ってまだ話し込んでいることを確認してから、また不二を見上げた。 
      「その人、桃先輩のことが好きで、桃先輩に好きな人のこと諦めさせようとしてあんなコトしたらしいんス。オレや部長に、ましてや青学テニス部に、嫌がらせしようとしたわけじゃないみたいっス」 
      「なるほどね……そういうことか……」 
      「だから、この練習が終わったら、桃先輩にその人を呼び出してもらって、話を聴くことになってるっス」 
      「うん。そうだね。そうした方がいい」 
      頷く不二に、リョーマも小さく頷いた。 
      「ホントは、みんなのいる前で話聴いた方が、みんなも納得すると思うんスけど……なんか、理由が……」 
      リョーマは視線を足下に落とす。 
      「なんか……切ないって言うか……女子をみんなで囲んでっていうのは、気が進まないんス。その人のことだけじゃなくて、桃先輩のことも…あるし……」 
      「……手塚と二人で、話を聴きたいってこと?」 
      「………はい」 
      不二は短く沈黙してから小さな溜息を吐いた。 
      「わかったよ。一番の被害者はキミたちなんだから、キミたちの気の済むようにしたらいい。僕たちは同席しないことにするよ」 
      「すみません」 
      リョーマは帽子を取ってペコリと頭を下げた。 
      「レギュラーはAコートに集合!」 
      ちょうど手塚の招集の声が響いた。 
      顔を上げたリョーマに「行こうか」と促してから、不二はいつものように微笑んだ。 
      「ねえ、越前」 
      「はい?」 
      「…いろいろなことが重なって、キミも大変だったと思うけど、実のところ、キミは今回のこと、どう思っていたの?」 
      「え…」 
      目を見開いて、リョーマは立ち止まってしまった。 
      微笑みながら見つめてくる不二の瞳から逃れるように、リョーマは帽子を被り直してまた歩き始める。 
      「……オレにとっては…人生変えちゃうくらい、大事件の連続でしたよ」 
      帽子の下で呟くように言うリョーマに不二は「ふぅん」と言った。 
      「手塚と同じこと言うんだね」 
      「?」 
      「不二、越前、遅いぞ!早く来いよ」 
      大石が笑顔でこちらに呼びかけてきた。 
      「ごめん!」 
      笑って不二が走り出す。 
      リョーマも少し遅れて走り出しながら、ふと、空を見上げた。 
      青い空に白い雲がひとつ。 
      (部長も……人生変わるほどの大事件の連続だった、って…?)
 
  いつも通りに始まる練習。 
      いつも通りの日常。 
      なのに。 
      リョーマの心の中にどこからか新しい風が流れ込み、何かを告げてくるような気がした。 
      
 
 
 
 
 
  
      続
 
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      20050715 
      
      
  
    
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