  ダブルベッド
  
  <6>
  
      
  いよいよ明日からリフォーム工事が始まるということで、手塚はリョーマを伴って自宅に戻った。 
      「いらっしゃい、越前くん!」 
      相変わらずウキウキとした声音で手塚の母・彩菜が玄関まで出迎えてくれた。 
      「こんばんは。お邪魔します」 
      「今日はごちそう作ったからたくさん食べてね」 
      「はい」 
      彩菜にニッコリと微笑まれて、リョーマも嬉しそうに微笑み返した。 
      「とりあえず荷物を俺の部屋に置こう」 
      「ういっス」 
      「じゃ、あとは揚げ物だけだから、30分くらいしたら降りてきなさいね」 
      「はい」 
      自室に向かう手塚のあとに続いて、リョーマは彩菜にペコリと頭を下げてから部屋に上がった。
 
 
  「うわ、なんか、何もなくなってるっスね」 
      「ああ。すぐに使わないようなものは、レンタルのコンテナに移動してもらった」 
      「ふーん……なんか違う部屋みたい」 
      ぐるりと部屋を見回して笑うリョーマに、手塚も小さく微笑んだ。 
      「…で、部長」 
      「ん?」 
      リョーマはベッドの傍に腰を降ろして手塚を見上げた。 
      「乾先輩の情報については、ここに来る途中聴いたので全部っスよね」 
      「ああ」 
      頷いて、手塚はリョーマの向かいに座る。 
      「今までのオレたちの推理からすると、写真を撮った人と、ネットの掲示板に放火犯への挑戦状みたいなの書き込んだ人と、うちのガッコの掲示板に写真貼った人が同一人物、ッてことっスよね」 
      「そう…なるな」 
      「なんか違う気がしません?」 
      手塚は眉を寄せてリョーマを見た。 
      「あの市ヶ谷って人が見た犯人は、二年生の女子っスよね。で、その女子は、桃先輩を呼び出していた女子とは違うみたいだけど、女の子があんな『お前を捕まえてやる』みたいな書き込みするかな…」 
      「………」 
      手塚は黙ったまま視線を落とした。 
      実は部活終了後に、手塚とリョーマは桃城を呼び出して話を聴いたのだが、桃城によれば、リョーマが見かけた女子からは何度かアタックされているものの、今朝のラブレターはその女子からではないと言う。 
      考えてみれば『髪がサラサラな女の子』などは今時そう珍しくもないし、髪がサラサラなだけで同一人物と思う方が単純すぎるのかもしれない。 
      だが。 
      手塚は、桃城に声をかけた瞬間の、その瞳の動きを覚えていた。 
      (あのどこか不安定な瞳の動きは、桃城が微かに動揺していたことの表れではないのか……) 
      桃城は直情型の短絡思考な性格に見られがちだが、実は、テニス部の中でも五本の指に入る策士であることに手塚は気づいている。 
      (桃城は、何かを隠している……そんな気がする) 
      「部長?」 
      「ん?」 
      手塚が顔を上げるとすぐ近くにリョーマの顔があった。内心ひどく動揺した手塚だったが、何とかそれを顔には出さずにすんだ。 
      「どうしたんスか?考え込んじゃって」 
      首を傾げながらリョーマがまた座り直す。 
      「いや………確かに、可能性が全くないというわけでもないとは思うが、あの書き込みの文章はあまり『中学生の女子』の書く内容とは言えないかもしれないな」 
      手塚は咄嗟に判断して、リョーマにはまだ、桃城への疑念を言わずにおくことにした。 
      「そうっスよね……ってことは、もしかしたら犯人は二人以上?」 
      「………」 
      手塚はまた、屋上での桃城の様子を思い出した。放火犯が起こした火事で死者が出たことに、桃城は怒りを露わにしていた。 
      (まさか、桃城が……?) 
      「……ねえ、部長」 
      「ん?」 
      「昔、母さんに読んでもらった絵本に『被ると人間じゃないものの声が聞こえる頭巾』の話があってさ。それが欲しくてたまんなかった時があって…」 
      いきなり関係のなさそうな話を始めたリョーマに、手塚は怪訝そうに眉を寄せた。 
      「今も凄く欲しいっス。……部長、すぐ一人で考え込んじゃうから……部長の考えてることが聞こえてくる頭巾が欲しいなーって」 
      手塚は一瞬目を見開いてから、柔らかく微笑んだ。 
      「…俺は人間だが?」 
      「ぁ、そっか。じゃ、ダメじゃん」 
      困ったように笑うリョーマに、手塚も苦笑した。 
      「すまない。いろいろな情報が今日一日でいっぺんに入り込んできて……自分の中でもまだ整理がつかないんだ」 
      リョーマも頷いて深い溜息を吐いた。 
      「…そうっスね。……長い一日だったな……」 
      「ああ」 
      「………」 
      「………」 
      唐突に、二人の間に、妙な沈黙が生まれた。 
      互いに何か話さなくてはならないと思うのに、どうしてか、何も思い浮かばない。 
      「あ、の……部長…」 
      「…ん?」 
      やっと言葉を発することが出来たリョーマは、しかし、自分でも思いもよらないことを口走ってしまった。 
      「部長のファーストキスの相手って、どんな人っスか?」 
      「え…」 
      目を見開く手塚を見て、リョーマも目を見開いた。 
      「あ、いや、そのっ、べっ、べつに詮索する気はないっスけど、………どんな人かなって……」 
      手塚は目を見開いたままリョーマをじっと見つめている。だがほんの一瞬だけつらそうに眉を寄せて、リョーマからスッと目を逸らした。 
      「……とても輝いているヤツだ。眩しくて…時折真っ直ぐに見つめていられないほど…」 
      「へ…ぇ、……そ……スか……」 
      リョーマは全身から力が抜けていくような気がした。 
      (部長に…好きな人がいる……) 
      しかも、言い方からして現在進行形だ。ここでこうしている間も、手塚の心のベクトルは、その存在へと向いているのだろう。 
      「お前はどうなんだ」 
      沈んでいきそうになる思考は、手塚の静かな声に急に引き上げられた。 
      「え……オレ……?」 
      リョーマが顔を上げると、手塚の真っ直ぐな瞳に見つめられていた。 
      「オレの…相手は……オレより、何もかもスケールのデカイ人で……いろんな意味で強くて、すごく優しくて……でも……」 
      「でも…?」 
      リョーマは手塚を見つめてふわりと微笑んだ。 
      (でも、オレの片想いなんだ…) 
      答えないリョーマに手塚は小さく眉を寄せる。 
      「年上なのか?」 
      「…そっスよ」 
      「………」 
      何も言わず視線を落とした手塚に、リョーマが声をかけようとしたその時、彩菜がリョーマを呼ぶ声が聞こえてきた。 
      「越前くん、お母さんから電話よー!」 
      「……ぁ、はい!今行きます!」 
      リョーマは立ち上がると、何か言いたげに見上げてくる手塚を一度だけ振り返って、部屋から出て行った。
 
 
 
 
  「え………」 
      母・倫子の声が、どんどん遠くなる気がした。
  「もう帰ってらっしゃい」
  その一言を聞いた途端、リョーマの思考が止まった。 
      いや、止まったというよりも、深い闇の底に突き落とされたような気がした。 
      『リョーマ?聴いてるの?』 
      「……うん」 
      『あなたの部屋も、居間も、全部元通りになったから、もう帰っていらっしゃい。いつまでも手塚さんのご厚意に甘えてもいられないでしょう?』 
      「………うん。わかってる」 
      電話の向こうで倫子が溜息を吐いたようだった。 
      『べつに、二度と手塚くんと会えなくなるわけじゃないでしょう?いくら貴方たちがそういう関係だとしても、けじめを…』 
      「違うよ」 
      倫子の言葉を遮って、リョーマは否定した。 
      「オレと部長は……そんなんじゃないんだ……今まではちょっとわけがあって、そういうふうに見せていただけなんだ」 
      『………そう。その話はあなたが帰ってきてからゆっくり聴くわね。ちょっと、彩菜さんに代わってくれる?』 
      リョーマは黙ったまま受話器を下ろすと、彩菜に向かって小さく微笑んだ。 
      「越前くん…?」 
      「あの、母さんが、……話が……」 
      うまく言えないまま、リョーマは彩菜に受話器を差し出した。彩菜は怪訝そうに頷いて受話器を受け取る。 
      「もしもし、はい………え?そうなんですか?……まあ……残念だけど、返さないわけにはいきませんものね」 
      彩菜はコロコロと笑う。 
      「でもね、うち、明日からリフォームが本格的に始まるので、リョーマくんにもうちでゆっくりしてもらおうと思いましてね。……ええ、いいかしら、明日でも……」 
      項垂れていたリョーマは、ゆっくりと顔を上げた。 
      「すみません、勝手を言って……ええ、わかりました、それじゃ」 
      いくつか挨拶の言葉を言って彩菜は電話を切った。 
      「あの……」 
      「………寂しいわね。このままうちの子になっちゃって欲しいけど、そうもいかないものね……」 
      小さく微笑む彩菜に、リョーマは瞳を揺らした。 
      「あの、お願いがあるんです」 
      「なあに?」 
      「部長には、まだ……黙っていてもらえませんか……今日が最後だって……」 
      彩菜は微笑んだまま首を傾げた。 
      「どうして?」 
      「あ……の……今までと同じふうに……終わりたいから……」 
      また俯いてしまったリョーマを見て、彩菜はそっと溜息を吐いた。 
      「国光に気を遣わせたくないのね。………ありがとう、リョーマくん」 
      「お世話に……なりました」 
      深く頭を下げるリョーマに、彩菜は微笑んで「こちらこそ」と言った。
 
 
 
 
  三人だけの晩餐会は、思いの外賑やかだった。 
      「リョーマくん、おかわりは?」 
      「ぁ、ください!山盛りで!」 
      「了解〜」 
      いつになくよく笑う母と、さっきから自分を見ようとしないリョーマに、手塚は内心首を傾げていた。 
      いや、思い当たることはひとつ、ある。 
      (まさか……) 
      先程リョーマの母親から電話があってからリョーマの様子が変わった。 
      それはほんの微々たるものかもしれなかったが、他の人間にはわからなくとも、手塚にはわかる『リョーマの変化』だった。 
      いつもよりも瞬きが多い。 
      いつもよりも俯く回数が多い。 
      何よりも、自分を見て微笑んでくれない。 
      手塚は二人に気づかれないように、そっと眉を寄せた。 
      (なぜ、俺には隠そうとするんだ、越前…) 
      「国光は?おかわり」 
      「……いえ」 
      「そう?じゃあ、飲む?」 
      「え?」 
      彩菜の言葉に驚いて顔を上げると、その手にはしっかりとビールらしき缶が握られていた。 
      「母さん、それはまだ……」 
      「いいじゃないの、ちょっとくらい。リョーマくんはもう飲んでるわよ?」 
      「!?」 
      手塚がリョーマに視線を移すと、まるでいつものファンタを飲むようにゴクゴクと喉を鳴らしてビールを飲んでいた。 
      「こらっ、越前!」 
      ぷはーっ、と息をついで、リョーマは手塚に視線を向けた。 
      「飲まないんスか?部長」 
      「…………」 
      ケロッとしているリョーマを見て、手塚は深い溜息を吐いた。 
      「………わかりました。俺も頂きます」 
      「うそぉ、国光が付き合ってくれるの、初めてじゃない!ありがとう、リョーマくんのおかげね!」 
      「但し、少しだけです。俺たちはまだ未成年なんですから」 
      「はいはい」 
      彩菜は適当に返事をしてから手塚に缶をひとつ手渡した。 
      「乾杯しましょっか」 
      「えー、もうほとんど飲んじゃいましたよ、オレ〜」 
      「じゃ、もう一本?」 
      「母さん!」 
      「はいはい」 
      彩菜とリョーマは缶を軽くぶつけ合って「乾杯」と言った。手塚も黙ったまま缶を差し出す。 
      「部長、乾杯」 
      ニッコリとリョーマに微笑まれて、手塚も小さく微笑んだ。 
      「何に乾杯するんだ?」 
      「えーと……じゃあ、今日の部長の格好良さに!」 
      「なんだそれは」 
      苦笑する手塚に構わずリョーマは缶をぶつけてきた。 
      「乾杯!」 
      「ああ、乾杯」 
      冷えた液体を一口含むと、手塚の口の中に心地よい苦みが広がった。美味くもないが、不味くもない。 
      だが、その苦みが喉を通り抜けてゆく感覚に、どこかホッとするものを手塚は感じた。 
      (大人が酒で嫌なことを忘れようとするのがわかる気がするな…) 
      これで少しでも酔えたなら、胸の中の苦しさも感じなくなるだろうか。 
      手塚は握り締めていた缶をグイッと一気に煽った。
 
 
 
 
  「今夜はこっちで寝ればいいのに」 
      帰り支度をする手塚とリョーマに、彩菜は残念そうに呟く。 
      「明日の用意を持ってきていませんし、向こうの方が学校に近いので楽なんです」 
      「オレが、ですけどね」 
      リョーマが笑うのを見て、手塚と彩菜も微笑んだ。 
      「国光」 
      帰り際の恒例行事のように、彩菜が手塚に手招きをした。 
      だが今日の彩菜はいつもの楽しげな笑顔ではなく、もっと柔らかな、包み込むような笑顔を浮かべていた。 
      「国光」 
      「はい」 
      「いい子ね、越前くんって」 
      手塚は黙ったまま微笑んだ。 
      「あなたにそんな顔させるんだもの。本当に、いい子」 
      「……はい」 
      手塚は頷いた。 
      「あの子が悲しむようなことはしちゃダメよ?」 
      「え?」 
      「あなたも、あの子も、いろんなことを抱えているのでしょうけど、一番大切なことは、凄くシンプルなの。いつでもね」 
      手塚は小さく目を見開いた。 
      それは、手塚が自身で気づけない大切なことを気づかせてくれるような言葉に思えた。 
      「………では、そろそろ、行きます」 
      「一ヶ月間、この家ともお別れね。あなたのところにはたまに顔を出すから、羽、伸ばしすぎないようにね」 
      「はい」 
      手塚は一礼すると、玄関に座り込んでいるリョーマを見つけて苦笑した。 
      「帰るぞ、越前」 
      「ういっス」 
      「歩けるか?」 
      「当然。あれ、ノンアルコールビールでしょ?全然酔ってないし」 
      つまらなそうに唇を尖らせるリョーマに、手塚はまた苦笑した。 
      「お前はあと8年ほど我慢しろ。そうしたらいくらでも飲ませてやるから」 
      「ぁ、今の覚えておいてくださいよ、部長!ちゃんと奢ってくださいね」 
      「ああ、わかった。覚えておく」 
      シューズを履きながら手塚はリョーマの頭をポンポンと軽く叩いた。 
      「それでは、母さん」 
      「気をつけて。何かあったらすぐ私の携帯にかけなさいね」 
      「はい」 
      「越前くんも。楽しかったわ。ありがとう」 
      「…すごく美味しかったっス。ごちそうさまでした!」 
      リョーマがいつものようにペコリと頭を上げた。 
      「おやすみなさい」 
      「おやすみなさい、越前くん……いえ、やっぱりずっとリョーマくんって呼ぼうかな」 
      「いいっスよ」 
      ニッコリと微笑むリョーマに、彩菜も優しく微笑んだ。 
      「リフォームが終わったら、一番最初にリョーマくんを招待するわ。ね、国光」 
      「はい」 
      手塚は微笑みながら頷いた。 
      「………行くぞ、越前」 
      「ういっス」 
      玄関を出る手塚に続いて出ていこうとしたリョーマは、ふと足を止めて彩菜を振り返った。 
      「ありがとう、ございました……っ」 
      深く頭を下げるリョーマに、彩菜は瞳を揺らす。 
      「いつでもいらっしゃい。これが最後なんかじゃないんだから」 
      「………はい」 
      笑って頷いてから、リョーマは彩菜に背を向け、手塚の待つ外に出た。 
      「お待たせ、部長」 
      「ああ」 
      「またあのコンビニで飲み物買って帰りません?なんか喉乾いちゃって」 
      「ついでにアイスか?」 
      「いいっスね!」 
      肩を並べて歩き出しながら、リョーマはさりげなく手塚の右手を見つめた。 
      (もう、繋ぐ必要もなくなっちゃったかな……) 
      「………昼間体調が悪かったのに、ノンアルコールとはいえ、あんなものを飲んで大丈夫だったか?」 
      穏やかな声音でそう訊かれて、リョーマはそっと手塚を見上げた。 
      「……ノンアルコールでも、0.1%くらいはアルコール分があるんスよね。……そのせいかな……なんかいつもよりふわ〜っとしてるかも」 
      「大丈夫か?」 
      手塚が困ったように眉を寄せてリョーマを覗き込んだ。 
      「手、繋いでくれます?」 
      「…腕に掴まってもいいぞ?」 
      リョーマはそっと手塚の右手を取った。 
      「これでいいっス」 
      呟くように言うリョーマにチラリと視線を向け、少し考えてから手塚は立ち止まった。 
      「部長?」 
      「どうも、こっちの繋ぎ方に慣れてしまったんだが……いやか?」 
      そう言って手塚は普通に繋いでいた手を外して、指を組むように重ねて握ってきた。 
      「………」 
      胸に込み上げてきた嬉しさに、リョーマは一瞬、キュッと唇をひき結んだ。そうしないと、はしゃいでしまいそうだったから。 
      「……越前?」 
      「オレも、こっちに慣れちゃったみたいっス」 
      笑いながら見上げてくるリョーマに少しホッとしながら、手塚はまた歩き出した。 
      「飲み物はミネラルウォーターか、スポーツドリンクにしておけよ」 
      「ういーっス。でもファンタも買っていい?」 
      「……好きにしろ」 
      手塚はそう言ってクスッと笑った。 
      リョーマも一緒にクスクスと笑う。 
      (たぶんこうして手を繋いで歩くのもこれで最後になるんだろうな…) 
      リョーマは、手塚の温もりをしっかり覚えておくためにほんの少しだけ指先に力を込めた。
 
 
 
 
  コンビニに寄ってから部屋に戻り、リョーマはいつもの場所に自分のバッグを下ろすとすぐに風呂場に向かった。 
      「部長、入るよね?」 
      「ああ」 
      いつものように鼻歌でも歌いそうにウキウキと風呂の準備をするリョーマに、手塚はそっと笑みを零す。 
      (いつも通りに過ごそうというつもりなのかもしれないな…) 
      コンビニで買ったドリンクとアイスを冷蔵庫と冷凍庫にそれぞれしまってから、手塚は制服を脱ぎ始めた。 
      夕飯の時はなぜ自分に「今日で最後」だと言わないのか不審に思ったが、案外人の感情に聡いリョーマならば、自分の気持ちを推し量ってくれて、気を遣わせないように黙っているのかもしれない、と手塚は思う。 
      (ならば俺も、今まで通りにしよう) 
      手塚は溜息を吐いて、さっきコンビニで買ったミネラルウォーターを冷蔵庫から出して封を切った。 
      一口飲んで、深く息を吐く。 
      冷たい感触が喉に気持ちよかった。 
      (やはりまだビールよりこっちの方が口に合うな…) 
      手塚は窓から空を見上げてみた。薄い月がかかっていた。 
      「あと5分くらいで入れるっスよ」 
      背後から声をかけられて、手塚はゆっくりと振り返った。 
      「ああ、ありがとう」 
      「月、出てるんスか?」 
      「ああ、細いヤツが……」 
      リョーマがスッと手塚の隣に立ち、夜空の月を探す。 
      「ん?どこっスか」 
      「あっちだ」 
      「あ、あった。ホントだ、すごい細い……」 
      手塚を見上げたリョーマは、その端正な横顔が思いの外近くにあったので思わず口を噤んでしまった。 
      「もうすぐ新月なんだな」 
      「新月?」 
      「…月はそこにあるが、地球の影に入ってしまって太陽の光を反射できずにいる状態、だ」 
      月を見ながら説明する手塚の顔を、リョーマはじっと見つめていた。 
      そのリョーマの視線に気づいて、手塚もリョーマを見つめる。 
      「どうした?」 
      「あ……」 
      リョーマは慌てて手塚から目を逸らして俯いた。 
      「………越前」 
      「……なんスか」 
      ほんのり染まっているだろう頬を手塚に見られたくなくて、リョーマは上目遣いで手塚を見た。 
      手塚はリョーマの瞳を真っ直ぐに見つめていた。リョーマも、その瞳に引き込まれるように、同じ瞳で手塚を見つめ返す。 
      「…今、するか?」 
      「…え?」 
      「部室で…お前が言ったんだ……もう一度…と」 
      「……」 
      リョーマは頬を真っ赤に染めて俯いた。まさか手塚の方から言い出してくれるとは思っていなかった。 
      「うん……でも……ホントにいいんスか?部長…」 
      「……あれは、俺も気持ちよかった」 
      そう言いながら手にしていたミネラルウォーターのペットボトルを窓辺に置くと、手塚はそっとリョーマの顎に手をかけて上向かせ、空いている片手で静かにカーテンを閉めた。 
      リョーマはゆっくりと目を閉じる。 
      手塚は込み上げる熱い衝動を抑えながら、リョーマの唇に、自分の唇で優しく触れた。 
      リョーマの睫毛がふるりと揺れる。 
      「…少し、開いて…」 
      唇を触れさせながら手塚が囁くと、リョーマの唇が微かに開いた。 
      チュッ、と音をさせて手塚がリョーマの下唇を吸い上げた。 
      「あ……っ」 
      それだけでゾクリと、リョーマの身体が快感に震える。 
      何度か下唇を吸われている間に、いつの間にかリョーマの顎を捉えていた手塚の指先が頬を滑り、耳を掠めて髪へ差し込まれていた。もう片方の手はリョーマの腰に回っている。 
      「……ぁ…っ」 
      下唇に柔らかく歯を立てられ、もっと開けと言うように緩く引っ張られる。引かれるままにリョーマが口をさらに開けると、深く、手塚の舌が入り込んできた。 
      「んっ」 
      手塚はゆるゆると角度をずらしながらリョーマの舌を絡め取り、口蓋を舐め上げ、深く深く、リョーマを味わう。 
      堪らなくなったリョーマは両腕を手塚の首に回して、もっと、と強請るように縋りついた。 
      「ん……っ」 
      「……っ」 
      手塚も、リョーマも、何も言わずに、ただ相手の唇を貪る。 
      静かな部屋の中に時折艶めいた水音が響き、二人は唇から広がる快感に我を忘れそうになった。 
      「……?」 
      だが手塚がそっと、リョーマから離れた。 
      「……ぶちょう…?」 
      潤む瞳でリョーマに見つめられ、手塚の理性が危うく吹き飛ぶところだった。 
      「風呂……」 
      「あ」 
      言われて思い出したというように目を見開くリョーマに微笑みかけ、手塚はリョーマを引き寄せていた腕を外して浴室へ向かった。 
      「………っ」 
      リョーマは手塚の背中を見つめながら、へたり込みそうになる身体を何とか窓枠に手をついて支えた。 
      (やばい……) 
      軽く息を弾ませて、リョーマはギュッと目を瞑った。熱が、中心に集まってきている。 
      (部長、キス、巧すぎ……っ) 
      「溢れる寸前だった。危なかったな」 
      手塚が今までの雰囲気をまるで感じさせずに戻ってきた。 
      「ぶ、部長、お先にどうぞ」 
      「……越前?」 
      手塚に背を向けて窓の方を向いてしまったリョーマを見て、手塚は怪訝そうに眉を寄せた。 
      「どうした?」 
      「べ、べつに……」 
      「………怒ったのか?」 
      「怒ってないっス」 
      手塚はさらに眉を寄せてリョーマの肩に手をかけた。 
      「どうしてこっちを見ない?」 
      「何でもないっス」 
      ゆっくりと手に力を入れてリョーマを振り向かせると、頬を真っ赤に染めたリョーマが手塚から顔を逸らして俯いた。 
      「………もう一度、していいか?」 
      「え…」 
      リョーマはチラリと手塚を見遣ってから小さく頷いた。 
      手塚の両手で頬を挟まれ、リョーマは顔を上げさせられた。 
      「嫌ならちゃんと嫌だと言え」 
      「…嫌じゃないっス」 
      手塚はリョーマの額にチュッと口づけた。 
      「わっ」 
      まるで愛しい者にするように扱われて、リョーマはビックリして目をきつく閉じた。 
      構わずに手塚がまたリョーマに口づけてくる。 
      「んっ」 
      先程よりもさらに濃厚に舌を絡め取られ、リョーマの中心はついに反応を始めてしまった。 
      頬を挟んでいた手塚の両手がゆっくりと身体のラインをなぞりながら下ろされ、リョーマの腰を掴んで引き寄せる。だが直後、手塚が驚いたように目を見張って唇を離した。 
      「……越前?」 
      「あ…」 
      リョーマは目を見開いて真っ赤に頬を染めた。 
      (気づかれた…っ) 
      「あ……あの……っ、だから、その、えーと…」 
      しどろもどろになるリョーマを暫し見つめたあと、手塚はふっと優しげに微笑んだ。 
      「そんなに…気持ちいいか?」 
      「………うん……あっ」 
      手塚がグッと、リョーマの腰を引き寄せた。 
      「ぶ、ちょ…っ」 
      俯くリョーマに、身を屈めるようにして手塚がまた口づける。 
      「んんっ、ん…」 
      リョーマの腰を引き寄せていた手塚の腕が、リョーマの身体全体を包み込むようにゆっくりと動いた。 
      「……ぁ……っ」 
      少し離れてはまた吸われ、また離され、ずっとそれを繰り返されるのかと思えばいきなり深く舌を絡められて、あまりの快感にリョーマの中心はいつでも弾けそうなほど硬く張りつめた。 
      それでもまだ貪ってくる手塚を力無く押し退け、リョーマが顔を逸らす。 
      「ぶちょ……これ以上…したら……もう…」 
      だが手塚は、逃げようとするリョーマの身体を壁に押しつけてその口を自分の唇で塞いだ。 
      「んっ、んんっ」 
      背面を壁に阻まれて逃げられないリョーマに、手塚が自分の腰を押しつけてきた。決して乱暴ではなく、だが情熱的に腰を揺すられ、リョーマはふと目を開けた。 
      (部長……?) 
      リョーマが瞳で問いかけてくるのに気づき、手塚はそっと唇を離した。 
      「…俺もお前と同じだ……わかるだろう?」 
      ぐりっと腰を押し上げられて、手塚の熱い塊がリョーマの雄に擦りつけられた。リョーマが短く叫んでビクリと身体を揺らす。 
      「ぶ……部長も、気持ち、いい…ん…スか?」 
      「…ああ」 
      頷きながら、さらに手塚がリョーマの熱塊を圧迫し、擦り上げる。 
      「あ、だめ……」 
      何度も何度も刺激され、リョーマは堪えきれずに身体を大きく震わせた。 
      「……あぁっ……あっ……っ」 
      手塚の服を握り締めたままびくんびくんと痙攣を繰り返してから、強ばっていたリョーマの身体が一気に脱力した。 
      力の抜け落ちたリョーマの身体を手塚が優しく抱き止める。 
      「……部長……オレ……出ちゃ……っ」 
      普段からは想像も出来ない、蚊の鳴くような小さな声でリョーマが言う。 
      手塚はリョーマの髪を優しく撫でた。 
      「……すまない…」 
      ふるふると、リョーマが首を横に振った。 
      「違…っ、オレが……我慢できなくて……ごめん、部長、先に風呂入ってもいい?」 
      「ああ。……少し湯を抜いた方がいい。溢れるぞ」 
      「………ういっス。あ、でも」 
      リョーマはまだ上気したままの頬で手塚を見上げた。 
      「部長は……いいんスか?その…出さなくて…」 
      「ああ…俺のことはいいから。早く風呂に入ってこい」 
      リョーマは少し迷ってから小さく頷いた。 
      「…じゃ、入ってきます……すみません」 
      「ああ」 
      リョーマは慌てて着替えを用意すると、浴室に飛び込んでいった。 
      浴室のドアが閉まった途端、手塚は熱い吐息を漏らしながら壁に手をついて、倒れ込みそうになる身体を支えた。 
      「く………っ」 
      手塚の熱塊が、痛いほどに張りつめている。 
      「………」 
      肩越しにもう一度浴室を振り返ってリョーマが戻ってくる気配がないのを確認してから、手塚はベルトを外し、前を緩めて熱塊を取り出した。 
      「あ……くっ、……っ」 
      リョーマが立っていた辺りを見つめながら、手塚は自身を握り込んだ。 
      「は……ぁっ…」 
      数回扱くとすぐに絶頂は訪れた。 
      傍にあったティッシュを数枚手に取り、弾ける寸前に自身にあてがう。 
      「うっ、くっ………ぁっ」 
      息を止めて力むたびに、手の中のティッシュに熱い白濁が勢いよく迸った。 
      「はぁ……っ、あ……」 
      すべてを絞り出す頃には、数枚あったティッシュがしっとりと濡れきっていた。 
      「…………」 
      肩を軽く揺らしながら荒い呼吸を繰り返し、手塚はそのまま座り込んで壁に寄りかかる。 
      「は………」 
      リョーマのいる浴室の明かりを見つめながら、手塚は深い溜息を吐いた。 
      罪悪感が胸に込み上げてくる。 
      もっとリョーマに触れたいと思う自分がいる。 
      衝動のままにリョーマを組み伏せ、自分の欲望をリョーマの中に突き立てて所有の証をその身体のすべてに刻みつけたい。 
      「くそ………っ」 
      手塚は固く目を閉じて唇を噛んだ。
 
 
  リョーマは湯に身を浸しながら、洗面台に置いてある汚してしまった下着をボンヤリと見つめた。 
      (部長は……ああいうこと、抵抗なかったのかな……) 
      何度も口づけられ、抱き締められ、あまつさえ絶頂にまで連れて行かれてしまった。 
      リョーマは深く溜息を吐く。 
      あっさりと吐精してしまった自分が恥ずかしかった。 
      だが、大好きな手塚にあんな濃厚な口づけをされ、情熱的に刺激されたらすぐに弾けてしまうのも無理はないかとも思う。 
      それに、リョーマはひとつ気づいたことがあった。 
      (オレは、ちゃんと、そういう意味で、部長のことが好きだったんだ) 
      手塚が好きだという自覚はある。しかしその感情はどの程度のものなのか、自分でもよくわからないところがあった。 
      リョーマは幼い頃アメリカで近所の青年に身体を触られそうになってからというもの、同性から欲望の対象にされることに、ひどく嫌悪感があった。だから、手塚のことを好きだと思っても、せいぜい手を繋いだり、口づけてみたり、その程度のことがしたいだけなのではないかと思っていた。 
      だが、考えるよりも身体は素直に反応を見せた。 
      手塚に口づけられて、抱き締められて、リョーマの雄が固く尖った。それは、リョーマが、キスよりももっと先の行為を期待したということだ。 あの地下室で口づけられたときよりもはっきりとした渇望感を、リョーマは今、感じている。 
      幼い頃に性器に手を伸ばしてきた青年の手は耐え難いほど気持ちが悪かったのに、今、リョーマは、手塚にはそれに触れて欲しいとさえ思っている。 
      他の人間とは、何もかも手塚は違うのだ。 
      手塚に触れられたい。 
      身体の外側も、内側も、自分でも触れたことのないような場所も、手塚にだけは触れて欲しいと思う。 
      (ダメだ……そんなの欲張りだ……) 
      手塚に口づけてもらえただけでも、自分は幸せなのだ。 
      なぜなら、手塚には好きな相手がいるのだから。 
      きっと本当なら触れてもらうことさえ奇跡だ。なのに、まるで恋人同士のように甘く熱く口づけてくれたり、優しく抱き締めてもくれた。前を固くしたリョーマに気づいても、笑ったり突き放したりせずに、むしろ優しく絶頂まで連れて行ってくれた。 
      そんな手塚を、好きな相手がいるのに不誠実だと言う人もいるかもしれないが、リョーマはそうは思わない。 
      きっと、手塚は自分のことを後輩として大切に想ってくれている。だから放っておけないのだろう。 
      なんと言っても自分は同性なのだから、手塚にとって、自分は恋愛の対象ではないはずだ。 
      だからこそ手塚の心の大きさに、その優しさに、リョーマは涙が出そうになる。 
      「部長……」 
      掠れた声で、そっとリョーマは呟く。 
      夢の中のように、素直に想いを告げたい。何度も好きだと言いたい。 
      だが現実でそれを口にしてしまったがために、今の、この優しい関係まで崩れてしまうのが怖い。 
      (越前リョーマ、アンタ、結構臆病者だね……) 
      リョーマは自嘲気味に笑った。 
      (風呂から出たら、何でもないふうにしなきゃ…) 
      深く長い溜息を、リョーマは吐き出した。
 
  「部長、お風呂空きました」 
      「ああ」 
      「あ、お湯、溜めます?」 
      「いや、今日はシャワーだけでいい」 
      すっきりした様子のリョーマを見て手塚は微笑んだ。 
      「じゃ、行ってくる」 
      「ういっス」 
      浴室に消える手塚を見送ってから、リョーマは普通に会話できたことに安堵の溜息を零した。 
      だがリョーマにとって、問題はこれからだった。 
      (また寝られないかもね……) 
      リョーマは寝室を見遣って、また溜息を吐いた。 
      (でも今日が最後なんだ……だから…最後に……) 
      最後に、もう一つだけ、してみたいことがリョーマにはあった。
 
 
 
 
  「じゃ、オレ、先に寝ます」 
      「ああ。おやすみ」 
      「おやすみなさい」 
      翌日の数学と英語の予習をするという手塚を待たずに、リョーマは先にベッドに入った。 
      (この広いベッドで寝るのも、今日で最後、か…) 
      リョーマは仰向けに寝て、ボンヤリと天井を眺めた。 
      (巧く、出来るかな……) 
      ほんのりと、リョーマは頬を染めた。 
      これからリョーマは、ちょっとした芝居を打とうと思っている。それは、優しい手塚を騙すようで少し心が痛むが、どうせ最後なのだからと、どこか開き直っているところもあった。 
      どうしても、手塚と寄り添って寝てみたかった。 
      背中合わせではなく、出来ることなら眠るまで、手塚に手を握っていて欲しい。 
      だからリョーマは、昼間の市ヶ谷たちとの一件を利用することを思いついたのだ。 
      一時間ほどして、隣の部屋の明かりが落とされた。 
      ベッドサイドの明かりを頼りに手塚が静かに寝室へと入ってくる。 
      リョーマの心臓は、次第にドクドクと加速してきた。 
      手塚がベッドを揺らさないようにそっと身体を滑り込ませてくる。 
      いつものように丸まって寝ているフリをしながら、リョーマはタイミングを計った。だが、一向に手塚が横になってくれない。いっそのこと目を開けて手塚が何をしているのか確かめようかと思い始めた頃、手塚の指先が、そっとリョーマの髪に触れた。 
      (え………?) 
      手塚は遠慮がちに、そっと髪を撫でてくれている。 
      何度も、何度も。 
      そうして頬を撫で、また髪を撫でられる。 
      (気持ちいい………) 
      手塚の優しい指の動きがあまりにも気持ち良くて、リョーマはうっかりと寝てしまいそうになった。 
      だがその時ベッドが微かに揺れ、自分の頬や唇に柔らかなものが触れる感触があった。 
      (部長…?) 
      頬に、唇に、手塚は触れるだけのキスをしてくれている。 
      (どうして……?) 
      リョーマは混乱した。 
      混乱して、寝たフリをしていることを忘れて目を開けてしまった。 
      ギクッとするかのように手塚の身体が揺れる。 
      そうしてリョーマ自身、目を開けたことを「しまった」と思いつつ、今までの手塚の行動には気づいていないように、演技を開始した。 
      「部長…っ」 
      眉を寄せて、リョーマは手塚のパジャマの端をグッと握り締めた。手塚は「どうした?」と優しく訊ねてくれる。 
      「夢………っ」 
      「え?」 
      「縛られて、真っ暗なところに閉じこめられる夢……見て……」 
      手塚の眉がきつく寄せられる。 
      「……越前…」 
      「あ、ごめん、部長……」 
      手塚のパジャマを握り締めていた手を外そうとすると、手塚はそれを制するかのように、リョーマの手をそっと自分の手で包み込んだ。 
      「…大丈夫だ。もうあいつらはお前に何もしない。それに、今は俺がいる」 
      言いながら、手塚はリョーマの身体をそっと抱き締めた。 
      「あいつらにはもう、何もさせない」 
      「ぶちょ……」 
      「大丈夫だ」 
      「………うん」 
      腕に力を込めてグッと強く抱き込まれ、リョーマはうっとりと目を閉じた。まさか抱き締めてくれるとは思っていなかった。 
      「部長……」 
      (好き…) 
      言いそうになって、慌ててリョーマは口をひき結んだ。 
      それだけは、言ってはいけない。 
      「俺がさっき余計なことをしてしまったからかもしれないな……すまなかった。本当は嫌だったんだろう?」 
      「え…」 
      「キスをして…無理矢理お前をイかせた……」 
      手塚の腕の中で、リョーマは首を横に振る。 
      「気持ちよかったっス。ホントに、全然、嫌じゃなかった…」 
      「…………」 
      手塚はさらにギュッとリョーマを抱き締めると、熱い吐息を零した。 
      「そんなふうに言うな。……嫌だと、言ってくれ……」 
      「嫌じゃないっス」 
      「………っ」 
      手塚はリョーマの身体を抱き締めたまま、覆い被さるようにのし掛かった。 
      二人は見つめ合い、ゆっくりと唇を重ねてゆく。 
      深く、激しく舌を絡めながら、手塚の手がリョーマの中心を撫で上げる。 
      「あ…っ」 
      堪らずにリョーマが仰け反ると、手塚はその細い喉に舌を這わせた。 
      「…ぁ……」 
      「………っ」 
      再び口づけながら、手塚はリョーマのパジャマのズボンの中にするりと手を滑り込ませた。 
      「あっ」 
      直に手塚に触れられて、リョーマの身体が激しく揺れる。 
      すでに熱を帯び始めていたリョーマの雄は、手塚の手の中ですぐに固く尖っていった。 
      「ぶ…ちょ…う…っ」 
      「………すまない……」 
      掠れた声で謝りながら、手塚はリョーマに口づける。 
      舌を絡めながらリョーマを握った手を緩く動かされ、リョーマはきつく眉を寄せて、いきなり襲ってきた強すぎる快感に身を震わせた。 
      「んんっ」 
      クチャクチャと湿った音が聞こえてくる。 
      リョーマは真っ赤に頬を染めながら手塚の腕をきつく掴んだ。 
      手塚は一旦手を引き抜くと、肌掛けを捲り上げて、手早くリョーマのズボンを下着ごと膝の辺りまで引きずり下ろした。 
      「わっ……ぶちょ…っ」 
      「………」 
      戸惑う大きな瞳をじっと見つめながら、手塚も自分のズボンを少しずらして熱塊を取り出した。 
      「……気持ち悪いか?」 
      リョーマの濡れた先端に熱い棒のようなものがぴちゃりと触れてきた。 
      「あ…」 
      さらに目を見開くリョーマに、手塚は苦笑する。だがリョーマがそっと手塚の肉棒に触れてきたのを感じ、手塚は驚いたように目を見開いた。 
      「部長のも……熱くなってる……」 
      手塚はふわりと微笑むと、リョーマの頬に優しく口づけた。 
      「…俺も、男だからな…」 
      そう言って吐息のような溜息を小さく吐き、手塚はリョーマの手ごと、二つの熱塊を握り込んだ。 
      「あ……部長……?」 
      「…一緒に、握ってくれ」 
      手塚をじっと見つめてから、リョーマはこくりと小さく頷く。 
      未だ戸惑いを隠せないリョーマに優しく微笑みかけ、手塚は二つの熱塊をゆっくりと扱き始めた。 
      「ぁ……っあ」 
      すぐにリョーマが声を漏らし始める。 
      「ぶちょ……気持ち、いいよ……っ」 
      潤んだ瞳で見つめられ、手塚の雄がさらにぐっと硬さを増した。 
      手の動きを早めてやると、さらにリョーマが喘ぐ。 
      「あっ、すご…っ、いい…っ」 
      二つの熱塊から溢れてきた透明な雫がリョーマと手塚の手を濡らして、グチャグチャと派手な水音を立てさせる。 
      初めは戸惑いながら、手塚につられるようにして手を動かしていたリョーマも、いつの間にか自分の意志で二つの熱塊を握り締め、強く扱き始めている。 
      「ぶ、ちょう……もう……出る……っ」 
      「……一緒に…行こう……」 
      「うん…」 
      さらに手の動きを加速させながら、手塚の腰もリョーマに押しつけるように揺らめく。 
      「ああっ、あっ、部長っ、す……っ」 
      (好き…っ) 
      「越前……っ」 
      (好きだ……)
 
  (でも、言えない)
 
  二人は全く同時に熱液を噴き上げた。 
      「ああぁっ、あ……んっ」 
      「くぅっ、あぁ……っ」 
      びゅるびゅると噴き上がった二人分の熱液は、手塚とリョーマの手をぐっしょりと濡らし、そのまま二人の手を伝い落ちてリョーマの下腹部を濡らしていった。 
      はぁはぁと、荒い呼吸のまま、二人は互いを見つめる。 
      「………ありがと……部長……」 
      (最後に、こんな思い出をくれて) 
      「……」 
      だが手塚は黙ったまま小さく微笑んだだけで何も言わなかった。何も言わず、握り締めていた手を解き、ゆっくりとベッドを降りる。 
      「部長…?」 
      「……そのままちょっと待っていろ」 
      「そのままって…」 
      リョーマは自分の格好を見て赤面した。 
      膝までズリ下げられたパジャマのズボンと下着。上衣の方は、いつの間にか乳首が見えそうなほどたくし上げられている。 
      そして、二人分の精液に濡れた下腹部。 
      (うわ………) 
      恥ずかしさに顔を手で覆おうとして、その左手も粘つく液体に濡れていることに気づいた。 
      「うわ……」 
      今度は声に出して、リョーマはギュッと目を閉じた。恥ずかしさに、顔から火が吹き出しそうだった。 
      手塚が戻ってきて、その恥ずかしさはさらに大きくなった。 
      濡らしたタオルを二枚用意してきた手塚は、黙ったままリョーマの身体を丁寧に拭いてくれたのだ。 
      一枚目で拭き取りきれなかった下腹部の汚れを、二枚目のタオルで綺麗にしてくれた。 
      「…ありがとうございます…」 
      どうにも恥ずかしくて真っ赤になったままもごもごと礼を言うリョーマに、手塚はただ「いや」と言った。 
      「手は自分で洗ってきた方がいいだろう。………すまなかったな」 
      「だから、べつにオレは…」 
      「おかげですっきりした」 
      目を逸らしてそう言った手塚に、リョーマは小さく目を見開いた。 
      「あ……えっと、だから、オレも気持ちよかったからいいっスよ。オレも……すごく…すっきりしました…」 
      ニコッと笑うリョーマにチラリと視線を向けて、手塚は「そうか」とだけ言った。 
      「オレ、手、洗ってきますっ」 
      「ああ」 
      洗面所に駆け込んだリョーマは、勢いよく水を出して、だが手を洗うでもなく、ただ流れてゆく水をじっと見つめた。 
      (特別な意味なんかないのに……) 
      男同士なら互いに抜きあったりするのは、男子校ではよく聴く話だと、以前、桃城が面白可笑しく言っていた。同じ小学校に通っていた幼馴染みが男子校に入学し、そう言う体験をしたらしいと。 
      青学は男子校ではないが、男同士ならば有り得ない話ではないのだろう。 
      そこに、恋愛感情のない、ただの性欲処理なのだから。 
      リョーマはふと顔を上げて鏡を見た。 
      未だにほんのりと赤みを残す頬が、先程までの艶めいた行為が現実にあったことだと告げている。 
      (でも…) 
      おかげですっきりした、と手塚は言っていた。 
      たぶん、ずっとリョーマと一緒にいたせいで、数日間処理が出来なかったのだろう。 
      浴室でこっそり処理しようと思っても、浴室のドアはかなり安っぽい作りで、どうしても声が外に漏れてしまうように思える。 
      (だから一緒に、処理しただけだ) 
      リョーマはそっと、水に手を浸した。 
      流れ落ちてゆく手塚と自分の放った精液がみるみる排水溝に吸い込まれてゆく。 
      (でも、オレは、一生忘れないから) 
      ふわり、とリョーマは微笑んだ。 
      手塚にとってはただの性欲処理に過ぎなくても構わない。 
      自分にとっては、今夜の出来事は一生の宝物になる。 
      蛇口を閉めて、そばに置いてあったタオルで手を拭き、リョーマは明るい顔でベッドに戻った。 
      ベッドに腰掛けていた手塚が、ゆっくりと顔を上げた。 
      「あ、シーツにも零れちゃいました?」 
      普段と変わらぬ口調になるように、何でもないことだったように、リョーマは手塚に話しかける。 
      「いや。大丈夫だ」 
      手塚が苦笑するので、リョーマも困った顔を装って笑ってみせた。 
      「じゃ、もう寝ましょっか」 
      「ああ」 
      リョーマがベッドに滑り込むと、手塚もゆっくりとリョーマの隣に横になった。 
      「あの、部長?」 
      「ん?」 
      仰向けのまま、手塚がいつものように応えてくれた。そんな些細なことが、今のリョーマには大きな勇気の源になる。 
      「…また変な夢見ないように、手、繋いでもいい?」 
      「え?」 
      手塚はどこかひどく驚いたようにリョーマを見た。 
      「なんか、ガキっぽくて恥ずかしいんだけど、夜中に目が覚めるのヤダし……すっごく小さい時、怖い夢見て泣いていたら母さんが手を繋いでいてくれて…そしたら全然夢見ないで寝られたんスよ。だから、おまじない」 
      じっとリョーマの言葉を聴いていた手塚は、唐突にクスッと笑った。 
      「……なんスか、部長」 
      リョーマが訝しげに手塚を覗き込む。 
      「いや………ずいぶん可愛らしいことを言うと思ってな」 
      「うっ」 
      リョーマはまた一気に頬を赤く染めた。 
      だが手塚の笑いは、いつの間にか柔らかな微笑みに変わっている。 
      「俺で良ければ手を繋いでいよう。夢の中でも、お前を護れるといいが…」 
      リョーマは一瞬目を丸くしてから、嬉しそうに微笑んだ。 
      「部長に手を繋いでもらえたら、こんなに心強いことはないっスよ」 
      「……そうか?」 
      「うん」 
      微笑んで、リョーマはそっと手塚の手に触れる。すると手塚が優しく指を絡めて握ってくれた。 
      「…この握り方、好きになったみたいっス」 
      「ああ、俺もだ…」 
      二人は顔を見合わせて小さく微笑み合った。 
      胸の中の、この想いを相手に告げられなくてもいいと、二人はそれぞれ思った。 
      いつか、時が経ってこの想いが優しいものへと変わってくれることがあるならば、その時初めて今夜の出来事が心に残る大切な思い出なのだと告げよう、と。
 
  広い広いベッドの真ん中で、二人は互いの手をしっかり握りあって眠りに落ちていった。
 
 
 
 
 
  
      続
 
 
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      20050627 
      
      
  
    
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