  ダブルベッド
  
  <3>
  
      
  一時間目と二時間目の合間の短い休みに、リョーマは隣のクラスの図書委員を訪ねた。が、隣のクラスは教室移動があるらしく蛻の殻だったので諦めた。 
      次の休みは自分のクラスの教室移動があったので、廊下で擦れ違う偶然を期待しながら視聴覚室へと移動した。それでも廊下での偶然は起こらず、リョーマはほんの少し焦った。 
      視聴覚室での授業を終え、自分の教室に戻る途中でリョーマは漸く探していた人物を見つけた。 
      「ねえ」 
      目当ての男子生徒に駆け寄って、リョーマはその腕を掴んだ。 
      「え?なに?」 
      突然腕を掴まれて驚いたように目を見開いた少年は、相手がリョーマだとわかると、少し表情を緩めた。 
      「あのさ、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」 
      きょとんと見つめ返してくる相手に、リョーマは「急に部のミーティングをやることになった」と説明して、当番を代わってもらうことに成功した。 
      (ミーティング、ってのは嘘じゃないし) 
      ひとつ心の荷が下りて、リョーマは四時間目の授業を落ち着いて受けることが出来た。
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
  昼休みになった。 
      手塚、不二、乾、河村、海堂はチャイムが鳴ってすぐに屋上に現れた。少し遅れて、大量にパンを抱えた桃城もやってきた。 
      「ちーっス」 
      「…今日はまともに来やがったか」 
      「いちいちうるせぇよ、マムシ」 
      「…んだと、コラァ!」 
      いつもの小競り合いを始めた二人は、だが、いつのように止めが入らないことに違和感を覚えて辺りを見回した。 
      「……あれ?大石先輩は?」 
      桃城が独り言のように呟くと、ちょうど入ってきた菊丸が「大石が5分くらい遅れるってー」と言った。 
      「珍しいね、いつも一番乗りの大石が遅れるなんて。何か先生に用事でも言いつけられたのかな」 
      「そうみたい。本を山盛り抱えていたからにゃ〜」 
      微笑みながら言う不二に菊丸はコクコクと頷きながら答えた。 
      「あれれ、おチビは?」 
      今度は菊丸がキョロキョロと辺りを見回した。 
      「越前は図書委員の当番だ。今日は来ない」 
      答える手塚に、菊丸はふーんと言ってニッコリ笑った。 
      「さっすが手塚はおチビのことは何でもわかっているにゃ」 
      「……そういうわけではない」 
      一番知りたいことは何もわかっていないのだから、と心の中で呟いた手塚は、何とか気持ちを切り替えて乾に視線を向けた。 
      「乾」 
      「ああ、わかっているよ。早速話を始めようか」 
      いつものように車座になって全員が腰を下ろした。 
      「まず、見てもらいたいモノがあるんだ」 
      そう言って乾は地図を拡げた。所々に赤い×印が打ってある。その横には日付らしき数字。 
      「な〜んか、こーゆーの、見たことあるにゃん。この赤いバッテンのところで、何か事件が起きてるにゃ?」 
      「正解」 
      乾は菊丸に頷いてから眼鏡の位置を直した。 
      「ここ半年くらいの間に、この赤い×印のところで火事が起きている」 
      全員が一瞬息を飲んで地図を凝視した。 
      「…ずいぶん近場で、同じ日に何件も起きているね」 
      不二がいつになく低い声で呟く。 
      「そう。しかもこの火事のほとんどが、出火原因が不明なんだ」 
      「じゃあこれって…」 
      河村が眉を寄せて乾を見る。乾はまた頷いた。 
      「たぶん、放火だ」 
      「………」 
      全員が沈黙した。 
      「昨日もここで火事が起きている。今朝の新聞によれば、警察はついに放火と断定して事件を追い始めたようだ」 
      「新聞に発表するくらいだから出火原因が不明ってこと以外にも、断定した根拠があるのかな」 
      不二が乾を見つめると、乾は黙ったまま別の紙の束を取り出した。 
      「これは警察が介入する直前に入手したものだ。今では閲覧できなくなっているから、結構貴重なものなんだよ」 
      「?なんスか?」 
      海堂が乾の持つ紙の束を覗き込んだ。 
      かなりの枚数のA4判の紙には大量の文字が羅列しており、その所々が赤いペンで囲んである。 
      「インターネットの、いわゆる裏サイトの掲示板に火事の予告が書き込まれていたんだ」 
      「ええ?」 
      「予告?」 
      全員が目を見開く。手塚はきつく眉を寄せた。 
      「予告されていた日付と、実際に書き込まれた時間、そして火事の起こった時間を照らし合わせてみると、この書き込みが本物の犯人の書き込みである可能性が高い」 
      「本物…」 
      海堂が呆然と乾を見つめる。 
      「…新聞には載っていないが実際には起きている小さなボヤ騒ぎのことも予告されている。偶然とは思えない」 
      「越前の隣の家の火事も含まれるのか?」 
      手塚が静かに口を開いた。全員に緊張が走る。 
      「ああ。含まれている。同じ日に近くで二件ほどボヤ騒ぎも起きているようだ」 
      「………」 
      手塚はさらにきつく眉を寄せて地図を見つめた。 
      「この多発している火事のうち、死者が出たのはついひと月ほど前だ」 
      「死者も出ているのか」 
      「ああ。男子高校生が、一人亡くなっている」 
      重い沈黙が流れた。 
      自分たちとさほど変わらない歳の人間が、命を奪われたのだ。きっと大小にかかわらず、夢があったことだろう。何かを目指して、日々努力していたかもしれない。 
      それを、何の理由もなく、命とともに、すべてを灰にされてしまったのだ。 
      その無念さを思うと、誰の口からも言葉が出てこなかった。 
      「許せねぇ……」 
      桃城が低く唸った。 
      「何で半年も経つのに、犯人は捕まらないんスか。警察は何やってんだ…っ!」 
      乾が深い溜息を吐いた。 
      「そう思っている人間は桃城だけじゃなかったようだ」 
      「え?」 
      「最近になって、放火予告のすぐあとに、『絶対にお前を見つけて捕まえてやる』という内容のレスポンスが書き込まれるようになった」 
      「予告に…?」 
      乾は頷いてから、手に持っていた紙を何枚かめくり、青いペンで囲まれた書き込みを示した。 
      「………」 
      全員がその青く囲まれた書き込みを見つめた。 
      『絶対捕まえてやる』『火事に遭った人の苦しみを知れ』『地獄へ堕ちろ』『許さない』 
      その書き込みひとつひとつに、犯人への憎悪が強く感じられた。 
      「気になるのは、この、犯人に対しての書き込みがほぼ一ヶ月前から始まったということなんだ」 
      「一ヶ月前って……まさか…」 
      不二が眉を寄せて乾を見た。 
      「ああ。さっき話した、この放火で高校生が亡くなった直後からということになる」 
      「ってことは、この犯人を捕まえてやるっていう書き込みは、亡くなった高校生の関係者?」 
      「普通に考えればその可能性が高いな」 
      「親とか兄弟とか?」 
      身を乗り出す菊丸に、乾は首を横に振った。 
      「亡くなった高校生に兄弟はいない。もともと母一人子一人の生活で、母親はパソコンは使えないらしい」 
      「………でも、何で乾は、この事件の話をするの?手塚と越前の写真を撮った犯人と、何か関係があると?」 
      「あ、わかったにゃん」 
      疑問を投げかける不二の横で、菊丸がポンと手を打った。 
      「前に乾が言っていた可能性の話にゃ?新聞社に投稿した火事の写真を撮ったのは『そこで火事が起きるのを知っていたヤツ』って」 
      「その通りだ」 
      乾が大きく頷いた。 
      「ちょっと待って」 
      河村が混乱する頭を整理しながら乾に尋ねる。 
      「じゃあ、火事の写真を撮ったのは、この犯人を捕まえるって書き込みをした人で、もしかしたらその人が、手塚と越前の写真も撮ったっていうこと?」 
      乾は、頷いた。 
      「そういうことだ」 
      「でも写真を投稿したのは中学生なんだよね。火事で亡くなった人とは先輩と後輩?手塚や越前との接点は何だろう。やっぱり青学の生徒?」 
      次々に繰り出される河村の疑問に乾が眼鏡の位置を直しながら溜息を吐いた。 
      「それが判明すれば、もっと話はわかりやすくなるだろうな」 
      もう一度小さく溜息を吐き出してから、乾は菊丸に視線を向ける。 
      「菊丸。親父さんには例の件、訊いてみてくれたか?」 
      「もっちろん。明日には調べて連絡くれるって約束したにゃん」 
      「無理を言ってすまないな」 
      「手塚とおチビのためだもん。一肌でも二肌でも脱ぐにゃん」 
      ドン、と胸を叩く菊丸の横で不二が笑った。 
      「脱ぐのはお父さんでしょ?」 
      「あ、そっか。ま、細かいことは気にしなーい気にしなーい」 
      菊丸の笑顔に、硬かった場の雰囲気がふわりと和んだ。その時、ドアが開き、大石が現れた。 
      「すまない、みんな。先生の資料を図書館に返すのを手伝わされちゃって」 
      「すっごい量だったもんね。あれ全部返却手続きするの、おチビも嫌な顔したんじゃない?」 
      笑いながら言う菊丸に、大石はきょとんと視線を向けた。 
      「え?越前?越前はいなかったけど?」 
      「あれ?だって、今日はおチビがカウンターの当番だって、さっき手塚が…」 
      「トイレだったとか?」 
      不二の言葉に大石は首を横に振った。 
      「カウンターの当番は二人だろ?二人とも座っていたよ」 
      手塚はハッとしたように顔を上げて、勢いよく立ち上がった。桃城もほぼ同時に立ち上がる。 
      「部長っ」 
      短く叫ぶ桃城にチラリと視線を向けてから、手塚は何も言わずにドアに向けて走り出した。 
      「俺も行きます!」 
      桃城が手塚の後を追う。 
      「手塚、桃城ッ!?」 
      その場にいた全員が一斉に立ち上がった。 
      「な、なんだ?どうしたんだ?」 
      大石が狼狽えながらみんなの顔を見回した。 
      「…今日、越前は当番があるからこの集まりには出られないと手塚に言ったんだ」 
      「でも当番には違う子が座っていたって言うなら、きっと越前は、やっぱりここに来たくて当番を代わってもらったんだと思うよ」 
      乾と不二に代わる代わる説明されて、大石はいちいち頷いた。 
      「せっかく当番を代わってもらったのに、ここに現れないなんておかしいっスよ、乾先輩!」 
      海堂が乾の袖を掴む。 
      「何か、あったのかもしれない」 
      低く唸るように呟いた不二の言葉に全員が顔を強ばらせ、だが、次の瞬間には弾かれたようにドアの方へ走り出していた。 
      「手分けをしよう!俺と海堂は部室の方へ行く。大石と菊丸は校内を、不二とタカさんはとりあえず図書館に向かってみてくれ!」 
      「わかった!」 
      乾の迅速な指示のもと、それぞれが言われた場所へと散らばっていった。
 
 
  ***
 
 
  手塚はまずリョーマのクラスへと向かった。 
      突然現れた三年生の、しかもその名を知らない生徒はいない生徒会長でもある手塚が現れたことで、昼休みにもかかわらず一年二組はしんと静まりかえった。 
      「堀尾はいるか!」 
      「は、はいぃっ!」 
      手塚に強い口調で名指しされ、堀尾はこれ以上ないほど緊張した様子で立ち上がった。 
      「…ちょっと来てくれ」 
      睨むような目つきで言われ、堀尾は泣き出しそうになるのを何とか堪えて廊下に出た。教室にいたクラスメイト全員の視線が堀尾に集中している。 
      だが堀尾が廊下に出てみると、傍に桃城も立っていたので、少しだけ肩の力を抜くことが出来た。 
      「越前はどこへ行った?」 
      唐突に手塚に訊ねられ、堀尾は繋がりそうな眉をさらに寄せた。 
      「越前っスか?さあ?」 
      首を傾げる堀尾に手塚は小さく溜息を吐くと背を向けて走り出そうとした。が、その時、 
      「ああ!そういやあいつ、さっき……」 
      「さっき?さっき、どうしたんだ?」 
      もの凄い力で手塚に肩を掴まれ、堀尾は思わず涙目になって「ひぃっ」と声を上げた。 
      「あああああのっ、お、俺が、こっ、購買部にいこうと思って、教室出た時、え、え、越前のヤツ、先輩たちに囲まれてて…」 
      「先輩?二年か?それとも三年か?」 
      さらにきつく肩を掴まれて、堀尾は失神寸前だ。 
      「わわわ、わからないっス!たっ、ただ、人数は三人で、一人は凄く背が高くて、髪が肩くらいまでありました!あとの二人は両方とも茶髪で、桃先輩と同じくらいの身長ですっ。あ、あとは遠くてわかりませんでしたっ。すみっ、すみませんーっ!!!」 
      堀尾が哀れなほど萎縮していることに気づいて、手塚は深く息を吐いた。 
      「どっちに行ったんだ」 
      少しだけ、堀尾の肩を掴んでいた手塚の指先が緩んだので、堀尾は顔を上げて手塚を真っ直ぐに見た。 
      「た、たぶん、講堂か体育館の方じゃないかと……」 
      「そうか。ありがとう。すまなかったな」 
      手塚は堀尾の肩をポンと叩くと、踵を返して走り出した。 
      「越前が見つかったら、マックで奢ってやるよ。サンキュウな、堀尾!」 
      桃城にポポンと頭を軽く叩かれ、ニカッと微笑まれて、どっと力が抜けた堀尾はその場にへたり込んだ。 
      「また放課後な〜」 
      そう言い残し、手塚を追いかけて走り出した桃城を見つめながら、堀尾は魂が抜かれたように呆然としていた。 
      「こ……怖かっ……」 
      その後、堀尾はしばらく放心状態のままその場から動けなかった。
 
 
  「部長、手分けしますか!」 
      「…俺は講堂へ行く」 
      「了解!んじゃ俺は体育館に行きます!」 
      校舎の外に出て、手塚と桃城はそれぞれ講堂と体育館とに分かれていった。 
      (体育館には死角になるようなところはない) 
      よく、よからぬことを企む者たちが体育館裏で事を成すというイメージがあるが、青学の体育館は裏へ抜ける手段がない。迂闊に生徒が入り込まないようにと、高い柵があるからだ。また、機能性と安全性を特に考慮して設計されているために、内部にも物陰になるところなどはほとんどない。 
      体育で使う用具類が収められている倉庫も、事故などが起きないようにその鍵は厳重に管理され、担当の体育教師がしっかりと保管している。 
      だが講堂には地下室がある。地下なので音も響きにくい。 
      本来ならば鍵をかけて管理されるはずの地下室は、大型のスピーカーや、かつて演劇部などが使った大道具などが置かれているのだが、体育倉庫とは逆に教師の怠慢でよく鍵のかかっていないことがある。 
      もしその怠慢さを利用して地下室に入り込まれたら、通りがかりの者がそこにいる者を見つけることは困難だろう。 
      だが、あの地下室の鍵は内側からはかけられない。もしもそこにリョーマが誰かといるならば、外に見張りを立てている可能性がある。 
      そこまで考えて、手塚は講堂の地下に通じる階段を前に足を止めた。 
      気配を窺ってみるが、物音ひとつしない。 
      ゆっくり階段を下りると薄暗い地下への扉が開いたままになっていた。 
      手塚はグッと両手を握り締めると、思い切って大声で叫んでみた。 
      「越前、いるのか!?」 
      返事は、ない。 
      (いないのか?) 
      手塚はドアのすぐ横にある照明のスイッチを入れた。 
      少し間をおいて天井の蛍光灯が白く光る。 
      「越前っ」 
      もう一度リョーマの名を呼ぶ。 
      だが地下室の中はガランとしていて、何も動くものの気配はしない。 
      念のためにと、スピーカーの間や裏側、大道具の後ろなども見てみたが、どこにもリョーマはいなかった。 
      (ここじゃない…?) 
      手塚は電気を消してまた外に飛び出した。 
      (どこだ……越前、どこにいる!) 
      落ち着いて考えようと、手塚は足を止める。 
      (校内なのか。それとも、まさか学校の外へ……?) 
      「手塚!」 
      図書館の方から不二たちが走ってきた。 
      「どう?」 
      「堀尾が、上級生に囲まれている越前を見たらしい」 
      「それで?」 
      手塚は首を横に振った。 
      「……桃城が体育館を見に行っている」 
      「僕たちもいこうか。体育館」 
      不二にそっと肩を叩かれ、手塚は知らず俯いていた自分に気づいた。 
      「念のために、倉庫の鍵をもらってきてくれないか」 
      「わかった。先に行ってて」 
      不二は頷いて体育教官室に向かった。 
      「いこうよ、手塚」 
      「ああ」 
      河村に促されて、手塚は桃城がいる体育館へと向かうことにした。
 
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
 
  手塚に呼ばれた気がして、リョーマは目を覚ました。 
      酷い頭痛がして低く呻く。 
      (頭痛い…気持ち悪い……) 
      ゆっくりと瞬きをして、ずいぶん薄暗いところに自分がいることに気づいた。 
      (なんだ、ここ…?なんで、こんなとこにいるんだっけ…?) 
      リョーマはズキズキする頭を堪えながら、曖昧な記憶を順に辿ってみた。
 
 
  昼休みのチャイムが聞こえて、生徒たちはバタバタと昼食を摂るために動き出した。リョーマも購買部で昼食用のパンを買って早く屋上に行こうと思っていた。 
      だがその時、後ろから呼び止められた。 
      「越前リョーマ」 
      「……なんスか」 
      空腹感と、早く屋上へ行きたいという焦燥感とで、リョーマはいつも以上に無愛想になった。リョーマに声をかけたのは三人の男子生徒。襟元のバッチから、どうやら二年生だとわかった。 
      「カワイクねーの。でもそこがイイッてか?」 
      下卑た笑いを浮かべる三人に、リョーマは冷ややかな視線を向けた。 
      (部長や桃先輩が言ってた「そう言う趣味」の奴らかも…) 
      リョーマは無視を決め込んで購買部に向かおうとした。が、行く手を塞がれた。前も、後ろも、横も。 
      「何の用っスか」 
      苛立ちが声に滲み出た。だが男たちは気にする様子は見られない。 
      「最近掲示板に朝だけ貼ってある写真、見たぜ。お前、生徒会長とイイコトしてるんだろ?」 
      「………」 
      「いつもはお前の傍に生徒会長やら桃城やらがいるから、なかなか『お話』出来なくてさ」 
      「オレはアンタたちと『お話』したくないんだけど」 
      三人はクスクスと笑う。 
      「べつにお前をボコろうとかいうんじゃないんだぜ?『お話』したいんだよ」 
      リョーマは三人の間をすり抜けて一気に屋上まで走ろうかと算段し始めた。その視線の動きを察知したらしい正面に立つ背の高い男が、ぐっと、リョーマに顔を近づけた。 
      「逃げんなよ。あの写真貼ったヤツ、知りたくねぇ?」 
      「え?」 
      リョーマは思わず目を見開いて顔を上げた。 
      「ん?気になるだろ?」 
      「知ってるんスか?」 
      背の高い男が少し真面目な顔をした。 
      「こんなところじゃ何だから、人の少ないところで『話』しようぜ。大丈夫、悪いようにはしないさ」 
      「………」 
      リョーマは迷った。この男たちについていくのは危険な気がする。だが、この男たちは、リョーマが今、最も知りたいことを知っているかもしれないのだ。 
      ふと、教室のドアから堀尾が出てくるのが見えた。 
      (堀尾…っ) 
      こちらに気づいてくれないかと、堀尾を睨むように見ていると、くるっと、堀尾がこちらを向いた。だがリョーマを見て、ちょっと首を傾げてから、行ってしまった。 
      でもそれでいい、とリョーマは思った。 
      (オレがこの人たちと一緒にどこかに行ったって、誰かに訊かれたら、堀尾なら答えてくれる) 
      妙に記憶力のいい堀尾のことだ。この上級生たちの顔なども、もしかしたら覚えていてくれるかもしれない。 
      「わかった。どこで『話』するの?」 
      正面の男が、どこか優しげにも見える微笑みを浮かべた。 
      「落ち着ける場所、知っているんだ。そこへ行こうか」 
      リョーマは黙って頷き、男の後についていった。 
      とにかく、少しでも早く、どんな些細なことでもいいから、犯人に関する情報が欲しかった。
 
  リョーマは男たちの後について校舎の外に出た。 
      「どこに行くんスか」 
      焦れたようにリョーマが訊くと、前を歩いていた背の高い男が振り返った。 
      「この辺で、……そろそろいいかな」 
      背の高い男はこの三人組の中のリーダー格らしく、他の二人に目配せをすると、リョーマの後ろにいた二人は辺りを窺いだした。 
      不穏な空気にリョーマが身構えると、正面の男がクスッと笑った。 
      「そんなに警戒するなよ。ちゃんと写真を貼ったヤツについては教えてやるからさ」 
      「腹減ったんで、早めにお願いします」 
      男はまたククッと笑った。 
      「取引をする時には、それぞれの条件ってモンがあるだろ?」 
      突然、論理的に聞こえる話を始めた男に、リョーマは訝しげな視線を向けた。 
      「俺はお前に、あの写真を貼ったヤツについての情報を差し出す。で、お前は何を差し出す?」 
      「何って……」 
      「情報の見返りに、お前は何をくれる?」 
      「………」 
      どう答えたものかと、リョーマは悩んだ。迂闊な答え方をすれば、状況は、たぶん最悪になる。 
      「……じゃあ逆に、アンタは何が欲しいんスか?」 
      「ん?……そうだなぁ……」 
      そう言いながら、男はリョーマを頭の先から足のつま先まで舐めるように眺めた。 
      「一回、相手してもらおうかなぁ」 
      「相手?」 
      「そう。気持ちよくて、楽しいコト」 
      リョーマはぐっと両手を握り締めた。 
      「断ってもいいんスか」 
      「ダーメ。……おいっ」 
      男の合図で後ろの二人がリョーマを羽交い締めにした。 
      「離せよっ!」 
      暴れたくてもしっかりと身体を押さえつけられているリョーマは動くことすらままならない。 
      背の高い男は、ぐっと屈み込んでリョーマの顔を覗き込んだ。 
      「今からお前に『情報』を差し出すぜ。だからお前は俺たちに見返りを差し出さなきゃならないんだ。そうだろう?」 
      「くっそぉ……っ」 
      男はニヤリと笑ってから、身体を起こして腕を組んだ。 
      「あの写真を貼っていたのは女だ。たぶん二年生。顔はよく見なかったが、後ろ姿なら覚えてる。二年の廊下で見かけることもある」 
      「女?二年生?……名前は?」 
      状況を忘れてリョーマが男に食い下がる。もっと情報を引き出したい。 
      「名前は知らねぇよ。この学校、クラス数多いからな。顔わかんねえし」 
      「……あとは?」 
      「あとは……そうだな……ああ、今朝もその女見かけたぜ」 
      「今朝?」 
      リョーマは目を見開いた。 
      「ああ、でも写真を貼っていたワケじゃないぜ。なんか…ウロウロしてたっつーか…」 
      「あの掲示板の前で?」 
      「いや……どっちかっつーと、昇降口のところで」 
      「………ねえ、アンタたちはなんでそんな朝早くから学校に来てるわけ?」 
      話の信憑性を得るために、リョーマはこの三人組の情報を、さりげなく得ておこうと思う。 
      「俺たちも朝練やってんだよ。もうすぐライブがあるからな」 
      「ライブ?」 
      「軽音だよ。家に帰ると練習できる場所がないから、ガッコ来てやるしかねぇの」 
      「おい、そんなことまで言っていいのかよ」 
      リョーマを押さえつけている男が焦ったような声を出した。 
      「べつにいいんじゃねぇの。どうせ同じガッコなんだ、そのうち廊下でバッタリ会ったりするだろうし。何より俺はさ……」 
      そう言って男はリョーマに顔を近づけた。 
      「結構本気になりそうなんだ」 
      頬を掴まれ、リョーマは鋭い瞳で男を睨みつけた。 
      「うん。気に入った。最初はちょっと強引で悪いけど、俺のこと、好きになってもらう」 
      「………」 
      リョーマは男を睨んだまま、冷静に情報と状況を整理しようと頭を働かせた。 
      「せっかくこうしてお前を捕まえられたんだ。後でじっくり情報料を請求させてもらうよ。お前の担任にはお前が早退したって言っておくから安心して寝てな」 
      「寝て…?」 
      リョーマの口にぐっと布が押しつけられた。妙な匂いをうっかりと目一杯吸い込んでしまい、身体に力が入らなくなった。 
      身体は急激に力を失ったが、意識はまだ繋がっている。 
      「すげぇな、これ。ホントに気ぃ失っちゃったぜ?」 
      「何ですぐヤらねぇの?」 
      どうやら後ろでリョーマを押さえつけていた二人が喋っている。 
      「ばぁーか。意識ねえヤツヤったって楽しくねぇよ」 
      背の高い男の声がリョーマのすぐ近くで聞こえた。髪を撫でられて、リョーマの全身を嫌悪感が走る。 
      「例の場所に入れときゃ、誰にも見つからねえからさ。コイツ確保するだけでとりあえず成功。放課後くらいに目ぇ覚ますだろうから、そしたらたっぷり時間かけて楽しむんだよ。ほら、人が来ねえうちに、行くぜ」 
      身体がふわりと持ち上がる感覚がした。その直後、リョーマは意識を手放した。
 
 
  (あんにゃろう……あとで絶対泣かす……っ) 
      ここに連れてこられた経緯をすべて思い出し、リョーマは怒りに顔を赤くした。 
      薄暗くて自分の格好がどうなっているのかイマイチわからないが、とりあえず、衣服の乱れはなさそうで、まずはホッと息を吐いた。身体の痛みもないので、今のところ暴力はふるわれてはいないらしい。 
      先程からの頭痛と吐き気は、たぶん、あの布に染みこませた妙な匂いのする薬品のせいだろう。まだ少し眩暈もする。 
      自分の口には猿ぐつわが施され、両手と両足がしっかりと縛られている。これでは全く動けない。 
      (っていうか、ここ、どこ?) 
      目が慣れてきたせいで、ボンヤリと周囲の様子がわかってきたが、どうやらリョーマは大きな箱の中に閉じこめられているようだった。 
      こつんと頭をぶつけて音を聞いてみると、木材で出来ている箱のようだ。 
      (何の箱だ、これ…?) 
      リョーマは溜息を吐いた。 
      やはり、ついてくるのではなかった、と、今更ながらに後悔した。だが、例の犯人についての情報を得られたことは嬉しい。 
      (犯人は、女。しかも、二年生、か……) 
      あの背の高い男がくれた情報には、嘘はないような気がする。どうしてかと言われれば「何となく」としか答えられないのだが、あの男は情報を差し出す代わりに見返りをよこせと言った。あの情報がリョーマを誘い出す材料だったとしても、内容については、「リョーマ自身と引き替えにさせたい」くらいには価値のあるものなのではないかと思うのだ。 
      はっきり言って、こんなことをするようなヤツに本気で好きだと言われても迷惑でしかないが、自分を覗き込んで「本気になりそうだ」と呟いた時の男の瞳は、嘘をつく者の瞳ではなかった気がする。 
      (目は口ほどにものを言う……か) 
      だとしたら。 
      自分の気持ちなんか、とうの昔に手塚にばれてしまっているのではないかと思う。 
      (好きだって、言っておけば良かったかな……) 
      あんな、名前も知らない連中にこの身を好きにされるのであれば、そうなる前に、ちゃんと手塚に気持ちを伝えておけばよかった。 
      面と向かって言えないのなら、そう、例えばあのベッドの中で、背を向けられている時に、言えば良かったのかもしれない。 
      もしもあの連中に暴行されてしまったならば、もう二度と、あのベッドで一緒に眠ってはもらえなくなるだろうから。 
      そう考えそうになって、リョーマはギリッと歯を食いしばった。 
      (くっそぉ……絶対に逃げてやる……っ) 
      逃げて、無事に逃げ切って、そうしたら、手塚にこの気持ちを伝えよう。 
      例え受け入れてもらえなくとも、リョーマの心の中に、手塚への熱い想いが存在することだけでも知ってもらおう。 
      そうして、一度だけ、あの温かなベッドの中で抱き締めてもらおう。一度だけでいいから、広い広いあのベッドの真ん中で、抱き締められて、眠りたい。 
      リョーマは目を閉じて大きく息を吸い、吐き出した。 
      (とにかく、ここから出なきゃ) 
      リョーマは縛られた両足で、箱の側面を蹴ってみた。 
      ビクともしなくてめげそうになったが、何度でも、諦めずに蹴り続けてやろうと思う。 
      (誰か気づいてくれれば、それでもいい。誰か……) 
      いや、本当は真っ先に逢いたい人がいる。誰よりも大好きな人。 
      (部長ッ!) 
      必死に箱を蹴りながら、心の中で、リョーマは手塚の名を呼び続けた。
 
 
 
 
  体育館の中に入ろうとした手塚の脚が、ふと、止まった。 
      「手塚?」 
      河村が訝しげに声をかけてくる。 
      「越前が、呼んでいる」 
      「え?越前が何だって?」 
      不思議そうに聞き返してくる河村には目もくれず、手塚は歩いてきた道を引き返した。 
      (やはりあの地下室に越前はいる。きっと。必ず……!) 
      手塚は呼吸を忘れるほど全力で走った。 
      (待っていろ越前。今行く…っ!) 
      まるで何かに引き寄せられるように、手塚は走る。 
      リョーマのもとへ。 
      ただ、ひたすらに。 
      (あいつを傷つける者は、誰であろうと許さない……っ)
 
  手塚の瞳が、誰も見たことのない鋭い光を放った。
 
 
 
 
 
  
      続
 
 
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      20050616 
      
      
  
    
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