  お買い物
  
  <1>
  
      
  翌日、手塚とリョーマが朝練に揃って顔を出した途端、大石が二人の元へすっ飛んできた。 
      「手塚ッ、またこんなのが!」 
      「?」 
      大石がジャージのポケットから折りたたんだ紙を差し出した。 
      「!」 
      手塚とリョーマは一瞬顔を見合わせて眉を寄せた。 
      「またあったら困ると思って、ここのところ毎日朝練の前にメイン掲示板を見るようにしていたんだけど……今日、二枚目が…」 
      手塚が紙を拡げると、そこにはまた手塚とリョーマが微笑みながら見つめ合うツーショット。その時の会話として載せられた文章に、リョーマは首を捻った。
    『部長、好きっスか?』 
        『ああ。好きだ』 
        『オレも大好きっス』
  「あれ?これって、昨日の会話っスよね?」 
      「ん?……ああ、そうか、あの時の…」 
      「えぇぇぇっ!」 
      素っ頓狂な声を上げた大石を、手塚とリョーマは目を丸くして見つめた。 
      「好きって、言ったのか手塚?」 
      「ああ」 
      「越前も?」 
      「はあ。大好きだから…」 
      「大好き!?」 
      卒倒しそうな顔色で大石がその場にしゃがみ込んだ。 
      「どうした、大石?」 
      「……やっぱりそうだったんだ……手塚と越前はラブラブ……」 
      「何をブツブツ言っている?大丈夫なのか、大石?」 
      頭を抱えてブツブツと何か呟く大石を覗き込みながら手塚が困ったように眉を寄せた。 
      「何の騒ぎ?」 
      不二が小走りに近寄ってきた。 
      「今日も貼られていたみたいっス」 
      リョーマが溜息混じりにそう言うと、大石を覗き込んでいた手塚が立ち上がって手にしていた紙を不二に差し出した。 
      「ふぅん……で、このシーンに心当たりは?」 
      「それは昨日帰宅してすぐのものだ。越前の親御さんがちらし寿司を届けてくれて、そのちらし寿司が好きかという話になったんだ」 
      「ちらし寿司?」 
      大石がそっと顔を上げた。リョーマが「ういっス」と頷くと、よろめきながら大石が立ち上がった。 
      「なんだ……ちらし寿司が好きかって、そういう話か」 
      「なんだと思ったんスか?」 
      「え、いや、その……」 
      「ねえ手塚、これって君が今住んでいるマンション、だよね?」 
      青くなったり赤くなったりしている大石には目もくれず、不二が手塚に訊ねた。 
      「ああ、そうだ。この角度から行くと……あの時、同じフロアに犯人がいたことになりそうだな」 
      「じゃあ、西側の階段のところから撮ったんスかね?」 
      「たぶんそうだろう」 
      眉を寄せて頷いてから手塚は溜息を吐いた。 
      手塚とリョーマが住むマンションには東西二箇所に階段があり、ほぼ中央にはエレベーターが設置されている。だが、設置されているエレベーターは移動速度が極端に遅く、上階で止まっているときはよく階段を利用していた。 
      使う階段は、二人の部屋は東端なのでもっぱら東側の階段だった。東側の階段とエレベーターホールは比較的近く、もしもエレベーターホールでシャッター音がすれば気づくはずだと手塚は思う。それに比べて西側の階段は東側の階段とはエレベーターホールを挟んでほぼ対称的な位置にあるので、多少距離はあるが通路に障害物がなければ、こっそりと写真を撮ることは可能だろう。 
      「念のため、あとで越前の母上に誰かと会わなかったか訊いてみよう」 
      「そっスね」 
      倫子は中央にあるエレベーターを使ったに違いないので、一階の廊下や西側の階段付近に人の気配がなかったかどうかも確かめてみようとリョーマは思う。 
      「…それから手塚、ちょっと気になることがあって」 
      不二はそう言って手にしていた新聞を拡げ、手塚とリョーマに見せた。日付は例の、リョーマの隣の家が火事になった翌日だ。 
      「ここに越前の家の隣の火事のことが写真付きで載っているんだけど、この写真、まだ消防車が来る前みたいに見えない?」 
      「ああ…確かに、放水されていないようだな」 
      手塚の言葉にリョーマも頷いた。 
      「それに消防車がきた後は、こんな正面から写真なんか撮れないはずっスよ。だってここには消防車が何台も止まっていたから…」 
      リョーマは記憶を辿りながら手塚と不二にその時の状況を話した。その写真は家の正面から撮られており、絶妙なシャッターチャンスを生かしたかのように燃え盛る炎と立ち上る煙までもがよく映っている。 
      「やっぱりそうか……僕もそうじゃないかと思ってね。だとしたらこの写真を撮った人は、ずいぶん早くからこの現場に駆けつけたことになるよね」 
      「そっスね」 
      「……近所に住む人物か…それとも偶然通りかかったのか……」 
      手塚がきつく眉を寄せる。 
      「他にもいろいろ可能性はある」 
      突然背後からかけられた言葉に、三人は一斉に振り返った。 
      「乾………他の可能性とは?」 
      手塚が険しい表情のまま訊ねる。 
      「手塚が言った『近所に住む人』『偶然通りかかった人』の他には、例えば『火事が起こるのを知っていた人』という可能性もある」 
      「まさか!」 
      「放火?」 
      ほぼ同時に声を上げたリョーマと不二に頷いてから、乾は眼鏡の位置を直した。 
      「可能性がある、と言うだけで、断定するわけじゃない。新聞にも放火かどうかという点については言及していない。ただ、近所の人ならともかく、『偶然』通りかかった人間が、カメラを持ち歩いているとは考えにくい」 
      「でも、何か……例えば、放火犯じゃないとしても、別の目的でカメラを使おうとしてあそこにいた人、とかも考えられるよね」 
      不二の言葉に全員が注目した。 
      「それでね、この写真を撮って投稿した人、『匿名希望』になっているから新聞社に問い合わせてみたんだけど、名前までは教えてくれなくて。でもその写真撮った人は僕たちと同じ『中学生』なんだって」 
      「中学生?」 
      「越前の近所に中学生はいるか?」 
      乾に尋ねられてリョーマはうーんと首を捻った。 
      「……わかんないっス。引っ越してきてからまだそんなに経ってないし…オレ、朝早くて帰りは暗くなってからじゃないっスか。中学生どころか、人に会うのも滅多にないっスよ」 
      「そーゆーのは俺に任せるにゃん」 
      「うわっ」 
      突然背後からのし掛かられてリョーマがよろけた。 
      「英二?」 
      「菊丸?任せろとは…?」 
      リョーマにのし掛かった格好のまま、菊丸は「へへっ」と人なつっこい笑顔を浮かべた。 
      「俺の親父に調べてもらう!」 
      「あ!」 
      「そうか、その手があるか」 
      リョーマがきょとんとみんなを見回すのを見て、不二が「英二のお父さんは新聞記者なんだよ」と教えた。合点がいったというようにリョーマが「なるほど」と頷く。 
      「ただ、ちょっとすぐに調べてもらえるかどうかはわかんないにゃん。家に帰れないくらい忙しいからさー…」 
      「調べてもらえるならそれで充分だ。その間に、他の可能性も当たってみよう。偏った視点からでは犯人を見つけられない確率が高くなる」 
      乾が菊丸の頭をポンポンと軽く叩いてからそう言った。手塚と不二とリョーマも乾の意見に同意する。 
      「あのー……、さ」 
      先程からその場にいたのにすっかり蚊帳の外にされていた大石が、遠慮がちに声をかけた。 
      「うちの写真部の連中にも、それとなく当たってみるって言うのはどうだろう?」 
      「ああ…」 
      「そうか、そうだね」 
      「大石先輩、ナイス!」 
      大石は照れくさそうに頬を染めて笑った。 
      「……確か写真部の部長は大石のクラスにいたな。『それとなく当たってみる』役、大石に頼んでいいか?」 
      乾に視線を向けられ、大石は「え?」と一瞬たじろいだものの、言い出したのは自分だからと、その役を引き受けた。 
      「…よし、この話はここまでにしよう。もう練習開始時間を過ぎてしまっている。昼休みにまた屋上に集まってもらってもいいか?」 
      手塚の言葉に全員が頷いた。 
      「タカさんや桃や海堂にも知らせておこう。情報集めは、大勢でやった方がいいだろう?」 
      乾の意見にみんなが頷くのを見て、手塚がそっと頭を下げた。 
      「…すまない、みんな」 
      「て、手塚、気にしなくていいんだよ!お前と越前は、俺たちの大切な仲間なんだ。その仲間が困っている時に手を貸すのは当然だろう!な?みんな」 
      「大石の言う通りだよ。僕たちの部長と期待のルーキーの顔に、ひいては僕たち青学テニス部に泥を塗ったヤツを放っておくわけにはいかないからね」 
      ニッコリと笑いながら言う不二に、手塚とリョーマは困ったような微笑みを向けた。 
      「ありがとう、みんな」 
      「ありがとうございます」 
      「さあ、練習開始だ!手塚、招集かけてくれ!」 
      その場の沈んだ雰囲気を、大石の爽やかな笑顔が一掃する。 
      「ああ」 
      手塚は仲間という存在のありがたさに胸が熱くなった。 
      そしてリョーマは、こんなにも仲間思いの先輩たちに、ほんのちょっとでも疑いの目を向けた自分を後悔した。 
      (青学に来てよかった…) 
      こんな時に考えることではないかもしれないが、リョーマは心からそう思った。
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
  昼休み。 
      購買部で昼食用のパンを買い込み、リョーマは屋上へと急いだ。 
      屋上に着くと、そこにはすでに手塚と大石の姿があった。 
      「お、越前えらく大量に食べるんだな」 
      大石がリョーマに視線を向けてニコニコと笑う。背を向けていた手塚もリョーマを見、目を丸くした。 
      「越前、腹八分目という言葉を知っているか?」 
      手塚が少し呆れたように言うのへ、リョーマはムッとしたように唇を尖らせた。 
      「これ全部オレが食べるわけないじゃないっスか。大部分が桃先輩の分っスよ」 
      「桃城の?」 
      「さすが桃だな。胃袋の大きさもワイルド系なのかな」 
      ははは、と声を上げて笑う大石にリョーマも「そんな感じっスね」と言って笑った。 
      「桃城は?」 
      噂の当人の姿が見えないので手塚が怪訝そうにリョーマに訊ねると、リョーマは小さく首を傾げた。 
      「なんか買い忘れたとか言っていきなりオレにパン全部持たせて……でも、購買部に戻る途中で、女子に呼び止められていたっス」 
      「女子に?」 
      大石が目を見開いた。 
      「はぁ。後ろ姿しか見なかったんスけど、髪の毛サラサラで、オレと同じくらいの身長の女子、ッした」 
      「へえ。桃も結構モテるんだな、手塚」 
      手塚がどう答えたものかと黙っていると、ドアが開き、不二と菊丸、乾、河村、海堂がそれぞれ昼食を手に持ってゾロゾロと入ってきた。 
      「早いね、手塚、大石。越前も」 
      河村が柔らかな笑みを浮かべて声をかけてくるのへ、リョーマはペコリと頭を下げる。 
      「ちーっス」 
      「みんなお昼まだだよね。お腹空いたなぁ」 
      不二がニコニコと微笑みながら歩いてくるのを通り越し、菊丸がリョーマの背後にさりげなく回り込んでいきなり抱きついてきた。 
      「うわっ」 
      「わー、おチビってば、そんなに一人で食べたらお腹痛くなるよ?」 
      「だーかーらっ、これはほとんど桃先輩の……」 
      「また今日も来てねぇのか、あの野郎は………あぁっ」 
      リョーマの抱えるパンを見た海堂が唐突に叫んだ。 
      「も…桃城の野郎、スペシャルオムレツサンド、ゲットしてやがるのか…っ!」 
      「は?」 
      海堂が掴みかかりそうな勢いで言うので、菊丸は「ぎゃっ」と言って逃げだし、リョーマは少し仰け反りながら眉を顰めた。 
      「それ」 
      「ぁ、これっスか?」 
      パンの群れの中でひとつだけ金色の縁取りの袋に入った分厚いサンドイッチを見つめるリョーマに、海堂はコクコクと頷いた。それは普通のオムレツサンドよりも、挟まっているオムレツに入っている具がとてつもなく多く、おまけにトロリとしたオムレツの食感が何とも絶妙で、だが、半生に近いため傷みやすく、いつも購買部では販売直前に作るので仕入れの数が必然的に少なくなるらしい。 
      「これ、オレが買ったヤツっス。最後の一個だったみたいっスけど。…二つ入っているから、一個食べます?」 
      「!」 
      海堂はバッと頬を染めると「誰がテメェに施しなんか受けるかっ」と言い捨てて離れていってしまった。 
      「……なにそれ」 
      ちぇー、と呟いてまた唇を尖らせるリョーマに、大石や不二が楽しげに笑った。 
      「これはそんなに入手困難なパンなのか?」 
      手塚が自分の買ったパンを見つめて大石に尋ねた。 
      「あ、手塚も買ったんだ。そのスペシャルオムレツサンド、一日に10個しか売らない幻のパンって言われているんだよ。さすが手塚、よく買えたなぁ」 
      「そうなのか?」 
      「いいにゃぁ〜いいにゃ〜、おチビぃ、一口ちょうだいっ!」 
      菊丸がソワソワとリョーマの周りをうろつく。リョーマは溺愛する愛猫の仕草を思い出して、プッと笑った。 
      「いいっスよ、菊丸先輩。ひとつどうぞ」 
      「うっそ〜、ホント?ありがとにゃん、おチビ大好き〜っ」 
      「うわぁっ」 
      菊丸にガバッと抱きつかれてリョーマがよろめく。そのまま頬をスリスリとすり寄せられ、リョーマは顔を引きつらせた。 
      「あ、の……いや、べつに抱きつかなくていいっスから…」 
      「ありがとうの気持ちプラス、愛情表現にゃ〜ん」 
      ん〜といいながら唇を尖らせてリョーマの頬にキスしようとする菊丸から、リョーマは慌てて逃げようと藻掻いた。 
      「ちょちょちょっ、菊丸先輩、もうわかったから、それはいいっス……」 
      「ん?んぎゃっ?」 
      菊丸の身体が後ろに強く引かれてリョーマから遠ざかった。 
      リョーマが驚いて菊丸の方を見ると、手塚がネコの首根っこを掴むようにしっかりと菊丸の襟を掴んでいた。 
      「愛情表現も行きすぎるとセクハラになる。俺の分をやるから、食べればいい」 
      「手塚……???」 
      菊丸がきょとんと手塚を見つめる。手塚は小さく溜息をついて菊丸の襟から手を離した。 
      「ほら」 
      手塚がスペシャルオムレツサンドを差し出すと、菊丸はポカンとした表情のまま頷いて受け取った。 
      足下に落ちていたパンをひとつ拾い上げ、手塚がリョーマの方を向く。 
      「落ちたぞ。持てるか?」 
      「ういっス。あ、そこに置こうかな」 
      「ん?ああ…」 
      フェンス際の、少し高くなったコンクリートの上にリョーマは抱えていたパンを並べ始めた。手塚が手伝ってやると、リョーマはニッコリと微笑みながら礼を言う。 
      その二人の様子を、二人以外の全員が呆気にとられたように見つめていた。 
      「ねえ、不二……やっぱ、あの二人ってさ……」 
      「英二にもそう見える?」 
      「完璧、パーぺきに、ラブラブ」 
      そこにいる全員の注目を集めているとは気づかずに、手塚とリョーマはパンを並べ終えると立ち上がった。 
      「部長、オレの半分こ、しましょっか」 
      「ん?」 
      「だって、部長のスペシャルオムレツサンド、今菊丸先輩にあげちゃったじゃないっスか」 
      「ああ…いや、いいんだ。それはお前の分だ。今朝は目玉焼きを少し失敗したからな…昼くらいはちゃんと美味いものを食べた方がいい」 
      手塚の言葉にリョーマはブンブンと首を横に振った。 
      「目玉焼き、美味しかったっスよ!白身のところがちょっと焦げてて、それが逆に香ばしいって言うか、やっぱ部長の目玉焼きは最高に美味いっス!」 
      「ありがとう」 
      困ったような、しかし嬉しそうにも見える微笑みを浮かべる手塚に、周囲のみんながギョッと目を見開いた。 
      「て、手塚が…笑ってるにゃん…」 
      「初めて見たなぁ…」 
      「部長が…」 
      「ふむ」 
      「間違いなさそうだね」 
      「やっぱり…ラブラブ……」 
      それぞれが口の中で呟くのにも気づかず、リョーマは自分のスペシャルオムレツサンドをひとつ手塚に手渡していた。 
      「………どうしたみんな、昼飯、食べないのか?」 
      やっと周囲の異変に気づいた手塚が声をかけると、全員が不自然に微笑みながらそれぞれの昼食を広げ始めた。
 
 
  「それで、大石、例の写真部の部長とは話したのか?」 
      円座して昼食を摂りながら乾が大石に尋ねる。 
      「ああ。早速授業が始まる前に訊いてみたんだけど、写真部の部員じゃないらしい。悔しそうに『やられたよ』って言っていたくらいだし」 
      「そうか…」 
      「新聞部は?確か乾のクラスに部長がいたよね?」 
      河村が乾に尋ねると、乾は眼鏡の位置を直しながら「ああ」と頷いた。 
      「俺もそれとなく訊いてみたが、新聞部の誰かでもないようだ」 
      全員が重く黙り込んだ。 
      「だいたい目的がわからねぇ……なんで部長と越前のツーショットを狙うんっスかね」 
      「いいところに気づいたな海堂」 
      「え…」 
      乾が隣に座る海堂に微笑んだ。 
      「犯人の目的を知ることは大切なことだ。犯人が誰なのか見当がつかないなら尚更、その目的を知ることこそが犯人を見つける最も有力な方法と言えるだろう」 
      「そ、そっスか」 
      しっかりと乾に同意してもらえて嬉しいのか、海堂の頬がほんのり染まった。 
      「目的かぁ……あ!」 
      「なに?英二」 
      菊丸の瞳が煌めいたのを見た不二が微笑みながらその瞳を覗き込んだ。 
      「じゃ〜ん、ズバリ!『囮大作戦』ってのはどうにゃん?」 
      「おとり?」 
      大石が目を丸くして、不二の反対側から菊丸を覗き込んだ。両脇から不二と大石に視線を向けられて、菊丸はひとつ咳払いをしてから身を乗り出した。 
      「つまりぃ、手塚とおチビに囮になってもらって、二人で街を歩いてもらうにゃん」 
      「ふんふん。それで?」 
      大石が相槌を打つ。 
      「そしたらまた犯人がどっかから二人のツーショットを撮ろうとするかもしれないにゃん?そこを俺たちがガバーッと!」 
      「ああ!なるほど!」 
      「それ、いいアイデアだね、英二」 
      大石と不二に絶賛されて菊丸は得意げに「えっへん」と胸を張った。 
      「どうする、手塚、越前?」 
      乾に冷静に尋ねられて、手塚とリョーマは言葉に詰まった。 
      「…俺は構わないが……越前は?」 
      「いいっスよ。部長と二人で街を歩くだけでしょ?」 
      手塚に視線を向けられて、リョーマはきょとんとした目で答えた。 
      「決まりだな」 
      乾が頷く。 
      「二人に街を歩いてもらい、俺たちは少し離れたところから二人を監視する。今までの例から言って、犯人は案外二人の近くで撮影している。だから、二人にカメラを向ける不審な人物がいたら、即行、取り押さえよう」 
      「わかった」 
      「うん」 
      不二と河村が頷く。 
      「うひゃ、わくわくするにゃん!」 
      「遊びじゃないぞ、英二」 
      「わかってるにゃん」 
      菊丸と大石も互いに頷きあった。海堂も瞳をギラリと光らせ、乾に頷いてみせる。 
      「よし、二人を中心に置いた各人の配置を考えよう」 
      「なんかテレビドラマみたいにゃん!」 
      キラキラと瞳を輝かせる菊丸の横で大石が困ったように眉を寄せて笑った。 
      「遅くなりました〜」 
      ドアを開けて桃城が入ってきた。 
      「あー腹減った。越前、俺のパンは?」 
      「そこに並べときましたよ」 
      「おう、サンキュ。あれ、みんなどーしたんスか?なんか顔がコワイっスよ?」 
      「今から大事な作戦会議なんだよ、桃も早く座って」 
      河村に柔らかく言われ、桃城は目を見開いた。 
      「作戦会議ぃ?」
 
 
  乾が中心となって、手塚とリョーマの『囮大作戦』の綿密な計画がどんどん形になっていった。 
      まずは二人が歩くルートの打ち合わせ。その二人の前方に乾と海堂、後方には大石・菊丸・不二の三人からなるAグループと、河村と桃城のBグループを、道を挟んで配置することにした。 
      「河村と桃城は、犯人確保をする上で後方での最終ラインだと思ってくれ。絶対に取り押さえられるようにパワフルペアにしたんだからな。犯人が前方の俺たちの方へ逃げてきたとしても、もちろん逃がすつもりはないが」 
      「まかせてよ」 
      乾の言葉に河村が大きく頷いた。 
      「タカさん、俺、ラケット持っていきましょうか?」 
      桃城が冗談めかして言うと、河村は「あはは」と引きつった笑いを浮かべた。 
      「前方から全体を見渡せる俺と海堂は、後方のお前たちに指示を出す役割も担うことにしよう。各自、携帯は持っているな?」 
      それぞれが頷くと、リョーマは唇を尖らせて「オレだけ持ってないんだ」とブツブツ呟いた。その呟きを聴いていた手塚がちょっと考えてから頷いた。 
      「越前も携帯を持たせてもらった方がいいかもしれないな。プリペイド式なら承諾してもらえるんじゃないのか?」 
      「そっスね。母さんに言ってみるっス。でもどうせ持つならちゃんとしたヤツがいいな」 
      「贅沢を言うな」 
      手塚に柔らかな声音で言われ、リョーマは「ういーっス」と間延びした返事をしてから小さく笑った。 
      乾が少し大袈裟に咳払いをする。 
      「……一回で犯人と遭遇するとは考えにくいから、何回か実行した方がいいと思うんだが、手塚、それでもいいか?」 
      手塚がリョーマに視線を向けると、リョーマは小さく頷いて見せた。それを見て手塚も頷く。 
      「俺たちは構わないが、みんなこそいいのか?俺たちのことにそれぞれの大切な時間を割くことになるのだが…」 
      「だから手塚、それは気にするなって」 
      大石が爽やかに笑う。 
      そこでちょうど予鈴が鳴り始めた。 
      「よし、続きの打ち合わせは放課後の練習終了後にしよう」 
      全員が頷いて立ち上がり、ゾロゾロとドアに向かう。 
      「桃先輩、さっきの女子、何の用だったんスか?」 
      手塚の後ろを歩きながら、リョーマが隣を歩く桃城を見上げた。 
      「んー?…ま、野暮用ってヤツ。お子ちゃまの越前にはまだまだ縁遠い話だよ」 
      「へえ。告白されたんスか」 
      平然と言うリョーマに、桃城はグッと言葉に詰まる。 
      「で、付き合うことにしたんスか?」 
      「断ったに決まってんだろ」 
      「なんで?桃先輩、フリーっスよね?」 
      「………」 
      桃城は深い溜息を吐いてガックリと肩を落とした。 
      「お前、昨日の話、聴いてねぇのかよ……」 
      「え?なんスか?」 
      「まー、いっか。そこがおまえらしい、っつーか」 
      訝しげに眉を寄せるリョーマに、桃城はニカッと笑ってみせた。 
      「んじゃ、俺先行くわ。手塚部長、お疲れッした」 
      「ああ」 
      桃城がそう言って手塚の横をすり抜け、その前にいたメンバーたちにも挨拶をしながら階段を駆け下りていった。 
      「変な桃先輩」 
      呟くリョーマを、手塚がそっと振り返った。 
      「どうした?」 
      「あ、べつに。……部長、スペシャルオムレツサンド美味しかったっスね」 
      「そうだな。人気が高いのがわかった気がする」 
      「明日も買えるかな」 
      「運がよければ、な」 
      「そっスね」 
      リョーマが手塚を見上げて笑うと、手塚も柔らかく微笑んだ。 
      例によって落ち着かなくなってしまったリョーマは、頬を赤くして視線を逸らす。 
      「じゃあ放課後に」 
      「ういっス。今日も委員会っスか?」 
      「いや、今日は何もないから、部に直行できる」 
      リョーマの表情がパァッと輝いた。 
      「じゃ、部長、放課後に!」 
      「ああ」 
      階段を駆け下りてゆくリョーマを見送ってから手塚が教室に入ろうとすると、教室の前の廊下で不二が腕を組んでこちらを見つめていることに気づいた。 
      「何か用か、不二?」 
      「フリ、しているんだよね?」 
      「………」 
      答えない手塚に不二は溜息を吐いた。 
      「恋人同士のフリなんて、やめておいた方がいいと思うけど」 
      「………なぜ、そんなことを言う?」 
      「ただの『フリ』が、『本気』になってしまった時、傷つくよ、二人とも」 
      手塚はグッときつく眉を寄せた。 
      「……そんなことにはならない」 
      「………どういう意味?」 
      「少なくとも越前が傷つくことはない。あいつが俺に本気になることはありえないからな」 
      今度は不二がきつく眉を寄せた。 
      「なぜそう言いきれるの?」 
      「……あいつのプライベートだ。俺が言っていいことではない」 
      手塚はスッと視線をずらして自分の教室に入っていった。 
      残された不二は、大きく溜息を吐いて、窓の外に目をやった。 
      「わかりやすいんだが、わかりにくいんだか………」 
      ポツリと呟いてまた溜息を吐くと、不二も自分の教室へと戻っていった。
 
 
  (ただのフリが、本気になってしまった時……か…) 
      手塚は自分の席に着いて小さく溜息を吐いた。 
      そんなことにはならないと言い切ったものの、最近、自分の感情が不安定になる瞬間を、時折感じるようになった。 
      そしてそれはすべて『越前リョーマ』が関係してくることにも気づいている。 
      さっきもそうだった。 
      菊丸がリョーマに抱きつき、キスさえしそうになったのを見て、熱いものが胸に込み上げた。熱い、と言うよりも、苦いような気もした。 
      昨日の朝はわざと、『仲のよい二人』に見えるようにと、リョーマと話し合って二人で柔軟体操などをしてみた。案の定、部員たちは自分たちを『本物の恋人同士』だと認識し始めた。 
      敵を騙すには、まず味方から。 
      昔からよく言われる戦略でもあり、今回の場合も、なぜか二人のツーショットを撮って公開しようとする犯人を煽るにはいい手段だと思った。 
      だから決めたのだ。二人で『演技』をしよう、と。 
      なのに、さっきの自分は、『演技』ではなく自分の感情のままに行動していたように思える。 
      菊丸の手をリョーマからどけたいと思った。 
      キスなどもってのほかだと、思った。 
      (どうかしている…) 
      手塚は前髪を掻き上げて、また小さく溜息を吐いた。 
      (あれは演技だ) 
      リョーマの微笑みはすべて偽りだ。 
      何かしてやるたびにリョーマが此方を見上げて微笑みながら礼を言うのも、部活や廊下で自分を見つけてはパァッと瞳を輝かせるのも、すべて演技だ。 
      自分の作る目玉焼きが最高だと頬を染めて嬉しそうに笑うリョーマも、すべて、偽物なのだ。 
      演技しようと決めたのは、自分たちなのだから。 
      (犯人を捕まえるまでの、芝居なんだ) 
      リョーマが自分だけに向けてくれる笑顔はすべてリョーマの本心からのものではなく『作り物』の笑顔だ。 
      なのに。 
      (錯覚しそうだ…) 
      器用なのか、強かなのか、リョーマの笑顔はあまりに自然に自分に向けられていて、手塚の方は『演技』などしなくとも思わず微笑み返してしまうほどだ。 
      (流されてはいけない) 
      あんなふうに真っ直ぐな瞳で微笑まれた経験がないから、きっと自分の瞳が驚いてリョーマを受け入れているのだろう。その笑顔を見つめていたい、と。 
      だから、きっと、『犯人』を捕まえれば、また元通りの生活に戻れる。 
      『犯人』を捕まえて、リョーマがただの『後輩』に戻ってしまえば、自分もただの『先輩』に戻れるだろう。 
      (早く、犯人を捕まえなければ) 
      なぜか、心が急いた。 
      早く犯人を捕まえなければならない、と。 
      そうしなければ、何か取り返しのつかないことが、自分と、そしてリョーマの身にも降りかかるような気がするのだ。 
      (早く…急がなければ…っ) 
      菊丸の提案した『囮大作戦』を、何としても成功させなければならない、と手塚は静かに心に誓った。
 
 
 
 
 
  
      続
 
 
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      20050530 
      
      
  
    
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