遊園地

<1>



手塚に抱きかかえられるようにして、リョーマは手塚の車に乗り込んだ。
ボンヤリと手塚を見つめるリョーマに、手塚は何も言わずにシートベルトをしめてやる。
(キス……しちゃった……この、国光と……)
ふと手塚と目が合い、リョーマは頬を染めて俯いた。
手塚はそんなリョーマを少しの間じっと見つめてから、自分のシートベルトを締めて、静かに車を出す。
リョーマはシートに身体を預けて、窓の外の流れる景色を見つめた。
(どうしよう……)
命を狙われて、動揺していたせいもある。動揺して、理性が麻痺していたのだろう。
縋りついてはならない人に、縋りついてしまった。
「どうして……」
呟くように言ったリョーマの言葉には気づいたが、手塚は黙ったまま前だけを見ていた。
「………どうしよう……」
だが再び発せられた消え入りそうなリョーマの声に、手塚は小さく眉を寄せた。
「………不二のことか?」
感情を押し殺したような声で、手塚が言った。
リョーマは一瞬、手塚の言った意味がわからず、きょとんと見つめ返してしまったが、すぐに、不二と自分が『恋人同士』だと手塚に言っていたことを思い出した。
そしてこの際、それが『困惑の理由』であるように手塚には思わせようと、リョーマは思った。
「……さっきは…気が動転していたっていうか…ビックリしていて……だから、その……」
手塚は何も言わずに車を停めた。
いつの間にか手塚の車は不二の家へ行くのとは違う道を走っていたようで、リョーマは辺りを見回して、そこが自分の全く知らない人気のない場所であることに気づいた。
「あの……」
「確かに、動揺していることにつけ込んだようなことをしてすまなかったと思っている。だが、それならなぜ拒まなかったんだ。なぜ、自分から俺に……」
リョーマはボッと音がしそうなほど、一気に耳まで赤く染まり上がった。
先程、手塚に口づけられて、それまで堪えてきたものが一斉に溢れ出してしまったかのように、リョーマは自分から手塚に口づけてしまったのだ。
元の世界でも、手塚と口づけは何度か交わした。だが、自分から手塚に口づけたことはない。
「それは……」
「不二の恋人というのは、本当のことなのか?」
リョーマは大きく目を見開いて手塚を見つめた。
違うと、否定してしまいたい。好きなのは、今目の前にいる手塚国光という人間だけなのだと。
だがそれは、できない。
「………本当っス。周助サンは、オレの……恋人…っス」
目を逸らして俯くリョーマを見つめてきつく眉を寄せると、手塚は自分のシートベルトを外してリョーマに覆い被さった。
「な……っ」
「ではなぜ拒まなかった?恋人がいるのに、なぜ俺を受け入れた?」
怒ったような、それでいてどこかつらそうな、そんな切なげな瞳で、手塚はリョーマを見つめた。
「だ、だから、さっきは、気が動転してて……ア、アンタが、先にあんなコトするから…………そう、アンタがあんなコトするから、周助サンと間違えて……っ」
「………っ」
手塚の瞳が、一瞬、鋭く光った。
「……だったら、今なら抵抗するのか…?」
「え……」
ゆっくりと、手塚の顔が近づき、リョーマは思わず目をギュッと閉じた。
手塚の唇が、リョーマの唇に重なってくる。リョーマは固く唇をひき結んで、手塚を拒むフリをした。
「………」
顔を背けようとするリョーマの顎を、手塚の冷たい指が捉える。そのまま顎を強く掴まれ、リョーマはその痛みに思わず「あッ」と声を漏らしてしまった。
すかさず滑り込んできた手塚の舌を拒もうとして、だが、それはリョーマにはできなかった。
「んっ」
甘く絡まってくる手塚の舌の熱さに、リョーマの身体の強ばりはあっさりと解かされてゆく。
「ん、…っ」
それでも両手だけは手塚に縋りつかないようしっかりと握り締めて、何とか最後の理性は保とうとする。
手塚の指がリョーマの顎から頬へ、そして首筋へと動いてゆき、首筋から髪に差し込まれ、優しく梳かれて、リョーマは眩暈がした。
(ああ………国光……)
長い長い口づけに、リョーマの頬が、いや、身体全体が火照ってくる。
このまま手塚の熱さに流されてしまいたいという衝動が、リョーマを襲い始めた。

『自分に負けるなよ、リョーマ』

ソウマの言葉と、その時の表情がリョーマの脳裏に蘇る。
(……そうだ……オレの国光が、待っているんだ……)
リョーマは、固く握り締めていた手を開いて、そっと手塚の肩を押し返した。
ゆっくりと目を開け、リョーマは離れてゆく手塚の唇を切なく見つめる。
「………オレは、アンタの越前リョーマじゃないっスよ……」
「…っ」
手塚の身体が微かに強ばるのをリョーマは手の平から感じ取った。
「………それでも構わない」
そう言ってまた口づけてこようとする手塚の唇を、リョーマは静かに顔を背けて拒んだ。
「オレはイヤです」
きっぱりと言うリョーマの言葉に手塚の動きが止まる。
「アンタは越前リョーマを愛してるんじゃないんスか?二番目なんて、オレはイヤだ」
「………っ」
何か言いたげに、手塚の唇が動く。だが、グッと歯を食いしばるようにきつく結ぶと、手塚はリョーマから身体を離した。
シートに乱暴に背を預け、手塚は左手で目元を覆って大きく息を吐く。
車内に重く長い沈黙が流れる。
「………戻ってくるって、言ったんでしょ?」
「……」
ぽつりと、呟くように発せられたリョーマの言葉に、手塚が顔を覆っていた手をどけて、ふっと目を開ける。
「アンタの元へ帰ってくる、『アンタの越前リョーマ』を、ちゃんと……待っていてあげてよ……」
苦しげに表情を歪ませていた手塚は、突然、ハッとしたように目を見開いて、リョーマを見た。
「俺の、越前リョーマ……?」
リョーマはゆっくりと手塚に視線を向け、静かに頷いた。
「今ここにいるオレは……アンタのものには、なれないから……」
「………」
食い入るようにリョーマを見つめていた手塚の瞳が、切なく揺れて、やがてそっと閉じられた。
「………そう、か……」
「……ごめん」
「………」
「でも」
沈み加減だったリョーマの声音に微かな力強さを感じて、手塚はふと、視線をリョーマに戻した。
「アンタだけの越前リョーマが、アンタの元に戻ってきた時には、もう、絶対に離さないで。思いっきり抱き締めてあげてほしいんス」
「え…?」
リョーマは真っ直ぐに手塚を見つめて、言葉を続けた。
「アンタの越前リョーマは、アンタを10年も独りにしたことを、すごく悔やんでる。でもアンタの越前リョーマも、10年分、苦しい思いをしているはずだから。……だから、アンタが、しっかり抱き締めてあげて。そして、微笑んでもう大丈夫だって、言ってあげてほしいんス」
手塚は目を見開いた。
真っ直ぐに自分を見つめて、切々と訴えてくるリョーマを見つめ返し、瞳を微かに揺らす。
「………戻ってきてくれるのなら、俺は何でもする。抱き締めていいのなら、この腕が折れるほど強く抱き締めてやる。そして、もう二度と、離さない」
次第に強さを取り戻してゆく手塚の瞳を見て、リョーマは嬉しそうに、泣きそうな微笑みを浮かべた。
「アンタの越前リョーマは、きっともう二度と、アンタの傍を離れないよ。そして、心も、カラダも、何もかも、アンタのものになりたいと、本気でそう願ってる」
「…………」
「絶対に、戻るよ。アンタの、越前リョーマは」
言いながら、リョーマの瞳から、一粒の雫が零れ落ちた。
「あ、あれ?」
慌てて、リョーマは自分の頬を袖で拭った。
「アンタが似てるとか前に言ったから……アンタの越前リョーマに同調しちゃったかな。オレが泣いたってしょうがないのにね」
そう言いながらもポロポロと雫を零して笑うリョーマを、手塚はそっと抱き締めた。
「手塚…サン…?」
「………つらいか?……君も、つらいのか?」
リョーマは一瞬口を噤んだが、手塚にそっと髪を撫でられて、涙を抑えることができなくなってしまった。
「……つらいよ…っ!………だって、誰よりも一番好きな人が…自分のせいで苦しんでるのに、何もしてやれないなんて……っ」
手塚の腕にグッと力がこもった。
「……ずっと、堪えてきたのか……なのに、まだ堪えて、やらなければならないことが、あるのだな?」
手塚の腕の中で、リョーマは小さく頷いた。
「だったら、今だけ、泣いていい。しばらく、こうしていてやるから…」
「う……」
「そうして、またいつもの君らしく、前を向いて歩いてほしい。………今の俺には、君に……そう言うしか、できないようだ…」
優しく抱き締めてくれる手塚に縋りついて、リョーマは声もなく泣いた。
何もかもがもどかしくて、何もかもが切なくてやるせなくて、叫びたい気持ちを、涙で洗い流せたらいいと、思った。
(この国光はもしかしたら、本当にオレのことに気づいているのかもしれない……なのに、何も訊かないでいてくれようとしてる……オレの言葉を、いや、オレを、信じて……)
手塚の優しさに、そして、その想いの強さに、リョーマはまた新たな涙が溢れてきた。
そうして、今、改めて確信した。
きっと自分は手塚国光という人間以外、心から愛することはできないだろう、と。
例えどんな時代に、どういう形で出逢っても、きっと自分はこの男の魂を好きになる。そんな、気がする。
(国光……大好き……)
言葉にできない想いをそっと両腕に込めて、リョーマは手塚を強く抱き締めた。





*****





昼過ぎというにはずいぶん遅い時間に、リョーマは不二の家に帰ってきた。
車で送ってくれた手塚に小さく微笑んで礼を言うと、手塚は静かに頷き返してくれた。
「じゃあ」
「はい…」
少しの間、二人は見つめ合う。
「もう一度、逢えるか…?」
「……約束は、できないっス」
手塚は「そうか」と呟くように言って、静かに車を出した。
昨日と同じように、車が見えなくなるまで手塚を見送ってから、リョーマは不二の家に入ろうとして、ビクリと身体を揺らした。
「不二先輩…いつからそこに…」
「ん?車の音が聞こえたからね、今来たところだけど?」
「た、ただいま…」
リョーマはほんのりと頬を染めて不二の脇を通ろうとした。が、不二に腕を掴まれて足を止めた。
「越前」
「………なんスか?」
「また手塚に泣かされたの?」
「あ…」
リョーマは俯いて不二の手を逃れ「顔洗ってきます」と言って洗面所に飛び込んでいった。
「………」
不二は玄関のドアを閉めながら、スッと、目を細めた。



「何でこんなに早く帰ってるんスか?不二先輩」
「キミが心配だったから午後から休んだんだよ。恋人として、当然だろ?」
紅茶の乗ったトレーを運んできた不二を見上げて、リョーマは曖昧に微笑んだ。
「すみません。でも、もうあのコートには行きませんから。大丈夫っスよ」
そう言いながら、リョーマは今日、命を狙われた一件を不二に話すのはやめようと思った。
「あ、明日のことなんだけど」
不二がニッコリ笑って、唐突に話題を変えてきた。
「遊園地に、行かないかい?チケットをもらったんだ」
「え……遊園地、っスか?」
リョーマは微かに身体を強ばらせた。「遊園地=観覧車」という図式がリョーマの中にあり、嫌でもあの瞬間を思い起こしてしまう。
「遊園地は……」
「大丈夫、観覧車はないところだよ」
「………それなら…」
また不二はニッコリと笑った。
「じゃ、決まりだね。明日一日、楽しもうね」
不二の気遣いを感じ、リョーマは微笑んで「はい」と答えた。
「そうだ、手塚も呼ぼうか?」
「え?」
「もうすぐお別れだもんね。一緒にいたいんじゃない?」
リョーマは、不二の言葉に何か違和感を感じて口を噤んだ。
「どうかした?」
「いえ………いいんスか、二人きりじゃなくて」
感じた違和感を不二に悟られないように注意しながら、リョーマは軽い口調を装ってさりげなく探りを入れてみる。
「そりゃあ二人きりの方が僕は嬉しいけど、そんなに心は狭くないつもりだよ?最後のお別れくらい、手塚に言いたいでしょ?」
「………」
「キミとは、明日の夜も一緒にいられるんだし」
そう言って笑う不二に頷き返しながら、リョーマは自分の感じた違和感は気のせいだろうと思うことにした。
(さっきあんなことがあったから過敏になっているのかも……)
「ねえ、越前は、僕のこと、好き?」
「は?」
にこやかな表情で唐突に訊ねられて、リョーマはポカンと口を開けて不二を見た。
「手塚の次くらいには、好きになってくれた?」
「え……まあ……はい……」
なぜそんなことを訊くのだろうと、リョーマは内心首を傾げながら頷いた。
「そう………じゃあ、もし手塚がいなかったら、僕はキミの一番なんだね」
「………」
不二が何を言いたいのかリョーマにはわからない。
わからないが、ここで頷いてはいけないと、心の中で何かが警鐘を鳴らした。
「何で……そんなこと、言うんスか?」
「一番にはなれない?」
「…………」
微笑みを浮かべる不二を、リョーマは軽く睨んだ。
「…そんなに手塚のことが好きなの?」
「好きです」
きっぱりと即答するリョーマに、不二は笑みを深くする。
「……手塚は幸せ者だね。キミに、こんなにも想われて」
「不二先輩、なんか、おかしいっスよ?どうしたんスか?」
探るように声を緊張させるリョーマを、不二はきょとんと見つめた。
「え?そう?……もうすぐキミともお別れなのかと思うと、何だかいろんな話をしておきたくなっただけだよ?」
リョーマは心の緊張を少し解いて、困ったように微笑んだ。
「…すみません」
不二はまた笑って「気にしてないよ」と言った。
「明日はお弁当でも作っていこうか。何がいいかな。ああ、買い物にも行かなきゃ。食べたいものがあったら言ってね。僕が買ってくるから」
キミは買い物には連れて行けないから、と言いながら不二に優しく髪を撫でられて、リョーマは小さく微笑んだ。
(やっぱり考え過ぎか…)
リョーマを護って欲しいとソウマに言われた時の不二の表情を思い出す。不二は、強い瞳で、しっかりと頷いていた。その不二が、何か自分を裏切るようなことをするはずがない、とリョーマは思う。
それでも、自分を誘い出す時にカルピンの姿を使うような相手だ。油断はできない。
明日、遊園地で何かが起きるのだろうか。
そんな不安が、リョーマの胸をふとよぎった。









                            



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20050310