  辛い過去
   <1> 
      
  リョーマが不二の家に帰り着いた時、家にはまだ誰も帰ってきていなかった。 
      不二の母親にも見つからずにすんだので、この腫れた瞼を何とかすれば不二にも気づかれずにすむかと思ったが、それは甘かった。 
      「手塚に逢ったの?」 
      帰宅して部屋でリョーマの顔を見た途端、不二はそう言って眉を寄せた。 
      「………」 
      俯き加減で小さく頷くリョーマに溜息をつくと、不二はリョーマの肩を掴んだ。 
      「約束、したでしょ?手塚と逢う時は僕も一緒だよって」 
      「……すみません……でも今日のは偶然だったんス」 
      リョーマは顔を上げて真っ直ぐ不二を見た。 
      嘘は言っていない。半分は本当に偶然だったのだから。 
      確かにあのコートに行けば手塚に逢えるかもしれないとは思った。だが本当に、すぐに逢えるとは思っていなかった。 
      曇りのない透明な瞳で不二を真っ直ぐ見つめるリョーマに、不二は根負けした。 
      「…泣いたくせに」 
      「………」 
      黙って目を伏せるリョーマを、不二はそっと抱き寄せた。 
      「…あの手塚を…救いたいんだよね…」 
      不二に優しく髪を撫でられて、リョーマの心に熱いものが込み上げてくる。 
      「でも、オレには無理っス。オレだけじゃ、何にもできないって、わかったっス」 
      手塚の心の苦しみは、誰かが話を聴いたくらいでは癒せるものではないことを、今日、思い知った。 
      それほどまでに、手塚国光は、越前リョーマを愛していたのだ、と。 
      でも、もう泣かないと決めた。 
      だから、不二の優しい声に弛みそうになる涙腺を、リョーマは唇を噛み締めて抑え込む。 
      「うん…」 
      静かに返事をしながら、不二はリョーマの背中をポンポンとあやすように優しく叩いた。 
      「………不二先輩、……オレのこと、ガキ扱いしてません?」 
      「だって10歳以上も年下でしょ?今は」 
      「………」 
      クスッと笑いながらそう言う不二に、リョーマは小さく溜息を吐いた。 
      「不二先輩、ちょっとこれ見てください」 
      リョーマは不二の身体をそっと押し退けて自分の腕時計を見せた。 
      「…なんだい?」 
      「止まっているんス」 
      「うん、確かに止まっているね………あ、じゃあ、もしかして…」 
      リョーマは頷いた。不二もリョーマの世界で時が止まっていることに気がついたのだ。 
      「でも、じゃあなんでこの『10年後』が存在するんだろう。時が止まっているならこの世界まで時が進むこともないはずだよ?」 
      「オレとソウマがこの『10年後』に関わったせいで、この世界が『確定』したって、ソウマは言ってたっスよね。つまりこの世界は、オレのいた世界とは全く違う世界になっちゃったってコトだと思うんス」 
      不二は「なるほど」と呟いてから、眉をきつく寄せた。 
      「そうか……だから彼は『繋げる』って言葉を使ったのか…」 
      「そうっスね」 
      「じゃあ、やっぱり越前がこの世界を歩き回るのは危険だね。もしかしたらキミの家族や青学の元レギュラーたち、それに同級生に会っちゃうかもしれないし…そうなったら、ふとしたはずみでキミが『越前リョーマ』だってバレてしまうかもしれない」 
      「……そっスね」 
      硬い表情の不二に、リョーマも顔を強ばらせながら頷いた。 
      今日のように街を歩いていて家族はもちろん、知っている誰かに見つかったら…そう、例えば桃城のような、リョーマと親交の深かった人間に出会いでもしたら、どうなってしまうかわからない。 
      「もう出歩かない方がいいね」 
      「……ういっス」 
      「変装でもするならいいだろうけど」 
      小さく呟かれた不二の言葉に、リョーマはプッと吹き出した。 
      「そっスね」 
      「髪の毛脱色して、英語しか喋らなければバレないかもね」 
      「考えときます」 
      二人は顔を見合わせてクスクスと笑った。 
      不二を選んでよかった、とリョーマは思う。 
      自分を信じ、普通では考えられないような話も受け入れ、親身になって今後のことを一緒に考えてくれる。 
      そして、時にはこうして空気を和らげ、自分の心を和ませてくれる。 
      「……ありがと、不二先輩」 
      「何だい、急に」 
      ぽそりと礼を言うリョーマの頭を撫でながら不二が微笑む。 
      「明日は部屋で大人しくしているんだよ?」 
      「…ういっス」 
      手塚にハンカチを返せないな、とリョーマは思ったが、逢わない方が手塚のためにもいいのかもしれない、と思うことにした。
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
  夜、眠りについたリョーマは、夢を見ていた。 
      なぜだろう、ひどく息苦しい。 辺りに立ち込めている濃い霧が、リョーマの呼吸を妨げているかのようだった。 
      (ここは…?) 
      リョーマは咳き込みながら辺りを見回した。 
      周囲にかかっていた霧がゆっくりと晴れてゆく。徐々に明確になってゆくその景色に、リョーマはビクリと身体を震わせた。 
      (どうして…) 
      目の前に大きな観覧車が見えた。 
      (……ああ、そうか……これは『夢』だ……) 
      そう考えると少し心が落ち着いてきた。ふぅっ、と息を吐いていると、目の前を誰かが通り過ぎる。 
      (え?) 
      それは自分だった。傍らには手塚の姿もある。 
      (部長……) 
      手塚が傍にいるリョーマに何か語りかけ、二人で穏やかに微笑み合っている。 
      リョーマが繋いだ手塚の手を引っ張るようにして、二人はどんどん観覧車の方へ歩いていった。 
      (だめだ…そっちへ行っちゃ…) 
      夢だとわかっている。わかっているのに、このまま二人を、あの観覧車の方へは行かせたくなかった。できれば手を繋いだまま引き返して欲しかった。 
      だが、リョーマの声は夢の中の二人には、届かない。 
      ふと、手塚の傍らのリョーマがこちらを見た気がしたが、すぐに視線を逸らされてしまった。 
      (止めたい。どうすれば…) 
      リョーマは辺りを見回した。霧は晴れたはずなのに、手塚と自分と観覧車以外は、なぜかぼやけてしまってよく見えない。 
      (先回りして正面から呼びかけたら気づいてくれるかな) 
      走ろうとしたが、足がもつれるようで巧く走れない。 
      (早く、早く止めなきゃ…っ) 
      リョーマは走れぬもどかしさに左手を前に伸ばした。すると、延ばした自分の指先から、景色がぐにゃりと歪んだ。 
      (な…っ?) 
      歪んだ景色は一気に闇に変わり、だが、すぐに自分の指先から光の中へ溶けてゆく。 
      (眩し…っ) 
      光の洪水に目を開けていられず、手を翳して光を遮ろうとしたその瞬間、ポンと、身体が投げ出される感覚があった。 
      (………?) 
      恐る恐る目を開けると、リョーマは観覧車の中にいた。 
      (え?なんで…?) 
      窓から下を見下ろすと、数人の警官たちが走り回っている。 
      (これは…) 
      間違いなく、観覧車が封鎖された直後の光景だった。 
      (じゃあ、もうすぐ下にオレが…) 
      視線を少し遠くに向けると、こちらを見上げている自分がいた。 
      目が合った。 
      ふらりと、下にいる自分がこちらに向けて足を踏み出す。 
      (ダメだ、こっちへ来るな…っ) 
      だがどんどん下にいるリョーマはこちらへ近づいてくる。 
      (こっちに来るな!ダメだ、こっちに来たら……ダメなんだ!) 
      観覧車の中でリョーマは叫んだ。叫んだが、この声はきっと下にいる自分へは届かない。 
      下にいるリョーマが警察官に呼び止められる。 
      (あああ……っ、間に合わない…っ)
 
  「!」
 
  大きく身体を揺らして、唐突にリョーマは目覚めた。 
      はぁはぁと、呼吸がひどく乱れている。 
      「………夢、だよな……」 
      リョーマは身体を起こし、大きく息を吸って、ゆっくり吐いた。 
      こめかみから嫌な汗が伝い落ちる。 
      ベッドの不二に目をやると、静かに寝息を立てており、起こしてしまった様子はない。 
      そのことに少し安堵しながらも、まだ鼓動はドキドキと緊迫感を訴えている。 
      リアルな夢だった。 
      まるで自分があの場に本当にいたように。 
      「………」 
      何かが、リョーマの胸に引っかかった。 
      だが、何が、なぜ、引っかかるのかがわからない。 
      「喉乾いた……」 
      水でももらおうと布団から身体を起こし、何気なくカーテンの隙間から外を見て、リョーマは目を見開いた。 
      (部長……?) 
      窓の下に、手塚がいた。 
      この窓の方を見上げ、佇んでいる。肩からバッグを提げている。職場からの帰りなのだろうか。 
      (どうしてここに…?まさか、オレに逢いに…?) 
      帰り道なのだとしても、この窓の下を通るのはひどく回り道になるはずだった。 
      リョーマはカーテンを開けようか迷った。カーテンを開け、窓を開き、手塚に声をかけたら、手塚は応えてくれるのだろうか。 
      「…だめだよ、越前」 
      後ろからそっと、眠っていたはずの不二に、カーテンへ伸ばしかけた手首を掴まれた。 
      「あ……」 
      リョーマの見つめる先で、手塚が俯いて何かを振り払うかのように首を振り、ゆっくりと去ってゆく。 
      「部長……っ」 
      「今キミが出て行ってはダメだ。……元の世界に、戻れなく、なるよ?」 
      静かに諭すような不二の声が、リョーマの身体から力を奪った。 
      「……すみません、起こしちゃって。もう、大丈夫っスから…」 
      背を向けたまま小さな声で言うリョーマの手を、不二はゆっくりと離した。 
      「目が覚めちゃったの?水でも飲むかい?」 
      「…はい」 
      リョーマが力無く微笑みながら不二を振り返ったその時、不二の後ろの空間がふわりと揺らいだ。 
      「あ」 
      不二も何かを感じたらしく、リョーマが声を上げるのとほぼ同時に勢いよく振り返る。 
      『真夜中にゴメン、って、あれ?起きてた?』 
      ソウマだった。 
      リョーマの瞳が自分の背後を見つめて輝くのを見て、不二も「それ」がソウマなのだとわかって安心したようだった。 
      「ソウマ!」 
      思わず駆け寄るリョーマに、だが、ソウマはあまり良い表情を見せてはいなかった。 
      「ソウマ?」 
      『……ゴメン、ちょっと手間取ってる。《あの人》がなかなか捕まらなくて……それに、ちょっと気になることもあるんだけど…』 
      あまりいい報告ではなかったことに落胆を隠せないリョーマが、ソウマの一言に反応した。 
      「……気になること?」 
      『うん。何かを、見落としていそうな気がするんだ』 
      「え?」 
      ソウマは心中をうまく言えないらしく、ハァッ、と大きな溜息を吐いた。 
      『なんて言うか……オレのせいだけじゃないみたいなんだよ、アンタの世界の《歪み》が』 
      「なにそれ」 
      苛立ちを含ませたリョーマの声に、ソウマはクシャクシャと頭を掻いた。 
      『…あの時の話、オレに話してくれる?』 
      「あの時って、観覧車に乗る時のこと?」 
      『うん。できればこの世界にいるあの、アンタの恋人にも話を聴きたいね。「そのあと」に、何が起きたか』 
      リョーマは顔を強ばらせた。 
      「…無理だよ…部長にそんな話、聴けるわけない…」 
      きつく眉を寄せるリョーマに、不二も眉を寄せた。 
      「ソウマはなんて言ったんだい、越前?」 
      「部長に、オレが爆発に巻き込まれたあとの話を聴けって」 
      「そんな…無理だ、あんな状態の手塚からそんなこと…」 
      顔を強ばらせたままリョーマも頷いた。 
      「それに、手塚にまで越前のことを話してしまったら、越前はこの世界の住人になってしまうんじゃないの?」 
      ハッとしてリョーマはソウマを見た。そういう問題も確かにあるはずだ。 
      『……《あの人》さえいりゃ、それはどうにかなるんだけど……やっぱムリか……』 
      「ねえ、前から気になってたんだけど、『あの人』って何?ずいぶん頼りきってない?」 
      リョーマが不審そうにソウマの瞳を覗き込むと、ソウマはきょとんとした目で見つめ返してきた。 
      『《あの人》ってのはオレの指導教官みたいな人。アンタがいうところの《先輩》みたいな』 
      「ふーん。じゃ、その人見つけるのが先なんじゃないの?」 
      『まあね…………ああ、そうだ、直接話聞くのがムリなら、アンタの恋人の夢に入ろうか』 
      「は?」 
      どこかはぐらかされたような気になりつつも、すり替えられた話題の内容に驚く。 
      「夢に入るって何?」 
      「夢に入る?」 
      不二も眉を顰めてリョーマを見た。 
      ソウマはひとつ頷くと、リョーマの手を取った。 
      『アンタの想いはかなり深いから、たぶんすぐあの恋人の夢に繋げられると思う。夢の中でなら、アンタが越前リョーマだと名乗っても支障はないから、巧く聞き出して』 
      「ちょっと待って。そんな………」 
      すぐにも実行しそうなソウマに、リョーマは慌てて『待った』をかける。 
      夢の中ならまだいい。だが夢のあと、目覚めた手塚のダメージがリョーマは気になる。 
      自分とのつらい別れのシーンを思い出させてしまい、再び傷つけてしまうのではないか。 
      夢の中のひとときの幸福感に、現実への絶望感が増して生きることをやめてしまったりはしないか。 
      (でも………) 
      だがリョーマの心が、甘い誘惑にも揺れている。 
      夢の中ならば、自分はあの手塚の傍にいられるのだ。 
      傍にいて、抱き締めてやれるのだ。 
      そう思うと、夢でもいいから、手塚の傍に、『越前リョーマ』として寄り添いたくなる。 
      「越前?」 
      不二が、状況がわからずにリョーマを覗き込んだ。 
      リョーマはソウマの言った言葉を、なるべく忠実に、不二に話してやる。 
      「夢、か……でも手塚はまだ眠っていないと思うけど?さっき、下にいたんだから」 
      「あ…」 
      リョーマはソウマに、さっきまで手塚が窓の下にいたことを話した。 
      『ん、そういうことならアンタの話を先に聴かせてもらって、それからあの人の夢に入ればいいんじゃない?』 
      とにかくソウマは、リョーマが爆発に巻き込まれる時の話を二人から聞き出したいらしかった。 
      「……とりあえず、オレがまず話せばいいんだよね?」 
      『うん』 
      頷くソウマに、リョーマは小さく溜息を吐いた。
 
 
  リョーマはすべてを話した。 
      あの水族館に着いた辺りからのことを、細かくソウマに話してゆく。 
      午前中に水族館を見て回り、昼時にレストランで食事を摂ったこと。 
      その際に、窓の外の観覧車に目がとまり、それに乗ることになったこと。 
      観覧車に並んでいると、後ろの方から警官たちが押し寄せ、観覧車を強制的に閉鎖してしまったこと。 
      その立ち入り禁止のテープのすぐ傍で状況を見守っている時に、観覧車の乗り場のところでソウマを見かけて驚いたこと。 
      そのすぐあとに、自分の後ろで小太りの男が犯人であることを匂わせる言葉を呟いたので、仕掛けられた爆弾が時限装置で動いていることを警察官たちに知らせるために立ち入り禁止のテープを潜って中に入ったこと。 
      そしてそこで観覧車に乗っているソウマを見つけ、走り寄ろうとして光に包まれたこと…… 
      「あとはアンタも知っている通り、暗闇に突き放されて、アンタに連れられてこの世界に来たんだ」 
      ソウマはじっとリョーマの話に耳を傾けながら、時折眉を寄せて難しい表情をしていた。 
      『……アンタがオレを見かけたのは、乗り場のところと、観覧車の中だけ?』 
      「あ、えっと、……観覧車の列に並ぶ前にも一度、ちらっと見た気がする」 
      『…………へえ』 
      そう言ったまま黙ってしまったソウマを、リョーマはじっと見つめた。不二も、だいたいの様子を察して、何も言わずにリョーマを見つめている。 
      『……なるほどね……』 
      「何かわかった?」 
      『いや……何とも言えないね』 
      「なにそれ」 
      溜息混じりにそう言ったリョーマに視線を向けて、ソウマはニヤッと笑った。リョーマはその微笑みが、自分が強い敵に見せるものと似ているような気がして、なぜか、心の中に仄かな期待感が湧いてきた。 
      『……アンタの恋人にも話聞きたいけど……どうする?』 
      ソウマは笑みを消してじっとリョーマを見た。 
      「OK。やってみる」 
      リョーマは迷わなかった。 
      心に仄かに湧いたソウマへの期待感を、自分の直感を、信じてみようと、思った。 
      「越前…?」 
      不二が眉を寄せてリョーマを見る。 
      「大丈夫っスよ、不二先輩。夢でなら、詳しいこと話さなくても何とかなるし」 
      「そうだけど……」 
      『……でも、あの人の夢に取り込まれないようにしろよ。それについては、そこの先輩にも協力してもらうから、よく聞いて』 
      リョーマはソウマの言葉を不二に伝えた。不二が頷く。 
      『アンタとあの人の夢を、オレの力で繋げる。オレは、繋げることに集中するから、あの人の夢に入ったらアンタが巧くやってくれる?』 
      「OK」 
      『話を聴き終わったらとっとと戻ってきて。あまり長居すると、あの人の夢から出られなくなる』 
      ソウマが強い瞳でリョーマを見つめてくる。実は、かなり危険なことなのかもしれないと、リョーマは内心思った。 
      「夢から戻ってこれなかったらどうなる?」 
      探るように見つめながら低い声で訪ねるリョーマに、ソウマは腕を組んで小さく溜息を吐いた。 
      『アンタもあの人も、眠ったまま目覚めなくなるよ』 
      「…っ」 
      『戻ればいいんだよ、こっちに』 
      リョーマはこくりと頷いた。 
      「それで、僕は何をすればいいのかな?」 
      不二がリョーマに訪ねると、ソウマが『ああ』と不二の方を見た。 
      『その先輩には、アンタに時間を知らせる役をやってもらうよ。あの人の夢に入っていても、意識のどこかは身体の感覚と繋がっているから、耳元で何か音をさせて時間を知らせてやって欲しいんだ』 
      リョーマは不二にその言葉を伝えると、不二は深く頷いた。 
      「それで、時間って?」 
      『………二時間』 
      「二時間…」 
      リョーマが呟くのを不二も聴いた。 
      『オレにはそれくらいが限界』 
      「二時間あれば、なんとかなるっしょ」 
      「……じゃあ僕が、二時間したら越前に時を知らせればいいんだね」 
      ソウマは頷いた。 
      『もし、それで戻ってこなかったら、あっちの恋人の家に電話するなりして、あの人の方も起こしてみて』 
      リョーマが伝えたソウマの言葉に、不二は了解した。 
      『じゃあ、そろそろいい?』 
      「いいよ。やろうよ」 
      即答するリョーマに、ソウマは小さく微笑んだ。 
      『……つらいことばっかさせてゴメン。でも、オレが絶対に元通りにするから、信じてて』 
      リョーマは目を見開いた。心の中に、どこか懐かしい人と話をしているような、そんな穏やかさがふわりと広がる。 
      「ソウマ……アンタ、一体……」 
      『それは後だって言ったろ?……さ、横になって。始めるよ』 
      リョーマは頷いて不二を見遣った。 
      「不二先輩、オレ行ってきます。あとのことよろしくお願いします」 
      「……ちゃんと戻ってきてね、越前」 
      「ういっス!」 
      ソウマの指示に従ってリョーマは不二のベッドに横になった。 
      『いい?繋げるよ。あの人のこと、想って』 
      「うん」 
      ソウマが自分の胸の前で両手を組んだ。そうしてスッと目を閉じ、口の中で何かを呟く。 
      不二が見守る中、リョーマの身体がすぅっとベッドに沈み込んだ。 
      『繋がった。Goodluck、リョーマ。巧くやって』 
      ソウマの声が、遠ざかる。
 
  狭い空間を、強く引っ張られるような感覚があった。 
      つらいことを、手塚に語らせることになるのかもしれない。 
      それでも、今、手塚の元に向かう自分は『越前リョーマ』でいられることが例えようもなく、リョーマには嬉しい。
 
  (部長……今、行くよ……)
 
  足下に地面の感触が戻った。 
      遠くに手塚の姿が見える。 
      「部長!」 
      想いを込めて、リョーマは叫んだ。 
      振り返る愛しいその人の胸へ、リョーマは今こそ飛び込んでいった。 
      
 
 
 
 
 
  
      続
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      20050131
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