三日間続いた校内ランキング戦は全勝して終わった。
二年の海堂と三年の乾を破り、ちょっと手こずったものの晴れてレギュラーの座を確保した。
海堂と乾はさすがレギュラーだけあって強く、久しぶりに手応えのある相手だったと思う。二人に勝利した瞬間、その時は少し例のモヤモヤが消えていたから。
二試合ともかなり注目を集めた試合で、部長も見に来ていたのだと、同級生のおかっぱ(カチローというらしい)が言っていた。
(部長も見てたのか…)
リョーマは小さく溜息を吐いて、今日も青い空の下で白い雲を寝転がったまま見つめている。
今日はとても暖かい。あんまり気持ちがよくて、うっかりすると眠ってしまいそうだ。
だが、そう思うのとは裏腹に、一向に眠気が訪れないのは、『いつもと同じ空間』にいるせいだった。
つい最近、心ならずも思い知ってしまったその存在感が、リョーマの神経をさわさわと刺激する。
はっきり言って、気になるのだ。
いつもは聞こえていなかったページを捲る音や、足を組み替える時の微かな衣擦れの音までもが、リョーマの耳から入り込んですべての思考を奪いにかかる。
(意識しすぎ)
リョーマはその存在に背を向けて横になる。しかしそれは無駄なあがきで、その姿が目に見えなくなれば余計に彼が何をしているのか気になってくる。
(ああ、もう…っ)
リョーマはまた仰向けになった。
白い雲が眩しくて、リョーマは眉を寄せた。
(……なんか悔しい)
大キライなのに。
そう、思おうとして、ちょっと違うかもしれないと思う。
キライ、ではない。
苦手、なのだ。
第一印象が悪かったせいもある。でもそれだけでなくて、ほんの少し認め始めてからも、彼の思考が全くつかめなくて戸惑う。
(相変わらず無表情だし……)
リョーマはそっと、視線だけをこっそり手塚に向けてみた。
一心不乱、と言う言葉が当てはまりそうなほど真剣な表情で文庫本に集中している。
(オレなんか意識の外ってわけか)
面白くない。
今までの自分がそうしてきたのを棚に上げてリョーマは微かにまた眉を寄せた。
(あ、そうだ……)
リョーマはふと、あることを思いついて目を閉じた。そのままじっと動かずに寝たフリをする。
ここに来るようになって二回目の時、いつの間にか眠ってしまった自分を、たぶん起こすために手塚が傍まで来てくれたのを思い出したのだ。
仰向けに寝ていた身体を、まるで寝返りを打つように「ん…」とか言いながら手塚の方へ向けてみる。すると、うまい具合に前髪が目にかかった。きっと薄目を開いても手塚からはわからないだろう。
案の定、手塚が顔を上げる気配がする。
チャイムが鳴るまではまだ少し時間があるはずだが、手塚は顔を上げたまま動く気配がない。
リョーマはそっと薄目を開けて手塚を見た。
(え……?)
ドキン、とリョーマの鼓動が大きく鳴った。
そっと盗み見た手塚は、思いの外強い視線をリョーマに向けている。
手の中の文庫本はすでに閉じられており、どうやらもう読む気はないらしい。両腕で片膝を抱えるようにして引き寄せ、その腕に顎を乗せて、ただじっとリョーマを見ている。
その瞳の強さの意味が、リョーマにはわからない。
だが見つめられて、時が、止まったような気がした。
「………っ」
ふいに、手塚は小さく溜息を吐きながら自分の腕に顔を埋めてしまった。
(部長…?)
顔を埋めたまま、文庫本を持っていない方の手で何度か髪を掻き上げている。
テニスコートにいる手塚と、文庫本を読んでいる手塚しか知らないようなリョーマは、初めて見る手塚の「素」の行動に大きく目を見開きそうになって慌ててまた目を閉じた。
それとほぼ同時に、手塚が立ち上がる気配がした。
だがそのまま、近づいてくるわけでも、また立ち去るわけでもない気配に、リョーマはまた薄目を開けてみる。
(…なにそれ…)
手塚はリョーマに背を向けて柵に凭れかかるようにして景色を眺めていた。
謎の行動をとる手塚に、リョーマは目を開けてその後ろ姿をじっと見つめてみる。
その見つめる先の手塚の背中はすっきりと伸ばされていて、なのにどこか、いつも部活で見るそれとは何かが違っていて、リョーマは内心首を傾げた。
手塚は動かない。
遠い景色を眺めながら、物想いに耽っているように見える。
(何を見ているんだろう…)
それはイコール「何を想っているのだろう」かもしれない。
リョーマは自分の中に湧き上がった「知りたい」という衝動に戸惑った。




手塚が動かないまま、時間だけが過ぎ、ついに予鈴がなり始めた。
(時間切れ、か…)
リョーマが目を閉じて内心溜息をついていると手塚が歩み寄ってくる足音が聞こえた。
「越前」
頭上で呼ばれたがまだ寝たフリを続けてみる。
「越前?」
今度は跪いて覗き込んでくる。もう少しだけ、と思って黙っていると、手塚が小さく溜息を吐いた。
「……困ったヤツだな……」
ボソッと呟かれた言葉のあまりにも優しげな響きに、リョーマはぱっちりと目を開けた。
「…っ!」
「ぅわっ!」
いきなりリョーマの目が開いたことに驚いたような手塚の瞳と正面から目が合ってしまい、リョーマは思わず小さく叫んでしまった。
「う、あ、な、ぶ、ぶちょ…?」
意味不明の声を発するリョーマを暫し見つめてから、手塚はゆっくりと立ち上がった。
「……予鈴が鳴ったぞ」
「は…い」
いつものように、にこりともせずに背を向ける手塚を見送りながら身体を起こしたリョーマは、なにやら自分の耳元がうるさいことに気がついた。
(何の音……?)
さっきから自分の耳元で何かが鳴っている。耳を塞いでみたら、さらにその音が大きくなった。
(な……っ)
うるさいほど大きく音を立てているのはリョーマの心臓だった。ドキドキと、早鐘のように鳴り響く鼓動にリョーマは呆然とする。
(そりゃ、ちょっとビックリはしたけど…こんな…なんで…?)
目の前に手塚が居ることは充分予測していたのに、いざ目を開けて間近にその瞳を見てしまった瞬間、思考が止まった。
少し切れ上がった意志の強そうな目。その虹彩はほんのり鳶色をしていて、やはりほんの少しだけ色素の薄い髪の色とよく似合っていた。
(綺麗……だったな……)
この屋上に来るようになってすぐの頃、偶然間近で見てしまった手塚の瞳を、あの時はそんな風には思わなかった。と言うより、あの時は彼の瞳など見てはいなかったのかもしれない。
ガチャリと、静かに閉まるドアの音に、リョーマは手塚が出ていったことに気づいた。途端に『いつもの空間』ではなくなる場所。
リョーマは深い溜息を吐いて、ノロノロと立ち上がった。
胸のモヤモヤがひどくなっている。
何かが、自分の中で変わってゆくような気がして、リョーマはきつく眉を寄せた。










                            



20041030