嫉妬




また二年に絡まれた。
名前は、確か荒井とか何とか。
はっきり言って鬱陶しかったが、自分の愛用するラケットを隠されたのでは黙っているわけにはいかない。
リョーマは溜息を吐いた。
この青学テニス部に入ってからいいことがない。

やたらと絡んでくる二年の先輩に、権力を振りかざす鉄面皮の部長。一年生部員は仕方ないとしても、他の先輩達もただ遠巻きに自分を見ているだけで、この二年の先輩の暴走を諫めようとする者など誰もいない。
(やなとこ来ちゃった…)
ああ、それでも、と、ひとつだけちょっと面白そうなことがあったのをリョーマは思い出す。
(桃城、とか言ったっけ……あの人は面白そう…)
ひと癖もふた癖もありそうな先輩だった。ちょっとなれなれしい気もするが、嫌な感じではなかった。
(あの部長と比べたら全然マシ)
自前のラケットの代わりに使えと差し出された古びたボロラケットを見つめながら、リョーマはふと、部長の姿が見えないことに気がついた。
(部長だからって、何で遅れてきてばっかなんだろ、あの人)
まあ、あの部長がいないからこの二年の先輩も大きな顔して自分にこんな無茶苦茶な試合を挑んでくるのだろうけど。
リョーマはまた小さく溜息を吐きながらコートに入った。
こういう、本来ならば使い物にもならないラケットをあてがえば絶対勝てると思っている先輩に、侮蔑の瞳を向ける。
(ナメんな……っ!)
無性に腹が立った。ニヤつきながら自分を見つめる先輩の目に。そして自分たちを遠巻きに見つめるたくさんの目に。
そして何より、甘んじてこの場にいる自分に腹が立った。




試合とは言えないような、リョーマの一方的な優勢でゲームが終わった途端、副部長から「グラウンド10周」が言い渡された。その場にいた全員にだ。タイミングからしてどこかから見ていたに違いない。
「悪いな、みんな。俺も一緒に走るから」
人の良さそうな副部長だった。あの鉄面皮の部長とは大違い。そう考えてリョーマはハタと気がついた。
(これは「部長からの命令」なんじゃ…?)
リョーマはコートの周囲をぐるっと見回した。が、部長の姿はない。
(でも絶対、どこかから見ているに違いないんだ!)
ふと、リョーマは視線を上げた。
コートに面している校舎の一角にチラリと人影を見た気がした。
(あそこか……)
リョーマは瞳に力を込めてその窓を一瞥してから踵を返した。
(ムカツク……)
昼休みの一件で、ちょっと見直してやろうかと思っていたが、そんな気持ちは一気に吹っ飛んだ。
(あの人……いつか絶対、泣かす…っ!)
リョーマの瞳に剣呑な光が宿った。




***



翌日の昼休み。
リョーマはまた自分を囲んで話し込む堀尾たちから逃れて屋上へと足を運んだ。
今日も鍵はかかっていない。
重い扉を開けて、澄んだ空色を視界に迎え入れる。
(やっぱいたか…)
昨日と同じところに手塚が腰を下ろして文庫本を読んでいた。
「ちーっス」
「ああ」
やはり昨日と同じように心のこもらない形だけの挨拶を言って、リョーマは昨日と同じ場所からグラウンドを覗き込む。そこには昨日と同じようにそれぞれに昼休みを満喫する生徒たち。
だがリョーマは昨日と同じ様に立ったまま空を見上げることはせず、ストンと腰を下ろして座ったかと思うと、いきなりコロンと仰向けに寝転がった。
(あーやっぱこの方が気持ちいいや)
一度大きく伸びをしてから頭の後ろで手を組んで枕にする。
まだ少し肌寒い気もするが、爽やかな風に頬を撫でられて、その心地よさにリョーマは目を閉じた。
ここのところ感じていたストレスを、空の青さが全身から吸い取っていってくれるような気がする。そのストレスの一因である存在が同じ空間にいたことをちょっと思い出したが、リョーマは今日もやっぱり無視することに決めていたので、あまり気にはならなかった。




しばらくして、遠くで予鈴がなった気がした。
リョーマがゆっくり目を開けると、自分を覗き込む瞳とばっちり間近で目があって息を飲んだ。
「…起きていたか。予鈴がなったぞ。教室へ戻れ」
「う…ういっス」
全く動じた様子もなく、淡々とそう告げてさっさと離れてゆく手塚に、リョーマはなぜか苛立ちを覚える。
(ちょっとくらい笑いかけてくれてもいいのに)
リョーマが身体を起こすのと手塚がドアから出ていくのはほぼ同時だった。
(寝顔見られた……)
溜息が出た。なんだか自分ばかり素をさらけ出したようで悔しい。
もう一度溜息を吐いてから、リョーマは立ち上がって服の汚れを軽くはたいた。
(あの人、ずっとあの表情のままなのかな…)
あの無表情が崩れるのはどんな時なんだろうとリョーマは思う。
すごく仲のいい友達と話す時、何かとても嬉しいことがあった時、楽しい時間を過ごす時、きっとあの仮面はそっと外されるに違いない。
(でも、きっとオレの前では外れない……)
リョーマはまた溜息を吐いた。
それが何のために吐き出された溜息なのか、リョーマにはよくわからなかった。






                            



20041023