王子様のごちそう


「なにそれ」
開口一番、リョーマは思い切り嫌そうに言いのけた。
「だからぁ、今度の調理実習の買い物、男子も付き合ってよね、って言ったの!聞いてなかったの?」
「あ、もしかしてリョーマくん、試合とかあるの?」
「ないない、その辺はチェック済みよ!練習ちょこっと抜けるくらいいいでしょう?ね、リョーマくん!」
同じ班になっている女子が3人揃って次々に言葉を投げかけてくる。答えていいタイミングを計り損ねてリョーマが黙っていると、テニス歴2年の堀尾が代わりに口を開いた。
「おいおい、わかってんのかぁ?越前は青学のレギュラーなんだぜ?ちょこっとでも練習抜けたら今度の試合が…」
「別に。いいけど?」
堀尾の言葉が終わらないうちにリョーマが女子に向かって返答する。女子の言葉は遮れなかったが、堀尾なら遠慮がいらないためか、あっさり無視をしてみせた。
「やったぁ!リョーマくんなら、そう言ってくれると思っていたんだぁ!」
「そうよね、練習にかこつけて全部女子に押しつけようなんてしないもんね、リョーマくんは!」
「爪の垢でものませてもらったら?堀尾〜!」
きゃははと笑いながら女の子三人組は集合の場所と時間を書いた紙をリョーマに手渡す。
「あ、ここ…」
「え?なんだよ、越前」
涙目になった堀尾が恨めしそうにリョーマを振り返る。
「別に」
「じゃあ、日曜日にね!リョーマくん!……堀尾、来なかったらわかってんでしょうね!」
「なんなんだよ〜その態度の違いはぁ〜」
「鏡見てから言いなよ!じゃあね、バイバ〜イ、リョーマくん」
あからさまに虐げられて半泣きの堀尾には構わずに、リョーマはもう一度手渡されたメモを見つめる。
(部長の家の近くだ…)
リョーマはちょっと考え込むと、何かを思いついたようにニヤッと笑った。

放課後、手塚が例によって委員会で遅れると言うことだったので、リョーマと堀尾は副部長の大石に日曜の練習を午後から抜けることを告げた。
「そう言うことなら仕方ないな。わかったよ、竜崎先生には俺から言っておくけど、手塚には自分たちで言う?」
「あ…はい」
「なになに〜?おチビ、日曜はサボりかにゃ〜?」
大石の後ろからひょっこり突然現れた菊丸がニヤニヤしながらリョーマの顔を覗き込む。
「サボりじゃないっス」
ムッとして答えるリョーマの頭をぐりぐりと掻き回しながら「何?デート?」とからかい出す。
「あ、じゃあ、俺はあっちに戻るっス!失礼しますっ!」
さすがの堀尾もレギュラーの前では緊張するのか、そそくさと同学年の中に戻ってゆく。
それを見送った不二がアップを中断して話に加わってくる。
「調理実習なんだってね、越前くん。何作るの?」
「えーと、鮭のムニエルと、粉ふきいもと……あとは忘れたっス」
「懐かしいな、僕達もムニエル作ったよね、英二?」
「うんうん、おいしかったにゃ!」
そんな会話を聞いていて、リョーマはふと思った。
「部長もやったんスか?調理実習…」
「そりゃ当たり前だろ、授業なんだから」
大石が笑いながら答える。
「結構手塚ってさ………おっと」
背後に気配を感じたのか、大石が途中で口をつぐむ。
「何を騒いでいる?」
早めに委員会の仕事が終わったらしく、部室に向かう途中の手塚がこちらに歩いてきた。
「騒いでないよ、越前くんが日曜の練習ちょっと抜けなきゃならないって話」
ニッコリ笑顔で振り向いて答えた不二の言葉に、手塚が一瞬眉をひそめる。
「何かあったのか?越前」
「調理実習の買い出しっス。月曜にやるんで」
なんだそうか、と頷いて、手塚は部室の方へ歩いていった。
その後ろ姿を見送ってから不二が大石に微笑みかける。
「…で?結構手塚がなんだって?」
「いや、見かけよりも……」
「越前〜!オレのタオルしらね〜?」
毎度おなじみの桃城がリョーマに後ろから抱きつく。
「げっ!…知らないっスよ、そんなの!あ、ちょっと、どこ連れて行くんスか!桃先輩!?」
「一緒に探してくれよ、今日もおごってやるからさ」
さすがのリョーマも力では桃城にかなうはずもなく、ズルズルとその場から引きずっていかれる。
「桃のヤツ…懲りないな」
不二が軽く溜息をつきながら呟くと、『事情』を知らない大石がニッコリと爽やかに微笑んだ。
「後輩思いだとは思っていたけど、越前のことは特に気に入っているんだな、桃城は」
「大石って毎日楽しそうだよね」
不二がクスクス笑いながら言った繋がりのない言葉に大石がキョトンとなる。
「………え?」
不二の後ろにいる菊丸にまで笑われたことに気付いた大石が怪訝な顔をする。
「さあ、そろそろアップ再開しよう、英二」
「ほいほい」
一人取り残された大石は手塚が来るまでその場に立ちつくしていた。

練習がいつも通りに終わり、ごった返した部室の中で着替えをすませるとリョーマは手塚の姿を目で探した。
すると、どうやら向こうもリョーマを探していたようで、アイコンタクトで部室の外に出る。
「日曜の件か?」
「あ、うん、午後一時に待ち合わせなんで、午前中の練習が終わったら抜けるっス。堀尾も一緒に」
「わかった」
そう返事をしてから手塚が少し考え込む。
「…なんスか?」
「日曜…夕方からは空いているか?」
「え…あ、うん、空いてるっスよ」
「家に来ないか?」
「いいの?」
リョーマの瞳が輝き、頬が微かに染まる。
ここのところお互いのスケジュールが合わずにすれ違いが続いていたので、少しでも一緒にいられるのはリョーマにとって嬉しくないはずがない。
夕方から、と言うのが気が引けるのか、手塚は「あまりゆっくり出来ないかもしれないが」と付け加える。
「ねえ、…………もしかして、一人?」
「…………ああ」
手塚が一瞬気まずそうな表情をして答える。
「ちょうどいいや、練習、付き合ってくれない?」
「練習?」
「次の日の、予習!」
楽しいことを見つけた猫のように瞳を輝かせてリョーマが提案するのを、手塚が断るはずもなかった。

「ねえ、小麦粉と塩とこしょう、どこ?」
密かに示し合わせて手塚の家に辿り着いた二人は、久しぶりの逢瀬というムードは微塵もなく、室内にはただリョーマのパタパタと動き回る足音が響いていた。
「…何か手伝うか?」
「いいっス。これくらい一人で出来るよ」
「……そうか」
手塚は負けず嫌いな恋人をキッチンに残してリビングの方へ移動する。
ソファに腰を下ろして新聞を広げて、そこで自分の行動がどこかで見たものであることに気付いた。
(父さんと同じ事をしている…………。)
何か手伝うことはないかと母の様子を見に行き、何もないと追い返されてすごすごとソファで新聞を広げる父の姿を、休日の手塚家でよく見かけたのを思い出す。
複雑な心境になってキッチンの方へ目をやると、リョーマが生き生きと楽しそうに材料の下ごしらえをしているのが目に入った。
(本当に出来るのか?)
眉間にしわを寄せて手塚がリョーマを見つめていると、いきなりリョーマが振り向いた。
「あ……いや、心配なのではなくてだな…」
「オイルは?」
「…………レンジの下の左側の扉」
「ういーっス」
リョーマは手塚の様子など気に留める風もなく、プリントを見ながら着々と「予習」を進める。
コートでボールを真剣に追いかけるときとはまた違った真剣な瞳でキッチンに立つリョーマを見つめて、手塚は自分でも気づかないうちに微笑みを浮かべていた。
しかししばらくして、フライパンで材料を焼き始めたリョーマが突然小さく叫んだ。
「にゃろう!」
「?」
とりあえず大事ではなさそうなので、しばらく様子を伺っているとリョーマが今度は「お皿!」と叫んだ。
やっと出番が来たようなので、手塚はキッチンに入り、少し大きめの皿を出してやる。
「ありがと」
フライパンを横目で見ながら、先に完成させていた付け合わせを皿に盛りつける。
それからメインのムニエルを、身を崩さないように慎重にフライパンから移し終えると、リョーマはふぅっと息を吐いた。
「できた」
「……初めて作ったのか?」
「このメニューはね」
多少焦げ目がキツイが、なかなかの出来映えに、手塚は感心した。
鮭のムニエルと粉ふきいも、絹さやのボイルにニンジンのグラッセ。
彩りも良く、多少雑な盛りつけに目をつぶれば、間違いなく合格点である。
「食べようよ」
「ああ、そうだな」
二人はリョーマの作ったメニューをメインにして、少し早めの夕食を摂ることにした。

「どうっスか?」
とりあえず、全部の品に箸をつけた手塚に、ぶっきらぼうに、それでいてちょっとだけ不安げな様子でリョーマが尋ねる。
「正直に言っていいか?」
「……う、うん」
「メインのムニエルは塩がきつい。多分、生鮭でなく塩鮭を買ってしまったのではないか?それから粉ふきいもはもう少しゆでた方が粉が出やすい。絹さやとニンジンのグラッセは上出来だ」
「ホント!?」
前半の評価に少しガッカリしていたリョーマは、とりあえず二品は太鼓判を押されて上機嫌になった。
「授業で使うのも同じ鮭買ったから、明日は塩味はつけなければいいっスね。ジャガイモはプリントのより少し長めにゆでて…」
「でも全部うまかったぞ。ご馳走様」
プリントの内容と手塚の評価を比べて確認していたリョーマが、ふと手塚の食器を見ると、全ての料理が綺麗に平らげてあった。
リョーマは何かとてつもなく感動を覚えて、少しだけ照れくさそうに満面の笑みを浮かべて「どういたしまして」と応えた。

片づけを買って出た手塚がキッチンからリビングに戻ってくると、リョーマが何やら自分の右手を眺めている。
「どうした?」
「ん、さっき、オイルが跳ねて………ヒリヒリする」
「火傷か…」
手塚は「見せてみろ」と言ってリョーマの右手を自分の方へ引き寄せた。確かに人差し指の第二関節のあたりが赤くなっている。
「すぐに冷やせば痛みもなかったんだぞ」
「だって料理の途中だったから…」
手塚は溜息を軽くつくと、何か冷やすものをと立ち上がりかけ、だがそれは途中でリョーマに阻止された。
「…どうした?」
「…もうお腹いっぱい?」
「…まだ足りないのか?」
手塚の返答に溜息をついたリョーマは「自分で冷やす」と言って立ち上がると、キッチンへ入っていった。
そんなリョーマを見送った手塚は、前髪を掻き上げて深い溜息をつく。そしてリョーマのいるキッチンの方を向いて目を細めると、黙って立ち上がった。
「どうだ?」
キッチンのシンクで指を冷やしているリョーマの後ろから覗き込んで手塚が声をかけると、リョーマの身体が一瞬ぴくっと震える。
「大丈夫っス…ほら、もう赤いのが消えてきた」
シンクの方を向いたまま、リョーマは背後にいる手塚に塗れた指先を差し出した。
手塚は差し出された右手をそっと握ると、その人差し指に口づける。
「おまじない?」
リョーマがクスッと笑って手塚に寄りかかるように身を預けると、後ろから抱きしめられた。
「久しぶりっスね」
「そうだな」
リョーマの顔を上向かせ、手塚が後ろから抱き込んで口づける。
ここ数日、ちゃんとした口づけもろくに出来なかったせいか、互いの唇がひどく甘く感じる。
手塚が唇を離そうとすると、リョーマの唇が追いかけてくる。リョーマが苦しさに息を繋ごうとすると、その隙間をすぐに手塚が埋めてくる。
うっとりと目を閉じて手塚を受け入れるリョーマの表情を時折盗み見ながら、手塚はリョーマのシャツの中へ左手を滑り込ませた。
「あ……んう……っ」
胸の突起を弄られてリョーマが発した甘い声は、そのまま手塚の唇に吸い込まれてゆく。
手塚の右手がリョーマの中心にのばされ、ズボンの上から何度も撫で上げられて、リョーマは切なさに腰を捩った。
「……俺の部屋に行くか?」
唇を触れさせながら手塚がそう囁くと、リョーマはたまらずに頷いた。                                                                                                                      

  
 
 
もう見慣れてしまった天井をぼうっと見つめながら、リョーマはふと、気になったことを尋ねる。
「まだ平気なんスか?家の人たち…いきなり帰ってきたりとかしない?」
「とりあえず父は来週末まで出張だ。祖父は今日・明日と町内会の旅行で温泉に行っている。母が……そろそろ帰るかもしれないな…」
「……じゃあ、もう服着た方がいいっスね……」
溜息をつきながら、リョーマが気怠げに身体を起こす。
その小さな白い背中を見つめていた手塚が、手を伸ばしてそっとリョーマの腕を掴んだ。
「ん……なに?」
「………いや…」
「………だって…もう帰って来るんでしょ?」
手塚に引き留められたような気がして、リョーマの心が切なく軋む。
だが、きっとタイムリミットが迫っているだろうと思い、リョーマは無理に手塚から目をそらしてあちこちに散らばった自分の服を探し始めた。
「アンタも服、着た方がいいんじゃない?」
リョーマをじっと見つめたままの手塚に、シャツを投げて寄こす。
「ああ…」
手塚はシャツに腕を通すとベッドから降りて簡単に身支度を終える。
「靴下が片方ないんスけど……変だな…」
「後で探しておいてやる」
裸足で帰るのやだな、と呟きながらリョーマが帰り支度を始める。
「…リョーマ」
「なに?」
手塚はリョーマにやわらかな眼差しを向けると、ゆっくちと立ち上がった。
「まだ少し時間がある。下でゆっくりしよう」
「……うん」
リョーマは頷くと手塚の後ろについて階段を下りていった。

「何か飲むか?」
「…ん…いいっス」
心なしか元気のないリョーマに、手塚は小さな溜息をついた。
「…ちょっと待っていろ」
そう言い残すと、手塚はキッチンで何やら動く。少しして戻ってきた手塚の手には、『ウサギリンゴ』の乗った皿があった。
「………マジ?」
「キャンプに行ったときに、教えてもらった」
リョーマはまじまじと皿の上のウサギを見つめる。
「…やるじゃん…」
「そうか?」
リョーマは先日、大石が言いかけたことを今になってやっと推測することが出来た。
きっとあの続きは「結構料理するの好きみたいなんだ」ではないだろうか、と思う。
じっとウサギを見つめたまま食べようとしないリョーマに苦笑すると、手塚はウサギの一つを手にとってリョーマの口元に持っていった。
リョーマは「なんか勿体ない…」と呟きながら、シャク、と小気味よい音を立てて一口頬張る。
「夕食のお礼だ」
「ムニエルのお返し?」
ウサギを受け取り、クスクス笑ってリョーマがそういうと、手塚はリョーマから少し目をそらして「それだけじゃない」と呟くように言う。
残りのリンゴをシャクシャク食べながらリョーマが「?」と首を傾げた。
「お前の手料理と、お前自身をいただいたからな」
「………っ!」
リョーマは火を噴きそうなほど一気に耳まで赤くすると、急いでリンゴを呑み込んでから叫んだ。
「お、親父クサイこと言うなよ!」
手塚はリョーマの反応が予想以上におもしろかったらしく、珍しく声を立てて笑った。
その笑顔に、沸騰していたリョーマの顔が、別の赤みを湛える。
急に静かになったリョーマを訝しく思って、手塚がリョーマの顔を真正面から見つめると、リョーマが呆けたようにあんぐり開けていた口を慌てて閉じた。
「…なんだ?」
「…………なんでもない」
「変なヤツだな」
「アンタもね」
照れ隠しにリョーマが言った台詞を手塚は「そうか?」と軽く受け流す。
初めて出逢ったとき、彼はこんな風に穏やかに微笑む人だったろうか、とリョーマは思い起こす。いや、微笑むどころか、誰にも心を開いて接していなかっただろうと思う。そしてきっと周りの人間たちも、萎縮して本心を見せてはこなかっただろう、と。
彼は確実に変わってきている。
それがリョーマとの出逢いに、そしてこの関係に起因しているとしたら、リョーマにとってこんなにも嬉しいことはない。
「……今度、このウサギの作り方、教えてよ」
「ああ」
ゆったりと流れる穏やかな時間。
激情に流されるままに、熱く、狂おしい時間を過ごすのも自分たちには必要だと思う。だが、こんな風に、他愛のない優しい時間もまた、自分たちの心を満たすものだと、リョーマは思う。
そしてそれは、手塚も同じように感じているらしかった。
「…時間が足りないな…」
「…そっスね…」
切なくて切なくて、二人はテーブルを挟んでそっと手をにぎりあった。
「だが、俺たちには、まだまだたくさんの時間がある」
「……うん、そっスよね」
母親が帰ってくるまでの、あと少ししかないこの時間も、この先二人が共に過ごすであろう時間を考えれば、きっと瞬きほどのものかもしれない。
それでも………
「ねえ」
握り合った手をたぐり寄せるようにしてリョーマが手塚の傍らに立つ。
「…ああ」
手塚がリョーマの腰を引き寄せ、言葉の代わりに口づけを交わす。
唇を触れ合わせるだけのバードキスから次第に深く、しっとりと舌を絡ませてゆく。
「甘いな…」
「さっきのリンゴ?それともオレ?」
クスッと笑ってリョーマの大きな瞳が手塚の瞳を覗き込む。
「確かめる」
そういってもう一度手塚が深く唇を重ねてくるのを受け入れながら、リョーマはぼんやりと考える。
自分たちには、これから先、長大な時間がある。
それは自分が自分でいる限り、そして、手塚が手塚である限り、きっと約束されたものであるのだろう。
だが、リョーマには、そんな先のことを考えている時間さえ惜しいほど、今、手塚と過ごすこの時間が愛しかった。
(恋愛に関しては、もうアンタしか見えていないんだ…)
そんな風に言ったら、手塚はどんな顔をするのだろう?
でも、その切り札は、今はまだ出さない、とリョーマは思う。
手塚もリョーマしか見えていないと、はっきり確信できたときに、そっと『共犯者』になろう、と…。
ゆっくりと唇を離して、見つめ合う。額を寄せて二人は目を閉じた。
「リンゴよりも、お前の方が甘かった」
囁くように手塚が言う。
「アンタに料理された後だからじゃないの?」
熱くなってしまいそうな身体に気付かれないように、リョーマが軽口を叩く。
手塚が何か言おうとしたその時、玄関からタイムリミットを告げるチャイムが聞こえた。
リョーマはバッグを担ぐと、手塚の母親に挨拶をして、入れ違いに外へ出る。
リョーマの火照った頬に当たる風は少し冷たかった。

バス停まで送るという手塚と共に、ゆったりした足取りで黙って二人は歩いてゆく。
誰もいないバス停が見えてくると、手塚がリョーマにそっと言葉を投げかける。
「また食べさせてくれ。今度はお前をメインディッシュにして欲しい」
「フルコースじゃなくていいの?」
「コースじゃなく、最初から最後までメインで、だ」
「なにそれ」
リョーマが思い切り吹き出して笑うと、手塚もつられて微笑む。
そして、ほんの一瞬瞳を絡ませると、ちょうどやって来たバスにリョーマは乗り込んだ。
「じゃあな」
「ういっス」
「朝練、遅れるなよ」
「ういっス、部長」
二人の間をドアが遮る。
手塚が軽く手を挙げて「気をつけろよ」と唇を動かす。
リョーマは頷くと、せわしなく発車した乗客のまばらなバスの中をよろけながら移動して、最後部の座席に座った。
ふと後ろを見ると、手塚がまだ立っていた。
そんなちょっとしたことに感動してしまうほど『恋愛している自分』に改めて気付く。
(最初から最後までメインディッシュって……オレをどうする気だよ…)
リョーマはちょっと想像して、耳まで真っ赤にして俯いた。
そんな自分がおかしくて、他の乗客に聞こえないようにこっそり笑う。
「オレも、ホントに、まだまだだね…」
熱いため息をついて、窓の外に目をやる。
遠い空に動かない星が煌めいていた。

END  
2002.4.25