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       「越前くん、明日ヒマ?」 
      土曜日の朝練のあとでニッコリと笑みを浮かべて不二が言った。 
      「え……まあ」 
      「よかった。じゃあ、これ、あげるから」 
      はい、と手渡されたのは映画の前売りチケット2枚。しかもそれはリョーマがちょっと興味を持っていた映画のものだった。 
      「いいんスか?」 
      「うん」 
      「でもなんで…?」 
      「ああ、それはね」 
      不二は溜息をつくとやはり笑顔のまま、しれっと言った。 
      「英二が別のがいいって言うから。勿体ないでしょ?、捨てちゃうのは」 
      「……そっスね」 
      菊丸が興味を示さない映画はこの人にとっては全て駄作なのだろう、とリョーマは悟った。そして安くはない金を払って買ったチケットも一瞬のうちに紙屑と化してしまうのだ。 
      「ありがとうゴザイマス」 
      リョーマはひきつりそうな顔を帽子の下に隠してきちんと頭を下げていった。 
      「手塚も明日はヒマだって言ってたよ。楽しいデートになるといいね」 
      「デ………っ!?」 
      今度こそリョーマの顔は完全にひきつった。しかも耳まで真っ赤になるオプション付きで。 
      (デート……) 
      そう言えばちゃんと『デート』という名目で手塚と出かけたことはなかった。休日に会う約束をしていても、それは『練習』という名目だったし、どちらかの家に行くことはあっても街へ繰り出すことはなかった。 
      (ヒマだって言っていたみたいだし……部活のあとで誘ってみよう) 
      朝、不二にチケットをもらった直後は始業時間が迫っているためドタバタとしていて手塚を捕まえることが出来なかったし、土曜の昼食は生徒会室で摂ることが多い会長様なので、昼に会いに行くのは抵抗があった。 
      当然、練習中には話しかけることもままならないわけで、必然的に誘うのは練習後になってしまう。 
      (なんか緊張する……) 
      何と言って手塚にこのチケットを渡そう、万が一にも受け取ってくれなかったらどうしよう…と、いろいろなことを頭の中でグルグルと考えていたリョーマは、しかし、握りしめたチケットに視線を移すと、嬉しそうに微笑んだ。 
      授業も昼食もいつも通りに済ませて、リョーマは同学年の三人組と部室へ向かう。 
      土曜の午後練はいつもの放課後練習よりも早めに出て準備をしなければならないのが一年生の役割である。リョーマもレギュラーだからとふんぞり返っているつもりはなく、一緒に準備をするつもりだった。 
      「あれ、手塚部長じゃない?」 
      「ええーっ?もう来てるのかよ〜?」 
      カチローと堀尾の会話を聞いて、後ろからついてきていたリョーマがふと顔を上げる。 
      すると堀尾がいきなり振り向き、リョーマも含めてみんなに「隠れろ!」と小さく叫んだ。 
      三人に混じって植木の影から部室の方を見ると、手塚は誰かと話をしているようだった。 
      「告白シーンかなぁ」 
      「部長モテモテだもんね!」 
      カチローとカツオがそんな言葉を交わす。 
      リョーマは訝しんでそっと手塚の方へ視線を流すと、確かに手塚は髪の長い女子と話をしていた。 
      「わかった、明日でいいか?」 
      凛とした手塚の声が聞こえた。 
      「よかった、ありがとう手塚くん、じゃあ、明日ね」 
      「ああ」 
      会話からして三年生らしい彼女は嬉しそうな顔をしながらリョーマたちの横を走り抜けていった。 
      「明日だって」 
      「明日するんだ」 
      「デート!」 
      わあぁっ、すげえ、とはしゃぐ同級生の横で、リョーマはポケットの中のチケットを握りしめた。 
      その後、手塚はまた生徒会室の方へ戻っていったらしく、練習開始の時間になっても姿を見せなかった。 
      「越前くん、もう手塚を誘った?」 
      練習の合間、不二がリョーマにそっと声をかけた。 
      「いえ、用があるみたいなんで…もういいっス」 
      「え?」 
      「次、オレなんで、失礼します」 
      リョーマは不二から逃げるようにコートに入っていく。 
      「なにやってんだか…」 
      不二が笑顔を消して呟いた。 
      練習が一旦小休止に入ったところで手塚が姿を現した。 
      「遅くなってすまない」 
      「お疲れ」 
      大石が前半の練習内容の報告を兼ねて手塚と話し始める。 
      その様子を横目で見ていたリョーマは、いきなり後ろからガバッと抱きつかれて前のめりになった。 
      「越前、どした?元気ねぇぞ!」 
      例によって桃城である。 
      「元気っス」 
      むっとした顔で答えるリョーマを見て、桃城がおもしろそうにニヤッと笑った。 
      「明日…部長『彼女とデート』なんだって?」 
      「へえ、そうなんスか」 
      オレには関係ない、とばかりに会話に乗ってこようとしないリョーマの頭を桃城はグシャグシャとかき回した。 
      「もーっ、なにするんスか!」 
      「おまえ、やっぱ可愛いぜ。なあ、明日デートしねぇ?」 
      「しないっス」 
      「つれねぇなぁ、…あのチケットどうすんだよ、捨てんの勿体ねえぜ?明日までなんだろ?」 
      リョーマはちょっと驚いて桃城を振り返る。桃城は少しまじめな顔になった。 
      「だから俺にしとけって言っただろ?」 
      「………」 
      リョーマの大きな瞳が一瞬揺らいだ。 
      「俺はおまえ一筋だぜ?」 
      「…桃先輩……」 
      リョーマが何か言おうとした、ちょうどその時、手塚がこちらに歩いてくるのがリョーマの視界に入った。 
      「間もなく練習を再開するぞ」 
      「ういーっス!」 
      「………」 
      じっと見上げてくるリョーマの視線が気になって、手塚はリョーマに「なんだ?」という顔をする。 
      「…別に………明日、頑張ってください」 
      そっぽを向きながらそう言い捨てると、リョーマは隣のコートに行こうとする。 
      「待て」 
      手塚がリョーマの腕を掴んで引き留めた。ちょっと意外そうな顔をしてリョーマが振り返る。 
      「明日?何を頑張れと…?」 
      「部長、明日彼女とデートするそうじゃないっスか!さすがモテモテっスよね〜」 
      桃城が横から口を挟んだ。言葉の割に目は笑っていない。 
      「彼女?」 
      手塚が仏頂面で聞き返したが、桃城は「練習練習」と言いながらコートの反対側へ歩いていってしまった。 
      リョーマの方に視線を戻すと大きな瞳とかち合った。 
      「…なんの話だ?」 
      「別に」 
      あくまでも自分からは言おうとしないリョーマに溜息をつくと、手塚は少しだけ恋人の顔になってリョーマに囁く。 
      「練習のあとで話がある。部室で待っていてくれ」 
      「……ういっス」 
      視線を外してさっさと隣のコートに向かうリョーマを見送りながらまた溜息をつくと、手塚は気持ちを切り替え、凛とした声で練習の再開を告げた。 
      
      練習が終わり、一人部室で手塚を待つリョーマの手には、不二からもらったチケットが握られていた。 
      (行きたかったな…) 
      溜息を一つついてチケットをズボンのポケットに押し込めると、ちょうど手塚が入ってきた。 
      「待たせたな」 
      「……」 
      「明日、予定は空いているか?」 
      「え…」 
      先ほどの話の続きかと思っていたリョーマは、手塚の意外な言葉に驚いて顔を上げた。 
      「たまには二人で出かけないか?……買いたい物もあるし…」 
      「だって、明日はあの人と……」 
      「あの人?」 
      一瞬『しまった』と思ったリョーマだが、意を決して手塚に向き直った。 
      「昼にここで会っていたでしょ?あの人が明日ね、って言ってた」 
      「…………なるほど」 
      やっと合点がいったというように手塚は溜息をついた。 
      「リョーマ」 
      いきなりファーストネームを呼ばれて、リョーマはドキッとした。 
      リョーマの思考回路はこのあとに続く手塚の言葉を、悪い方へとシミュレーションし始める。それはお互いに相思相愛だと判った直後、ちょっとしたすれ違いからこの部室で手塚から別れを切り出されたことがあったせいだ。その時はそれぞれの胸の内をさらけ出すことでより一層二人の心は結びついたのだが、今回は女子と話す手塚の姿を見てしまっている分、不安はリアルになる。 
      「すまない」 
      シミュレーションが最悪の方向へ動き出す。 
      「確認を怠った俺のミスだ」 
      「………………確認?…ミス?」 
      思考回路の軌道修正に時間がかかってちょっと返事に間が空いてしまった。そんなリョーマの『間』を手塚は自分への非難と受け取ったようだった。 
      仏頂面の手塚の顔に、微かに焦りの色が見える。 
      「だが、俺の鞄に昨日紛れ込んだらしい生徒会の書類を彼女に渡すだけだから…さほど時間はとらせずにすむはずだ」 
      手塚の言葉と様子から、リョ−マはだいたいのことを理解した。 
      どうやら自分が気にしていた点と、手塚が引け目を感じている点に、多少のズレが生じているらしい。 
      そのズレが、相手への信頼度のような気がして、リョーマは少し敗北感を感じた。 
      つまり、手塚は『休日にリョーマ以外の人間のために時間をとるハメになってしまった自分のミス』について引け目を感じ、リョ−マは『手塚が女の子と日曜日に会うこと』自体を気にしているのだ。 
      これは、手塚の方はリョーマに対して何も後ろめたいことがないのを示し、リョーマの方は手塚への信用が薄いことを示しているようにリョーマには感じとれてしまった。 
      「……何時にあの人と会うんスか?」 
      「おまえとの待ち合わせの前に寄るつもりだから…決めていない」 
      「ふーん」 
      リョーマがズボンのポケットからちょっとしわになりかけたチケットを取り出す。 
      「不二先輩がこれくれたんスけど、見ない?」 
      リョーマが上目遣いでちらりと手塚を見てからチケットを見せた。 
      「…ああ、一緒に見よう」 
      リョーマしか知らない優しげな手塚の表情を見てようやく、リョーマの顔にも輝きが戻った。 
      
      翌日、映画館の前で待ち合わせをすることになったリョーマは約束の時間よりも30分ほど早く到着してしまっていた。 
      遅刻の常習犯が30分も早く到着してしまうとは、自分でも驚いてしまう。 
      「越前?」 
      「え?…おはようゴザイマス」 
      確か自分は30分早くここに到着したはずなのに、もう手塚が向こうから歩いてくる。 
      「早いな、どうした?」 
      「それ、イヤミっスか?」 
      ふてくされて言い返したリョーマに、手塚が少し笑った気がした。 
      私服を着ているせいか、いつもの手塚より印象が柔らかい。ニット系のVネックのセーターに黒っぽいジャケットを羽織り、下にはブラックジーンズをはいている。さりげなくペンダントもつけているあたりが「気合い」の現れだろうか? 
      「そう言うの着るんだ…」 
      ちょっと珍しいものを見るように全身を観察されて、内心焦りながら手塚は中に入ろうと促す。 
      「あ、おチビ見〜ッけ!」 
      聞き慣れた声にギョッとして手塚とリョーマが振り返ると、そこには仲良し3年6組ペアがいた。 
      「やあ越前くん、と手塚。ちゃんと見に来れたんだね、よかったよ」 
      不二がニッコリとリョーマに微笑みかける。 
      「何でおまえたちがここにいるんだ?」 
      「あ、心配しないで。僕達はこっちだから」 
      不二が指さしたのは可愛らしい動物がたくさん出てくる、子猫の冒険物語の映画だった。 
      「……それっスか?、菊丸先輩が見たいヤツって………」 
      「うん、英二は動物が大好きだからね」 
      当の菊丸はすでに入口の方に行っていて「不二〜」と手招きしている。 
      今行くよ、と返事をしておいてから、不二はリョーマに一瞬ニコッと微笑みかけると、手塚に向き直って言った。 
      「危なかったね、手塚。越前くんがまた泣いたら、僕、どうしようかと思っちゃったよ」 
      「いらん世話だ」 
      その二人のやりとりを見ていたリョーマは、不二の笑っていない目を真正面から受け止められるのも、手塚のいつもに輪をかけた鋭い目を受け止められるのも、きっとお互いしかいないだろうと確信した。 
      「あ、始まっちゃうかな。じゃあね、越前くん、今日一日楽しんでね」 
      「不二先輩…」 
      「ん?」 
      「ありがとうゴザイマシタ」 
      ペコリと頭を下げたリョーマに一瞬驚いたような顔をした不二は、いつもは見せない自然な微笑みをリョーマに向けると菊丸の方へと歩いていった。 
      「…不二のヤツ……なぜ『今日ここに』俺と越前が来ると知っていたんだ?」 
      「え、だってこのチケット今日までなんじゃ…?」 
      「そんなことは書いていないが」 
      「でも、不二先輩が『明日ヒマ?』って聞いてきてこれくれたからてっきり……」 
      「謀られたな…」 
      額に手を当てて大きな溜息をつく手塚を初めて見た気がして、リョーマは何だか堪らなく可笑しくなった。 
      「早く行こうよ」 
      笑いながら促すリョーマに引っ張られるようにして、不二たちとは違う番号の入口へ二人は歩き出した。 
      
      「帰りは会わなかったっスね」 
      「ああ、そこまではいくら不二でもしないだろう」 
      映画のあと食事を済ませ、スポーツ用品店や本屋を回ったリョーマと手塚は、表通りから少し奥に入ったところにある小さな喫茶店でくつろいでいた。 
      「…すまないな、越前」 
      なにが?と顔を上げると、手塚が窓の外に目をやりながら呟くように口を開いた。 
      「あまり誰かと出かけたことがないんでな……退屈じゃないか?」 
      「全然」 
      「そうか」 
      ちょっと安心したように目を細める手塚の表情に、リョーマもふっと微笑む。 
      「早くアンタに追いつきたい…」 
      今度は手塚がリョーマの言葉の続きを待った。 
      「結局、アンタにはかなわないのかな…まだ…」 
      「テニスの話か」 
      「それだけじゃなくて」 
      リョーマは手塚の瞳を真っ直ぐに見つめる。 
      「アンタのこと好きすぎて……そんな風に落ち着いて構えてられないときがあるから…」 
      「………」 
      言ってしまってからリョーマはほんのりと頬を染めた。 
      「昨日、オレはヤキモチやいたんスよ…あの人に…」 
      「……?」 
      「女の子ってだけで、みんなに『デートだ』とか言われて…傍にいても絵になるし…」 
      手塚はほんの少し目を見開いた。 
      「もしかしたら女の子の方がいいんじゃないか、とか思っちゃうし……もうメチャクチャ」 
      頬杖をついて溜息をつくリョーマを、手塚は黙ったまま見つめていた。 
      「落ち着いて構えている、か…」 
      手塚も軽く溜息をつくと、微かに湯気を立てているカフェオレに視線を落とした。 
      「そうでもないぞ」 
      「……」 
      手塚の言わんとすることを何となく感じ取って、リョーマは少しだけいつもの生意気そうな顔に戻った。 
      「今日は家に誰かいるんスか?」 
      「…ああ」 
      「オレの家も親父がいるし…」 
      「……そう言うつもりで言ったわけではないんだが…」 
      リョーマの考えていることに気付いて、ちょっと困ったように手塚が言う。 
      「ふーん、………責任放棄?」 
      「バカなことを言うな…」 
      再び溜息をつきながら手塚はリョーマを見やった。 
      「明日の練習に差し支える」 
      リョーマに言いながら、手塚は自分にも制止をかける。 
      テニスのことに関わってくると手塚は引かないと言うことを思い出し、リョーマはそれ以上『その件』に関しては触れないことにした。 
      
      終わって欲しくない時間ほどあっという間に過ぎてゆく。 
      傾いてゆく夕陽を見ながら、リョーマは隣を歩く手塚と、もっともっと時間を共有したいと思った。 
      「ねえ、少しだけ、あそこ寄らないっスか?」 
      リョーマは、通りの反対側にぽつんと存在している小さな公園を見つけた。 
      子供用の遊具が少しだけ置いてある、小さな小さな公園だった。 
      あたりが暗くなり始めたせいか、公園には人の姿はない。 
      「ああ…」 
      手塚も頷き、二人は揃って公園に寄り道することにした。 
      「うわ……なんか出そうっスね、あのトイレ…」 
      「そうか?暗いだけだろう」 
      「…一緒に来てくんない?」 
      「怖いのか?」 
      リョーマは一瞬ムッとしたような顔をしたが、何も言わずに手塚の腕をぐいぐいと引っ張っていく。 
      「おい…」 
      トイレの中は意外に綺麗で、掃除もマメにしてあるようだった。 
      だが一番奥の個室の上にある蛍光灯が切れていて、奥は薄暗い。 
      リョーマは手塚の腕を掴んだままその奥にある個室へずんずん入ってゆく。 
      「なにを…」 
      「キスしてよ」 
      「越前っ」 
      個室に手塚を押し込めて自分も入り込み、後ろ手にガチャリと鍵をかけてからリョーマは手塚を見上げた。 
      「キス…だけでもいいから…」 
      薄暗がりで手塚にはあまりよく見えないが、リョーマが頬を染めているだろうことは、その声の頼りなさで伝わってくる。 
      私服のせいかいつもより幼く見えるリョーマに手を出すのはためらいがあった手塚だが、本当はリョーマに誘われるまでもなく、もっと触れ合いたいと思っていた。 
      「困ったヤツだ」 
      そう呟いてからそっとリョーマの顎に手を添え上を向かせる。誘うように薄く開かれた唇に吸い寄せられるように手塚は唇を重ねていった。 
      リョーマの手が必死にしがみついてくるのが愛しくて、手塚はその呼吸さえ奪い取るように深く舌を絡めて吸い上げる。 
      「リョーマ…」 
      唇の隙間から名前を呼ばれて、リョーマの身体がゾクリと震える。 
      手塚が唇を離そうとすると、リョーマはジャケットを掴んでいた手を手塚の首に回し、しっかりと離れないように抱きついた。 
      「おい…」 
      「まだっ…」 
      言いながらリョーマの方から唇を寄せる。 
      だんだん二人の息が熱くなってくるのを感じて、手塚は抑えが効かなくなってきた。 
      「だめだ…これ以上は…」 
      「触ってよ…もっと」 
      「………っ」 
      薄暗がりに目が慣れたせいか、リョーマの表情がうっすらと分かり、手塚は息をのんだ。 
      濡れた唇と妖しい光を放つ瞳が手塚の本能を引きずり出す。 
      手塚が口づけを落としながらリョーマの太股に手を這わせ始めた。 
                                       
       
      気怠い身体でトイレから出ると、外はもう真っ暗になっていた。 
      「……大丈夫か?」 
      手塚がリョーマを気遣って情事のあとと同じセリフを口にする。 
      「…明日の朝練、無理かもしれないっス」 
      「…………」 
      手塚の顔が一瞬ひきつる。それを横目で見てから、リョーマはクスッと笑った。 
      「冗談っスよ」 
      「年上をからかうな」 
      溜息混じりに手塚が呟く。 
      「ねえ」 
      リョーマが手塚を見上げる。 
      真っ直ぐな瞳が街灯を映し込んでキラキラと輝いていた。 
      「なんだ?」 
      「…大通りにでるまで、手、繋がない?」 
      「………ああ」 
      さすがに一瞬手塚はためらったが『大通りまで』とリョーマが条件を付けたので応じることにする。 
      「手、冷たいっスね」 
      「…おまえは熱いな」 
      そのまましばらくお互いに黙ったまま歩く。 
      大通りの交差点が近づいてくると、リョーマは手塚の手を握る力を強くする。 
      離れたくない、と。 
      二人きりの時間がこんなにも楽しく、こんなにも愛しく、こんなにも切ないものだと言うことを、リョーマは今日、初めて知ったのかもしれない。 
      目前に迫った交差点を見て、リョーマが手を離そうとする。 
      すると手塚がリョーマの手をギュッと握り返してきた。 
      見上げてくるリョーマに、交差点を見つめたまま手塚が語り始める。 
      「…俺は…俺たちは、まだ一人では何もできない。親や学校に守られて、その上で好き勝手なことをしているだけだ」 
      「………」 
      「だからいつか…」 
      手塚がゆっくりと、リョーマに視線を移す。 
      「自分自身で歩いていけるようになったときにも、隣におまえがいてくれたらと思う」 
      リョーマは大きな瞳をさらに見開いた。 
      手塚の真っ直ぐな熱い瞳を受け止めて、リョーマも同じくらい、いや、それ以上に強い瞳で見つめ返す。 
      「だからって、アンタは待っていてくれないんだよね」 
      「当然だ」 
      「全力で追いかけてこい、っスか」 
      「そうだ」 
      リョーマは挑むような瞳で手塚を見る。 
      「いいっスよ。ずっとアンタを追いかける。だからアンタも、簡単にオレに追い越されないようにしてよね」 
      「そのつもりだ」 
      甘いだけの馴れ合いのような恋愛を、二人は望んでいない。 
      それぞれが、それぞれの意志で上を目指し、自分を高めていく。そしてその険しい道のりを共に歩んでいく『同志』でありたいと切望する。 
      その想いを、今、二人は確認しあった。 
      「帰ろう」 
      「ういっス」 
      二人は繋いでいた手を離した。 
      だが互いへの想いはどこまでも、いつまでも、強く結ばれている。 
      二人は同じ高みを目指して、力強く歩き始めた。 
      
      END    
      2002.3.9  
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