日時 1980年2月16日 会場 大阪共済会館 司会 蒔田さくら子(以下敬称略) 批評 高安国世 岡部桂一郎 米満英男 宮崎信義 米田律子 小西久二郎 蒔田律子 和田周三 東淳子 原田昇 由良琢郎 石黒清介 永井陽子 井並敏光 藤原月彦 小中英之 高瀬一誌 出席者名簿 |
昭和54年7月10日発行 短歌新聞社 |
昭和55年5月20日発行 出版記念会の記録に費やした個人誌 |
「十弦」 『草食獣』 「らんぷ」(「十弦」の後に始めた個人誌。4号で終刊) 『私たちの「ファミリーヒストリー」~𠮷岡正文の五十回忌に寄せて~』 *非売品。徳島県立図書館に3部寄贈。残数冊あり。 |
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ステージの父の遺影のまつられてあるところまで行かねばならず |
全員ではありませんが、当日の写真を見ることができます。 → 続 私たちの「ファミリーヒストリー」 | |
発 言 | 内 容 |
蒔田さくら子(司会) | 司会を受け持たせていただく蒔田さくら子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。本日は皆様方、なにかとお忙し くいらっしゃいますところを吉岡生夫のためにお集まりくださいま
して本当にありがとうございました。私ども短歌人会がご当地でこ のような会合を持ちますのは今回が初めてでございまして、諸事ま ったく不案内でございましたが、おかげさまで現代歌人集会の諸先
輩ならびに地元の皆様方に大変あたたかいお力添えとお心つかいを 賜わることができました。また東京からは跋文をお書きくださいましした岡部先生と石黒短歌新聞社社長もご出席くださり、こうして無
事に開会のはこびとなりましたことは著者はもとより私ども心から感謝申し上げております。本当にありがとうございました。 それではこれから『草食獣』を語る会に入りたいと存じますが、 (中略)、最初に「塔」を主宰していらっしゃいます高安国世先生にまずお言葉を賜わりたいと存じます。よろしくお願いいたします (拍手) |
高安国世 | 私のような者が先に批評というようなものをしてしまいますと後の方がそれに遠慮されるといけないと思いますが、まずは一応 軽い意味でお話申し上げたいと思います。どうぞ後の方はご自由に 発言していただきたいと、お断わり申しておきます。 まず吉岡さんの歌集が短歌新聞社から出まして、今日、このような会が開かれましたことを著者のためにお喜び申し上げます。私は このところ何年間か出版記念会に出席いたしておりませんで、この 席に見えております方々に大変失礼していることが多かったと思いますが、今回、ず出席させていただきましたのは著者が非常に 若いということでありまして、若いということは未来があるということであります。この次には現代歌人集会の協賛、有志の協賛ということになりましたので責任上もまいった次第でございます。 吉岡さんとは初めてお目にかかったわけでありまして、この作品がどのような背景から生まれてきたのかというようなことも、つまり生活的背景を一切存じ上げませんので、かえって、それが率直な印象を得られたのかも知れません。と思いますので、少し感想を申し上げてご参考に供したいと思います。まず第一に感じましたことは、われわれの年代の者の歌の作り方とはずいぶん違うということですね。とにかく、われわれと申しますか、むしろ私自身といいますか、ずいぶん違った傾向の作品であると思うわけで、あまり批評らしい、的確な批評ができないんじゃないかと恐れています。つま り最近の方々の作風といいますか文体といいますか、そういうものが私どもの育ってきたところの、いわゆる短歌的なそれとはずいぶん違ってきたもんだな、というのが第一の印象です。作者がそういうことを意図しておられるのかどうかは伺わないとわかりませんけれども、率直な印象としてはそういうことで、一つは口語的な発想であり、口語的な文体と申しますか、そういうものが一つの特微になっているのじゃないかと思います。それと一つは先程も申しましたが、どれだけが作者の生活を、実際を歌ってらっしゃるのか、あるいは、いわゆるフィクションと申しますか、そういう作り方をなさっているのか、その辺のことが私にはよくわかりません。つまり他人のことのように自分を詠んでいらっしゃるのか、あるいは自分をそのまま詠んでおられるのが、こういうふうになっているのか、この辺のつまり作風と申しますか、そういうものを実際にはよく存じませんので、その辺が先程申しましたようにわれわれの時代とは違った作風になってきていると思います。また現代風であるような気がするわけです。そして、いわゆる短歌的な格調と申しますか、調子と申しますか、そういうも.のを意図して崩しておられるのか、自然に現代という雰囲気の中に、いわゆる文語的なかたくるしいような、短歌的なものが崩れてきているというか、なくなっているために、それが反映してこういう調子を生かされているのか、その辺のこともあとで皆さんにお聞きしたいような気がしております。非常に日常的なあたりまえの生活の歌を作っていらっしゃりながらですね。その中にときどきあらわれてくる不思議さというようなものを摑えていらっしゃるのが印衆的でありました。そういう歌を、私はおもしろいと思いました。それが時々はあまりにあたりまえに なりすぎて、つまり、常識的になる場合もなきにしもあらずと思い ますが、そういう日常的な、あたりまえの気張らない生き方といい ますか、生活態度というようなものがそのままあらわれているような気がするんですね。われわれのいわゆる昔風といいますか、一時代前の歌い方などのような気張った、いわゆる肩を張ったような歌い方をすれば、実は見えなくなってしまうようなかすかな不思議な境地というものを、そういう文体で、肩の張らない文体であらわしているのではないかと思うわけです。だいたい、文体というものは個性の表現とも申しますけれども、やはり一つには避けがたい時代 の影響と、時代の反映と申しますか、そしてそこにあるところの思想と申しますか、感じ方というものと密接にかかわって、そういう ものにかかわらないところのいわゆる人為的と申しますか、わざとらしい文体というものが本当の文体ではないんだろうと思いますが、そういう意味でこの歌集には一種の文体ができつつあると思いまし て、これはやはりある意味ではおしろい歌集になっていると思います。 私はおもしろいと思った作品を十ばかし引いて、さっき抜き書きしてきたのでありますけれど、あとからたくさんの方がお話になると思いまして、今はご遠慮申し上げようと思います。先程から申しましたことは、そういうものを実際に踏まえて申し上げれば、よく納得していただけたかと思いますが、著者にはまたあとでご質問でもありましたらば、こういう歌が私にはおもしろかったというようなこと、あるいはこういう点は説明的で常識的になる所以ではないか、というようなことは申し上げられるとは思いますけれど、あまりに時間をとりますので簡単にさしていただきました。とにかく現代歌人集会に昨年度末にお入りになりました。そういう意味でこの現代歌人集会にとっても、これから先、大いに活動していただきたいお一人ということを信じてお祝いの言葉に代えさせていただきたいと思います。どうも失礼しました。 (拍手) |
蒔田さくら子(司会) | どうもありがとうございました。大変ご丁寧にご批評いただきましてありがとうございました。それでは次に解説をお書きくださいました岡部桂一郎さまに、解説とはまた違った面から、何かお話いただければと存じます。よろしくお願いいたします (拍手) |
岡部桂一郎 | 岡部桂一郎といいます。ご縁がありまして後記のようなものを書かしていただきました。そのわけなんですけれど、この歌集ができる前から「短歌人」で作品を拝見していたんですけれど、非常にある不思議なものを感じたわけですね。それはまあ、きっかけだったところで、何か感想をという話がありまして、それで直面することになったんですけれども、一番最初に読んだときは非常に同感をしたわけですね。そして大きくいえば前にこんなのがいると邪魔になるというような一種の抵抗感ですね。それでもう一つは、これは励ますべきものではなく、いじめるべき歌人ではないかと、そういうふうな非常に冷たい感じをもっていたわけです。今でもやはり作者をできるだけいじめたいと、そんなふうに考えてるわけです。 後記の中にも少し触れていると思いますけれども、先程、高安さんがおっしゃったようにある不思議なものが私には感じられたわけなんです。非常に表現方法がただごと歌ですか、変哲もないような日常茶飯のこと、本当にしっかり本気で歌を作っているのかどうかさっぱり分らないと、そういうような一つの歌風をもっているわけです。これは意識的に作ったんじゃなくて、非常に素朴なところから無意識に出てるというように私は感じたものですから非常に敵愾心が起こったんですね。そして二度三度この歌集を読んでみますと、もう一回だけでいやになってしまうのが多いんですけれど、二度読めば二度のおもしろさがあり、三度読めば三度のおもしろさがあると、そういう一つのユニークな力、それもある暗い力を持っている。そこに私は不思議さというようなものがあると感じたわけです。で後記にも触れましたように、非常に弱い者、弱肉強食という言葉がありますけれど、強い者は弱い者を食ってしまうと、そして自分も弱い者だけれども弱い者を食う強い者に対して被害心をもち、そしてそれを撃てというような一つのパターンは、これはもう非常に目新しいことでもなんでもないわけなんですけれど、そうではなくて同じ弱い者が食われることについての弱い者を逆に冷笑し、そして憎むという非常に感情があります。私はそういう意味で、この歌集のもっているテーマというのは大変に文学的な要素と思うわけです。だから短歌というよりも、この作者はあるいは歌をやめてしまうんじゃないかと、ぼくはむしろ歌をやめさせていって、そしてむしろ散文の方に追いやってしまう方が何か踏ん切れる気がするし、生生した気がするわけなんですが、そういうような要素をもっています。 それから第二番目に下句ですね。わ れわれは非常に古い時代に育ったものですから下旬に力を入れるわけですね。下句を重くするわけです。ところがどの歌を読んでもですね。下旬は非常に軽いんですね。下旬は非常に軽いです。これはなんていいますか、今までの短歌の作り方がある意味で崩壊してきつつあると、そういうふうに感じます。たとえば「この夜を水は胃の腑におもたくて憎まれやすき性をもてりき」ですが、ふつうであれば下旬に非常に重みを感じさせるんですけれど、重みを感じさせないような作り方をしています。これはやはり自分自身を皮肉に眺めたり対象を突き放したり、非常にいじめる、いじめるということ、また非常に冷酷な突き放しの目をもってると、しかしこういうような姿をもちながらその裏側には非常に痛々しいような傷つきやすい心をもっているというふうに、非常に屈折した要素をたくさんもってるわけです。ここからある不思議なという感想を持つんですね。 それから、なんていいますか、その語り口にやはり地方的な要素というものが非常にありまして、これは実は、私が神戸生まれなもんですから非常にこの語り口が分るわけなんですね、体質的に。それはやはり大阪八景というような表現でいいますか、つまり大阪的な語り口、つまり現実に対する新しい肉体の対処の仕方、こういうようなものがたしかにここにあると思います。それから表現が非常に突き放したような格好を取ってありますけれども、これは体質からでてきたものだということですね、それからもう一つ、美であるとか、思想であるとか、そういうものが中心になって磨きをかけ、鉋をかけですね、そうした作品をたくさん読まされるわけですけれど、そういうようなものに対してうんざりするような感じをもっているときに、こういう一つの肉体から出てくる肉体にあった文体を持っているということ、そういうことがぼくは非常に珍しい。これはそういう意味で大変評価されるべき歌じゃないかと思います。 それで私の非常に好きな歌をあげますと「新聞をひろげてゐたる甥がふと空をみつめて放屁をしたり」ですが、これはまったくただごと歌ですね。これは本当にただごと歌なんですね。作品になっているかといいますと、作品になりそこねたわけなんですね。この歌は。しかし、ここには作者の原型があると思う。失敗作だけれど私は原型があると思う。それからこれは前にもよくあるんですけれど「うっすらと恥毛の生えてきしことを告げをり葡萄棚のベンチで」「水草のやうに恥毛が揺れてをり誰もとがめぬ池で泳げば」、こういうような若年の歌ですけれども、こういうところに非常に鬱屈した孤独な暗い力というものがあると思います。それからもう一つ「ストローをもてあそびをりいもうとはあっけらかんと処女にあらずと」、これなんか私なんかのやり方だと非常に下句を重くするわけですね。こういうあっけらかんとした表現が自然に短歌自身の崩壊にもつながっていくわけですけど、そういうことをいち早くこの体で感じ切ってるんじゃないかと、だから一生懸命美を磨くとか思想を磨くとかいうやり方とは逆方向にあるわけなんですね。この作者の生き方は。そういうところに私はむしろ非常に刺激を感じながら、ある種の敵愾心というものを持っているわけです。だから先程大いにいじめたいというのは、こういうのにあまり長く生きてもらったら困るという嫉妬感から申し上げるわけなんです。 陰毛だとか、それから、そういう御座敷にあまり出せないようなのがいっぱい出てきます。これはやはり、えげつなさといいますか、えげつなさというものがきわどく出てるのか、あるいは文芸としてそれが定着するのか、これはまだ私には未知数のところがありますけれども、これはもっとやってくれと、もっとやれというふうに、私はそういうふうに声援を送りたいと思います。 それから「音声のとぎれし夜の受像器にうつりてながき漫才師なり」、これはふつう、もっと格好のいい素材をいうのですけれども、漫才師という素材がここで定着してきている、ここにもある種の不思議な世界があります。これは作者が意識してないけれどある崩壊していくもの、何か崩壊していくもの、その崩壊していくものの暗さ、暗い力というものが私たちに衝撃として訴えてくる、そういうふうに感じました。 非常にとりとめがないんですけれども、このとりつく島もないよ な文体は、この中に隠されている非常に文学的な意味ですか、これを大変珍しいものに思います。それを評価していきたいと思うわけです。非常にいい歌作りが、この関西、大阪から生まれたということですね。この地区から生まれたということを私は大変うれしく思うわけです。非常にざっくばらん、ざっくばらんというより、とりとめのないことばかり申し上げました。また後程、機会がありましたらお答えということで、著者とやりあいたいと、そういうふうなつもりで今日は出てまいったんです。どうも失礼しました。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | 岡部先生、ありがとうございました。鋭く著者の特質をえぐっていただきまして、いよいよこれから皆様にもっと厳しいご批評をいただきたいと思いますが、次に、米満英男先生から、米満先生は「短歌世代」および「海馬」に属してらっしゃいますが、お願いいたします。 |
米満英男 | おめでとうございます。恒例に従いまして、まず誉めさせていただきたいと思います(笑)。先程、高安先生をはじめ、皆さん方おっしゃったように、率直にいって、第一印象はおもしろい。そのおもしろいというのを考えてみたんですけれど、いわゆる、単に興味があるとか、”interest”ていうんですかね、そういうおもしろさじゃなくて、もっと語源的な、つまり文字どおり「面白し」というやつです。天の岩戸じゃないですけどね、つまり、一つぱっと広げたときにある新しいものを見た感動性、しかもそれが異様なね、例の真暗な中からその得体の知れない女神様があらわれるというような、そういう驚きがあるんじゃないか。しかもそれが本来的に詩の原型というか、いわゆる原始形態としてのね、そういう、つまり現代という時代は吉本隆明ではないですけど、装飾化していると、修辞的現代ということ、最近の文章で書いていたと思うんですけれど、いわゆる現代の詩というのは修辞的な詩だと、それはやはり短歌にも言えるんじゃないかと、そういった中でそういう修辞性というものを除いて異様な生身の状態で出しておられる。それがたとえば言葉の上からいえば、やれ放屁だとか恥毛だとかいうようなことになってくるんでしょうけど、そういった言葉じゃなくて、もっと詩そのものがそういう原形質を持っている。従いまして言い方を変えれば非常に純粋形態、詩の純粋形態があるんじゃないかと。いわゆる純粋詩の根っこのようなものを持っているんじゃないかと、そう思いました。 それからもう一つ、岡部さんが跋にも書いておられたんですが、無防備な詩だと、私は同じ言葉なんですが、いわゆる、文字どおりこれはナンセンスだと、ナンセンスなんていうのは悪い意味じゃなくて、つまり無意味という意味ですね、これもやはり現代の、先程岡部さんがおっしゃったんですが、現代の短歌というのはあまりにも意味がありすぎるんじゃないかと、そういう、しかもその意味というのがいかにもしたり顔のね、何か少し悟ったような意味が、何といいますか、詩からはなれた意味が多い。その中で、もっとも意味のないすべてを打ち消すことによって新しい意味作りをしておられる。これは非常に珍しいだろうし、特にお若い方の歌集としては異色のもんでもある。 それともう一つなんですが、やはり書かれている内容そのものに語らせようとしている。つまり変に思想だとか、もちろんイデオロギーなんてのは出てこないんですが、そういうイズムとかいうようなものでなくて、生身の体でぶっつけてですね、あえて申せば、ほとんど肉声に近い形で言っておられる。それがやはりわれわれの共感というか、変に詩的興味を擽ってくれるんじゃないかと、そう思います。 それから悪いところというと何ですが、やっぱりこれは付足で多少申し上げないといけないと思うんであえて申しますが、先程から文体だとか内容で触れましたように非常に新しいものをお持ちなんだから、いっそのこと、そういう文体自体、あるいは発想自体をもっと定型短歌から突き破ってどんどん外に出ていかれたらいいのではないか。私は一番異様に感じたのは「どの」だとか「いた」なんていう口語がいっぱい出てくるんですが、たとえば「いた」なんていうのは旧仮名の「ゐ」なんですね。それはやっぱり「いた」という限りは当然これは新仮名で書くべきだし、まして小便小僧がですね、「せうべん小僧」ですね(笑)、これはいただけないんじゃないかなあ、と思うのです。どうしてわざわざ旧仮名でね、また、お年を見ましたら、けっして旧仮名世代でなくて、新仮名で、おそらく新制中学というか小学校のときから新仮名で育っておられた方が、なぜ、あえて、われわれ老人と違って、われわれでしたら「せうべ」でもね、「べうべう」でも「てふてふ」でもいいんですけどね(笑)、それも内容的に古典短歌と、今どきはやりの古典短歌といえば差支あるんですが、若い方が古典短歌をお作りになって、それで「せうべん」とか「べうべう」だったらいいんですけどね、ああいう新しい歌をお作りになるのにどうして旧仮名でお書きになるのか。それは文体でもいえると思うのです。こちらに「新短歌」の宮崎さんがいらっしゃって何ですが、あえて定型短歌にこだわる必要がないんだと。それから内容もやはり「父の死」だとか「ストリップ劇場」なんか読みますと、非常に俗というか、日常的な抒情とか論理がいっぱいあるわけなんです。十首に一首がキラッと光ってるんですがね、正直いってこれなら別にこういう文体で作らなくてもいいんじゃないかなという、つまりあまりにも、ナンセンスじゃなくて文字どおり無意味な歌があるんじゃないかと、そう思いました。 それからもう一つ、最後なんですが、題が『草食獣』ということで、私、今日初めて吉岡さんにお目にかかったんですが、実はこの歌から拝見した、私のお目にかかる以前の、自分で勝手に想定したイメージは、吉岡さんて、この歌集からね、もっと小生意気でね、狷介でね、煮ても焼いても食えんね、そういう方だろうと、実は楽しみにしてきました(笑)。実はそうでなくて、お見かけしたところ、大変真面目な、真面目そうな、わかりませんけどね(笑)、真面目そうな青年で、文字どおり、これは草食獣だなと、草食獣というね、やさしさとか、そらこの歌集にやさしさとか、かしこさていうんですかね、著者はこれをくやしさというように言っておられるんですが、ぼくはもっとね、肉食獣的なね、猛猛しさというですかね、もう、ともかく傍若無人なね、そういうものが、これだけの文体を、あるいはこれからね、先程、岡部さんもおっしゃったように、これからの歌人としては、あえて、そういう、もっと、先程もいったように狷介で猛猛しくて、どうしようもない、そういうものであっていいんじゃないかと。草食獣という発想が、題名というも のが逆接的な意味でなければね、文字通り、これは背定的な意味で はどうしようもない。 それからもう一つ、歌をね、何かこうしきりに閉しようとなさっているんですね。円環の形で。そういうことをやっている連中は、もう足るほどいるんですからね。あえて閉じなくて、もし閉じるのなら閉じるで結構なんですがね、閉じたあと、やっぱり必ずそこに一ヶ所、切れ目を作っておかないと。ともかく、どの歌も閉じよう閉じようとなさっている。それは吉岡さんの持ってらっしゃるものとね、非常に矛盾してくるんじゃないかと。もっと、そういうところにエネルギーを使うよりも歌本来の、いわゆるデモーニッシュなね、そういうものを、こう、大事になさっていった方が、いいんじゃないかな、といろいろ思いました。予定の時間がきました。まことに勝手なことで失礼しました。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。つづきまして「新短歌」を主宰なさっている宮崎信義先生にお願いいたします。 |
宮崎信義 | おめでとうございます。宮崎でございます。先程からいろいろ、お三人の方のお話を承りまして、私の申し上げたいことと申しますと、ほとんど同じようなことではないかと思いますが。(中略)。私は吉岡さんの作品を拝見いたしまして、さっきから装飾性とかいろいろ、いわゆる前衛歌人の多くの方々がおやりになっておられます、さっきの装飾性といいますか、悪くいえば甘さ、感傷性と申しますか、そういうものがこの作者にはあまりない。無雑作にざっくばらんに出しておられる。タイプからいえば、これは古い言葉かもわかりませんが、わが思いを抒べるというようなタイプの方じゃないかと思いました。それについては、いろいろ異議があるとかないとかお話がでましたが、要するに、こういった方々の時代の、これから出てくるであろう一つの傾向じゃないかと、こういうような感じで私は受けております。 具体的に申し上げますと、今までにお話になっとったんで、私は作品を上げさせていただきたいと思います。この作品でこの一冊を代表すると見ていいと思うのが「ストーブを囲みてわれもひとも吐くマスコミがつくりあげし世論を」「鷹の目とわれら畏れし壮年のおもかげもなき伯父となりしよ」「頸のみをうつして足れりネクタイを朝ごと締める柱の鏡」じゃないかと思います。こういったところに、この方の、私も今日初めてお目にかかって、横から見ておりまして、なるほど、米満さんがおっしゃった草食獣と申しますか、こっちへ来るときに地下鉄で見ておったんですが、鈍牛宰相、こういうような週刊ポストの広告が出ておりました。これによく似ておられるなと、実は、こんな気持で横から眺めておったんですが、そういったところに私は特質があるのではないかという気がいたしております。これからどういう形で進まれるか、ということが、私はむしろ一つの問題じゃないかと、ここまでといいますか、ここまで無雑作に打ち出せる方が、これからどんな行き方をされるのかなと、ということが、私はむしろ興味というよりも心配をもって見とるんですが、横から見ておりますと、これはそういうことに耐えていかれる方じゃないか、という気がいたしております。これは私、人相学をやったわけではございませんが(笑)、何かそんな感じで頼もしさを感しております。 まだ、具体的には作品を三十ばかり、実は、メモしてきたんですが、(中略)、お許しをいただければ歌を読み上げますが……。 |
蒔田さくら子(司会) | どうそ。お読みいただいて。 |
宮崎信義 | それではお言葉に甘えまして、今申し上げた歌を読み上げます。 壇上で叫ぶすがしき声ならず女子学生と棲む友のアパート こういうのにやはり私などついていけんような世界がある。あるいは高安先生などは学校などでそういう風景を見ておられるかも知れませんが、私などにはまったく違った世界でございます。 枕辺にたばこを吸へりかたはらのこのひとどこか姉と似てゐる 何でもないような歌でございますが、私はやはり人間関係と申しますか、そういうところと自分の血族関係、そういったものがうまくマッチして一つの歌になっていると、こういうような感じがいたします。 無人かとみてゐしくるまエンジンをふかせて夜の街にきえたり これは岡部さんも採っておられますが、私自身、いい歌だと思います。こういうのが私などには残念ながら、思いながら、ついていけない。こういうような気持で拝見していて実に淀みなく、淀みがないから軽いとは考えませんが、歌っておられます。 肩ごしに一面識もなき顔がちかづきわれは火を借してやる 冷徹なまなざしなりき踊り子に迫る照明を受け持つアロハ これも先と同じような意味でございます。 どうにでもなれと屋台のラーメンの湯気よ涙がでるではないか これはまったく自由律とでも申しますか、私はあまり形式とかにこだわりませんので、これもええ歌だと思います。 おもしろいことなどないか教室の窓より放つ紙の飛行機 風にのる紙飛行機よ歓声よいま校庭にサッカーの群 おきあがり髪のみだれをととのふるときの勝者のごときまなざし これもいいと思います。 をどりこのほとのうへより声はして「おまへいくつ」とたづねら れたる こういうのを二十才の方がお作りになるというのは、私、いろんな意味で驚きでございます。この歌もいいと思います。 美しいただそれだけでゆるされるひとなり誰を愛してゐても これなんか私、実はうらやましい気持で読みました。なるほど、こういうところが私なんかの、さっき米満さんが老人だとおっしゃいましたので、米満さんが老人だとすると、私は一体何になるんだろうかというようなことを思いながら聞いておったんですが、大変、私はこういう歌、なんともいえんなあ、という気持で読んでおります。 食卓を走るュキブリ打ち据ゑむ天下国家の記事をまるめて これも皮肉といいますか、そういうようなものを混ぜまして、お若いのに立派な、立派なといいますと重さを感じますが、そういうのじゃなしに、いい歌だと思います。 蒸発のをとこならずや新聞紙ひろげてみえぬその上半身 サングラスかけし男の目がみえずしかもくまなくわれはみらるる 電車あるいは道を歩いていて実にこういう風景に出会うものですが、うまく把えておられます。案外、こういったところに軽いようで現代の人間の生活と申しますか、そういうものが出てるんじゃないかと、もし、こういうのが軽いとすれば今の生活というのは一体どうなんだ、ということを私は感じます。結局、こういうような歌が出てきて初めて今の若い人の歌だと、逆にそういうことを感じます。それからさっき申しました「ストーブを」「鷹の目と」「頸のみを」、こういったものでございます。 最後に私の注文と申しますか、先程から皆さんおっしゃっておりますが、私は自分の考えから外へ出ることができないわけです。そういう点からも申しますと、やはり、あまりいろいろなことを考えんとですね、自分の思うことをどしどしやっていただきたい。こういう気持でございます。特に若い間、といいますと語幣がありますが、人さんのことが気になる。そういうことを作者は気にせず、これからも自分の思うようにおゆきになることを、初めてお目にかかりましたが、切にお願いをして、お祝いの言葉とさせていただきます。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。つづきまして「未来」に所属なさっておられます米田律子様にお願いいたします。 |
米田律子 | 本日はおめでとうございます。米田でございます。(中略)。適切な批評ということは、もう先程から皆様方、それぞれにいいご批評をなさいましたので私はそういうことには触れませんで、感想というほどのことをちょっと申し上げたいと思います。(中略)。一言で申しまして、この歌集は不思議を語っているという、そういう感じがいたしました。そしてその語り口といいますものが大変やわらかい。終始、二度三度読み返しましたけれども、結局のところ、大変やわらかい手ざわりで語られているというのが私の印象でございました。お父さまの殉職というふうな大変な人生の一つの折目というものに係りましても本当にやわらかい語り口でおっしゃっている。それから激烈な怒りとか、あられもない悲愁とか、そういうものから大変遠ざかったところでいて、それでいて、それじゃ、おっしゃっていることがすべてただごと歌かというと、そうではないと思うのです。この中にときどき、きらっ、と閃くような不穏な企みといいますか、偶然の人のようにやってくる殺意というか、そういうものがちらっと見えたり、また大変皮肉な目でものをおっしゃってる。そういうところあるのですけども、そういうものも含めまして、どれも大変やわらかいタッチでおっしゃってる。そういうことが大変特色的なことだと思いました。私もちょうどこの方と同じ位の子供がおりまして、こういう子供の世界のことをちょっと比較して考えてみますと、文学的な意味というようなことを、先程どなたかちょっとおっしゃったと思うのですけども、語り終えたことが一つの意味であって、何を語っているかというふうなことを、あえてご自分でも、それから他からの評価としても欲してはいらっしゃらないというような気が私はいたします。これは私の勝手な感想でございますけれども、そういうふうな意味といいますか、価値というか、そういうものをけっして欲しがらない世代というか、語り終えたことがすなわち意味であって、特に権威の側からの意味を付与してほしいとか欲しがるとか、そういうことが全然ないというところが、この世代といいますか、まあ今後どのように状勢が動いてまいりますか分りませんけれども、特色ではないかと、そんなふうな感想を持ちました。そして、さいごまでやわらかいタッチで、ときどききらっとしたものを見せながら、それもけっして激烈なものにはならないで、しかも語り終えてあっけらかんとしていらっしゃるような感じがいたしました。 ただ、しかしものを書くということは意味がなくては結局はかなわぬことだと、私は思いますので、今後、これがどのような意味合がこの方の歌の上に付け加わっていくかということを、私はやはり少し意地悪な目でながく見ていきたいと思っております。 歌は、少年期の歌が私は大変好きでございまして、ここに少し印をつけておりますけれども、どの歌も少し手の内が見えそうな、少しその手前で留っているところが何か一つの魅力であったと思います。 大変とりとめのないことを申し上げましたが、歌の例をあげますとよろしうございますんですけれども、また後ほどにでもあげさせていただこうと思います。失礼いたしました。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。ではつづきまして「好日」に所属していらっしゃいます小西久二郎先生にお願いいたします。 |
小西久二郎 | 吉岡さん、どうも本日はおめでとうございます。(中略)、つい歌集を貸してしまいまして、(中略)、従いまして「短歌年鑑」の中のベスト歌集ということで調べておりましたところ十首出ておりまして、ちょうど上の段が吉岡さんの歌集で下の段が春日真木子さんの『火中蓮』で共に昨年の七月十日に石黒社長のところの短歌新聞社から出ておりまして、たまたま、これが同じ日に出てるということなんです。 それで十首だけでものをいうのは非常に危険なことかも分らんですが、例えば先程、宮崎先生が上げておられました「無人かとみてゐしくるまエンジンをふかせて夜の街にきえたり」あるいはまた「おもしろきことなどないか教室の窓より放つ紙の飛行機」それから「梯子車のはしごがのびてゆくまでをみてをりひとら口あけながら」それから「なにとなく空みてをればゆきかへるひとらも空をみあげて通る」、こういうふうな、といいますか、何でもないような一つの事象あるいは情景を歌にされて、悪い言葉でいえば人を馬鹿にしたようなところがあるのですが、しかしそれをただ単に人を馬鹿にしてるといって捨て切れないもの、そういったものが読んだあと、やはりあるんじゃないかと思いました。作者の一つの作歌過程といいますか、歌を作られる上において最初から作意とか意図のようなものはなくて、作って出来あがった上で何かが出てくるんじゃないかな、ということを感じました。例えば著者の孤独感とか寂蓼感、あるいはまた人間の哀感といいますか、そういうようなもの、あるいはまたそれが多分に風刺的といいますか、そういうような効果というものを上げているのではないかという感じを受けました。 そのほか「はじめてのくちづけをへてあふぐときどこかでいつかみた空がある」、そのほか「さまざまな土鈴をならせばさまざまにこころふるへてゐる夕べなり」それから先程もあげておられましたが「食卓を走るゴキブリ打ち据ゑむ天下国家の記事をまるめて」というような歌がベスト歌集の十首の中に出てるわけなんですが、非常に、若い作者が醒めた境地といいますか、溺れないで、非情で歌っているという、これはなかなかむつかしいことじゃないかと思うんですが、その点が非常に心を惹かれたようなわけなんです。単に十首だけの断片的な感想といいますか、そういうことでピントが非常に外れているんじゃないかと思うんですが、欲を言いますと少し淡泊といいますか、それから機知的なところがありまして、少し軽いような歌もあるんじゃないかという気がいたしました。 たまたま昨年終刊になりました同人雑誌の「十弦」の中で、同じ「短歌人」の小池さんが著者の歌集につきまして、作者の本領は見ることに尽きると、何を何のためにといったものでないのが特徴だと言っておられるのですが、先程も申しましたように、最初からわれわれですと何を歌うかということを考えるのですが、そういうことじゃないのが非常に特質じゃないかという感じを受けました。 非常に若い著者の出現を喜んでおります。そのためには「短歌人」自体の一つの風土といいますか、そういうものの影響が非常にあるんじゃないかと思います。自分のところの結社のことを申し上げると恥をさらすようなことなんですが、まだ五十代ですと若い方でして、六十から七十と、しかも女性の方が七割から八割といったぐあいで、毎月四十人から五十人の孫の歌とか厨の歌ばかり見ていますと(笑)、自分までが老人になっていくような気がしまして、これじゃいけないと、一つ若い人の感化を大いに受けたいというわけで出て来たようなわけなんですが、これからがやはり、一つの正念場といいますか、そういうものになるんじゃないかというふうに思いました。そのための、やはり一つの覚悟というものが著者には必要なのではないか、というふうな感じを受けました。どうも簡単ですが終わりにさせていただきます。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。ではつぎに「長風」に所属していらっしゃいます蒔田律子様にお願いいたします。 |
蒔田律子 | 吉岡さん、おめでとうございます。(中略)。それで一番初めにもらったときに見た印象というのは、不思議だなあという感じで、やっぱり心は惹かれました。私の場合は師匠からどんどん落ち込んで落ちながら暗く輝いて、そこから先を把め、というような形の削ぎ方を要求されたというか、そういうやり方をしてまいりましたので、吉岡さんの作品というのはちょっと分らない。わからないモヤモヤとしてよく分らなかった、というのが一番最初の印象でした。それでもう一度この間、昨日の晩もちょっと見たんですが、なんでもないことを、たとえばペープサートのように、ペープサートというのは一本の木を中心にしまして裏表を紙で貼ってありまして、ひっくり返るときに右向いたり左向いたりできるわけですね、同じ絵が書いて貼ってありますから、チラッという感じでヒラヒラヒラ、そういう感じで、人形劇のときは立体の人形が動くわけで、丸みとかがあるんですけれど、吉岡さんの場合はペープサートのような不思議なピラピラとしたような、そんなイメージがありました。一冊読んだときに何が残ったかというと、残らない。何一つとして残らない。だけれども残った。夜中に思い出したことは、火事の歌の歌と、デモの歌と、お父さまの殉職ですか、その三つのパターンが残りました。私は専攻が幼児教育の方なんですけれど、火事の美しさと梯子がどんどん延びていく、そういう形というのは一種の、梯子の場合は逃避の形、逃げたいという形、それから火事の場合は焦燥とか不安とか、子供の場合はそういうふうな形の分析の方法というんでしょうか、そういうふうに勉強したんですけれども、吉岡さんのは、今は青年だけれども、歌集の中では少年期から入っていて、そのときのイメージというのは児童心理に近い形の陰影というんでしょうか、そういう形のきれいさが出ていると思いました。それから恥毛とか、いろんなこと出ておりましたけれども非常にいやらしくない、エロスがないということ。これは意識されたんじゃなくて、やはり皆さんがおっしゃったように体質だとかキャラクターとかから来ている。それは書くときには問題もって自分で書くんですけれども、出来たときに人に押しつけがましくない、人に押しつけて、こうだ、こうだというふうなことを言わないということ、非常にいさぎよい若さというふうなものを感じました。 それからデモのところで私の感じたのは、この白けた、これは白けたっていうんじゃないと思うんですけれど、私がデモという印象を受けたとき、安保闘争、年が分りますけれど、安保闘争のときのことを思い出しまして、たとえば参加しなかった者も非常に傷ついた、われわれは参加していないけれども、一緒に傷ついている、戦うというのは変なんですけれど、一緒に血を流したというふうな記憶がちらっとあって、樺美智子さんが死んだりしましたけれど、そして非常に自分のことのように、よくわからないんだけれども、青年達が非常に盛り上がって日本の国を憂い、おかしいですけれどもそういう若さの息吹のようなの、そのデモの印象を非常に持っておりますので、吉岡さんのとは十年程違うのでしょうけれど、そういう傷つかないデモの形というのはどうなんだろう、そういうふうに白けた目というか、あんたはあんた、私は私という形。デモする者はしなさい、私はここで新聞でも読んでますというふうな形。これはまあ非常に一つは残念な気がいたしました。けれど、デモというのは、やってる者の方がおもしろいのであって、見ている者は案外つまらないんですけれど、ただそのときの安保のときのデモの傷つき方っていうのは、闘争しなかった者も傷ついて血を流したっていうふうなところ、それは吉岡さんには、そういうこともあったということを知って欲しかったな、と思いました。 それから、お父さまの殉職されたその形は夭折ということ。幼いときに亡くなるということに詩人というのはあこがれる時期があるんですけれど、そういう裏の形、殉職するということを非常に輝いて書いている。もちろん、悲しみがあるわけなんですけれど、作品の中で、非常に殉職を夭折と同じようなきらめきをもって書いているわけです。そこを重たくしなかったということは、やはり特性じゃないか。そういうふうに思いました。それから感覚的にサ、サ、サと切らないところが、また一つの特性でして、その中で、私は一つだけ感覚だけで処理したなと、これは私が勝手に思ってるんですけれど「忘却の河をながれぬ一本の針をてにのせみてゐる夕べ」、この一首が、私は非常に好きでした。いろいろ好きで、おもしろい、くすくす笑ったり、一人でかなり楽しんだんですけれど、これは非常に、やっぱり傷ついてるな、と。お父さまのことから関連したのか、それとも編集のときにこれを、ここに入れて効果を盛り上げたのか、その辺はよく分らないんですけれども、吉岡さんとは初めてですし、分らないんですけれど、この一首が非常に傷ついてるな、と思いました。できれば今後、楽しくおもしろいところから一歩出た、つぎの歌集は、ここから始まって欲しいな、と思います。これは私の好みなもので、いいか悪いかは知らないですけれども、おもしろくなってしまうと、お話になりやすいんじゃないかな。おもしろくてもお話にならないのもあるのかも知れませんけれども、そういうふうに思いました。 これは非常に人を傷つけないということが、この歌集の、皆さんに受け入れられる要素を多く持っていると思いました。そして歌壇的に、これが認められていくかどうかですが、それは認めさせていくかどうか、そこのところが鍵であって、認められていくかどうかというよりも、とにかく進んでそこからエネルギーで自分を放出して、認めさせていくかどうか、そこら辺のところが、若手、新人として、今後花開くかどうかの貴重な瀬戸際だと思います。うまく言えないんですけれど、歌集中、おもしろいなと思ったり、心惹かれた歌はたくさんございます。でも先の「忘却の」の歌が一番好きでした。感想みたいなことで、どうも申し訳ございません。今日は本当におめでとうございました。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。では次に「ポトナム」所属の和田周三先生にお願いいたします。 |
和田周三 | おめでとうございます。(中略)。今だにもう一つ批評できるほど、確固たる見解がまとまってこないのです。実は下調べの十分でない生徒のごとき心情をもってここに立っておるわけであります。先程から皆さんのお話を聞いておりましても、そうかいなと思うところがあり、おかしなことを言いよると思うところもあったりいたしまして、どうも私独自の見解が定まらないんです。先程ちょっと、若い人の歌集には拒否反応をもたらすのと、そうでないのとがあると申しましたけれど、この歌集はですね、拒否反応じゃないんですね。割合に受け入れられる側なんですけれども、まとまらない。非常にそこのところがむつかしいわけです。それを、はっきり見解が定まらんうちに出てきたというのは、一つには現代歌人集会のメンバーの一人であるとか、あるいは高瀬さんが石黒さんと一緒に行くから出て欲しいというような添え書きがありましたり、私、忙しいのでつい東京へごぶさたしておって、久し振りに石黒さんに逢いたいというふうな、えらい付随的な理由で出て来て申し訳ないんですが……。この吉岡さんの歌集の、今、まとまらないままの感想を申しますと、比較的、若い人の中では私の方に理解ができる歌集じゃないか、というふうに思うわけなんです。それはどういうところかと申しますと、いろいろ若い人の歌集といってもバラエティーがありまして、一口には言えないわけなんですけれども、いわゆるヨーロッパの象徴詩系統のイメージによる表現というふうなものに傾いていったものは、どうも、もう一つなじめない。そうかといって非常に、一種の甘ったれたセンチメンタリズムというようなものに傾いてしまって、現実社会の何程のものの反映もないし、その中における体験の切実さをない、というような歌にはついていけない。で、これは単に年令の問題でなしに、教養の問題だということを言って突き放してしまったりするわけなんですけれども、この吉岡さんの歌集の、私がなじめるのはですね、非常に日常的な、即物的という言葉はピッタリしないんですけれども、日常的な面で非常に密着している、にもかかわらずですね、日常をはるかに越えているということですね、そこのところが非常に共感を呼ぶわけであります。しかもその越え方が一種の批判精神といいますか、あるいはまた物事の背後にあるものを見抜くというか、あるいはもう少し文学的な世界に近づけていいますと、想像力ですね、イメージの方の、想像力が非常に豊かな作者であるというようなことを感じさせるところが多いわけなんです。 先程からも、どなたかおっしゃいましたけれども、新聞を読んでる男を見て蒸発した男じゃないかと、そういうこと感じる、あるいはこれは常識といえば常識かもわからんけれども風呂の中につかっておって、自分の首がどうだこうだと、ああいう日常の中からですね、非常に人間の世界、あるいは生命の根源に降り立ったようなイメージが浮んでくる。やはり、これは本来的な詩人の持っているものじゃないかと思うんですね。そういうようなものがビビッドに把えられ表現されておる。そしてそれが決して重大さとか非常にこう、しゃちこばったような、われこそはと、これでもか、これでもかという表現じゃなくて、非常に空惚けたユーモラスな表現が行われておる。これもただごとではないんじゃないかと思いますね。つまり、このユーモアというものは裏返しをすれば非常な苦渋、苦しみの中から生まれてくるということがしばしばあるわけです。本格的な文学におけるユーモアというのは、その背後に作者の並並ならぬ苦しみがあるという場合が非常に多いわけです。もっとも、時代社会の諸条件の中で非常に閉された社会の場合はユーモアでなければ表現できないというような事情もあったわけでして、今日、決して過去のどの時代に比べてもですね、閉されてはいない。もちろん、閉されている部分はたくさんありますけれども、比較の問題でして。こういうふうな比較的開かれた時代においてユーモアをもって文学を作ると、ここのところにですね、つまり作者の主体の中にある非常に激しい苦しみみたいなものを私は感じるわけで、そこのところをですね、やはり注目していくべきではないかと思うのです。 たとえば初めの方にあります、お父さんの死。しかもそれが警官であって学友達の、いわば怨嗟の的になる。敵であり、犬であると罵られる。そういうふうなのが淡淡と語られている。むしろユーモラスに語られている。これは、まあ、凡凡たる人間のなし得ない表現じゃないかというふうに私は思うわけですね。そういうふうなところに、やはり私の共感の根源があるんじゃないかな、というようなことを感しました。 こういうような作風が、今後のお若い著者にとってですね、どんなふうに展開させるか、あるいは成長させるか、というふうなことが非常に問題になって、作者自身も苦しんでおられるのではないかと思うんですね。私の専門の分野が文学史的な面に属しておる関係で、常にこの作品は後に残るだろうかと、もちろん、ジャーナリズムの操作で残るものも残らんものも出るということがありうるわけでありますけれども、これは後世に残る、これは泡のように消える、これは装飾的なものだからあかんとか、今の私共が見てる歌もそういうふうな目で見る。これは私の歌を棚上げにした上でのことですけれども。そういう面で、たとえば石川啄木は早く死んだから文学史上に残っているんで、啄木が七十も八十も生きたら、ああいう歌をはたして、ずっと一生作ったかどうかわからないんですね。変な歌を作った結果、あの辺も消滅してしまうおそれもあったんじゃないかと思いますし、また反対に、北原白秋やら、差支があるかもしれませんけれども、茂吉なんかがやっぱり、茂吉の『赤光』や白秋の『桐の花』あたりがですね。あとであまりいい歌を作らなくても残ったと。そういうふうに残るというような場合もあるわけであります。そういうふうなですね、残るか残らんかというふうなことも非常に気になるので、これをどういうふうに評価するかというのは今日の時点の問題と、さらに将来の問題と、さらに将来にわたって著者がどんなふうに老人の歌にしていくか、老人の歌というのはちょっと適当じゃないと思うんですけれど、やはり完成とはいえないでしょうね、どんなふうに完成させていくか、老人が完成なんてことを言えば大いに間違ってくるので、これは取り消しますけれども、どういうふうに完成させるか、あるいはまた、もうこれだけで十分に文学史上に名を残すか、そこんところよく分りませんけれども、一つ今後、自分のありったけの力を出していただき、ある意味では、あまり歌壇のいろんな歌風に、あるいは運動に煩わされないで、こういったような自分の内面の真実にあくまで忠実にやっていってい ただくこと、むしろそれの方がいいんじゃないかと思いますね。いちいち歌は上げませんでしたけれども、きわめてまとまらない感想を述べてお祝いの言葉にいたします。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。つづきまして「地平線」の東淳子様にお願いいたします。 |
東淳子 | おめでとうございます。私、このような会にあまり出たことありませんので、お名前はよく存じ上げていても初めてお目にかかる方が多くて、さっきからこわくて足がすくんで逃げて帰りたいような気分になっているんですけれども……。私がそういう人見知りをする癖を叱咤激励して、初めてお目にかかる吉岡さんの出版会に出てきた理由を申しますと、私がこの歌集を初めて拝見しました折に、非常に自分自身の作歌上に興味を引く点がいくつかございまして、「短歌人」のそうそうたる皆様方や、ここのすばらしいメンバーの方たちが一体この歌集をどのようにお考えになり、また評価してらっしゃるのかということを、是非とも知って帰りたいと思いまして、勇気をもって出席したようなわけでございます。 で、私がまず感じましたことは、岡部先生が跋に書いてらっしゃることを非常に同感して読ましていただいたわけですけども、岡部先生が若さのしゃれっ気がないというようなこともおっしゃっておられましたけども、この歌集のバックボーンになっているように私には思われます。なにか非常に個性的なシニカルなと申しますか、ニヒルといってもいいかも分らないような吉岡さんの目ですね。私はまず、シニカルな、こういう目をもった作者、どうしてお若いのにこんな目を備えていらっしゃるんだろうか、まずその点に興味持ちました。理髪師の歌が二首ございました。「かみそりの刃を研ぎながら理髪師は笑みをりわれの耳をみながら」で、このなんでもないような歌ですけれど、理髪店のカミソリの刃に瞬時の恐れといいますか、そういうものをキャッチして、多少被害妄想といえばそういう人もあろうかと思いますけれども、理髪師が作者のやわらかい耳を見ながら笑み迫るというか、その理髪師を見ている作者の目なんですね。私が非常に注目しましたのは。こういう歌が点点と、私の心を打ってまいりました。例歌はたくさんあるんですけれども時間の都合で、もう一つ、私が非常に印象に残っておりますのはお父さんを歌われた作品ですね。私も亡くした父親を歌うということを一つの自分の賭のような気持で思っておりますけれども、そのお父さんをお歌いになった作品がやっぱり自分と比較した場合にすごく、こう、さっきの「理髪師は笑みをり」という、それを見ている作者のシニカルな、そんな目をやはり、お父さんをお歌いになる場合にも同じように持ってらっしゃるということです。私なんかとてもこうはいかず、やっぱりこれは、男性と女性という男女の性の違いかなとも思ったりもしたんですけれども。「明日死ぬぞ今日死ぬぞと叫びしが決して死なないデモの一群」、これは岡部先生もお引きになっていたと思いますけど、デモの一群が決して死なない、ということ。これは傍観者の皮肉としか受け取れまいという岡部先生の解説にございましたけれど、私、お父さんをお歌いになった一連からデモ隊は叫びながら、明日死ぬぞ今日死ぬぞと叫びながら、決して死なないというその一言ですね。一発というお言葉をお書きだったと思いますけれど、決して死なない。これはデモ隊は決して死なないけれども自分の父親はそのデモ隊に殺されたのだという、しかし父は死んだのだといろような、肉親に対する情がこんな裏返しの形で表現されていく、その目ですね。「父とわが呼びたる骨をひろはむとするに殺めしごとく崩れつ」、父とわが呼びたる骨、私は父の骨とやってしまいますけれど。お父さんなのに「父の骨」ではなくて「父とわが呼びたる骨」という、非常にそういうふうに表現される吉岡さんの目というもの。こういうお方に何が何でも是非ともお目にかかりたいと思って今日は出て来た理由の一つでもございます。 それから、いろいろあるんですけれども、皆さん先程からおっしゃっておられましたけれど、口語的な発想のお歌ですね。私は国語教育の現場にいて、高校生などの作品、大学生の作品をたくさん見るチャンスがあるんですけれども、吉岡さんの柔軟な口語表現を交えた歌というものが、今、若い人たちが非常に古典的な、まず文法の崩れというものがあって、なにか古典からどんどん遠ざかって、高校生の古典を教えていて日日驚かされるような現実から、一体将来の歌というものがどんなになるのだろうか、とそんなとてつもない遠い思いをいろいろ考えておりますときに、吉岡さんのような、こんなお歌が将来の若い人たちの一つの短歌の世界を切り開いていかれる、そういう一つの方向を示されてるんじゃないだろうかと思ったり、いろいろございますけれども、そんな点に非常に興味をもって、今日出席させていただきました。どうもありがとうございました。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。ではつづきまして「短歌世代」の原田昇様にお願いいたします。 |
原田昇 | 吉岡さん、今日の出版記念会おめでとう。私、「短歌世代」と「海馬」に所属している原田昇です。(中略)。私、尼崎歌人クラブという一つの団体をお世話しているものですから、私のようなものにもたくさんの歌集を下さいます。いただいた本はたいてい、さっき小西さんもおっしゃいましたように厨とか孫がどうしたとかいった歌集ばかりで、たいてい退屈するわけでございますが、吉岡さんのこの歌集を見たときに、おお若い人がいい歌集を出されたな、という感じで非常に感動的に読ませていただきました。この歌集を見たときに私はある思いを二つ三つしました。一つは、これはやはり関西から出た歌集だというイメージです。かつて、私、山口瞳の随筆を読んだときのことです。彼がサントリーの丸の内のOSに勤めているときに、同じサントリーの社員の開高健とか関西から出た連中が、トントンと太鼓を叩きながらOSのビル街の前に来たおでんの屋台に入るわけです。当時の金で十円ぐらいのおでんを五つ六つ食べると腹が満腹になるらしいですが、ところが背広を着たエリートがですね、ビル街で串を横にシュッと引いておでんを食べている姿っていうのはどうもハレンチでみにくうて致し方ない。あれは、関西のやつはいやらしいて仕様がない。だから関西の歌はきらいだ、というふうな山口瞳の随筆を読んで、私は山口瞳が大きらいになりました。読みもせずにきらいになっておるわけでございますが、そういった、その中のしゃれっ気というんか、そういった自主的なものを重んじる関西人の一つの風土というようなものが、まあ彼らにはあったわけでございました。そういう意図は私にも十分ございまして、吉岡さんにも、この歌集を読むとそういった印象を一つ持つわけでございます。どちらかといいますと、関西の短歌はときどき型破りな方が出るわけでございますが、たとえば塚本さんや前さんが東京の人たちにも迎合された一つの何ですか、彼らはある種のインテリであり、あるいは美しいように出ましたけれども、例えば私思うんですが、この吉岡さんの歌集を見たとたんに、まず第一に思い出したのは浜田康敬君です。浜田君は僕んとこにも何遍か泊って一緒に語ったわけですが、彼は関東人であり、今、九州に住んでおりますが、彼の風貌を見ますと、なんだか葛飾のお兄ちゃんみたいな風貌がありまして、そして彼は「豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている」という一首をもって角川賞を受賞しまして、一つの歌を打ち立てた。しかしその歌を発見したのは実は塚本邦雄さんであって、当時、世に話題になりました。ところがあれが塚本さんの目に触れずに角川賞にもならなかったら、彼は待たされたと思うんです。ところが塚本さんも言っているように豚の交尾を終わりまで見ているという、なんとハレンチなものを短歌に導入したかというふうなことを、ある種の怒りと呆れをもちながら、しかしこの歌こそ今の、これからの若い者たちに対しての行為として、角川賞に指されたということを聞いております。それを見ましたときに吉岡さんはある意味において自分の殻を衒いもなく、この歌集を世に送るというところに一つの勇気がいったと思うんです。ええかっこうする分にはいくらでもわれわれええかっこできるわけで、かつて私も、甘い耽美的な歌を作っていますと、先輩米満英男が、お前はどうみたってそんな風貌ではないし、そんな柄やないねんさかいに、鍛冶屋のオッサンは鍛冶屋のオッサンらしく歌をつくれと、こういうふうに言われたときに、そんなもんかいな、仕方ないな、そしたら俺も一つ、鼓冶屋の歌でやったろか、というふうな雰囲気で実は私の『鍛冶屋物語』が出て来たわけでございますが、しかし、やはり今に思えば変なことを聞いて、ちょっと色目を使いすぎてけったいな歌をつくりすぎたと思うわけです。しかしそのアカデミックな短歌、いわゆる歌壇というものに普通持って回るときにアカデミックな作品はどうしても数にあたりますから目立たない。で、目立とうとして変にその、たとえば浜田君にしてもそうですし、吉岡君にしてもそうですし、そういった容貌をもって、漫才短歌、道徳短歌というふうに雰囲気をもって出したらですね、これもまたある意味においたら、今、和田先生のおっしゃる世に残るか残らないかというのは、これは大変なことではないか。 しかし吉岡さんはおそらく、そうした計算といったものはなくお作りになったのではないか。 そこに真髄をみるわけであって、たとえばしゃれっ気がないというのは当らないわけでありまして、吉岡さんのこの作品こそ、吉岡さん自身の持っているしゃれっ気ではなかろうか。米満先輩の言う仮名使いとかいろいろ指摘なさいましたけれども、それはそれとしまして、吉岡さん、さっきから一生懸命メモを取ってですね、だれかれのいうことを参考にしようと思っていらっしゃるのかも知りませんが、そんなことは少しも参考になるわけではありませんので決して、そのようなことはおやめになられて(笑)、存分に自分のお歌を作られることを、これからも切望いたします。吉岡さんの今住んでおられる栄根というのは非常に坂の多いエキゾチックな街でございます。(中略)、栄根というところに私何遍も行っているわけでございますが、ああいった風土の中からむしろ居直った、こういった歌集を見たときにある種の、私も感動を覚え、また身近な阪神間に生まれ育った私にとって、非常に身近な友人が一人出来たと実は心から喜んでいる次第でございます。どうぞがんばって下さい。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。ではつづいて「山繭」に所属して いらっしゃいます 由良琢郎様にお願いいたします。 |
由良琢郎 | どうも吉岡さん、おめでとうございます。今まで多くの方がおっしゃってきたことを聞きながら、非常に僕は違和感を感じておるんですが。こういう会に出て来るのは本当に僕はないので、現代歌人集会にも属してますけれども、現代歌人集会もここ三年程出ていないし、出版記念会も全然出ないですね。それはなんでかというと、皆さんのおっしゃることに非常に僕は違和感を感じて、全然違うんですね。だから非常に孤独で、ということなんですね。 ただ今日、出て来ましたのは、一つは吉岡君が非常に若いということ、それが一つ。それから非常によい抒情の持主であるということですね。ただ、今までの方がずっといろんなことをおっしゃったことと、僕の言う非常によい抒情の持主というぐあいの抒情というのは、全然違うわけです。吉岡君の作品はあたりまえのことを詠んでると、それがいいと。それからただごとであると、それがいい、とおっしゃるわけですが、そのあたりまえのこととか、ただごととかいうのは日常生活におけるあたりまえ、ただごと、それを素材にして詠んでるということだろうと思うんですね。それは詩、短歌にとってはですね、これはただごとではないと思うんですね。そこがまず、僕と皆さんがおっしゃることの根本的な違いの出発点になると思いますが、僕は短歌、詩、まあ詩だと思いますが、もっと詩としてのね、ただごとが欲しいと思いますね。ただごとを詠むといろのは大抵のことではないので、本当の詩、本当の抒情を追求するのは大抵のことではないと思いますね。僕は、良いと思う作品は、今さっき小西さんが上げられた角川の短歌年鑑の中に出ているのは大分良いのをとってると思うんですね。 たとえば「はじめてのくちづけをへてあふぐときどこかでいつかみた空がある」「さまざまな土鈴をならせばさまざまにこころふるへてゐる夕べなり」「なにとなく空みてをればゆきかへるひとらも空をみあげて通る」、こんなのは非常によい抒情のうちだと思ろんです。どこにも取り上げられてないので、非常に惚れこんでいる一首を言いますと、これはどこにも上げてないと思うんですが、「足元に雲がみえるといふことの何はろばろし父恋峠」。ただ、この歌、ちょっと分らないところがあります。「何」というのは何という意味なのか、この「何」が分らないんですが、この歌の持ってる抒情というのは非常に良いと思うんですね。これはただごと歌ではない。いわゆる、今までおっしゃったただごと歌ではない。だが日本の詩のですね、本当の日本の詩の抒情を踏まえていますね。この父恋峠というのは、ひょっとしたら造られた言葉かもわからんと思うんですね。だけどその父恋峠という言葉の中に、これは本当にある峠の名前なのかどうか知りませんが、その言葉の中にもね、非常に広がっていく世界があるんですが、「足元に雲がみえるといふことの」という、やっぱり上の句からずっと流れてきてですね、それで初めて父恋峠が生きているんでもあると言えると思います。私はね、今さっきどなたかおっしゃいました「美しいただそれだけでゆるされるひとなり誰を愛してゐても」とかいう歌がありますね。あんなんは僕は駄目だと思うんですね。それから吉岡君の駄目なのは、たとえば僕から見て駄目なんで、皆さんはどうおっしゃるか分りませんが、僕は吉岡君らしさというのは皆さんおっしゃるところを聞いていると、どうも、こう、いわゆる日常的なただごとを平然として歌っているのが良いんだそうですけれども、僕はちょっと違いますので。たとえばですね、「週刊誌の表紙といふは何ならむ若き妖精を飾らぬはなし」、こういうのがたくさんあると思うんですね。「週刊誌の表紙といふは何ならむ」、この「何ならむ」というところですね。何かありそうだなと思って読んでいったんですけれども解答がですね、「若き妖精を飾らぬはなし」というふうに出て来る。ところがこれは「何ならむ」の解答ではないですね。そうじゃなしに「何ならむ」と考えたのはなんでかということであって、結局、この歌は「何」のない歌じゃないかと思うんですね。 そのほか、たくさんあると思うんですが、時間があまりないと思いますから言うのをやめときますが、とにかく僕はね、非常によい抒情の持主だと思いますので、もうええ加減に卒業して欲しいと思う歌がたくさんあるということなんですね。内部を深めていただきたい、ということなんですね。日本の抒情というのはなんぼでも深めて、どこまでいっても汲み尽くせるものじゃないものがあると思います。一つ、吉岡君の身につけているものでですね、非常に期待できるのは、それは調べであると思います。その調べをですね、これは、短歌の調べをはっきり持っていますから、これはただごと、日常的なただごと歌的なもんでなしに、たとえ口語短歌、口語的な短歌であってもちゃんとした吉岡君の体質ともなってるらしい調べを持っていると思うんですね。ただ調べこそ意味であるということが言われるわけですが、その調べを意味たらしめるものはやっぱり内部にある抒情、自分の持っているものであるはずですから、それを深めることが自分の詩を深めることであると思います。 とにかく数多い作品の中で、そうたくさん拾うことは僕はようしません。ようしませんけれど、その数少ない中に非常に良い抒情の質があるということを、それに惚れ込んで、それで来たと。それだけ申し上げて、僕のいうのは、ひょっとしたら、多数決でいきますと、おそらく絶対少数になりますから、吉岡君はどういうふうに把えるか知りませんけれど、とにかく僕は吉岡君らしさではなしに、僕の思うところのですね、ものはこういうことだということだけ申し上げて、僕としては、吉岡君の持っておられる良い素質が伸びていただきたいということを希望するわけです。以上です。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。皆様からそれぞれに暖い、非常に木目細かなご批評をいただきまして、本当にありがとうございました。まだまだ伺わせていただきたいお客さまがたくさんいらっしゃるんですけれども、一応ここで短歌新聞社の石黒社長からお言葉をいただきまして、社外からのご批評を終わらせていただき、あと短歌人の若い者に少し批評をと思っております。石黒社長には短歌新聞社石黒社長としてではなく、先輩として今日はお話いただきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 |
石黒清介 | ご紹介いただきました、短歌新聞社の石黒清介でございます。吉岡さんの『草食獣』につきましては、今多くの方々の感想、ご批 評がございまして、吉岡作品の特質については語り尽されたのではないかというふうに思った次第でございます。こちらにまいりまして、いつも驚かされますのは東京の出版記念会と違いまして、皆さんが全部歌集をお読みになって、勉強されてきて、そして懇親会の前に批評しあうと、こういう貴重な時間をお持ちであるということでございます。東京の出版記念会というのは初めからお酒が出まして、お料理が出まして、酒肴のまにまに批評を聞いたり、感想を聞いたり、祝辞を聞いたりすると、そういうふうな形で会を進めてまいりますので、あまり真面目に本を読んで来ている人がないわけです。ある人などは読んでこなかったということを広言しながら感想を述べておる、というふうなことがままあるわけでございますけれども、こちらにまいりまして、今日の会に出まして、なかなか関西というところは違うなと思った次第でございます。(中略)。 それでですね、吉岡さんの作品について、私は、先程から皆さん、いろいろおっしゃいましたことと重なるわけでございますけれども、今日、実は汽車の中で読んでまいったわけでございます。きわめて速読の感で皆様方に対して申し訳ないと思うわけでございますけれども、読み終わりまして、先程、東さんがおっしゃいましたけれと、作者の目を感じて、そしていくつかの作品を上げていらっしゃいましたけれども、私もあの床屋さんを素材にした歌がございますね、理髪師の。あれを見まして、何か外国の映画を見ていて、そこに床屋さんがいて、そして誰かが床屋で調髪をしてもらっている。それを少年が見ていると、きわめて私の方は興味的に見ておるんですけれど、その少年の眼の中に純粋なものを感じるわけです。危機感もあるだろうし、あるいろどうなるんだろうとか、いろいろあると思いますけれど、そういう映画の一シーンを思い出したわけでござい ます。そういうふうにして見てまいりますと、この作者の目というのは素材にむかって常にナイーブな、きわめて純粋な目で物事を見ておると、そういうふうに感じたわけでございます。それがこの人の作品の特質になってるんじゃないか。表現の修辞に関しては、やさしいと、やわらかいというふうな感じを受けたと、米田さんがおっしゃいましたけれど、私もきわめてそういう感じを受けました。激烈な言葉もないし、調子もない。それだけれども何か純粋な抒情というものを逃さないで歌っている。きわめてエロチックになりそうなところも少年のような優しい純粋な目で見ることによってそうならないと、これからどうだというとわかりませんけれども、そういう現象的な美しさが、この歌集の一巻の中にあるんじゃないかと思って、吉岡さんの前途を祝したいと思うわけでございます。 それからどなたかもおっしゃいましたけれども、やや草を食べている人種のような、なよなよとしたところが、ちょっと物足りないで、もう少し肉食獣になったらどうかというようなご発言もありました。私も一面そういうふうに思うわけでございますけれども、これは持って生まれた性質でございますので、草を食べていく人種のやわらかくて、力強いというのと違う、怯まないような、何か、草を食べていく人間でなければ表現出来ないような世界があるならば、それを追求していったら、そういうところを追求していってみたらどうかというふうな感じも持った次第でございます。 いろいろ歌の例証もございましたが、私も岡部さんが採ってらっしゃる歌に大体賛成してチェックをしたわけでございますけれども、今までの中でどなたも触れてらっしゃらない歌で、いいんじゃないかなと思う歌があったんですけれども……。ぼくらは歌というものを写実的な形で捉えるというふうな形で勉強してきたもので、どうしても実体がないというと、どうも歌の鑑賞についていけないという習癖を持っているわけでございますけれども、「悔られたるいちにちとおもひつつぬぐとき満れてゐたるくつした」、こういう歌があるわけですね。これは意図が少し見えすぎているようですけれども、これなどやはりぼくらは吉岡さんの作品の中でいい方の作品になるんじゃないかと思う一首です。それから最後のあたりに「よひざめの水はうましとのみながらあふむくときはおもふ溺死を」と、こういう歌がありますね。最後の飛躍のところですけれど、どうも新しい歌を作る方々というのは言葉に頼りすぎて、どうも抒情についていけないという嫌が、ぼくはあろうかと思うんです。言葉を酷使しましてね。自分だけでは納得しているんだけれども、読者にはついてゆけないというふうな表現は往往にして見えるわけでございますけれども、この歌などは「溺死」というふうな言葉を持ってまいりますと唐突のようであるけれども、全体を通して読んでゆくというと、納得させられるような何かがある、と。こういうところに吉岡さんの持っている技量のようなものをうかがうわけです。ですから吉岡さんという方はいろいろな特色を持ってらっしゃる方ですので、これからもどうか一つ、精進をされて、日本の歌童のために尽していっていただきたいと思います。 どうも取り止めのない感想を述べるに終わりましたけれども、お 祝いの言葉に代えさせていただきます。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | どうもありがとうございました。それでは以上を持ちまして社外からお寄せいただきますご批評の言葉を終わらせていただきまして、次に著者と同世代、または割合に近い世代の「短歌人」内部の者がどのようにこの『草食獣』を見ているかということで、少し批評をと存じますので、まず最初に永井陽子さんからお願いいたします。 |
永井陽子 | 同世代と言われましたが、吉岡さんというのは、この中に「花祭り」というタイトルの作品があるとおり、四月八日に生まれています。それで私は四月十一日に生まれまして、たった三日違うだけで、ほぼ同じ位生きているわけですので、草食獣を語る会となっておりますが、私はちょっと吉岡生夫さんを知ってる範囲で語りたいと思います。吉岡さんの歌を日常的によく思い出すんですね。それは決して映画を見て思い出すとか、バレンタイン・デーで思い出すっていうんじゃなくて、切符を買いに行きますと、千円札を入れるのがありますね、自動販売機で。あれで必ず思い出すんですが、今歌をさがしたんだけれども、吉岡さん、抜いてしまったのかな。ポケットの中に折り畳んだ札を入れておいて、それを取り出していじましく皺を延ばす、っていう歌がなかったですか。 |
吉岡生夫 | ありました。 |
永井陽子 | 以前、その歌をいじましい歌だと、奈良かどこかで言った覚えがあるんですけれども、いつも駅で切符を買うたびに、私はそれで吉岡さんのことを思い出して、私も千円札の皺を延ばして、入れて買ってきます。今日も近鉄で来るときに、この歌集をめくっていましたら、隣の男の人がチラッと覗き込みまして、その覗かれたページのタイトルがちょうど「ストリップ劇場小景」で(笑)、やだ、見るなと思ったけれど、グラビアが載ってるわけでも何でもないもんですから隣の人も、なんだこれは、と思ってすぐ止めたらしいんですが……。吉岡さんの歌を電車の中で読むのはもう絶対止めたと思ったんです(笑)。そんなことがありまして、そう、吉岡さんのことをちょっと思うんですが、今まで、いろいろありましたご批評の中で、何というか、押し付けがましくないとかですね、ここまで無雑作に歌ってこれからどうなるかとか、えげつないとか、大阪的な歌だとかいうことに関連すると思うんですが、私は吉岡さんの歌っていうのは、どうも歌った人も、それから読んだ者も、どっちにも傷を及ぼさないというのか、歌だけがその世界としてはあるんだけれど、どちらへも働きかけない、どちらも傷つけないというような、ちょっとした狡さみたいなものがあるんじゃないか、といつも思っております。 それで、もう一つ言いたいのは先程、米満さんがおっしゃいました。先に言われてしまったけれど、小便小僧の話ですね。吉岡さんは以前は口語で書いてたんだけど、歌集は全部文語に直されています。「はくてうの歌さへあればなにもかもすぐにかたづくのにとおもひつ」という、以前に「短歌人」の井並敏光さんが激賞した歌があるんですけれども、これも「はくてう」になってるんですね。それから小便小僧というのを読んでて、「せうべん小僧」って何だろうと一生懸命考えて(笑)、それから小便小僧を見るたびに、あ、「せうべん小僧」だ、と思うんですけれど、そういう矛盾というのは、やっばり追求されなければいけないと思います。決して文語に直したから悪いっていうことじゃなくて、吉岡さんの、私が一番好きだった雰囲気というのは、最初の頃のリズムのいい歌なんです。少年期の歌に係ると思うんですが、先程、由良さんが少しおっしゃいました、リズム感というのを大切にした方がいいと、私は思っています。 そして時々、びっくりするような、おじんくさい歌を作るときがあるんですね。「定年の日まで勤める庁舎かとみあげて夜の襟を高くす」という(笑)、なんで、こんなのを作るのかと思ったんです。たかが二十八位で、と思ったんですね。そういう平気で歌えるというようなことも含めまして、決してこの世界が認められて、成功になってしまうんじゃなくて、ギリギリの紙一重のところで、吉岡さんであって、がんばって欲しいな、と思います。以上です。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。ではつづきまして井並敏光さん、お願いいたします。 |
井並敏光 | 井並です。(中略)。吉岡君とは昨年やっと終わることができた「十弦」とか、「短歌人」の仲間として、すでに十年近い付合をしてきたわけになるんですけれど、その間、彼の歌について全然喋ったことがなかったわけではないんですけど、今までまとまったものを書いたりしたことはほとんどなく、こういう機会で喋るとなると、今までなぜか彼の歌について語るのを、先程永井さんが僕の激賞したというふうなことをおっしゃいましたけれど、あれも機会があってのことでして、彼の歌について私が何らかの意味で避けてたと、また、もっと強くいうと危険を感じたのではないかというようなことも思いながら、以下、述べさせてもらうことにします。 さて、たとえばその歌ですが、一年程前に東京で「乎利苑」と「十弦」の合評会がございまして、その折に二つの対立する意見が出ました。吉岡君の歌についてですね。そのとき「乎利苑」の滝耕作さんの言った、われわれと違ったグランドで野球をやってるような感じがすると。この言葉には非常に反応がありまして、今までの批評にも出てきましたけれど、ある種の苛立ちであるとか、最初入っていけないというようなものがあると。たとえば「首を振る扇風機なりいやいやをする少女期の汝にしあらむ」、こういふうな、あっけらかんとした素材選択で、まったく、言ってみればこの扇風機というのはわが家の持ち物でありまして、お泊りになった折に見られ即座に作った歌がこういうところに載ってますので、作るのをそばで見ておりましても、正直いって、馬鹿にするなといった誰かの言葉がございますけれども、そういうふうに読者を苛立たせる類の歌が、この歌集の中にもズラッと並んでいると思います。 たとえば、「陽のあたる坂道なりきポストまでゆくに葉書は〈葉に書く〉ものか」「電灯に千円札をかざすとき透かしてみえる伊藤博文」「打ち寄せる波をバックに『完』の文字あらはれしかば席立つひとり」、このように上げればきりがありませんが、われわれの神経を逆撫でしてくれると、ただ、これは一読の段階で、意見の対立、もう一つの方で小池さんが、もう一つの方は小池さんの意見なんですけど、彼はそのとき確かサーカスの綱渡りという表現を使いまして、彼の歌のいいところを誉めたと思います。その言い方は先程どなたか「十弦」の十号の、小池さんの文章を引用されました点で、僕も引用してきてますんで、少し述べたいと思うんですけど、「吉岡の本領は『視る』ことにつきる。なんのために視るか、とか、視た(すなわち切り取った)現実に託して何をいいたいのか、とか、そういう問題提起はただ彼の頭上を通りすぎるだけである。この歌人は視ることに賭けており、また自らの眼力にひそかにたのむところを持っている」、と、このように述べています。そして見るということは二ヒルとかデカダンに結びつき、その方向を受け入れて進むことが彼を生かす道だと結論付けてるんですけど、この小池さんの意見は非常に慧眼だと思うんです。この二つの対立する意見というのは、もとはどちらもわれわれの中に、というか判然と立場を別にして物事をいう場合はともかくとして、読後感としてその振幅の差こそあれ、彼の作品を読んだすべての人には、その脳裏には、まずある種の困惑と苛立ちが浮かぶのは当然だと僕は思うんです。僕が彼と同年令ということもありますが、よく歌の作り方につきまして、たとえばこの上句というのは、例を引いての言い方ではありませんけれど、無駄ではないかとか、これを切り取った方が良い、あるいはこの表現は冗慢だとか、非常に気になった部分が今まで多々ありました。それを越えてハッとするような作品に出会うこともあると、その作品を何らかの方法で評価しようとすれば、歌に対する考え方の基本的な面での処理をわれわれはしなければならない。いや、むしろ、してかからないといつまでたっても吉岡の中に入っていけないと、そういう気持をわれわれに抱かせる、あるいは動かす力を彼の作品は持ってる。そう、考えます。 長い間、付合ってきますと、歌という作品の面だけではなく、まあ少し人物論的になることかも知れませんけれど、次に、私が彼の歌及び人に対して抱いているイメージに沿った一首がありますので、それを上げてみます。これは歌集に載ってるわけではありません。「十弦」の九号の「巷談抄」の中に、「学卒へてよりを指折り数ふるにこのさびしさやひとに狎れたり」、こういう歌があります。学校を出てからかなり年令がたったと、俺も人の世に狎れてしまったな、というこの歌のどこが吉岡的かというと、「ひとに押れたり」と、こういう考えを自分のものとするのに彼は指を折って、年を読み、しかもなおかつその指を眺めると、こういう行為をしなければならないという点。さらに言うと、指を折って自分が越えて来た年令を読まなければ自分の今の、たとえそれが淋しさだろうと納得できないという点に、私は彼の物事を認識するやり方、僕はいつものやり方だと、こう考えているんですけど、それが出ていると思います。一緒に旅なんかしますと、彼は必ず駅で私を待たせて靴を磨きに出かけます(笑)。そのやり方が非常に、その靴磨の叔父さん、叔母さんが磨く間の目の位置とか、そういう類のものも含めて、そういう感じを持っています。彼の非常によくする文章にも、たとえば「田谷鋭の歌」、「十弦」に載ってます。あるいは「ただごと歌周辺」、こういう文章を読めば、彼が論理を運んでいく上に、そういう指折り方式と思われる方式、考え方、あるいは方向を取り入れてることがよく分ると思うんです。指を折るということは言葉という記号の中に閉じ込められたものの姿を露にしていくという、あるいは具体化していくということのように考えられると思います。たとえばこの歌の場合は五年という、たとえば大学を出て五年という場合に、五年という言葉を五本の指に還元していくという、彼の考え方、見方が表われていると思われます。また「十弦」の三号には「てのひらに人差指と中指をそへて答へる七歳なりき」という歌があります。これも先程の援用としては取り入れられると思うんですけれど、先程から彼の方法が意識されたものではなくて、かなり生得のものであるということは、この幼年回顧の歌があるところからも窺えるし、われわれ直に接していても分るところなんです。 そういう考えを頭において、次に「チューブよりしぼりだしたる紫があちさゐの花びらになるまで」、「十六歳」という題で作られています。それから「無精髭」という題で「綿の雪かけてさいごにクリスマス・ツリーとなるまでみてゐたるかな」という歌があります。この二首の歌のように物が出来上がっていく過程を分解してしまう、物の見方も同じように分解してしまうというのは、先と同様な意識からの反映でなかったら考えられないと思うわけです。それは紫陽花の花の絵は、その構成する色の単位にことごとく分けていられたし、クリスマス・ツリーはそれを構成する全ての飾りものに分けられて、彼の目に見られて来た筈で、そのことに読者及び私は思い立ったとき、これらの推移を見守って来た彼の心の推移が、巧みな語り口になって表われることになるのではないでしょうか。この歌の中でも紫の絵具、あるいは綿の雪といった一つ一つを彼は指を折るようにして見て来たのではないか、こう考える次第です。この物の見方というか、言ってみれば原始的な物の見方と言えると思うんですけれど、それがわれわれとしては、彼の歌から何らかのものを受け慄然とする秘密であるように考えられるわけです。 それからもう一つ、先の「学卒へて」の歌の中から「ひとに押れたり」という結句を問題点とし上げてみますと、彼の性格というか、歌の中にも反映してると思うんですけれども、たとえば「十六歳」という題にございます「がくぜんとめをみはりをり海岸をゆくどの人も性器もてれば」とか、「十弦」の三号に載っております「スカートにかくれしわれをにこやかに望遠鏡へいざなふ男」といった行動をしないというよりも、日陰に腰かけて水浴を見守るだけの少年であり、かつまた全身を目にして後退る幼年の彼の目だけの外部との係りということは、これらの歌で判然と雄弁に語られてると思うんです。さらにそういう条件下にあればこそ次にあげる歌のように、「手長猿たとえば電車の吊革をもちて遊べるこの半ズボン」とか「草に坐すかたはらに来し少年の人なつこきをにくみてゐたり」ですが、このような行動するというか、やんちゃな子供に対してあまり好意を抱きにくいというような歌が現われてくると思うんです。目の人間と、小池さんがおっしゃってますけど、目の人間ということはさらに突き進んでいくと目だけの人間にならないと、つまり目だけの人間になるということをしないとやっていけないような気がするわけです。そういう彼にとって「人に押れたり」という結句の重さというものを、私は同世代としても接点を持ちながら、まだ幼年を送っている世代として、いろいろ考え深いところがございます。 以上、粗雑な意見ですけれどこれで終わります。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。次に藤原月彦さん、お願いいたします。 |
藤原月彦 | 藤原です。私も今の井並さんと同じで、吉岡君とは「短歌人」で大体同じ頃から歌を書き始めて、そのあと五年位前から「十弦」という同人誌をやっておりまして、比較的ずっと親しく、吉岡生夫という歌人がこういった仕事をしていく過程に沿って、同時に見てきたものだと思うんですけども、やはり一番の印象は、吉岡生夫という人はかなりテクニシャンでストーリーテラーの面ていうのがあると思うんです。たとえば非常にただごとを、ただごとのままに歌った、ていうような印象も述べられていますし、現にそういう感じもするんだけれども、やはりその背景に、すごく緻密な計算がゆきとどいて、たとえば読者がなんだこんなものはつまらないじゃないかと、ただごとだと言ったとしても、その計算まで、その読者の反応まで、すでに計算しつくしているようなね、部分が僕には非常に感じられるんです。たとえばこの『草食獣』という歌集自体が、僕はずっと見てたんで分るんですが編年体でも逆編年体でもなくて、かなり意識的な組み替えなんかもなされてるし、歌の入れ替えなんかもされてる。そういった部分にまでかなり無雑作なように見えながら、そういった面まできっちりと気を使ってるんだな、と思います。やはり吉岡さんの歌っていうのは、順番でいうと一番最初に、この歌集で大雑把に言えばⅡというところに集められた歌が初期の頃で、その頃は「美しいただそれだけでゆるされるひとなり誰を愛してゐても」とか「はじめてのくちづけをへてあふぐときどこかでいつかみた空がある」といった、いわゆる良質な抒情歌で、ただ必ずしもそれが際立ってるかというと、まだ際立ってなかったような歌。そのあとが「殺めしごとく」というような一連に出てくる、少し先程から評価の高いような歌が出てきて、そのあとで、大体発表された流れでいくと、さらにそのあとで「ストリップ劇場小景」という一連が「短歌人」の中で発表されて、このあたりから、さっきから何度か話に出てますけど「十弦」の十号で小池光さんが「彼は視ることに賭ける」というような歌い振り、ていうのが彼の心の中で形成されてきたんではないかな、と思いました。で、それ以後の歌というのがⅢ以降だとかⅠの一部に入ってますけれども、いわゆる日常の中の危機だとか不安感をさりげなく摘出するというような歌い振りの歌がたくさん出て来て、ここですごく腰が坐って吉岡生夫が、本当の吉岡生夫の姿をとった、その視座を獲得した、ていうような感じの歌があると思います。その中の歌で、たくさんあるんですけど、上げられなかった歌でやっぱり、かなり日常の中の不安感とかをサッと切り取ってみせて凄いなと思った歌がいくつかありました。「古書店にただよふ不安自が影を踏みてひらけば朱の蔵書印」とか「のろはれてゐるかもしれずドライヤーつかふ鏡のなかのをとこに」で、鏡の中の自分に対して呪われているかも知れぬというような危機感だとか不安感を感じさせたり、それから「夕闇のそれよりくらく木のしげみわれをのぞきてゐる木のしげみ」では、結局覗いている自分、木の茂みを覗いている自分が茂みに覗かれてるんじゃないか、というような危機ですね。こういった感受性というのはやはり本物の詩的感受性だろうと思います。 上げていくときりがないんですけれど、この中でたとえば、吉岡生夫の特質、作品の特質ということで、ちょっと中で使われている人名みたいなものをいくつか拾ってきたんですけれど、たとえば村山槐多、八木重吉の名前が出て来て伊藤博文、明治天皇、京塚昌子、岩崎宏美と、いろいろ出てくるんです(笑)。あとピーター・パン、ジキル博士、花咲爺なんかが出てきます。で、歌の中に人名みたいなものを読み込むとき、かなりその部分に思いを込めた意思が作者側にあると思うんですけど、その人名選びが非常に同年代の作者が好む詩的な人選とはまた少しずれてるんではないか、と(笑)。たとえば、こういうのはフェアじゃないかも知れませんけどね、小池光の『バルサの翼』の中から少し思いつく限り拾ってきたんですけれど、カンパネルラとかジャック・チボー、宮沢賢二、リルケ、毛沢東、ホー・チ・ミンとか(笑)。それはやはり京塚昌子、岩崎宏美とは、かなり違うと思うんですね。その興味のあり方、ていうのが、かなり違うんじゃないかと思うんです。わりと文学上の、文学者の名前で、たとえばカミュだとか岡井隆だとか、ていうようなこと、あるいはムルソーなんていう人名はわりかし僕も使いたかったし、そういう歌もたくさん見たと思うんです。だけれども、そういうものが彼の中には出てきていない。そういうところの意思のあり方というのも、同世代ではあったけれども、かなりまた異質なものが彼には明確にあったんだな、と思う。具体的に僕が彼の特質みたいなものがあらわれている、と思う一首があるんですが、「あしもとに蟻おもはせる交差点みおろすわれや花咲爺」で、これはビルの屋上か何かから交差点を見下している。こういう設定で入ると、たとえば僕を含めてかなりの、同じような世代の人っていうのはもう大体、こうは歌えずに攻撃的な視点になってね、たとえば見下すわれは狙撃者であるとかスナイパーであるとか、ていうような、そういうような視点で歌い出すわけです。それに対して、つまり花咲爺という言葉が導入されてくること自体、もう歌の作り方というか、ここの部分での発想っていうのがかなり、吉岡という人の発想が、われわれの意思を一つもう一捻りした形で常に作歌に向ってたんだな、ていう感じがすごくしました。やはりまあ『草食獣』ていう題名自体もかなりしたたかだと思うんです。草食獣、ていうのは忍び寄る敵だとか危機を逸速く察知する、ていうような特性を当然持っているでしょうし、だからこそ、この日常の危機感ていうのが多分に、この歌の中にたくさん詠み込まれているんだと思うんです。ただ、やはり危機で、草食的で、なんかもの足りなさ、ていう言葉がいくつか批評の中で出てたんですけど絶対にもの足りないというような感じではなくて、彼自身の中では計算され尽されていて、たとえば草食獣という言葉に搦めて言えば、こういう攻撃してこない動物だからといってうかうかと摑むと毒の針が手に刺さってくるようなね、ものが一首一首の中に込められてるんじゃないかな、と思います。 彼の今後として望むこととしては、表面的にはどこまでも善良で、小市民的であって、そしてその歌の中にはよりしたたかな悪意と毒を沈め込んでいく方向で歌ってほしいと思う。結局、いくつか分りやすい、つまり強い皮肉の歌を書けば分ってもらえるかも知れないけれど、そんなことする必要はない。やはり、もう沈め込んで沈め込んで、その毒が効いたかどうか、相手が毒のあるということが分らないままに、その、気がついたときにはその毒が充分に読み手に回っているというような歌い振りで、今後、歌いつづけていってもらいたいと思います。以上です。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございます。 では最後に小中英之さんにお願いい たします。 |
小中英之 | どうもおめでとう。もう皆さまがほとんどご指摘なさったこと、あるいはおっしゃったことに尽きるかと思いますけれども、同じ「短歌人」の人間として、ここ九年あるいは十年ですか、その間、読んできた中で感じたことをちょっとお話したいと思います。 今、一番最初に、今日来ますときも新幹線の中で考えておりましたが、一番最初に吉岡君の何が印象に残ったかなというと、今の時代になお宮沢賢二みたいな人間がいるのかな、という印象でした。そのとき、彼の実際の顔を見てそう感じたのか、歌を読んで感じたのか、そのあたりがあやふやでございまして……。それで、この度歌集が出たら、また改めて『草食獣』というわけです。草食獣ということは、宮沢賢二も肉食をしてまで動物を殺すことはないと。人間はそういう肉を食べなくても生きていけますしね。かえって健康になれますからね。その方が強いです。その点、吉岡君は非常に強いだろうと思うんですけど、そういう、そこまで彼が意識しているかどうかわかりません。また人間の命の恥ずかしさみたいなものまで、彼が本当に自覚しているのかどうかというと、これも分りませんけれど、大にそういう感覚とか、意思が彼の中にあるのかと思いました。それがどこから来るのかなということですが、「短歌人」に十年も一緒にいながら、彼がどういう大学を出た、あるいはどういうご家庭である、そういうこと分らなかったんですけれど、この歌集のあとのところに大学で仏教科を出たということが書いてあって、初めて分ったんです。今頃になりましてね。ああ、そうか。そういうところからも彼のこういう物の考え方、あるいは見方もあったのか、ということが或る面では納得いたしました。 それから、さっきから非常に彼がものを見るということが論じられておりますけれど、私もどちらかといいますと、物を見て感じるということは非常に大切だと思います。しかし、物を見るということは、反対に、見られるよりも恥ずかしいことであるということ、それから見なくてもいいものまでを見ることはないということ、その辺りをきちんとしないと、見るということの質が、だんだん薄くなってしまうだろうということです。ですから京塚昌子が出たり、岩崎宏美が出てしまうということなんです。ですから、これは皮肉ではないんですけれど、彼があと三年あるいは五年たって、もしこの時点で歌集を出さないで、もう少しあとで出していたらせめて京塚昌子や岩崎宏美の歌は消えたろう、と思うんです。ただ、私がもっと入れて欲しかった歌が反対に消えているということで、その辺りというのを、彼はどう考えたかと思いますけどもね。ですから、はっきりいって京塚昌子の歌なんか、人を喜ばせるっていうことはあっても、僕も実際笑いましたけどもね、ですけども、そう歌集に入れるまで必要であったかどうかということです。こういう歌がこの歌集になくても十分に僕は評価できる歌集だと思いますけども、その辺りを吉岡君がどう考えていたのかということを、これから彼が歌を作っていく間で、おのずから答えてくれるであろうということを楽しみにしています。これで終わります。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | ありがとうございました。これで批評会を御仕舞にいたしたいと思いますので、この辺りで著者から一言、お礼を兼ねてご挨拶をお願いします。(拍手) |
吉岡生夫 | どうも皆さま、お忙しい中をおいで下さいまして、ありがとうございました。歌集の出版記念会というのは初めてで、その初めての出版記念会が自分のものになりまして、非常に落ち着かないでいます。また「短歌人」以外の方の出席される、こういう集まりに出るというのも、「十弦」の合評会のときに来ていただいて以来でどうも勝手が分らない次第です。そのときに批評していただいたあとで何か感想をということになり、ただ、ありがとうございました、とだけ言って非常に笑われたんですけども(笑)、やはり今日も、ありがとうございました、とだけ何か言いたいような、そんな気持です。 歌集を出すときにも、何か、自分は大変、大それたことをしてるんじゃないか、というような気が非常にしたんですけれども、こういう出版記念会までしていただくことになりまして、ますます大犯罪を犯しているような、非常に、そういう気がしています。今日、大切な時間を割いて来ていただいた皆様の好意というものに答えるためにも、これはもう、がんばらなければいけないな、と思いました。歌集を出して、出版記念会をしていただいて、どんどん、どんどん、自分の逃げ道がなくなってくるようです。 はたして散文化の末に自分の短歌が崩壊するのかどうか分りませんけれども、ただごととか、さりげなくとか、そういうのでは作ってないんです、一生懸命作っているんですけども、そういうふうに受け取られるというのは何か自分の技術的な問題か、それともやはりどうしようもない体質でここまで来たのか、どちらとも分りません。何か僕自身の意図以外で、僕の作っていく短歌によって逆に自分の体質みたいなのが導き出されてきたような気もするんですけれども、やはり、これからも、そういう意図をあまりあからさまにコントロールしないで、歌によって、何か新しい僕自身というのを見つけていくようなやり方で、しばらく任せていきたいな、歌によって導かれていきたいな、というような気もしています。どうも、本当にありがとうございました。(拍手) |
蒔田さくら子(司会) | それでは閉会に際しまして高瀬一誌から一言、ご挨拶を申し上げます。 |
高瀬一誌 | 高瀬一誌です。ちょっと僕も批評が言いたいんです。大変、不遜な言い方になると思うんですけれど、野球で言いますとね、もっとど真中の球を、僕は投げてほしい。案外、ど真中の球が少ないんじゃないのかな。ちょっと球を散らしすぎて、散らすことは悪いことじゃないですけどね、やっぱし短歌という球を、真中を狙って投げるということは、僕は今後大事なことじゃないかと思うんです。それから野球の場合は捨て球、ていうのがあるんですね。適当に捨て球をしてストライクを取ってると。ところが短歌の場合は捨て球を投げてはいけない。よく僕は言うんですけれども、作品を発表する前に捨て球は捨て球にしていかなければならない。そこら辺、やっぱり僕は吉岡のために一言、言いたいし、やっぱり言いたい言葉でございます。 それから今日は本当にお忙しい中、土曜日という無理な時間をお集まりいただきまして、ありがとうございました。東京でやろうか、関西でやろうか、われわれ編集部もいろいろ考えたんです。個人的には知ってる方もあったんですけども、関西でやることは相当に無理があるんじゃないか、といろいろ考えたんですけれども、やっばり吉岡生夫は関西でずっと生きていく人間である、だからやっぱり関西の方ともいろいろお知り合いになって勉強をしていかなければいけない人間である、と。そういうことで、あえて関西での開催に踏み切って今日の会になりました。それで高安先生にはいろいろご無理をお願いしまして、それから米満さん、あるいは蒔田律子さんからいろんな教えをいただいて今日の会ができましたことを特にお礼申し上げたいと思います。進行上、いろいろ不手際あるいは失礼なことがあったと思いますけれども、どうぞお許しください。短歌人会を代表いたしまして一言、お礼の言葉と閉会の、閉会といいますか、一応、批評会を閉じる言葉にさせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手) |
出席者名簿(アイウエオ順・左→右、次段左→右。敬称略) | ||||||||||||||
氏名 | 地名 | 結社 | 氏名 | 地名 | 結社 | 氏名 | 地名 | 結社 | 氏名 | 地名 | 結社 | |||
あきつさいこ | 奈良 | 短歌人 | 浅羽芳郎 | 静岡 | 短歌人 | 東淳子 | 大阪 | 地平線 | 東瑞穂 | 大阪 | 短歌人 | |||
新井瑠美 | 京都 | 石黒清介 | 東京 | 伊藤文子 | 滋賀 | 井並敏光 | 奈良 | 短歌人 | ||||||
大薮芳子 | 京都 | ポトナム | 岡田経子 | 兵庫 | 短歌人 | 岡部桂一郎 | 東京 | 春日久男 | 広島 | 短歌人 | ||||
上西園教子 | 兵庫 | 短歌人 | 假家素子 | 大阪 | 短歌人 | 岸田ゆり子 | 神奈川 | 短歌人 | 北岡晃 | 兵庫 | 短歌人 | |||
国富素子 | 兵庫 | 短歌人 | 黒崎由起子 | 兵庫 | 長風 | 小谷昌子 | 京都 | 短歌人 | 児玉龍七 | 大阪 | ||||
小中英之 | 神奈川 | 短歌人 | 小西久二郎 | 滋賀 | 好日 | 斎藤典子 | 奈良 | 短歌人 | 阪本三代子 | 兵庫 | 短歌世代 | |||
神保京子 | 大阪 | 短歌人 | 鈴木春江 | 東京 | 短歌人 | 十河義郎 | 千葉 | 短歌人 | 髙瀬一誌 | 東京 | 短歌人 | |||
高安国世 | 京都 | 塔 | 武下奈々子 | 福井 | 短歌人 | 寺田由起夫 | 京都 | 原型 | 永井陽子 | 愛知 | 短歌人 | |||
中原制子 | 京都 | 短歌世代 | 利根川渉 | 大阪 | 短歌人 | 丹羽つねゐ | 和歌山 | 短歌人 | 西王燦 | 福井 | 短歌人 | |||
原田昇 | 兵庫 | 短歌世代・海馬 | 日后まこと | 兵庫 | 短歌人 | 藤原月彦 | 千葉 | 短歌人 | 藤本喜久恵 | 山口 | 短歌人 | |||
藤本朋世 | 兵庫 | 個性 | 蒔田さくら子 | 東京 | 短歌人 | 蒔田律子 | 兵庫 | 長風 | 三井ゆき | 東京 | 短歌人 | |||
宮崎信義 | 京都 | 新短歌 | 森かおる | 滋賀 | 由良琢郎 | 兵庫 | 山繭 | 吉岡美幾 | 兵庫 | |||||
依田仁美 | 千葉 | 短歌人 | 米満英男 | 兵庫 | 短歌世代・海馬 | 米田律子 | 京都 | 未来 | 和田周三 | 京都 | ポトナム |