まじない歌の世界~もしくは幸福論~(2)


 目 次

  Ⅱ 人から神へ~糟谷磯丸の世界~

    糟谷磯丸とは

    年譜で読む呪い歌


    年代不詳の呪い歌

  さいごに

きっかけは物差しの裏に書いてあったという歌の検索にあった。全く未知の世界、しかし二つの見立てが私の前進を支えてくれることになった。一つは呪い歌とは幸福論であること、今一つは五句三十一音詩という豊かな、そして全てを包括する詩型への畏敬にほかならなかった。 
 
 面影探訪記

  糟谷磯丸行

 まじない歌の世界~もしくは幸福論~

   目 次

   
はじめに

   Ⅰ まじない歌の世界~もしくは幸福論~

      参考図書


 人から神へ~糟谷磯丸の世界~
 糟谷磯丸とは
  糟谷磯丸(かすやいそまる)の名前を知ったのはⅠ部の呪い歌を集めている最中だった。こんな歌人がいたのか。驚くとともに、取り上げざるを得ないと思って「日本の古本屋」とアマゾンから資料を取り寄せた。次の五点である。
 昭和五十一年 「伊良湖 NO.6 糟谷磯丸特集号」伊良湖自然科学博物館
 平成九年覆刻 夏目隆文『漁夫歌人 糟谷磯丸』愛知郷土資料刊行会
 平成九年 『新編 磯丸全集』渥美文化協会
 平成二十二年 安江茂『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』本阿弥書店
 平成二十三年 「漁夫歌人 糟谷磯丸展」田原市博物館
 夏目隆文の『漁夫歌人 糟谷磯丸』は力作、労作であるが、自序が「紀元二千六百三年初秋」、目次を見ると「皇国民磯丸の信念」「磯丸の尊皇精神」「磯丸の皇民的信念」「愛国百首」と、私が求めている磯丸ではない。人物論、評伝に関しては安江茂の『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』に尽きる。「伊良湖 NO.6 糟谷磯丸特集号」と「漁夫歌人 糟谷磯丸展」は同様の企画であるが、後者が最新のせいもあって二冊はいらない。ということもあって『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』と「漁夫歌人 糟谷磯丸展」それに『新編 磯丸全集』で話を進めることにした。
 『新編 磯丸全集』は昭和十四年に愛知県教育会から出され、同名で平成九年に渥美文化協会から出ている。私が手にしているのは後者であるが、覆刻版なのだろう。そして全集とあるが、実体は全歌集である。凡例に「磯丸の尊い処は、その思想である。故に歌の形式を見ると共に、ーー否それよりも思想を味はつて貰ひたいのが編纂の本旨である。本書の題目を『磯丸歌集』としなかつたのは、かやうな意味も含まれてゐる」とあるが、夏目隆文と同様の磯丸観が底流していて肯くことができない。全集と銘打つのであれば書簡や林織江の『伊良古之記』、荒木田定綱の聞書『磯丸の事』、中島隆巧による問答集『はま千鳥』等は最小限の資料として収録し、糟谷磯丸その人を彷彿とせしめるのが発行元の責務であろう。
 その「全集」が収録する歌数であるが、緒言に「糟谷家にある遺稿をもとに六千二百余首を編集した」「尚発行後蒐集したもの二百六十余首を補遺として加へ、索引をも改めた」とある。前者が大正十三年に渥美郡教育委員会から出た『磯丸全集』であり、後者が昭和十四年に出た『新編 磯丸全集』であるらしい。「余」が煩わしいので索引で数えると六四六五首あった。但し、短連歌として十八首も含まれるので、これを除くと六四四七首となる。ほかに八重襷が、なんと呼ぶのか、二点あるが、これは索引に含まれない。さらに平成九年の『新編 磯丸全集』は別冊として『補遺編 磯丸全集』を含むので、これを勘定すると二九一首、ほかに都々逸等も収録されているが、一人の営為になる五句三十一音詩(和歌・狂歌ほか)としては六四四七首と二九一首であり、都合六七三八首となる。
 このうち呪い歌(目次に出てくる「呪禁」は、日本国語大辞典を引くと『まじないをして物の怪(け)などをはらうこと。ずごん』と出てくる」)は二四七首である。この数字については主観によって左右されることを否めない。私自身、迷ったあげくに外した数首がある。逆に勘定したケースもあった。また安江茂の『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』の「歌碑になった磯丸の歌」から二首を加えた。こうした性格の二四九首であるが、六七三八首に対する比率となると三・七%に過ぎない。では、ほかにどんな歌があるのか。安江茂は右の著書で三つに分類して第一に「まじない歌」、第二に「道歌」「教訓歌」「釈教歌」の類、第三に旅先での挨拶や問答の歌で「身分ある人の屋敷へ招かれたときにつきものの題詠や屏風歌、連歌や誹諧歌などもこの中に入る」としている(なお安江は「全集」の収録歌を七千余首としているが、連歌や都々逸・和讃といった歌体もしくは挨拶や問答の相手方の作品が紛れ込んでいるのではないのだろうか。腑に落ちない)。『漁夫歌人 糟谷磯丸展』は軸・額、短冊等を「まじない歌」「教訓歌」「敬神佛歌」「挨拶歌」「問答歌」「述懐歌」「新古今調歌」「遊戯歌(折込歌・織込歌)」のグループで分けている。
 数は少ないが、この呪い歌こそが磯丸を磯丸たらしめているのである。本稿では、その呪い歌がいつ頃から作られたのか、ということに主眼を置いて年譜と重ねることにした。もっとも中島隆巧(たかこと)の問答集『はま千鳥』は呪い歌についても質問しているようだ。磯丸、四十九歳。この頃は、しかし『漁夫歌人 糟谷磯丸』によると村の人々や近所近在に限られていたらしい。作品も特定することができない。それに対して活動範囲の広がりを反映しているのが文化十四年の五十四歳ではないか。三年間、伊良湖明神に裸参りを続けて大患の母を本復させ、八十四歳の長寿を得た。歌の面では無筆の漁民歌人だったが、引き立ててくれる人も多く、堂上歌人の弟子として名前まで頂いた。不思議な力と縁の持ち主なのだ。この歌人なら霊験あらたかな呪い歌をものしてくれるのではないか。依頼する側の視点に立って、以後の年譜を辿ると、荒れる天竜川を歌で静めたこと、村の大火にもかかわらず磯丸の家だけが焼け残ったこと、名古屋では雨止めの歌で翌日晴天にしたこと、などを拾うことができる。ほかにも効く、効いたという人たちも多くいたことだろう。
 弘化五年五月三日、磯丸は八十五歳の長寿を全うする。奇しくも生まれた日と同じ五月三日、やはり何かを持っていたのだという印象が残る。嘉永三年、神祇管領より磯丸霊神号が許され、屋敷内に磯丸霊神祠が建てられる。同時期、三河川尻村には磯丸神社が建てられる。文字通り、人から神様になったのである。
 後者については、次のエピソードが伝えられている(原文は夏目隆文の著であるが、今は安江茂の『糟谷磯丸 伊良湖の歌ひじり』よりの孫引きとする)。

  かつてこの里では、害虫の災ひによつて作物が全滅に瀕したことがあつた。里 人たちがこのことを嘆き悲しんでゐたとき、通りかかつた磯丸が事情を聞いて乞 はるるままに「みつぎものつくる田畑につく虫をはらへ水穂の国つ神風」と、災 ひなす虫をはらふ歌を詠んだところが、その後不思議に害虫が後を絶つに至つた といふので、里人たちは磯丸の歌の徳によつてこの里が虫の災ひから免れ得たこ とを喜び、磯丸を神の如く崇拝し礼賛した。

 明治以後、近代化の波は医学を始めとする多くの分野で呪い歌に託したことどもを科学的に解決する方向で成果を上げていった。それにつれて呪い、呪禁の類は忘れられていった。あるいは過去の遺物として疎んじられていった。しかし呪い、呪禁に託した人々の願いから目を逸らせてはならないだろう。健康から生活の微細また自然災害や人為災害に至るまで、本質的には何ら変わらない。極めて今日的であり、そこに立っているのは私たち自身なのだ。二百年ほど遡って、そうした生の現場を旅することにした。

     写真は伊良湖岬の糟谷磯丸像。右に歌碑の並ぶ遊歩道(いのりの磯道)、正面がフェリーの発着場と道の駅、右に国道が豊橋へと続く。


 年譜で読む呪い歌
 
明和元年(一七六四年、一歳)
      五月三日、三河国渥美郡伊良湖村に生まれる。通称新之
安永七年(一七七八、十五歳)
      この頃、渥美郡日出村斉藤家の草刈小僧となる。
寛政六年(一七九四年、三十一歳)
      十月、父新六没す(享年不詳)。
寛政十年~十二年(一七九八年~一八〇〇年、三十五歳~三十七歳)
      この頃、母大患のため伊良湖明神に本復を祈って裸参りを三年間続ける。神前で出会った旅人から啓示を受け和歌に目覚める
      無筆の歌よみの噂を耳にした郡奉行井本常蔭より、磯丸の雅号を与えられ、指導を受ける。
文化元年(一八〇四年、四十一歳)
      三月、女流歌人林織江に見出される。「自らも歌よみてけるあだ名をいらご大納言とかや、皆人言ふめり」(『伊良古之記』)
文化八年(一八一一年、四十八歳)
      十一月、林織江に伴われて上京。堂上歌人芝山持豊(しばやまもちとよ)(一七四二~一八一五)に謁見し門人となり、貞良の名を賜る。宮中の豊明節会(とよあかりのせちえ)の儀を庭上にて拝観する。
文化九年(一八一二年、四十九歳)
      歌人で国学者、伊勢外宮の神官でもあった足代弘訓(あじろひろのり)(一七八四~一八五六)の知遇を得る。
      十月、伊勢内宮の一ノ禰宜・荒木田定綱による聞書『磯丸の事』が筆録される。同年冬、三河の国吉田の大崎村に地行地を持つ旗本・中島隆巧(たかこと)による問答集『はま千鳥』筆録が採録される。
文化十年(一八一三年、五十歳)
      六月、師井本常蔭、三十八歳で没す。
      この頃、渥美郡赤羽根村の漁師の娘を妻に迎える。
文化十二年(一八一五年、五十二歳)
      二月、権大納言芝山持豊、七十四歳で没す。
文化十三年(一八一六、五十三歳)
      十一月、母没す(八十四歳)
文化十四年(一八一七年、五十四歳)
      三月、母の納骨のため信州善光寺に旅する。

   火ふせの歌~ 二、波のしらべ 文化の末頃~
神かけていのる心は雨あられ火ふせにむすふ水くきのあと
   *詞書「火伏せ」は「火災を防ぐこと。特に、神仏が霊力によって火災を防ぐこと」。以下、辞書類は基本的にジャパンナレッジによる。
   *歌は〈神かけて祈る心は雨霰火伏せに結ぶ水茎の跡〉
雨あられ雪も氷もかきつめて火ふせにむすふ水くきのあと
   *歌は〈雨霰雪も氷も書き詰めて火伏せに結ぶ水茎の跡〉

   盗賊除の歌~二、波のしらべ 文化の末頃~
たちかへれ浦のとまやによするともかひやなからん沖津しら波
   *歌は〈立ち返れ浦の苫屋に寄するとも甲斐やなからん沖津白波〉
   *二句「苫屋」はスゲやカヤなどで屋根を葺いた粗末な小屋。結句「白波」は「泡立って白く見える波」また「盗賊」の異称。
しら波のよるのうらわのかくれ家を月にとははや有明のそら
   *歌は〈白波の夜の浦回の隠れ家を月に問はばや有明の空〉
   *二句「夜」に「寄る」を掛ける。「浦回」は深く湾曲した入り江いう。
月と日の光りみつれはしら波のよるのうらはのかくれかもなし
   *歌は〈月と日の光り満つれば白波の夜の浦回の隠れ家もなし〉

文政元年(一八一八年、五十五歳)
      林織江、八十二歳にて没す。
文政二年(一八一九年、五十六歳)
      この頃、芝山国豊(一七八一~一八二一年)に歌の手直しを受ける。
文政四年(一八二一年、五十八歳)
      芝山国豊、四十一歳にて没す。
文政七年(一八二四年、六一歳)
      初めて江戸に入り幕臣・新見正路(しんみまさみち)(一七九一~一八四八)に招かれる。
文政八年(一八二五年、六二歳)

   天竜川のあれけるとて歌よみてよとありければ~五一、もとの淵の巻~
もとの淵もとの瀬をゆけひと筋に水も道ある御世をまもらは
   *歌は〈元の淵元の瀬を行け一筋に水も道ある御世を守らば〉
   *安江茂によると「これは秋葉山参詣の帰路に立ち寄った雲名(うんな)という里で、天竜川の氾濫に苦しむ村人たちの嘆きを聞き、川の怒りを鎮める歌を請われて詠んだものだが、ほどなく水の瀬の方向が    変って水害を免れたと伝えられる」(『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』一〇〇~一〇一頁)という。

文政十三年、天保元年(一八三〇年、六十七歳)
      十月頃、江戸へ。近江の三上藩主・遠藤胤統(えんどうたねのり)(一七九三~一八七〇)の使者として歌学方・北村季文(きたむらきぶん)(一七七八~一八五〇)邸を訪問。

   あるたをやめの身のふとらぬ歌よみてよとありければ~二三、日光まうて 文政十三年(即ち天保元年)~
ふとるその身をはやつしていと長くしつのをたまき千世もへぬへ
   *歌は〈太るその身をば窶していと長くしづの苧環千世も経ぬべし〉
   *四句「しづの苧環」は、しずを織るための麻などを玉に巻いたもの。

   ある人の許より枕に鼠のさはるとて歌よみてよとありけれは~日まうて 文政十三年(即ち天保元年)~
いかてかく夜半のまくらに音つれてねすみおきすみ夢さますらん
   *歌は〈いかでかく夜半の枕に音連れて鼠おきすみ夢覚ますらん〉
   *四句は「寝ず身起き棲み」の言葉遊びと解した。
世もすからねすみおきすみいかてかくひとのすみかのものあらすらん
   *歌は〈世もすがら鼠おきすみいかでかく人の住み家のもの荒らすらん〉

   あるたをやめの月やくのめくりあしきとて歌よみてよとありけれは~二三、日光まうて 文政十三年(即ち天保元年)~
にこりなくよとまてめぐれ久かたの月々にさく花のした水
   *詞書の「月やく」(月役)は月経のこと。
   *歌は〈濁りなく淀まで巡れ久方の月々に咲く花の下水〉

   八十あまりなる人の足の病の治る歌よみてよとありけれは~二三、日光まうて 文政十三年(即ち天保元年)~
かよひきてよしといふまてたつあしのさはりをはらへ難波うらかせ
   *歌は〈通ひ来て良しといふまで立つ足の障りを払へ難波浦風〉
   *二句「良し」に「葦」、三句「足」に「葦」を掛けて結句とした。

いのるその神もうけひけあつさゆみやそちにあまる人の身のため
   *歌は〈祈るその神も承け引け梓弓八十路に余る人の身のため〉
   *二句は「神も同意せよ」の意、三句「梓弓」は枕詞、その縁で四句「八十路に余る」の「八」(や=矢)音に掛けた。

   畑のたなつものを狐のはみあらすとて歌よみてよと人の乞ひ給ひ給ふに~補遺二 たのむかなの巻 文政十三年~
貢ものつくる畑けにまく種をいかてきつねのはみあらすらん
   *詞書の「たなつもの(穀)」は五穀、穀物をいう。
   *歌は〈貢ぎ物作る畑に蒔く種をいかで狐の食み荒らすらん〉
   *初句「貢ぎ物」は年貢のことを言っている。

   ある人かさのやまひの治る歌よみてよとありけれは~補遺二 たのむかなの巻 文政十三年~
むらさめのはるるみそらをあふき見てそのみのかさはぬきすてよかし
   *詞書の「かさ(瘡)」は皮膚病の総称、特に梅毒をいう。
   *歌は〈村雨の晴るる御空を仰ぎ見てその簑笠を脱ぎ捨てよかし〉

   麥飯をきらふ人ありとて歌よみてよとありけれは~補遺二 たのむかなの巻 文政十三年~
天地のあたへたすくるめくみともしらてやそむききらふおろかさ
   *歌は〈天地の与へ助くる恵みとも知らでや背き嫌ふ愚かさ〉
   *四句の「背き」に同音の「麥」を隠している。

天保二年(一八三一年、六十八歳)

   むねの病の治る歌よみてよとありければ~二四、奇石の歌 天保二年~
むすほふる心のこほふりうちとけて名残もなみにかへりすまなん
   *歌は〈結ぼほる心の冠打ち解けて名残も波に返り清まなん〉

天保三年(一八三二年、六十九歳)
      十月、伊良湖村大火、磯丸の家のみ焼け残るを旅より帰って知る。

   天保三年正月八日の夜、我せこか大ひなるむかでの数々家にいりくる夢を見しとて歌よめとありけれはほきてよめる~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
神たからつみや治めん我やとにはこふむかてのあしの数々
   *詞書の「我せこ」は「私の夫」だろう。「祝(寿)ぎて詠める」。
   *歌は〈神宝(かんたから)罪や治めん我が宿に運ぶ百足の足の数々〉
   *歌意は「罪・穢(けがれ)を祓い清めたのだろうか。私の家に、神へ捧げる品物が百足によって運ばれてくる、その足の数々、実にめでたいことだ」。

天保四年(一八三三年、七十歳)
      この頃、妻の別離要求を許す。

   ある女のぬひはりのよく出きるやうに、歌よみてとありけれは~二六、咲く花の巻 天保四年~
から衣たちぬふはりのいとなみをこころにかけてわすれすもかな
   *〈唐衣裁ち縫ふ針の営みを心に掛けて忘れずもがな〉

   女のかしよくよく出きる歌、よみてよと乞ひけれは~二六、咲く花の巻 天保四年~
うみつむきしつのをたまきいとまなく心にかけて手ぶりおほへよ
   *詞書は「女の家事よくよく出来る歌」。
   *歌は〈績紡(うみつむぎ)しづの苧環暇無く心にかけて手振り覚えよ〉

天保五年(一八三四年、七十一歳)
      九月、磯丸の和歌の効験に感謝して遠江国中泉の青山維明が発起人となり、伊良湖明神へ石灯籠奉献の運動起こる。天保七年正月頃完成奉献。
      *安江茂著『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』の口絵に「磯丸灯籠」が載る。写真を便りに探した。伊良湖神社の本殿に上る階段上の右にある灯籠と思われる。階段下左に磯丸廟。













天保七年(一八三六年、七十三歳)
      十二年ぶりに天竜川方面に旅する。

   新城の里なる山本氏のもとにて、井戸にうは水のささぬ歌よみてよありけれは~三〇、竹広の里にて 天保七年~
井戸きよみし水のほかのうは水はさすことかたくよそになかれよ
   *歌は〈井戸清み清水のほかの上水はさすこと難くよそに流れよ〉

天保九年(一八三八年、七十五歳)

   御馬のはひをはらふ歌よめとおほせことかうぶりて~三二、道中日記 天保九年~
夏虫のもえにしあとの草ならていかて御馬にはひかかるらん
   *詞書の「はひ」は「蠅」、「はえ」が変化して「はい(はひ)」である。
   *歌は〈夏虫の燃えにしあとの草ならでいかで御馬に灰かかるらん〉
   *上句は「朝がきて光らなくなった螢がとまる草でもないのに」、下句は二句の縁で「どうして馬に灰(蠅)がかかるのか」となる。

   こかねのあつまるを乞ひければ~三二、道中日記 天保九年~
此宿にさきもみちなんみな人のめつる宝の山ふきの花
   *歌は〈この宿に咲きも満ちなん皆人の愛づる宝の山吹の花〉
   *詞書の「黄金」を庭に咲く山吹の色に転じた。花が開いて一杯になってほしいものだ。人も感心する、宝の山のように吹き出す、山吹の花が。

天保十年(一八三九年、七十六歳)

   麥のそぶてふ病をはらふ歌よみてよとありければ~三五、秋の旅行 天保十年~
これもはたたみをやしなふ麥くさにかかるやまひをはらへ神かせ
   *詞書の「そぶ」は急に気温を低下させて、農作物に被害をもたらす霧。愛知県宝飯郡の方言では農作物の葉などにつく一種の病原菌とある。
   *歌は〈これもはた民を養ふ麥草にかかる病を払へ神風〉

天保十一年(一八四十年、七十七歳)

   ある人乳でる歌よみてよとこひければ~三六、春の詠草 天保十一年~
出よかし親のめくみのちくま川なかれをくみてそたつ子のため
   *歌は〈出(いで)よかし親の恵みのちくま川流れを汲みて育つ子のため〉
   *三句は「筑摩」か「千曲」か不明だが、その「ち」に「乳」を掛けた。

   ある人病にて身のはれたるとて歌よみてよとこひければ~三六 春の詠草 天保十一年~
大そらとおなし心のあきらかにはれたるみにはさはりあるまし
   *詞書は「身の腫れたるとて」、これを反転して応えた。
   *歌は〈大空と同じ心の明らかに晴れたる身には障りあるまじ〉

   ある人の、酒のよきほとにのめる歌、よみてよとありければ~三八 ほえぐの中よりかきぬきし歌とも 天保十一年~
酒はたたよきほとほとにのむもよしのまぬにしくはあらじとそ思ふ
   *詞書「反古(ほうぐ)の中より書き抜きし歌ども」、反古は覚書の類なのだろう。
   *歌は〈酒はただ良き程々に飲むも善し飲まぬに及くはあらじとぞ思ふ〉

   産安歌~三八、ほうぐの中よりかきぬきし歌とも 天保十一年~
みつ塩にうみ安かれといのるかなはらめる人はあまにはあらねは
   *歌は〈満塩に産み安かれと祈るかな孕める人は海女にはあらねば〉
   *初句は「満潮に」、二句「産み」に「海」を掛けた。

   人のあざてふもののなほる~三八、ほうぐの中よりかきぬきし歌とも 天保十一年~
うまれよりしろきは人のぢかほにてあざむくいろはゆきと消なん
   *歌は〈生まれより白きは人の地顔にて欺く色は雪と消えなん〉
   *四句に同音の「痣」を隠す。結句の終助詞「なん」は希望表現である。

   ある人耳の近くなる歌こひければ~三八、ほうぐの中よりかきぬきし歌とも 天保十一年~
きくための耳にはちかく音つれてかよへことはのはなのしたかせ
   *歌は〈聞くための耳には近く音連れて通へ言葉の花の下風〉

   ある人かたのはるとて、歌こひければ~三八、ほうぐの中よりかきぬきし歌とも 天保十一年~
やめたまへおしてそいのるあつさ弓はるといふなるかたのやまひを
   *詞書は「或る人、肩の張るとて」。
   *歌は〈止めたまへ押してぞ祈る梓弓張るといふなる肩の病を〉
   *二句「押して」(強引に)に「押手」(射術で左手)を掛けた。

   髪のしらかにならぬ歌、こひければ~三八、ほうぐの中よりかきぬきし歌とも 天保十一年~
名にしおふくろ髪山のふかみとりとしはへぬとも色なかはりそ
   *歌は〈名にし負ふ黒髪山の深緑年は経ぬとも色な変はりそ〉
   *二句「黒髪山」は栃木県日光市にある男体(なんたい)山の別称である。

   ある人風ひきたるとて、歌こひけれは~三八、ほうぐの中よりかきぬきし歌とも 天保十一年~
人のみにやとるはおろか風ならは空をふくこそならひなりけれ
   *歌は〈人のみに宿るは愚か風ならば空を吹くこそ習ひなりけれ〉

   ある人髪のちちむと、歌こひければ~三八、ほうぐの中よりかきぬきし歌とも 天保十一年~
名にしおふ髪はすぐなるものなれはをくしにかけてとかはのびなん
   *歌は〈名にし負ふ髪は直ぐなるものなれば小櫛にかけて解かば伸びなん〉

   ある人小児のかんの虫の治る歌、よみてよとこひければ~三八、ほうぐの中よりかきぬきし歌とも 天保十一年~
人の身にやとるはおろかかんちかひむしてふむしは秋にこそあれ
   *疳の虫とは、小児の疳の病を起こすといわれる虫。また、その病気。食物をむやみにとって消化不良を起こし、腹ばかりふくらんでやせる。転じて癇癪を起こさせるといわれる虫。磯丸の頃は前者の意かと思われる。
   *歌は〈人の身に宿るは愚か勘違ひ虫てふ虫は秋にこそあれ〉

   疫除(七十七歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねかはくはそらふきたまへ風の神人にさはりて何のゑきれひ
   *歌は〈願はくは空吹きたまへ風の神人に障りて何の疫癘〉

   あしき夢をけすうた 七十七翁~補遺編~
うしとみし嬉しとみしもときのまにさめてあとなきうたたねのゆめ
   *〈憂しと見し嬉しと見しも時の間に覚めて跡無き転た寝の夢〉

   家内わかふ(和合)の歌よみてよとありけれは七十七翁~補遺編~
むつ満しく君もろともに住のえの松に契りて千世もさかえよ
   *歌は〈睦まじく君もろともに住の江の松に契りて千世も栄えよ〉

天保十二年(一八四一年、七十八歳)
      新見正路(しんみまさみち)(一七九一~一八四八)、戸田氏綏(とだうじやす)(一八〇五~一八五五)等と歌の応酬。

   庭鳥の宵鳴すとてうたこひけれは~四〇、大崎の御館にて 天保十二年~
庭つ鳥家の栄えをつくるかなよひなきこゑと人はいふなり
   *詞書であるが「鶏が宵鳴きをすると凶事がある」という俗信が行われていた。それを逆転してみせた。磯丸の呪い歌の手法の一つでもあった。
   *歌は〈庭つ鳥家の栄えを作るかな宵鳴き声と人は言ふなり〉

   病の治る歌よみてよとこひけれハ 七十八翁~補遺編~
すませたた心のきよくすむときは病も水のあはときへまし
   *歌は〈澄ませただ心の清く澄むときは病も水の泡と消えまし〉

   しつの病の癒る歌 七十八翁~補遺編~
むらさめはしばしのうちにはるるなりそのみのかさはぬきすてよかし
   *詞書の「しつ」とは「湿」か。湿瘡(しっそう)・疥癬(かいせん)・皮癬(ひぜん)を湿と呼ぶらしい。
   *歌は〈村雨は暫しのうちに晴るるなりその簑笠は脱ぎ捨てよかし〉

天保十三年(一八四二年、七十九歳)


   ある女よるおびえるとて歌こひけれは(七十九歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ひきしめてゆるすなよ夢おとろかすおのがこころのこまのたつなを
   *歌は〈引き締めて許すなよ夢驚かす己が心の駒の手綱を〉

   天保十三年五月十七日、名古屋の里なる押切町京屋氏のもとにて、人々つとひて天気をいのりて歌よめとすすめけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
五月雨の日数ふりそふうき雲をふきはらへかし天の神かせ
   *歌は〈五月雨の日数降り添ふ浮雲を吹き払へかし天の神風〉
   *二句の「降り添ふ」は「さらに降り続く」「降り重なる」意。四句切れ。

   とよみて奉りけれはあくる十八日の日晴天になりけれはありかたさのあまり~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
天津神いのる信を水にせてあめやめ給ふめくみをそおもふ
   *歌は〈天津風祈る信(まこと)を水にせで雨やめ給ふ恵みをぞ思ふ〉

   疱瘡のかるき歌(七十九歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
かかるとも身にはさはらぬつゆ計もらすもがさの神にいのらん
   *歌は〈罹るとも身には障らぬ露ばかり漏らす痘瘡(もがさ)の神に祈らん〉

   くさけの治る歌(七十九歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
やきかまのとかまをもちてかりとらんかかるくさけのつゆものこらす
   *詞書の「くさけ(瘡気)」は瘡の病状また瘡にかかりやすい体質をいうが、その瘡については腫れ物・湿疹・浮腫等、方言の領域である。
   *歌は〈焼き鎌の利鎌を持ちて刈り取らん斯かる瘡気の露も残らず〉
八重の田のとかまをもつてかりとらんかかるくさけの露ものこらす
   *歌は〈八重の田の利鎌を以て刈り取らん斯かる瘡気の露も残らず〉
   *初句の「八重」は数多く重なっていること。広大な田で使う利鎌の数を以て、あるいはそんなに広い田で使っても傷まない刃先、の意か。

天保十四年(一八四三年、八十歳)
      八月、田原藩主三宅康直(一八一一~一八九三)の月見の宴にまねかれる。
      この頃、三河作手の里人、磯丸のために庵を建て、傍らに五十五(いらご)神社を創建。
      十月、鳳来寺山内に磯丸の歌碑建つ。
      十二月、偽貴族の凶賊磯丸宅に来宿。

   あま火といふ虫よけの歌(八十歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
あま火ならもゆとも消よむしならはのへの草葉の根へかへれかし
   *詞書の「あまび」は方言で「あまめ」(船虫)、また「あまめ」も方言で油虫・ゴキブリ等となる。歌意からすれば油虫だが長崎方言とある。
   *歌は〈あま火なら燃ゆとも消えよ虫ならば野辺の草葉の根へ還れかし〉

   御神に大漁を祈奉りて(八十歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ひくあみのめにあまるまてうろくづをだきよせたまへわたつみの神
   *歌は〈引く網の目に余るまで鱗(うろくづ)を抱き寄せ給へわたつみの神〉
   *四句の「鱗」は魚の異称、結句「わたつみ」は海をいう。

   ちのみちの治るうた(八十歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
めくりよくおさめたまへよ子を思ふ父と母とのちのみちの神
   *詞書の「血の道」は女性特有の病気の総称をいう。
   *歌は〈巡りよく治め給へよ子を思ふ父と母との血の道の神〉

   いしかよけの歌(八十歳)~補遺四 後の磯の玉藻(二)~
王君の地にすみながらみつぎものいかでいしかのはみあらすらん
   *詞書の「いしか」とは「猪鹿(ゐしか)」か。
   *歌は〈王君の地に棲みながら貢ぎ物いかでいしかの食み荒らすらん〉

   いながらすとてうたこひければ(八十歳)~補遺四 後の磯の玉藻(二)~
神かけていざひきとめんあづさ弓いながらもらす人の病を
   *詞書の「いながら」は「居(ゐ)ながら」で日本方言大辞典には「(居ながらの状態でしてしまうところから)寝小便。愛知県名古屋市」とある。
   *歌は〈神かけていざ引き止めん梓弓居ながら漏らす人の病を〉

   小児麥めしをきらふとて歌こひければ(八十歳)~補遺四 後の磯の玉藻(二)~
米もすき鍬もてつくる麥なればくはぬはおろかすきになれなれ
   *歌は〈米も好き鍬もて作る麥なれば食はぬは愚か好きになれなれ〉
   *二句の「鍬」と四句の「食は」の同音で展開しているところが目を引く。結句と初句の「すき」は「好き」だが農具の「鋤」と同音でもある。

   うしのなやむと歌こひければ(八十歳)~補遺四 後の磯の玉藻(二)~
とらうたつみ午ひつじもさるとりもいぬゐねにふすうしをたすけよ
   *詞書の「なやむ」は「悩む」で病気になること。
   *歌は〈虎兎竜/蛇馬羊も/猿鶏も/犬猪鼠にふす/牛をたすけよ〉
   *十二支「ねうしとらうたつみうまひつじさるとりいぬい」の「鼠牛」を後に回した。下句は「(いぬゐ)寝に臥す牛を助けよ」となる。

   せきの治るうた(八十歳)~補遺四 後の磯の玉藻(二)~
守神も戸ささてとほせ名にしおふせきちになやむ人の身のため
   *歌は〈守(まも)り神も戸鎖さで通せ名にし負ふ関路に悩む人の身のため〉
   *四句の「関路に悩む」の「関」に「咳」を掛けた。

   口中のいたみの治る歌こひければ(八十歳)~補遺四 後の磯の玉藻(二)~
はなのしたのこと葉の風にかよひきて口のさはりをふきはらへかし
   *歌は〈鼻の下の言葉の風に通ひきて口の障りを吹き払へかし〉

   あたまの病をはらふ歌(八十歳)~補遺四 後の磯の玉藻(二)~
なにしおう我がかみやまの風たちてかかるさわりをふきはらへかし
   *歌は〈名にし負ふ我が神山の風立ちてかかる障りを吹き払へかし〉
   *二句の「神山」は神が鎮座する山、「神」に「髪」が通音する。

   井戸の水よく出る歌こひけれハ 八十翁~補遺編~
あまるまて出よ真清水此つつのよよに流れをくむ人のため
   *歌は〈余るまで出(いで)よ真清水この筒の世々に流れを汲む人のため〉

   井戸の水よくなる歌こひけれハ 八十翁~補遺編~
あまるまで出よま清水此つつの流れをくみてすめる身のため
   *歌は〈余るまで出(いで)よ真清水この筒の流れを汲みて澄める身のため〉

   ものおぼえのよき歌こひけれハ 八十翁~補遺編~
何こともみしめのなわのたゆみなくわか神垣にかけておぼえよ
   *歌は〈何事も御注連(みしめ)の縄の弛み無くわが神垣にかけて覚えよ〉

   風よけの歌こひ給ふに 八十翁磯丸~補遺編~
よもの海浪も治まるときつ風ふくとて何かさはりあるまし
   *歌は〈四方の海浪も治まる時津風吹くとて何か障りあるまじ〉

天保十五年、弘化元年(一八四四年、八十一歳)
      一月、凶賊捕らわる。その所持品から磯丸に嫌疑がかかり、大坂町奉行所に召喚される。
      組頭付添で訊問を受けるが、芝山家の証言で嫌疑が晴れ放免。帰路、芝山家へ立ち寄り、硯を賜る。
      信州山本村二つ山に歌碑建つ。

   おこりの落る歌 八十一翁~補遺編~
天地のうこくまてこそかたからめ露のおこりはおとせことの葉
   *詞書の「瘧(おこり)」はマラリア性の熱病のことだが、「おこりが落ちる」で「ある物事に夢中になっていた状態から覚める」意となる。
   *歌は〈天地(あめつち)の動くまでこそ難からめ露のおこりは落とせ言の葉〉
   *四句は枕詞「朝露の」が「起く」に掛かることから閃いた修辞か。

   歌碑 八十一翁 水よけのうたこひけれは 飯田川路~補遺編~
もとのふちもとのせをゆけひと筋に水もみちあるみよをまもらは
   *歌は〈元の淵元の瀬をゆけ一筋に水も道ある御世を守らば〉

弘化二年(一八四五年、八十二歳)
      尾州焼物師常滑小三郎磯丸の胸像を作る。

   屋敷をもとむるとて(八十二歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
君かためあふきまつらんうけえたるこの地の神のあらんかきりは
   *歌は〈君がため仰ぎまつらん受け得たるこの地の神のあらんかぎりは〉

   せんき歌(八十二歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
守神にかけてはなさん梓ゆみいかにせんきの筋をひくとも
   *詞書の「せんき」は前からのおきて、以前からのしきたり、すなわち先例や前例を意味する「先規」と解した。
   *歌は〈守り神にかけて放さん梓弓いかに先規の筋を引くとも〉

   (八十二歳)~補遺四 後の磯の玉藻(四)~
いか計あらふる神もゆきかよふみちにたたりはあらしとそ思ふ
   *歌は〈いかばかり荒ぶる神も行き通ふ道に祟りはあらじとぞ思ふ〉
   *呪い歌にカウントしていなかったが安江茂の『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』の「歌碑になった磯丸の歌」を読んで付け加えた。以下「八千本を超える四季桜が美しい和紙の里、豊田市小原の一本松峠にも、磯丸の足跡を残す一基の歌碑がある。豊田市から恵那市に抜ける国道四一九号線が、旧小原村の中心地を通過して間もなく一本松峠にかかる。道路の整備された現在では、峠と名づけるほどの坂道とも思えないが、以前この峠は険阻というより呪われた峠として有名だったらしい。/この峠には、この道を通って嫁入りした人は必ず離縁されるという言い伝えがあって、土地の人々の悩みの種となっていたが、磯丸の歌の功徳によって呪いが解けたと言い伝える」云々とある。

   井戸に長虫のわき出るとて歌こひけれは 八十二翁~補遺編~
いとはるる井戸をは出て人のため山川にすめ命長むし
   *詞書の「長虫」は蛇をいう。
   *歌は〈厭はるる井戸をば出(いで)て人のため山川に棲め命長虫〉
   *結句は「名前のように命を長く、長虫よ」と解した。

   虫をはらふ歌 八十二翁~補遺編~
みつきものつくる田畑につく虫をはらへ水ほの国つ神風
   *歌は〈貢ぎ物作る田畑につく虫を払へ瑞穂の国つ神風〉
   *四句の「水ほ」は「瑞穂」(みずみずしい稲の穂)の宛字、結句の「つ」は「の」の意。

弘化三年(一八四六年、八十三歳)

   ○(八十三歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ゆきならて氷れはかかる身にもうきとけて流よこしの山水
   *歌は〈雪ならで氷ればかかる身にも憂き溶けて流れよ腰の山水〉
   *結句「こし」は山の麓に近い所を意味する「腰」、述懐の趣きである。

   たむしの治る歌 八十三翁~補遺編~
世の中のものの長たる人の身にいかてたむしのすみかくすらん
   *詞書の「たむし(田虫)」は白癬の俗称。
   *歌は〈世の中のものの長たる人の身にいかで田虫の住み家具すらん〉
   *結句「具す」は備える、整える意で「住み家を整えたのか」となる。

弘化四年(一八四七年、八十四歳)
      この頃から視力弱り、揮毫を乞う者には養子の代筆が多くなる。

   明石の神にいのり奉りて(八十四歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
うすかすみかかる我目もほのほのとあかしの神にいのることの葉
   *歌は〈薄霞かかる我が目もほのぼのと明石の神に祈る言の葉〉
   *四句「明石」に「開かし」を掛ける。

   家内安全(八十四歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
むつましく君もろともに住吉のきしの姫まつ千世も栄えよ
   *歌は〈睦まじく君もろともに住吉の岸の姫松千世も栄えよ〉
   *四句「姫松」は小さい松、平仮名は「松」に「待つ」を掛けたか。

   船中安全(八十四歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
いのるそよ清きなぎさによるまでは君が舟船のつつがなかれと
   *歌は〈祈るぞよ清き渚に寄るまでは君が舟船(しゅうせん)の恙なかれと〉
祈るその清きなきさによるまては君か舟路はつつかなかれと
   *歌は〈祈るその清き渚に寄るまでは君が舟路(しゅうろ)は恙なかれと〉

   酢の濁のすめる歌こひ給ふによめる(八十四歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
君かためにこるはおろか名にしおふすならすまなんならひある世に
   *歌は〈君がため濁るはおろか名にし負ふ酢なら澄まなん習ひある世に〉

弘化五年、嘉永元年(一八四八年、八十五歳)
      五月三日、生まれた日と同日に、伊良湖の生家で生涯を終える。

   ○(八十五歳)~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
池水にもしもおほるる人あらはたすけたまへよ四方の神々
   *歌は〈池水にもしも溺るる人あらば助け給へよ四方の神々〉

   風のやまいをはらううた 八十五翁~補遺編~
ねかはくはそらふきたまへ風の神人にさはりて何のえきれい
   *歌は〈願はくは空吹き給へ風の神人に障りて何の疫癘〉

嘉永三年(一八五〇年)
      七月、神祇管領より磯丸霊神号を許され、磯丸霊神祠が屋敷内に建てられる。

      *伊良湖神社の磯丸霊神祠。社務所と手水舎を過ぎて左折すると左に磯丸廟がある。前には階段、上った右の石灯籠が磯丸灯籠(安江茂=遠江の青山維明が発起人となり、浄財を集めて建立し、磯丸の名で奉献した=『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』の口絵参照)と思われる。左に本殿が見える。
      またこれと同時期、三河川尻村には磯丸神社が建てられた。川尻村は現在の新城市、安江茂によると磯丸神社は明治六年に作手村川尻の白鳥神社に合祀されて現在に至っているという。なお夏目隆文の『漁夫歌人 糟谷磯丸』の年譜も、『補遺編 磯丸全集』の年譜も、『漁夫歌人 糟谷磯丸展』の年譜も、天保十四年(磯丸八十歳)の記事であるが、白鳥神社とあって然るべきところが白馬神社となっている。「三河作手村川尻白馬神社に詠歌の額奉納」「同年、作手川尻白馬神社、石座神社、十二所明神、川尻円通寺等へ歌額等を奉納」「同年作手川尻白馬神社、石座神社、十二所明神、川尻円通寺等へ歌額を奉納」。地図を見るが白馬神社は見当たらない。また作手村には十一の白鳥神社があるらしい。全集の口絵、安江茂の『伊良湖の歌ひじり糟谷磯丸』の一九四頁に該当の神社の写真が載っている。
















      *白鳥神社。前を巴川が流れている。新城駅からタクシーに乗る。約八千円。所在地は新城市作手高里字宮前、国道三〇一号線に面している。無人。磯丸神社合祀云々の事柄を記載したものはない。引き戻すと川尻というバス停、さらに進むと十二所神社があって磯丸の歌碑がある。作手高里でバスを待つこと二時間、新城栄町まで四百円だった。
 年代不詳の呪い歌
 
   ある人子の出来る歌よみてよとありければ~五〇、くもりなきの巻~
ねかはくはいのれはは木々そのはらにはらめる種を神にまかせて
   *歌は〈願はくは祈れ帚木その原に孕める種を神に任せて〉
   *二句「帚」に同音の「母」を重ねた。三句の「原」は「胎」となる。
   *参考だが、箒木は信濃の園原にあって、遠くからはあるように見え、近づくと消えてしまうという、ほうきに似た伝説上の木をいう。
はは木々のそのはらにまく種なれは生出んことはあらしとそおもふ
   *歌は〈帚木のその原に蒔く種なれば生出んことはあらじとぞ思ふ〉
   *四句は「生(お)(ひ)出(い)(で)ぬことは」か。でないと結句と矛盾する。

   白雲てふできものの治る歌をよみてよとこひ給ふに~五二、いかばかりの巻~
心あらははらえまつのせ人草の緑にかかるみねのしら雲
   *詞書の「白雲」は頭の毛のはえる部分にできる、えんどう豆大の白色、灰白色円形の伝染性発疹をいう。
   *歌は〈心あらば払へまつのせ人草の緑にかかる峰の白雲〉
   *四句の「まつのせ」は不詳。
人草のみとりにかかる白雲をはらえたかまの原の神風
   *歌は〈人草の緑にかかる白雲を払へ高天の原の神風〉

   ある人子のさつかる歌よみてよとありければ~五三、する墨の巻~
みひとつはむすふの神にいのれかし花の盛は常ならぬ世に
   *歌は〈身一つは結ぶの神に祈れかし花の盛りは常ならぬ世に〉

   ある人夜おひやかさるるとて歌よみてよとありけれは~五四、君かすむの巻~
ひきとめてゆるすなよ夢おとろかすおのか心のこまのたつなを
   *歌は〈引き止めて許すなよ夢驚かす己が心の駒の手綱を〉

   むしの病をはらふ歌こひ給ふに~五四、君かすむの巻~
千世ふへきすくなる竹のこのきみにわさなすむしはあらしとそ思ふ
   *詞書の「虫病(むしのやまい)」だが古事類苑は病原論として九虫(伏虫、蛔虫、白虫、肉虫、肺虫、胃虫、弱虫、赤虫、蟯虫)と三虫(長虫、赤虫、蟯虫)を挙げている(「方技部十八 疾病四」一四三三頁)。
   *歌は〈千世経べき直ぐなる竹のこの君に業なす虫はあらじとぞ思ふ〉

   ある方より、水れんをえる歌よみてよと、こひ給ふに~五四、君かすむの巻~
そこしれぬふかきふちにもうかはまし水にうき木の亀にならはは
   *詞書の「水れん」(水練)は遊泳の術をいう。
   *歌は〈底知れぬ深き淵にも浮かばまし水に浮木の亀に倣はば〉

   庭の松のおとろひたるとて、さかゆる歌よみてよと、ありければ~六一、願はくはの巻~
花のさくためしもあれはことしよりみとりにかへる春をまつかえ
   *歌は〈花の咲く例しもあれば今年より緑に返る春を松が枝〉
   *結句「春を松が枝」に「春を待つ(かえ)」を掛ける。

   ある人親のみたまにたむけんとて、子孫の栄ゆる歌よみてよとありけれは、よみてまひらす~六三、露なからの巻~
こまつ原千世のさかえをまもるらんくさ葉のかけの露のみたまも
   *歌は〈小松原千世の栄を守るらん草葉の陰の露の御魂も〉
   *初句の「こまつ」に子孫の意味で「子待つ」を掛けた。

   ある人うきことを忘るる歌よみてよとありけれは~六三、露なからの巻~
つみはやせうきことあらは忘草世にすみよしのきしをたつねて
   *歌は〈摘み囃せ憂きことあらば忘れ草世に住吉の岸を訪ねて〉
   *参考ながら紀貫之の歌に〈道知らば摘みにもゆかむ住江の岸に生ふてふ恋忘れ草〉(『古今和歌集』墨墨滅歌)がある。

   猪よけの歌よみてよとありければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
心あらはうえてししてもみつきものつくる田はたをはみなあらしそ
   *歌は〈心あらば飢ゑて猪でも貢ぎ物作る田畑を食みな荒らしそ〉

   兎猪除歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
うさぎでもうえてししてもみつぎものつくる田畑をはみなあらしそ
   *歌は〈兎でも飢ゑて猪でも貢ぎ物作る田畑を食みな荒らしそ〉

   馬あらふるとてうたこひければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
からかはんあらぶることをわすれくさ手なれの駒よこころしつまれ
   *歌は〈からかはん荒ぶることを忘れ草手馴れの駒よ心静まれ〉
   *初句「からかふ」は「張り合う」「争う」の意味で下句の思いと呼応する。

   馬の病の治る歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ひつじさる鳥いぬいねもうしとおもひとらうたつみの馬をたすけよ
   *歌は〈羊猿鶏犬猪鼠も牛とおもひ虎兎竜蛇の馬を助けよ〉
   *十二支を途中の羊から最後の猪まで行き、最初の鼠にもどって馬で終わらせた。三句「牛」に「憂し」を掛ける。四句に特別な意味はないと読む。

   鼠除~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
いかてかくねすみおきすみ夜もすから人の住家のものあらすらん
   *歌は〈いかでかく鼠おきすみ夜もすがら人の住み家のもの荒らすらん〉
   *二句は「寝ず身(が)起き棲み」夜もすがら、だろう。

   水虫~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
人の身にかかるはおろか名にしおふ水むしならは水にすまなん
   *歌は〈人の身にかかるは愚か名にし負ふ水虫ならば水に棲まなん〉

   油虫よけの歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
とぼし火のためにもならぬ油むし出るはむやく消もうせなん
   *〈灯し火のためにもならぬ油虫出づるは無益消えも失せなん〉
   *名前に「油」は付くが灯油にならないから。お呼びじゃないというのだ。

   むかてよけ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
いそけ行おのが住家は百足山ゆみ矢の家にいるは身しらず
   *〈急げ行け己が住み家は百足山弓矢の家にいるは身知らす〉

   へびよけ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
へびならは蛇の道すくに池か山よるなさわるな人の住家に
   *歌は〈蛇ならば蛇(じゃ)の道宿(すく)に池か山寄るな触るな人の住み家に〉
   *初二句は「蛇の道は蛇」(同類の者は互いにその社会、またその方面のことに通じているということの喩え)を使った。「すく」は「宿」と解した。

   かまほこよけ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
おのか名のかまほこ持てかりとらんわくとも虫の根のたゆるまて
   *詞書の「かまほこ」は「蒲鉾」。日本方言大辞典で「虫」と出てくる。静岡県の例だが、同様の方言が三河にもあったのだろう。蒲鉾除け。
   *歌は〈己が名の蒲鉾持ちて刈り取らん湧くとも虫の根の絶ゆるまで〉
   *初句の「己」は対称で「おまえ」。二句の「蒲」は「鎌」と同音、下句は「虫の音」でもあるが田畑の稲等にあっては迷惑だから「根」となる。

   のみ、蚊、しらみよけ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
人をのみくろふはおろか身をしらみ人たる物の身にはやとらし
   *歌は〈人を飲み食ろふは愚か身を知らみ人たる物の身には宿らじ〉
   *〈ひとを蚤くろふはおろ蚊みを虱ひとたるもののみにはやどらじ〉

   蟹よけ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
人の住家にはよるな穴を出て穴にいるこそ蟹の道なれ
   *歌は〈人の住む家には寄るな穴を出て穴に入るこそ蟹の道なれ〉

   田畑虫払~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
みつきもの作る田畑につくむしをはらひたまへよ国津神風
   *歌は〈貢ぎ物作る田畑につく虫を払ひ給へよ国つ神風〉

   天火虫除~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
天火ならもゆるとも消虫ならは野辺の千草の根に返らなん
   *歌は〈天火なら燃ゆるとも消ゆ虫ならば野辺の千草の根に返らなん〉
   *初句の「天火」は「てんか・てんぴ・てんび」で雷火また自然に起こる火災をいう。三句は「あまび」(あまめ)で油虫の異名等をいう。

   蠅除~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ふきはらへこと葉のかせよ夏むしのこかれし跡のはひものこらす
   *歌は〈吹き払へ言葉の風よ夏虫の焦がれし跡の灰も残らず〉
   *三句の「夏虫」は蛍、朝が来ても灰を残すわけではない。その存在しない灰のように同音の「はい(蠅)」を吹き払え、というのだろう。

   蚊をよける歌よみてよとありければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
花はとくちりにしあとにのこるかをふきはらはなん木々の下風
   *歌は〈花は疾く散りにしあとに残る香を吹き払はなん木々の下風〉
   *三句の「香」に「蚊」を隠している。否、その逆か。

   ありよけの歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
穴を出て穴にいるこそありのまま人の住家によるなさはるな
   *歌は〈穴を出て穴に入るこそ有りのまま人の住み家に寄るな触るな〉
   *三句の「有り」に「蟻」を掛ける。

   あんとに虫のいらぬ歌よみてよとありければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
夏のむしおのか思ひにもえなからなとともし火のかけによるらん
   *詞書の「あんど」は「あんどん」の変化した語すなわち行灯である。
   *歌は〈夏の虫己が思ひに燃えながらなど灯火の影に寄るらん〉
   *初句は蛍ではない。「思ひ」の「ひ」に「火」を掛けている。

   井戸に長虫のわくとて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
いとはるる井土をはいてて人のため山川にすむ命長むし
   *歌は〈厭はるる井戸を這ひ出て人のため山川に棲む命長虫〉
   *初句「厭(いと)」と二句「井戸(いど)」が同音である。

   井戸に虫のわき出るとて歌よみてよとありければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
いたつらに出るはむやくねかはくは淡と消なん井戸の水むし
   *歌は〈徒に出づるは無益願はくは泡と消えなん井戸の水虫〉
   *原歌の四句「淡」は「泡」の意と解した。結句「水虫」は水中に棲む虫。

   かけ井の水のますうた~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねがわくは出よ真清水君かため思ひかけ井のひきあまるまて
   *詞書の「かけ井」(懸け樋(ひ))は地上に懸け渡して水を導く竹や木の樋。
   *歌は〈願はくは出でよ真清水君がため思ひかけ樋の引き余るまで〉

   田の井戸の水のます歌こひければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
人のため田かやすよりもたえまなく流れ出なん田井の真清水
   *歌は〈人のため耕すよりも絶え間なく流れ出でなん田井の真清水〉

   庭鳥の宵なきするとて、歌よみてとありければことふきて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
行末も猶よきよふにとりなをしやとのさかえをつくるよひなき
   *詞書だが、俗信に「鶏が宵鳴きをすると凶事がある」が行われていた。
   *歌は〈行く末も猶よきやうに取り直し宿の栄えを作る宵鳴き〉

   柿のあまくなる歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
かきむすふ言葉の花に今年よりしぶけをとりてあまくなりなん
   *歌は〈かき結ぶ言葉の花に今年より渋気をとりて甘くなりなん〉
   *初句は「互いに約束する」意。接頭語の「かき」に「柿」を掛けた。

   梅にみのならぬと歌よみてよとありければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
いたつらに咲けるはかり今年よりみのなることをならへ此花
   *歌は〈徒に咲けるばかり今年より実のなることを習へ此の花〉
   *二句六音、字足らずである。

   ある人竹の病を、はらふうたこひければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
いたつらにかるるはむやくめもはるのみとりにかへれ竹のこのきみ
   *歌は〈徒に枯るるは無益芽も張るの緑に返れ竹の子の君〉

   竹のかるるとて歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
いたつらにかるるはおろか千世かけてみとりにかへれ竹のこの君
   *歌は〈徒に枯るるはおろか千世かけて緑に返れ竹の子の君〉

   屋敷をもとむるとて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
君かためあふきまつらんしきませるこの地の神のあらん限りは
   *歌は〈君がため仰ぎ奉らん敷座せるこの地の神のあらん限りは〉

   ある人住所さたまる歌こいければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
心からまよふはおろかいでてみよいつくも同しわか里にすめ
   *歌は〈心から迷ふはおろか出でてみよいづくも同じわが里に住め〉
   *リクエストに応えるというよりは教訓歌、説諭歌の趣きである。

   養子できる歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
君がため千世を契りて栄え行子の日の小松うつし植なん
   *歌は〈君がため千世を契りて栄え行く子の日の小松移し植ゑなん〉
ねかわくは千年をかけてひくまつの子の日の小松うつし植なん
   *歌は〈願はくは千年をかけて引く松の子の日の小松移し植ゑなん〉
春たたは千年をかけてこの宿に子の日の小松うつし植なん
   *歌は〈春立たば千年をかけてこの宿に子の日の小松移し植ゑなん〉

   とくえにしある歌よみてよとこひ給ふに~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
むさし野になひくふた葉のひめこ松とくひかれなん子の日すくさて
   *詞書は「疾く縁ある歌」。
   *歌は〈武蔵野に靡く二葉の姫小松疾く引かれなん子の日過ぐさで〉
   *二句の「二葉(双葉)」は発芽して最初に出る葉、ここでは未婚の二人。三句は小さい松、やはり若い二人を暗示する。

   出生子そたつ歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねがわくは御館の小松今年より千年をかけて生ひ出よかし
   *詞書の「出生子(しゅっしょうし)」は生まれた子。
   *歌は〈願はくは御館(みたち)の小松今年より千年(ちとせ)をかけて生ひ出でよかし〉

   御神に大漁を祈り奉りて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
海士をふねあみもてむかふうろくづをたきよせたまへわたつみの神
   *歌は〈海士小舟(あまをぶね)網もて向かふ鱗を抱き寄せ給へわたつみの神〉
   *三句「鱗(うろくづ)」は魚の異称。結句「わたつみ」の漢字表記は「海神」、しかし歌は海の意味で使っているので平仮名表記とした。

   大漁満足~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
うろくすをたきよせたまへ引網の目にも口にも入過るまで
   *歌は〈うろくづを抱き寄せ給へ引き網の目にも口にも入り過ぐるまで〉

   漁~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
うき波にたたよふよりは大あみにひかれてうかへ海のうろくつ
   *歌は〈浮き浪に漂ふよりは大網に引かれて浮かべ海のうろくづ〉
なむあみにひきあけられてうろくつのいまや六じのうちにうかはん
   *歌は〈南無網に引き上げられて鱗の今や六字のうちに浮かばん〉
   *初句の「南無網」は「南無阿弥」をもじったものだが、意味的には「お願いします、引き網よ」ぐらいだろう。四句の「六字」は南無阿弥陀仏、魚の命・運命も、ここに極まって上がってくるという場面である。

   ある乙女子か八重歯のぬける歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねかはくはわか歯にさはる八重の歯を言葉の風よふきおとせかし
   *歌は〈願はくはわが歯に障る八重の歯を言葉の風よ吹き落とせかし〉

   生目の神に祈奉て~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねかはくはかすむ我目も安らかに生目の神よ守りたまはれ
   *詞書の「生目(いきめ)の神」は宮崎市の生目神社、旧称は生目八幡で眼病に効験著しいといわれ、「日向国の生目さま」の通称で親しまれている。
   *歌は〈願はくは翳む我が目も安らかに生目の神よ守り給はれ〉
年をへてかすむ我目のはるるまて生目の神をいのりてそまつ
   *歌は〈年を経て翳む我が目の晴るるまで生目の神を祈りてぞ待つ〉

   井戸をほるとて歌よみてよとこひ給ふに~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
あまるまて出よ真清水ほる井戸のあらんかきりはくむ人のため
   *歌は〈余るまで出でよ真清水掘る井戸のあらん限りは汲む人のため〉

   旅え行たる人のはや返る歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ふる里にはや立かへれ旅衣君まつ風のふかぬ日そなき
   *歌は〈古里に早立ち帰れ旅衣君待つ風の吹かぬ日ぞなき〉

   返し~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
音つれて耳にはきけといとはねば心にかかる浪風もなし
   *歌は〈音連れて耳には聞けど厭はねば心にかかる浪風もなし〉
   *旅人の返し。初二句は古里の声、三句は旅人の「(旅は)厭はねば」だろう。呪禁歌としては、作者は誰か、を含めて疑問の余地がある。

   家内の栄ゆる歌こひけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
あらそはてたたむつましく住の江の松に契りて千世も栄えよ
   *歌は〈争はでただ睦まじく住之江の松に契りて千世も栄えよ〉

   あきない繁昌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
かけねなく売買事を安くせは徳は升々はかりしられじ
   *歌は〈掛け値なく売り買ひ事を安くせば徳は升々はかり知られじ〉
   *四句は「得は益々」のもじり、結句の「はかり」には「計量する」と「想像する」の両意が込められていよう。

   ○~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
あまを舟あすの渡りのやすかれとけふよりいのるわたつみの神
   *歌は〈海士小舟明日の渡りの易かれと今日より祈るわたつみの神〉
   *二句の「渡り」は海峡を渡ること。結句「わたつみ」は海。

   船中安全~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
綱手縄たゆむ間もなく渡津海の神の恵をおもへ舟人
   *歌は〈綱手縄(つなでなは)弛む間もなくわたつみの神の恵みを思へ舟人〉
   *初句は「綱手」に同じ、船を進ませる時に、陸上から船を引っぱる引き綱。

   田に汐のさすとて歌こひけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
なこりなく浪路に返れ海ならぬ田にさすしほのみちはあらしな
   *歌は〈名残なく浪路に帰れ海ならぬ田に差す潮の道はあらじな〉

   新田のために井戸をほるとて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
君かため出よ真清水みつきもの造るあらたにひきあまるまて
   *歌は〈君がため出でよ真清水貢ぎ物作る新田に引き余るまで〉

   おはりのてきる~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
うみつむき立ぬひはりの絲なみを心にかけてわすれすもかな
   *詞書は「御針のできる」。
   *歌は〈績み紡ぎ裁ち縫ひ針の営みを心にかけて忘れずもがな〉
   *原歌の三句中「糸」は「針」の縁で掛けた。

   木のみちのたくみの家の栄ゆる歌よめよとありければ~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
すみ縄のすぐなるみちをわすれすはゆく末長く家もさかえん
   *詞書の「木の道の工」は大工、指物師や木材で細工する職人をいう。
   *歌は〈墨縄の直ぐなる道を忘れずば行く末長く家も栄えん〉
   *初句の「墨縄」は墨壺についている糸巻き車に巻いてある麻糸。木材などに線を引くのに用いる。墨糸。

   ものかくことに手のふるふとて歌こひけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ふてをもち硯のうみの神かけてもじをかく手のふるひやまなん
   *歌は〈筆を持ち硯の海の神かけて文字を書く手の震ひ止まなん〉

   弓のあたる歌よめとおほせことこふふりて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
梓ゆみまゆみ月ゆみたゆみなく祈はいまもとほらさらめや
   *歌は〈梓弓真弓月弓たゆみなく祈りは今も通らざらめや〉
   *「梓弓」は枕詞、真弓はマユミの木で作った弓、月弓は弦を張った弓のような形の月、加えて三句「たゆみ(弛み)」と四回「ゆみ」を重ねた。結句の「や」は反語、通らないことがあろうか。

   ものおほえのよき歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
何こともみしめの縄のたゆみなく心にかけてわすれすもかな
   *歌は〈何事も御注連の縄の弛みなく心にかけて忘れずもがな〉

   うときとてちゑのつく歌こひけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
うとき身もかしこき神にいのりなはちゑ枝の杉のかけやそはまし
   *歌は〈疎き身も賢き神に祈りなば知恵枝の杉の影や添はまし〉
   *四句は、たくさんに枝わかれした千枝(ちえ)の中には知恵枝も、と解した。

   ある人ものおほゆるよふに、歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
鳥の跡とめて覚えよふみみつつ浜の真砂の数おほくとも
   *歌は〈鳥の跡とめて覚えよ文見つつ浜の真砂の数多くとも〉
   *初句「鳥の後」は筆跡また手紙をいう。浜の真砂のような手紙でも一字一字から始めよ、だろう。

   乳出る歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
あまるまて出よ名にあふちくま川流をくみてそたつ子のため
   *歌は〈余るまで出でよ名にあふちくま川流れを汲みて育つ子のため〉
   *二句「名にあふ」は「名に負ふ」と思われるが、そのままとした。三句の川の名前は千曲川、筑摩川等あるが「ち」に「乳」を掛けた。

   女の月やくのよくめくる歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
月なみの花のした水よとみなくその時々にゆきめくれかし
   *詞書は「女の月役のよく巡る歌」、その月役とは月経をいう。
   *歌は〈月並みの花の下水淀みなくその時々に行き巡れかし〉

   ある人とくつまむかへる歌よみてよと乞ひけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
春たたはとくもひかなん姫小松子の日する野のをりをすくさて
   *詞書は「或る人疾く妻迎へる歌」。
   *歌は〈春立たば疾くも引かなん姫小松子の日する野の折りを過ぐさで〉

   おもふ人とえにしある歌こひけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねかはくはなほ末かけてひたち帯むすふの神の恵みまたなん
   *詞書は「思ふ人と縁ある歌」。
   *歌は〈願はくは猶末かけて常陸帯結ぶの神の恵み待たなん〉
   *詞書を含めて「常陸帯」「結ぶ」「神」と巧みな展開である。

   ふうふ中あしくとて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
つまのためみははあはすはいせもよしうらはおもてにうちまかせつつ
   *詞書は「夫婦仲悪しくとて」。
   *歌は〈褄のため身幅合はずは縮縫(いせ)もよし裏は表に打ち任せつつ〉
   *初句の「褄」は袷(あわせ)や綿入れなどの表地と裏地とが袘(ふき)と竪褄(たてづま)の最下端との角で一点に集まるところ。袘(ふき)は裾の部分の裏地を表に折り返して縁(へり)のように縫いつけたもの、ふき返しである。三句の「縮縫」は布を縫いちぢめて丸みやふくらみを出す技法。四句「打ち任せつつ」は放任して。ちなみに「褄(つま)」「夫(つま)」「妻(つま)」は同音、裁縫に喩えた夫婦仲修復法である。

   世続の子のてきる歌こひ給ふに~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
をみなへしはくめるたねは名にしおふ男山にそ生ひいつるらん
   *詞書の「世続」は「世継」の意と解した。
   *歌は〈女郎花葉ぐめる種は名にし負ふ男山にぞ生ひ出づるらん〉
   *二句の「ぐめる」は接尾語「ぐむ」の已然形に完了の助動詞「り」の連体形。「葉ぐむ」で「葉が現れ始めること」をいう。四句「男山」は三句から石清水八幡宮のある男山と解した。
祈れかし花の盛に種となる身をはむすふの神に祈らん
   *歌は〈祈れかし花の盛りに種となる身をば結ぶの神に祈らん〉

   尾張の国内海の里にて、産の安き歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
うふ神の恵みも満る汐さひをまちてそ安く出るあまの子
   *歌は〈産神の恵みも満つる潮騒を待ちてぞ安く出づる海人の子〉

   安産歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
子の日する小松か原にまくたねは千年をかけて生ひ出つるらん
   *歌は〈子の日する小松が原に蒔く種は千年をかけて生ひ出づるらん〉

   安産を祈りて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
三つのひもとけやすかれとうふ神にかけてそいのる親と子のため
   *歌は〈三つのひも解けやすかれと産神にかけてぞ祈る親と子のため〉
   *出産を「産(さん)の紐を解く」という。この「産」を「三つ」と言い換えた。

   おほせことこうむりて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
君かためたたひと筋にめくりよくまもり治めよちのみちの神
   *歌は〈君がためただ一筋に巡りよく守り治めよ血の道の神〉

   寄風祝~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
四方の海の浪も治まる時つ風ふくとて木々の枝もならさし
   *歌は〈四方の海の浪も治まる時つ風吹くとて木々の枝も鳴らさじ〉

   井水すむ歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
蔭やとる月に濁はなきものをなとすまざらん田井のまし水
   *歌は〈影宿る月に濁りはなきものをなど澄まざらん田井の真清水〉

   井水出る歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねがわくは出よ真清水このつつのつつがなかれとくむ人のため
   *歌は〈願はくは出でよ真清水この筒の恙なかれと汲む人のため〉

   大御神に雨を祈り奉りて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
天つ神ふらせたまへよあめ露をまつの下草かれぬ計そ
   *歌は〈天つ神降らせ給へよ雨露を待つの下草枯れぬばかりぞ〉

   ある時御神に雨を乞奉りて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
たみ草のうるおふまてに天の川照る日の本えせきくたせかし
   *歌は〈民草の潤ふまでに天の川照る日の本へ塞下せかし〉

   雨をこひ奉りて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねかはくはふらせたまへよ雨つゆのかかるめくみをまつの下草
   *歌は〈願はくは降らせ給へよ雨露のかかる恵みを待つの下草〉

   雨ふらせます御神を祈奉てよめる~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
たみ草のうるほふまでにあめか下雨ふらせませ天くたる神
   *歌は〈民草の潤ふまでに天が下雨降らせませ天下る神〉

   雨ふり出しけれよろこびのあまりに~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
みな人のいのるまことの空にみちてかかるめくみの雨やふるらん
   *歌は〈皆人の祈る誠の空に満ちてかかる恵みの雨や降るらん〉

   髪はえる歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねがわくは猶生茂れ名にしおふくろ髪山の色まさるまて
   *歌は〈願はくは猶生ひ茂れ名にし負ふ黒髪山の色増さるまで〉
   *四句「黒髪山」は栃木県日光市にある男体(なんたい)山の別称、歌枕である。

   髪のこくなる歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
年ふとも猶生ひ茂れふかみとりくろ髪山の色まさるまて
   *歌は〈年経とも猶生ひ茂れ深緑黒髪山の色増さるまで〉

   田畑汐風除~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
吹とても沖津汐風御次もの作る田畑にさわらすもかな
   *歌は〈吹くとても沖つ潮風貢ぎ物作る田畑に障らずもがな〉

   例ならさるとて、歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
みそきかはみなかみかけて君かためつみもさはりもはらひなかさん
   *歌は〈禊ぎ川水神かけて君がため罪も障りも祓ひ流さん〉
神かけて清き河原にかき流せかかるいつつのつみもさはりも
   *歌は〈神かけて清き河原に搔き流せかかる五つの罪も障りも〉
   *下句「五つの障り」は、女人に備わる五つの障礙(しょうげ)。梵天、帝釈、魔王、転輪聖王(じょうおう)、仏身になれないことをいう。五つの罪。

   こかねのよる歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
此宿にあまるまてさけ世の中にめつるたからのやまふきの花
   *詞書は「黄金の寄る歌」。
   *歌は〈この宿に余るまで咲け世の中に愛づる宝の山吹の花〉
   *初句の「宿」は家をいう。「黄金」を花の色に転じた。

   ある人こかねのあつまる歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
此やとにあくまてさけよ世の中にめつるたからの山ふきの花
   *歌は〈この宿に飽くまで咲けよ世の中に愛づる宝の山吹の花〉

   水難除~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
わたり川心し澄まはいかばかり水はますともさはりあるまし
   *歌は〈渡り川心し澄まばいかばかり水は増すとも障りあるまじ〉
   *初句は川を渡ること、渡河をいう。
そこ深く汲てもあるけ山川の水はますとも波たたぬ世を
   *歌は〈底深く汲みても歩け山川の水は増すとも波たたぬ世を〉

   水難よけの歌よめとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
天地のふかきめくみの心よくすむ身にはさはりあるまし
   *歌は〈天地の深き恵みの心よく澄む身には障りあるまじ〉
   *四句五音。

   山川のつつみの、たびたびきれるとて、歌こひけれはよみてつかはす~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
人のためいのるまことは山川の神も水にはなさしとそ思ふ
   *歌は〈人のため祈る誠は山川の神も水にはなさじとぞ思ふ〉
   *四句=水になす=水にする=無駄にする。

   雷除~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
なる神のなりわたるとも天つ空ふみなはつしそ雲のかけ橋
   *歌は〈鳴る神の鳴り渡るとも天つ空踏みな外しそ雲の懸け橋〉
   *「踏み外す」とは落雷をいう。鳴るのはよいが落ちてくるなよ、の意。

   盗難除~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
たちかへれあら磯神の宿なれはよることかたき沖つしら浪
   *歌は〈立ち返れ荒磯神の宿なれば寄ること難き沖つ白浪〉
   *三句の「荒磯神」は造語、荒磯は岩石が多く波が荒く打ち寄せる海岸をいう。結句「沖つ白波」は沖に立つ白い波、別に盗賊の意。

   盗除~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
よけてゆけあまの袂にかかるともかひやなからん沖つしらなみ
   *歌は〈避けて行け海士の袂にかかるとも甲斐やなからん沖つ白波〉
おそろしきふちともしらてしら波のうちよするこそあはれなりけれ
   *歌は〈恐ろしき淵とも知らで白波の打ち寄するこそ哀れなりけれ〉

   さひなんよけの歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
祈るそのこと葉の風よふきはらへかかるうき世のつみもさはりも
   *歌は〈祈るその言葉の風よ吹き払へかかる浮世の罪も障りも〉
世にひろき道を心にかけ行かはみにはさはりもあらしとそ思ふ
   *歌は〈世に広き道を心に掛け行かば身には障りもあらじとぞ思ふ〉

   魔除~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
天地の中に生ひたるみたからにわさなすものはあらしとぞ思ふ
   *歌は〈天地の中に生ひたる御宝に業なすものはあらじとぞ思ふ〉
岩根には大江山風ふくはかりおにはそとにもいまはたたせす
   *歌は〈岩根には大江山風吹くばかり鬼は外にも今は立たせず〉

   ○~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
人の身にやとるはむやく風ならはあまつみそらをふきかよへかし
   *歌は〈人の身に宿るは無益風ならば天つ御空を吹き通へかし〉

   廿五のやくはらひの、歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
はたちあまり五つのやくもみそき川つみもさはりもはらひなかさん
   *歌は〈二十余り五つの厄も御祓川罪も障りも祓ひ流さん〉
   *二十五歳は男の厄年。

   役祓~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
神かけて祓ひ流さん五十鈴川四十路返りのやくもさわりも
   *歌は〈神かけて祓ひ流さん五十鈴川四十路返りの厄も障りも〉
   *四句「返り」は接尾語で数詞につく。ここは四十二歳。男の厄年である。

   ある人はらひのうたよみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
かみかけてはらひなかせはみそき川身にはのこらしつみもさはりも
   *歌は〈神かけて祓ひ流せば御祓川身には残らじ罪も障りも〉

   秡~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
あけくれにはらひきよめて身のうちのたかまのはらに神やとせかし
   *歌は〈明け暮れに祓ひ浄めて身の内の高天原に神宿せかし〉

   霜やけ歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
雨あられ雪をもむすぶ言の葉の露には消よ草の霜やけ
   *歌は〈雨霰雪をも結ぶ言の葉の露には消えよ草の霜焼け〉
   *結句の「草」は三句の「葉」を受けたものと解する。

   したのいたみとて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
君がため言葉の風の吹かよふしたのさわりはあらしとそ思ふ
   *歌は〈君がため言葉の風の吹き通ふ舌の障りはあらじとぞ思ふ〉

   ね事とめる歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
わさわいの門口しめてぬるが内も夜るの空事かたるなよ夢
   *詞書は「寝言止める歌」。
   *歌は〈災ひの門口閉めて寝るが内も夜の空事語るなよ夢〉

   かさの病~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
むら雲はしばしのうちにはるるなり其身のかさはぬぎも捨なん
   *歌は〈村雲は暫しの内に晴るるなり其の身の笠は脱ぎも捨てなん〉
   *四句の「笠」に同音の「瘡」(詞書「瘡の病」)を掛けた。

   身のはれたる歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ときのまにかかるくもりは大空とともにはれ行身こそ安けれ
   *歌は〈時の間にかかる曇りは大空と共に晴れ行く身こそ安けれ〉

   いほ歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
今日よりは何国にいぼの橋かけて渡せは身には跡ものこらす
   *歌は〈今日よりはいづくに疣の橋かけて渡せば身には跡も残らず〉
   *日本国語大辞典で「疣取地蔵尊」を引くと疣治療には俗信が多く「『いぼ橋渡れ』といった呪言(じゅごん)を唱える」云々があって参考になる。

   目病~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
久かたの天津神風祓はなん月を見るめにかかるくもりを
   *歌は〈久方の天つ神風祓はなん月を見る目にかかる曇りを〉

   あかがりの治る歌こひけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
いとはるる人をはさりてつの国の難波のあしにかへれあかがり
   *詞書の「あかがり」は「あかぎれ(皹)」のこと。
   *歌は〈厭はるる人をば去りて津の国の難波の葦に返れあかがり〉
   *「難波の葦」(日本国語大辞典に「難波の岸辺に生えるアシ。また、単にアシをもいう」とある)に皹の「足」を掛けた機知の歌。

   たむしの治る歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
世の中のものの長たる人の身はいかてたむしのすみかするらん
   *詞書の「たむし(田虫)」は白癬(はくせん)の俗称。
   *歌は〈世の中のものの長(をさ)たる人の身はいかで田虫の住み処するらん〉

   せきの病の治る歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
もる神もとささでとほせ名にしおふせきちになやむ人の子のため
   *歌は〈守る神も戸鎖さで通せ名にし負ふ関路に悩む人の子のため〉
   *四句の「関」に「咳」(詞書「咳の病」)を掛けた。

   なますの治る歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
池なますいつれの川にやとるとも人たるものの身にはやとさし
   *詞書の「なまづ(癜)」は皮膚病の一種。癜を「鯰(なまづ)」に掛ける。
   *歌は〈池鯰いづれの川に宿るとも人たるものの身には宿さじ〉
   *上句は「鯰は、いずれの池や川に宿るとも」の意であろう。

   足のよはきとてつよくなれる歌こひけれはよみてまゐらす~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
末かけてわけ行くあしのつよかれと道をまもりの神にいのらん
   *歌は〈末かけて分け行く足の強かれと道を守りの神に祈らん〉

   ある人はらむ度々流るるとて歌こひけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
はらむ子の生るる月のたつまてはときなみたしそみつのしたひも
   *歌は〈孕む子の生(うま)るる月の経つまでは時な満たしそ三つの下紐〉
   *結句「三つ」は「産」、「産の紐」(腹帯転じて出産)を七音にした。但し「下紐」は腰巻きの類いで、意味上は整合しない。

   足立歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
秋風にかれふすあしもたつ春の若葉にかへるをりをまたなん
   *歌は〈秋風に枯れ伏す葦も立つ春の若葉に返る折りを待たなん〉

   はしかの病をはらふ歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
穂に出る麥にこそあれ人の身にかかるはしかはかくやはらはん
   *歌は〈穂に出づる麥にこそあれ人の身にかかる麻疹はかくや払はん〉
   *麥の場合の「はしか(芒)」は果実の先にある針のような毛、のぎ。

   或人癪の病にてなやみ歌よみてたへと乞はれて~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
しやくの虫五尺のうちにすみなからなと一丈にせめなやむらん
   *詞書の「癪」は胸部または腹部におこる一種のけいれん痛をいう。
   *歌は〈癪の虫五尺の中に棲みながらなど一丈に攻め悩むらん〉
   *初句の「癪の虫」は、身中にいて癪という病気を起こさせるもとになると考えられた虫。この「癪の虫」に「尺の虫」(尺取り虫)を掛けた。二句の「五尺」は身の丈をいう。下句の主語は「尺取り虫」だろう。

   はのいたみの治る歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
さはるとてはもりの神のいとはるるいたくなふきそはなの下かせ
   *歌は〈触るとて歯守の神の厭はるる痛くな吹きそ鼻の下風〉

   むしはの治る歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
かかるとてはもりの神のいとはるるいたくなふきそはなのした風
   *歌は〈かかるとて歯守の神の厭はるる痛くな吹きそ鼻の下風〉
かかるとてこのははききもなけかるるいたくなわひそそのはらのむし
   *歌は〈かかるとてこの箒木も嘆かるる甚くな侘びそ園原の虫〉
   *三句に虫歯の「歯」(箒木の「は」)、結句に上下逆だが虫歯の「虫」を取り込んだ。箒木は信濃の園原にあって、遠くからはあるように見え、近づくと消えてしまうという、ほうきに似た伝説上の木。

   口中病をはらふ歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
目の前のはなの下風かよひきて口のさはりをふきはらへかし
   *詞書の「口中病」は不詳。口の中の病と解しておく。
   *歌は〈目の前の鼻の下風通ひ来て口の障りを吹き払へかし〉

   はしかをはらふ歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ねかはくは天つ神風人の身にかかるはしかをふきはらへかし
   *歌は〈願はくは天つ神風人の身にかかる麻疹を吹き払へかし〉

   どもりの治る歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
はなとりもむしもかはつもうたふ世になと口こもる人のことの葉
   *歌は〈花鳥も虫も蛙も歌ふ世になど口ごもる人の言の葉〉

   石ふといふ病~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
難波なる芦にはあらじみちのくのつほの石ふみふみなまよいそ
   *詞書の「石ふという病」は不詳。「いしぶ」(方言)で日本国語大辞典や日本方言大辞典が載せるが愛知県周辺がない。足の裏にできる痛みの強いはれ物、足の指や足の裏のまめ、といった内容である。
   *歌は〈難波なる葦にはあらじ陸奥の壺石文(つぼのいしぶみ)踏みな迷ひそ〉
   *四句は青森県上北郡天間林村にあったと伝えられる古碑。坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)征伐の時、弓の弭(はず)で日本の中央であることを書きつけたという。近世になって、宮城県の多賀城の碑が混同して、「つぼのいしふみ」と呼ばれるようになった。結句は、遠くにあるので迷うなよ、の意か。

   手あしのいたみの治る歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
守神にかけてそいのるあづさゆみおしてひく手のなやみやめてよ
   *歌は〈守神にかけてぞ祈る梓弓押手引く手の悩み止めてよ〉
   *射術で左手は押手(おして)、右手を引手(ひきで)という。引く手とはいわない。「~て」が四回、「~み」が二回、計算された修辞だろう。

   病治る歌~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
すませたた心し清くすみぬれは病は水の淡と消まし
   *歌は〈澄ませただ心し清く澄みぬれば病は水の泡と消えまし〉

   水虫といふ病~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
人草にかかるはおろか名にしおふ水虫なれは水に住なん
   *歌は〈人草にかかるは愚か名にし負ふ水虫なれば水に棲まなん〉
   *初句の「人草」は諸々の人。民草。青人草。

   あせものできぬ歌よみてよとありけれは~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
ふきかよふ言葉の風の涼しさにあつさもなつのあせもいださす
   *〈吹き通ふ言葉の風の涼しさに暑さも夏の汗疹出ださず〉

   三河国設楽郡御園村人保介、むかし心えちかいのものあり、人をそこないしゆえに、近村まてそのたたりありとて、治る歌よめといいけれはよめる。~六七、磯の玉藻(六)呪禁~
かくふかくうらみもはれてまもれかし今はその地の神とまつれは
   *歌は〈かく深く恨みも晴れて守れかし今はその地の神と祀れば〉

   ある人里の栄える歌こひけれは~六七、磯の玉藻(八)雑~
世にひろきその里のみか草も木も栄をいはふやまと言の葉
   *歌は〈世に広きその里のみか草も木も栄えを祝ふ大和言の葉〉

   夫婦山~六七、磯の玉藻(八)雑~
萬代もはなれぬ中の夫婦山いつの世にかはむすひそめけん
   *歌は〈萬代も離れぬ中の夫婦山いつの世にかは結び初めけん〉
   *詞書から呪い歌に勘定していなかったが安江茂の『伊良湖の歌ひじり 糟谷磯丸』に二度出てくる。結句は異なるが「歌碑になった磯丸の歌」から引用する。歌は〈萬代もうごかぬ中のめをと山いつの世にかは契りそめけん〉、全集には収録されていない。いわく「柳田國男の項で紹介した信州二つ山の歌碑の歌」である。「この歌では二つ山の間を通って嫁入りした人は、必ず離縁されるという俗説に対して、磯丸は『二つ山』を『めをと山』と言い替えることで、邪神の感覚を一瞬混乱させ、呪縛を逃れようとした。つまり、呪いに満ちた地名を一瞬にして祝意に変えたのである」。場所は長野県飯田市中村である。

   上野国の人旅にて、娘をうしなひ四五年このかた尋ぬれともしれす候ゆへはやくめくりあふ歌こひけれは~六七、磯の玉藻(八)雑~
旅の空子ゆへにまよふ親のため神もあはれとみそなはせかし
   *歌は〈旅の空子ゆゑに迷ふ親のため神も哀れと見そなはせかし〉
子を思ふ親を思ははわかれても又めくりあふこともありなん
   *歌は〈子を思ふ親を思はば別れてもまた巡り合ふこともありなん〉
子を思ふ親の心もくみしらていかなるかたに身をかくすらん
   *歌は〈子を思ふ親の心も汲み知らで如何なる方に身を隠すらん〉

   又よみてつかはす~六七、磯の玉藻(八)雑~
海を越す山は高根にのほるとも返る麓のみちなわすれそ
   *歌は〈海を越す山は高根に登るとも返る麓の道な忘れそ〉

   井戸に長虫のわき出るとて、歌こひければ~六七、磯の玉藻(八)雑~
いとはるる井戸をは出て人のため山水に住いのちなかむし
   *歌は〈厭はるる井戸をば出でて人のため山水に棲め命長虫〉

   あらふる馬のしつまる歌、よみてよとありければ~六七、磯の玉藻(八)雑~
かりかはんあらふることをわすれくさ手なれのこまよ心しつまれ
   *歌は〈刈り飼はん荒ぶることを忘れ草手馴れの駒よ心鎮まれ〉
   *「刈り飼う」は刈草を牛や馬などに食わせること。

   禍の治る歌~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
住吉のきしを尋ねて住むからにかかるやまひもつゆわすれくさ
   *歌は〈住吉の岸を尋ねて住むからにかかる病もつゆ忘れ草〉

   鼠よけの歌~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
ねすみならねすみおきすみよもすから人のたからを食ひあらすとは
   *歌は〈鼠なら寝ず身起き棲み夜もすがら人の宝を食ひ荒らすとは〉
   *二句は「寝ず身起き棲み」と「ねずみ」で洒落た、と解する。

   盗難よけの歌~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
月と日の光みつれは白波の磯の浦はによるかけもなし
   *歌は〈月と日の光満つれば白波の磯の浦回(うらわ)に寄る影もなし〉
   *三句の「白波」には盗賊の意、四句「浦回」は入り組んだ海岸をいう。

   わきかの病ありとて歌よみてとありければ~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
神かけていのることはのかせたちてくさきをはらへ人の身のため
   *詞書の「わきかの病」は臭汗症、腋臭症(えきしゅうしょう)。
   *歌は〈神かけて祈る言葉の風立ちて臭きを払へ人の身のため〉

   世つきの子の栄る歌よみてよとありければ~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
生ひ出てなひく小松の千代やちよいやつきつきにやとそ栄えん
   *歌は〈生ひ出でて靡く小松の千代八千代弥次々に宿ぞ栄えん〉

   火よけ貝~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
よよをふるあめか下なる火よけ貝姿に水の徳やあるらん
   *詞書の「火除け貝」は水字貝のこと、形が「水」の字に似ている。
   *歌は〈世々を経る天が下なる火除け貝姿に水の徳やあるらん〉

   江戸にて大火にあひ宿の主人の乞による~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
霜柱氷の梁に雪の桁雨の鴨居に露のふき草
   *歌は〈霜柱氷の梁に雪の桁雨の鴨居に露の葺草〉

   目のくもりはるる歌~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
久かたの天の神風はらへかし月を見る目にかかるくもりを
   *歌は〈久方の天の神風払へかし月を見る目に掛かる曇りを〉

   子の栄える歌こひければ~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
いはふそよふた木の本に生ひ出てそたつこまつの千世の栄えを
   *歌は〈祝ふぞよ二木の本に生ひ出でて育つ小松の千世の栄えを〉

   ちの道のおさまる歌~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
ねかはくはたたひと筋にめくりよくおさめたまへよちのみちの神
   *歌は〈願はくはただ一筋に巡りよく治め給へよ血の道の神〉

   虫害を除く~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
みつきもの作る田畑につく虫を払ひ給へと祈る神々
   *歌は〈貢ぎ物作る田畑につく虫を払ひ給へと祈る神々〉

   手のいたみの治る歌~補遺四、後の磯の玉藻(一)~
ひと筋にかけてそいのるあつさ弓おしてひく手のなやみやめてよ
   *歌は〈一筋にかけてぞ祈る梓弓押手引く手の悩み止めてよ〉
   *梓弓の弓の縁なら四句「押手」は左手、右手は「引手(ひきで)」となる。

   いくらもちよけの歌~補遺四、後の磯の玉藻(五)~
みつきものつくるこの地にすみなからいかていくらのもちあらすらん
   *詞書の「いくらもち」は「いぐらもち」で日本方言大辞典によるとモグラのこと、愛知県宝飯郡ほかの地名があがっている。
   *歌は〈貢ぎ物作るこの地に棲みながらいかでいぐらのもち荒らすらん〉

   霜やけの治るうた~補遺編~
あめあられ雪をもむすふことの葉の露には消よくさの霜やけ
   *歌は〈雨霰雪をも結ぶ言の葉の露には消えよ草の霜焼け〉
   *結句「くさ」は四句「葉」の縁で「草」とした。

   子の出来る歌~補遺編~
いのれかし花の盛りにたねとなるみをはむすふの神にまかせて
   *歌は〈祈れかし花の盛りに種となる実をば結ぶの神に任せて〉

   あしのいたみの治る歌よみてよとありけれは~補遺編~
かよひきてなにはうら風名にしおふあしのさはりをふきはらへかし
   *歌は〈通ひ来て難波浦風名にし負ふ足の障りを吹き払へかし〉
   *初二句を「足」を呼び出すための修辞ないしは序詞風に展開した。

   身のたけののびる歌よみてよとありければ~補遺編~
けふよりは月日にそひてたけ高く千入にならへたけのこのきみ
   *歌は〈今日よりは月日に添ひて丈高く千入(ちのり)に並べ竹の子の君〉
   *四句の「千入」(ちのり)は「千本の矢が入っていること。数多くの矢が差し入れてあること」(デジタル大辞泉)をいう。

   盗難除~補遺編~
月と日のひかりみつれはしら浪のよるのうらはのかくれかもなし
   *歌は〈月と日の光満つれば白波の夜の浦回(うらわ)の隠れ家もなし〉

   目の病ひつる歌 磯丸太神~補遺編~
久可たのあまつ神風はらへかし月を見る目にかかるくもりを
   *歌は〈久方の天つ神風払へかし月を見る目にかかる曇りを〉

   目の病の治る歌~補遺編~
ひさかたの天つ神かせはらへかし月をみる目にかかるくもりを
   *歌は〈久方の天つ神風払へかし月を見る目にかかる曇りを〉

   しらくもの治る歌よみてよとありけれは~補遺編~
人くさのみとりにかかるしらくもをはらへたのまのはらの神風
   *詞書の「しらくも(白禿瘡・白癬・白雲)」は頭の毛のはえる部分にできる、えんどう豆大の白色、灰白色円形の伝染性発疹。軽い痒みがあり、かくと白い粉が落ちてくる。
   *歌は〈人草の緑にかかる白雲を払へたのまの原の神風〉
   *下句の「たのまの原」不詳、「たかまの原」か。

   へびよけ~補遺編~
へびならはじゃの道すくに池か山人のすみかによるなさわるな
   *歌は〈蛇ならば蛇の道宿(すく)に池か山人の住み家に寄るな触るな〉

   せんきの治るうた~補遺編~
守神にかけてはなさん梓弓いかにせんきの筋をひくとも
   *詞書の「疝気」は、漢方で下腹部や睾丸がはれて痛む病気の総称。
   *歌は〈守神にかけて放さん梓弓いかに疝気の筋を引くとも〉

   できものの治る歌~補遺編~
やきかまのとかまをもちてかりとらんかかるくさけの露ものこらす
   *歌は〈焼き鎌の利鎌を持ちて刈り取らん斯かる瘡気の露も残らず〉
   *「瘡気」は瘡の病状、瘡は皮膚にできる出来物などの総称をいう。

   こしより下の病の治る歌よみてよとありければ~補遺編~
ゆきならてこほれはかかる身にそうきとけてなかれよこしのやま水
   *歌は〈雪ならで氷ればかかる身にぞうき溶けて流れよ腰の山水〉
   *結句の「腰」は山の麓に近い所、もとより詞書の「腰」の意でもある。

   風よけの歌こひけれハ~補遺編~
四方の海浪も治まるときつ風ふくとて何かさわりあるまし
   *歌は〈四方の海浪も治まる時つ風吹くとて何か障りあるまじ〉

 さいごに

  Ⅰ部で百余頁の本のつもりが、途中で出会った糟谷磯丸が加わって倍以上の分量になってしまった。しかし呪い歌幸福論の基調はより強固なものになった。
 全体を通して仮名遣いが気になった方も多いだろう。
 たとえば『新編 磯丸全集』の凡例にも磯丸は「文字には頓着しないため、仮名づかひの違ひも多ければ、漢字の用ひ方も誤つたのが多い」「巻末の索引は、正しき仮名遣に訂正して五十音順に配列しておいた」とある。歴史的仮名遣いのことをいっているのであるが、これが誤りなのである。近代の考えを近世以前に当てはめることの愚は声を大にして指摘しておかなければならない。
 平凡社ライブラリーの『日本語の歴史』全八巻は初版が一九六三年に出されている、編集委員は亀井孝(一九一二~一九九五)・大藤時彦(一九〇二~一九九〇)・山田俊雄(一九二二~二〇〇五)の三名となっている。
 以下、抜粋である。
 「歴史的仮名づかいというものは、その基準とあおぐべき時代をどこにえらぶべきかで、これまた一様ではありえないという観点から、世俗にいうところの歴史的仮名づかいを、じつは〈契沖仮名づかい〉だとし、この名でそれをよんでいる(念のためにくどく説明するならば、契沖仮名づかいは歴史的仮名づかいであるとして、しかし、その逆は、真ではないのである。〈歴史的仮名づかい〉には、契沖仮名づかいとはまったくちがったものがあっても、理論的には、いっこうにさしつかえないわけなのである)。」(「7世界のなかの日本語」二〇八頁~二〇九頁)
 「定家仮名づかいが現実の世界に君臨した時代に、そのときの日本語が明治政府の世にひろめた歴史的仮名づかいと一致しないかたちで書かれていても、これは、あやしむにたりないのである。(略)。西鶴や芭蕉が〈歴史的仮名づかい〉と無縁な文章を書いていることは、あえていうまでもないとして、それを歴史的仮名づかいになおして覆刻するならば、それのえせ歴史主義であることは、いうまでもない。もし西鶴や芭蕉をしてこんにちにあらしめるならば、これに対してなんというであろう。」(「7世界のなかの日本語」二〇九頁~二一〇頁)。
 「仮名づかいの問題は、明治時代において、しばしば論ぜられている。なかで、森鴎外が、明治四十一年六月の臨時仮名遣調査委員会において、その委員の一人として発表した演説は、仮名づかい改定の意見を粉砕したものとして、いまに記憶されている。ここで鴎外の演説はつぎのようにはじまる。『私ハ御覧ノ通リ委員ノ中デ一人軍服ヲ着シテ居リマス』と。もし、彼が、軍部をかさに、それで文部当局その他を威嚇するはらで会議にのぞんでいるとすれば、それは、この場合、かならずしも人間鴎外の一面を示すだけのものではない。日本では、国語問題のごときも、また、ただに文化への純粋な関心からかえりみられるだけのものでないところに、まさに日本に特有なその性格があるというべきである。(略)。大槻文彦と芳賀矢一(はがやいち)も、森鴎外とともに、右の委員会の委員であった。この二人は、仮名づかいに改定賛成論者であったから、鴎外からもはげしい反対をこうむっているのであるが、その大槻について、芳賀が彼の演説で言及しているところによると『此間承リマスレバ大槻先生ガ演説ヲナスツタ時ニ天誅ノ葉書ガ飛込ンダト云フコトデアリマス(云々)』。」(「7世界のなかの日本語」二一一頁~二一二頁)。
 「〈歴史的仮名づかい〉が真に上からの権威のもとに厳格な意味で行われた時代を、もし明治四十年から、戦後の〈現代仮名づかい〉へのきりかえまでとかぎれば、じつは、それは、半世紀にもみたない短いいのちしかもっていないのであるが、それにしても、すでに、そのかぎりでも、現代の文化に根をおろしてはきたし、したがって、それなりの、いわば実績をもっているといいえよう。」(「7世界のなかの日本語」二二九頁)。
 詳しくはホームページでも公開しているが、私の「仮名遣いと五句三十一音詩」(『軌跡~吉岡生夫短歌論集~』)を見て頂ければ幸甚である。
 近代短歌を相対化すること、これが歌人としての私の仕事であるが、それはとりもなおさず近代を相対化することでもあった。呪いという非科学的な世界を旅しながら、心情としての幸福の希求に引かれるのも、その一環であろう。
 これで十九冊目の著書ということになるが、あと仮称『夫木和歌抄の森を歩く』と一本亭芙蓉花を中心とする翻刻本を何とかしたい、全貌を明らかにしたい、というわけで加齢との競争が思われる六十八歳である。
 さて、どこまで歩けるだろうか。


     令和元年九月吉日     兎月庵 吉岡生夫


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