リチャード・ブランソン(ヴァージングループ会長)が全面広告の新聞誌面にかつて書いていたことばである。人生は長いもののように思っていたが、案外短いものないのかもしれない。勤務先で60代の方に同じ質問をしたところ「ほんとうにあっという間だねえ」とのことだった。
新しい価値の創造とは、案外小さなところからスタートできるのかもしれない。生涯にどのような価値の創造ができるのだろうか?"That's setting a path all others may one day follow."といえるようなものだと、どんなにすばらしいことだろう。
ちなみにサウスウェスト航空CEOのケレハー社長の言葉にも「人生は短く、辛く、深刻なんだから」とある、その後に続く言葉は「...空の旅は思いきり面白くなくては!」
「人生は短い。だからどんな時も挑戦する姿勢が大切なんだ。そこから新しい価値を創造していこう」
祈りはかなえられるものだろうか。祈ってもムダ、そう思っていたこともかつてあった。しかし不思議なことだが、祈りはかなえられていくものだと思えるようになってきた。
かつてどうしても答えが出ない問題があったが、わずか数分の静かな時間の後、驚くような解決法が与えられたのは驚きだった。
ただひとつ言えること、それは自分が望んだものとしてたとえ結果が出なくても、それをベストだと信じていくプロセスの中に「祈り」の働きはあるということだろうか。大切なものは案外、目には見えないものであり、隠されているのかもしれない。それはあたかも「宝さがし」のようなものかも!?
「祈り、それは目に見える世界の、目に見えない手段である」
もし運命を決定づけるものがあるとするなら、それははたして変化だろうか。
ただひたすら変化そのものを求めてあくせくしなくても、日々の中で何を選んでいくのか、その選択の繰り返しが、実は運命を決定付けていくことになるのではないだろうか。
「変わることではなく、何を選ぶか。それによって、運命が決まる」
「ニイタカヤマノボレ」...1942年12月8日に発信された電文から太平洋戦争は始まった。「真珠湾奇襲」によってハワイ・ホノルルのパールハーバーには、今も撃沈されたアリゾナ号が横たわっている。そのアリゾナ号記念館の館長のことば...
「...多くのアメリカ人は第二次世界大戦の経験について知らない。21世紀が近付くにつれて、アメリカと日本は世界に戦争の恐さを知ってもらわなかればならない。残念に感じることだが、日本人は『ノーモア・ヒロシマ』と叫び、それに対してアメリカは『リメンバー・パールハーバー』で応えている...」このあとに続くのが上記のことばである。
「憎しみに対して、憎しみで応えることで、はたして何を消すことになるのだろうか」
少しいままでと違って音楽の歌詞より。ヒーリング系音楽のENYAのなかでもっとも好きな曲のひとつより。タイトルは『China Roses』
ある人が教えてくれたチャイナ・ローズという花
千と一夜に一輪 地球の最後の姿、
宵の終わり 藍と青の色合い
新月に導かれるまま
夢の森へと私は従う
新しい世界が私を待っている
私の夢、私の生き方
100メートル掘ったが金鉱が見つからず、実はそのわずか数十センチ下に眠っていた。実際それと似たようなことが日常でもよくある。たったあとわずかの努力、それが最終的に大きな差を生み出してくるのかもしれない。あたえられたものに対して、あえてさらに数マイル進んでいくかどうか、それともここで辞めてしまうかが勝負の分かれ道となる。
もし何かの話をするとしよう。難しい話を「より易しく」話す。しかし、ここまでのレベルからさらに一歩進んでみることもできる。易しい話を「より深く」。さらに突き詰めて、その深い話を「より楽しく」。最終的には「難しい」話がいつのまにか「楽しく」なっている...ここまでくれば完成度はかなり高いのではないだろうか。そのリターンは聞き手だけでなく話す側にも十分なメリットとして返ってくる。
「もしフェンスの向こうの芝生の緑が濃く見えるなら、きっと水をかける量も多いからだろう」
うまくいった理由を突き詰めると、ただ運が良かったから。そういう人もいるだろう。しかし、まず自分自身が信念を持って、成功を信じていくプロセスのなかに「成功」という2文字が存在しているのではないだろうか。こころに決めたことを実現させるプロセスは、ひとりひとりの内で確実に成長していく。
「成功が運命による人もいるだろう。しかし大部分の人は、そう自ら決心したから成功したのである」
受賞した賞によって人ははじめて評価されるが、賞そのものは結果に過ぎない。それまでどのような熱意や努力、そして時間をさいてきたか、その成果へのご褒美である。
もし賞を受ける前に賞賛と声援を送れるとしたら、それが真の応援者(サポーター)であろう。無名不遇の時代にあってこそ、しかるべき努力に対して惜しみ無い声援と拍手を送っていきたいものである。
「何を受けたかで栄誉が与えられたことはなかった。むしろ栄誉とは、その人が与えたものへの報いであったわけである」
東京の数寄屋橋阪急に相田みつを美術館がある。銀座という場所を選んだ理由は、より多くの人に見てもらうためだそうだ。
簡潔な短い言葉や文章のなかに、真理が隠されている。なにげないふとした言葉が、あらためて書かれることによって、自分自身に迫ってくる。
いつも勉強...それはなにも机に向かってということではなく、学ぶ姿勢を持っている限り、変化する自分がいる。いつか学ぶことをやめてしまったとき、寿命の終わりかもしれない。変化の中にこそ、チャンスが隠されていることがわかると、どんな時代にも、時代を超える翼でいかなる空間をも越えていくことができるだろう。
「一生勉強 一生青春」
まさにタイムリーに発言することよりも、ポロッと出てきそうな言いたいことをグッと我慢することのほうがあるいは難しいのかもしれない。
かつてある食品メーカーの社長の発言が話題となった。記者会見のあと、記者からの追求に迫られ思わずポロっと出たことばが「私は寝ていないんだ」。この発言でさらに火に油を注ぐことになってしまった。いままで培ってしまった歴史さえも吹っ飛ばしかねない程の「迷言」となってしまった。
毎日の人との会話のなかで、言おうかどうしようかと迷うことある。言ってしまった後で、後悔することも多々ある。言葉にはそのたびに気をつけていかないと、そう思う繰り返しである。
「まさにその時にもっともふさわしい言葉を言うことよりも、もっと難しいのは、
言いたくてたまらなくなったその瞬間に、言わずにじっとこらえておくことである」