





日本人はお金に対して控えめな傾向があるのかもしれないが、
金銭そのものは決して悪とは言えないだろう。これは儒教的な背景からだろうか。
「お金が目的になってはいけない」とは一般に言われていることである。しかし敢えて言えば、
もっともっと富み栄えて大いに潤っていくことを指向すべきである。むしろそれをどう有効に用
いて社会に還元していくか、そこがポイントではないだろうか。ただ貯めるだけなら意味はない
だろう、「使ってなんぼ」の世界。
「お金は、使うと役に立つが、使われると害にもなる」

成功するには「出来る」と信じることが大切である。
たとえまだ実現していないときでさえ、ヘンリーフォードにはすでに車のイメージが、
ライト兄弟にはすでに飛ぶ飛行機のイメージがあった。どのようなイメージを持つか
によって、それを実現していこうとする、目には見えない働きがある。そしてそのような
イメージへと引き付けられて行くのである。
出来ないのではと思ってしまうと、ほんとうに出来なかった時、「やっぱり思った通りだった」と
出来ない自分に安心してしまうことになる。
その「繰り返し」がやがて「習慣」となり、「習慣」はやがてそのヒトの「性格」に、そして「パーソナリティ」
を作り上げていく。どちらを選ぶのか、それは大きな選択となる。
「成功は出来るという信念から、失敗は出来ないのではと思う不安から」
言葉を多少変えると"We respect
what makes each person unique." となる。ひとりひとりの個性を大切にするとは、違いをユニークなものと捉え受け入れていくことなのだろう。
「我々は、それぞれの国のユニークさを大切にします」



トヨタの英文雑誌に出していた広告より。努力した結果得られるものは、それ相当なものということだろうか。
努力という言葉がどこか軽くみられがちな時代のように思うときもある。スイスイと泳いでいくことができればそれにこしたことはないが、スマートな生き方の対極にあったとしても、自分自身に正直に取り組んでいきたいものである。
「空の本当の色は秘密に隠されている。しかし、山を上り詰めた人はその色を分かちあうことができる。」


ニュージーランドのチャタム諸島は人口750名ほどの小さな島。2000年最初の日の出を見るためにRussell Goomes氏は孫娘のShontelleちゃんを連れて、山に登った。その朝、太陽の光を見たその瞬間に彼が語ったことば。新しい年がすばらしいものとなるように導いてくれますように、そんな願いを込めてだろう。
朝、太陽が昇った瞬間のその感動や感じた気持ちを大切にして、1日をスタートできれば、どんなに素晴らしいことだろう。
「(太陽とは)なにかシンボルのようなものだろうか、何かもっとすばらしいものへと導いてくれるような大きな力。」
疑問や問題そのものは悪いものだろうか。すべてを状況のせいにして考える時代は終わり、むしろそこに価値を見い出そうとする社会へと変わろうとする動きが見られるようになった。消費者中心に企業が指向し始めたのはその端的な現れだろう。不況の中にあってさえも、いいもの、価値あるものは確実に売れ、また驚くほどの人気を集めている。
ある発展途上国に靴を売るため、ふたりのセールスマンが派遣された。誰一人として靴をはいていないその国の状況を見て、ひとりのセールスマンは、これは売れないと結論づけた。しかしもうひとりのほうは違っていた。これから必ず売れるぞ、まだ誰も靴をはいていないのだから。
同じ状況を見ても、それを問題にするか、チャレンジすべき課題として捉えるか。すべてはスタートから違っていた。
「疑いや問題をやめてはいけない。そこから何かを学ぶことができるのだから。」

なるほど、どのような自分を受け入れていくか、飾ることのないありのままの自分を受け入れていくことがすべてのスタートのような気がする。シンプルな姿の自分が一番すばらしい、そう言えるようになりたいものである。「他人にやさしく、自分にはもっとやさしく」の生き方でいいのではないだろうか。
「ありのままの自分を受け入れることができなければ、ヒトは何を持っていたとしても決して満足することは出来ないだろう。」

大丸心斎橋店での『相田みつを展』で出会った書の作品から。雨の日には雨の日の、風の日には風の日ならではの
持ち味があるのではないだろうか。もし毎日晴れた日ばっかりとしたら、果たしてそれでOKだろうか。どのような天候
のなかにあっても、どのような環境の中にあったとしても、その環境でしか味わえないものを発見して、味わっていこう!
「雨の日には雨のなかを 風の日には風のなかを」