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「2003年のスタート」 Born again in 2003
2003年がスタートした。もうすでに1ヶ月半あまりが経って思うことは、今年は大きな転機になるかもしれないということだろうか。1月半ばに異動の内示があり、新しい部署での勤務が決まった。また同時にその中で責任を負っていく立場になった。期待よりもむしろ不安いっぱいでスタートするることになったのだが、ただ無我夢中で仕事に取り組んでいくしかないということだろう。
朝はいつもより早く起きることになり、起床は4時半から遅くとも5時を目標とした。静かな時を持ったあと、昨日の振り返りと日記の記入、今日1日のスケジュールに目を通し、計画をチェック。新聞記事にも目を通し、天気予報の確認をして7時すぎの電車に乗車となる。
この2週間ほぼこの形を通すことが出来たので、おそらくこの時間管理のスタイルがもっとも合っているのだろうし、これからもそうしていくのだろう。
新しい異動先でのあいさつの言葉を考えていたのだが、あれこれいっぱい話すのもどうかと思って、あえて今までの経歴と「忠実」「誠実」「着実」の3つをキーワードに簡単に話してみた。
話が変わるが、遡ること1998年の夏。アメリカの西海岸シアトルへの旅行を計画した。まだスターバックスも日本には登場していなかったし、イチローもマリナーズに移籍する前のことだった。アメリカでもっとも住んでみたい都市と言われる街での滞在は、快適そのものだった。
8月31日。この日はノースウェスト航空のストライキがあった関係で、当初のシアトル・関空便が確保できずに成田便になった。代替便はアメリカン航空(AA)27便だった。通常よりも早くホテルを出発して空港に向かった。到着すると何度もテレビで見ていた、ノースウェスト航空の職員のストライキの様子が目の前で展開されていた。すでにAA27への振替を聞いていたので、AAにチェックイン。すると「しばらく待ってください」という案内が。もしかして乗れないのでは..そんな不安を持ちながら最終ゲートへ。待っているとしばらくして、アナウンスで自分たち(夫婦)の名前を呼ばれる。ラッキーなことに、「エコノミーからビジネスクラスにアップグレードします」という内容だった。ストが影響がしたせいもあったのだろうか。
間もなくシアトルでの楽しい旅行を終えて成田へ向かう機内の人に。あと1時間ほどで成田に到着という頃だろうか。すでに疲れもあって眠っていたのだが、妻の話では、お昼過ぎに機体が突然大きく下降して揺れたそうだ。そして機長からのアナウンスで「未確認の物体が急接近してきたので、避けるために急降下しました」とあったとか。
最近のテレビでやっていた特集(北朝鮮)を見ていてわかったのは、実はこの物体こそが、1998年8月31日、三陸沖に落下した北朝鮮からの「テポドン」の発射実験そのものだったということだ。時刻は正午すぎ、コースも両者の方向から一致した。
もしあのときに避けることが出来なかったら、おそらくその日の夕刊のトップニュースに出ていたのだろう。いまはもうなかったかもしれない命、そう思うと、今回の異動にともなう大きな変化も、十分に対処していけると思えてきたのだった。
2003.02.15
「許すということ」 To forgive
2003.03.21
人生のエネルギーのなかで、もっとも大きく費やされる感情は何だろうか。愛それとも、憎しみ。いまの世の中を見ていると、愛情以上にいかに憎しみにエネルギーとこころ、そして時間(年月)が割かれ、それによって様々な苦しみや悲しみ、言い知れない言葉にならないもろもろの影響を受けてしている人が多いように思える。
その一方、憎しみに対して「許す」という行為は、いかに憎しみ以上に、さらなるエネルギーが必要なことだろう。
憎しみとまではいわないまでも、過去の経験のなかで、いまもこころの中に引きずっている思いなどないであろうか。
そういう自分自身にも許したくないと思えるようなことがあった。いまはすでに解決できていることであるが、その時はそのことにとらわれて、いつまでも心に重く圧し掛かってくるようだった。そのことというよりも、むしろその人物というのが正解であるが、その思いを克服できるようになったのは、意外にも物理的に離れることで、距離を置いて考えることが出来るようになったためだった。
成長するためには許すことが必要であると思うが、実際そう思っていてもなかなかそうはいかないものである。ただひとつ言えることは、許すことによって成長するのは間違いないということだろう。
人を許すことは、実は自分自身を許すことにつながっている。人を許していないときには、身体のなかで否定する思いが働いている。それがどのように影響してくるかは人によって様々だが、あまりいいものをもたらす事はなく、たいていストレスという形となって見えない形でどこかにたまっていくのだろう。
しかし人を許した瞬間に、自分のこころの中にも許しの感情が生まれる。許すことは、自己受容の第一歩である。