隣の畑は青く見える(他人との比較の怖さ)
『日本人の宗教は他人の目だ』とある人がいったそうだ。
他人にどう思われているのか?これこそが日本人の宗教といわれた。
本当に的を得ている。だから「出る釘は打たれ」、総理大臣は海外で「皆様のいいように」と、日本では“できた人”と言われる言葉を使った。
正義感あふれる人が率先していたら、確かに物事はいい方向に進みやすいのかもしれない。
だけど悪意のある人に率先されたら、いじめが横行しなんでもOKのようなへんな世界ができあがる。
確かにここまでは行かないけれど、会社でも多かれ少なかれある。
他人にどう思われているのか?それが比較の始まり。
生活していくと、いろんな場面でこのことが起こる。
ある本で、
『どうして僕はプロジェクトに入れなかったんでしょうか。同期のあいつは入れたのに、僕だけは入れなかった』
という言葉を目にした。
こんなに深刻でなくても、あの人は持っているのに私は持っていない≠ネんて他人によって欲が引き出されてしまっている。(決して悪いことではないのかもしれないけど)私自身も何度もやって後悔してる。
まさに《隣の畑は青く見える》状態。
上の言葉が書いてあった記事には続きがあります。
『他者と比較したり、上司が悪いからだとか、環境が悪いからだとか、責任は自分にあるという視点に立っていないんですね。厳しいようですが、このような価値観を持つ人間からは何も生まれません』
隣ばっかり見てる私。―なにも生まれてくるはずも無い―沸いてくるのは激しい自己嫌悪と劣等感
そんな自分を見たくない、だから他人を見てしまう。そして比較する。劣等感へ。〜恐怖の悪循環〜このメビウスの輪からは抜け出せない?
『まずは自分自身を見つめ直してみる。自分はどれだけの能力を磨いたか、と。傷ついて人は強くなるんです。傷つかないで違う結果を求めようとする考え方はおかしい。』
他人と比較して生きる生き方は、なにも生み出せない。
それよりも、自分はどうなのかということを自分に問わなければいけないのかも。
《私の畑は耕し中、収穫が楽しみです》
そうして自分のペースで自分の考えを見出して(他人に振り回されず)歩んでいけたらいいな。
Most important,I am me.
2002.1.19pi-ko
No4