[ 闘 病 記 G ]

    入 院 生 活  

  私は彰の入院中に、よく主治医のK先生を捕まえては、くだらない相談をしました。先生は、いつも時間を取ってくださり向かい合って話をして下さいました。時々、彰一郎のベットの横で彰の漫画を一緒に読んだりして下さったそうです。当直の時には、彰一郎の横のベットが空いている時、そこに寝に来て下さった事もあったようです。
口数の多い先生ではありませんが穏やかなホッとさせる先生でした。


正直なところ、彰が亡くなってしまった直後には『あの時こうしてくれれば良かったのに・・・』とか主人と随分、恨み辛みを話したりしましたが、先生はその時その時を一生懸命にやって下さったんだと、彰をとても可愛がって下さったんだ・・・今は心から感謝しています。

先生を責めるなんて・・・
だったら私は自分自身をもっともっと責めなければなりません。
なんと言っても、あの子を産んだのは私です。
その私が助けてやれなかったのです。
あんなに辛い思いをさせてしまったのです。

親って、いったい何なのでしょう。
産む時は子供が欲しいという思いで勝手に産んでしまうけど、死ぬ時には何もしてやれないのです。
周りの人は『あなたのせいじゃないよ。病気だから仕方ないよ。運命だよ。』と慰めて下さいますが、そうでしょうか?
やはり、それは違うでしょう!
やっぱり、母親失格ですよね。 ごめんね。


  次の日の夕方、詳しい説明がありました。
病名は《急性リンパ性白血病》
入院期間は1年
抗がん剤の投与の期間と副作用の説明などを受けました。
5年生存率は60%  但し、8歳以下の子供はすばらしく良い成績だが、20歳を過ぎるとかなり悪く、彰一郎の場合は 14歳と言う難しい年齢なので高リスク分に入るとの事でした。

彰一郎には1年の入院とは、とても言えず8ヶ月の入院と言う事で先生の方から話していただきました。
彰>「8ヶ月?・・・ 3年生(中学)になっちゃうよ。8ヶ月もこんな所に居なくちゃいけないのは嫌だよぅ そんなの。」
私>「嫌だよって言っても仕方ないでしょう!学校はここにもあるから、ちゃんと勉強できるし、今は治療中だから点滴   つけてベットの中だけど治療の合間とかは病院の学校へ通えるんだって。そうすれば、お友達もいるだろうし外泊も  チョコチョコ出きるみたいだから頑張ろうよ!」

彰はすでに始まっている抗がん剤の副作用で体調が悪く、それ以上何も言わず背を向けてしまいました。

これから、この先には、まだまだ辛い試練がやって来ます。
それでも何とか、ひとつひとつ乗り越えて行きました。


      
トップページ 闘病記 写真集 タツボー
動物園
リンク集