[ 闘 病 記 A ]

中学生活(〜発病まで)

  1998年10月
  テニスの新人戦も目前となり、加えて体育祭の練習もあり、とにかく疲れきっていたのでしょう。どんなに具合が悪くても食事をきちんとする子が夕食を食べたくないと言い出しました。
太めの体系だったので、少し色気が出てきたのかしら?などと思いながらも、私の心の中に少し嫌な予感を感じたのはこの時が初めてだったのではないでしょうか。

  体育祭の前日の夜
>「足が痛い、足が痛い」とつらそうにしています。
>「筋肉痛じゃないの?」と聞くと、
>「筋肉痛じゃないよ。筋肉痛ならわかる、こんな痛みは初めてだよ」と本当に痛そうに言います。
この年頃によくある成長痛かと思い、成長痛を経験した男の子のお母さんに電話をして聞いてみました。
その話を彰一郎に話すと、
>「じゃ身長が伸びるのかなー」と少しホッとした様子でした。
でも、やはり気になり、
>「明日、体育祭の後に病院に行ってみようよ」と言うと
>「新人戦の前に病院になんか行ってられないよ。成長痛ならいいよ、我慢できる。」と、自分の部屋へ入ってしまいました。

  次の日の朝(体育祭当日)
体育祭の準備があると、朝早く出かけて行きました。
この頃、あの子の体の中で白血病が進行していたのでしょう。
ごめんね。何も気が付いてあげられなくて・・・・
あなたはそれが最後の体育祭になるなんて夢にも思わず、元気に出かけて行きました。

  体育祭も終わった4日後の10月7日
>「こんなアザができちゃったよ」と夕食後見せに来ました。
かなり大きなアザがクッキリと出ていました。私と主人は思わず顔を見合わせました。
>「いったいどうしたの?」
>「よく解んない」
>「こんな大きなアザ、解らないはずないでしょう!」
>「でも、解んないんだもん」
>「ラケットでもぶつけたんじゃないの?体育祭で何もしなかった?」
>「そう言えば、ぶつけたような気もする」 などと曖昧な返事をするだけでした。
>「とにかく明日、病院へ行こう」と言うと、
>「ダメだよ!もぅ新人戦の前だから、テニスの練習だけは絶対に休めない。きっと何処かにぶつけたんだから、もぅい   い。」と怒り出す始末。「とにかく、もぅいいから、ほっといて!」と言うことを聞きません。
何度か押し問答をしましたが「今は新人戦が大事だから」と譲りません。
私自身、まだこのとき不安を感じながらも、この子に限ってという気持ちがあり、「仕方無い、13日の新人戦まで様子を見よう」と折れてしまいました。

主人は「誰かとケンカでもしたんじゃないか?」と心配していましたが、ケンカなら年頃の男の子ですから、わざわざ親には見せに来ないでしょう。きっとこの時、あの子自身も不安だったのでしょう。
自分の体に迫っている得体の知れない何かに、かなり不安を感じていたのではないでしょうか。


      
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