[ 闘 病 記 @ ]

中学生活(〜発病まで)

  1998年9月
  彰一郎は、中学校で部活動にテニス部を選んでいました。本当は野球部へ入部したかったらしいが野球部は、全員スポーツ刈りとのことで少し洒落っ気が出てきたのか、スポーツ刈りに抵抗を感じたらしく仲の良い友達の多いテニス部へ入部しました。体格がちょっと良すぎて(太め・・・)一見運動が苦手そうに見えますが本人は運動が大好きで、また生まれながらの負けず嫌いが功をそうして、それなりに何でも無難にこなしていました。

  中学2年生というと、とにかく忙しいのです。部活動では、夏休みで3年生が引退して2年生中心となり張り切っていました。朝練だの休日練だの、練習練習の毎日で家にじっとしている事はほとんどありませんでした。
また10月にはテニス部の新人戦を控えておりレギュラーになるため余計に頑張っていました。今年の2年生は例年になく実力があるらしく「県大会に出場出来そうだ」と顧問の先生の熱の入れようも中々のもので、とにかく炎天下の中、汗だくで本当によく練習をしていました。

  或る日、喜んで帰って来て、
>「ねぇ、ねぇレギュラーだよ。3番手なんだ。団体でも個人戦でも県大会に行きたいな〜」
>「そぅ、良かったわね。じゃあ頑張らなくちゃね」
それからの部活への熱の入れようは、今までよりもすごく、とにかく上手くなりたいと思っていたようです。

  そんな毎日の中で口癖のように「疲れた、疲れた」を繰り返していましたが、食欲も旺盛で、お菓子でも昨日の残りのおかずでも学校から帰ってくると夕食が待てずに次々とたえらげていましたので、さして気にも留めていませんでした。
珍しい事と言えば、何度か夜に高い熱を出しました。寒いと言うので熱を測ると39度という事もありました。
炎天下での運動で日射病かと思い、市販の解熱剤を飲ませ様子をみると次の日の朝にはケロッとして起きて朝練に行くと言うのです。
>「今日は様子をみて朝練は休んだら?」
>「朝練は休めない。もう全然平気」
いつもの元気印を見ている私は「大丈夫なのか」と思い見過ごしてしまいました。
とにかく病気知らずの子で小学校3年生の時以来歯医者以外はかかった事も無く、いつも熱を出しても良く食べ、翌日には熱も下がり元気に走り回っているような子でした。
その時点であの子の身体に大変なことが起こっているなどと想像もしていませんでした。

      
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