<3年1組>
彰は3年1組です。
先生方や同級生のおかげで、彰はいつもクラスの仲間と一緒に過ごしています。
<修学旅行>
修学旅行は、仲良しの(彰が生前同じクラスになりたいと願った友人の1人)岩切君が写真を抱いて連れて行ってくれました。
ちゃんと班にも入れてもらっています。
担任の井上先生もクラスに飾ってある写真をバックに入れて連れて行って下さいました。
修学旅行から帰ってきた日 私は仕事だったのですが夕方6時過ぎに家に帰りました。
郵便受けに手紙が入っています。
「宅配ボックスに京都のお土産が入っています。各班でひとつ、ひとつ買って
きました。赤ふくは、井上先生からです」
宅配ボックスを開けると たくさんのお土産が入っています。
各班がいろいろ考えたのでしょう それぞれの思いが詰め込んでありました。
彰 母さん こんなにお土産もらっちゃて・・・
彰からは もらえないけど代わりにみんなが持って来てくれた・・・
嬉しいね・・・
みんな ありがとう
<体育祭>
明日は、体育祭という日 塾帰りに何人かの子供達が彰にお線香を上げに寄ってくれました。
「おばちゃん 明日の体育祭 来るの?」
「おばちゃんは辞めとく。仕事だし、去年の体育祭の事を考えると泣いちゃうから・・・でも みんなは頑張ってね」
「なんだ 明日ね うちのクラス全員 斎ちゃんの似顔絵を書いたゼッケンを付けて参加するんだよ みんなで色塗ったりして・・・」
「え〜?ホント?全然知らなかった。そうなんだ うれしいなぁ〜 じゃゼッケンを付けたとこ
見に行くから。仕事の前、朝のうちに見に行こうかなぁ〜」
「おいでよ おいでよ 絶対に見に来てよ」
子供達が帰ったあと 主人とつくづく 「ありがたいね。いつも忘れずにいてくれて なかなか出来ないよね」 と話しました。
主人が「何か差し入れ 持っててあげれば」と言います。
「でも ジュ−スもお菓子もダメだからなぁ〜」
「パンならどうだ?」
「そうね パンなら昼食の一貫として許してもらえるかもしれない」 話しが決まると主人とさっそく3軒のコンビニを回り 美味しそうなパンを人数分集めました。
当日の朝 職員室でパンを預かって頂き、まだ準備中の校庭へ行ってみました。
いろいろな方が声をかけて下さいます。
また 涙がでます「ダメだ やっぱり・・・・」
クラスの子は ちょうど教室からイスを運んで来る所でした。
『本当だ』みんな彰によく似た可愛いゼッケンを付けています。
1人の子が彰のイスと写真を抱えて並べています。
嬉しいけれど、やっぱり辛くて顔見知りの子に声をかけました
「みんなに有り難うって言ってね。おばちゃん 帰るけど、よかったらその ゼッケン 終わってからおばちゃんに頂戴ってみんなに伝えてね」
その日の夜 優勝旗と賞状とメッセ−ジのついたゼッケンを持って来てくれました。
彰たちのクラスは優勝です。 全員で飛ぶ縄跳びも、練習では上手くいかなかったのに今迄の最高記録で優勝したそうです。
リレ−に出た同じクラスの岩切君のお母さんが 「圭太、早かったよ〜 特別だった。あれは、彰ちゃんの力だよ。
ホントすごかったもん」と言って下さいます。
彰も参加してたのかな〜 彰も頑張ったのかな〜
やっぱり彰は みんなの中に生きているんだね
<音楽祭>
3年生の行事もだんだんなくなります。
この音楽祭がお母さん方が見に来られる最後の行事でしょうか。
もう私も参加する事がなくなるかと勇気を振り絞って見に行きました。
花束を井上先生に渡しに行くと「お母さん チョット来て」と呼ばれました。
舞台の袖にクラス全員が集まっています。
「お母さん 一言励ましの言葉をお願いします」
涙を必死でこらえ激励しました。
何人かの子供達が泣いています。
「メソメソしていると歌えないゾ〜 元気に行こう」と先生の声
「客席で見てるから頑張ってね」と言ってその場を離れました。
母さん また泣いています
ホントに困ったもんだ・・・
彰は、呆れているかな
「カッコ悪いから顔を出さないでョ」って怒られるかしら
3年1組の歌が始まりました。
彰の写真を真ん中に置いて下さっています。
スポットライトが当たると、その写真が反射して光り輝いています。
あたかも彰一郎が光となって、そこにいるような気がしました。
「彰一郎 いる」と隣の友人に思わず言いました。
友達も「うん いるよ。一緒にいるよ。来て良かったね」と言ってくれました。
この音楽祭でも3年1組は優勝しました。
あとから聞いた話ですが、やはりこの日も彰の似顔絵の付いた小さな布切れを全員が手に握っていたそうです。
<卒業文集>
中学3年生は卒業の季節です。
受験も本格的になり みんな忙しそうです。
今頃 彰がいたらどうだたのでしょう。
毎日ケンカをしながら「勉強しなさい」をくり返しいたのでしょうか?
身体の事が心配で「早く寝なさい」と口うるさく注意していたのでしょうか?
みんな想像の世界です。
ある日 岩切君が卒業文集の1ペ−ジを届けてくれました。
彰一郎のペ−ジです。
残念ながら書くべきあの子はいません。 彰一郎になったつもりで 私が書きます。
「しっかり書いてよ 心配だなぁ〜」 また、あの子の声が聞こえてきます。
「任せてョ これでも母さん 子供の頃は、作文が得意だったんだから」
「ホントかなぁ〜 やっぱり心配だな〜」
「心配だったら 自分で戻ってきて書けば・・・ 出来ないくせに・・・」
また ひとりごと・・・
── 中学校の思い出 ──(母 代筆)
僕の中学校の思い出と言えば、まず部活です。
テニス部で毎日一生懸命に練習をした事、とくに新人戦に向かって汗だくになって頑張っていた事は、大変だったけど とても楽しかったです。
ただ残念な事に新人戦の前の日に病気で入院してしまい、新人戦に出る事が出来ませんでした。
僕の人生の中で一番悔しかった思い出です。
新人戦は、朝生君とダブルスを組んで出る事になっていたので朝生君には本当に悪い事をしました。
退院したらまず第1に謝ろうと思っていたけれど、それも出来なくなってしまって・・・
「マコ 本当にごめんね」
僕の中学校生活は、みんなの半分位しかないけれど・・・
楽しかった思いでは、たくさん、たくさんあります。
入院してから、みんなから千羽鶴を貰ったり、手紙を貰ったり、
忘れてしまわれそうで心配だった僕には、本当に心の支えでした。
みんな ありがとう
いつも病院に来て一緒に遊んでくれた桧田先生、大好きです。
そして、僕が病院で最後のお別れをする時、校長先生をはじめ3年生の先生方みんなが見守ってくれました。
とても嬉しかったです。
ありがとうございました。
本当に I 中学校の生徒で良かったと思っています。
これからみんなは、いろいろな方面へ別れ別れになるけれど、中学時代の思い出の片隅に僕も入れておいて下さい。
たまに思い出したら顔(?)を見に来て下さい。
いつもメソメソしている母親に、僕は見せられないので成長した姿を見せてやって下さい(チョット良い子ぶちゃったかナ)
本当にたくさんの思い出を一緒に作ってくれた友達や先生に
心から感謝しています
ず〜と先に いつか会いましょう
その時は、またヨロシクネ
あの子の中学校生活は、何色だったのでしょう
でも、みんなのいっぱいの愛情には、きっと感謝していると信じています。
辛かった事も一杯有ったけれど、嬉しかった事、楽しかった事も、いっぱいあったよね。
3月16日は卒業式です。
卒業証書は、彰の大好きな安西もんが代わりに校長先生から受け取ってくれました。
友達の豊元くんは、答辞の中で彰が「ここに一緒にいる」と涙ながらに話してくれました。
そして、PTAの方から花束を頂きました。
早いですね。あなたが入学してからもう3年も過ぎたのですね。
初めて中学校の制服を着た日、急にお兄さんに見えて、思わず吹き出してしまいましたっけ。
林間学校の朝 テ−ブルの上にしおりを忘れて母さん 走って追いかけましたよね。
テニスのレギュラ−になれた日 それは御機嫌で「実力だよ!」なんて得意そうに報告してくれました。
ひとつ、ひとつのペ−ジが母さんには昨日の事のように思い出されます。
まだまだペ−ジを重ねるはずだったあなたの人生という日記帳
いつの間にか白紙になってしまいました。
彰 もう一度だけ 声を聞かせて・・・
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