[ 闘 病 記 N <将来の夢>]

   彰一郎   

 <将来の夢>


彰の将来の夢は何だったのでしょう

小さい頃、初めて口にしたのは「メタルダ−」、その頃 流行っていたテレビのヒ−ロ−です。

次は、5歳位の頃でしょうか。ゴミの収集車の運転手さん。 ゴミの収集の車が来ると喜んで飽きずにみていました。
オモチャの収集車の車をほしがり、買ってやりました。

そして小学生・・・ 小学校の卒業文集に次のように書いています。


 ( 原 文 )

      


この頃は、ファミコン少年。
友達と毎日のようにファミコンをしていました。ファミコンは彰の生活の一部になっていたようです。
それを将来の仕事にしたいと思うのは ごく当たり前の夢だったのでしょう


そして中学生・・・ 入院してから彰に言った事があります。
「ねぇ〜せっかく長く入院して病院の事いろいろわかってきたから、将来は病院関係の仕事をしたら?いろいろな資格があると思うけど・・・これから一生懸命に勉強して、お医者さんになるのはどぅ?
彰みたいに長〜く入院しなくちゃいけない人の為にいろいろ研究して、少しでも短くしてあげるの いいと思うよ」

「やだよ 絶対にイヤ もう病院はうんざり。1日だって病院にいたくないもん。病院で仕事をするなんて考えられない 退院したらもう来たくないもん」
「そうか・・・そうだよね ごめん でも辛い人達を少しでも楽にしてあげるなんて いい仕事だと思うけどなぁ〜」
「とにかく病院は 嫌い」


何日か後に桧田先生がいらしてる時の会話
「先生は、どうして数学の先生になったの」
「数学が好きだったから、好きな数学やってめしが食えればいいなぁ〜って 思ったからかな」
「ふぅ〜ん そうか・・・・」

彰が亡くなった後 桧田先生と話しました
「彰は きっと数学の先生になろうと思ったんじゃないでしょうか」
「そうですね 僕もそう思います。斎ちゃん、数学やってる時は生き生きしてましたからね。うん、そんな気がしますね」

もちろん 私の勝手な思い込みかもしれません。 あの子が何を夢見て、何を思っていたのかホンの少しでも覗きたい。 そんな母親の未練でしょうか・・・・   

彰、あなたは今頃どこにいるの?    
何しているの? 私には実際 宗教というものの事はよくわかりません。
でも、彰が他の世界でもいいから生きていて、私達を見守ってくれて・・・
たまに私達のそばにいてくれて・・・
あなたを感じたい、あなたがそばにいる事を少しでも感じられたら・・・
これが母さんの夢です、 母さんの夢 いつかかなうでしょうか・・・


      
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