[ 闘 病 記 M <養護学校>]

   養護学校   

 <養護学校>


小児病院へ入院している間 彰はK養護学校の分校に転校となりました。 

I 中学校の事ばかり誉めましたが、ここの先生方も I 中学に劣らず優しい素晴らしい方ばかりでした。
彰の口癖の「ついてない」人生でしたが、まわりの方には本当に恵まれ、優しく、いつも可愛がって頂きました。
ここの先生方は彰のように治療でベットから離れられない子供たちにはベットへ出向いて勉強を教えて下さいました。具合の悪い時には ビデオを持って来て下さったり、雑談をして下さったり、ベットの中だけの世界の子供達にとって1日1度の訪問は大歓迎のようです。

彰一郎がこの病院で過ごせたのも この先生方のおかげです。 いろいろな事に悩み、何度か転院を考えましたが、やはりこの先生方がいらっしゃる環境を考えると転院の決心がつきませんでした。 今ではこれで良かったと思っています。
辛い、つまらない入院生活を 「この頃 少し楽しくなってきました」と日記に書いた彰一郎 この先生方のおかげだと思っています。 また この学校では、いろいろな普段経験出来ないような体験をさせてくれました。
まず陶芸、自分達でろを回し、色付けをし、素晴らしい作品を作っていました 主人には ぐいのみ。私には カップ、小鉢、ご飯茶碗。 どれも本当に味わいのある素敵な仕上がりです

「これは お湯のみ?」
「違うよ!これは おそばのつゆを入れるやつだよ 失礼だなぁ」
「そうか アハハ」なんていう作品もありますが、このそばチョコは今は私のお湯のみになっています。


12月の夜 月や星の観察をした事もありました すごく大きな天体望遠鏡で観察するのです。
「お母さん方もどうぞ」と言われて付いて行きました これには 大感激です  月のクレ−タ−や土星の輪ッカ、本でしか見たことのない世界がすぐ近くに見えます。彰一郎も これには感激したようで何度も望遠鏡を覗いていました。

また お正月の書き初めは、1人1人掛け軸にして下さいました。 我が家の和室の小さな床の間には 彰一郎の書き初めが飾ってあります。 どんな立派な、有名な方の書より、大切な宝物になっています。

ビリヤ−ドも体験しました(激しい運動が出来ないので 体育の時間です) エレキギタ−も初めて触らせて貰いました。いろいろな音楽に興味を持ち始めた所だったので嬉しかったようです 
音楽雑誌のカタログを見ながら
「ねぇ 退院したら退院祝いにギタ−を買ってよ」 と あまりおねだりをしないあの子が言っていました
「あれ〜 MDコンポじゃなくていいの?」
「そうか MDコンポもほしいよなぁ〜」
「じゃぁ お見舞いをいろいろな方から頂いているから 退院したらそれで買 おうか?」
「ホント?ヤッタ!絶対 約束だからね」 そういう所は まだまだ子供です。
その後いつ迄も飽きずにギタ−のカタログを見ていました。


担任の吉田先生、音楽の方壁先生、数学の後藤先生、他各先生方  どの先生も本当によく面倒を見て下さいました。

亡くなった後 教室を訪ねると 
「斎藤君の写真を飾らせてもらっています。いい子でしたね。どの先生もみんな可愛がっていました。不思議な魅力のある子でした」 と方壁先生が誉めて下さいました。

そうやって可愛がって頂いたこと、心から感謝しています。
このように本当にたくさんの体験をさせて下さいました。 そのおかげで変化のない入院生活が楽しいものになりました有り難うございました 


      
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