第三段
かくて三年〜媒なりける。

留学して3年,自我に目覚める。



教材観

 留学して3年後、豊太郎は二十五歳にしてはじめて「まことの我」、自我に目覚めていく。
 これまでの自分は、母や官長など人からの評価をエネルギーにして努力してきた所動的器械的な人物であったことに気づく。それは「我ならぬ我」であった。
 それに気づかせてくれたのが自由な大学の雰囲気である。ドイツの大学は東京大学とは違い、管理的でなく自由であり、学問は国家のためではなく個人のためにするものであった。
 ようやく母親に対しても反抗の気持ちが生じてくる。遅い反抗期である。豊太郎は自分のために学問をしようと思い、法律学が政治学から歴史や文学などの人間的な学問に惹かれていく。
 しかし、反抗は母親に向かずに官長に向かう。国費留学生でありながら上司に反抗することがどういう結果を生むのか、豊太郎は考えなかったのだろう。自分の優秀さを自惚れていたのと、官僚組織の厳しさを知らなかったのだろう。
 さらに、私費で遊びに来ている留学生仲間との反りが合わなかった。それは幼い頃から勉強一筋で育ってきた豊太郎にとって、金持ちの遊び上手な青年と付き合うのは無理なことであっただろう。豊太郎に心の隅で彼らを軽蔑する気持ちもあっただろう。彼らと付き合う方法を知らなかったこともあるだろう。
 一旦遊びに目覚めたらその方面にのめり込むのではないかという危惧もあっただろう。自分は臆病な人間であったと、この時初めて気づくのである。そういえば日本を出港するときに涙が出たのも、未知の外国へ行くことに対する不安からであったのだろう。
 自分の臆病さは、父親を亡くし母親に育てられたからではないかと、母親を恨めしく思う気持ちが生じている。それは甘え、責任転嫁である。留学生仲間が自分の臆病さを嘲ることは納得できても、自分の勤勉さを嫉妬するのはお門違いである。こうした豊太郎の生育歴が、彼をエリートにしてくれたが、一人立ちしようとする時の致命的な弱点になっているのである。



指導のポイント

自我の目覚めの前後の豊太郎の変化についてまとめる。所動的器械的人間から自由人間へ、法学から歴史文学へ、官長への反抗、そして母への疑問。この段落はサラッと済ませる。



展開(板書は緑色)

1.「学習プリント第三段」を配布する。

2.「かくて三年〜薯を噛む境に入りぬ。」を口語訳し、舞姫チェック1〜7をさせる
3.「3.豊太郎の変化」についてまとめる。
 1)それまでの豊太郎
   ・所動的、器械的の人物。
    ・母→生きた辞書
    ・官長→生きた法律
   (父や母の期待、周囲の人々の称賛、官長に認められるなど、人からの評価ばかりを 気にして生きていた。)
   (母や官長の操り人形であった。)
 2)三年後、自我に目覚める
   ・大学の自由な雰囲気に触れたから。
   (当時の二十五才という年齢は、現在の三十五才位に当たる。)
   (働き盛りで、自我に目覚めるには遅く、危険である。)
    (日本の大学と西洋の大学では雰囲気が違う。)
    (現在でも日本の大学のランクは低い。)
 3)その後の豊太郎
   ・官長に自分の意見を主張する。
   ・大学で歴史や文学を学ぶ。
   (法学は非人間的な学問であるが、歴史・文学は人間的な学問である。)

4.「官長はもと、〜媒なりける。」の舞姫チェック(8〜15)をさせる

5.「4.地位が危うくなる」をまとめる。
 1)官長の評判が悪くなる。
   ↑
  ・自分の意見を主張したから。
  (官長は自分の思う通りに動く有能な部下が必要なのであって、いくら有能でも自分の意見を主張する人物は有害である。これは今の官僚についても言える。)
  (国費留学生である豊太郎に反抗する権利はない。)
  (反抗することが、どういう意味かを理解していない。)
 2)留学生から嘲られ妬まれる。
   ↑
  ・彼らとのつきあいが悪いから。
   ↑
  ・臆病な心=本性
  (一度快楽を覚えるとのめりこみそうなので、我慢して避けていた)
   ↑
  ・早くに父を亡くして、母の手で育てられたから=責任転嫁

6.まんが「舞姫」とハーレクインロマンス風「舞姫」を配布する。
 ・ハーレクインスロマンス風舞姫は、別冊宝島31「珍国語」に北見沢恵美が書いたものである。

7.あらすじを90字以内でまとめる。
 三年後、1)自我に目覚めた。そして2)官長に逆らうようになる。また、3)留学生仲間ともうまく付き合えず、4)地位が危うくなる。それは、自分の5)臆病な本性のためだと気づく。(76字)



生徒の感想


▼25歳にしてまだ大人になりきれていない。親に甘えすぎていたからなのに母親の責任にしている。
▼今までとは違った感情が生まれてその感情を受け入れるにはとても勇気がいるし、豊太郎の気持ちは不安定だっただろう。
▼私達も普段生活している中で、本当の自分を出している時とウソの自分がいる時があると思う。
▼母子家庭に育ったという理由には私は納得できなかった。母親に反抗でもするぐらいの勇気があったら、彼は今のように弱い人間にはならなかったであろうに。
▼仕事の場では多少は自分の意志を押し殺さなければいけない時もある。
▼この時代の豊太郎にとって、自我に目覚めるということは、不幸なことであったのかもしれない。自我に目覚めることなく、今までどおり、所動的器械的に生きていく方がよかったかもしれない。けれど、そういう生き方が「幸せ」とは私は思わない。
▼所動的器械的な人の子とを「いい子だ」と言って褒める人は多いが、言われたことをそのままやることほど簡単なことはない。言われていないことをやってしまう人の事を尊敬してしまう。たとえ、勉強が苦手でもそういうことができる人が頭がいいというふうに感じてしまう。
▼この時代の日本は地位の上の人に主張することができる感じではなかったけど、外国は奔放的な感じがしました。
▼まったく嫌な男だ。私と性格が似ている。臆病で何もできないくせにでかい口をたたいて挙げ句の果てに人のせい……。
▼臆病な心は母のせいというのはちょっとわかる気もした。小さい頃から厳しかったのだから。
▼もし自我に目覚めなければ、彼の苦悩はなかっただろう。でも、それが幸せなのかなと思う。おそらく半分半分だろう。

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