角川書店「現代文」に収録されている

教材観   展開   「生きることの意味」 

教材観

 敗戦のとき、作者は中学一年生だった。昔の中学は今の高校と同じ程度であるから、生徒より少し年下である。当時の中学生は小国民で、戦争のなかで育ち、日本を守るために戦場で死ぬことを頭から何の疑いもなく信じ込んでいた。これは、反戦や厭戦とかいうものはなく、自明の理であった。今から考えれば、特攻隊として死ぬことは無駄死にであるとか、国のために死ぬことは愚かであるとか、なぜ戦争に反対しなかったのかとか、いろいろな理屈は考えられるだろう。しかし、人間の心理状態を決めるのは、論理ではなく、状況である。事実は事実なのだ。戦争中は、まさにそう信じ込んでしまう状況であったのだ。オウム真理教の信者の常識を疑ったり、従軍慰安婦問題で当時の軍隊を非難したり、その他さまざまな事件について一般の人々やマスコミは批難するが、それらの事件は正常な状態での論理では通用しない状況が考えさせたい。 
 だから、戦争が負けたときの感情は、安堵でもなく、落胆でもなく、驚きであった。安堵や落胆は、現在は存在しない不安や期待に反することが生じた時に起こる感情であり、驚きは現在存在することが覆った時に生じる感情であるからだ。敗戦によって、強者が弱者に、支配者が囚人に、これまでの悪が英雄的行為に、日本人中心の社会が朝鮮人中心の社会に劇的にドンデン返しになったのである。朝鮮人に対する日本語教育や創氏改名などの歴史的事実と朝鮮人の屈辱感については詳しく触れる必要がある。 
 そうした、朝鮮人との関係で、作者には一つの事件が忘れられない。かなり熱心な教育者であり、卒業生や在学中の生徒の生徒や父兄の間でもむしろ一種の好感をもって迎えられていた教師であった作者の父親が、朝鮮人の学生を殴った事件である。父親が殴った時、学生は反射的に「哀号」と小さく叫んだ。父親は「朝鮮語は使うな。アイゴウとは何だ」と眼を細めるようにして静かな口調で言い、学生に殴られる姿勢を作るように命令する。学生は命令された通りする。父親はさらに一撃を加えた。学生は不思議なことに再び小さな声で「哀号」とつぶやいた。父親は「ようしそういうことか」とかすかに笑いながらうなづいて、かなり力を込めた一撃を与えた。学生は姿勢を立て直すとまたもや「哀号」と泣き笑いのような妙な表情で言った。「哀号」とは、悲しい時、うれしい時、困った時などに感情を瞬間的に表す言葉であるが、この状況ではどういう意味があったのか。父親の「かすかな笑い」と学生の「泣き笑い」は何を意味するのか。学生は、殴られる屈辱感から悲しみを表現するために言い、父親は朝鮮人としての誇りを守ろうとする学生の心意気をうれしく思って聞いていたのか。ここを、生徒にじっくり考えさせたい。 
 植民地における日本人について、自己批判や弁明が行われてきた。作者自身は、こうしたある借りを背負って生きてきたという実感がある。日本人が日本人の配属将校に殴られるのは個人として傷つく個人的事情であるが、日本人が支配している異民族を殴るのは民族として傷つけられる対民族の状況である。作者の考え方や感じ方は、過去の日本人の立場をいわゆる原罪意識を抜きにしては成立しないと考えている。「いわゆる原罪意識」とは、人間が生まれながらにして持っている罪である。戦争中に日本人が朝鮮人に対してしたことは単に原罪として片づけられはしないが、論理的には説明できない、ある状況下においてやむをえず出る人間の行為である。 
 敗戦後のある日、作者はパンクした自転車を押しながら、慢性的な空腹感と自転車の貸手への謝罪やいつになったら本土へ引き揚げられるのか考えながら、敗戦前からあまり日本人が立ち入らなかった朝鮮人だけの貧しい、通行中どこからともなく石が飛んできたり窓から黙ってにらみつけられたりする集落の中を歩いていた。そして、うっかりして中年の朝鮮人の婦人にぶつかってしまった。日本人とわかったら戦争中と立場が逆転し恨みをぶつけられ殴られると恐ろしく思い、朝鮮人の少年と思わせればちょっとしたミスで済むだろうという複雑な思考を反射的に一瞬でし、「哀号」と小さく叫んだ。何事もなくすれ違いうまく行ったと思った時、婦人が背後で「日本人ノクセニ」とはっきりした日本語でいった。作者はわあっと大声をあげて駆けだしたいような気がした。 
 作者は、「日本人ノクセニ」というおばさんのつぶやきを思い出すと、反射的に「哀号」とういつぶやきが出てしまう。朝鮮人の学生の「哀号」は悲しみや怒りの表現であり、あの時の作者の「哀号」は嘆きの表現であり、今の作者の「哀号」はもっと複雑に入り組んだやりきれない気持ち、民族としての屈辱、人間としての屈辱のような表現である。この3つの「哀号」の意味について生徒に考えさせたい。 

 
 

 

展開 

1.教師が音読する。 

2.感想文を書く。 

3.はじめ〜一三三14 を音読する。 

4.戦争が終わった時の私について 

 1)私の年齢は。 

  • 中学の一年生 
    (当時の中学は現在の高校に当たる。) 

 2)私は戦争についてどのように思っていたのか。 

  • 日本を守るために戦死する。 
  • 日本が戦争に負けるとは夢にも考えたことがなかった。 
5.今にして思う「いろいろな理屈」とは。 
  • 日本のアジアに対する侵略戦争である。 
  • いかなる理由があっても戦争はよくない。 
  • 日本がアメリカに勝てるはずかない。 
  • 特攻隊として死ぬことは無駄死である。 
  • 国のために死ぬことは愚かである。 
  • なぜ戦争に反対しなかったのか。 
   ★祖父の話。 

6.敗戦時に「いろいろな理屈」を考えつかなかったのはなぜか。 

  • 人間の心理状態を決めるのは、論理でなく、一つの状況であるから。 
  • 論理は平和で冷静な時には働くが、異常な状況にある時は働かない。働いても、状況を打開する力はない。 
  • 後世の人や他の状況にいる人には、明らかにおかしいと思えることも、その状況にある人には正常にしか思えない。 
  • 当事者でない者が批判することは無意味である。 
  • 例えば、オウム真理教や従軍慰安婦問題などがこれに当たる。 
7.敗戦を知った時の反応は。 
  • ほっとしたのでもない。 
  • がっかりしたのでもない。 
  • びっくりした。 
8.戦争中の朝鮮人の状況は。 
  • 天皇陛下の赤子(日本人)である。 
  • 日本語をしゃべることを強制されていた。 
  • 姓名まで日本風のものに改めなければならない。 
9.敗戦によって朝鮮での状況はどのように変わったのか。 
  • 強者(日本人)が弱者に。 
  • 支配者が囚人に。 
  • これまで悪とされていたことが英雄的行為に。 
10.一三三15〜一三五02を音読する。 

11.父親と学生のやりとりをまとめる。 

 1)父親=殴る。 

 2)学生=反射的に「哀号」と小さく叫ぶ。 

 3)父親=「朝鮮語は使うな。アイゴウとは何だ」と静かな口調で言い、さらに殴る。 

 4)学生=再び小さな声で「哀号」とつぶやく。 

 5)父親=「ようしそういうことか」とかすかに笑いながらうなづいて、力を込めて殴る。 
  
 6)学生=姿勢を立て直すとまたもや「哀号」と泣き笑いのような妙な表情で言う。 

12.「哀号」の意味は。 

  • 悲しい時、うれしい時、困った時の瞬間的な言葉。 
  • 日本語の「ああ」に当たる。 
  • ここでは悲しい時。 
13.学生の「泣き笑い」と、父親の「かすかな笑い」の心情は。 
  • 学生=民族の誇りをかけた屈辱感と抵抗心。 
  • 父親=学生の抵抗された衝撃を強がって誤魔化した。                                                                                                                  学生の抵抗心を確認して感服した。 
    ★父親は良心的な教師であったが、日本人の代表でもあった。 

14.一三五03〜一三六02を音読する。 

15.植民地での日本人について 

 1)一般にはどういう言われ方をしてきたか。 

  • 自己批判 
  • 弁明 
      ★論理の上での反省である。 

      ★直接、戦争という状況になかった者の反省である。 

 2)作者の場合はどうか。 

  • ある借りを背負って生きてきたという実感。 
16.作者の「ある借りを背負って生きてきたという実感」について 

 1)日本人が日本人を殴ることと、日本人が朝鮮人を殴ることの違いは。 

  • 日本人の場合=個人として殴られる。 
  • 朝鮮人の場合=民族として傷つけられる。 
 2)生徒や父兄に好感をもたれていた父親が朝鮮人を殴ったことについても、 
  • 父親が生徒や父兄に好感をもたれていた=個人的事情 
  • 父親が朝鮮人を殴る=対民族の状況 
   ★良心的な人が殴ったとしても、状況は変わらない。 

 4)作者のものの考え方、感じ方は。 

  1)過去の日本人の立場をいわゆる原罪意識で振り替える気持ちはないことを確認する。 

  2)「いわゆる原罪意識」とは。 

  • 人間が生まれながらにして持っている罪。 
  3)「そこ」の指示内容は。 
  • 過去の日本人の立場 
  4)作者のものの考え方、感じ方は。 
  • 論理的には説明できない、ある状況下においてやむをえず出る人間の行為である。17.一三六03〜おわりを音読する。 
18.敗戦直後、私が「哀号」と叫んだ時について 

 1)私の心の働きは。 

  • 反射的で、複雑なもの。 
  • しまったという気持ち。 
  • 自分を日本人と相手に悟られたくなかった。 
  • どうなるか恐ろしい気がした。 
 2)「どうなるか」とは。 
  • 集まってくる朝鮮人たちが、立場の逆転した私にどういう態度に出るか。 
  • 取り囲まれて殴られる。 
 3)おばさんが「日本人ノクセニ」とはっきりした日本語で言った気持ちは。 
  • 敗戦までいばっていたのに、卑屈になったことへの軽蔑の気持ち。 
 4)私が大声を上げて坂道を駆けだしたいような気になった理由は。 
  • 日本人として恥ずかしい気持ちがした。 
  • 父親に殴られた朝鮮人学生との対比。 
19.現在、私が「哀号」とつぶやく時について 

 1)どんな気持ちか。 

  • 複雑に入り組んだやりきれない気持ち。 
  • 情けない気持ち。 
  • 自分の責任を明らかにせず、それを見透かされた恥ずかしさと自分を責める気持ち。 
 



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