![]() 敗戦のとき、作者は中学一年生だった。昔の中学は今の高校と同じ程度であるから、生徒より少し年下である。当時の中学生は小国民で、戦争のなかで育ち、日本を守るために戦場で死ぬことを頭から何の疑いもなく信じ込んでいた。これは、反戦や厭戦とかいうものはなく、自明の理であった。今から考えれば、特攻隊として死ぬことは無駄死にであるとか、国のために死ぬことは愚かであるとか、なぜ戦争に反対しなかったのかとか、いろいろな理屈は考えられるだろう。しかし、人間の心理状態を決めるのは、論理ではなく、状況である。事実は事実なのだ。戦争中は、まさにそう信じ込んでしまう状況であったのだ。オウム真理教の信者の常識を疑ったり、従軍慰安婦問題で当時の軍隊を非難したり、その他さまざまな事件について一般の人々やマスコミは批難するが、それらの事件は正常な状態での論理では通用しない状況が考えさせたい。
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1.教師が音読する。 2.感想文を書く。 3.はじめ〜一三三14 を音読する。 4.戦争が終わった時の私について 1)私の年齢は。
2)私は戦争についてどのように思っていたのか。
6.敗戦時に「いろいろな理屈」を考えつかなかったのはなぜか。
11.父親と学生のやりとりをまとめる。 1)父親=殴る。 2)学生=反射的に「哀号」と小さく叫ぶ。 3)父親=「朝鮮語は使うな。アイゴウとは何だ」と静かな口調で言い、さらに殴る。 4)学生=再び小さな声で「哀号」とつぶやく。 5)父親=「ようしそういうことか」とかすかに笑いながらうなづいて、力を込めて殴る。
12.「哀号」の意味は。
14.一三五03〜一三六02を音読する。 15.植民地での日本人について 1)一般にはどういう言われ方をしてきたか。
★直接、戦争という状況になかった者の反省である。 2)作者の場合はどうか。
1)日本人が日本人を殴ることと、日本人が朝鮮人を殴ることの違いは。
4)作者のものの考え方、感じ方は。 1)過去の日本人の立場をいわゆる原罪意識で振り替える気持ちはないことを確認する。 2)「いわゆる原罪意識」とは。
1)私の心の働きは。
1)どんな気持ちか。
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