またしても、3年の3学期にこの教材を選んでしまった。この期に及んで、教科書の教材をやるのも目的意識がはっきりせず、最期の教材として、生徒にメッセージを送りたかったので選んだのだ。そのメッセージとは、卒業後、彼らが直面するであろう育児の問題についてである。また、論争とまでいかなくても、意見をたたかわすテクニックについても教えていければいいと思う。
まず、「結婚・子育てアンケート」を実施する。結婚についてから考え始める。結婚の意志、年齢、条件などについて質問する。そして、子供ができて、何を期待するのか、子育ての意味、社会的な問題として少子化についても問う。ここまではウォーミングアップで、仕事と育児、家事の分担などを問い、最後に、アグネス論争の初期のテーマである子連れレストラン、子連れ出勤について問う。
導入が終われば教材の配布である。最初に配布するのは、アグネスvs中野・林である。段落に分け、論点を絞り、論点の展開を読み取る。合わせて、使われている論争のテクニックについても触れていく。
「1.時計じかけのペーパームーン」で中野翠が、子連れの問題と、アグネスを持ち上げるマスコミの問題を取り上げる。職場に子連れ出勤するアグネスと、喫茶店に子供を連れてくる母親との対比。職場も喫茶店も大人の場である。そこに子供を連れて来られれば、大人はガマンしなければならない。文句をいれば人非人に思われる理由は,子供が絶対的正義であるからだ。また、アグネスの発言は、自分ならどうするかというきびさの中からない生まれた主義主張(なら認めるが)ではない。軽いノリの、清く、正しく、美しいだけの、大人なら恥ずかしくて口にできないことである。しかも、アグネスは芸能人という特殊な職業である。それを、マスコミが働く女のオピニオンリーダーのように美化し祭り上げる異常さを追及する。
それに対し、アグネスは「2.アグネスバッシングなんかに負けない」で反論する。子連れ出勤の理由を自分の手で育てたいという自然な気持ちから出たものである。職場ではみんな理解してくれ歓迎してくれた。バッシングの理由の一つ目として、自分が芸能人か文化人か身分不明な点にある。自分の仕事は、自分が体験したことを歌や話で表現することである。愛や平和を訴えることは「女子どもの正論」と言われるが、心を込めてメーセージを送り続ければ力になってくれる人が現れる、それが世界の現状を見てきた自分の責任であり義務である。正論には、男、女、大人、子どもの区別はなく、人類のための正論は一つしかない。もう一つの理由は、自分の子育て法にある。子どもにとって一歳半までが一番大切なのでできるだけ一緒にいてやりたい。また、香港では結婚して子どもが生まれても働くのは当たり前である。子育ては人それぞれだから、ひとつの実験だと思って見ていてほしい。
そして、林が「3.いい加減にしてよアグネス」で、アグネスは、善意と愛を信じるやさしい女性で、新興宗教のように、世界中の人々はみんないい人でコミュニケーションをきちんと持てば平和はやってくるという口当たりのよいスローガンで祈伏しようとする。伝聞や噂話のような卑怯な手段でなく直接知り合いから聞いた迷惑話を披露する。アグネスは、頭のいい社会意識に目覚めた女性と愛らしいタレントの2つの顔を持つ。また、中国と日本の2つの祖国を持ち、ある時は中国人として日本人の贖罪意識をつつき、ある時は日本人として連帯を口にする「国際人」を最大限に利用する。国際人とは何かを問い直すべきである。働く女が子連れ出勤をしないのは、働く人間として自負心が許さないからである。
ここまで、論争を読んでから、この局面の終焉を、「4.せっかく楽しみにしていた論争が、こんな形でチョンになるの」で読む。孫子や毛沢東の子孫であるアグネスが、見事な戦略で、中野・林連合軍を、包囲殲滅する様子を、軽快なタッチで書いている。
ここまでが、第一次アグネス論争。と、勝手に名づけてしまおう。いわば、私闘の段階です。ここまでで、生徒に軍配をあげてもらおう。
論争はさらに社会的な問題へと発展する。第二次アグネス論争の始まり始まり。
まず、口火を切ったのが、フェミニズム運動のオピニオンリーダー、上野千鶴子の「5.働く女の失ってきたもの」。林真理子の正論は、職場で男と肩を並べてきた女の正論である(やっぱり、正論は一つじゃなかった)と決めつけ、アグネスの子連れ出勤を、そうした正論の抑圧から働く母親を解放する甘ったれた非常識だと持ち上げる。そして、この論争の真の敵は、高見の見物をしている男性であると、新たなターゲットを提起する。
それに対して、作家の冥王まさ子は「6.『子連れアグネス』をめぐって」で、子連れ出勤を許さないのは、そうした正論でなく、世間であると主張する。「みんな(働く母親)が我慢しているのに自分(アグネス)だけ勝手なこと(子連れ出勤)をするのはずるいという、特権的な例外を特権的に排除しようとする世間=日本社会であるとする。アグネスはユニークな強者であるが、ユニークな弱者である普通の働く母親の存在が許される社会の実現のためにアグネスを擁護しようとする。
二人の主張はリアリティーがない、アグネスにも林にも賛成できないと、コピーライターの竹内好美は「7.『会社に託児所』を要求しない働く女の論理」に書く。タクシーかお抱え運転手付きの自家用車で通勤できるアグネスはいいが、普通の働く母親は、赤ん坊を抱えて電車で通勤する。その片道50分の通勤時間の肉体的・精神的負担を考えると、とてもとても職場に託児所なんて要求できない。これは、ちょっと考えればわかる超常識。こんなことも考えないで議論している人々は、働く母親の代弁者にはなれるはずがない。それに、父親はますます子育てを拒否するようになる。こんなことを要求するのは、アグネスに代表される働く良妻賢母である。働く母親がまず要求すべきことは、夫に育児や家事の分担を迫ることである。そうすれば、女性の生産性も向上するし、男性も豊かな生活人に生まれ変わることができる。
論争はここまで。「結婚・子育てアンケート」の集計を返したり、第一次アグネス論争の感想文を返したり、男女雇用機会均等法についてのプリントを配布したりして、最後にこの論争を通じて考えたことを感想に書かせて終わりにする。
導入
1.「結婚・子育てアンケート」をする。
・ABは結婚の意志と年齢。
・CDEは条件。
・FGHは心理テスト。
・IJKLMNは子どもへの期待。ここまでは助走。
・OPQRは子育ての意味と仕事と育児。二部の本質論に迫る。
・Sは家事の分担で。これも二部の話題。
・TUVが子連れ問題で、一部の話題。
★回収し、集計結果を後日報告する。
2.1〜3までをまとめたプリントを配布する。
3.アグネス論争の経緯を説明する。
・『週刊朝日』の訂正記事について、場所は京都外国語大学、講演料は百万円、普段は四人だがこの日は心配して夫らが付いてきて六人になった、「ひなげしの花」は歌っていないを補足。
「1.電気じかけのペーパームーン」中野翠
1.生徒に黙読させる。(本文へ)
2.論点(批判している事柄)を3つ指摘させる。
1)アグネスが職場に子どもを連れてきたこと。
2)アグネスの発言にきびしさがないこと。
3)マスコミがアグネスを働く女のリーダーとして扱っていること。
3.論点に従って、3つの段落に分けさせる。
・はじめ〜関係者の人たちに同情した。
・ところが!その後のマスコミ〜恥ずかしくて口にできないだけだ。
・べつにアグネスの個人攻撃〜おわり
4.アグネスの子連れ出勤について
1)子連れ出勤は前代未聞でだれも経験がないが、身近なものと対比することによって、同じ体験をした人を説得しようとするテクニックを使っている。
2)子連れ出勤と何を対比しているか。
・喫茶店に子どもを連れてくる母親。
3)テレビ局(職場)と喫茶店の共通点は。
・大人の場所。
4)嫌悪感を抱く理由は。
・大人の場所に子どもを連れてくるのは間違っているから。
5.アグネスの発言について
1)批判している理由は。
・きびしさがない。
・清く、正しく、美しい。
・大人は恥ずかしくて口にできない。
2)きびしさとは何か。
・自分ならどうするかを考えること。
・自分の立場に置き換えて、思想の現実性や正当性を試すこと。
★指示語をたどって正解を求めるようにする。
3)きびしさのある意見を何と言い換えているか。
・主義主張。
5.マスコミについて
1)何を批判しているか。
・彼女を働く女のリーダーに美化し祭り上げていること。
2)その理由は。
・一回の講演で百万円もらえ、ペビーシッターを帯同できる芸能人は特殊な職業で普通の働く女性とは立場がちがう。
・同じ芸能人でも、松田聖子と違い、清純なキャラクターである。
・朝日新聞に対する反感。
3)松田聖子のように、対極にある典型的な具体例を出してイメージしやすくする。
6.これらの意見の底流にあるものは。
・子どもは絶対的正義である。
「2.アグネス・バッシングなんかに負けない」アグネス・チャン
1.生徒に黙読させる。(本文へ)
2.3つの段落に分けさせる。
1)はじめ〜正面から批判することはありませんでした。
2)なぜ、急に〜がんばるつもりです。
3)アグネスバッシングの〜おわり
3.子連れ出勤批判に対する反論について
1)どの段落で反論しているか。
・第一、第三段落。
2)子連れ出勤の動機は。
・自分の手で子供を育てたい。
・母乳をあたえたい。
・これらを,「自然な気持ち」と表現している。
3)周囲の反応は。
・よく理解してくれた。
・来ることを楽しみにしてくれた。
★自分に都合の良い説明。
4)子育て法
・子どもの一生にとって一番大切なのは一歳半まで。
・香港では、結婚して子供が生まれても、働くのは当たり前。
4.発言のきびしさに対する反論
1)アグネス・バッシングの原因は。
・芸能人か文化人か身分不明であること。
・歌手としてデビューし、大学で講師をしている。
2)アグネスは自分の仕事をどのように考えているか。
・自分の体験(目で見たもの、耳で聞いたこと)を、(歌や話を通じて、与えられた場所で精一杯)表現していくこと。
・「愛と平和」のテーマを訴えること。
・心を込めてメッセージを送り続けると、力になってくれる人が現れる。
・外国(中国やアフリカやアメリカ)の現状を見てきた自分の責任と義務。
3)正論についてどのように考えているか。
・女子どもの正論と批判される。
・正論には、男、女、大人、子どもの区別はない。
・人類のための正論はひとつしかない。
「3.いい加減にしてよアグネス」林真理子
1.生徒が黙読する。(本文へ)
2.3つの段落に分けさせる。
1)はじめ〜啓示のようにもてはやすのだ。
2)アグネス・チャンという人は〜言いたいのはそこなのだ。
3)最後に締めくくりを〜おわり。
3.林真理子の使っている論争のテクニックについて
・卑怯な手段である伝聞や噂話をしないとして、直接知り合いから聞いた話を持ち出す。
・著名な、社会的信用のある曾野綾子の文章を引用する。
4.普遍化について
1)知り合いの話から主張しようとしていることは。
・アグネスは、「みんな喜んでくれた」と言うが、知り合いは、「気が気じゃなかった」と言っている。
2)曾野綾子の文章から主張しようとしていることは。
・アグネスは、エチオピアで出会った人は「みんな礼儀正しかった」と言って曾野綾子が「無表情で感謝の心がない」と書いたことを批判している。
3)共通することは。
・「みんな」という言葉。
4)言い換えると。
・普遍化。
5)アグネスは、自分の体験を絶対的なもの普遍化する。
・人類のための正論は一つしかないにも共通する。
・自己中心的な、排他的な考え方。
・新興宗教の教祖。
・実際は、「ある日そこにいた時はこうだった」。
5.二面性について
1)アグネスの二面性とは。
・頭のいい社会意識に目覚めた女性と、愛らしいタレント。
・中国人と日本人。
・香港出身の中国人として、日本人の贖罪意識(罪滅ぼし)をつつく。
・日本人の夫と結婚した日本人として、連帯を口にする。
・日本人が弱い「国際人」という言葉を巧みに使った。
「4.せっかく楽しみにしていた論争が、こんな形でチョンになるの」
1.プリントを配布する。
2.生徒に黙読させる。(本文へ)
3.第一次アグネス論争の終焉を読み取る。
・軍歌のもじり、福沢諭吉の格言のもじりや、四面楚歌のもじり、毛沢東や孫子などの有名人の名を使って、茶化していることに注意する。
4.「結婚・子育てアンケート」の前半の集計を配布し、簡単な分析をする。
・結婚の意志や年齢、相手の条件、結婚の利点と不利益、子どもの数、子どもへの期待。
・男女の比較、クラスの比較をする。
5.ここまでの感想を書かせる。
「5.働く女が失ってきたもの」上野千鶴子
1.プリントを配布する。
2.生徒に黙読させる。(本文へ)
3.代理戦争(アグネス論争)の真の敵とは誰か。
・男性。
・中野+林vsアグネスの個人的な問題から、女性vs男性の社会的な問題に発展させている。
4.林真理子の正論について
1)誰の立場の正論か。
・プロの職業人。
・職場で男と肩を並べてきた女。
・ルールに従うことで利益を得る人。
2)普通の女たちにどんな影響を与えてきたか。
・抑圧的な働き。
3)普通の女たちが言い分を通すためには何ができたか。
・ルールを無視して横紙破り(無理を承知で自分の言い分を押し通そうとすること) をしなければならない。
5.アグネスの子連れ出勤の示した意味は。
・働く母親の背後には子どもがいること。
・子どもは放っておいては育たないこと。
・子どもを連れ歩いてでも面倒をみるほかないこと。
★アグネスが子連れ出勤をしなければ、このようなことは人々に意識されなかった。
「6.『子連れアグネス』をめぐって」冥王まさ子
1.プリントを配布する。
2.生徒が黙読する。(本文へ)
3.子連れ出勤を許さない理由は。
・自負心ではない。
・世間である。
1)わかりやすく説明すると。
・みんなが我慢しているときに自分だけ勝手なことをするのはずるい。
2)難しく言い換えると。
・特権的例外を特権的に排除しようとする。
3)日本社会の特質とは。
・自分もなりうるような一般的弱者を許容するが、例外的であることを選ぶ弱者には排除の論理を適用する。
・「平等化社会」「均質化社会」
4.すぐれた社会とは。
・ひとりひとりが例外的(ユニーク)な存在でありうる社会。
・ユニークな強者=アグネス
・ユニークな弱者=働く母親
・「個性化社会」
「7.会社に託児所』を要求しない働く女の論理」竹内好美
1.プリントを配布する。
2.生徒に黙読させる。(本文)
3.竹内好美の立場とその理由は。
・アグネスも支持しない
・旧態依然とした良妻賢母を演じているから。
・林真理子も支持しない。
・男性社会における弱者(女、子ども)を疎外する。
4.女性が職場に託児所を要求しない理由の一つは。
・子連れ出勤が肉体的、精神的な負担になるから。
(具体的な説明をする。)
・子連れ出勤はリアリティーがない。
5.女性が職場に託児所を要求しないもう一つの理由について
1)「職場に託児所を要求する」スーパーウーマンの過程を確認する。
・家事が女性に集中する。(完全な分業制=家庭内職場)
・家事の負担を要求する。
・途中で挫折する。
・子育てに専念するのも女の幸せの一つの形かもしれないと思い始める。
・仕事も、家事も、育児も自分だけを頼りにやっていこうと決意する。
・職場に託児所を要求する。
2)職場に託児所を要求することの意味は。
・父親が子育てを完全に拒否していること。
・良妻賢母が仕事を持っただけ。
3)夫に家事と育児を半分要求する意味は。
・女性の生産性が上がる。
・男性が薄っぺらな仕事人間から、厚みを持った生活人に生まれ変わる。
・仕事と家庭生活が無理なく両立できる世の中を生み出す力につながっていく。
アグネス論争のまとめ
1.第一次アグネス論争の感想文をまとめたプリントを配布する。
・圧倒的に、アグネス批判派が多かった。
・他の生徒の意見を読ませて、自分の考えと比較し、もう一度考えさせる。
2.第一次、第二次アグネス論争の経過を簡単に振り返る。
3.「8.男女雇用機会均等法で何が変わるか」を配布して、説明する。
・基本的理念は、女性が職業生活と家庭生活との調和を図れるための権利と保護である。 ・今回、不十分な点が改正された。
・同時に、女性の保護も差別の一種であるという観点から撤廃された。
・募集、採用、配置、昇進が男性と同等になった。
・結婚や出産による解雇や退職を禁止した。
・セクハラを防止した。
・残業、休日労働、深夜労働の禁止が撤廃された。
・キャリアウーマンにとっては朗報であるが、それ以外の女性には厳しい面もある。
・深夜や休日の保育、女性のストレスや職業病などが新たな問題になっている。
・男性の労働基準を女性並みにする運動が起こっている。
4.「結婚・子育てアンケート」の集計の後半の集計を配布し、簡単な分析をする。
・結婚や出産と仕事の継続、母親が働くことの影響、子育ての意味、少子化について、家事の分担について。
5.最終の意見・感想文を書かせる。
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