渚美智雄さんインタビュー

街角アーチストシリーズ第二段ということで、会社員をしながら、自主制作映画を作り、小説を書き、HPを作ってられる「横浜なぎさ書房」管理人渚美智雄さんへのインタビュー。つっても、テープ回して新宿でダベっただけなのですが。今回はSTCさんの回と違って、70年代に大学時代を過ごした渚さんと90年代に大学時代を過ごした私と20年分のジェネレーションギャップ。20年の歴史を語り尽くしてもらいましょう。

コピーライター渚美智雄 映画研究会 ヨーロッパロケの予算   今回の撮影シナリオ 世代論 家庭論 「6月19日から29日まで、映画ロケで英国に行ってきます」Written by なぎさ


なぎさ:焼き鳥セット、串焼きセット一つ。

――HPで、ショートショートや映画のダンサーインザダークのレポートを書かれてるハマさんでしたっけ?あの方はお友達の方で?

なぎさ:そう、ハマちゃんね。俺よりもっとずっと若いんだよね。対談形式でやったの。

――結構そういう会話形式多いですね。

なぎさ:HPってチャットとか掲示板とか割りと話し言葉風になってるじゃないですか。だから文体としたらそっちの方が馴染むのかなと。HPにはそういうやり方で、まあ普段書いてるものは原稿なんかはそうは行きませんから。

――普段はどういうお仕事をされているんですか?

なぎさ:普通の会社員と一緒。生業はね、生活するためのなりわい。系統でいうと通信機器メーカーいわゆる製造業。携帯電話作ったりとか色んな物を作っとる訳です。

――御趣味で小説書かれたりとか、映画撮られたりとか?

なぎさ:まあ、何か表現したいというのは昔からですから。まあ、だからそれをやってないとなんか変な話気持ち悪いと。だから、ゴルフやったりとかそういう趣味とはまたちょっと次元が違うね。

――ゴルフでは満たされない部分があると。

なぎさ:ホビーという感じじゃなくって。ちょっと大げさ過ぎるけどライフワークに近いような感覚してた。

――昔っから?

なぎさ:そうですね。どっちかっていうと映画の方がそういう意味では早かったかもしれんな。っていうのは大学ぅーーー、だいたいね、僕らの世代ってのはビデオがない世代で、この間HPで(STCインタビューのこと)みせてもらった通りでほんと、3分半しか撮れない、千なんぼ払って3分半しか撮れないあの世界が出発点なんですよ。大学に入ったときにその八ミリカメラをフジフィルムのその、八ミリカメラを・・ま、買ってもらったのやな、親に。それが始まりですよ。

――結構そういうのが流行ってた頃ですよね。

なぎさ:やっと手軽にムービーが作れる?富士がシングルエイトって当時言いましてね。フジフィルムがずいぶん一生懸命マーケティングやってましたよ。

――それは西暦で言うと何年ぐらいで

なぎさ:西暦はね。1970年前後ですわ。

――大島渚さんとかが、ガーッと人気あった頃。

なぎさ:まさしく(きっぱり断言)。もう僕らは、僕らの学生時代にね、映画研究会やってましたから、その時代の憧れの的ですから。大島渚と言えば。

――手塚真さんがまだ出てくるちょっと前。

なぎさ:前!前!前!手塚さんはまだね。親の方が有名だった。木棚さんも映画は詳しそうですね。

――いや全然。友人でやってたのが何人か居るぐらいで。

なぎさ:でもこのあいだお書きになったインタビュー記事読むとね、非常に共感できる部分があるんですよ。ああ、こうしてやってる人も居るんだなと言うね。木棚さんは映画もやられてるんですか?

――どちらかというと、自分は活字系で、昔の宝島という雑誌が好きだったりとか、活字系なんですけどね。

コピーライター渚美智雄

なぎさ:僕はね会社に入ってすぐ、一番最初にやった仕事が宣伝の仕事でしたから。コピーライティングやっとったんですよ。コピーライターと言えばコピーライターですわ。始まりはね。あの当時書いた物をいまだに残してますけどね。ハッハッハッ、いまみると下手だね。だからコピーライターなんか典型的にそうだけど、職業文章家の典型なんですよ。自分の内側にある物を吐き出すわけじゃないでしょ。こういう商品だとかこういう商品をプレゼンするためのものでしょ?その分もう完璧に表現力だけの問題なのです。魂がない。職業文章家ってのはだから、そういう意味では面白くって修行にはなるから。修行、修行、トレーニングにはなりますわ。

――こう、なんでしょ。自分の表現でなくってお客さんの表現じゃないですか。最終的にこれ、携帯電話でも、10代の子供に向けてなのか、それとも企業用なのか。企業で営業の社員に会社が支給して仕事で使えってのか、お父さんとかお母さんが子供に何かあったとき心配だからで買い与えるのか。購買層をみての購買層の表現じゃないですか。

なぎさ:ようするにそういうことなんですよ。一人称と三人称の2つは使えるんですよ。ところがね、太宰じゃないけど潜在二人称って奴。これがコピーライティング。

――それはどういう?

なぎさ:「あなたは」って奴。読んでるうちにあなたはこの商品をこういう風に受けとめます。こういうふうに誘導して行く。

――催眠術的な

なぎさ:催眠術。催眠術。太宰がよくそういう言い方されるでしょ。太宰の文学が、ハッハッ。「あなたは」という感じでこれをこう読ませるようなところがあるんだな、彼の文学は。一種コピーライティングってのはそういうもんなんですよ。「我々は」なんてやってるうちはダメなんですよね。僕なんかね。今日は色んな話するんだけど。「スローガンとキャッチフレーズの差が分かるかぁ」ちゅうて先輩に怒鳴られてやられたですよ。

――(笑)分かります分かります。

なぎさ:スローガンてのは投げつける言葉なんですよ。「我が社は今期こうする」ちゅうのは、これスローガンなんですわ。ぶぅわーーーーなげつけて、受けとめない社員が悪いと。これがスローガンなんです。

――ノルマの達成目標ですよね。

なぎさ:ところが、そのスローガンでもって一般のお客さんに物言ったらどうしょうもない。キャッチフレーズってのは、いつの間にか受け手が心のミットで受けとめてしまう。そういうのがキャッチフレーズだよね。だから受け取ろうとしないでもすっと入ってくる。それがキャッチフレーズ。だから、スローガンかキャッチフレーズかってのずいぶん言われましたやられました。先輩にね。そういう勉強にはなったんだないまから思えば。

――子供とかでも、気がつくとCMのマネしてるとか。ホンダシティの「ティ・リィ・リィ・リィ・ホンダ・ホンダ・ホンダ・ホンダ」とかドリフでやってましたよね。

なぎさ:結局ね、僕らの世代ってのはね、新聞広告の文化ってのの最後の世代なんですよ。その後ってのは徹底的にテレビスポット、テレビスポットがコマーシャルっていう、それで言葉の使い方が変っちゃったのよ。新聞広告ってのはあくまで文章読むもんでしょ。この時代のコピーライティングといわゆる耳の目で、ぶわっと来ちゃう。そういう奇をてらうような表現でどんどんどんどん行くでしょ。極端に言うと文法を壊してまでもそういう事をやる。そういう時代に変っているわけよ。1970年代の後半からそうよ。

――ソロバンで「あなたのお名前なんてぇーの」とか

なぎさ:そうです、そうです。あれトニー谷。もうとにかくね。テレビそのものが、そういう・・言葉悪いけど軽薄な、振り向いてさえくれれば良い環境下に置かれて行くんですよ。例えば、こういうこと(雑談)しながらテレビつけ続けるわけでしょ、話し込んでてふっとテレビの方に目が行く、そういう風にしなきゃいけないというのがコマーシャル作家達の試練みたいになっちゃったから。

――一瞬のインパクトがあれば良いと。それが、新聞広告の時代はどうだったんですか。

なぎさ:いまでも新聞広告というのはあるけれど基本的に新聞というのは見出しから見て、記事をみますよね。見出しがあって、見出しに引っかかって記事をみますよね。あれと同じ感覚で、ヘッドラインというのがあって、ボディーコピーがあるのです。

――ああ、なるほど。インパクトのあるヘッドラインをバーンと出して。新聞さんの場合、結構権威があるという建前になってるじゃないですか。すると企業広告じゃなくて記事に見せるというやり方がありますよね手法的に。

なぎさ:あそこまで行っちゃうと邪道だったけどね。上の方よく見ると全面広告とか書いてあるわけでしょ。あれ書かないと違法になるからね。ただ、広告は広告だよと言いながらも、原則はそうなんですよ。

――権威があるように見えるように、いかにも偉い先生の名前を出して来たり。

なぎさ:僕なんか好きだったけどサントリーのね

――ありましたね。開高健さん

なぎさ:そうです。山口瞳さんと開高健さんが、あれは結局僕らの時代でね、僕らの宣伝の時代ってのは2つ方法があったんですよ。徹底的にビジュアルで消費者の評価を得て行くというやり方が資生堂さんだったんです。やまのあやおさんという有名なデザイナーが居て、あの方が作ったあの紫の資生堂なんですよ。ま、世代がちょっと違うから分からないかもしれないけど、資生堂ってのはそういうビジュアルなイメージをずっと積み重ねてブランドイメージを作ってきた会社なんですよ。一方、サントリーってのは言葉の文化で、酒ってのはこんなけ良いもんだよとじわじわじわじわ浸透させていった会社なんですよ。その書き手が開高健であり山口瞳であったり。いつものように成人の日にね、いま成人の日変っちゃいましたけど(笑)。成人の日になると新聞広告が出たのねサントリーの。今日からあなたは酒が飲めるよと言うわけだ。

――上手いですね。

なぎさ:人間にとって、一人前の男にとって酒とはなんであるかってのをね。先輩がちょっとこういう調子でね。語っているような短いコラムの文章だった。それが宣伝だった。いっつもそれを読むのを楽しみにしていた。

――新聞はどこをどんなのを取られているんですか?

なぎさ:まあ、2紙ですね。日本経済新聞、生業の部分で、会社員として読まなきゃいけないとこがあるので、それで家は朝日新聞で両方読んでる。この間まで読売新聞だった(笑)。

――読売は読売で広告戦略上手いなぁってのがありますけどね。

なぎさ:広告はね、大体同じ原稿一つ作ったら、企業の広告というのは四大紙一応全部出すんですよ。朝日・読売・毎日そして日本経済、それにサンケイが入るのかな、その五つ。その五つで全面広告やってどのぐらい掛かるかねぇ、いま。ン千万の世界ですよ。

――一紙三千万とかいう話を聞きましたが、日経が一番高いんですよね確か。

なぎさ:日経が一番高くなっちゃった。僕らの時代ってそうじゃなかった。読売だった。やっぱ日経ってすごいことやりましたから。一番最初にコンピューター編集をやったのは日経です。「メディアの興亡(立花隆著)」とかいう本があるけど、あれはそのことを書いてる。

――読売さんの場合あれじゃないですか。片方に巨人軍があって、最近だとベルディー川崎があって、あとサルティンバンコがあって・・あれはフジか、そんなときやっぱり読売主導じゃないですか。広告作って朝日や毎日に載せることもあるあるのかもしれないですけど、読売主導でイベントをやってくときの上手さっていうんですかビートルズの初来日も読売だったんですよ。上手いなぁっていうか、卑怯といえば卑怯なんですけど。

なぎさ:いやいや、新聞ってのは購読ですからね。購読料と宣伝しか売り上げが入らないわけですよ。で、大体収入から行くと広告が六割で一般の購読者からの購読料ってのが4割ですよ。収入の構成比からいくと。だから、いかに広告を取って来るかってことが物凄く大事なんですよ。で、その上で今度はイベントに入るわけ。どこどこ新聞主催のイベントってのが国民的に定着すればこんな強いことはない。その典型的な例が朝日の高校野球。

――あれは朝日なんですか。

なぎさ:朝日!だから、新聞社ってのは文化を興していくみたいな気分があるんです。今後日本経済新聞は、ルネッサンスエイジみたいな感じで、ずぅーーーっとこの1年通じて、イタリアルネッサンスのラファエロとかああゆう風な絵画展をやってみたりだとか、この1年通じてやりますよ。それが今年の彼らのキャンペーンなんですね。それに付随して広告が取れてみたりとか、文化的な読者を引きつけておくことが出来る。日経っていうと経済記事ばっかりだとかになるとさ、ハッハッハ。

――まずい訳ですね。

なぎさ:そういうことを考えながらやって行くわけでイベント事業部ってのはあるんですよ新聞社には。ああゆう仕事も面白いもんですよ。僕はやったこと無いけど。

――結構詳しいですね。

なぎさ:もともとそういうマスコミの方の人だからね。

――お生まれは何年で?

なぎさ:昭和23年ですから、西暦でいうと1948年。そうみえるかどうか分からないけど。

――学生時代が1970年代ですか。

なぎさ:卒業したのが1971年だったかな。1970年の11月25日に三島由紀夫は死んだんですから。あの時期ですから。今でも鮮烈に覚えてますけどあの日のことは。この間ね、ある出版社の人と話をしてたら、「渚さんもその世代の人ですね」とか言われちゃって、文学を志してる人間でね、僕らの世代の人間ってあの1970年の11月25日に自分が何をしていたかってことはみんな克明に語られますね、って言うわけよ、編集者は。まだ若い編集者ですけど。「渚さんもその世代の人ですね」と言われちゃいました。

映画研究会時代

――でも、大学では文学でなく映画研究会だったのですよね?どのようなものを撮られてたのですか?

なぎさ:えっとね、あの当時映画を撮るなんてことはできなかったですよ。僕からプロの映画を観ながら評論を書いて評論集みたいなものを出すみたいな。だから文学部にちょっと似てたみたいなのかもしれないね。で、ごく一部当時八ミリカメラみたいなものが出始めたから、あれを使ってマネゴトみたいなのは、やったよと。いうぐらいですなぁ。まともな映画撮れたとは思ってない。脚本だけはみんなで書いたりして脚本集みたいなのは出したりして、だから文芸クラブみたいなのに近かったですな。

――あの時代ですとキューブリックとか?

なぎさ:キューブリックはもう世に出てましたね。オレンジなんかはね。合評会に掛けてみんなで議論したのをおぼえてる。「スタンリーキューブリックのオレンジを語る」とか言ってみんなでワーワーやるわけですよ。当時のサークル活動ってのはそういうことしかできなかったですね。あの当時は。合評会が基本でした。

――キューブリックとかゴダールとかですか。

なぎさ:その当時僕たちを取り巻いてた環境から言えば、一人は大島渚ですよ。向こうの作家で言えばゴダール。まあ、フランソワ=トリュフォー、いわゆるヌーベルバーグ派と言われた作家達。もうひとついわゆる仁侠映画ってのがあったんですよ。この領域が一つあった。もうひとつね。いまアダルトビデオとかああゆうのが一般に普及して映画の方が衰退してるけど、当時ビデオなかったから、いわゆるピンク映画というのがあったんですよ。いまでもまだ残ってるけどね。あれで、若松孝ニってのが居たん。この辺ですわ、評論の対象にしとったん。ま、評論の対象ちゅうよりもは憧れとったんそういうことや。

――仁侠映画とピンクってのはある意味近いっちゅや近いですよね。

なぎさ:おんなじですよ。だから、当時僕ら若松孝ニですよ。「荒野のダッチワイフ」とかねぇ、名作だと言われる作品を熱く語ったですよ。もう一人、むかい寛ってのが居て、その息子さんがいま映画監督やってますよ。今息子さんの方がメジャーなっちゃった。だからまあ、そういう時代でしたなぁ、僕らの時代わ。

――3分ぐらいのテープを回して、そんなに良いのは撮れないにしても、一応映ってるぞぐらいはやるじゃないですか、8ミリで。サークルの一番可愛い女の子主役に持ってきて。ラブストーリーみたいなのを3分や1分じゃ入らないんですけどやるだけやってみるじゃないですか。上がったの観たら、うわーひどいなぁと思いつつも、まあまあ、可愛い女の子撮れたから良いじゃないかぐらいわ。

なぎさ:あの、逆にザラザラした画質というか、ありがたいことに浅井慎平さんあたりぐらいから、スチールのいわゆる雑誌の世界でもさぁ、わざわざピンぼけの世界、わざわざライカよりももっとひどいコンパクトカメラみたいなもので撮ったような映像の方に価値を見出すような流れが出てきたじゃないですか?いまみればアラーキーがそうですよ。荒木経惟(あらき のぶよし)。彼の映像感覚ってのは基本的にそっちですよ。

――どっちかってぇーと、ヒロミックスがそれかなぁって感じになっちゃうんですけど。あれなんかみてると素人じゃねぇーかこれっていうぐらいの。

なぎさ:素人なんですよねぇ。みんな素人・・素人と玄人の見分けがつかないようなレベルでなんか作って・・ゴダールがそうだな、だいたい。映画ではゴダールがそうですもんなぁ。

――そ、そう?ゴダールは、脚本レベルでみると確かにひどいっていうか、商業映画じゃねぇーなって脚本ありますけど、いざ映画になってみると照明とか光の色の使い方とかは、プロのデザイナーじゃなきゃ、ほんとプロのデザイナーとかコピーライターとかイラストレーターとかあっち系の色使いですよ。

なぎさ:(笑)。それは木棚さんがプロの目を持ってご覧になってるから、さすがにそういうところをご覧になられるから、一般の人間の観客席の方からみるといわゆるプロ的なスタイルの作品といまおっしゃたようなところってのは見分けが付かないじゃないですか。アマチュア的なスタイルの作品で見せますから。最近ではダンサーインザダーク。

――それもアマチュア的に見えるんですか?

なぎさ:アマチュア的ですね。わざわざアマチュア的に撮ってる。画質を荒くしてる面とわざわざ画面がぐらついてそれで、僕がこうして(ビールの入ったコップを持って、コップについたしずくが落ちたテーブルをナフキンで拭き、またナフキンを戻してビールを飲む)こうして、こうしたときに、ドラマ的に意味があるんだったら映しても良いんだけど、意味が無かったら切ってしまえっていう。それがね、不自然にみえちゃうわけですよ普通だと。例えば僕がこうして、飲んでるところでパッとこう切っちゃうと。(コップを持つ手が一瞬、不自然に速い速度で左にぶれる)

――(笑)なるほどなるほど

なぎさ:そういうふうにね。同じ角度から撮ったときに不自然に跳んでしまうという感覚ね。でも、ゴダールがそうなんですよ。ダンサーインザダークなんかもそうなんですよ。不必要なところは切っちゃって良いんじゃないの?と(笑)。アマチュアねビデオでもなんでも撮るときにね、これつまらないなというときはポーズボタン押して、撮らないですわ。ほれでまた始めるでしょ。だから再生すると不用意にポンポンポンポン跳んじゃう。ゆうようにみえちゃう。

――(笑)普通だと、それ、角度変えてごまかすんですよね。

なぎさ:そうです。その通り。それを不自然に見えないように撮るのがプロだと。わざわざそういうこと(プロ的なテクニック)をあえて俺はやらないよというのがゴダールだったと思うんですよ。うん。そういう観点からみると、アマチュア的にみえると。僕らのちょうど・・時代というのはそういう風な人達が台頭してきたような時代なんだよ。いままで巨匠と言われたいまおっしゃったように、いかに不自然にみえないかってなことをしっかりしっかりしっかりしてきた人達が「なによ、あれ」という感じで否定されていったような転換期があったような気がするわ。その影響与えられてるかも分からない。

――実際そうゆうのも多少は撮られたんですか。

なぎさ:僕らがね、マネしたのはね、マネしやすいですよその方が。技術が無くてもマネ出来るんだ表向きのマネは。そんな物ばっかしですよ。だから学祭とかなんかで上映したときにはお客さんみんな退屈しきっちゃってね、閑古鳥が鳴いてね(笑)。ほんとはね、きちんと演出の勉強してね、カメラワークも基本を勉強して不自然に見えないように映画的時間と空間をどうこう編集で持ってくかってのが映画でしょ。そういう基本的なトレーニングをね、やっぱやるのがね、映画会社に入って演出部に属してサード助監督ぐらいから始めて、セカンドなってファーストになって、初めて1本立ちになっていくという・・まあその割りには長過ぎる年月なんだろうけど、そういう年月を経てきて撮ってる人の物が僕は本物やと思う。僕はね。プログラムピクチャーなり、映画会社で出来あがってきた映画監督の映画が好きですよ。

――今回撮られるのはそういう方法で行こうと。

なぎさ:そうでないと持たんのですわ。役者は全部素人ですし、私も含めて。今日の「風花(相米慎二監督。小泉今日子主演映画。インタビューする日の午前中なぎささんは一人でこの映画を観ていた)」なんて観て頭の中がまだモヤモヤしてるんだけど、アレをやっちゃうとね・・いやあんなこと出来ないんですよ、出来ないというか、しかも今度の場合(渚さんが撮るのは)ビデオでしょ?テレビで観られるというのが前提になるんです。そうするとね、相米慎二監督のような撮り方では持たんですなテレビでわ。映画館から、暗闇の中で、金払って、闇の中の四角四面の映像を見つめる。ただ一つあるのを見つめる。そこを強制されるという前提?そこで初めて展開出来る演出なんで。

――テレビだとまた違うように見えちゃう。

なぎさ:あれね、風花なんてテレビでやったら寝るんじゃないかみんな。僕は感動したけどねぇ。

――ずっと映画みたいなことはされてきたんですよね。

なぎさ:大学時代からやってきて、やっぱりその生業、食うために会社に入ってそれでもやっぱりコツコツコツコツ続けては来たんだよ。インターバル長かったけど。映画撮るのは10年ぶりなんだよ実は。その10年はさすがに色んな意味でキツくて映画撮るだけの余裕は無かった。やっとそれが出来るという。まあありがたいことです。(お酒を飲みながら)今度ヨーロッパ行くのにワインを飲む楽しみとかあるじゃないですか、風景とか。

ヨーロッパロケの予算

――予算掛かりますよねあれ(なぎささんのHPでキャストを募集していてヨーロッパでの撮影に掛かる旅費は渚さん持ちだった)。どう考えても十日間掛ける人数ですから。滞在費だなんだかんだって言いますと。

なぎさ:ゆってもね、往復の旅費だけですよ。飛行機代ですよ。向こうのなんて知れてますよ。ヨーロッパの向こう側の物価なんて。だからね。立派なホテルに泊まろうとするから掛かるんで。むこうはね、B&Bってのがあるんよ。ブレイク&ブレックファースト。泊まって朝食を出すよと。民宿みたいなもん日本でいうと。安いですよ。

――日本でいうとお幾らぐらいになるんですか。

なぎさ:日本でいうと五千円ぐらいで。だから、そう考えちゃうと、五千円で十日間使って五万ぐらいのもんでしょ。一人。その程度のもんなんだよ向こうの中でわ。ロケで色んなとこ行くんだったら、そこの範囲内(宿泊費)だけだったら日本の方が絶対高いですわ。

――そっかそっか、そう言われてみればそうですよね。そういう計算なかったですよね。

なぎさ:ただ行き帰りの、この飛行機代だけは間違いなく高い。ただし、いまは安いのがあるんだよ。だからね、皆さんおっしゃって頂いてるほど高くつくものではない。

――そうわ言っても、HPでみせて頂いた限りでは、人数的に6・7人。なぎささん持ちですよね。そしたら、仮にB&Bで10日間5万だとしても6人いれば掛ける6。30ですか。

なぎさ:まあ、そのぐらい掛かる。最低でも。

――向こうでの食事とか交通費とか掛かるでしょうし。

なぎさ:それはみんなで楽しむ部分だから、あれだけど、基本的にレンタカーで動いて行くつもりですし。

――それだけ地理に詳しい方がいらっしゃると。

なぎさ:向こうに、いまロンドンの方に住んでる友人が一人いて、僕のHP観てもらうとヨーロッパスナップレターと言うのがあります。ヨーロッパスナップレターの中に、羽芝来人(はしば らいと)ってのが居て、その羽芝来人ってのが俺の友人で、ヨーロッパのロケーションマネージャーです。彼がロンドンに住んでるから。彼がヨーロッパのことを全部手配してくれる。そういう風にしてないとこれは出来ない。そういう奴おらないと。

――その予算とかは誰がどういう形で出されたんですか。

なぎさ:四人の仲間ってのが基本がまずあるんですよ。そのうちの一人がロンドンに住んでる男でね。その四人のうちの一人が僕なわけだよ。あとの二人が大阪におるんだよ。そのうちに上海に行くかも分からないけどね。この四人が今年はみんなで楽しもうねって、良い映画作ろうねって話なだけで。だからみんなね、それなりに楽しむためにこのぐらいの金払っても良いよっちゅう連中でしょ。四人で割ったら知れてるんだよ。

――それはやっぱり学生時代の友人で。

なぎさ:いや、学生時代ではなくってこれが面白いことに、会社で。会社に入ったほんとの新入社員のときにめぐり合った友人なんですよ。その友人がずっと続いててね。いまだに付き合ってるわけです。これから会社を辞めても付き合えるだろうとゆう友人なんです。ありがたいことですね。

――意外と会社辞めたりとか部署替わったりすると付き合えないですよね。

なぎさ:でしょ?それとね。会社ってとこは木棚さんもいまいらっしゃると思うけど心を割っての友情関係を築けるようなことにはなかなかならないですな。だから新入社員の頃に学生の延長のような気分の時代にめぐり合ったからいまだに出来るんです。仕事ってのはお互いが上手くやらないとお互いのためにならないから結束出来る訳でしょ。そういう風な絆みたいなのが消えちゃうとね、人生を通じて付き合えるような感じではなくなる。だから難しいもんですよ。会社の中の生活ってのはね。

――上司部下で居たものがいつの間にか逆転してたりとか

なぎさ:そんなことは散々ありますよ。結局みんな自分が可愛いからいざというときは人のせいにしたりとかそういうことが往々にしておこるんですよ。僕らの世代からそうじゃないと思うけど僕らの先輩の世代ってのは、仕事一筋会社がすべての人ばっかりの世界やった。これがねやっぱり一つの問題なのかなぁ(この辺のテーマは今回のなぎささんの映画のメインテーマでもある)。

――自分らの世代でもそうですよ。入って2・3年は会社にどっぷりじゃないとやって行けないじゃないですか。仕事おぼえなくちゃいけないし、分からないことだらけですし。で、年齢的にいうと入って2・3年の年齢なんですわ。今の自分とかですと。取り合えず会社どっぷりで行ってそっから先どうなるかは分からないんですけど。自分みたいにフリーターとかいい加減なことしてる奴はしてますし、会社入ってもそれ以外のことやってる人はやってますけど、入って2・3年は好き勝手なこと出来ないじゃないですか。

なぎさ:僕ぐらいの年齢になって思うんだけど、世代的にはね一番苦しいのは30代から。半ばから上やね(このあいだのSTCインタビューでやった30代後半のバブル期入社組批判を受けてそれへの反論ですね)なんでかいうとね。僕らの世代までっちゅうのはね、企業は叩いて鋳型にはめ込もうとするけど、一応鋳型にはめ込まれさえすれば、定年まで持ってってくれたんですよ。でもそんなことしてられなくなったわけ。ここ数年の日本経済世界経済の動きの中で。で、全然欧米型の雇用形態、社員色に変えてくわけでしょ。でね、木棚さんとかそのぐらいの世代の方はそれに始めっから入って行けるわけですよ。30代後半ぐらいの方は我々流のスタイルで入ってきて突然変るわけ。変ろうとしたときにもろツライ部分があるわけです。だからね、一番僕が可愛そうやなと思うのは30代半ばから40ぐらいまでの人や。

――子供も居るしローンもあるし

なぎさ:人生設計そのもののビジョンがなんとなく僕らの世代スタイルで出来上がっちゃってるわけ。突然ポキンと変るわけでしょ。そういう問題なんかもねこれから噴出してきますよ。文学的にそういう世代からなんかすごいものが出てきそうな気がする。ゆう部分がある。のほほんと遊んできた世代からは文学や芸術なんて生まれないからね。

――自分は文学でいうと、純文学に限って言えば戦争をしないと生まれないんじゃないんかってのがあって、みてると第二次世界大戦と60年安保(最後の純文がW村上と高橋源一郎と考えてみた場合に)しか書いてないですからね。それ以外に何があるんだっていう。

今回の映画シナリオ

なぎさ:まあ、まあ、そこまでいうと極論やとしても、そういうもんだと思いますよ。悲劇的な世代が文学や芸術を担うわけでしょ。今担うとすれば30代の半ばからぐらいの人達が担うんやないかなと思うんですよ。昨日、(なぎささんの今回の映画シナリオに対する)質問でいただいてるけどまさしくそういうことなんですよ。ヨーロッパ支店、ヨーロッパのどこにあろうとそれは大した意味は無いんだけどね、ヨーロッパ支店というものを・・まあゼネコンである必要も無いんですよ、まあ、建築会社ですわ、建築会社である必要もないですわ、ただ建築会社の方が面白味があったから色んな意味で建築会社にたまたましてるだけなんだけど、いずれにしてもね。高度成長時代日本企業というものが世界に出て行きましたねと。いつの間にかポキンと折れましたねと。そうするとね不採算部分をカットして行かないと生き延びていけないようになりましたよね。というようなとこに皆みまわれて行くわけですよ。たぶん今度の映画の主人公の属してる会社の企業もそういうことになる。(録音テープ反転)

――2時間テープ3本ですから朝まで語れますよ(笑)。使い切らなくても良いんですけど一応テープ無くなったって言えばカッコ悪いじゃないですか。テープと電池は準備してきましたから。こないだ、カメラのフラッシュの電池が無くなったときはカッコ悪かったですけど、今回はばっちしです。

なぎさ:高度成長時代以前からもそうなんだろうけど僕らの時代なんてもっとひどくてさぁ。企業の本質的にやって行く仕事というのがねもちろん利益の追求ということを考えちゃうんだけど、そのことによってここまでやるかってのが、よく癒着するわけ政治と。建築会社なんてやっぱりそうなんですよ。そういうものをなんか背負ってる会社。で、不良債権一杯抱えちゃうみたいな会社、いまの会社なんてみんなそうじゃないですか、そういう会社に居るんでしょうね主人公は。で、ヨーロッパ支店、ヨーロッパ支店はねこれは御都合主義だけど、当初はスペインのマドリーノを考えた。それは、マドリーノで(美しい風景を)撮りたいなというのがあった、御都合主義よ。マドリーノが今非常に治安が悪いからちょっと待てよと。そんならリスボンにしようかとかいまちょっと考えてるんですよ。それで、まあまあまあ、ヨーロッパ支店があったとしましょうと。そこで、もともと建築業界なんてのは政府の色んな政策の下で色んな談合があって、初めて仕事を回し合ってるような世界なんですよ。特に体質的に脆弱やね。人が多いし。そういう脆弱な企業ですよ。どっちかっていうと競争力が非常に強いのは、自動車業界であったりという、政府からの色んな物が無かった結果、互角に戦えるような業界になったんですよ。世界的にはね。建築業界ってのは脆弱なわけだ。そういう風な脆弱な業界の設定で僕は撮りたかった。

――分かります。ただ、シナリオでは、ヨーロッパ支店を閉鎖して主人公に日本へ帰るよう命令が出ます。主人公は支店の閉鎖後日本に帰らず失踪します。リストラ=解雇なら、日本に帰らなくても良い訳ですよね。ヨーロッパに残ろうが何しようが本人の勝手でしょう。そうではなく、業務縮小による配置変えですと「日本に帰って企業の体質改善に全力を尽くす」という新しい生きがいが設定されます。どっちにしろ、主人公の失踪に説得力が無いよう思われるのですが。

なぎさ:ですから、バブルが来て、崩壊して、企業として成り立って行くにはリストラクチャリングと称しながら不採算部門を削るしかないわな。そうすると、もちろん国内にも色んなことがあったと思うけど、見通しもないままにヨーロッパ支店とか作ってるわけだから「そんなものは要らない」と、なるわけですよ。もう良いと、つぶすと、帰って来いと。現地で採用した社員は全部そこで解雇してしまう。ところが、そこを作ってどうのこうのしろよと言われてる社員は支店長は、会社としては一応基本的に社員ですわ。帰すかどうか分からんよ東京に。でもしかし、次のミッション与えられるかというとそんな席ないですよ。でしょ?そのことはもう分かる訳やね。本人も。ここで一生懸命会社の方針として拡大路線を取って頑張って行って、俺はこれの切り込み隊長をやってという意識の下に家庭も顧みずにやってきとるわけだ。これが、おかしくなってきた。戻って来いと。こういうときに何を考えるかと。木棚さんぐらいの世代の方にはもひとつピンとこないかもわからないけど、企業戦士として家庭まで崩してやってきた人間にとっては大変なショックなんですね。それは本人信じてやってきたというハシゴを全部外されたみたいなことなんですよ。

――まあ、なんとなく分かります。

なぎさ:そのときに「はい分かりました」ってね、いつまでもこうね、従わざるを得ないんですよ。40代前半ぐらいまでだったら。家族を養わなきゃいけないとか色んなことあるからそっちへ流れるわけだ。40代後半(映画の主人公の年齢)というのは非常に微妙なとこがあるんで。もう良いんじゃないのという感じがどっかにあるんですよ。人間生きるためには何でもしますから。でももうねぇ、食うだけは食えるよと、この先わ。ゆうところがある程度は見えたとき、そういうときが一番もろいね、もろいちゅうか、危ないね人間は。そういうときに色んな葛藤が生じる心の中に。実はそういうね微妙な人生の季節がこの映画の基本ですわ。

――会社がそうだからと言って、じゃあどうするってのが、じゃあ自分で何かあるのかっていうと。

なぎさ:無いんですわ。それがね僕達の世代の一番の問題でもあって。僕達の世代ってのは会社に入ったらずっと定年まで面倒見てもらってというようなね、前提で入って来てるわけ。そういう人間が突然そうなっちゃうというと一番困った人になっちゃう。私自身がそうですわな、いま。私自身はまだ会社があるからそうなってないけど、もしそうなっちゃうとと思うわけですわ。僕は30代後半が一番問題だといったけど40代後半も問題なんだよなぁ。いよいよ問題なんだよね。

――分からないのが、企業戦士以外の選択肢が与えられてるのか自分でみつけられてるのかって部分ですよね。

なぎさ:そういうのがない人達がテーマ。僕はね木棚さんなんかがたくましい世代じゃないかと思ってるんだよね。

――全然そんなことないですよ。ローン抱えてなくって妻子持ってないだけで、あまり変らないですよ。

なぎさ:30歳後半が一番可哀相だと言ったのはそれを抱えてるから。その先がまだあるってことよ。だから物凄い苦労してでも我慢してでもやらざるを得ない。40代後半になるとね、もう良いんじゃないのという気持ちがどっかに来てる。ローンの残りだって退職金さえもらえれば全部チャラになるよと。そうなったときの危うさやね。

――この辺がこの映画の一番ディープなテーマじゃないですか。映画の飾りのきれいな部分は風景や恋愛やがいっぱいありつつ、深いテーマはここだと思うんですよ。当然映画としては厳しい現実を描きながら、ある種の答えか光を見せないと終われないじゃないですか。エンディングはきれいにしないと終われないとなったときに、どういう解決策を持ってくるのかなってのは。

なぎさ:もう少し映画の構成で言うと主人公はそういう風に置かれてる人だと。で、女二人がなんで主人公を求めてヨーロッパに行くのかと。結局、OLの有理というのは主人公と不倫関係で、これは浮ついた関係じゃない、真剣に愛し合ってる。でも、世間からいうと不倫なんだな。で、家庭は崩壊してる。その崩壊した家庭の中で恵子という一人娘が育ってるんだな。一人娘と不倫相手の有理は当然ながら葛藤します。

――どうして葛藤するんですか?

なぎさ:だって家庭を壊した相手がOLでしょ。

――一人娘というのはOLさんの一人娘じゃなくって。

なぎさ:ちがうちがう。主人公の一人娘なんですよ。OLが主人公と不倫関係にある。で、家庭が壊れてしまって娘は家庭が壊れた原因になった女が彼女だということも薄々知ってるわけです。したがって葛藤が起きる。これ分かるでしょ?二人は別々に探しに行ってヨーロッパで出会っちゃう。その葛藤が基本なんですよ。だから愛憎劇なんですね。それで、主人公の男そのものも、次の人生をどう生きてゆくかというリセット・・人生をどうリセットするのよという、自分の家庭をどうリセットするのよという、その両面で今あるわけですよ。だから、そういう風なシチュエーションに主人公を追い込んで描こうということですから。

――一つは女性の立場から見たときに、そのOLの方は何故その男性に魅力を感じるのかという。

なぎさ:それは男と女だからロジカルには説明できんやろが。かつて一緒に仕事をした上司と部下の関係、往々にしてそれ以上の関係になるのが男と女ですから。

――そうなんですか?

なぎさ:そういうことってありませんか?

――いや、自分は全然ないですね。

なぎさ:(笑)まだ、だって独身のころやから、そんなことって全然ないですよ。会社のね、中を見たときにそういうことってありませんか?お気づきになってないだけじゃないですか?

――まあ、分からないですが。

なぎさ:だからね個人映画として作るにしては、かなりきわどい部分もあるわけですよ。

――まあ、現実の問題設定自体は時代の流れでいまHOTなテーマだなというのは分かるのですが、そこから答えめいたものを映さなきゃいけないというのは、大変ですよね。

なぎさ:だからね、誰も答えを出せないと思うんですよ。

――商業映画的に撮るというお話があったのですけれどもその場合ある種のハッピ−エンドになることが前提になるじゃないですか。嘘でも何でも良いから光をみせなきゃいけない、出口をみせなきゃいけない。

なぎさ:それはね。映画作家が出来る作業っていうのは、自分が用意した登場人物に責任を持つということです。結局ね、その人達がどういう風に生きていくであろう、あるいはこう生きていって欲しいと語るのが精々かもしれないね。限界かもしれないねということです。

――分かりやすいハッピーエンドにはなかなか設定しにくいなと。

なぎさ:答えがね出し切れないんですよ。こうだって決め付けてしまったらそれでお終いですわ。

――ディズニー映画はこうだって言い切りますよね。

なぎさ:言い切りながらも何かを残すわけじゃないですか。例えばダイナソーなんて映画はね、ハッピーエンドに持ってって行きながらね、見る方は当然その後の恐竜の運命なんてのは知ってるわけだから。かなり複雑な目で最後の約束の地の美しい映像を見るわけですよ。あんな美しい映像撮れないと思うんだけど、でも生きて行こうねというメッセージじゃないですかダイナソーの場合は。なんかそういう意味だと思うんですよ僕。映画が語るメッセージっていうのは、こうじゃないですかとか、こうあって欲しいねとか、こうだとか、断言できるようなものじゃないと思うんですよ。

――そうですよね。映像を映して、あとまあ考えてくださいぐらいが。

なぎさ:自分らがどうなるのかだからね。るだなぁ。なんという映画館だったかなぁ。僕らの時代はよ、いわゆる70年代は有名な映画館があったんですよ、いわゆる名画座というオールナイトでやってくれて、なんという名前だったかなぁ、もう思い出せないけどね。そういうところに行ってさ、いそいそと3本立てなり、5本立てなりを観てさ、朝の光の中を帰ってくるわけさ。

――分かります。地下の映画館から上がってくるとき、階段が妙に明るかったりするんですよ。その明るさが妙に哀しかったりするんですよ。すげームカつく、何で明るいんだよって。

なぎさ:いまムカつくとかキレるとかいう言葉があったけど僕らの時代はそういう言葉はなくって。

――切ない?「せつないよね」とか「哀しいよね」とか

なぎさ:うーーーん。光とか外界に対して怒るとかいう感覚はあんまりなかったような気がするけどね、僕らの時代は。実存主義と初期マルクスの時代でしたから、だから「不条理」という言葉が浮かんだりとかする。僕らの時代はですよ。「ムカつく」とか「キレる」とかいう言葉はなかったね。不条理みたいなとらえ方で世界をとらえようとしていた。腰も引いてたと思う。いわゆる攻めて行くという気持ちもあんまりなかったと思う。状況認識が出来なかった。

――サルトル、カミュの「革命か反抗か」なんかでもカミュなんかは反抗ですからかなり攻めてますよ。

なぎさ:うん。カミュとサルトルの差はそこなんだよ。

――サルトル側だったんですか?

なぎさ:うん。

――浪人中、割りと頭の良い暴走族の頭がいて、そいつなんかは完全にカミュでしたよ。

なぎさ:だろな。行動派と書斎派というように僕らの時代もとらえてましたよ。カミュとサルトルは。ただね、そういう区分けの仕方が正しかったのかどうか分かりませんけどね。もういっぺん勉強しなおさないと。ただ、いまよりも物事を理論としてとらえようとしていた。少なくとも世界観の面で、物事を何か位置づけようとしていた。という事だけは言える。当時はですよ。

――サルトルって一つ間違うとスターリニズムじゃないですか。永久革命じゃないんですよ。常に現実に適応した新しい物に変化していかないと、スターリニズムって言い方がおかしければ、日本共産党に見えちゃったりとか。

なぎさ;なんでもいいんですけどね。

――自民党とかでもそうじゃないですか、55年体制でも古くてでかい怪獣みたいなのがずっと残ってく。自分とかからすると革命ってのはそういうものだったのかっていう。

なぎさ:革命って感覚は木棚さんの世代にありますか?

――世代的にはないかもしれませんけど、自分の中にはあります。わりと左翼的な風土の中で育ったんで。

なぎさ:あ、そう(驚き)。

場所換え

なぎさ:小説の言葉って、こういう風に木棚さんとしゃべってる言葉ってわずか数行で表現することが出来るわけ。これを映画でカメラ抱えて撮っちゃったりすると、こうしてしゃべってる間ってのは物理的に絶対的な時間なんですよ。絶対に圧縮できない。

――最初と最後だけつなぐっていう風にはいかないですかね。

なぎさ:いかない。一定のセリフだけをしゃべらせたら、その一定のセリフってのは人間の言葉として必要最低限度の所要時間が要るわけ。結局ね小説が映画にしてつまらないってのはそこなんですよ。小説というのはね、ものすごい圧縮されとるわけそういう意味では。で、頭の中で解凍されとるんですよあれ。それをそのままね、映画に置き換えてったら間違いなく所要時間食ってしまう。そうすると、全部長くなるわけ。そうすると切ってくわけ。実に詰まらないものにしかならないわけです。これが、映画と小説の差なんですよ。大きい差なんですよ。

――小説はプロットだけでも成り立ちますけど、映画はプロットだけでは成り立たない。

なぎさ:というのもあるし、思いっきりストーリーが素晴らしくてそういう原作であってもさ、映画にするときにさ、そういう制約がついて回るでしょ。こういう風に描いていってて全部やったら十時間になっちゃうよってのがありうるわけでしょ。だからそのね、原作があって映画にして成功したのは大体短編小説ですわ。短編小説がはじめて一時間半なり二時間になるんですよ。映画にしたときには。結局ね映画と原作ってのは厄介なんですよ。

――分かります分かります。小説の中で「昨日俺はカーチェイスをした」で済むところが、実際にカーチェイスを撮らなきゃいけなくなる。それがもしナレーターが「昨日、彼はカーチェイスをした」とか言っちゃうと映像としてはすごくつまらない映像になってしまう。

なぎさ:映画を観た気にはならないと思うんだ。ヒッチコックなんてのは彼よく言われるんだけど、三流の小説、短編小説買ってきて、一流の映画にしたってよく言われるのね。一流の文学持ってきて一流の映画になったためしがないんですよ。

――分かります。ドストエフスキーの悪霊映画にしたら、どうにもならねぇぞこれって。

なぎさ:でもそれをやろうとした人間がいるのがすごいんで。ドストエフスキーという人は戯曲家にものすごい影響を与える人だと思うよ。人物のデッサン、人物の骨格をあれだけとがって書ける、とがって書いたって他にないからね。特に悪の表現、悪者。

 

戻る