◆ 読者の声−2 ◆ 光慶(あまのじゃく)さんの声
色々な文献の逸話から、光秀の人物像を考えると古典や茶道等、文化的教養が豊かな上に、鉄砲を早くから重要視しているような先見の明があったと言う事の他に、家族・家臣や民百姓に対して思いやりのある言動が目に付きます。

そして光秀自身としても、乱世の奸雄よりも治世の能臣である事を望んでいたような節も見受けられます。つまり、光秀としては多少の腐敗はあっても平安時代や鎌倉時代のように平和な世の中を望んでいたと思うのです。

苛烈な信長の性格を知りつつも、天下を統一すればとりあえずは民百姓は平和に暮らせる。それに、信長の苛烈さは、主に家臣や敵に味方した者への仕打ちであり、自国の民に向けられていたものではなかったのでその点も問題がないと判断していた。

しかし、信長が世界地図を見ながら、日本はおろかアジアしいては全世界を支配しようとする構想を聞いた時に、日本の統一が終っても、民百姓が戦の心配をせずに暮らせる世の中が来る事は絶対にありえない、それどころか下手をすれば、日本が他国の支配下に置かれるような最悪の事態を思い、どうにもならない絶望感を覚えたのではないかと思います。

そして、次第に自分の心が信長から離れて行く事を感じていた。やがて、信長の天下統一が決定的になってきた時に信長を討つ最後のチャンスが巡ってきた。たぶん、光秀には自分が天下人にはなれない事は、(年齢的にも?)十分に承知していたと思いますが、信長の天下になり国外に派兵するような事態になるよりは、たとえ他の誰かの天下になるっても、その方がまだ、将来性があると踏んでいたのではないかと思います。

結局、猿が天下人になって、まさに信長の考え方の猿真似をして朝鮮に出兵する事になったのは、歴史の皮肉と言うものでしょうか・・・。(もっとも、戦国バブルをはじけさせない為の一つの方法 だったとは思いますけど・・・)
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