◆ 読者の声−11 ◆ ケネ兵衛さんの声
『ケネディ大統領暗殺事件から本能寺の変を考察』

はじめに

前者は当時から現在に至るまで資料、記録が後者に比べ遥かに多いと思われます。ジャーナリスト達が記録として残しているもの、発表しているものの中には事実ではない捏造されたものもあることは確かなようですが、大局において間違いのないものと考えております

国も違えば時代も違いますが、時の大人物が突然亡くなったら人々はどのように動くか?見るべきものが存在すると・・・・どうでしょうか?

即ち、織田信長が本当に明智光秀の恨みによって殺されたのか?否か?私を含めそうではないと思ってらっしゃるこの「徹底研究!本能寺の変」ファンの方にほんの少しでもお役に立てれば、こんなうれしいことはございません

「ケネディ〜事件については、おもにジャーナリストの手記、書籍を元にしていますので公式発表と年月日が異なったり、未発表の記録等がこの考察に使われています。あくまでも自身の推察は除外してまとめることに徹したつもりですが、至らない点がございましたらお気軽にお申し付けくださいませ。

なお、鈴木翔氏(HP)には、感謝の極みです。」※久住さんとは意見が異なり書くのが非常に怖いッス。

1、真犯人の変化
2、おかしな行動
3、最新の主流真犯人
4、本能寺の変
5、お遊び

1963年11月22日12:30 、現職の大統領が暗殺される
                名前をジョン・F・ケネディー

エイブラハム・ザプルーダーが撮影したフィルムが記録に残り銃弾が頭部を貫通した映像はあまりにも衝撃的。2日後容疑者のリー・ハーベー・オズワルドが警察の地下駐車場で暗殺され彼の単独犯行としてこの暗殺事件は収拾さる不可解な謎を残したこの事件には真の黒幕がいるといわれている。それは、「軍部・CIA」などの機関からマリリン・モンロー狂信者まで数え切れない説が現在も消えることなく存在しています

1、 ケネディ大統領暗殺:真犯人の変化

リー・ハーベイ・オズワルド→護衛官フォレス・ソレイルズ→カストロ議長→KGB→フルシチョフ→CIA→FBI捜査官ジェームズ・ホスティ→トラック運転手労組指導者ジミー・ホッファ→リンドン・B・ジョンソン副大統領→カルロス・マルセロ(マフィア)→再びCIA→アレン・ダレス(元長官)→チャールズ・カベル副長官・・・・

この順番は一般大衆が考える真犯人(研究者を除く)の移り変わりです。40数年で新聞(大衆紙)が伝える真犯人は変化してきました。面白いことにニクソン大統領は人気があったのか?常に2番目、3番目でした。その都度、新しい証拠や証言が出てきて変わるようですが、何年かに一度ブームらしきものが起こりそれによってコントロールされてきている部分もないとは言えないようです。

2、事件後

・大統領護衛官フォレス・ソレイルズが狙撃された大統領がパークランド病院に搬送される際付き添って居らず20分後再び教科書ビル前に現れる。

・13:45 オズワルド,映画館テキサス劇場に切符を買わずに入場。通報され警察官に激しく抵抗。15分後大統領事件「やせた白人男性,体重約70キロ,身長180センチ,年齢は30才前後」容疑者との合致が無線連絡で各部署に伝わり警察車両到着、逮捕。

・14:38 ジョンソン副大統領,ラブフィールド空港に待機中の大統領専用機内で宣誓。第36代大統領に就任。記者、カメラマン帯同を許可撮影させる。

・カストロはキューバの関与を否定。「ケネディの死を喜んでいるのは,彼の対キューバ外交の弱腰を非難していた極右,反動だけ」と声明。

・またカストロ首相は5年後に共産党中央委員会(非公開)で行った演説の中でソ連への不信感(ケネディ暗殺)を顕にする。

・FBI捜査官ホスティーが「事件の容疑者」なるメモを市警に提出。容疑者の特徴はオズワルドと酷似と発表。

・フーバー長官,全情報員を総動員して大統領暗殺に関する情報を集中するよう指示。ロバートに代わり司法長官代理となったカッツェンバック次官に面接。犯人をオズワルドと断定。ワシントンへ秘密 裏に移送するよう主張。

・ジョンソン大統領,暗殺事件の捜査はFBIに集中すること,CIAなどほかの部局はFBIに協力するよう指示。政府は,オズワルドを単独犯とし暗殺動機をめぐる推測を遮断することで一致。

・FBI,オズワルド以外特にフェリー(マフィア)関する調査をいっさい中止。

・11。29 ジョンソン大統領,最高裁長官アール・ウォーレンを委員長に据え,行政命令11130号により,「ケ ネディ暗殺事件に関する大統領委員会」を設置。

・ウォーレン委員会,オズワルドの妻マレナがKGBのエージェントであると疑う。(会議録による)。コナリー知事,「ライフ」誌上で「大統領にあたった1発目と自分にあたった弾とは別」と発言。ウォーレン委員会はこの証言を無視。

「ライフ」誌,CIAを匂わす匿名者から入手したとし、チームスター労組のボス,ジミー・ホッファの発言を暴露。「理想的なやり方は,奴を南部のどこかでやるのだ。そうすれば,かならず偏見主義者の仕業に見える」

・ケネディの愛人マリー・マイヤー,自宅で変死。直後にジェームス・アングルトンCIA防牒部長が彼女の日記帳をもちだし破棄。

などなど、まだたくさんありますが護衛官が直後20分記憶をなくし辺りをさまよっていた(後の取調べでその可能性を認める)とか、カストロが暗殺直後に関与を否定しそれを発表させるとか、怪しいと言えば怪しいが、あたふたしているように思えなくもなく、まるで「自分はかかわっていない」と言いたげ?保身を第一に考える人間の本能でしょうか?

3、最新の流説

 先にまとめたものを記しますと、、「オズワルドは末端で関係している。CIAの上層部(当時)数名に絞られて現在 も捜査は継続中」

 その捜査はFBIが担当

 電気ショックにより私は記憶を消されたとCIA部員が告白するなど、驚くものがまだまだいっぱいあります 

4、本能寺の変

【本能寺の変】
明智光秀が京都本能寺に織田信長を襲い、信長は炎上する本能寺にて自刃。享年49歳。また、織田信忠は父信長を救出しようとするが果たせず、二条城(御所)で自刃。享年26歳。

・・・・と、本に書いていました。
  はたしてそうでしょうか?

ここからは、独断で空説を述べさせていただきます。

そして、間違いがあればどなたか教えてください。
ほとんど、興味があるだけで『本能寺の変』は知識がありません

信長病死、事故ではなく謀反として考えますと、全国統一前に殺されたのですからクーデターとしては大成功といえないと思います。毛利勢がいましたので、そこを倒すなりある程度統一の目処がついてから暗殺する
そして、武将にとって統一とはどんなもの統一後はどのような世界かと楽しみというか見てみたい気持ちが信長傘下の武将達はもっていたのではないでしょうか?
ですので、織田信長と言う人物を天下人にしてはならない、なにか強力な理由で遂行されたに違いありません・・・・・・・かな・・・。
実の母親を人質にしたり上司に子供を殺され?なおも従う人がいたり戦国時代は異常なる世界だと思います。
明智光秀が一瞬でキレちゃって後先考えず謀反しちゃった。
この通説も100パーセントないとは・・・・・・どうですか?

5、お遊び

強引に暗殺容疑者を戦国の武将に当てはめればどーなるか?

FBIフーバー長官が暗殺前(確か、10月31日)ケネディに招かれ昼食会に参加

徳川家康・穴山梅雪が安土城の織田信長に招かれ参上したといいますから

フーバーは徳川家康。

フーバーは当時ブルドックの愛称でしたので、狸の愛称の・・・・(これはこじつけすぎ)

CIA長官を首になったアレン・ダレスは、これは本当にみんなの前でケネディに通告されたそうで

プライドがずたずた・・・・・だから、明智光秀。

なんと、二時間後に第36代大統領に就任したリンドン・B・ジョンソン副大統領は羽柴秀吉。

オズワルドは、え〜っと斎藤利三ということにして

こちらも軍縮へまっしぐらに進んだケネディにたいして軍部は良い印象を持っているはずはないですから朝廷が軍部で陸軍諜報部のジェームス・パウエル大佐が近衛前久あたりでしょうか?

これ以上書くと僕の命が危ないので(なんでやねん!)終わります。
★ 本能寺の変のメニューページへ ★ 

 ★ TOPのページへ ★  ★ 読者の声のページへ ★