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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 91  
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■■ 今回は「中臣鎌足なかとみのかまたり」を勉強します!
■■

三重:ねぇ,佳代。蘇我氏を滅ぼそうと先に考えたのは,中大兄皇子なの?
佳代:えー,そんな難しいこと,聞かないでよ。
三重:でも,気になるのよ。もしかして,中臣鎌足じゃないかって・・・。
佳代:う〜ん,分からないわ。藤原先生に聞くしかないね。
三重:そうね・・・。鎌足は,先生の先祖かもしれないし。(^_^;σ
佳代:ということは,三重の先祖も藤原氏ってこと?
三重:かもね。先生とは,いとこ同士だし,先祖は同じはずだから。
藤原:あれあれ,またまた変なことを議論しているねぇ。
三重:あっ,先生,いいところに来ました。
藤原:鎌足の話だね。
三重:そうです。蘇我氏を滅ぼそうと考えたのは,どっちかな?と思って。
藤原:う〜ん,難しい話だね。でも,伝えられているところによると鎌足が
   先らしいね。
三重:えっ,本当ですか!やはり,わたしの直感は冴えている!
佳代:鎌足といえば,大化の改新で有名だけど,その他のことは,あまり知
   られていません。
藤原:そうだね。この時代のことは,とにかく難しいんだ。いろいろな民族
   が日本列島に渡ってきたり,その子孫とかがいりまじっていて,かな
   り複雑な社会を形成していたらしい。そんな時代だから,正確なこと
   はまったく分からないんだ。
三重:なるほど,でも,伝えられているところでは,だいたいどんな人物だ
   ったのですか?
藤原:そうだね。子供の頃からすごく頭がよかったらしいんだ。理解が早く
   学問好きで,落ち着きもあるって感じ。
三重:それはすごいですねぇ。やはり,優秀な人物だと考えていいんですね。
藤原:まあ,その後のことを考えても,間違いなく超優秀な人物だっただろ
   うね。
佳代:すると,鎌足が,蘇我氏の政治に疑問を持って,中大兄皇子にもちか
   けたということですか。
藤原:たぶんね。だから,蘇我入鹿を殺そうという構想は,鎌足が考えたの
   だと思うよ。そして,同じような考えをもっている中大兄皇子に近づ
   き,計画を立てた。そんな感じらしい。
佳代:なるほど,その後の藤原氏の陰謀好きを考えると納得ができるような
   気がしますね。
藤原:そうだね。でも,鎌足は藤原氏の祖と言われているけど,これも確証
   はないみたいだね。祖には違いないけど,死ぬ間際に藤原の姓をもら
   ったというのは,後世の人の創作かもしれない。
三重:えっ,どうしてですか?
藤原:うん,持統天皇の時代に藤原京って都があるんだ。
佳代:あっ,知っています。中国を見本にした都ですね。
藤原:そう,飛鳥の北方にあり,中国の都城にならった広大な都だ。しかし,
   ちょっと変だと思わない?
佳代:確かに変ですね。当時は,鎌足の息子の不比等(ふひと)が活躍してい
   たと思いますから,それなのに藤原京というのはおかしいですね。
三重:そうですね。家臣の名前が都になるなんて変です。
藤原:その辺は,本当に謎だ。だから,藤原の姓を賜ったのは,もっと後で
   はないのかと推理できる。あるいは,他の理由があったのかもしれな
   い。
佳代:どちらにしても,伝えられているように,鎌足が藤原の姓を賜ったと
   いうのは教科書にも載っていますが疑問であることは確かですね。
藤原:そう,あまり気にしなくていいけど,歴史というのは,教科書に書い
   てあるからといって必ずしも正しいとは言えない。でも,基本だから,
   疑問は疑問として頭に入れておいて,とりあえず,藤原の姓を賜った
   と覚えておいていいだろう。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
□□

・人物名:中臣鎌足(なかとみのかまたり)
     のちの藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
・時 代:飛鳥時代(614〜669年)
・性 別:男
・地 位:大職冠(だいしょくかん)←死ぬ直前に中大兄皇子より賜る
・業 績:乙巳の変で中大兄皇子らと蘇我氏を滅ぼす(645年)
     大化の改新の中心的役割を果たす
・その他:藤原の姓を賜る


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■  ■ 大場佳代の            
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■■ 今回は「天武天皇」を勉強します!
■■

三重:ねぇ,佳代。天武天皇の生まれた年って分からないの?
佳代:そうみたいね。生年日が「?」になっているし。
三重:なんで分からないんだろうね?天智天皇の弟でしょ。
佳代:そうだけど・・・。何故かなぁ・・・。
藤原:本当に不思議だね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,天武天皇かい?
三重:ハイ,お願いします。
藤原:それじゃあ聞くよ,天武天皇が即位する前は何と言う名前だっけ?
三重:大海人皇子です。
藤原:正解だ。前に壬申の乱をやったよね。
佳代:やりました。調べたところ,70号です。
藤原:うん,だから,ここでは壬申の乱の話はしないよ。この乱を勉強し
   たい人は,70号を見てね。その大海人皇子は,天智天皇の弟で,壬
   申の乱に勝利した後,天武天皇となり,天皇中心の中央集権国家を
   確立していく。
三重:前にも勉強しましたが,武力で勝ち取っただけに強い権力を持った
   ということですね。
藤原:うん,それに,ある学者は,天皇とか日本とかいう言葉は,このこ
   ろ始まったと言っている。つまり,日本が始まったのは,天武天皇
   のときからで,それ以前は,日本ではないとすら言っている。
三重:すると聖徳太子とか日本人ではないということですか?
藤原:まあね。たとえば日本人じゃないけど倭人だったと言ったらわかり
   やすいかな?どちらにしても,その辺は考え方で変わってくると思
   うから,あまり気にしなくともいいけど,実際に,天武天皇の即位
   は,日本史上でも,極めて重要な出来事だったことは確かなんだ。
佳代:そうですね。日本という国の大きな転機だったと思います。
藤原:なのに,生年がわからないって,こんな変な話はないだろう。
三重:ハイ,だから佳代に聞いたんです。
佳代:本当ですね。もしかしたら,ある意味での日本の歴史のスタートな
   のに,その天皇の生年がわからないということは,何か秘密がある
   んでしょうかね?
藤原:そうなんだ。だいたい「日本書紀」は,天武天皇のためにかかれた
   歴史書といっても過言ではない。その主役の年がわからないという
   ことは,隠された秘密があると考えたほうが自然だね。
三重:難しいですね・・・,古代史は。
藤原:うん,だから,とりあえずは,教科書どおりに覚えておけばいいけ
   ど,興味があったらその辺を追求してみるのも面白いよ。もしかす
   ると天智天皇より年上かもしれないからね。
三重:えっ,えっ,それはどういうことですか?
藤原:後の世の歴史書では,天武天皇は65歳まで生きたという叙述もある。
   すると,生まれは,622年ということになり,天智天皇より年上にな
   るんだ。
三重:先生,わけがわからなくなりました。
藤原:そうだよね。天智天皇の弟のはずが,年上というのも変だよね。で
   も,日本書紀に天武天皇の年が示されていないのはもっと変だ。
佳代:本当ですね。興味が湧いてきました。これから,その辺も勉強した
   いと思います。
藤原:うん,あまり深入りしなくていいと思うけど,歴史というのは,そ
   ういう面ももっているんだということは頭に入れておいた方がいい
   ね。
佳代:わかりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:天武天皇(てんむてんのう)←大海人皇子(おおあまのおうじ)
・時 代:飛鳥時代(?〜686年)
・性 別:男
・地 位:天皇
・業 績:壬申の乱で勝利(672年)
     中央集権政策を進める
・その他:記紀(古事記・日本書紀)の編纂を命令する

※ 壬申の乱については,70号で勉強してね。


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■■ 今回は「阿倍仲麻呂」を勉強します!
■■

三重:天の原〜,ふりさけみれば春日なる〜
佳代:三笠の山に出でし月かも〜
藤原:あれっ,百人一首やっているの?
三重:あっ,先生,こんばんは。
佳代:今,学校でやっているんです。
藤原:そっか・・・,そう言えば,佳代ちゃんは百人一首が好きだったね。
佳代:好きというほどではありませんが,両親が好きなので,昔からやっ
   ています。
藤原:すると,今日は,阿倍仲麻呂をやるのかな?
三重:ハイ,お願いします。
藤原:阿倍仲麻呂といえば,遣唐使にしたがって唐に渡った留学生だったね。
三重:そうです。しかし,帰国途中で遭難して,中国で一生を終えました。
藤原:おう,よく知っているね。実は,例の天の原〜の歌は,帰国するとき,
   仲麻呂が,船の上で歌った歌なんだ。
佳代:えっ,そうなんですか。わたしは,中国で,日本が恋しくて歌った歌
   だと思っていました。
藤原:もちろんそうだよ。でも,日本に帰れるうれしさというものもにじみ
   出ているんだ。何しろ,36年ぶりに帰国するんだからね。
三重:えっ,36年ですか!
藤原:そうなんだ。仲麻呂は,16歳で唐に渡り,学問に励んだ。そして,科
   挙(かきょ)というものすごく難しい試験に合格したんだ。
佳代:それは,すごいですねぇ。科挙ってメチャクチャ難しいんですよね。
藤原:そう,日本の入試なんてかわいいものだ。食料や布団などを持ち込み
   仕切られた部屋で試験を受ける。
三重:ひゃー,そんな試験があるのですか!
藤原:そうだね。なんでも連続30時間という厳しい試験だ。その試験に合格
   したんだ。
佳代:仲麻呂って優秀だったんですね。
藤原:うん,優秀すぎたんだ。だから,中国の役人になり,何回か帰国を願
   い出たが,才能を惜しんだ玄宗皇帝がそれを許さなかった。
三重:つまり,中国でも必要な人材ということで帰してもらえなかったので
   すね。
藤原:そういうこと。しかし,36年ぶりに帰国が許され,船上で,あの歌を
   詠んだということだ。
佳代:なるほど,分かりました。しかし,その船が遭難してしまうのですね。
藤原:うん,一行には,有名な鑑真もいた。鑑真の船は,なんとか日本にた
   どり着いたのだけれども,仲麻呂の乗った船は流され,今の,ベトナ
   ムに流れ着いたんだ。
三重:それはたいへんだったですねぇ。せっかく日本に帰れるところだった
   のに・・・。
藤原:でも,命が助かったのだから,よしとしなければならないのかもしれ
   ないね。彼の友人で有名な詩人の李白は,仲麻呂が死んだと思い,追
   悼の詩を書いたりしているぐらいだから。
佳代:そうですね。そして,また,長安に戻ったのですね。
藤原:そう,唐の都長安に戻り,結局,死ぬまで帰国できなかった。日本を
   出て53年も中国で過ごしたということだね。
三重:しかし,すごい日本人がいたものですね。あんなに昔なのに。
藤原:そうだね。でも,昔は,思ったよりずっとずっと国際化が進んでいた
   ことも事実だ。その辺は間違いないようにね。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
□□

・人物名:阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)
     ※ 安倍仲麻呂,安倍仲麿と表す場合もある。
・時 代:飛鳥〜奈良時代(701〜770年)
・性 別:男
・地 位:留学生→中国の役人
・その他:天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも
    (大空をはるか遠く見ると,美しい月が見える。昔,ながめた
     春日にある三笠山に出た月も,今夜の月と同じだったなあ)


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■■ 今回は「聖武天皇」を勉強します!
■■

三重:ねぇ,佳代。天平文化って聖武天皇のころの文化よね。
佳代:そうよ,奈良時代で最も有名な天皇よ。
三重:えーっと,聖武天皇の遺品が納められている建物って,何だっけ?
佳代:正倉院よ,東大寺にある。
三重:あっ,思い出したよ。校倉造で有名な正倉院ね。
藤原:おう,やってるね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,聖武天皇をやるのかな?
三重:ハイ,お願いします。
藤原:それじゃあ,がんばろうね。まず,この天皇の母は誰だろう?
三重:えー,母ですか?そんなことが大切なのですか?
藤原:うん,大切だよ。名前までは覚えなくともいいけど。
佳代:名前は知りませんが,藤原氏です。確か,藤原不比等の娘だったと
   思います。
藤原:正解だ。不比等の娘の宮子だ。この宮子と文武天皇の間に生まれた
   のが聖武天皇なんだ。
三重:つまり,藤原氏の流れをくんだ天皇ということですね。
藤原:そういうこと。奈良時代,平安時代に藤原氏が大きな影響を持った
   のも,この姻戚関係にあるといっていい。そういう意味でも重要な
   んだ。
三重:なるほど,分かりました。
佳代:それから,先生,ちょっと耳にしたのですけど,聖武天皇は,何回
   も都を変えているんですか?
藤原:おお,よく知っているね。実は,聖武天皇の時代に,平城京から,
   恭仁京(くにきょう),難波宮(なにわのみや),紫香楽宮(しがらきの
   みや)と移し,ふたたび平城京に戻っている。
三重:えー,奈良時代って平城京だけではなかったんですか!
藤原:そうだね。主に平城京と覚えておけばいいよ。平安京に移る前にも
   長岡京というのがあるしね。
佳代:つまり,奈良時代って不安定な時代だったということですね。
藤原:そのとおり。話せばキリがないぐらい不安材料があった時代だね。
   特に,貴族たちが,権力を争ってドロドロとした時代だった。
佳代:天然痘が流行って,藤原氏の子供たちが全滅したこともありました
   ね。
藤原:そうだね。藤原不比等の4人の子供が,みな高い位についていたの
   に,その伝染病で全員亡くなった。そして,藤原広嗣の乱をきっか
   けに,聖武天皇は,都をあちこちに移すようになったんだ。
三重:そうなんですか。奈良時代が,そんな時代だとは思いませんでした。
藤原:どんな時代だと思ったの?
三重:えーっと,大仏なども作られていますから,仏教中心の質素な国家
   だったのではないかと思っていました。
藤原:うーん,そうだね。そのイメージは,けっして間違っていないよ。
   聖武天皇は,仏教を厚く信仰していたからね。
佳代:鎮護国家ですね。
藤原:そう,仏教によって国を守ろうという鎮護国家という思想で,都に
   東大寺を建てたんだ。
佳代:地方には,国ごとに,国分寺や国分尼寺を建てることを命じたわけ
   ですね。
三重:すると,社会が不安定で,それを守るために大仏を作ったというこ
   とですか?
藤原:うん,そんなところだろう。
三重:だから,天平文化は,仏教中心の文化だったということですね。
藤原:そのとおり。それと,シルクロードをを通って中国に伝えられた,
   ギリシア・ローマ文化につながるものも多数ある国際色豊かな文化
   だったことも併せて覚えておこうね。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:聖武天皇(しょうむてんのう)←首皇子(おびとのおうじ)
・ 父 :文武天皇(もんむてんのう)
・ 母 :藤原宮子(ふじわらのみやこ)←藤原不比等の娘。
・時 代:奈良時代(701〜756年)
・性 別:男
・地 位:天皇
・業 績:国分寺の建立,大仏の建立など
・その他:天平文化(てんぴょうぶんか)の中心的人物


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■■ 今回は「行基」を勉強します!
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三重:ねえ,佳代。行基って,日本で最初に地図を作ったんだよね。
佳代:ああ,行基図ね。聞いたことがあるわ。
三重:どんな人だったのかなぁ?
佳代:う〜ん,東大寺の大仏造りで有名だけど・・・。
藤原:おう,今日は,行基をやるのかな?
三重:あっ,先生,こんばんは。そのとおりです。
藤原:それじゃあ,この生きながら菩薩とよばれた奈良時代の僧について勉
   強しよう。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:行基というと,佳代ちゃんが言っていたように,まず,大仏造りに貢
   献したということで有名だよね。
佳代:ええ,でも,それ以外はよく知りません。
藤原:うん,彼は,もともと百済系渡来人の子孫で,わずか15歳で出家し,
   道昭について法相宗を学んだんだ。
三重:ほっそうしゅう・・・ですか?
藤原:そう,有名な玄奘がインドから持ち帰った仏典の中から派生してでき
   た仏教の宗派の一つだ。
佳代:あっ,玄奘って,西遊記の三蔵法師のことですね。
藤原:そうだね。実際は,玄奘のことを指すかどうか分からないけど,一応,
   三蔵法師の代名詞になっている人物だ。その玄奘に学んだのが,行基
   の師匠といえる道昭なんだ。
三重:すると,行基は,玄奘の孫弟子みたいなものなのですね。
藤原:まあ,そんなところだろう。直接じゃあないけどね。そして,その師
   匠の道昭が亡くなったのを機に道昭の遺志をついで,社会事業を進め
   るようになった。
佳代:社会事業ですか?
藤原:うん,たとえば,橋や道路を作ったり,池や堀などの灌漑施設を作っ
   たり修理したりしたんだ。
三重:それは意外ですねぇ。お坊さんなのに・・・。
藤原:そうだねぇ。また,行基が菩薩をあがめられるようになった業績の一
   つとして,布施屋,つまり無料の宿泊所を設けたことがあげられる。
佳代:無料ですか?
藤原:そう,つまり,多くの貧民を救ったことにより,生きながらも菩薩と
   呼ばれるような人物になったんだ。しかし,朝廷は,彼の行動を規律
   に違反したものとして弾圧したこともあった。
三重:ええ,どうしてですか?
藤原:もともと,正式な僧ではなかったし,大宝律令では,僧は寺院に住む
   ことしか許されていなかったからね。
佳代:では,何故,大仏造りなどという国家事業にかかわることができたの
   ですか?
藤原:その辺は,難しいところだけれども,行基は特殊な土木技術を持って
   いたからじゃないかな?人々にも慕われていたしね。
三重:なるほど,大仏を造るには,技術と人手が要るわけですね。
藤原:そういうこと。朝廷も,行基の活動を許し,大仏造りに協力させた。
   そして,最終的には,僧としての最高の位である大僧正が与えられた
   んだ。
三重:それは,すごいですね。
藤原:そう,でも,残念なことに,大仏が完成する前にこの世を去ることに
   なる。
三重:ええっ!大仏が完成する前に亡くなったのですか!
藤原:そうなんだ。
三重:本当に残念ですね。
藤原:そうだね。是非,完成した大仏を見せてあげたかったね。
佳代:本当ですね。苦しい生活を強いられた奈良時代に,こんなすごい人も
   いたのですね。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:行基(ぎょうき)
・時 代:奈良時代(668〜749年)
・性 別:男
・地 位:大僧正
・業 績:東大寺の大仏造りに貢献。
・その他:最初の日本全図「行基図」を作ったといわれる。


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