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■  ■ 大場佳代の            
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■■
■■ 今回は「鑑真」を勉強します!
■■

三重:もう,鑑真とガンジーを間違えたりしないぞう〜。
佳代:三重,何,ブツブツ言っているの。
三重:あっ,佳代・・・,いや,昔を思い出していたのよ。
佳代:昔?
三重:そう,鑑真とガンジーを間違えていたころ。
佳代:ああ,あれは,面白かったね。まさか,鑑真とガンジーを間違える人
   がいるなんて・・・(^o^)・・・。
三重:そう言わないでよ。本当に分からなかったんだから。
藤原:なつかしい話をしているねえ。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:すると,今日は,鑑真をやるわけだね。
三重:ハイ,気合を入れていきます!
藤原:うん,その調子だ。三重ちゃんも,ずいぶん歴史ができるようになっ
   たからね。
三重:ハイ,おかげさまで。
藤原:それじゃあ,がんばろう。まず,鑑真って日本人だっけ?
三重:違います。中国人です。
藤原:そのとおり。唐の時代の人だったね。そして,当時,唐にわたってい
   た日本の僧の懇願もあって,日本に行くことを決意したんだ。
佳代:でも,何回も失敗したのですよね。
藤原:うん,船が難破したり,弟子の妨害があったりして,5回も渡航に失
   敗した。
三重:えー,5回もですか!
藤原:普通なら,すぐにあきらめてしまうよね。でも,鑑真は違っていた。
佳代:決心を変えなかったのですね。
藤原:そう,度重なる失敗に加え,失明までしてしまったのに,決心を変え
   なかった。
三重:すごい人ですねぇ。
藤原:うん,不屈の人とは,こういう人を言うんだろうね。そして,ついに
   来日に成功することになるんだ。そして,平城京に入ったのは,日本
   に渡ろうと決心してから,12年。鑑真は,66歳になっていた。
三重:う〜ん,すごすぎて言葉が出ません。
佳代:ところで鑑真は,主にどんな目的で来日したのですか?
藤原:そうだねぇ。主な目的は,戒律を伝えることだったと思うよ。
三重:戒律?
藤原:うん,戒律とは,簡単に言えば,僧が守るべき決まりのことだ。
三重:なるほど,お坊さんが守る決まりを教えに来たのですね。
藤原:そういうこと。そして,東大寺に戒壇を設けて,戒律を教えることを
   まかされたんだ。
佳代:すると,それまでの仏教界は,ルールが確立していなかったわけです
   か?
藤原:そうだね。仏教が伝えられて数百年が経っていたけど,まだまだだっ
   たんだろうね。鑑真の来日により,僧の資格制度が整ったといってい
   いだろう。
三重:日本の仏教界にとって,すごく大きな役割を果たしたのですね。
藤原:もちろんだ。それに,仏教だけでなく,経典や仏像,建築,薬学など
   の知識を伝えたから,文化にも大いに貢献したいえる。
三重:つまり,仏教界だけでなく日本のために大きな役割を果たしたという
   ことですね。
藤原:そういうこと。
佳代:そう言えば,唐招提寺を建てたのも鑑真でしたね。天平文化の中心で
   したね。
藤原:そのとおり。そして,鑑真は,唐招提寺で死ぬまで日本の仏教や文化
   の発展のためにつくした。もし,鑑真が来日できなかったら歴史は,
   ずいぶんかわっていただろうね。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:鑑真(がんじん)
・時 代:奈良時代(688〜763年)
・性 別:男
・国 籍:中国(唐)
・業 績:唐招提寺(とうしょうだいじ)の建立
・その他:孝謙天皇より大和上(だいわのじょう)の称号をおくられる


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■■ 今回は「柿本人麻呂」を勉強します!
■■

三重:あしびきの〜,山鳥の尾のしだり尾の〜,ながながし夜をひとりかも
   寝む・・・。
佳代:三重,また百人一首?
三重:そうよ,5番までは全部覚えたのよ。
佳代:この歌は,確か3番だったよね。
三重:そうよ。意味はよく分からないけど,雰囲気は分かるような気がする
   わ。
藤原:寂しい歌だよね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:山鳥の長い尾のように長い長い夜を今夜もただ一人で寂しく寝るのか
   って意味だよ。
三重:えっ,そうなんですか・・・(*^_^*;σ
藤原:今日は,柿本人麻呂かい?
三重:ハイ,お願いします。
藤原:分かったよ。中学生だったら,歴史より国語で出てくるよね。
佳代:そうですね。歴史のほうは,ほんのちょっと出るだけです。
藤原:まあ,いいだろう。この人麻呂は,結構謎の人物だね。
三重:といいますと?
藤原:まず,生没年が不詳だ。あれだけ有名な人なのに。
佳代:確かに謎ですね。何かの本で読んだことがあります。
藤原:そうなんだ。実際,人麻呂の事跡は「万葉集」でのみ確認されるにと
   どまっている。
三重:実在したのですかねぇ?
藤原:その辺もはっきりしたことはいえないけど,たぶん実在したと思うよ。
   歌人として活躍した時期は,持統天皇のころと思われる。
佳代:すると人麻呂は,白鳳文化(はくほうぶんか)の歌人ですね。
藤原:おう,よく知っているね。天武天皇,持統天皇のころの文化は,白鳳
   文化と呼ばれているね。気をつけてほしいのは,万葉集ができたのは,
   天平文化のころだけど,人麻呂が活躍した時期は,白鳳文化なんだ。
三重:それは,ややこしいですね。ところで,先生,人麻呂は,プロの歌人
   だったのですか?
藤原:そうだね。宮廷歌人だから,プロの歌人といっていいだろう。また,
   下級の役人だったとも言われている。
佳代:そう言えば,石見で死んだという話を聞いたことがあります。
藤原:う〜ん,詳しいねぇ,佳代ちゃんは。確かに,四国や石見,つまり,
   今の島根県に役人としておもむき,石見で死んだという説がある。ど
   ちらにしても,はっきりしたことは言えないよ。
三重:人麻呂は,短歌だけでなく長歌も多いですね。
藤原:そうだね。臨場感あふれる長歌を多く残している。また,表記法など
   を確立したのも人麻呂だといわれている。
三重:すごいですねぇ。
藤原:きわめつけは,「古今和歌集」の序においては歌聖として神格化され
   たことだろうね。もちろん,万葉集でも伝説化されているけど。
佳代:すると,日本最大の歌人といっても過言ではないわけですね。
藤原:そうだね。人によっては,いろいろ意見はあるだろうけど,そう言っ
   て文句をつける人は少ないだろう。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
・時 代:飛鳥時代(生没年不詳)
・性 別:男
・地 位:宮廷歌人
・その他:「古今和歌集」の序において,歌聖(うたのひじり)として神格化


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■■ 今回は「桓武天皇」を勉強します!
■■

三重:てんてんしょうかん〜♪
佳代:三重,それ,何の歌?
三重:へへ,わたしの作った歌。重要な天皇の名前よ。
佳代:ああ,ずっと前にやったよね。天智,天武,聖武,桓武天皇のことね。
三重:そうよ。最低,覚えておくようにって言われた天皇だよね。
藤原:おう,よく覚えていたね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:天智,天武,聖武天皇はやったから,今日は桓武天皇をやるのかな?
三重:ハイ,お願いします。
藤原:それでは,まず最初に,桓武天皇といえば,何を思い浮かべるかな?
三重:もちろん,平安京です!えーっと,鳴くよ,うぐいす平安京〜だから,
   794年に都を移しました。
藤原:正解だ。桓武天皇は,都を平安京に移した天皇として有名だね。
佳代:その前の長岡京に都を移したのも桓武天皇ですよね。
藤原:うん,さすが佳代ちゃん,よく知っているね。平城京から長岡京に移
   し,さらに,平安京に移したんだったね。
三重:えっ,そうなんですか?何でまた,2回も・・・。
藤原:長岡京に移したのは,平安京に移す10年前の 784年のことだ。でも,
   この都を造営している間に,いろいろ良くないことが起こって,結局,
   工事を中止して,平安京に移すことになったんだ。
三重:良くないことって何ですか?
藤原:そうだね。天皇の妃が死んだり,母が死んだり,洪水が起きたりとい
   うようなことだよ。
三重:それは,良くないですねぇ。
藤原:うん,他にもいろいろあるけれども,長岡京は早々と見切って,平安
   京を建設することになった。そして,それが,明治まで1000年以上,
   日本の首都として続くことになる。
三重:1000年ですか!それはすごいですねぇ。
佳代:ホントですね。平清盛が一時的に福原京に遷都することはありました
   が,ほとんどの間,京都が都だったんですね。
藤原:そのとおり。それから,桓武天皇は,東北地方に遠征軍を送ったね。
佳代:ハイ,征夷大将軍に坂上田村麻呂を任じて,勢力拡大を図りました。
藤原:うん,それに,地方政治が乱れていたので,地方の役人に対する監督
   を厳しくした。
佳代:あっ,勘解由使(かげゆし)のことですね。
三重:あれ?佳代,勘解由使って何だっけ?
佳代:勘解由使は,国司が交代するときの引継ぎを監督する役人のことよ。
三重:あっ,思い出しました。クイズのメルマガで出てきたやつですよね。
藤原:そう,思い出したかな?この勘解由使を置くという,今,はやりの政
   治改革も桓武天皇の強い権力を背景に行われたものなんだ。
三重:桓武天皇って,いろいろやったんですね。
藤原:そう,他に,新しい仏教を保護したこともあげられる。
佳代:天才と真空ですね。
三重:あっ,それ知っているよ!天台宗の最澄と真言宗の空海のことね。
藤原:そのとおり。この二人は,平安時代の初期の人だ。もともと桓武天皇
   が都を移した理由の一つとして,政治に口出しする平城京の僧たちと
   縁を切るというものがあった。
佳代:つまり,政治に口出しする平城京の僧たちの影響を離れ,最澄や空海
   などの新しい仏教保護したということですね。
藤原:まあ,そんなところだよ。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:桓武天皇(かんむてんのう)←山部王(やまべのおう)
・時 代:奈良〜平安時代(737〜806年)
・性 別:男
・父・母:父−光仁天皇(こうにんてんのう)
     母−高野新笠(たかのにいがさ)←百済系の渡来人
・地 位:天皇(在位期間:781〜806年)
・業 績:都を長岡京に移す(784年)
     都を平安京に移す(794年)
     東北地方を平定
     地方政治の引き締め


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■■ 今回は「最澄」を勉強します!
■■

三重:She is Tendaishu!
佳代:三重,何それ?
三重:あっ,佳代,わたし,思いついたのよ!
佳代:だから何を?
三重:分かる・・・?She is 天台宗よ!
佳代:???
藤原:また,何か思いついたのかい?
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:先生は,なんとなく分かったよ。
佳代:えっ,本当ですか?
藤原:うん,三重ちゃんが言いたいのは,She の部分だろ?
三重:ハイ。
佳代:あっ!分かったよ,三重!「S」は「最澄」で,「h」は「比叡山」そ
   して「e」は「延暦寺」ってことね!
三重:あったり〜(^_^)。だって,天才と真空だけじゃ,天台宗の最澄,真
   言宗の空海しか覚えられないでしょ。だから作ったの・\(^o^)\・
藤原:なるほど,それはいいことだね。つまり,今日は最澄をやるんだね。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:それじゃあはじめよう。まず,最澄っていつの時代に活躍した人?
三重:任せてください!平安時代です。
藤原:そのとおり。でも,平安時代は長かったね。400年近くあるよ。
三重:大丈夫です。初期,それも本当に初めのころです。
藤原:うん,いいねぇ。まあ,これまでも何回もやったからね。最澄は,桓
   武天皇のころだから,本当に最初の方だね。
佳代:ハイ。確か,空海とともに唐に渡ったはずです。
藤原:そのとおり。でも,当時は,最澄と空海では,最澄の方が,ずっと格
   上だから,最澄とともに空海が唐に渡ったと言った方がいいかもしれ
   ない。
三重:えっ,そうなんですか?
藤原:ま,その辺は,空海をやるときに話すこととして,彼は,桓武天皇の
   お気に入りで期待も大きかった僧だったんだ。
佳代:そう言えば,聞いたことがあります。当時は,空海は無名だったって。
藤原:うん,後に立場が逆転するのだけれども,桓武天皇の期待もあって,
   最澄は,2年足らずで帰国する。そして,天台宗を開くことになる。
三重:どんな教えなのですか?
藤原:まあ,一言で言うと難しいが,それまでの奈良仏教が,決められた人
   以外は仏になれないという考えに基づいていたのに対し,最澄は,仏
   を信じれば誰でも仏になれると説いたんだ。
佳代:すると,抵抗勢力が反発したでしょうね。
藤原:そうだね。今の小泉内閣じゃないけど,旧勢力というものが,当然,
   抵抗する。だから,最澄が,戒壇を設けることを願い出たときも,奈
   良の抵抗で認められなかった。
三重:戒壇って何ですか?
藤原:簡単に言えば,正式な僧になるきまりを教えられる式場のことだ。つ
   まり,独自に正式な僧を認定しようとしたわけだ。
佳代:なるほど,それまでは,僧になるためには,奈良の寺で修行しなけれ
   ばならなかったのですね。
藤原:そういうこと。でも,最澄の死後,戒壇の設立も認められ,寺も延暦
   寺と名づけられた。さらに,しばらくして,伝教大師の名を送られた
   というわけだ。
三重:なるほど,少し分かりました。
藤原:どちらにしても,その後出てくる新仏教に大きな影響を与えた人物だ
   から,しっかり頭に入れておこう。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。


□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:最澄(さいちょう)
・時 代:平安時代(767〜822年)
・性 別:男
・業 績:比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)にて
     天台宗(てんだいしゅう)を開く
・その他:死後,戒壇の設立が認められ,伝教大師(でんぎょうだいし)の
     称号を送られる。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 100  
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■■ 今回は「空海」を勉強します!
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三重:佳代,ついに100号だね!
佳代:ホント,ついにって感じね。
三重:昔,山形三重の地理はバッチリが100号のときに佳代が登場したね。
佳代:そうだったね。三重は,このメルマガでも,ほとんどフル出場だから,
   出場回数では一番ね。
三重:まあね。エクセルのメルマガにも出ているし,クイズのメルマガにも
   出ているから。
藤原:佳代ちゃん,100号おめでとう。
佳代:あっ,先生,ありがとうございます。
藤原:よく頑張ったね。せっかくだから,今日は,100号記念にふさわしい人
   物をやろう。
三重:空海ですか?
藤原:そう,日本でも有数の優れた人物である空海がふさわしいだろう。
佳代:そうですね。お願いします。
藤原:それじゃあ,はじめよう。先週,三重ちゃんが,最澄のところで,
  「She is 天台宗」なんて言っていたよね。
三重:ハイ。
藤原:空海についても考えたの?
三重:もちろんです!「3K is 真言宗」です。
佳代:空海,高野山,金剛峰寺ね。
三重:そう,全部,Kがつくよね。
佳代:前回勉強した最澄は,最澄,比叡山,延暦寺だったよね。
三重:うん,だから,Sheと3Kで覚えたんだよ〜☆
藤原:よろしい。その辺は,各自工夫して覚えてね。ところで,空海は,前
   回も言ったけど,最澄とともに唐に渡ったんだったね。
佳代:ハイ,当時は,最澄の方が,断然格上で,空海は,まだ無名でした。
藤原:そう,すでに桓武天皇のお気に入りだった最澄とは違い,この時点で
   空海は,まだまだ知られた存在ではなかったんだ。
三重:どうして知られるようになったのですか?
藤原:そうだね。まず,唐の優れた僧に見込まれたことが大きいね。
三重:優れた僧ですか?
佳代:えーと,確か「恵果(けいか)」・・・でしたね。
三重:けいか?それ名前?
佳代:そうよ。確か,唐の・・・。
藤原:青龍寺(せいりゅうじ)だよ。青龍寺の優れた僧であった恵果に見込ま
   れ,空海は,真言密教の教えをすべて学んだんだ。そして,帰国後,
   真言宗を開くことになったというわけ。
三重:なるほど,すごい人に見込まれたみたいですね。やはり,空海って天
   才だったのかな?
藤原:そうだね。日本に現れた最初の天才だという人もいる。
佳代:空海は,故郷の讃岐(さぬき)国の満濃池を修理したことでも知られて
   いますよね。
藤原:うん,地理で勉強したよね。
三重:知ってます!讃岐国は,今の香川県ですね。
藤原:そうだね。この地方は,昔から水不足地帯だから,ため池をいっぱい
   作って補っていた。その中でも一番大きな満濃池がこわれ,空海が中
   心となって修復したといわれている。
三重:本当にすごい人ですね。
藤原:それから,一般の人々のための教育機関である綜芸種智院(しゅげい
   しゅちいん)を建てて,仏教や儒学を教えたりもした。
佳代:習字もうまかったのですよね。
藤原:もちろん。三筆といって,嵯峨天皇,橘逸勢とともに,書の名人とし
   ても名高い。
三重:弘法も筆の誤りなんてことわざもありますね。
藤原:そうだね。弘法大師ほどの名人でも間違えることがあるというような
   意味だけど,この弘法大師というのが空海のことだよね。
佳代:ハイ,知ってます。有名です。
藤原:どちらにしても,あらゆる意味で,ものすごく優れた人だったことは
   間違いないだろう。
佳代:本当ですね。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:空海(くうかい)
・時 代:平安時代(774〜835年)
・性 別:男
・地 位:僧
・業 績:高野山金剛峰寺(こうやさんこんごうぶじ)にて
     真言宗(しんごんしゅう)を開く
・その他:死後,弘法大師(こうぼうだいし)の名を送られる
     三筆の一人,綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を建てる
     満濃池(まんのういけ)の改修

◆ 参考 ◆ 書の達人たち

 三筆(さんぴつ) <平安時代初期>
  空海
  嵯峨天皇(さがてんのう)
  橘逸勢(たちばなのはやなり)

 三蹟(さんせき) <国風文化のころ>
  小野道風(おののとうふう・みちかぜ)
  藤原佐理(ふじわらのさり・すけまさ)
  藤原行成(ふじわらのこうぜい)


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