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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 101  
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■■
■■ 今回は「菅原道真」を勉強します!
■■

三重:キャーーーー!
佳代:どうしたの?三重。
三重:だって,稲妻が・・・(>o<)/,わたし苦手なのよ。キャーーーー,近
   くに落ちたわよ!
佳代:道真のたたりね。
三重:な・何それ?
佳代:菅原道真よ。藤原氏の罠にかかって左遷された道真の怨霊よ。
三重:やだやだやだやだ・・・。恐いよう。
藤原:三重ちゃんって,そんなに恐がりだったの?
三重:あっ,先生,こんばんは。わたし,雷だけは苦手なんです。
藤原:それじゃあ,今日は,そのこわ〜い怨霊となったといわれる菅原道真
   を勉強しよう。
三重:は,ハイ。お願いします。
藤原:まず,道真といえば,学問の神様としてあがめられているね。
佳代:ハイ,北野天満宮として祭られています。
藤原:うん,もともと道真の菅原家は,代々学者の家柄で,道真の父も,大
   学で漢詩や歴史を教える文章(もんじょう)博士だった。
三重:うらやましいですね。頭のいい家系なのですね。
藤原:そうだね。道真も,成績優秀で,当時最も難しい試験に合格し,役人
   への道を歩き始めた。そして,やはり,文章博士に任命されたんだ。
佳代:学問の神様にふさわしいですね。
藤原:そうだね。そして,宇多(うだ)天皇に信頼されるようになり,道真の
   出世が始まる。
三重:それを邪魔しようとしたのが藤原氏ですね。
藤原:そのとおり。道真が重用されることに危機感をもった藤原氏は,いろ
   いろな作戦で道真を追い込んでいく。
佳代:そう言えば,道真が遣唐使に任命されたのも,裏で藤原氏が画策した
   のでは?という話をしましたね。
藤原:そうだったかな?確かに,前に少し話したかもしれないね。
佳代:話しています。結果的に,道真の意見で,遣唐使は廃止されましたが,
   実際は,当時,60年以上,派遣されていません。
三重:それなのに,道真を任命したということは,うるさいやつは,外国へ
   追い払っちゃえということでしたね。
藤原:よく覚えているね。でも,その話は,推測だから頭の片隅に入れてお
   けばいいよ。確かに,道真が目障りになった藤原氏が,追い払うため
   に遣唐使に任命した可能性はあるし,たぶんそうだと思うけどね。
佳代:でも,道真は,行きたくなかったし,意義も見出していなかったので,
   廃止を検討したのですね。
三重:遣唐使を検討したの(笑)
佳代:三重,寒いよ〜,それ。
三重:ごめん,ごめん。でも,佳代が言ったのよ。
佳代:わたしは,無意識で言ったのよ。とにかく,唐は国が乱れ,危険を冒
   してまで行く価値がないという道真の意見が採り入れられて,遣唐使
   は廃止されました。
三重:白紙に戻したのね。
佳代:そうよ。白紙(894年)に戻す遣唐使よ。
藤原:よろしい。そして,道真は,右大臣という高い地位につくことになっ
   た。当時は,摂政,関白はいなかったから,左大臣につぐ地位を与え
   られたわけだ。
佳代:それに対して,またまた藤原氏は,道真の追放を図ります。左大臣の
   藤原時平が,醍醐天皇に嘘の告げ口をします。
三重:嘘の?
藤原:そう,道真が謀反をたくらんでいるというようなことを天皇に告げた
   んだ。結果として,九州の大宰府に流され,そこで死ぬことになる。
   無実の罪を背負って。
佳代:それで,怨霊と化したと言われているんですね。
藤原:そう,道真の死後,都では豪雨が続き,宮殿にものすごい落雷が!
三重:キャーーーーー!
佳代:すごい,落雷ですね。
藤原:うん,今,近くに落ちた雷,恐かっただろ。
佳代:は,ハイ。わたしは,それほど気にならないほうなのですが,今のは
   ビックリしました。
藤原:そんな状態だったので,当時の人々は,道真のたたりにちがいないと
   考えた。そして,北野天満宮として祭ることになったんだ。
佳代:分かりました。雷雨が激しいので,今日は終わりにしたいと思います。
   先生,ありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:菅原道真(すがわらのみちざね)
・時 代:平安時代(845〜903年)
・性 別:男
・地 位:文章博士,右大臣など
・業 績:遣唐使の廃止を建議
・その他:死後,北野天神として祭られる


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 102  
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■■
■■ 今回は「平将門」を勉強します!
■■

三重:佳代,前回,菅原道真をやったけど,平将門もたたりで有名ね。
佳代:そうね。東京の大手町にある将門の首塚を見たことがあるわ。ビル
   の中に囲まれて。
三重:あ,聞いたことがあるわ。東京のど真ん中のビル街にあるやつね。
佳代:そうよ。何回も移そうとしたらしいけど,そのたびに悪いことが起
   こるので,あんな場所に残っちゃったらしいのよ。
藤原:将門伝説は,たくさんあるみたいだよ。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:その一つとして,昔,関東大震災で,壊れた大蔵省の建物を直すた
   めに,将門の首塚を壊し,仮庁舎を作ったら,10人以上の役人が急
   死したというのがある。
三重:えー,10人もですか!
藤原:そうだよ。だから,将門のたたりだということになり,今でも,ビ
   ルの谷間に残されているんだ。やはり,将門は伝説の人だね。
三重:そうだったんですか。
藤原:それじゃあ,将門について勉強していこう。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まず,将門は,歴史的に,武士のおこりということで位置付けられ
   ているよね。
佳代:そうですね。つまり,武士の時代のさきかげだったということです
   ね。
藤原:そのとおり。後に源頼朝が幕府を開くことになるのだけど,その源
   泉が,将門にあるといっても過言ではないだろう。
三重:そう言えば,先生,平将門の乱は,武士のデビューだって言ってい
   ましたよね。
藤原:うん,わかりやすい表現だろ。
三重:ハイ。イメージしやすいです。
藤原:将門は,桓武天皇の子孫だから,帝系だ。将門の乱で,一時的に,
   新皇を名乗るけど,それなりに根拠があることだった。反乱者には
   違いはないけど。
佳代:新皇を名乗ったということは,独立宣言をしたということですか?
藤原:まあ,そんなところだろう。東国に新しい国を作ったと考えればわ
   かりやすいと思う。もし,この反乱が成功すれば,そうなっただろ
   うしね。
佳代:それを実現したのが,鎌倉幕府と考えていいのですか?
藤原:基本的には,いいだろう。将門によって芽生えた東国政権の夢は,
   最終的には,頼朝によって実現されたわけだから。
三重:しかし,将門は敗れました。
藤原:うん,新皇を名乗って,わずか50日で,一本の矢が将門を襲い,帰
   らぬ人となった。
三重:えー,たったの50日!しかも一本の矢で・・・ですか!
佳代:あっけない最後ですね。
藤原:そうだね。この時代は,まだまだ,藤原氏中心の貴族の時代だから,
   デビューするのが早すぎたんじゃないかな?時代を先取りしすぎた
   ため,天が味方しなかったのかもしれないね。
佳代:なるほど,そんな気もしますね。
藤原:とにかく,武士の存在を示し,武士とは恐いものだという認識を作
   ったのは,将門であるといっていいと思う。また,武士たちに夢を
   与えたのも,彼であると言っていいだろう。
佳代:分かりました。先生,今日は,ありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
□□

・人物名 平将門(たいらのまさかど)
・時 代 平安時代(?〜940年)
・性 別 男
・地 位 新皇(と名乗る)
・業 績 平将門の乱を起こし,武士の存在を示す。
     
 ★ 平将門の乱は,平貞盛(たいらのさだもり)や藤原秀郷(ふじわらの
   ひでさと)らによって,鎮圧されました。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 103  
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■■
■■ 今回は「紀貫之」を勉強します!
■■

三重:ねぇ,佳代。紀貫之って,女を装って「土佐日記」を書いていたん
   でしょ。
佳代:そうね。
三重:今の言葉で言うと,ネカマね。
佳代:えっ,ネカマ?ああ,ネット上で,女を装っている男のことね。
三重:そうよ。実際,たくさんいるらしいわ。
佳代:やーねぇ〜。
藤原:本当だね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,ネカマの話題かい(笑)
三重:違いますよ,先生(笑)。紀貫之です。
藤原:冗談だよ。それじゃあ,紀貫之について勉強しよう。
三重:お願いします。
藤原:まずは,基本的なことを聞くよ。紀貫之って,いつの時代に活躍し
   た人かな?
三重:ハイ,もちろん,平安時代,国風文化の時代です。
藤原:よろしい。貫之は,貴族の子として生まれたんだけど,当時紀氏は,
   藤原氏などに押されて衰えていた。
三重:つまり,落ち目の貴族ということですか?
藤原:そうだね。言葉は悪いけど。しかし,貫之は,歌の名手で,歌人と
   しての評価は高かった。
佳代:だから,勅撰(ちょくせん)歌集の編者になったのですね。
藤原:そういうこと。
三重:先生,勅撰和歌集って何ですか?
藤原:勅撰和歌集とは,天皇の命令で編集された和歌集のことだ。
三重:ああ,詔勅とか,勅許とか,の勅ですね。
藤原:そのとおり。しかも,貫之は,序文も書いている。
佳代:あ,知ってます!有名な,仮名序(かなじょ)ですね。
藤原:そうだね。謎の多い仮名序。この中で,貫之は,和歌の根本は,人
   間の心にあると言っている。
三重:土佐日記は,何故,女を装って書いたのですか?
藤原:うん,その辺の詳しいことは謎だけど,当時,男性は,漢文で書く
   のが常識だったからだと思うよ。かなを使うのは女性って観念があ
   ったんじゃないかな?
佳代:そこまでして,かなにこだわったのは何故ですか?
藤原:まあ,大きな秘密が隠されている気もするけど,とにかく,漢字で
   は表せない自由な感情を書こうとしたのではないかと言われている。
佳代:ふ〜ん,何か気になりますね。仮名序が謎めいていて,女性を装っ
   てまで,かなで日記を書くって・・・。
藤原:相変わらず,鋭いねぇ。でも,その辺は,別の機会に考えよう。も
   のすごく難しいテーマだからね。
佳代:ハイ。どちらにしても,土佐日記は,かな文学のさきがけというこ
   とですね。
藤原:そうだね。日記文学のさきがけともいえる。
三重:本当ですね。紀貫之って,すごい人だったんですね。
藤原:でも,役人としては,あまり冴えなかったようだ。それに,晩年は,
   かなり恵まれなかったみたいだし。
三重:でも,歌人として,こんなに有名なのですからいいじゃないですか。
藤原:そうだろうね。結果としてはね。でも,当時の男たちは,位が上が
   るかどうかが大問題だったから,いかに歌人としての名声が高くと
   も,本人は,無念だったと思うよ。
佳代:そんなものなんですか?
藤原:たぶんね。実際,貫之自身,昇進のために涙ぐましい努力もしてい
   る。今なら,売れっ子作家は,格好いいかもしれないけど,当時は,
   ぜんぜん違う感じを受けていたと思うよ。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:紀貫之(きのつらゆき)
・時 代:平安時代(868〜945年)
・性 別:男
・地 位:歌人,国司,木工権頭(もくのごんのかみ)
・業 績:日本で最初の勅撰和歌集「古今集」を編集
・その他:土佐日記の著者


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 104  
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■■ 今回は「藤原道長」を勉強します!
■■

三重:この世をば〜,わが世とぞ思ふ望月の〜
佳代:あっ,道長ね。
三重:そうよ。かけたることも,なしと思へば〜。
佳代:自分で自分をカンペキ!って言っているのね。
三重:ホント,この歌,歌っているとバカらしくなるよ。
藤原:本当だね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:自画自賛も,ほどほどにしなくちゃね(笑)
三重:そうですね。今の時代だったら,いじめられます。
藤原:うん,それは昔でも同じだよ。道長ぐらいになってはじめて言えるこ
   とだよ。
佳代:そうですよね。それでは,今日は,藤原道長をお願いします。
藤原:分かったよ。道長は,藤原兼家の子として生まれた。お母さんが,学
   問に熱心だったことから,小さいころから学問に励んでいたようだ。
三重:教育ママだったんですね。
藤原:まあ,そんなところだろう。そして,道長には,二人の兄がいて,両
   方とも関白を務めていたんだけど,二人とも病気で死んでしまったん
   だ。
三重:つまり,道長にチャンスが回ってきたということですか?
藤原:うん,でも,そこに強力なライバルが現れた。
三重:ライバル・・・ですか?
藤原:そう,兄,道隆の長男の伊周(これたか)だ。
佳代:なるほど,道長といえども,すんなりといったわけではないのですね。
藤原:そうだね。当時の藤原氏は,他家のライバルたちは,みんな排除して
   いたから,争うとしたら身内同士になる。
三重:なるほど,敵がいなくなると味方が敵になるわけですね。それで,ど
   うなったのですか?
藤原:うん,当時の天皇,一条天皇は,どちらを関白にしようかと悩んだら
   しいけど,結局,天皇の母が,道長の姉だったことから,道長が,関
   白と同じような仕事をする内覧という職につくことになったんだ。
三重:つまり,道長の勝ちということですね。
藤原:そう,そして,その後,右大臣に任命され,やがて,藤原氏一族の長
   である,氏の長者になる。
三重:ライバルはどうしたのですか?
藤原:そうだね。伊周は,彼の弟の不祥事などを理由に,大宰府に流された。
   結果的に,道長の力は強大になっていくことになったんだ。
佳代:それで,望月の歌ですか?
藤原:そう,その後,道長は,自分の娘をどんどん天皇の妃にしようとした。
   天皇との結びつきを強くしようと考えたんだろうね。そして,三女が
   妃になったときに詠んだ歌が,例の望月の歌だ。
三重:なるほど,完璧という気持ちはわかります。だから,摂関政治の全盛
   時代ということなのですね。
藤原:そのとおり。その後,彼は,摂政の位を,息子の頼通に譲った。頼通
   は,あの平等院鳳凰堂作ったのは知っているよね。
佳代:もちろんです!寝殿造の代表的な建物です!
藤原:そう,その頼通に譲った後,自分は,太政大臣になり,その後,引退
   して,法成寺を建てる。
佳代:そう言えば,道長は,御堂関白と呼ばれているんでしたね。
藤原:うん,道長は,摂政だけで関白は経験していないけど,法成寺,つま
   り御堂に住んでいたことから御堂関白と呼ばれるようになった。
三重:どうして,道長は関白にならなかったのですか?
藤原:道長のころは,天皇が,みな幼かったからだよ。
三重:あっ,そうか。天皇が幼いときは摂政で,成人しているときは,関白
   でしたね。
藤原:そういうこと。この時代は,さしたる事件もないし,道長の名前だけ
   が浮き上がっているような時代だけど,藤原氏が,この世の春を謳歌
   していたことだけは間違いないようだね。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:藤原道長(ふじわらのみちなが)
・時 代:平安時代(966〜1027年)
・性 別:男
・地 位:摂政,太政大臣
・業 績:法成寺(ほうじょうじ)を建てる
・その他:藤原摂関政治の最盛期

★ 和歌の意味

 この世をば わが世とぞ思ふ望月の かけたることも なしと思えば
 (この世は,わたしのもののようだ,満月が欠けていないように)


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 105  
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■■ 今回は「清少納言」を勉強します!
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三重:ねぇ,佳代。枕草子が書かれたのは,ちょうど1000年だったよね。
佳代:そう,ミレニアムよ。
三重:ミレニアムかぁ・・・。懐かしい言葉ね。去年は,ミレニアムミレ
   ニアムって騒いでいたけど。
藤原:何の話だい?
三重:あっ,先生,こんばんは。ミレニアムの話です。
藤原:ミレニアム?2000年問題?
佳代:違いますよ。さらに1000年前のミレニアムのことです。
藤原:あっ,なるほど,清少納言だね。
三重:そうで〜す。ちょうど1000年もミレニアムですよね。
藤原:そういうこと。ミレニアムって千年紀のことだからね。それじゃあ,
   清少納言を勉強しよう。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まず,佳代ちゃん,清少納言って,どんなイメージ?
佳代:そうですねぇ。頭はいいけど,ちょっと生意気って感じですか?
藤原:うん,当たっているような気がするね。
三重:わたしもそう思います。何となく生意気な雰囲気が・・・。
藤原:ライバルの紫式部は,「利口ぶって才能をひけらかしている」と述
   べている。その辺からも,そういうイメージが浸透しているみたい
   だね。
佳代:枕草子を読んでも,そんな感じがします。
藤原:確かにね。特に有名なのが,香炉峰の雪のエピソードだろうね。
三重:あっ,それ,国語でやりました。
藤原:そう,清少納言は,一条天皇の妃である中宮定子に仕えていた。学
   問好きの定子は,教養あふれる彼女のことを気に入っていたんだ。
   そして,ある雪の降る日に「少納言よ,香炉峰の雪はいかがであろ
   うか」とたずねたというわけだ。
佳代:習いました。他の人たちは,何を言っているのか分からず戸惑って
   いたのですね。
藤原:そう,そのとき,少納言は,格子を上げさせ,立ち上がってすだれ
   を巻き上げた。
佳代:そうでしたね。言葉で言わず,態度で示したところが,ちょっとに
   くいですね。
藤原:そう,中国の詩に「遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き,香炉峰の雪
   は,すだれをかかげて見る」というのがある。中宮定子は,それを
   踏まえて質問したわけだ。
三重:それをさりげなくやってしまうところがすごいですね。でも,周り
   の人たちから見ると,やっぱり生意気な感じがします。
藤原:うん,よく言えば理知的。悪く言えば生意気。そんなところだろう。
佳代:先生,清少納言って,死んだ年が不明だと聞きましたが。
藤原:そうなんだ。枕草子を完成させたあとの彼女が,その後どうなった
   のかわからない。また,生まれた年もいつかわからないんだ。
三重:えっ,生まれた年もわからないのですか?
藤原:だいたい,966年ごろと言われているけど,正確にはわからない。
佳代:すると,結構,謎の多い女性なんですね。
藤原:うん,そうも言えるね。当時は,貴族同士の争いも激しかったから,
   頼みの中宮定子が死んでからのことがわからなくともおかしくない
   のだけど,生まれた年までわからないというのは謎だね。
佳代:父は,有名な歌人の清原元輔でしたよね。
藤原:そう,後撰和歌集の撰者としても知られる歌人の清原元輔だ。
三重:清少納言の「清」は清原の「清」ですね。
藤原:うん,そして,宮中の呼び名である「少納言」を合わせて清少納言
   だ。
佳代:ということは,謎というより単に記録に残っていないというだけな
   のですね。
藤原:たぶんね。有名な父を持ち,有名な中宮に仕え,有名な随筆を残し
   た人だから,当然,わかっているはずだけど,この時代の女性は,
   正確な名前も生没年も記録されていないことが多い。清少納言だけ
   が特別ではないんだよ。
佳代:わかりました。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:清少納言(せいしょうなごん)
・時 代:平安時代(966?〜11世紀初頭)
・性 別:女
・地 位:中宮(ちゅうぐう)の藤原定子(ていし)に仕える
・業 績:随筆集「枕草子」を著す


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