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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 106  
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■■
■■ 今回は「紫式部」を勉強します!
■■

三重:暑いよ〜ぅ。
佳代:ホント、異常な暑さね。
三重:昔もこんなに暑かったのかなぁ。
佳代:今よりは涼しかったと思うよ。土も多かったし。
三重:そうね。今は、コンクリートばかりで余計暑いのね。
佳代:十二単衣なんて、とても着ることはできないよね。
三重:そうよね。それにしても、暑い、暑い..(>_<);
藤原:随分、苦しそうだね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:三重ちゃんは、夏の方が好きじゃなかったの?
三重:ハイ。でも、ここまで暑いとね。先生、今日は、暑苦しそうな十二
   単衣のイメージがある紫式部をお願いします。
藤原:わかったよ。暑いけど頑張ろう。
佳代:ハイ。紫式部は、貴族の生まれでしたよね?
藤原:そう、藤原為時の子だね。式部は、代々、学者の家柄で、歌人とし
   ても有名な家に生まれたので、小さいころから才能を発揮していた
   みたいだ。
三重:そう言えば、学校の先生が、この子が男の子だったら・・・と言わ
   れたと言っていました。
藤原:うん、兄よりも覚えがよくて、父がつい口走ったと言われている。
   本当かどうかはわからないけど、小さいころから才能があったとい
   うエピソードの一つだね。
佳代:だから、あの有名な源氏物語を書けたのですね。
藤原:そうだね。あの時代にあれだけの長編小説があること自体が奇跡と
   言われている。
佳代:確か、シェークスピアなどよりもずっと早いんですよね。
藤原:うん、シェークスピアが活躍したのは、16世紀だから、5世紀も早
   い。
三重:それは、すごいですねぇ。日本も捨てたもんじゃないんですね。
藤原:そのとおり。源氏物語の世界的地位は、普通の日本人が考えている
   よりずっと高いんだ。
三重:紫式部って偉大なんですね。
藤原:そうだね。そして、源氏物語の評判は、当時左大臣だった藤原道長
   まで届き、その才能を高く評価した道長は、自分の娘であった彰子
   に仕えさせることにした。
佳代:一条天皇の妃、中宮の彰子ですね。
藤原:そう、当時は、娘の才能を高めるために、教養のある女性を側に仕
   えさせた。
佳代:家庭教師みたいなものですね。
藤原:そう言ってもいいだろう。清少納言は中宮定子、紫式部は中宮彰子
   に仕えた。こちらは、国語でも役に立つから覚えておこう。
三重:ハイ、わかりました。
藤原:紫式部は、他にも紫式部日記を書いている。そして、1回宮中を去
   った後、再び彰子に仕えるものの、その後については、はっきりわ
   からない。
佳代:その点は、清少納言と同じですね。
藤原:そういうこと。この時代の女性の地位というものが、何となくわか
   るような気がするだろう。
三重:ですね。これだけの実績を残しても、やはり、男社会だったのです
   ね。
藤原:そんな感じだね。でも、貴族全盛の時代に、多くの女流の作家や歌
   人が活躍したしたことは事実だし、それについては記録も残ってい
   る。ただ、プライベイトなことは、あまり記録に残らなかったと考
   えればいいだろう。
佳代:ホントですね。清少納言にしても、紫式部にしても本名すらわから
   ないわけですからね。でも、作品は不滅ということですね。
藤原:そういうこと。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:紫式部(むらさきしきぶ)
・時 代:平安時代(978?〜?年)
・性 別:女
・地 位:中宮の藤原彰子(ふじわらのしょうし)に仕える
・業 績:長編小説「源氏物語」、「紫式部日記」などを著す


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 107  
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■■
■■ 今回は「白河上皇」を勉強します!
■■

三重:佳代、平安時代は、大きく分けると3つになるだったよね。
佳代:そうね。第1章が、桓武天皇とか嵯峨天皇とかが律令政治を立て直
   そうとする時代。第2章が、藤原氏中心の摂関政治の時代。そして、
   最後が、院政の時代ね。
三重:すると、院政をはじめた白河上皇って、すごいのね。
佳代:そうかもね。
藤原:今日は、白河上皇かい?
三重:あっ、先生、こんばんは。よろしくお願いします。
藤原:わかったよ。それじゃあ、はじめよう。まず、白河上皇のお父さん
   は誰だっけ?
三重:えっ、お父さん?そんなの知りません。
藤原:佳代ちゃんは?
佳代:ハイ、後三条天皇です。荘園整理令で有名な。
藤原:うん、正解だ。白河上皇を語るには、まず、父の後三条天皇のこと
   を考える必要がある。
三重:何故ですか?
藤原:後三条天皇は、藤原氏との縁が薄い天皇だった。そのため、これま
   で権勢を振るってきた藤原氏の勢いが衰えたということだ。
三重:なるほど、道長などは、娘をどんどん天皇の妃にして、実権を握っ
   ていたんでしたね。
藤原:うん、道長に限らず、藤原氏が実権を握る根拠として、自分の娘に
   産ませた天皇を即位させ摂政や関白となり実権を握ってきたわけだ。
   しかし、後三条天皇は、藤原氏と縁が薄いため、その根拠がなくな
   ってしまったということなんだ。
佳代:そして、荘園整理令などによって藤原氏は打撃を受けるわけですね。
藤原:そういうこと。そして、天皇のままだと、組織の関係で、いろいろ
   な制約があるから、そういうしがらみのない上皇として実権を握ろ
   うと考えたのも後三条天皇だったらしい。
三重:えっ、それじゃあ、何故、後三条天皇は上皇にならなかったのです
   か?
藤原:それはね、なる前に死んでしまったからだよ。
三重:なるほど、志なかばで倒れたということですか?
藤原:そう考えていいだろう。その遺志を引き継いだのが白河上皇だと考
   えればいい。
三重:わかりました。ところで、先生、そもそも院って何ですか?
藤原:そうだね、元々は、上皇の住んでいるところを指す。でも、次第に
   上皇そのものを指すようになっていった。
佳代:確か、上皇はたくさんいても、実際に院政をする人を治天の君(ちて
   んのきみ)っていうのでしたね。
藤原:おお、よく知っているね。上皇になるだけではダメで、実際に政治
   を執る上皇を治天の君という。天皇と違って、上皇は複数いる場合
   があるからね。
三重:でも、どうして、治天の君は、強い権力を持つことができたのです
   か?
藤原:まず、さっきも言ったように、藤原氏の勢力が衰えたことがあげら
   れる。それに、院では、それまで恵まれなかった、中級や下級の貴
   族たちを役人として取り立てたので、彼らが頑張ったことも大きい。
佳代:なるほど、出番がやってきたということで、やる気が出たのですね。
藤原:うん、さらに、力を強めるために、北面の武士を置いた。
三重:あっ、思い出しました!北面の武士って、親衛隊のようなものです
   ね。
藤原:そういうこと。逆に、これによって、源氏や平氏などの武士たちが、
   中央に進出するようになり、武士の時代へ移行するきっかけにもな
   るんだけどね。
三重:う〜ん、何か、歴史ってつながっているって感じですね。
藤原:そのとおり。つながっているんだよ。だから、流れをとらえなくち
   ゃね。
佳代:先生、学校の先生が、白河上皇は、雨水を獄に入れたという話をし
   ていたんですけど。
藤原:そうだね。そんなエピソードがあったね。上皇が作った法勝寺で、
   供養を行おうとしたところ、雨で、4回も延期になった。そこで、
   雨を器に取り、獄に閉じ込めたという話だ。いかにも強引な上皇ら
   しいエピソードだよね。
三重:それに、思い通りにならぬものとして、さいころの目とかいうのも
   ありました。
藤原:ああ、天下三不如意(ふにょい)ね。上皇が思い通りにならないと言
   ったのは、賀茂川の水、双六のサイ、僧兵の三つだ。やはり、権力
   の変わり目だけに、相当強引な性格だったと考えられる。
三重:本当ですね。小泉さんみたいなものですか?
藤原:そうだねぇ・・・。内容は違うけど、改革するのには、ある程度の
   強引さは必要だし、既得権者、この時代だったら藤原氏などが抵抗
   勢力と考えれば、似ている面もあるかもしれないね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
□□

・人物名:白河上皇(しらかわじょうこう)
・時 代:平安時代(1053〜1129年)
・性 別:男
・地 位:天皇、上皇
・業 績:院政をはじめる(1086年)


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 108  
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■■
■■ 今回は「平清盛」を勉強します!
■■

三重:おごれる平氏も久しからず・・・か。
佳代:どうしたの三重、ブツブツと。
三重:うん、最近、落ち目になった子がいるのよ。
佳代:落ち目?
三重:そう、2年までは、学年でトップクラスだったのに、ここのところ
   成績が急降下して、みんなおごれる平氏なんて呼んでいるのよ。
藤原:その点、三重ちゃんは落ちようがないからいいねぇ(笑)
三重:あっ、先生、こんばんは。何ですか!いきなり(怒)
藤原:ごめんごめん。三重ちゃんは、成績が上がりっぱなしだからいいと
   言いたかったんだよ。
佳代:そうね。三重は、ずっと上り調子ね。
三重:へへへ・・・。実は、苦手の歴史で点が取れるようになったからよ。
   でも、佳代からみるとずっと下だけど。
藤原:まあ、頑張っているからね。これからも、この調子でいこう。今日
   は、平清盛かい?
三重:ハイ。お願いします。
藤原:清盛については、これまでも何回かやったね。
佳代:ハイ。平忠盛の子として生まれましたが、白河上皇の御落胤って説
   もあります。
三重:か、佳代。御落胤って何?
佳代:あれっ?前も質問しなかった?
三重:えっ、えっ、そうだっけ?
藤原:確か、説明した覚えがあるけど、まあいいや。もう一度説明しよう。
   御落胤とは、身分の高い男が,正式の妻以外の身分の低い女性に生
   ませた子のこと。
三重:あっ、思い出しました!確かに質問しました。だから、異例の出世
   をしたとかいう話を。
藤原:うん、もちろん、父の忠盛は、瀬戸内海の海賊を平定するなど実績
   を上げ、鳥羽上皇から信頼されていた。そういうこともあって、早
   くから出世していたんだ。
佳代:そして、父が死んだ後、平氏の棟梁として一族の長になったのです
   ね。
藤原:そういうこと。その後は、これまでも何回も勉強した保元の乱や平
   治の乱で勝利を収め、参議から太政大臣という朝廷での最高の位に
   つくことになる。
三重:う〜ん、正に大躍進ですねぇ。
藤原:そうなんだ。そして、「平氏にあらざれば人にあらず」と称される
   ほど栄えた。さらに、娘の徳子を高倉天皇の妃にし、徳子が生んだ
   皇子をわずか2歳で即位させた。
三重:まさにおごりですね。
藤原:確かにね。でも、平氏の一族は、全国の半分を支配し、荘園もたく
   さん持っていたから、確固たる基盤があったことは間違いない。
佳代:清盛は、日宋貿易にも力を入れていましたね。
藤原:そう、現在の神戸にあたる大輪田泊(おおわだのとまり)を修理して、
   貿易をさかんにした。だから、経済的にも、たいへん力があったわ
   けだ。
三重:おごるのも仕方がないってことですか?
藤原:まあね。でも、武士なのに貴族化してしまったことが清盛の失敗だ
   ろう。
佳代:そうですね。前にも勉強しましたが、本来、味方であるはずの武士
   からも不満が出ました。もちろん、貴族たちも不満でいっぱいです。
藤原:そんな感じになって、平氏打倒の動きが盛んになり、最終的な結果
   は、わかっているよね。どちらにしても、やりすぎた人間は、滅び
   るのも早い。
三重:でも、清盛は、平氏が滅びる前に死にましたね。
藤原:うん、何でも、医者が近づけないほど高熱を発したという伝説があ
   る。平氏打倒の動きが激しくなる中、清盛は熱病で亡くなった。
三重:その後、平氏は坂を転げるように滅亡に向かっていったんですね。
藤原:そうだね。清盛の死後、わずか4年で滅亡することになった。
佳代:わかりました。やっぱり、おごってはいけないですね。先生、今日
   はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:平清盛(たいらのきよもり)
・時 代:平安時代(1118〜1181年)
・性 別:男
・地 位:太政大臣
・業 績:保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)で活躍
・その他:大輪田泊を修築し、日宋貿易に力を入れる


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 109  
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■■
■■ 今回は「源頼朝」を勉強します!
■■

三重:佳代、源頼朝って、何故殺されなかったの?
佳代:そうねぇ。確か、平清盛の母が助けたとかいう話を聞いたことがある
   けど・・・。
三重:すると、清盛の母は大変な失敗をしたわけね。
佳代:結果的にはね。
藤原:おう、随分、難しい話をしているねぇ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今日は、頼朝かい?
三重:ハイ。お願いします。
藤原:それじゃあ、はじめよう。今、話題に上がっていたように、平治の
   乱で敗れた源義朝は、東国に逃げる途中で平氏に捕らえられ殺され
   た。頼朝が13歳のときだ。
佳代:それなのに、御曹司の頼朝は殺されなかったのですね。
藤原:そうなんだ。普通なら絶対に殺されているところだけど、清盛の母
   である池禅尼(いけのぜんに)が、とりなしたと言われている。
三重:どうして、命を助けたのですか?
藤原:うん、一説によると、禅尼は、頼朝少年が、若死にした自分の息子
   に似ていたことから助命を嘆願したということだ。清盛は、最初は、
   反対していたが、泣き落とされて認めたらしい。
三重:なるほど、泣き落としですか?
藤原:そうなんだ。母といっても、禅尼は、実の母ではない。それだけに
   断りにくかったのかもしれないね。でも、それが、平氏の滅亡につ
   ながるとは夢にも思わなかっただろうね。
佳代:そして、伊豆に流されたのですね。
藤原:そういうこと。当時は、伊豆といえば、京からも遠く流刑地の一つ
   だった。でも、そこで、奇跡的な展開を迎えることになる。
三重:わかりました。北条政子と出会ったことですね。
藤原:そうだね。頼朝は、源氏の御曹司とはいえ、平治の乱以降は、単な
   る罪人にすぎない。もちろん、何の力もなかったわけだ。しかし、
   平氏の衰退を予想していた政子の父北条時政は、頼朝を利用しよう
   と考えたのではないかと思われる。
佳代:なるほど、本人の力はなくとも源氏の御曹司という看板は、十分使
   えるということですね。
藤原:そういうこと。だから、時政は、頼朝に賭けた。そして、それが、
   奇跡を生むことになるんだ。
佳代:そして、以仁王(もちひとおう)が平氏討伐の命令を出します。
藤原:うん、そのとき、同じ源氏の一族だけど、平氏の味方をしていた源
   頼政が立ち上がったが、失敗。そして、平氏は、源氏を討伐しよう
   としたわけだ。そんなことが重なり、ちょっと腰の重かった頼朝も
   平氏を討つ決意を固めることになる。
三重:なるほど、ほおっておけば、やられてしまうので、逆に戦おうと考
   えたわけですね。
藤原:そうだね。もし、何のきっかけもなかったら、なかなか動かなかっ
   ただろうね。その後、平氏との激しい戦いに勝って、頼朝は、幕府
   を開くことになるのだけど、平氏討伐は、弟の義経の功績が大きい
   から、その辺は、義経を勉強するときにやろう。
佳代:ハイ、わかりました。
藤原:前にも言ったように、頼朝は、1192年に征夷大将軍になったわけだ
   けれども、幕府のしくみは、もっと前から整えている。
佳代:いい国を作る前に守護・地頭でしたね。
藤原:そう、守護・地頭の設置は、1185年だから、間違えないようにね。
佳代:そして、義経を討ち、さらに奥州藤原氏を討ちます。
藤原:そうだね。それにより、武士のための政権が誕生する。清盛も武士
   だったけど、実態は、貴族と同じだったから、初めての武士政権と
   いえるだろう。
佳代:そうですね。そういう意味では、家康などよりも、ずっとずっと歴
   史的意義は大きいのですね。
藤原:うん、佳代ちゃんが好きな信長よりも大きいと思うよ。日本史のヒ
   ーローと言えば、何人か思い浮かぶと思うけど、頼朝や信長は別格
   だ。後は、坂本龍馬あたりかな。どちらにしても、最重要人物の一
   人であることは間違いないね。
佳代:そうですね。でも、その頼朝が、落馬して死亡したというのがちょ
   っと解せません。
藤原:うん、いいところに目をつけたね。この頼朝の死は、重大な疑惑が
   ある。でも、その辺は、機会があったらまた話そう。興味のある人
   は、研究するといいよ。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:源頼朝(みなもとのよりとも)
・時 代:平安〜鎌倉時代(1147〜1199年)
・性 別:男
・地 位:征夷大将軍
・業 績:武士の時代を築く。鎌倉幕府を開く。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 110  
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■■
■■ 今回は「源義経」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。「はんがんびいき」ってよく言うけど「ほうがんびいき」
   が正しいのよね。
佳代:たぶんね。元々は「ほうがんびいき」って言っていたらしいけど、最
   近では、どっちでもいいみたい。
三重:確かに、判官と漢字で書くと「はんがん」って呼びたくなるね。
藤原:おう、今日は、国語の勉強かい?
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:判官びいきって言葉は、弱いものを応援する人のことを表すことが多
   いね。
佳代:ハイ。もちろん、義経のことを念頭において使っています。
藤原:そうだよね。源九郎義経といえば、日本史上でも指折りの人気者だ。
三重:そうですね。
藤原:そして、悲劇のヒーローでもある。そのあたりがよけい人気を呼んで
   いるのだろうね。それじゃあ、今日は、義経を勉強しよう。
三重:ハイ、お願いします。
藤原:まず、前回の頼朝のところでも勉強したように、平治の乱で敗れた源
   義朝の子どもである義経も殺されなかった。
佳代:何故、殺されなかったのですか?
藤原:これはね、たぶん、母親が美人だったからだろう。
三重:えっ、親が美人だったからですか?
藤原:そうなんだ。頼朝と義経は父は同じでも母は違う。義経の母は、身分
   が低い人だったが、絶世の美女だったらしい。
佳代:知っています。確か、常盤(ときわ)っていう名前でしたね。
藤原:おお、よく知っているね。平治物語によると、平清盛は、その美貌に
   打たれ子供ともども命を助けることを約束したということだ。
三重:う〜ん、敵の奥さんなのに・・・。でも、それだけ美人だったのです
   ね。
藤原:確かにね。何しろ、清盛と死に別れた後は、貴族の奥さんにもなって
   いる。身分を重んじる貴族が、妻として迎えるわけだから、並みの美
   女ではないということだね。
三重:それは、すごいですねぇ。そのために歴史は変わったということです
   ね。
藤原:そうだね。もし、義経のような戦術の天才がいなければ、たぶん、平
   氏は滅びず、東に源氏、西に平氏という感じが続いただろうね。
佳代:その義経ですが、小さいころは牛若と呼ばれていました。
三重:ああ、知っているよ。牛若丸といえば、超有名だね。
佳代:そうね。その牛若丸は、入っていた鞍馬寺(くらまでら)を抜け出し、
   いったんは、奥州藤原氏の所に行きます。
藤原:うん。藤原秀衡を頼ったんだ。そして、頼朝が兵を上げたのを知り、
   兄と合流することになる。その後、義経の奇跡の快進撃が始まるとい
   うわけだ。
三重:なるほど。そして、平氏を滅ぼすわけですね。
藤原:そうだね。その前に、まず、先に、平氏を都から追い出した、木曽義
   仲を討ち、それから、西へ西へと向かうことになる。
三重:最初は、屋島の戦いでしたよね。
佳代:違うよ、三重、最初は、一の谷よ。
三重:えっ、そうだっけ?
佳代:一の谷、屋島、壇の浦の順よ。
藤原:正解だね。一の谷では、裏山から馬で一気に攻めるという意表をつい
   た作戦を取り、屋島でも、嵐の中、船を進め、通常3日ぐらいかかる
   行程を、わずか4時間でついたという。
三重:4時間ですか!それは、す・すごいですねぇ・・・。
藤原:そして、前にも勉強したとおり、有名な那須与一が、扇の的に命中さ
   せた話が残っているのも、屋島の戦いだ。
佳代:ハイ。覚えています。正に、平氏の運命を占うかのような命中でした。
藤原:そして、仕上げが壇の浦ということになる。この義経の活躍で、あっ
   という間に平氏が滅び、源氏の大勝利ということになる。
三重:でも、義経は、頼朝に怒られたのですね。
藤原:そう、この辺は、研究の余地のあるところだけど、義経は、後白河上
   皇から、検非違使(けびいし)に任じられていた。頼朝の許可なしに。
三重:それで怒っていたのですか?
藤原:そうだね。頼朝が目指していたのは、あくまでも、武士政権だったか
   ら、義経の行為を許せなかったのだろう。そして、鎌倉にも入れても
   らえず、追っ手を逃れて逃亡することになる。
三重:かわいそうですねぇ・・・。
藤原:そうなんだ。だから、判官びいきという言葉も生まれたのだろう。そ
   して、奥州藤原氏のもとに逃げ込んだが、頼みの藤原秀衡が、直後に
   死んでしまい、後を継いだ泰衡は、義経を襲って、死に至らしめるこ
   とになったんだ。
三重:本当に悲劇ですね。
藤原:でも、日本が生んだ、最初の大スターだということは間違いない。歴
   史を大きく動かした人物だということも。
佳代:だから、義経=ジンギスカン説が出てくるのですね。
藤原:そう。義経が、死なないで、ジンギスカンになり、大陸を制覇すると
   いう伝説も、義経のヒーロー的性格を物語っているね。事実ではない
   と思うけど。
佳代:そうですね。話を聞いていると、ますます義経を応援したくなりました。
藤原:そのとおり。だから、義経は、最初の人気者であると同時に、永遠の
   人気者だといえるわけだ。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:源義経(みなもとのよしつね)
・時 代:平安時代(1159〜1189年)
・性 別:男(源頼朝の異母弟)
・業 績:源(木曽)義仲を討つ(1184年)
     一の谷→屋島→壇の浦の戦いで、平氏を滅亡させる(1185年)


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