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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 111  
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■■
■■ 今回は「北条政子」を勉強します!
■■

三重:朝廷につきたい者は、さっさと行きなさい!わたしを斬り捨ててから
   行きなさい!
佳代:三重、それ、北条政子の真似?
三重:そうよ。今度、クラスの発表会でやるの。
藤原:迫力あるねぇ。三重ちゃんが北条政子かい?
三重:あっ、先生、こんばんは。そうなんです。三重が政子をやります。
藤原:うん、ここはクライマックスだから、ヒステリックにやってね(笑)
三重:ハイ。前に、先生は、女のヒステリーほど恐いものはないって、言
   っていましたよね。
藤原:えっ?そんなこと言ったかな?
三重:言いましたよ!証拠もあります。(注:第10号「承久の乱」)
藤原:そうだったかな。まあ、それはともかく、今日は北条政子をやるん
   だね。
三重:ハイ、お願いします。
藤原:まず、この政子は、伊豆の国の豪族、北条時政の娘として生まれた。
佳代:知ってます。ここで、頼朝と知り合うのですよね。
藤原:そう、前に頼朝のところで勉強したように、平治の乱で敗れ、命だ
   けは助かったものの頼朝は、伊豆に流されていた。そして、歴史を
   変える大恋愛が始まったんだ。
三重:世紀の大恋愛ですね。
藤原:うん、そう呼ぶにふさわしい、正に世紀の大恋愛が歴史を変えた。
佳代:でも、先生、政子がいなくても頼朝は立ち上がったのではないので
   すか?
藤原:確かに立ち上がったかもしれない。でも、いくら源氏の御曹司とは
   いっても、当時の頼朝は、ただの流人だ。頼朝だけでは何もできな
   かったはずだ。
三重:なるほど、すると、政子の父である北条時政のうしろだてがなかっ
   たら、ああもうまくはいかなかったということですね。
藤原:おお、いいこというねぇ。正にそのとおりだよ。
佳代:確か、時政は、結婚に反対だったと聞いていますが。
藤原:うん。表向きはね。頼朝と引き離し、政子を他のところに嫁がせて
   いる。しかし、政子は逃げて頼朝のもとへいくわけだ。
三重:何か、すっごい話ですねぇ。もし、そのままだったら・・・。
藤原:そう。だから、時政は、表立っては頼朝とかかわらないように見せ
   かけていただけかもしれない。どちらにしても、この結婚が、以後
   の歴史に大きく影響することになる。
佳代:そして、頼朝が死に、政子は、尼になりました。
藤原:そうだったね、だから、尼将軍という名前もついている。
三重:何ですか、それ?
藤原:つまり、頼朝と政子の子である2代将軍頼家は、まだ若かったから、
   実権は、政子が握っていたというわけ。
三重:なるほど。
藤原:しかも、頼家が、御家人の信頼を失うと、伊豆の修善寺に閉じ込め、
   有力御家人の合議制の政治を行うことにした。
三重:自分の息子を閉じ込めたのですか?
藤原:そうだね。御家人の信頼を失っては政治ができないことをよく知っ
   ていたんだろうね。まだまだ、幕府は安定していたわけではないか
   ら。しかも頼家は殺されてしまう。
佳代:そして、将軍は実朝に移りますが、実朝も暗殺されてしまいます。
藤原:うん、この暗殺劇も謎が多く、興味深いけど、今回は政子がテーマ
   だから、別の機会に話そう。政子の真骨頂は、ここからだ。
佳代:例の大演説ですね。
藤原:うん、冒頭で三重ちゃんがやっていたやつね。
三重:これは、承久の乱を起こした後鳥羽上皇の命令に対して動揺してい
   た御家人たちに対して行われました。
藤原:そうだったね。後鳥羽上皇は、執権北条義時を討てという命令を出
   した。もちろん、武士たちは動揺したわけだ。何しろ上皇の命令だ
   からね。
三重:ハイ、それに対して、政子は、幕府の御恩は、山よりも高く、海よ
   りも深い。上皇の道理に合わない命令が出たが、頼朝公の御恩に報
   いるのは今だ!というような演説をします。
藤原:迫力があったんだろね。
三重:ハイ。たぶん。上皇の命令に従いたいのなら、すぐに立ち去れ!と
   言ったとたんに、ハハァーって声が聞こえてきそうです。
藤原:うん、たぶん、みんな、頭をそろえてハハァーって言ったと思うよ。
   鎌倉から上皇についた武士はほとんどいなかったからね。
佳代:そして、京都に攻め上り、承久の乱は、鎌倉側の大勝利になりまし
   た。
藤原:そうだよね。武士の時代は、頼朝から始まったというけど、正式に
   言えば、この乱を制したときから始まったといった方が正しいよう
   に思える。
佳代:わたしもそう思います。鎌倉に幕府を開いたのは、単に武士の独立
   政権ができただけで、まだ、武士の天下とはいえないと思います。
藤原:そうだね。この乱の前は、あくまでも東国政権といった方が適切だ。
   乱の後は、その勢力が全国的に広がっていった。
三重:それも、政子の演説が大きいのですね。
藤原:演説だけでなく、それまで築いてきたものが大きいのだろうね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:北条政子(ほうじょうまさこ)
・時 代:主に鎌倉時代(1157〜1225年)
・性 別:女
・地 位:源頼朝の妻、北条時政の娘
・業 績:頼朝の死後、尼将軍として実権を握る
・その他:承久の乱で、大演説をし、鎌倉に勝利を呼ぶ


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 112  
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■■
■■ 今回は「後鳥羽上皇」を勉強します!
■■

三重:人もをし、人も恨めしあぢきなく・・・。
佳代:後鳥羽上皇の歌ね。
三重:そうよ。何か恨みがこもっているのが伝わってくるわね。
佳代:確かにね・・・。上皇という最高の身分なのに島流しされたんだから。
三重:それにしても、上皇を島流しするとはすごいよね。
藤原:本当だね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今日は、後鳥羽上皇だね。
三重:ハイ、お願いします。
藤原:うん、この上皇に関しては、これまでも何回か勉強したね。
佳代:ハイ。承久の乱でやりました。
藤原:そうだったね。今回は、ちょっと違った視点から見てみよう。
三重:違った視点?
藤原:うん。例えば、後鳥羽上皇の子供のころはどうだったとか。
佳代:ハイ。知りたいです。
藤原:まず、後鳥羽上皇は、高倉天皇の皇子として生まれた。
佳代:高倉天皇ですか?すると、平清盛の娘との間にできた安徳天皇と父が
   同じということですね。
藤原:さすが佳代ちゃん、よく知っているね。
佳代:ハイ。たまたま知っていました。
藤原:その安徳天皇が、平氏とともに西国に逃れたとき、後白河上皇の考え
   で、4歳で天皇になったんだ。
三重:えっ!4歳で天皇ですか!
藤原:うん。珍しいことではないけどね。安徳天皇は2歳で天皇になってい
   るし。
三重:すると、上皇になった時も若かったのですか?
藤原:そうだね。19歳のときだ。
佳代:上皇は、和歌が得意でしたね。
藤原:そのとおり。さっき、三重ちゃんが口ずさんでいた、人もをし・・・
   は、百人一首にも入っているので有名だよね。
三重:ハイ。というか、百人一首以外は知りませんが。
藤原:うん、上皇は、百人一首の撰者でもある藤原定家に、新古今和歌集の
   編纂を命じた。
佳代:知ってます。万葉集と古今集とあわせて三大集といっていますね。
藤原:そうだね。国語でも勉強しただろ。
三重:えーっと、確かしたような気が・・・。
藤原:しかし、上皇は、和歌だけでなく武芸にも優れていた。だから、良い
   関係を続けていた鎌倉3代将軍実朝が暗殺され、結局、承久の乱を起
   こすことになる。
佳代:しかし、結果は惨敗でした。
藤原:そうだね。その辺は、過去に何回もやったから、そちらを見てもらう
   にして、戦いに敗れた上皇は、隠岐島に流されることになった。
三重:覚えています!日本海に浮かぶ島です。確か、島根県でした。
藤原:そのとおり。上皇は、わずかな供と一緒に、そこで、一生を終えるこ
   とになる。
佳代:本当に、人が恨めしくなりますね。
藤原:うん。激動の時代に巻き込まれた悲劇の人といえるだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)
・時 代:主に鎌倉時代(1180〜1239年)
・性 別:男
・地 位:上皇(治天の君;最高実力者)
・業 績:藤原定家に「新古今和歌集」を編纂させる
・その他:承久の乱で敗れ、隠岐島に流される


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 113
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■■
■■ 今回は「北条時宗」を勉強します!
■■

三重:佳代、この前、テレビで元寇をやっていたね。
佳代:あれっ?三重も見たの?
三重:そうなのよ。普段は、あまり見ないけど、元寇をやるっていうから、
   ちょっと見てみたのよ。すごかったね。
佳代:そうね。想像以上だったわ。
藤原:おう、三重ちゃんもついに目覚めたね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:佳代ちゃんは、小さいころから見ていたよね。
佳代:ハイ。うちでは、恒例行事です(笑)
藤原:それじゃあ、話題の北条時宗をやろう。
三重:お願いします。
藤原:まず、時宗のお父さんは誰だっけ?
佳代:ハイ、北条時頼です。
藤原:正解。かなり強引な人のような印象もあるけど、名執権として名高
   い時頼だ。そして、時宗は、相模太郎と呼ばれ、小さいころから父
   の後を継ぐことを決められていた。
佳代:その辺は、詳しくなりました。兄は、側室の子で、名は、時輔です。
藤原:うん。歴史ではあまり出てこないけど、今回のドラマですっかり有
   名になった兄の時輔との確執は、すごいものがあったみたいだね。
佳代:ええ。この辺は、まったく知らないことばかりでした。
藤原:それはともかく、時宗は、正室の子で、後継ぎが決まっていた。つ
   まり、時宗は、北条得宗家のプリンスとして生まれたわけだ。
三重:得宗家って何ですか?
藤原:うん。北条氏の嫡流の惣領家のことをいう。具体的にいうと、2代
   執権の義時から、泰時、経時、時頼、貞時、高時の7人を得宗と呼
   んでいる。
三重:つまり、同じ北条家でも格が違うのですね?
藤原:そのとおり。もっとも毛並みがいいと考えていいね。時頼あたりか
   ら、得宗家の権力が絶大になっていく。
佳代:そんな生まれのいい時宗ですが、元寇という大難に遭ってしまうの
   ですね。
藤原:そうだね。鎌倉だけで、権力争いしているうちは、まだよかったの
   だけど、史上最大の大国のモンゴルが攻めてくるという日本最大の
   危機が訪れたわけだ。
三重:しかし、運良く撃退しました。
藤原:うん。二回の戦いがあったよね。
三重:ハイ、そのぐらいは知っています。最初が文永の役で、2回目が弘
   安の役です。
藤原:よろしい。元寇については、前にも勉強したから簡単にいうと、1
   回目の文永の役は、900隻の船が、対馬・壱岐を経て博多湾に押し寄
   せた。
三重:対馬の人はかわいそうでしたね。
藤原:うん。テレビを見た人は分かると思うけど、皆殺し状態にして、日
   本の反応を待ったわけだ。どちらにしても、元軍は、集団戦法で攻
   めてきて大苦戦を強いられた。
三重:でも、暴風雨で元軍は引き上げました。
藤原:そうだね。その辺、最近では、疑問視する声もあるけど、とにかく、
   元軍はいったん退いたことは確かだ。でも、時宗としても、それで
   安心というわけにはいかなかった。
佳代:そうですね。また攻めてくるかもしれませんし。
藤原:うん。実際、2回目の弘安の役は、14万といわれる大軍で攻めてき
   たわけだ。
三重:14万ですか!すごい数ですね。
藤原:それだけ、日本を従えようというフビライの強い意志があったんだ
   ろうね。しかし、またまた台風の影響で、元軍は大きな被害を出し
   て引き上げることになる。
佳代:これが、いわゆる「カミカゼ」といわれるものなのですね。
藤原:そうだね。ある意味では、北条時宗という人物の運の強さを表して
   いるといえるだろうね。そして、時宗は、元寇で戦死した敵味方の
   霊をなぐさめる目的で、有名な円覚寺を建てた。
佳代:ああ、あの円覚寺は、時宗が建てたのですか。
藤原:そう。でも、元が去ったわずか3年後に急死することになる。元と
   の戦いで疲れ果てていたのかもしれないね。
佳代:本当ですね。時宗のことを語ったら、本当にいくらでも話したいこ
   とがありますが、やはり、18歳という若さで執権になって、元の襲
   来という大難を乗り切り、若くして死んだという感じですね。
藤原:そのとおり。しかし、この戦いが原因で、幕府の財政も逼迫し、御
   家人たちに思うような恩賞が与えられず、結局、衰退して滅亡の道
   を歩くことになる。元を退けたとはいえ、ダメージは大きかったと
   考えた方がいいね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。


□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:北条時宗(ほうじょうときむね)
・時 代:鎌倉時代(1251年〜1284年)
・性 別:男性
・地 位:鎌倉幕府執権(第8代)
・業 績:2度にわたる元の襲来を退ける
・その他:円覚寺を建てる


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 114
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■■
■■ 今回は「後醍醐天皇」を勉強します!
■■

三重:佳代、後醍醐天皇って、名前にこだわっていたって言っていたよね。
佳代:そうね。前に勉強したわ。平安時代の醍醐天皇のころの政治を理想と
   していたみたいね。
三重:それで、自分から、後醍醐天皇って名乗っちゃったわけね。
藤原:よく覚えていたね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:確かに、天皇の名前は、普通、後から贈られるものだけど、後醍醐天
   皇は、天皇親政の意欲が強く、平安時代の延喜の治(えんぎのち)、つ
   まり醍醐天皇のころの政治を理想としていた。だから、後醍醐って名
   乗っちゃったんだったね。
佳代:ハイ、覚えています。それだけ志が強かったということでしたね。
藤原:そういうこと。そして、紆余曲折はあったけど、鎌倉幕府を滅ぼし、
   天皇親政を実現することになる。
三重:ハイ、知っています。建武の新政です。
藤原:そう。その辺は、前にも勉強したから、今回は、後醍醐天皇個人にス
   ポットを当てて勉強しよう。
佳代:わかりました。
藤原:まず、天皇は、1288年に後宇多天皇の皇子として生まれた。
佳代:1288年というと、2度の元寇があった後ですね。
藤原:うん、そして、当時の天皇家は、大覚寺統と持明院統の2つに分かれ
   て争っていた。
佳代:あっ、知っています。大覚寺統が亀山天皇、持明院統が後深草天皇の
   系列ですね。
藤原:そう、よく知っているね。この大覚寺統が後の南朝、持明院統が北朝
   になるんだけど、当時は、鎌倉幕府の調停もあって、両統が、交代で
   皇位についていたんだ。
三重:なるほど、順番ということですか?
藤原:そう。そして、後醍醐天皇は、大覚寺統から即位した。もちろん、醍
   醐天皇のように、摂政や関白をおかず、自ら政治を執ることを目指し
   たんだ。
三重:すごいですねぇ。迫力を感じます。
藤原:そして、このころは、元寇の後の混乱もあって、御家人の不満も広が
   っていたので、後醍醐天皇は、幕府を倒す計画を立てることになる。
三重:う〜ん、ますますすごいです。
藤原:しかし、2度、試みたけど、両方失敗に終わり、2回目の失敗で、隠
   岐島に流されることになる。
佳代:後鳥羽上皇が、承久の乱で流された隠岐島ですね。
藤原:そのとおり。後鳥羽上皇は、その地で死んだけど、後醍醐天皇は、脱
   出することになる。
三重:どうして脱出できたのですか?
藤原:やはり、幕府に不満をもつものが多かったからだろうね。そして、足
   利尊氏や楠正成、新田義貞などの活躍により、鎌倉幕府は滅亡し、こ
   こに建武の新政と呼ばれる政治をはじめることになったんだ。
佳代:ここまででも、すごい人生です。
藤原:そうだね。でも、ここからも、大変な人生を送ることになる。
三重:確か、建武の新政は、わずかの間に失敗したのですね。
藤原:うん、前にも勉強したけれども、倒幕に活躍した武士よりも、公家に
   対して、ご褒美が多かったんだ。そのため、武士の不満を招き、わず
   か3年足らずで崩壊することになる。
三重:理想が高すぎたのですか?
藤原:そうだね。自分の理想と現実がマッチしていなかったのだろう。そし
   て、奈良県の吉野に逃れることになる。
佳代:南北朝時代の始まりですね。
藤原:そう、足利尊氏が立てた天皇と、後醍醐天皇の二人の天皇がいるとい
   う異常事態になり、以後、足利義満の時代に南北朝が合一するまで、
   激しい対立が続くことになる。
三重:本当に、すごいですね。
藤原:まあ、天皇自身は、吉野に移って3年で死ぬことになるけど、武士同
   士があっちにくっついたり、こっちにくっついたりを繰り返して、長
   い対立関係を作ってしまった。
佳代:そうですね。足利尊氏、直義兄弟も、北朝についたり南朝についたり
   わけがわかりませんよね。
藤原:そう。その辺は、その辺は、また別の機会にやろう。どちらにしても、
   後醍醐天皇は、鎌倉から室町への狭間で大いに暴れまくった天皇とい
   えるだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
・時 代:鎌倉〜室町時代(1288〜1339)
・性 別:男性
・地 位:天皇
・業 績:鎌倉幕府を倒し、建武の新政をはじめる(1334年)

<参考> 大覚寺統:亀山天皇の系列・・・・・後の南朝
     持明院統:後深草天皇の系列・・・・後の北朝


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 115
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■■
■■ 今回は「足利尊氏」を勉強します!
■■

三重:佳代、足利尊氏って源氏なのね。
佳代:そうよ。後三年の役で活躍した源義家の孫の系列。
三重:名門なのね。
佳代:そうみたいね。鎌倉幕府でも最も有力な御家人の一人だったし。
藤原:おう、やってるね。
三重:あ、先生、こんばんは。
藤原:今日は足利尊氏かい?
三重:ハイ、お願いします。
藤原:わかったよ。それじゃあ、はじめよう。この辺は、いろいろなとこ
   ろで勉強しているから、ちょっと質問してみるよ。
三重:ハイ。
藤原:尊氏の最初の名前は?
三重:最初の名前?
藤原:というか、尊氏になる前の名前は、何といったんだっけ?
三重:えーっと。知りません。
佳代:高氏です。
三重:えっ、たかうじ・・・、同じじゃない。
佳代:三重、同じだけど、字が違うのよ。
三重:字が違う?
藤原:そう。高氏は、執権の北条高時の高を取って、高氏と名乗っていた。
三重:ああ、高いという字ね。なのに、どうして尊氏になったのですか?
藤原:これはね、後で、後醍醐天皇からもらったものなんだ。
三重:後醍醐天皇ですか?
藤原:そう、天皇の名は、尊治だったので、その一字をもらったんだ。
三重:なるほど、鎌倉幕府の御家人時代は、北条高時の高をもらい、鎌倉
   幕府を滅ぼして、建武の新政が始まったら、後醍醐天皇の尊をもら
   ったということですね。
藤原:そういうこと。
佳代:それにしても尊氏は、あっちについたり、こっちについたりしてい
   ますね。
藤原:うん、そうだね、最初は、鎌倉幕府側だったけど、途中で、後醍醐
   天皇の味方になり、幕府を滅亡させる。
佳代:尊氏が攻めたのは、京都の六波羅探題です。
藤原:そのとおり。そして、建武の新政に参加することになるけど、前回
   も勉強したように、新政は、武士にとって望ましいものではなかっ
   た。
三重:そうでしたね。武士よりも公家を優遇したんでしたね。
藤原:そう、そこで武士が不満を抱く。それに対して、尊氏が立ち上がる
   ということになるわけだ。
三重:つまり、今度は、後醍醐天皇の敵になったというわけですね。
藤原:そう。
佳代:しかし、尊氏は、いったんは負けて九州に逃れます。
藤原:そのとおり。新田義貞や北畠顕家などに攻められて、いったんは、
   西へ逃げる。しかし、態勢を立て直して、再び京に向かった。そし
   て、湊川の戦で、楠木正成の軍を破り京都に入ることになる。
佳代:そして、後醍醐天皇は、逃げます。尊氏は、新しい天皇を立てます。
藤原:うん、そこで、尊氏は、光明天皇を立てる。しかし、後醍醐天皇も、
   吉野に朝廷を作ったので、南北に二人の天皇がいる時代になる。
三重:それが南北朝ですね。
藤原:そう、尊氏も、征夷大将軍に任じられ正式に幕府を開くことになる
   わけだけど、動乱は収まらない。
佳代:確か、弟とも対立しましたね。
藤原:うん、弟の直義(だだよし)とは、最初は力を合わせてきたものの対
   立することになる。最終的には、弟を毒殺することで決着をつける。
三重:ホント、嫌な時代ですねぇ。
藤原:そうだね。でも、そんな話は珍しくない。これからもたくさん出て
   くるよ。それにしても、尊氏とは、戦、戦の人生で、最後は、病死
   する。室町幕府の創始者とはいえ、壮絶な人生だったことは間違い
   ない。
佳代:ホントですね。戦いに明け暮れた武将といえると思います。先生、
   今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:足利尊氏(あしかがたかうじ)
・時 代:鎌倉〜室町時代(1305〜1358年)
・性 別:男
・地 位:征夷大将軍
・業 績:室町幕府を開く
・その他:天竜寺を建てる(後醍醐天皇の霊をなぐさめるため)


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