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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 116
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■■
■■ 今回は「足利義満」を勉強します!
■■

三重:佳代、義満君って、前に勉強したよね。
佳代:ああ、確かに、藤原先生が、義満君が、室町幕府の15人の中で、入試
   などでは一番人気なんだって言っていたわね。
三重:もう一回やったほうがいいかなぁ。
藤原:そうだね。やったほうがいいよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:君たち、義満君なんて言っていいのかい。仮にも日本国王の名をもら
   った人間だよ。
三重:何言っているんですか!先生。先生が、歴史上の人物と友達になっち
   ゃえって教えたんじゃないですか!
藤原:あれ、そうだっけ?まあ、いいや。とにかく、室町幕府3代将軍の足
   利義満は、歴史上も大変重要な人物だし、受験生にとっても大事な人
   物だね。
佳代:それじゃあ、前に勉強した(注意:16号「将軍足利義満」)もの以外を
   中心にやりましょう。
藤原:そうだね。やってみよう。
三重:えーっと、足利義満は、3代将軍ですよね。すると、尊氏の孫という
   ことですか?
藤原:そのとおり。2代将軍、足利義詮(よしあきら)の子として生まれた。
   そして、その義詮が、早死にしたので、何と11歳で将軍になったんだ。
三重:えっ!11歳ですか!わたしたちより若いじゃないんですか!
藤原:うん、そうだね。でも、驚くには値しないよね。2歳とか3歳の天皇
   とかもいたわけだし。
三重:まあ、そうですね。でも、実際に政治を執れたのですか?
藤原:最初は、有名な執事、細川頼之の補佐を受けた。しかし、将軍になっ
   て10年ぐらいしたところで、京都の室町に大きな屋敷を作った。
佳代:花の御所ですね。
藤原:そう。室町幕府といわれるのも、そのためだ。だから、足利尊氏が室
   町幕府を開くというのも、ちょっと抵抗があるね。
佳代:そうですね。何か違和感があります。
藤原:ま、細かいことは抜きにして、義満は、将軍に権力を集めようとして、
   守護大名たちの勢力をそごうとした。
佳代:えーっと、確か、明徳の乱で、山名氏清を討ち、応永の乱で、大内義
   弘を討ちました。
藤原:おお、よく知っているね。中国・近畿に大きな勢力を張っていた山名
   氏清は、全国の6分の1を持っていたので、「六分の一殿」と呼ばれ
   ていた。また、大内義弘は、室町幕府の確立に大きな貢献をした守護
   だった。
三重:佳代、ちょっと難し過ぎない?
佳代:そうねぇ。でも、歴史用語解説に書いてあるから、興味のある人は、
   ホームページを見てください。
藤原:そうだね。高校生でちょうどいいぐらいの内容だね。でも、義満が、
   守護大名の勢力を抑えようとしたという点は頭に入れておこう。
佳代:ハイ。そして、南北朝の合一ですね。
藤原:うん。その辺は、16号でもやったから、そちらを見てもらうとして、
   義満は、合一後、実権を持ったまま、将軍職を9歳の息子に譲った。
三重:今度は9歳ですか・・・。ホント、将軍って何なんでしょう(苦笑)。
藤原:日本の伝統かな。最高権力者よりも、裏で動かす人が多すぎるね。義
   満は、将軍職を譲ったけど、太政大臣になって貴族と武士をすべて支
   配する大きな権力者になったんだ。
佳代:噂では、天皇になろうとした将軍とも言われています。
藤原:確かにね。そういう痕跡はあるけど、まあ、それは、ここではおいて
   おこう。そして、政治の実権は持ったまま、僧になる。
三重:えっ、僧ですか。
藤原:うん、そして、有名な北山の別荘で政治を行うことなった。
三重:金閣寺ですね。
藤原:そう、正式には、金閣って言ったほうがいいってことは前に話したね。
   だから、義満のころの文化を北山文化と呼んでいるわけだ。
佳代:義満が行った日明貿易についても大切でしたね。
藤原:うん、日明貿易、別名勘合貿易は、前にやったから、ここでは述べな
   いよ。ただ、前に話さなかったこととして、この貿易は、朝貢貿易な
   んだ。
三重:ちょうこうぼうえき・・・?
藤原:そう、簡単に言うと、中国の家来になり、皇帝に日本国王の称号をも
   らう。
佳代:朝貢貿易は、莫大な利益があると聞いていますが。
藤原:そう、家来として、明の皇帝に貢物を送る。すると、何倍ものおみや
   げをもらえるというのが朝貢貿易だ。
三重:なるほど、子分になって、親分に贈り物をすると、国王と認めてもら
   ったり、お返しをたくさんもらったりできるということですね。
藤原:簡単に言えばね。
三重:それって、屈辱じゃないですか?
藤原:そうだね。鎌倉時代など、それで、元と戦うことになったぐらいだか
   らね。でも、義満は、実を取ったのだろう。そのため、政治的にも経
   済的にも最高の実力者となったわけだ。
佳代:なるほど、そうだったのですか。
藤原:室町時代というと、動乱が多く、将軍の力が弱い時代だけど、一番強
   かったのが、この義満の時代だ。ただし、長続きはしなかったけどね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。受験生のみな
   さんは、必ずホームページに行って、16号も復習してくださいね。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:足利義満(あしかがよしみつ)
・時 代:室町時代(1358〜1408年)
・性 別:男
・地 位:室町幕府3代将軍
・業 績:南北朝の合一(1392年)
     日明貿易を行う(1404年より)
・その他:花の御所を作る
     北山文化が花開く


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 117
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■■
■■ 今回は「足利義政」を勉強します!
■■

三重:佳代、義満君の後は義政君ね(笑)
佳代:そうね。応仁の乱のときの将軍。銀閣を建てたことでも有名だよね。
三重:特に大切な二人の将軍だったよね。
藤原:そのとおり。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:足利将軍は、15人いるけど、初代の尊氏、3代の義満、8代の義政、
   15代の義昭が特に大切だね。
三重:ハイ。今日は、その義政をお願いします。
藤原:わかったよ。義政といえば、応仁の乱だけど、この乱については、
   過去にもやったから、今回は、その他の部分に焦点を当ててみよう。
三重:ハイ。
藤原:まず、義政も、14歳という若さで将軍になった。
三重:義政もですか!義満は、11歳でしたね。
藤原:うん。父の6代将軍義教が、赤松満祐に殺されてしまったため、義
   政の兄が将軍になったんだけど、兄も病死してしまい、その後を継
   いだ。
佳代:義政は、あまり政治に熱心でなかったようですね。
藤原:そのとおり。政治は、守護大名に任せ、自分は、もっぱら、能を見
   物したり、宴会を行ったりして遊びほうけていた。
三重:ひどい将軍ですね。
藤原:そうだね。当時は、守護大名の勢力争いやききんなど社会が不安定
   なのに政治のトップに立つ義政がやる気がないのでは、乱れるばか
   りだよね。
佳代:そんな状態だから、応仁の乱が起きたのですね。
藤原:もちろん。義政だけの責任とはいえないけど、義政に大きな責任が
   あったことは間違いないよね。まあ、応仁の乱の詳細は、ホームペ
   ージを見てね。
三重:ハイ、大丈夫です。すると、そういう遊び好きの性格が、東山文化
   を生んだといえるのですか?
藤原:おお、いいところをついているね。確かに、政治的には、義政のだ
   らしなさが目立つけれども、東山文化と呼ばれる簡素で上品な文化
   が花開いたのは、義政の影響が大きいといえるだろう。
佳代:東山文化といえば、銀閣です。
藤原:そうだね。そして、大切なのは、銀閣の1階。
佳代:書院造ですね。
藤原:そう。畳を敷き、床の間を設けるなど、現代の和洋建築の元になっ
   ている。
三重:そうですね。写真で見ましたが、昔のわたしの家に似ています。
藤原:そうだね。最近は、だいぶ変わってきたけど、ちょっと前の日本の
   家は、この影響をもろに受けていた。それから、義政は、茶の湯や
   能、水墨画など、新しく興った文化を大事にし、才能のある人を集
   め、趣味の世界に生きた。
佳代:なるほど。そういう生き方もありますね。
藤原:でもね、戦乱の時代に、政治のトップがこんな状態では、やばいと
   いうことがわかるだろ。
三重:ハイ、わかります。
藤原:だから、以後、100年もの間、戦国の世になってしまったんだ。
佳代:生まれてくる時期を間違えましたね。
藤原:そうだね。もし、太平の世に生まれてきたら、名将軍だったかもし
   れないよ。どちらにしても、義政は、文化には貢献したけれども、
   政治家としては、最悪と言っていいだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

■■ 人物データファイル

・人物名:足利義政(あしかがよしまさ)
・時 代:室町時代(1436〜1490年)
・性 別:男
・地 位:室町幕府8代将軍
・業 績:銀閣をつくる、文化の発展に貢献
・その他:応仁の乱をひきおこす


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 118
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■■ 今回は「雪舟」を勉強します!
■■

三重:佳代、水墨画って渋いねぇ。
佳代:そうねぇ。カラフルなものだけがいいんじゃないわね。
三重:何か、癒される感じがするよ。
藤原:おう、君たちも、そう思うのかい?
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今の人は、白黒の絵なんて見ないのかと思ったよ。
三重:そうですね。でも、水墨画はいいです。
佳代:ホントです。
藤原:それじゃあ、今日は、水墨画の代表的なアーティストをやろうか。
三重:えっ、アーティスト・・・ですか(笑)。確かにそうですが、雪舟は、
   芸術家って言った方が似合います。とにかくお願いします。
藤原:うん、まず、雪舟は、備中国(びっちゅうのくに)、つまり、今の岡
   山県の武士の家に生まれた。
三重:えっ!雪舟って武士の子なんですか?
藤原:そう。しかし、幼いころ、近くの寺に入れられ、禅宗の修行に出さ
   れたんだ。
佳代:武士の子が、寺に入るって、よくありますよね。
藤原:うん。そして、10歳のころ、京都の相国寺(しょうこくじ)に入るこ
   とになる。
佳代:あっ、聞いたことがあります。相国寺って、有名な寺ですね。
藤原:そう、京都五山と呼ばれる有名な寺の一つだ。足利義満が建立した
   ことでも知られる。
三重:なるほど、そんな有名な寺に入って、どうしたのですか?
藤原:彼は、そこで、周文(しゅうぶん)という水墨画の師匠に出会う。
三重:水墨画の師匠ですか?
藤原:そう、雪舟は、この相国寺で、本格的に絵を学び始めたんだ。
三重:でも、どうしてお寺なのに絵を習うのですか?
藤原:禅宗は、その教えを水墨画で表すんだ。だから、絵を習うことも修
   行の一つなんだ。
佳代:なるほど、絵も修行なのですか。
藤原:そうだね。そして、画家としても、かなり有名になっていた40歳の
   ころ、彼は、大内氏に招かれ、今の山口県に行くことになった。
佳代:ああ、大内氏ですね。知ってます。
藤原:うん。このころの大内氏は、中国地方の代表的な守護大名で、明と
   の貿易を手がけていた。そこで、雪舟は、明に渡るチャンスを得る
   ことになった。
佳代:中国は、水墨画の本場ですね。
藤原:そう。彼自身も、中国に行くことは夢だったらしい。その夢が、実
   現して、中国にわたることになる。
三重:今で言う、留学みたいなものですね。
藤原:そうだね。留学というよりも、今でも、フランスで修行したり、ニ
   ューヨークで修行したりなんて画家もいるだろう。そんな感じ。
佳代:つまり、中国で腕を磨いたということですか?
藤原:そういうこと。そして、1年余り、中国を歩いて大自然をスケッチ
   した。絵が好きな彼にとっては、人生、一番のときだったかもしれ
   ないね。
三重:本当ですね。夢が実現するって、素敵なことです。
藤原:有名なエピソードとして、小僧のころ、お経が嫌いで絵ばかり描い
   ていたので、柱にしばりつけられたって話を知っているだろ?
三重:ハイ、知っています。雪舟は、涙でねずみの絵を書きました。
藤原:そうだったね。とにかく、絵が好きだったというエピソードだ。そ
   の雪舟が、本場、中国で思い切り絵を描き、しかも、北京では、役
   所の壁に壁画を描いて評判を得たというのだから、こたえられない
   だろう。
佳代:そうですね。
藤原:そして、帰国してから、全国各地を歩き、多くの山水画を残した。
   有名な絵としては、天橋立図(あまのはしだてず)などがある。
三重:知ってます。教科書に載っています。
藤原:うん、ほかにも、15メートル以上もある、山水長巻など、すごいも
   のを残している。
三重:15メートル!それはすごい!
藤原:最初に、二人が言っていたけど、水墨画って、見ているだけで癒さ
   れるような雰囲気をもっている。もちろん、現代でも、十分、通用
   する芸術だと思うね。
佳代:ホントですね。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:雪舟(せっしゅう)
・時 代:室町時代(1420〜1506年)
・性 別:男
・地 位:僧、画家
・業 績:日本独特の水墨画を完成する
・その他:山水長巻、天橋立図などの作品を残す


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 119
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■■
■■ 今回は「武田信玄」を勉強します!
■■

三重:佳代、武田信玄って、戦国時代のスーパースターって、言われている
   よね。
佳代:そうね、武田信玄と上杉謙信。この二人が有名ね。
三重:でも、天下を取ったわけじゃないし、どうしてだろう・・・。
佳代:そうねぇ・・・。確かにねぇ・・・。
藤原:やっぱり強かったからじゃないかな。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:信玄と謙信は、本当にスーパースターにふさわしい強さを持っていた
   よ。残念ながら天下を取れなかったけどね。
三重:それじゃあ、先生、今日は、その武田信玄をお願いします。
藤原:わかったよ。
佳代:信玄といえば、風林火山ですね。
三重:フーリンカザン?何、それ?
藤原:うん、信玄が掲げていた旗にかかれていた漢文の頭の文字をとると、
   風、林、火、山の四文字が浮かび上がる。
佳代:疾き(とき)こと「風」のごとく、徐か(しずか)なること「林」のごと
   く、侵掠(しんりゃく)すること「火」のごとく、動かざること「山」
   のごとしですね。
藤原:おう、よく知っているね。
佳代:ハイ、わたしの父が、カラオケで武田節を歌いますから覚えてしまい
   ました。
藤原:そうかい。それは、いいことだね。武田節は、信玄の性格をよくあら
   わしているから勉強になるよ。
佳代:たまには、父も役に立つことをしますね(笑)
三重:先生、意味を教えてください。
藤原:うん、簡単に言うと、疾きは、疾風などに使われるように、速いとい
   うこと、つまり、風のように速く攻める。そして、火のように襲い掛
   かり、時には、林のように静かに山のように泰然と動かないこともあ
   るというような意味だ。
三重:つまり、攻めるときは、強烈に攻め、動かないときは、じっと動かな
   いというような意味なのですね。
藤原:そう、中国の有名な兵家「孫子(そんし)」の言葉だ。信玄は、それを
   信条としていたのだろうね。
佳代:それから、人は石垣、人は城という言葉もありましたよね。
三重:何、それ?
藤原:うん、これも、今、言った武田節の歌詞の中にもあるんだけど、つま
   り、信玄は、人を信頼することが、本当の城に勝ると言っているんだ。
三重:団結が大切だといっているわけですか?
藤原:まあ、そんなところだろうね。だから、武田軍団は最強と言われたの
   もわかるだろ。
三重:そうですね、何となくですがわかります。
藤原:しかし、信玄は、父親を追放している。
三重:えっ!本当ですか!
藤原:信玄ファンなら、周知のことだろうけど、彼は、父の信虎を追放した
   んだ。佳代ちゃんは知っているよね。
佳代:もちろんです。信玄は、晴信という名前でしたが、父があまりにも評
   判が悪いので家臣と結託して、追放しました。
藤原:さすが佳代ちゃん、本でも読んだのかい?
佳代:いえ、ビデオで見ました。うちにあるので。
藤原:うん、映像で見ると、印象に残るよね。やはり、信玄は、家臣と信頼
   関係ができていない父を見限ったのだろうね。
三重:それほどにまで、信頼関係を重視したのですね。
藤原:そうだろうね。だからこそ、のちに伝えられることになったのだろう。
佳代:しかし、信玄の魅力は軍事だけではありません。
藤原:そうだよね。軍事だけでなく、いわゆる「信玄堤(しんげんづつみ)」
   といわれる堤防を作ったり、金山を開発して国を豊にした。また、分
   国法である「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)」を制定し
   て、国を治める基本とした。
三重:経済や社会の面でも優れていたのですね。
藤原:そういうこと。だからファンも多いよ。そして、上杉謙信との有名な
   戦い。
三重:あっ、それぐらいなら知っています。川中島の戦いですね。
藤原:そう。最大のライバルとの宿命の対決とでも言うべき戦いだね。こち
   らは、上杉謙信を勉強するときにやろう。
佳代:わかりました。そして、信玄は、天下統一を目指し、京都に向かいま
   す。途中で、徳川家康と戦い軽くひねっています。
藤原:そうだね。当時の信玄と家康では、横綱と十両ぐらいの差がある。家
   康は、この戦いで、信玄の恐さを知ることになる。
佳代:しかし、結局、京都を目の前にして、病によって倒れることになりま
   す。
藤原:うん、こういう悲劇性が、人気の理由の一つだよね。最高の実力者が、
   あと一歩のところで及ばずという感じが。信玄が屈指の歴史的ヒーロ
   ーであるのも、この辺にあると思うよ。
佳代:わかりました。先生、今日は、ありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:武田信玄(たけだしんげん)
・時 代:室町時代(1521〜1573年)
・性 別:男
・地 位:甲斐(かい・今の山梨県)、信濃(しなの・今の長野県)などの国主
     屈指の戦国大名


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 120
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■■ 今回は「上杉謙信」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。敵に塩を送るって上杉謙信のことを言っているのよね。
佳代:そうよ。武田信玄に対して、今川や北条は、塩を止める作戦に出て、
   謙信にも要請がきたんだけど断ったの。
三重:へえ〜、どうしてかなぁ。宿敵なんでしょう。
佳代:そうよ。最大のライバル。でも、その辺に謙信の性格が出ているんじ
   ゃないかな?
藤原:そうだね。謙信は、卑怯なことが嫌いみたいだ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今日は、上杉謙信だね。
三重:ハイ、お願いします。
藤原:まず、上杉謙信のもともとの名をなんていうか知っているかな?
佳代:ハイ、長尾景虎(ながおかげとら)です。
藤原:さすが佳代ちゃん。よく知っているね。謙信は、越後の国の守護代、
   長尾家の子として生まれ、幼名を虎千代といった。
三重:虎が好きなのですねぇ(笑)
藤原:そうだね。その後、7歳のときに、寺に預けられたんだけど、家を継
   いでいた兄が家来に信頼がなく、呼び戻されることになる。
三重:どうして、長尾が上杉になったのですか?
藤原:うん、上杉というのは、足利家の中でも名門の家柄で、関東管領を務
   めていたのだけど、北条氏に敗れ謙信を頼ってきた上杉憲政から、上
   杉の姓と関東管領の職を譲り受けることになる。
三重:それで、上杉謙信になったのですね。
藤原:いや、それは、まだだ。まずは、上杉政虎(まさとら)になった。
三重:また虎ですか。
藤原:うん、政は、上杉憲政の政をもらったんだ。その後、足利14代将軍、
   足利義輝から一字をもらい、輝虎(てるとら)を名乗ることになる。
三重:まさに、戦国時代のタイガーですね(笑)
藤原:そうだね。ちょうどそのころ、有名な第四次川中島の合戦が行われた
   んだ。
三重:えーっと、第四次ということは、4回もやったのですか?
藤原:いや、5回だ。でも、いちばん有名なのが、この第四次。武田信玄の
   啄木鳥戦法を見破る?
三重:キツツキ戦法?何ですか、それは?
藤原:佳代ちゃんは知っているかな?
佳代:ハイ。ビデオで見ました。山に陣を構えている上杉軍を、武田の軍の
   一部が背中から突っつくような形で攻め、山を下ったところに信玄の
   本体がいて、迎え撃つというようなやつですね。
藤原:そのとおり。濃い霧もあって、山を降りた上杉軍は、武田軍が見えず、
   気づいたときは、はさみうちになっているという戦法だ。
佳代:謙信は、それに気づき、武田軍が背後から攻める前に山を降りました。
   今度は、武田軍がピンチです。
藤原:うん、はさみうちができれば、断然武田軍が有利だけど、見抜かれて、
   先に山を下りてこられたからたまらない。武田の一部の軍勢は、まだ
   山の上にいるわけだからね。
三重:それは、すごいですねぇ。
藤原:そして、激戦の末、謙信は、信玄と直接剣を交えたとも言われている。
   この辺は、ドラマならいざ知らず、実際のところはわからない。
佳代:ドラマ的には、外せない場面ですよね。謙信が剣をふるい、信玄が、
   鉄扇で避ける。
藤原:そうだね。名場面といってもいいかもしれない。とにかく、この二人
   の戦国スターは、激戦の末、勝負がつかなかった。少なくとも、この
   時点では、織田信長などよりも数段格上の武将だったことは間違いな
   い。
佳代:しかし、謙信は、家臣をまとめるのは苦手だったようですね。
藤原:その点は、武田信玄とは対照的だね。
三重:どうしてですか?
藤原:やはり、謙信の性格がわざわいしたんじゃないかな?謙信は、戦は強
   かったけど、正義の戦いということで、領土拡張の意欲がなく、手伝
   い戦が多かった。そういう点で、家臣の不満を招いたといえる。また、
   降伏させた相手からも人質をとらないなど、ある意味で、理想主義者
   的傾向が悪い方に働いたともいえる。
佳代:そして、妻も娶らず、当然、子供もいません。
藤原:そうだね。謙信は、女性不犯の誓いを立てていたといわれる。
佳代:その辺も人気の一つでしょうか?謙信は、戦国時代でも、異質の武将
   でしたね。
藤原:うん。ただ、残念なことに、謙信の死後、後継者争いが起きることに
   なる。当時の平均的な武将を考えると、謙信だけは別次元を生きたと
   いう感じがするね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:上杉謙信(うえすぎけんしん)
・時 代:室町時代(1530〜1578年)
・性 別:男
・地 位:関東管領
・その他:代表的な戦国大名の一人


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