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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 121
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■■
■■ 今回は「世阿弥」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代、能楽で有名な世阿弥って、いつごろの人だっけ?
佳代:世阿弥?もちろん、室町時代よ。足利義満に認められた人だから。
三重:え!世阿弥も、義満君なの・・・(笑)。本当に義満君は、よく出てく
   るね〜。
藤原:そうだよね。本当に重要な将軍だろ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今日は、世阿弥かい?
三重:そうですね。あいまいなものですから。
藤原:わかったよ。それじゃあ始めよう。
三重:お願いします。
藤原:まず、世阿弥の父も有名な人だよね。
佳代:ハイ、観阿弥(かんあみ)です。
藤原:そう、この観阿弥、世阿弥親子はよく覚えておいてほしい。能楽を芸
   術的な演劇として完成させた人たちだからね。
三重:先生、そもそも能楽って何ですか?
藤原:あれっ?見たことないの?能面をかぶって踊るやつだよ。
三重:ああ、あれね。
藤原:元々は、宗教的芸能だったんだ。社寺の祭礼に使われていた猿楽に、
   民間の田楽を取り入れ、宗教的芸能から庶民的な舞台芸能に発展した
   のが能楽なんだ。
三重:ふ〜ん、わかるような、わからないような。
佳代:簡単に言うと、神社の祭りや田植えのときに踊っていたものがもとに
   なって生まれたものですね。
藤原:まあ、そんなところだろうね。
三重:それで、足利義満に認められたというわけですか?
藤原:そう、観阿弥、世阿弥の親子が、京都の神社で踊っていたのを義満が
   見て感心し、以後、能楽は、幕府の保護を受けることになる。
三重:なるほど、何となくわかってきました。
藤原:そうだろ。単に、能楽って暗記しても何もわからないけど、義満との
   出会いなどをイメージすれば、忘れることもないし、まして、いつの
   時代だっけなんて悩むこともない。
三重:そうですね。もう、忘れません。
藤原:世阿弥については、有名な書があったね。
佳代:ハイ、「花伝書(かでんしょ)」です。
藤原:うん、正式には、「風姿花伝(ふうしかでん)」という。世阿弥の能楽
   についての芸術論が述べられている。なかなかいいことが書かれてい
   るらしいよ。
三重:すごいですねぇ。
藤原:でも、その世阿弥も、義満が死んだ後は悲惨だった。
三重:え!どうしたのですか?
藤原:最終的には、6代将軍義教に嫌われ、72歳のときに佐渡に流された。
三重:島流しですか。
藤原:うん。その後、許されて京都に帰ったらしいが、その辺はよくわから
   ない。でも、歴史に残る芸術家であったことは間違いないね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:世阿弥(ぜあみ)・・・実名は元清(もときよ)
・時 代:室町時代(1363〜1443年)
・性 別:男
・業 績:父とともに能楽を大成
・その他:著書「風姿花伝(花伝書)」・・・「花」「幽玄」などを主張


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 122
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■■
■■ 今回は「フランシスコ=ザビエル」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。ザビエルって、何で日本に来たの?
佳代:そうねえ。どうしてだろう。こんな遠くまで。布教しにきたことは
   確かだけど。
三重:それにしても、遠いよねぇ〜。
藤原:ホントに遠いね。
三重:あっ、先生、こんばんは。いいところにきました。
藤原:確かに、今と違って、ヨーロッパから日本に来るのは大変だよね。
   でも、ザビエルは、イエズス会のアジアの責任者だったんだ。
佳代:アジアの責任者?そんな地位だったんですか?
藤原:そう。君たちも、宗教改革は知っているよね。
三重:もちろんです。ルターとかカルビンとか。
藤原:そう。彼らは、腐敗した教会に抗議して、新教、つまりプロテスタ
   ントと呼ばれた。しかし、古い人たちもいたわけだ。
佳代:それが、カトリックですね。
藤原:そう。その中でも、今話題になっているザビエルやロヨラらが作っ
   たのがイエズス会だ。
佳代:ハイ、それは知っています。
三重:つまり、批判を受けた旧教の方でも、反省して立直ししようとした
   のですね。
藤原:そういうこと。しかし、世の中甘くない。
三重:ハ、ハイ。それは重々・・・。
藤原:いくら反省したといっても、新教の勢力が強くなった。それで、彼
   らは新天地を見出そうとしたわけだ。
佳代:なるほど、それでアジアに進出しようとしたわけですね。
藤原:そう考えていいだろう。そして、インドのゴアに行き、布教をはじ
   めたザビエルは、マラッカで、アンジローという日本人に会う。
三重:アンジローですか?
藤原:このアンジローは、弥次郎とも言われ、日本人最初のキリスト信者
   とも言われている。
三重:へぇ〜、そうなんですか?そんなところで、キリスト信者が生まれ
   ていたのですね。
藤原:そう、そして、そのアンジローの案内で、ザビエルは日本に来るこ
   とになった。
佳代:アンジローが誘ったのですか?
藤原:それはどうかわからないけど、ザビエルは、アンジローの人柄にほ
   れ込んだらしい。また、賢いアンジローを見て、日本でキリスト教
   を広めることに興味を持ったのだと思う。
佳代:そして、鹿児島に着きます。
三重:えっ?種子島じゃないの?
佳代:三重、それは鉄砲でしょ。
三重:あっ、そうか!そうでした・・・(笑)
藤原:鉄砲が種子島に漂流したポルトガル人によって伝えられたことは有
   名だけど、ザビエルが着いた鹿児島は、結構盲点だね。
佳代:そうなんです。前に、何かの問題でやりました。
藤原:うん、ときどき試験にも出るからね。よく覚えておこう。しかし、
   鹿児島では、あまり布教はできなかった。
三重:そうですよね。いきなり、青い目の外人が来て、違う宗教って言っ
   ても、今の時代だって簡単に受け入れられません。
藤原:そのとおりなんだ。そこで、ザビエルは考えた。一番偉い人に認め
   てもらおうと。
佳代:それで、京都を目指したのですね。
藤原:うん、でも、ザビエルがきたのは、1549年だから、戦国時代だよね。
   京都は、応仁の乱以後、荒れ果てていた。
三重:そうですよね。それに、この時代は、天皇も将軍もあまり力がなか
   ったんじゃないですか?
藤原:おお、いいこと言うねぇ。正にそのとおりだ。そして、ザビエルも
   それを察した。
佳代:それで去っていくことになるわけですね。
藤原:うん、わずか11日で、失意のもと去ることになる。
三重:それで、どこに行ったのですか?
藤原:その当時最も栄えていたところだ。
三重:当時、最も栄えていたところ・・・?えーっと、どこでしょう・・・。
佳代:山口じゃないですか?
藤原:正解。当時、今の山口を支配していたのは、大内氏だ。そこで、布
   教を許可されたザビエルは、かなりの成果を上げたらしい。また、
   近隣の大友氏が支配する、今の大分でも布教を行った。
三重:なるほど、ザビエルって有名な人ですけど、結構日本では苦労した
   のですね。
藤原:そうだね。苦労のしっぱなしだったみたいだよ。約2年で、日本を
   去ることになるけど、やはり、日本にキリスト教を伝えたという功
   績は大きい。ザビエルの後に、たくさんの宣教師が来日し、布教す
   ることになる。
佳代:つまり、扉を開いたということですね。
藤原:そう。何事も、扉を開くという行為は、希望と危険が隣り合わせに
   なっているわけだから、けっして輝きを失うことはない。ザビエル
   は、日本史にとっても、大きな大きな存在といえる。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
□□

・人物名:フランシスコ=ザビエル(スペイン生まれ)
・時 代:室町時代(1506〜1552年)
・性 別:男
・地 位:イエズス会宣教師
・業 績:イグナティウス=ロヨラとともにイエズズ会を作る
・その他:アジア方面の布教に尽力


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 123
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■■
■■ 今回は「織田信長」を勉強します!
■■

三重:佳代、信長って小さいころ、うつけ者って呼ばれていたのね。
佳代:そうよ。
三重:うつけ者って、大バカ者って意味よね。
佳代:そうね・・・。
三重:やっぱり!だから、佳代は、信長が好きなのね。
佳代:コラ、三重!やっぱり、それが言いたかったのね!(怒)
藤原:どうしたの。
三重:あっ、先生、こんばんは。
佳代:先生、三重が、大バカよだから信長が好きなんだろうなんて言うん
   です。
藤原:まあ、いいじゃないか。その大バカよの信長が日本史を変えたのだ
   から。
三重:佳代も歴史を変えるかもしれないよ。
佳代:そんなわけないでしょ。
藤原:それじゃあ、今日は、信長を勉強しよう。
三重:わかりました。
藤原:まず、信長の小さいころだけど、今、言っていたように、うつけ者
   と呼ばれていた。
佳代:それは、頭が悪いということではなく、奇行が多かったいというこ
   とです。
藤原:そのとおりだ。しかも事実かどうかもわからない。どちらにしても、
   少し変わり者だったということは確からしい。
佳代:ドラマなどでは、とんでもない格好をしたり、父の葬式で、大暴れ
   したり奇行が目立ちます。
藤原:まあ、それが信長の斬新性と考えてもいい。今でも、若者のファッ
   ションなどは、大人から見れば何だと思うことも多いからね。
三重:ガングロみたいなものですか?
藤原:うん、質は違うと思うけど、そんなもんだと考えてもいい。先生か
   ら見れば、ガングロの女の子など理解できないからね。
佳代:そんなわけで、うつけ者と呼ばれましたが、それだけ個性が強かっ
   たと理解すればいいわけですね。
藤原:そういうこと。そして、前にも勉強したとおり、信長は衝撃のデビ
   ューを飾っているね。
三重:ハイ、わたしでも知っています。桶狭間の戦いです。
藤原:そうだったね。大大名の今川義元の大軍を撃破した。戦力差は10倍
   以上だった。
佳代:そうですね。前に、天下統一への道(24号)や織田信長の戦い(78号)
   でも勉強しました。
藤原:そう。その辺も、もう一度読んでもらいたいね。それから、今回は、
   前に言った、比叡山延暦寺の焼き討ちについて考えてみよう。
三重:そう言えば、先生、前に誤解しているんじゃないかって言っていま
   したよね。
藤原:そう。テレビなどでは、信長の残虐性ということを強調しているこ
   とが多い。しかし、よく考えてみると、かなり違う。
三重:どう違うのですか?
藤原:信長は、今でいう「改革」を推し進めた人だよね。
三重:ハイ。
藤原:当時の比叡山延暦寺を普通のお寺だと考えるからわからなくなるん
   だ。
三重:といいますと?
藤原:うん、お寺と考えずに、大名と考えてごらん。浅井とか朝倉とか同
   じ次元で。
三重:えーと、よくわかりません。
藤原:無抵抗のお坊さんを殺戮したというのなら、ひどいと思うけど、延
   暦寺も普通の大名と同じように戦力を持っているし、1つの国のよ
   うなものなんだ。もっと言えば、特権をもった団体だと考えていい。
佳代:今で言うと、抵抗勢力ですね。
藤原:うん。既得権を持っているから手放したくないという、今、小泉さ
   んが手を焼いている抵抗勢力のようなものだ。だから、それを排除
   した。別に、信長が殺しが好きなわけじゃないよ。
三重:なるほど。
藤原:それに、比叡山だけでなく、一向宗などとの戦いでは徹底して仏教
   勢力を排除している。そのかわりに、キリスト教を保護したりして
   いる。
佳代:新しい競争相手を入れて、堕落した宗教界をも改革しようとしたと
   言うことですか?
藤原:まあ、そこまで言うと、言い過ぎになるかもしれないけど、そうい
   う要素はあったと思う。ある意味では、日本の宗教改革かもしれな
   い。
三重:さすが信長ですね。
藤原:それに、楽市・楽座を実行し、商業を保護した。
三重:ハイ。前にやりました。
藤原:そうだったね。詳しいことは、24号を読んでね。
佳代:戦いについては、78号です。
藤原:そうだね。是非、もう一度読んでほしい。そして、数々の苦難を乗
   り越え、天下統一寸前になり、劇的な死が訪れる。
佳代:ハイ。本能寺の変です。
藤原:うん。これも、ホームページにたくさんあるから、興味のある人は
   読んでほしい。とにかく、50以上の説がある。
佳代:そうですね。それだけ大きな謎ということです。
藤原:だから、信長の人生を簡単にまとめると、小さいころは「うつけ者」
   と呼ばれるぐらい個性派の人間で、桶狭間で衝撃のメジャーデビュ
   ーを果たし、数々の戦いを勝ち抜いくと同時に「斬新な改革」を断
   行し、達成直前で倒れたという感じだ。
佳代:だから人気があるのですね。
藤原:そう。ヒーローの条件として、劇的な死があげられる。坂本龍馬と
   織田信長が日本史の人気人物で常にトップ争いするのも、その辺に
   理由がありそうだね。
佳代:ホントですね。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:織田信長(おだのぶなが)
・時 代:室町、安土桃山時代(1534〜1582年)
・性 別:男
・業 績:楽市・楽座の断行など

【信長関連年表】
・1534年 尾張国で生まれる
・1551年 織田家の当主となる
・1560年 桶狭間の戦い(今川義元を破る)
・1568年 足利義昭を奉じ入京
・1570年 姉川の戦い(浅井,朝倉を破る)石山戦争開始
・1571年 比叡山延暦寺の焼打ち
・1573年 足利義昭の追放(室町幕府の滅亡)
・1574年 伊勢長島の一向一揆平定
・1575年 長篠の戦い(武田勝頼を破る)越前一向一揆の平定
・1576年 安土城を築く
・1580年 石山戦争終わる(本願寺を屈服させる)
・1582年 天目山の戦い(武田氏を滅亡させる)
・1582年 本能寺の変(明智光秀に殺される)


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 124
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■■
■■ 今回は「豊臣秀吉」を勉強します!
■■

三重:佳代、前回は信長だったから、今回は当然、秀吉をやるんでしょ。
佳代:そうよ。でも、何で、三重は、秀吉が好きなの?信長のほうがいいと
   思うけど。
三重:あくまでもなんとなくよ。理由はないの。
藤原:その理由がないところがいいねぇ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:もしかして、低い身分から一番高い身分へ出世したからじゃないの?
三重:ええ、その辺だと思います。
佳代:三重の歴史の実力みたいね。ここで勉強する前は最低に近かったけど
   今は上位だもんね。
三重:それを言わないでよ。でも、まさか、歴史がこんなにわかるようにな
   るとは思いませんでした。
藤原:確かに、その点は秀吉に似ていると言えなくもないよね。それじゃあ
   はじめよう。
三重:ハイ、お願いします。
藤原:まずは、三重ちゃん、秀吉が小さいころは何と呼ばれていたのかな?
三重:えーっと、日吉丸です。
藤原:正解だ。そして、信長に仕えるようになり、木下藤吉郎を名乗るよう
   になる。
三重:そして、数々の実績をあげ、近江の国の長浜城主になります。
藤原:そうだね。このころは、羽柴秀吉と名乗っていた。何で、羽柴にした
   か知ってる?
三重:いいえ、知りません。
藤原:佳代ちゃんは知っているよね。
佳代:ハイ。信長の有力な家来だった、丹羽長秀と柴田勝家から、一文字ず
   つもらって、羽柴にしました。
藤原:正解だ。これは、低い身分からなりあがった秀吉が、有力家臣にゴマ
   をすってつけたという話もある。どちらにしても、秀吉は、人たらし
   の名人だという評判がある。
佳代:実際、人使いはうまかったんですね。
藤原:そうだね。桁外れにうまかったみたいだ。彼の処世術ともいえる。し
   かし、実力も実績も伴っていたからね。その辺が、口だけの者とは違
   う。
佳代:そして、本能寺の変が起き、信長が殺されます。
藤原:うん、犯人は、ライバルの明智光秀。そして、この明智光秀を山崎の
   戦いで破ったことが天下への第一歩だった。
三重:第二歩があったのですか?
藤原:そう、さっきも言った織田家第一の家臣柴田勝家との戦いがあった。
佳代:賤ヶ岳の戦いですね。
藤原:うん、これもに勝った秀吉は、信長の後継者になる。そして、朝廷か
   ら関白の位をもらう。
佳代:関白といえば、大変高い位ですね。
藤原:そう、人臣の最高位と言っていい。更に、四国や九州、そして、関東
   の小田原を攻め、北条氏を滅ぼす。同時に奥州の伊達政宗を従えるこ
   とによって全国を統一することになるわけだ。
三重:やはり、すごいですね。信長が先発して、秀吉がセーブをあげたとい
   うところですか?
藤原:また、野球の話しかい(笑)、最近多いね。まあ、そんなところだろう。
佳代:秀吉といえば、検地と刀狩が有名です。
藤原:うん、検地は、すでに戦国大名たちが行っていたけど、秀吉がやった
   検地を特に太閤検地という。
三重:もちろん知っています。
藤原:この検地で、全国の田畑のよしあしや収穫高を調べ、年貢を取る基本
   にしたわけだよね。それから、もう一つは、刀狩、この目的は何だっ
   け?
三重:ハイ、農民から武器を取り上げて一揆を起こさないようにするためで
   す。
藤原:そのとおりだ。そして、この検地と刀狩によって、農民は農民、武士
   は武士というように分けたんだ。これを兵農分離と呼んでいる。
佳代:もう、農民は武士になれなくなったのですね。
藤原:そう。秀吉自身は、農民出身だけど、その秀吉が農民が武士になる道
   を断ったのだから皮肉だね。
三重:ホントですね。でも、農民が、農業に専念できるようにしたのも秀吉
   が農民だったからじゃないかと思います。
藤原:ほう、それは面白い意見だね。確かに、耕作に専念できたほうが農民
   にとってもいい。効率を重んじる秀吉の性格が出たのかもしれないね。
佳代:しかし、2度にわたる朝鮮侵略という暴挙に出ました。
藤原:うん、これは、信長時代からあった話だから。でも、これが、豊臣を
   滅亡に追い込む原因の一つとなったね。
三重:そうですね。
藤原:しかし、この時代、武士にしても、商人にしても成り上がり者が多く、
   非常に豪華で新しい文化が生まれた。
三重:桃山文化ですね。
藤原:そう。成り上がり者が多いから派手を好む。しかも、長い戦乱の時代
   の後だったから、その反動もあっただろうしね。
佳代:ホントですね。そう考えると、秀吉は、低い身分から高い身分だけで
   なく、人間の苦難や快楽まで、あらゆるものを味わった人と言えます
   ね。
藤原:そうだね。こんな人は空前絶後だろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:豊臣秀吉(とよとみひでよし)
・時 代:室町時代〜安土桃山時代(1536〜1598年)
・性 別:男
・地 位:関白・太政大臣
・業 績:全国を統一
・その他:検地、刀狩、朝鮮出兵など


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 125
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■■
■■ 今回は「徳川家康」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。徳川家康の本ってすごいねえ。
佳代:ああ、26巻あるやつ?
三重:そうよ。本屋さんでズラっと並んでいるの。あんな長いのって見たこ
   とないよ。
佳代:そうねぇ。さすがにわたしも読んだことないわ。いくら何でも長すぎ
   るから。
藤原:佳代ちゃんでも、26巻は長すぎるかな?
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:買うのも大変だね(笑)
佳代:そうなんです。1万円じゃ買えないから。
藤原:そうだよね。でも、いつかは読んでみるといいよ。
三重:それじゃあ、先生、家康をお願いします。
藤原:わかったよ。今も言ったように、家康について語ったら本当に長くな
   るけど、簡単にいこう。
佳代:そうですね。これまでも何回もやっていますから。
藤原:今回は、生まれたときからいこう。家康は、三河の国の大名の子とし
   て生まれた。
三重:それじゃあ、秀吉なんかよりも、ずっと裕福だったんですね。
藤原:そうだね。でも、大名といっても小大名だから苦労も多かった。
佳代:小さいころは、人質として今川家で過ごしました。
三重:人質?何、それ?
藤原:うん、家康の父は、小さな大名だったから、大きな大名の今川家から
   助けを受けていたんだ。だから、裏切らないように人質として今川家
   に預けられたというわけ。当時は、そういうことがよくあったんだ。
三重:なるほど、保証人みたいなものですね。
藤原:まあね。ああいう時代だから、味方の裏切りが恐いよね。それを防ぐ
   ための証明みたいなものが必要なんだ。しかし、家康にとって、運命
   のときが来る。
三重:何ですか?
藤原:桶狭間の戦いだ。
三重:えっ、桶狭間の戦いって、織田信長じゃないんですか?
藤原:そうだけど、戦ったのは今川義元だろ。
三重:あっ、そうか、家康は負けた今川の方にいたのですね。
藤原:そのとおり、家康も桶狭間の戦いに今川側として参加している。しか
   し、予想外に今川が負けたため、必死に三河の岡崎に戻ることになる
   んだ。
佳代:桶狭間は、信長にとっても運命の戦いであったと同時に家康にとって
   も運命を変えた戦いだったのですね。
藤原:そのとおり。どうしても信長に目が行ってしまうけど、後の歴史を考
   えたら、ここで今川が負けたことが、いかに大きいかわかるだろう。
佳代:本当ですね。当時の家康は、どうということない人物でしたが、その
   後、急展開していくのですね。
藤原:そうだね。今川から逃れ、三河を統一した家康は、今度は信長と同盟
   することで生き延びていく。
三重:家康も苦労したのですね。
藤原:うん、相当な苦労人であることは確かだ。そして、苦難に耐えながら
   も力をつけていくことになる。そこで、また大事件がおきることにな
   る。
佳代:本能寺の変ですか?
藤原:そのとおり。ここで信長が死ぬことにより、天下取りのチャンスが生
   まれるわけだ。
三重:でも、天下を取ったのは秀吉です。
藤原:そうだね。家康がとってもおかしくはなかった。でも、秀吉との直接
   対決である、小牧・長久手の戦いでは、武力では優勢だったけど、政
   治的決着で秀吉が勝利する。
佳代:つまり、総合力で秀吉に負けたということですね。
藤原:そう考えていいだろう。以後、秀吉の下で、また我慢することになる。
佳代:そうですね。そして、関東の北条氏を滅ぼした後、家康は、関東に移
   ることになります。
藤原:うん、それが、江戸になり、東京になり、現在の繁栄の基礎を作るこ
   とになるわけだけど、当時の江戸は、何もないようなところだった。
佳代:秀吉が、遠ざけたということですか?
藤原:まあ、一般的にはそう言われている。北条を滅ぼし、東北の伊達を従
   えた秀吉にとって家康は目障りな存在でしかなかったからね。
佳代:でも、関東に移り力を蓄えました。
藤原:そう。だから、我慢強いってイメージがあるのだろう。実際は、短気
   な人だったらしいけど。
佳代:そして、秀吉の死後、関ケ原に勝利し、天下をほぼ手中にしました。
藤原:長い道のりだったよね。関ケ原については、26号でやったから、ここ
   では省略するよ。
佳代:ハイ。そして、大阪の陣で、豊臣家を滅ぼし、憂いをなくしてから死
   ぬことになります。
藤原:その辺が抜け目のないところだよね。秀吉は天下を統一したけど、そ
   こまでだった。
佳代:そうですね。秀吉が死んだら、また、天下が乱れることになります。
   完全じゃなかったのですね。
藤原:そのとおり。家康は、それがわかっていたから、豊臣家に対し、とど
   めを刺すことを忘れなかった。そして、それを見届けるまで生きたと
   ころが家康の凄みともいえるね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:徳川家康(とくがわいえやす)
・時 代:室町〜江戸時代(1542〜1616年)
・性 別:男
・地 位:征夷大将軍
・業 績:江戸幕府を開く
・その他:幕府の仕組みを整え、天下を磐石にする


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