検証−2 伊賀の乱と長谷川秀一の動きについて  
佳代:先生,伊賀越えは,家康の予定の行動だったけど,必ずしも本能寺の変と関連があるとは限らないという結論を出しましたね

藤原:そうだったね。

佳代:すると,伊賀越えを研究しても,家康が本能寺の変にかかわっていたかどうかを検証することは難しいということですか?

藤原:う〜ん,現段階では難しいだろうけど,まだまだ議論していない部分もあるよ。

佳代:といいますと?

藤原:前の議論で,少し出ていたんだけど,まずは「伊賀の乱」だ。

佳代:伊賀の乱ですか?

藤原:うん,伊賀は,本能寺の変の9ヶ月ぐらい前に,信長によって徹底的に破壊されたんだ。だから,信長に対する恨みは,ただごとではなかったんだ。だから,先生は,実際に本能寺を攻撃したのは伊賀者だと思っていた。

佳代:えっ,光秀じゃないんですか?

藤原:確かに,光秀の部隊は京都に入ったのだけれども,実際,本能寺を攻めるに当たって,1万5千もの大軍は必要としないだろう。そこで,伊賀者中心に攻撃が行われたものと考えていたんだ。

佳代:なるほど,そういうことですか。もし,そうだとしたら,伊賀者は,本能寺の変に深くかかわっていたということになりますね。

藤原:うん,だから,当然,伊賀越えをした家康も深くかかわったいたと考えていたんだ。ところが・・・。

佳代:ところが何ですか?

藤原:掲示板のNo.38にある森田丹波守さんの意見を聞いたとき,推理が根底から崩れたんだ。

佳代:No.38ですか?ちょっと引用してみます。

またこれは笠之助さんが以前に指摘されていましたが伊賀越えの際に家康に味方したのは天正伊賀の乱で信長に味方した者ばかりで「信長を恨む伊賀人が服部半蔵を頼って三河に〜」というのはどうも間違いらしいです。
だから半蔵が如何に話をつけようが危険が無かったわけでは無いみたいですね。

藤原:先生は,この文を読むまでは,伊賀者は,信長を恨んでおり,家康の指示で本能寺の変を引き起こしたと思っていた。もちろん,光秀と密約を結んでね。でも,それで分からなくなってしまったんだ。

佳代:すると,どう考えたらいいのですか?

藤原:やはり,もう一度,この伊賀の乱を研究しなければならないだろう。しかし,もし,信長に味方した伊賀者が,家康に味方したと考えれば,もっと面白い推理になるかもしれない。

佳代:はは〜ん,そうですね。頭が混乱してきましたが,すごいだましあいということですか?

藤原:まあ,そんなところだ。だから,伊賀者とのかかわりを研究すれば,家康とのかかわりも分かるかもしれない。

佳代:なるほど,やはり,伊賀越えを研究することは無駄ではないということですね。

藤原:そういうこと。それから,もう一人重要な人物がいる。

佳代:誰ですか?

藤原:これも,ほんの少しだけ掲示板でも出てきたんだけど,長谷川秀一だ。

佳代:あっ,あの伊賀越えを先導した人物ですね。

藤原:うん,秀一は,信長の小姓でありながら,家康を先導して逃げている。しかも,豊臣時代になって,何と越前東郷の15万石の大名になっているんだ。

佳代:何か変ですね。

藤原:しかも,さしたる戦功は見当たらない。あの黒田官兵衛が13万石ということを考えると,その大きさが分かるだろう。

佳代:本当ですね。あれだけ働いた官兵衛が,たとえ秀吉に恐れられたためとはいえ,13万石ですから,あの実力本位の時代に15万石は,あまりにも不自然です。

藤原:そうなんだ。森蘭丸のライバルといわれた秀一。蘭丸の方は,本能寺の変で信長とともに死んでいるのに,秀一は家康と逃げている。しかも,秀吉からたっぷりご褒美をもらっているということになると,秀一が家康,秀吉の両方とかかわっていた可能性が強い。また,信長の情報も握っていたはずだから,本能寺の変における重要参考人と言えるのじゃないかな。

佳代:なるほど,ますます怪しくなってきました。この人物を調べる必要がありますね。

藤原:そうだね。この人物の動きを正確に把握すれば,真実に近づけるように思う。

佳代:分かりました。それでは,これを検証-2としてみなさんに聞いてみることにします。

というわけで,検証シリーズの第2回として,『伊賀の乱』と『長谷川秀一の動き』について議論いたします。これまでどおり,メールでもいいし,掲示板に書き込んでいただいても結構です。よろしくお願いいたします。
検証−2 のまとめ  
佳代:先生,検証−2は大失敗だったですね。

藤原:そうだね,ごめんよ。先生が余計なことを言っちゃったから。

佳代:いえいえ,そんな・・・。結果は出ませんでしたが勉強にはなりました。

藤原:でも,とりあえず,出た範囲でまとめてみよう。

佳代:ハイ。まずは,天正伊賀の乱ですが。

藤原:うん,これは,伊賀者の派閥がどうなっているかが焦点だったね。

佳代:そうです。私たちは,今まで,伊賀と言えば,家康の部下みたいな印象を持っていましたが,違うみたいですね。

藤原:うん,家康についた伊賀者は,信長に味方したものという指摘も受けた。つまり,信長を死ぬほど恨んでいた伊賀者は,基本的に徳川側ではないということらしい。

佳代:そうすると先生の家康が信長を恨む伊賀者と共謀したという説は成り立たないことになります。

藤原:そうなんだ。まだまだ研究の余地はあると思うけど,結論は出ない。そこで,天正伊賀の乱は,泥沼にはまるので,とりあえず結論が出ぬまま保留ということにしよう。

佳代:保留ですか?

藤原:うん,また,誰かが閃いたり,新しい考えが浮かんだら随時書き込んでもらうことにして,一旦,議論を停止した方がいいと思う。

佳代:分かりました。そうします。

藤原:それから,長谷川秀一の方だけど,こちらも厳しい議論になったね。

佳代:ハイ,私も最初は絶対怪しいやつだと思ったのですが,謎に包まれていて分かりません。

藤原:うん,それに秀一と同じような立場の堀秀政も18万石の知行を得ているという指摘もあった。考えすぎということもある。

佳代:すると,秀一も打ち切りですか?

藤原:そうだね。同じように,新事実を発見したら,あらためて議論する。そのほうがいいんじゃないかな?

佳代:そうですね。よく分からない,調べてもマイナーすぎて調べられない。憶測だけで進んでいくよりも,もっと議論しやすいところから攻めた方がいいと思います。

藤原:まあ,こんなことになっちゃったけど,結論が出ないという結論が出ただけでもいいだろう。

佳代:結論が出ない結論ですか?

藤原:そう,それも立派な結論だよ。つまり,簡単には分からないということだ。簡単に分かることだったらもっともっとクローズアップされているはずだしね。

佳代:それはそうですね。すると,伊賀越えについての議論もこの辺で,一旦終了ということですね。

藤原:そういうこと。でも,さっきも言ったように,閃いたり,新事実をつかんだ場合は,いつでも,再討論していく。それでいいだろう。

佳代:分かりました。読者のみなさん,また,議論に協力していただいた皆さん,申し訳ありませんが,そういうことでご勘弁を。今後,違った切り口で攻めていきたいと思いますので,今後ともよろしくお願いいたします。
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