| 
        下半身の力が抜けてしまい、一人でうまく歩けないリョーマの身体を抱き上げて手塚は自室へと戻った。 
      リョーマをそっとベッドに下ろし、風呂の後始末をするために、もう一度階段を下りてゆくと、パジャマ姿の彩菜にばったりと出会ってしまった。 
      「母さん…まだ起きていたんですか」 
      動揺を悟られないように、いつも通りの口調で手塚が声をかけると、彩菜は「喉が渇いちゃったの」と言いながら冷蔵庫の方へ向かった。 
      そっと安堵の溜息を吐いてから手塚が風呂へ向かう。湯を落とした浴槽を軽く洗い流して手塚が浴室から出てくると、冷蔵庫の前でコップを手にしてニコニコと微笑む彩菜と目が合った。 
      「……なにか?」 
      「ううん。やっぱり越前くんが傍にいる時の国光は優しい顔をしてるから、なんだか嬉しくって」 
      「……そうですか?」 
      「これ、持っていきなさい」 
      テーブルの上にあるトレーにのった二つのマグカップを指さして、彩菜がまた微笑む。 
      「ココアですか…ありがとうございます。あいつが喜びそうだ…」 
      礼を言った後で呟くように付け足された手塚の言葉に、彩菜の微笑みが一層深くなる。 
      「…まだまだ寒いわね……二人とも暖かくして寝なさいね。お休み」 
      「…おやすみなさい」 
      寝室へ戻ってゆく彩菜の後ろ姿を見送って、手塚はそっと溜息をつく。 
      (あの人は……もしかしたら、俺たちのことを……) 
      そう考えてから、手塚は小さく苦笑する。 
      (いや、それは俺の身勝手な願望だ…) 
      手塚は冷蔵庫から「水分補給用」にスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、もう一方の手でトレーを持って二階へと上がっていった。
 
  手塚が部屋に戻るとベッドで待っているはずのリョーマが微かに寝息を立てて眠ってしまっていて、手塚はその寝顔の愛らしさに柔らかく微笑んだ。 
      トレーとペットボトルをテーブルに置くと、手塚はリョーマの傍に腰掛け、まだ湿り気を残す髪を優しく梳いてやる。 
      「リョーマ…このまま寝るのか?」 
      「………」 
      返事のないリョーマに手塚は微笑みながら溜息をつく。 
      「…そういえばまだ渡してなかったな…」 
      手塚は机の横に置いておいた小さな紙袋を持ってきてテーブルの上に置く。 
      湯気の立ち上るマグカップとリョーマのために用意したチョコレートの入った紙袋を見つめて、手塚は少しの間どうしたものかと考え込んだ。 
      しかし、もう一度リョーマの寝顔を見た手塚は、リョーマを起こすという選択肢をあっさり捨てた。 
      (チョコレートは明日でいいだろう……ココアも冷めてしまうが仕方がない) 
      ココアにゴミが入らないよう簡単な覆いを施してから、ペットボトルだけは目が覚めたらすぐ飲めるようにベッドサイドに置いておくことにする。 
      リョーマを起こさないようにそっと布団と毛布を捲り、リョーマの上に掛けてやる。 
      (本格的に寝てしまったようだな) 
      何をしても目を覚まさないリョーマの顔を覗き込んで、手塚はまた瞳を和らげる。そして諦めたように小さな溜息をひとつつくと、ベッドサイドのライトをつけて部屋の明かりを落とした。 
      なるべくベッドを揺らさないようにリョーマの隣に身体を滑り込ませ、その柔らかな頬にそっと口づける。 
      「ん……くにみつ…?」 
      手塚は内心「しまった」と思いながら、それでもリョーマが目を覚ましてくれて、少しだけ嬉しく思っている自分に苦笑する。 
      「すまない、起こしてしまったな」 
      「ううん、…ごめん、オレ、寝てた…」 
      「ああ、いいんだ、そのまま………喉は渇いていないか?」 
      「んー…渇いた…」 
      手塚は身体を起こすとベッドサイドのペットボトルを手にとった。 
      「飲むか?」 
      「ん…」 
      ゆっくりと瞬きを繰り返しながら気怠げに身体を起こすリョーマに、手塚はペットボトルの封を切ってから手渡してやる。 
      「ありがと」 
      コクコクと小さな音を立てて渇きを癒し終えると、「くにみつは?」と言ってリョーマが手塚に飲みかけのペットボトルを差し出した。頷いて受け取り、手塚も喉を潤す。 
      「…今夜はもう寝るか」 
      「うん」 
      ベッドに潜り込んだリョーマは、すでに眠りの国へと落ちかけている。 
      手塚は中身を少しだけ残したペットボトルをベッドサイドに置き、ライトを消した。 
      「お休み、リョーマ」 
      「おやすみ…くにみつ…」 
      手塚がリョーマの隣に滑り込むと、リョーマが嬉しそうに微笑みながら身体をすり寄せてくる。 
      「チョコ……明日渡すから……ね」 
      「ああ。だが『バレンタインの甘いもの』は、ちゃんと受け取ったから安心しろ」 
      「んー…」 
      手塚の言葉を理解する前に、リョーマは吸い込まれるように眠りに落ちていった。 
      リョーマの寝息を首筋のあたりに感じながら手塚もゆっくりと目を閉じる。 
      触れあったところから伝わってくる穏やかなリョーマの鼓動が自分の鼓動とひとつになってゆく錯覚を感じて、手塚はこの上ないほどの幸福感に包まれた。 
      明日の予定をあれこれ考えようとしたが、暖かなリョーマの身体がひどく心地よくて、手塚もすぐに眠りへと引き込まれていく。 
      そっと細い身体を胸に抱き込むと、リョーマのすべてを奪い尽くしている時とは違う、穏やかな想いが手塚の中に満ちてくる。 
      (愛している…) 
      二年前の偶然に、そして今この腕の中にある大切な大切な愛しい存在と出逢えたことに、手塚は心から感謝した。
  そうして手塚は、ゆっくりと深い眠りへ落ちてゆく。 
      朝になって目覚めた時、一番最初に相手を見つめることができる幸せを思いながら………
 
 
 
  
      
       THE
      END  
      2004.2.20 
     |