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         「ねえねえ、越前くん、今日ってヒマ?」 
「え?」 
放課後、部活に向かおうとするリョーマを昇降口で捕まえて、同じクラスの女子生徒が唐突に言った。 
「ヒマじゃないよ。部活あるし」 
「部活のあとの話よ」 
素っ気なく断ろうとするリョーマの行く手を塞ぎながら、その女子生徒は意味ありげな微笑みを浮かべた。 
「何人かで集まって七夕パーティーやろうってことになっているの。桜乃も来るから、越前くんも来るでしょう?」 
「…………なんで?」 
「なんで……って……」 
不思議そうに訊ねるリョーマに、女子生徒が苦笑した。 
「越前くんと桜乃って付き合っているんでしょ?」 
「なにそれ。べつに付き合ってないけど」 
きょとんと目を丸くするリョーマの顔を覗き込みながら、その女子生徒はにじり寄ってきた。 
「隠さなくてもいいじゃない。もう公認よ。この間だって一緒に駅前を歩いていたの、みんなで見たんだから」 
「駅前………ああ、そういえば…」 
先週部活のない日に、未だにラケットのメンテナンスの知識がないに等しい桜乃に頼まれて、帰り道だからと一緒にスポーツ用品店に行ったことを思い出した。 
「…確かに付き合ったことにはなるか…」 
「ほら、やっぱり!」 
「は?」 
女子生徒は腰に手を当てて、勝ち誇ったようにふんぞり返った。 
「じゃ、今日の午後7時半、三丁目の『チビ橋』のところの土手に集合ね!遅れないでね!じゃあ、部活頑張ってね〜」 
「え?ちょっ、あのっ」 
言いたいことだけを言うと、その女子生徒はさっさと階段を上がっていってしまった。 
すると、すぐにその階段の上の方から数人の女子生徒たちが「やった」とか「成功!」と騒ぐ声が聞こえてくる。 
リョーマは溜息をついてから、ふと気づいた。 
「………三丁目の、土手?」 
チビ橋と呼ばれる小さな橋とは少し離れているが、今日は『三丁目の土手』で手塚と逢う約束になっていた。 
「まあいっか」 
とにかく今は早く部活に出たくて、リョーマはその女子生徒を追いかけてきちんと断ろうとしなかった。 
だが、この時その場で断らなかったことを、リョーマは後にほんの少しだけ後悔することになる。 
         
         
         
        
         
         
         
         
関東大会連覇を目指し、リョーマはもちろん、青学男子テニス部は今、連日ハードな練習を行っている。特にレギュラー陣は、学校で決められている部活動の完
全終了時刻ギリギリまでメニューをこなし、自身を磨き上げていた。 
毎日毎日クタクタになるまで練習に没頭しているリョーマは、なかなか手塚に逢う時間が作れない。手塚は手塚で、インターハイに向けて練習がきつくなり、ま
た、手塚の性分もあって学業も完璧にこなそうとするため、リョーマとゆっくり過ごす時間を作れないでいるらしかった。 
それでも一昨日の土曜日は午後から久しぶりにゆっくり逢うこともできた。 
そして、その時に約束したのだ。昨年と同じ日に、同じところで天の川を見よう、と。 
「レギュラーはAコートに集合!」 
竜崎の鋭い号令がかかり、リョーマは思考を切り替える。 
「悪いが、これからちょっと個人的な用があって今日は帰らせてもらう。だが、その代わりに、この後の時間の特別コーチを呼んでおいた。大石!」 
「はい」 
「大石先輩!」 
竜崎に呼ばれて現れた大石の姿に、レギュラーたちはざわめいた。 
「お久しぶりっス、大石先輩!」 
「元気そうだな、桃」 
ニッコリと爽やかに笑う笑顔は中等部にいた頃とちっとも変わらない。少し変わったと言えば、少々髪と背が伸びたくらいか。 
「今は大会前の大事な時期だからな。一日でも指導する者がいない状況は良くないと思って、無理を言って大石に来てもらったんだ」 
「本当は手塚にも一緒に来てもらいたかったけど、手塚はすでにレギュラー入りしていて、練習が忙しくて来られなかったんだ。残念がっていたよ、すごく」 
「手塚部長はもうレギュラー入りっスか!?」 
大石の言葉にリョーマ以外のレギュラーたちは驚きつつも納得する。 
誇らしげに頷くと、大石は顔を引き締めた。 
「昨年経験しているとはいえ、関東大会、そして全国大会は、一筋縄ではいかない相手ばかりだ。全員気を引き締めて練習していこう!」 
「ういっス!!」 
レギュラー全員が気迫のこもった返事を返す。その様子を見た竜崎は大きく頷くと「じゃあ頼んだよ」と言い残してコートを出て行った。 
早速大石流の練習が開始され、リョーマたちはまるで初心に返ったような新鮮な気持ちになった。 
「なんか楽しそうだな、越前」 
桃城が瞳を輝かせながらリョーマに話しかけてくる。 
「桃先輩こそ」 
「ああ、なんつーか、時間が戻ったみてぇだなと思って」 
「そっスね」 
二人は個性的な元レギュラーたちを思い浮かべた。 
心配性だがみんなへの信頼と友情の篤かった大石、天才と呼ばれいろいろな意味で恐れられていた不二、いつも元気に飛び回っていた菊丸、データを元に冷静に
熱く戦った乾、人一倍優しいがラケットを持つとパワフルに豹変する意外性を持った河村、そして、その全員の中心に、圧倒的で絶対的な実力と存在感を持つ手
塚がいた。 
「でも俺たちは去年よりも強くなっている。そうだろ?越前」 
「当然!」 
「お前の背も、ちっとは伸びたしな」 
ニヤッと笑う桃城に、リョーマはフンと鼻で笑うと「相変わらず桃先輩はオレに勝てないけどね」と反撃した。 
         
         
         
「よーし、10分休憩!」 
大石の声で一旦練習が止まり、それぞれが休憩に入る。 
「越前」 
水飲み場で顔を洗っていたリョーマに、大石が声をかけてきた。 
「大石先輩」 
「また強くなったな、越前。高等部から、合同練習の話が出ているらしいけど、知っているか?」 
「え、いえ…」 
本当は手塚から話を聞いて知っているが、まだ竜崎の口から聞いていないため、リョーマは知らないフリをする。 
「一緒に練習できたら楽しいな。きっと手塚も喜ぶだろうし。……そう言えば越前」 
「はい?」 
大石の微笑みが深くなったので、リョーマは怪訝そうに大石を見上げた。 
「今日知ったんだけど、ついに桜乃ちゃんとつきあい始めたんだって?」 
「……………………はぁ!?」 
リョーマは盛大に驚いて、持っていたタオルを落としそうになった。 
「越前の噂は、高等部にまで聞こえてくるんだよ。高等部に上がってもお前のファンの女子がいるらしいからな」 
「はぁ………でも、そのウワサは違うっスよ」 
「まあ照れるな。すでに公認なんだろう?よかったな、うんうん」 
まるでリョーマの言葉を聞こうとしない大石に溜息をつくと、リョーマはふと訊いてみたいことを口にした。 
「手塚先輩は……そのウワサ、知っているんスか?」 
「ああ、一緒にいる時にその話を聞かされたから、知っているよ」 
「で、なんて言ってました?」 
大石はきょとんとリョーマを見ると、ちょっと考え込んだ。 
「そう言えば変なこと呟いていたな………また七夕の試練か、とか何とか…」 
リョーマは思いきりプッと吹き出した。 
「な、なんだよ越前、そんなにおかしなこと言ったか?」 
「いえ、なんでもないっス」 
小さく肩を揺らしながら、リョーマは「じゃ」と言ってコートに戻ってゆく。残された大石はポカンと口を開けたまま、しばらくそこに立っていた。 
         
         
         
「ありがとうございました!」 
練習が終わり、大石と挨拶を交わすと部員たちはコートの整備を開始した。 
「大石先輩、この後どっかで高等部のテニス部の話、聞かせてくださいよ!」 
「うん?ついでに俺におごらせる気か?桃は相変わらずだな」 
「違うっスよ!なあ、越前、お前も一緒に来ないか?」 
部室に向かうところを呼び止められたリョーマは、肩越しに二人を振り返った。 
「…今日は約束があるんで。すみません」 
「ちぇー、付き合い悪いぞ、越前」 
「いいじゃないか、桃。越前はきっと彼女とデートなんだろう。なあ、越前?」 
「彼女???」 
驚く桃城を尻目に、リョーマは小さく溜息をつく。 
「…………失礼しまーす」 
大石相手に本気で訂正するつもりもなく、リョーマはとにかく早く手塚との約束の場所に行きたくて、テキパキと着替え始める。 
「ねえ、リョーマくんも七夕パーティー呼ばれたんでしょう?行くよね?」 
横で着替え始めたカチローがリョーマに小声で訊ねてきた。 
「行かない」 
「え?そうなの?なんで?」 
視線すら向けずにきっぱりと答えるリョーマに、カチローは目を見開いて聞き返した。 
「先約があるから。…行くんだったらみんなに言っといてくれない?」 
「ダメだよ、自分で言わなきゃ!」 
両手の拳を握りしめて真っ直ぐ見つめてくるカチローに、何か必死なものを感じたリョーマは、短い沈黙の後で溜息を吐いた。 
「他に一緒に行く人、いないの?」 
カチローは曖昧に頷くと縋るような瞳をリョーマに向ける。 
「カツオくんは家族で食事に行くからダメだって。堀尾くんは元から呼ばれるわけないし……他は、知っているけどあんまり話したことがないから…」 
「………で、オレに一緒に行って欲しいわけ?」 
カクカクと、今度ははっきり何度も頷くカチローに、リョーマはもう一度溜息を吐いた。 
「そんなに行きづらいなら行かなきゃいいんじゃない?」 
「行きたいんだよ、すごく!………その……ずっと気になっている子も来るって言うから……」 
「…………」 
リョーマは顔には出さなかったが内心驚いていた。男らしいという言葉と遠くかけ離れたカチローの口から、その手の話題が出るとは思っていなかったのだ。 
黙ったままシャツのボタンを止め終わると、リョーマはカチローの方へ向き直る。 
「…リョーマくん……やっぱり、だめ……?」 
小動物のようなつぶらな瞳で見つめてくるカチローを見て、リョーマは小さく溜息をついた。今日はよく溜息の出る日だなと、ちょっとそんなことを思いなが
ら。 
「…じゃあ、最初だけ一緒にいるよ。でも途中で抜けるから、その時は協力して」 
「え、いいの?うん、わかった、協力するよ!」 
ホッとしたように満面の笑みを浮かべるカチローに、リョーマも小さく微笑み返す。 
(くにみつにはメールを入れて遅れるって連絡しておこう…) 
「じゃ、ちょっとなんか食べない?…ああ、大石先輩と桃先輩におごってもらおうか」 
「ええーっ!?そ、それはちょっと…」 
リョーマの言葉に慌てて手と首を横に振るカチローに、リョーマは怪訝そうな顔をする。 
「まだ外にいるみたいだから、いいんじゃない、べつに」 
「あ、待ってよ、リョーマくん…!」 
「桃先パーイ、さっきの話、やっぱ行きマース!」 
「リョーマくん!!!」 
スタスタと行ってしまったリョーマを追いかけて、カチローも大慌てでバッグを掴むと部室から飛び出していった。 
         
         
         
         
        
          
         
         
         
        
         
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