屋 上


<1>


翌日、朝練に参加したリョーマは、手塚の前でいつもの自分を必死に演じた。
昨日のことなどすっかり忘れてしまったかのように、ただ飄々とボールを追う。
手塚も、いつものように厳しい瞳を部員たちに向け、時折、短く的確にアドバイスを送る。
そんな手塚を見て、小さく心を痛めながら、リョーマは視線を桃城の方へと向けた。すると、桃城もじっとリョーマを見つめていたらしく、バッチリと目が合ってしまった。
「う」
思わず眉を顰めるリョーマを見て、桃城は何か面白いものを見つけたかのように瞳を輝かせた。
「越前」
表情を緩ませて、桃城が近づいてくる。
「………なんスか?」
素っ気なく言い捨てても、桃城の瞳の輝きは変わらない。
「ちょっとは俺に興味持ち始めたか?」
「は?」
「お前の顔に書いてあるぜ?『桃先輩と仲良くなりた〜い』ってな」
「なにそれ」
ぷいっとそっぽを向くが、その視線の先に桃城は無理矢理入り込んでくる。
「俺は結構本気だぜ?お前の出方次第で、お前が知りたいことを教えてやってもいい」
「………」
ギロリと桃城を睨みつけると、桃城は肩を竦め、だが、ニヤリと笑った。
「いいねぇ、その目。……まあ、そう警戒すんなよ。悪いようにはしねぇから」
「………今日…」
「え……?」
リョーマはひとつ溜息を吐き、一度外した視線を、もう一度ゆっくりと桃城に戻した。
「今日、一緒に帰りません?桃先輩」
「…え?」
「帰る方向一緒でしょ?途中まで桃先輩の自転車の後ろ、乗っけてくれませんか?」
上目遣いになるように顎を引き、じっと桃城を見つめてみる。
「………」
「……桃先輩?」
「ぁ……お、おぅ!いいぜ、乗っけてやるよ」
暫し呆けていた桃城は、ハッと我に返り、コクコクと頷いた。
「約束っスよ?」
「ああ」
桃城の頬が紅い。それに気づいていないかのように視線を逸らし、小さく一礼してから、リョーマはその場を離れた。











昼休みは屋上には行かなかった。
桃城とのことは報告する気はなかったし、何より、今手塚と会って、またキスのようなことをしてしまったら、今度こそ冷静でいられなくなる気がした。
手塚は自分のことを『仕事上のパートナー』としてだけ見てくれている。昨日一日リョーマに付き合い、終いには恋人ごっこにまで付き合ってくれたのだって、『取引』をしたからだ。
(オレが役に立つことをすれば、また部長に褒めてもらえるんだ)
だからもっともっと情報を手にして、手塚の役に立つ。そうしたらまた『コイビトみたいにデート』をしてくれるのだ。
初めは『青龍』に会えるだけでもいいと思っていた。それなのに、パートナーとして一緒に仕事ができることになった。そして、少しずつではあるが、手塚は自分のことを認めてくれるようになってきた。
自分が頑張れば頑張った分だけ、手塚の近くに行ける気がする。
だから。
(もっと頑張って、いつか、青龍の最高のパートナーになるんだ!)
昨日のことで、自分の中の手塚への想いが恋愛感情であることは充分にわかった。
だが手塚は恋愛関係にはなれないと、はっきり言っていた。
それでもいい、とリョーマは思う。
(オレがアンタを好きだってだけでいいんだ)
なぜならそれだけは、確かな、変わらぬ『真実』だから。
放課後の練習が終わり、コート整備をしながらそんなことを考えていたリョーマの傍らに、ごく自然に手塚がやってきた。
「…残るか?」
部室で、今日も、『今日の報告をするのか』と手塚は訊いている。
昼休みに会わなかった理由を訊くわけでもなく、いや、気にもとめていないかもしれないけれど。
「今日は特に何もないっス」
「え…」
手塚が小さく、驚いたような声を出した。
リョーマが見上げると、その瞳も僅かに見開いている。
「ぁ、なんかオレに用、ありました?」
「…いや…」
手塚はふと我に帰ったように口籠ってから小さく息を吐き、眼鏡をスッと押し上げて位置を直してからくるりと背を向けた。
そのまま無言で立ち去る手塚と入れ替わるようにして桃城がやってくる。
「越前、片付け終わったら速攻着替えろよ?今日は初デートの記念に駅前でなんかおごってやるからさ」
「マジっスか」
手塚の足が一瞬止まるのを視界の隅で捉えながら、リョーマは続ける。
「今、マックで期間限定の出てましたよね、アレがいいっス」
「単品にしろよ?セットは高ぇからな」
「ケチ。記念って言ったくせに」
「お前が俺のモンになるって言うならセットでもフルコースでも、何でもおごってやるぜ?」
自分たちの周辺には人はいない。手塚以外は。
(聞こえたよね…部長…)
おそらくは桃城も、手塚が近くにいることを知っていて、わざと、声を潜めることもなくリョーマを口説いている。
(したたか、ってヤツ?)
改めて、リョーマは桃城武という男の神経の図太さに呆れる。
おそらくは桃城のもとにも手塚の情報は回っているはずなのに、リョーマを手中に収めようとしていることを隠すどころか、むしろ手塚を挑発して出方を窺っているとしか思えない態度だ。
(ま、ヒトのコト言えない、か)
自分も堂々と手塚の前で、桃城に口説かれてやっているのだから。
(あとで怒られるのかな……それとも…)
昨日、手塚は身体を使った仕事などするなと言った。
だが、「そういう方法」を否定しないとも言った。
つまり、手塚が自分に「そんな仕事をする必要はない」と言ったのは、自分がまだ未熟だからなのではないかとリョーマは思う。
昨夜、もう一度風呂に入る時に鏡で自分の身体を観察したが、どう見ても『色気』などは微塵も感じられなかった。だからそんな自分が色仕掛けなど出来るはずもないのだ、と。
(でもさ、誰だって『最初』ってのがあるモンでしょ)
確かに自分はそんな仕事どころか、この仕事自体「初任務」なのだから、はっきり言って未熟だ。第一線で活躍している手塚に比べたら、素人に毛が生えた程度のものだろう。
(だから、『学習』するんだし)
桃城武なら、『初めて』の相手に選んで、たとえ失敗したとしても、おそらくは命に関わるような事態にはならない。
これはただの『カン』ではあるが、こういったカンは、リョーマは外さない。
(それに、まあ、今日いきなりってことにはならないし)
そこまで自分を安売りしたりはしない。
限界まで焦らして焦らして、最後の最後で、どうしても必要なら、そしてその情報にそれだけの価値があるならば、この身体を差し出してもいい。
もし自分がいつか手塚と恋愛関係になれる可能性があるなら、手塚のために、死んでもこの身体を清いまま守り抜く。
だがその必要はないのだと昨日知ってしまったから、清いままでいることにもう未練はない。
「じゃ、とりあえず今日は単品で」
「あいよ」
ニカッと輝くような笑みを浮かべてから、桃城は徐にリョーマの肩に腕を回して抱き寄せてきた。
「ちょっ……桃先輩…」
「お前……小悪魔なんだか健気なんだかわかんねぇヤツだな」
「は?」
囁くように耳元でそう言われ、リョーマは小さく目を見開く。
「んじゃ、先に着替えてっから」
ポン、と軽く頭を叩かれ、リョーマはムッと口を引き結んでから「ういーっス」と間延びした返事をした。
そうして、リョーマが振り返った時には、手塚の姿はもうそこにはなかった。










その日以来、リョーマは桃城と一緒に行動することが多くなった。
どんどん積極的に押してくるだろうというリョーマの予想はあっさりと外され、桃城はあくまで先輩と後輩、そしてひとりのライバルとしてリョーマに接してきた。
時には冗談まじりに学校生活のことやテレビのバラエティ番組の話をし、そして時には真剣な表情でテニスの話をする桃城に、リョーマは少しずつ好感を持ち始めた。
逆に手塚と二人きりで会う時間は減り、必然的に、唇で触れ合う機会もなくなった。
それでも部活の間は、不自然にならない範囲で、リョーマの瞳は手塚を追った。時間が許す限り、手塚を見つめ続けた。
だが手塚の瞳は、コートの外にいるリョーマを映しはしなかった。コートにいる時だけ、手塚は視線を向けてくれた。
青学テニス部部長、手塚国光として。
(でもやっぱ、アンタに触れたいよ…)
すべてを手塚の目に晒したあの日から、もうずいぶん時間が経った。
だからきっと自分は大丈夫、とリョーマは思う。
きっと手塚に触れても、さほど取り乱さずにいられるはずだ、と。
(今日は、部長を屋上に誘って…)
朝練がもうすぐ終わるという頃、逸る心を抑えてリョーマが視線を走らせて手塚を探すと、朝日を背に受けて、手にしたバインダーからちょうど顔を上げる手塚と目が合った。
「ぁ…」
リョーマが走り寄ろうとする前に、手塚がこちらに近づいてきた。
(え…?)
「昼、屋上に」
すれ違い様、それだけを言って手塚が遠ざかる。
「ういっス」
緩みそうになる顔を必死に引き締めながら、リョーマは小さく、きっぱりと返事をする。
(以心伝心!………なんてね)
キャップを深く被り直し、堪えようとしてもどうしても綻んでしまう口元を隠す。
(話するの、十日ぶりくらいかな……)
リョーマが顔を上げると、優しい風が一瞬走り抜け、木々の葉が朝日を受けて煌めいた。
(キラキラだ…)
世界が眩しいのは、澄んだ朝日に照らされているせいだけじゃない。
「全員集合」
号令が掛かり、部員たちが一斉に中央コートへ向けて駆け出した。





長い長い午前中の授業が終わり、四時間目終了のチャイムと同時に、リョーマは弁当を引っ掴んで教室を飛び出した。
いつもは、あまり生徒が使わない西側の階段を最上階まで昇ってから屋上へと続く中央階段を上がるのだが、今日は最初から屋上まで繋がる中央階段を駆け上がった。
途中、誰かに名前を呼ばれた気がしたが、今は律儀に立ち止まる気分じゃない。
早く早く。
早く手塚に会いたい。
今はまだ特に報告するようなこともないけれど、「ない」とだけ報告すればいい。
唇を合わせて。
ゆっくりゆっくり、勿体ぶって。
細かく細かく説明して。
少しだけならしがみついてもいいだろうか。
(部長…)
何ヶ月も手塚に触れていないような気分だった。
たとえその触れ合いが、恋愛感情を伴わないとしても構わない。
ただただ、今は、手塚の体温を、少しでも長く、出来る限り近くで感じたいとリョーマは思う。
屋上へ繋がるドアの前で一度深呼吸してから、リョーマはゆっくりとノブを回す。
暗い空間が一気に明るく照らし出され、リョーマも目が眩んで一瞬立ち竦む。
「……部長…?」
ドアから顔をのぞかせ、そっと声を掛けてから足を踏み出す。
「早かったな」
屋上の隅の、いつもの場所でグラウンドを眺めていた手塚がリョーマに気づき、身体ごとリョーマの方へ向き直る。
「部長も早かったっスね」
「四時間目が自習だったんだ。課題のプリントもすぐに終わったから、チャイムが鳴る前にここに来ていた」
「ふーん」
ほんの少しだけ息を乱してリョーマが手塚の方へ歩み寄ると、手塚の表情が、一瞬だけ和らいだ。
「…そんなに急いで来たのか?」
「え?」
「いや…」
手塚は小さく溜め息を吐くと、眼鏡の位置を直して、視線をグラウンドに戻した。
「………あの……部長……報告…」
「ああ……先に昼飯にしよう」
「ぁ、ういっス」
本音を言えば早く『報告』もしたかったが、腹が減っているのもまた事実なので、ここはありがたく先に食事にありつかせてもらうことにする。
「あ、部長も弁当?」
「ああ、今日はここで食べるつもりだったからな」
「ふーん…」
(なんか今日の部長、いつもと違う…)
手摺に背を預けるようにして二人並んで座り、それぞれ弁当を広げる。
中身を確認して、さあどれから箸をつけようかと思案していると、手塚の小さな溜息が聞こえてしまい、リョーマはほんの少し顔を強張らせた。
「あの、やっぱ、報告先にした方がいいっスか?」
「……何か急ぎで報告したいことでもあるのか?」
「え?いや、べつに大したことは……ぁ」
リョーマはハッとした。
大した報告はないと言ってしまっては、もう手塚に伝える内容がなくなってしまう。
そうなったら、手塚に触れるどころか、ここに居る意味さえ、ない。
(マズった……)
リョーマが絶望的な気分になっていると、その横で手塚がまた小さく溜息を零した。
「そうか。報告がないなら、先に昼飯でいいだろう」
「ぁ……はぁ……」
(あれ?)
特に手塚は立ち去る様子もなく、広げた弁当を黙々と食べ始めた。
(あぁ、もしかして、部長の方から何か話があるのかも)
ひとまずここに座っていられることに安堵し、リョーマも卵焼きを口に運ぶ。
「うまっ」
あまりの美味しさに思わず声に出してそう言ったリョーマに、手塚がふと視線を向けてきた。
「卵焼きが好物なのか?」
「好きっス。スクランブルより、こうやって巻いてあるヤツの方が」
「和風の方が好きなのか」
「洋食より和食派っス。焼き魚とか、すっごい好きで」
「意外だな」
「そっスか?部長はどっち派?」
「和食だ」
「やっぱそっスよね!」
他愛もない会話をしつつ、リョーマは内心感動していた。
こんな時間を、ずっと、手塚と一緒に過ごしたいと思っていたからだ。
そしてそれと同時に、やはり、妙な不安感もこみ上げてくる。
(なんで、今日はそんな……)
「あの……もうすぐ試合っスね」
とりあえず、さりげない話題で手塚の様子を窺う。
「ああ」
「結構大事な試合なんスか?」
「全国大会への第一歩だからな。気は抜けない」
「…そっスね」
そこで会話は途切れ、沈黙が流れる。
グラウンドの方からは、昼休みを満喫する生徒たちの声が風に乗って舞い上がってくる。
「………越前」
「はい?」
ふと箸を止めて、手塚はリョーマを見ずに言った。
「襟のマイクは外した」
「え……」
リョーマの手も、ピクリと痙攣を起こしたように揺れて、止まった。
「そ……っスか……」
「だからもう、仕事の報告は、普通に話せばいい」
「………はい」
自分の方に手塚の視線が向いてないことを承知で、リョーマは小さく頷いた。
そうやって、リョーマは自分に納得させようとしたのだ。
(そっか……じゃあ、もう、そう簡単にはキスなんか出来ないな…)
もう二度とキスが出来ないとは思わない。なぜなら、手柄を立てれば、手塚と「コイビトみたいなデート」が出来るからだ。
(頑張って手柄立てなきゃな)
小さく苦笑して再び弁当をつつき始める自分に、手塚の視線がチラリと向けられたのがリョーマにはわかった。
「?」
口に運んだ箸を銜えたままリョーマが手塚に視線を向けると、手塚は一瞬何かを言いかけ、口籠り、終いには「いや」とだけ言って視線を外した。
「……何かオレに言いたいことあるんじゃないっスか?」
「…」
「今日の部長、なんかヘン」
そう言ってリョーマが手塚をじっと見つめると、一瞬だけジロリと睨まれた。
「オレとは馴れ合わないんじゃなかったんスか?」
「………俺だってたまには人間らしい息抜きがしたくなるんだ」
「え……なんかあったんスか?」
リョーマが身体ごと手塚の方を向いてその顔を覗き込むと、手塚は一瞬気まずそうな顔をしてから、小さく溜息を吐いた。
「………学園側に、近々何か動きがあるかもしれない。先を越された」
「え…」
「学園側がどんな情報を掴んで、どんな動きを見せるのかはわからない。ただ、こちら側がろくに進展していないことに、少し、焦りを感じている」
「部長…」
リョーマは大きく目を見開いて手塚を見つめた。
言葉は出て来なかった。
手塚が話したことへの驚きと、それ以上の大きな大きな感動のために。
(部長が……青龍が……オレに、心の中を見せてくれるなんて…っ)
嬉しくて嬉しくて。
手塚が自分のことを、その鉄壁の護りで固められたテリトリー内に少しだけ招き入れてくれたようで、あまりの喜びに感激して瞳が潤んできた。
だからリョーマは、宣言する。
「だ……っ」
潤む大きな瞳で、手塚を真っ直ぐ見つめて。
「大丈夫っス!オレが、オレが、ちゃんと探りを入れてきますから!」
「え…?」
手塚が怪訝そうにリョーマを見つめ返す。
「オレに任せてくれませんか、部長。学園側が何を掴んで、何をしようとしているのか、オレが調べます」
「越前…」
「大丈夫っス」
もう一度そう言って、リョーマはニッコリと笑ってみせた。
「オレはアンタのために仕事をする。だから、たとえヘマしても、アンタの足を引っ張るようなことはしないから、大丈夫っス」
「?……どういう意味だ?」
「アンタはただ待っていてくれればいい、ってコトっス」
手塚の眉が、きつく引き寄せられる。
「…何をする気だ?」
「べつに。ただの『情報収集』っスよ?」
その手段については、絶対に手塚には言えないけれど。
「そのかわり」
リョーマは『いつもの自分』であることを証明するかのように、少し意識して、生意気に微笑んでみせる。
「ちゃんと仕事できたら、またご褒美、くださいね」
手塚の瞳が、小さく見開かれる。
「コイビトみたいにデートのフルコース、で」
「…フルコース?」
「そっスよ。ちゃんと最後のデザートまで…あ、食後のコーヒーまで、かな?」
少し冗談めかしてそう言ってみたものの、手塚の表情があまりに変わらなくて、リョーマは内心動揺し始める。
(ヤバイ、調子に乗りすぎた…)
だが手塚は小さく溜め息を吐いたあとで、意外な言葉を発した。
「わかった。ちゃんと仕事をしたら、家に泊まりに来い」
「え?」
一瞬、手塚の言葉の意味を理解しかねて、リョーマはパチパチと瞬きを繰り返した。
「……なんだ?お前の家の方がいいのか?まさかホテルがいいなどとは言うなよ?」
「ぁ………え、いや、あの……部長の…家が、いいっス…」
顔色ひとつ変えずに手塚は頷き、また黙々と弁当を食べ始める。
(え……マジで……?)
自分で言っておきながら、リョーマはコトの重大さに今更気づいた。
(ちょっと待って、フルコースって…マジで、オレのこと、相手にしてくれるって、コト?)
先日、ベッドで手塚にされたことが一気にすべて甦ってきて、リョーマは思い切り赤面した。
(またあんな……いや、今度は、もっと……)
ドキドキと、次第に加速する鼓動の振動が全身に広がってゆく。
あの時手塚から与えられた快楽に蕩けてしまった自分の身体が、さらに強い快感を得たらどうなってしまうのだろうか。
乱れて乱れて、醜態を晒してしまったら。
「どうかしたか、越前?」
箸を握りしめたまま硬直しているリョーマを不審に思ったのか、手塚がリョーマの顔を覗き込んでくる。
「な、んでも、ないっス…」
顔を背けようとしたが、肩をそっと掴まれて手塚の方を向かされた。
「ゃ……オレ今、絶対ヘンな顔してるから…っ」
それでも覗き込まれて、リョーマは仕方なく、頬の熱を冷ます術を知らないまま、手塚に視線を向けた。
「……」
だがリョーマと視線が合った途端、今度は手塚は黙り込んでしまった。
「ぁ、の………ぶちょ……?」
「越前……そんなに俺のことが好きか?」
「え……」
「こんな俺の、どこがそんなに好きなんだ」
「ぁ…」
ほとんどカラになっていた二人の弁当箱が、それぞれ小さく音を立てて、下に落ちた。
「ん……」
リョーマの身体を鉄柵に押し付けるようにして、手塚が口づけてきた。
深く深く、口内を手塚の舌で撫でられ、縮こまるリョーマの舌は熱く絡めとられる。
(これは……キス、だ……)
リョーマが手塚の背に腕を回そうとすると、口づけたまま強く手塚の方へ引き寄せられ、身体が撓るほどきつく抱き締められた。
「ん……ぅ…」
長く、情熱的な口づけだった。
あまりの気持ちよさに、リョーマはうっとりと目を閉じたまま開くことが出来ない。
身体からはすっかり力が抜け、手塚が抱き締めてくれていなかったら、崩れ落ちてしまうだろう。
(どうして……)
恋愛関係にはなれないと、はっきり言われた。
たとえ身体を繋げる行為をしたとしても。それが数回、いや、一生続く関係だったとしても、心だけは繋げるつもりはないのだと、手塚の口から、そう聞かされた。
なのに。
(気持ち…いい……)
今まで何度も唇を触れ合わせた。
それはキスとは呼べないものだとは知っているが、この触れ合いは、今までのものとは、熱量も、レベルも、次元も、本当に何もかもがまるで違う。
言葉を伝え合っているわけでもないのに、手塚国光という男を、より雄弁に、豊かに、深く、伝えてくる気がする。
(でも、この人は、このキスは、違う。勘違いしちゃ、ダメだ…)
やがて昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り始め、二人はようやく唇を離した。
「えちぜ…」
「…アリガト、部長」
手塚の言葉を遮って、リョーマは礼を言った。手塚の言葉を、今は、聞きたくなかった。
「前払いでこんな気持ちいいキスしてくれてさ。オレ、絶対役に立つ情報集めてくるから」
「……」
「ホントはちょっといろいろ迷ってたんだけど、今のキスで、覚悟が出来た感じ」
「覚悟…?」
リョーマはニッコリ笑って、落とした弁当を手早く掻き集めてゆっくり立ち上がった。
「ちゃんと、このキスの分の働きはするよ」
「越前…」
「あー、じゃなかった、今してくれたキスの分より、もっともっと、イイ仕事するから。待ってて」
「どうやって探るつもりだ」
手塚が、何かに気づいたかのように眉を顰めて問うてくる。
「ナイショ」
「まさか、お前…」
「もうオレ、教室戻んないと!じゃね、部長!」
「越前!」
呼び止める手塚の声を無視して、リョーマは屋上を後にした。
(……どんな情報を引き出せばいいか、これではっきりしたんだ。そろそろ、仕掛けよう…)
階段を駆け下りながら、リョーマはきつく唇を噛む。
(大丈夫。オレは、大丈夫)
手塚のためなら何だってやれる。どんなことだって耐えられる。
他にいい方法がないからではなく、一番効率のいい方法を自ら選んで、情報を得るだけのことだ。
(オレだって、プロだ)
生半可な覚悟でこんな仕事になど就かない。
ただ、他のエージェントと少し違うところがあるとするなら、それは、リョーマが忠誠を誓うのは、『組織』ではなく『青龍』であるということだ。
この先正式に手塚のいる組織に所属するとして、だが、たとえ組織からの命令でも、嫌なことはイヤだと断るつもりでいる。それだけは父親と同意見で、「やりたい仕事だけする」のではなく、「やりたくない仕事はしない」のだ。
この微妙なこだわりに関してだけは、父は正しいと思っている。
それだけ、『エージェントとしての自分』を安売りしないということでもある。
だがリョーマは、手塚からの命令ならば、万が一「やりたくない」と思うことでも、自分はあっさりと引き受けるだろうと思う。
それだけ手塚を信頼しているし、手塚が必要としてくれるならば、どんなことでも完璧にこなしてみせるだけの自信もある。
(部長が、オレを必要としてくれるなら、何だってできるよ)
そう、それが、自分の心と身体を傷つけることになるとしても。







※かなり時間があいて申し訳ありませんでした※


TO BE CONTINUED...

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20100702