
深い絆

エピローグ
数日後、夏休みは終わり、青学テニス部三年は完全に引退となった。
新たな部長に桃城、副部長には海堂が選出され、新生青学テニス部がスタートを切る。
「今日の練習はここまで!解散!」
「ありがとうございました!」
少し緊張気味の桃城の声が響き、新学期最初のテニス部の練習が終わった。
コート整備に取りかかる同級生たちに混ざってリョーマもコートブラシを手に取る。
「綺麗な空…」
心なしか夏休み中よりも幾分高くなった空を見上げて、リョーマは一人呟いた。
あれから夏休みが終わるまで、ほぼ毎日手塚と逢っていた。
主に手塚の部屋へ行くことが多かったが、以前行った公営のテニスコートへ行ったり、街に出掛けたりもした。泊まりがけで手塚の家に行った時は、必ず明け方まで繋いだ身体を互いに離さなかった。
それまであったことが嘘だったと思えるほど、二人はどこにでもいる恋人たちのように、二人の甘い時間を過ごした。
今日も金曜日とあって、リョーマは手塚の家に泊まりにいくことを約束している。土曜の部活は顧問の竜崎の都合で休みになると聞いて、明日から泊まりにいくことにしていた手塚との約束をすぐに今日に繰り上げた。
(早く終わらせて着替えなきゃ)
茜色に染まり始めた空をもう一度見遣ってから、リョーマはキビキビと整備に取りかかった。
着替えを終えて部室を出たリョーマは、手塚と待ち合わせている公園へと急いだ。
「あれ、越前?」
道路を挟んで反対側にある公園へ行くために横断歩道で信号待ちをしていると、自転車のブレーキ音とともに背後から声がかかった。
リョーマは内心「しまった」と思ったが、顔には出さない。
「桃先輩、お疲れッした。早いっスね、部長なのに」
いつも手塚は遅くまで残って部室やコートで日誌を書いていた。チラリと覗いたその紙面にはきっちりと細かく内容が記されていて、これでは時間がかかるのは無理もないと思ったものだ。
たぶん桃城は、あれほど事細かには書いていないのだろう。
「久しぶりにマック寄っていくか?」
「いや、いいっス」
満面笑顔の桃城の誘いを断るのは気が引けたが、桃城と手塚どちらを選ぶのかと訊かれて、リョーマが迷うはずもなかった。
「最近付き合い悪いな、越前」
「そっスか?」
しれっと答えると桃城は盛大に溜息を吐いた。
「…そのくせミョーに色っぽくなっちまったし……」
「え?なんスか?」
「いーや、なんでもねぇよ。じゃ、駅まで後ろ乗ってくか?」
「いや………いいっス」
「あ?」
リョーマの答えに桃城が怪訝そうな顔をする。
「なんで?」
「………べつに」
これから手塚と逢うのだと、桃城には気づかれたくなかった。
リョーマが口籠もっていると、何かに気づいたらしい桃城が「そういうことか」と呟き、もう一度溜息を吐いた。
「ま、俺としちゃあ、あんまり認めたくないことだけどよ、でも、お前が幸せそうならいいや」
「え…?」
今度はリョーマが怪訝そうに眉を寄せると、桃城はいつもの太陽のような笑顔を見せた。
「お前が入部してきた頃は『こいつは誰とも馴れ合わねぇヤツなんだろう』って思ったのにさ、お前もずいぶん変わったよな」
「はぁ……」
「一人で突っ走るのも悪くはねぇけどさ、仲間って、結構いいモンだろ?」
リョーマは小さく目を見開いてから、ふっと微笑んだ。
「………そっスね」
以前の自分だったなら、そんなふうには考えなかっただろうと思う。
仲間など必要ないと思っていた。
自分の力だけで、自分の思うように前に進めばいいと思っていた。
だが、それだけでは出来ないことがあった。
仲間というものがもたらしてくれる、大きな力。
誰かのためにと思う心が生み出す奇蹟。
何よりも、仲間と過ごす日々は、ずっと孤独だったリョーマにとって、新鮮で、斬新で、かけがえのないものになった。
自分は、この青学に来て、変わったのだ。
(青学に来たからってだけじゃない……国光に…出逢ったからだ…)
頑なだったリョーマの心を力ずくでこじ開け、暴き、だがそのすべてを優しく包み込み、力強く抱き締めてくれた。
手塚がいなければ、こんなふうに、仲間との絆を築くことは出来ていなかっただろう。
「やっぱ、すごい人っスね、手塚部長は……」
「かなわねぇな……かなわねぇよ……」
溜息混じりに言う桃城は、しかし、落ち込んでいる気配はない。
「でも、いつか、あの人を越えるぜ。目標ってのは、高ければ高いほどいいモンだろ?」
「そっスね」
どこか不敵に笑う桃城を見て、リョーマも同じように笑ってみせる。
手塚は自分の恋人ではあるが、だからといって、このまま負けっ放しなのは嫌だった。
未だに自分は未完成だからと練習を続ける手塚に追いつき、そして追い越すのは並大抵の努力では叶わないだろう。
だがいつか必ず、コートの上で手塚から勝利をもぎ取ってみせる。
それがリョーマにとって、最も身近で、最も高い目標。
「じゃ、桃先輩、オレはあっちに行くんで、お疲れッした」
青に変わった信号をチラリと見遣り、リョーマは桃城に向かって小さく微笑んだ。
「ああ、じゃな」
桃城が軽く右手を挙げてからリョーマに背を向けて自転車を漕ぎ始める。その桃城の背中を少しの間見送ってから、リョーマは横断歩道を渡って手塚の待つ公園へと駆け出した。
「国光!」
公園を駆け抜けたリョーマは、すぐにいつものベンチに手塚の姿を見つけた。手にしていた数学の参考書らしき本から視線を上げ、手塚が微笑む。
「待たせてごめん」
「いや、俺もここに来てそれほど経ってない」
参考書を鞄にしまうと、手塚は静かに立ち上がった。
「行くか」
「ういっス」
並んで歩き出しながら、リョーマは手塚をチラリと見上げ、嬉しそうに頬を染めて微笑む。そんなリョーマを見下ろし、手塚も柔らかく微笑んだ。
人の多い街中に出れば手を繋ぐことは出来ないが、二人は公園の中でだけ、そっと手を繋ぎ合う。
「……アンタに出逢えてよかった」
「なんだ、急に」
「うん……なんか、本当にそう思うから……」
「………それは俺の台詞だ。お前に逢えて、本当に良かった」
二人はどちらからともなく足を止め、見つめ合った。
「オレは、アンタに出逢って、いろんなコトを教えてもらった。アンタに出逢わなかったら、今頃オレは、ただのつまらないガキのままだった」
「オレは、お前に出逢えて、テニスを失わずにすんだ。故障を治し、再び全力でテニスと向かい合う勇気をくれたのはお前だ」
「テニスだけ?」
リョーマが上目遣いで見上げると、手塚はふわりと微笑んだ。
「テニスだけじゃない。もっと……人間として大切なものを、教えてもらったな」
「大切なもの?」
「たった一人を、愛するということ」
穏やかに、だがしっかりとした口調で言われ、リョーマは頬を真っ赤に染める。
「そんなこと……面と向かってよく言えるね」
「お前にはもう何も隠さない。だから俺の本心を言ったまでだ」
「国光……」
「…………」
じっと見上げてくるリョーマの瞳を見つめ返していた手塚は、徐にリョーマの手を引いて公園の歩道から外れ、木々の生い茂る奥へと歩き出した。
「く…国光?」
足を止めた手塚が優しくリョーマの身体を太い木の幹に押しつける。
「家まで保たない。少しだけ、お前を感じさせてくれ」
「こんなとこ……誰かに……」
「キスだけだ……」
耳元に唇を寄せながらそう囁くと、手塚はそっとリョーマの唇を甘噛みする。
「ぁ……」
薄く開いたリョーマの唇の隙間に少しだけ強引に舌を滑り込ませ、手塚の甘く深い口づけが始まる。
「ん……んっ、ん」
手塚の熱い舌に口内を撫でられ、舌を絡め取られるとリョーマの身体からは一気に力が抜けてゆく。
「ぁ…っ、あ、は……んんっ」
縋りついてくるリョーマの身体を優しく離し、手塚が甘い吐息を吐く。
「……余計に収まりがつかなくなりそうだ」
「…でも、ここじゃ、ヤだよ」
荒くなってしまった呼吸に紛れてリョーマがそう言うと、手塚は小さく苦笑した。
「ああ。お前を潤すものも、ゴムも何もないからな……家までお互いに我慢するしかないな」
「ゴムなんて……」
毎回溢れ出すほど胎内を熱い精液で満たしてくれる手塚なのに、意外な単語をその口から聞いてリョーマは不思議そうに首を傾げる。
「お前を抱くようになって、最初の頃は使っていたんだぞ。お前の中に痕跡を残して、三日以内に気づいてもらえなければアウトだったからな…」
「ぁ……」
ハタと、リョーマは思い出した。
中に出されたと思ったのに翌朝には何も残っていなかったことが何度もあった。あの時、手塚はそんな気遣いをしていたのだ。
「国光……」
「最後にしようと思ってお前の中に出した時に、お前は泣き出してしまっただろう。あの涙は俺もつらかった…」
「だって、あれは相手がアンタだとは思わなかったから…っ!」
「じゃあ今は?」
「え?」
手塚の瞳に艶めいた色を見つけてリョーマは頬を染める。
「今は、嫌じゃないか?お前の中を俺のでいっぱいにしても……?」
「………イヤなわけ、ないじゃん…」
「リョーマ…」
「国光ならいいんだ。アンタなら、何されたって…オレは……」
すべてを言葉にせず、リョーマはそっと手塚に身体を寄せる。そのリョーマの身体を、手塚はしっかりと抱き締めた。
「もう二度とあんな涙は流させない。お前の心にも身体にも、傷は付けない。お前のすべては、俺が護る」
「アンタこそ……ずっとつらかったんだよね。もうそんな思いはさせないから。アンタがアンタでいられるように、オレもアンタを護るよ」
「リョーマ…」
「大好き…国光……」
二人は互いの身体を強く強く抱き締め合った。
どちらか片方が強く乞うのではなく、二人がともに相手を想い、乞い求めてゆく。
そうして相手を真に愛することが出来た時、二人の心は何事にも揺るがぬ強い絆で結ばれるのだ。あの指輪が二人の想いに反応して『恋人たちの鎖』となり得たように。
そのことを、手塚とリョーマは、身を以て知った。
あの指輪が、教えてくれた。
呪術師とともにその存在はなくなってしまったけれど、あの美しい指輪は、違う形で、二人の心に在り続ける。
手塚とリョーマの心を永遠に繋ぐ、誰も断ち切ることの出来ない鎖となって。
完
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20060802
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