  ハッピーエンド
  
 
  
      
  凄まじい光が退いていった後には、文字通り、何も残ってはいなかった。 
      だが手塚は光が消え去った場所をじっと見つめたまま、動かなかった。 
      「手塚?」 
      不二が遠慮がちに声をかけたが、手塚は不二とは違う方向に目を向けた。 
      「……本当に、あいつともう一度逢えるのか?」 
      静かな手塚の言葉は、光る糸でがんじがらめにされて俯く男の横へ、手塚にしか見えていない黒髪の青年へと向けられている。 
      『俺がそんな嘘を言っても、何もメリットはないと思うが?』 
      無表情のまま機械的に告げる青年の言葉に、手塚は小さく眉を寄せて俯いた。 
      手塚にしかその姿が見えていない黒髪の青年は、名を、龍影という。ソウマの先輩分であり、指導教官的な立場にある『天使』だ。 
      『……今度の日曜に再会できるようセットするつもりだが。何か希望はあるか?』 
      「え?」 
      手塚は驚いて顔を上げた。 
      「今度の、日曜?」 
      「日曜って、すぐじゃないか、手塚」 
      珍しく不二が声を弾ませる。 
      手塚は驚きに見開いていた瞳を和らげると、龍影に向かって小さく微笑んだ。 
      「ありがとう。あいつと逢えるのなら、他に何も言うことはない。あいつが生きてこの世界にいてくれることが嬉しい。そしてもう一度逢えるなら、俺は……」 
      想いが膨らんで、手塚は口を噤んだ。 
      生きていてくれて、もう一度逢えると言うだけで、胸が一杯になってしまったのだ。 
      『…わかった』 
      龍影は静かに頷いて、ひとつ、溜息のような吐息を漏らした。 
      『ただ、セットはするが、本当に逢えるかは、君次第だ、国光』 
      「え?」 
      手塚が龍影を訝しげに見つめた。 
      『今から、君たちの記憶の書き換えを行わなければならない。だから国光、君が先程リョーマと約束を交わした時の記憶は、以前君とリョーマとが二人で見た《夢の続き》と言うことになる』 
      「夢の、続き…」 
      龍影は頷いた。 
      『問題は君がその夢を、本気で信じられるか、ということだ』 
      「………」 
      『君の周りから、過去の越前リョーマが現れたという証拠は一切消去させてもらう。だが、あの《夢》は別物だ。残しておいても《現実世界》に支障はない』 
      手塚はグッと両手を握り締めた。 
      「構わない。俺はあいつの言葉を必ず信じるはずだ。今まで夢にだって一度も現れなかったあいつが、俺の前に現れて残す言葉なんだ。この一連の記憶がなくとも、必ず、俺は、あいつの言葉を信じる自信がある」 
      揺るぎない瞳が、冷たい黒曜石を見据えた。ふわりと、一瞬だけ、その黒曜石に温かな光が浮かぶ。 
      『わかった。ならば、まずは眠るんだ。一晩眠って、目覚めた朝は、日曜になるようにセットする。……俺にしてやれることは、それくらいだ』 
      手塚は大きく目を見開き、そして柔らかく微笑んだ。 
      「ありがとう。君の名を、訊いてもいいか?」 
      『……龍影』 
      「そうか…龍影、というのか……ありがとう。手間を、かける」 
      『俺の仕事だ。気にしなくていい』 
      微かに視線を逸らして答える龍影に、手塚は笑みを深くした。 
      『不二、君の記憶は書き換えるのが困難なようだが……万が一、この一連の記憶を取り戻したとしても、そのことは、君の胸にだけ秘めておいて欲しい』 
      「それは構わないけど……なぜ僕の記憶は『書き換えるのが困難』なんだい?」 
      姿は見えないが声は聞こえるので、その声のする方へ、不二は視線を向ける。 
      『不二の祖先は、シャーマンの流れを受け継いでいる。シャーマンは、人間と、我々《天使》との間に立つ特殊な種族だ。我々の力が、完全に効力を発揮できるとは考えにくい。君と、君の姉は、このシャーマンの血が、とても濃く現れているように感じる』 
      「ソウマくんが越前にちょっと話していたらしい僕の『血筋』のことって、そのことだったんだね」 
      『あいつも気づいていたのか……少しはレベルが上がってきたか……』 
      機械的な受け答えしかしなかった龍影が思わず零したらしい言葉に、どこか温かみのようなものを感じて、不二と手塚は顔を見合わせて笑みを零した。 
      「龍影、ひとつ訊きたいことがあるんだけど、いいかな」 
      『なんだ?』 
      零した笑みをそのままに話しかけてきた不二を、龍影は訝しげに眉を寄せながら見つめる。もちろん、不二にはそんな龍影の表情は見えないが。 
      「ソウマくんが君を呼び出す『最終手段』って、なんだったのかなと思って」 
      『…………答える義務はないと思うが?』 
      「確かに君に答える義務はないけど、僕には聴く『権利』があるんじゃない?どうしてすぐにソウマくんがその『手段』を使わなかったのか不思議でね。もっと早く君を呼び出せていたら、コトは早く済んだんじゃないかって思ったから」 
      『…………』 
      複雑な表情を浮かべた龍影を見て、手塚が不二を制する。 
      「…よせ、不二。彼らのプライベートなことかもしれない」 
      「そうだね。今聴かせてもらえたとしても、たぶん、記憶はなくなっちゃうんだろうし」 
      龍影はじっと不二を見つめてから小さく溜息を吐いた。 
      『…俺の唯一と言っていい弱点を、ソウマは知っている。それだけだ』 
      「弱点?」 
      目を丸くする不二の横で、手塚は小さく微笑んで頷いた。 
      「なるほどな。だがそれは君にとって、最も大きな心の力にもなるんじゃないのか?、龍影」 
      冷たい黒曜石が、瞬間、大きく見開かれて手塚を見つめた。 
      『………さすが俺の片割れ、か…』 
      「え?」 
      『いや……』 
      龍影は一度目を閉じて深く息を吐いた。再び開いた瞳は、柔らかな黒曜石。 
      『そろそろ始めたいんだが、いいか?、国光、不二』 
      「ああ」 
      「いいよ」 
      龍影は光る糸を持つ手ごと両手を組み合わせ、小さく何かを呟き始めた。
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
  「どうした、ソウマ?」 
      「……べつに」 
      ソウマと龍影は、久しぶりに与えられた「休暇」を、物質的世界である人間界と、自分たちの属する精神的世界との狭間で過ごしている。 
      肉体を持たない分、空腹感や身体の疲労感はないが、精神力が疲弊して能力が弱まることがあるため、各自好きなように自分の空間を持ち、「休暇」の際にはそこで精神力を蓄えることになっていた。 
      ソウマと龍影はペアの扱いをされることが多いため、「休暇」も一緒に、同時期に与えられる。それでも、一緒にいるようには強制されていないはずのソウマが龍影とひとつところにいるのは、ソウマ曰く、「自分の空間を作るのが面倒くさいから」らしい。 
      だが龍影もそれについて何も言わないことからも、案外二人でいる時間を気に入っているのではないかと、ソウマは推測している。 
      「また越前リョーマのことを考えているのか?」 
      「………べつに」 
      人間界と精神世界の狭間にあるこの空間は、人間たちが見る「夢」の空間とよく似ている。周り中が紗のかかったようなほわりとした視界の中、自分たちの傍だけは、やけにはっきりと壁やら床やら、そこに置かれたテーブルやイス、ベッドなどがその存在感を主張している。まるでそこだけ人間界にいるように。 
      壁には窓があり、その窓枠に頬杖をついて、ソウマはボンヤリと紗のかかった風景を眺めている。この狭間の世界に着いてからずっと、そんな調子のソウマに、龍影は何度目かの溜息をついた。 
      「もう彼にはお前の姿は見えないはずだ。逢いたいなら、そっと様子をに行けばいい」 
      「べつに、逢いたいとかは…思ってない。あのあとすぐ…ちょっと見に行ったし……」 
      龍影は内心「結局行ったのか」と思ったが口には出さなかった。 
      「龍影」 
      「ん?」 
      「……………いや、なんでもない……」 
      そう言ってソウマは深い溜息を吐いた。 
      龍影は小さく眉を寄せると、くつろいでいたイスから立ち上がり、ソウマの傍らに立った。 
      「疲れているのか?」 
      「………」 
      ソウマはゆっくりと龍影を振り仰いだ。 
      「…様子を……見に行った時、その、リョーマと手塚が……」 
      そこまで言った途端、ソウマは頬を真っ赤に染めて俯いてしまった。 
      「?」 
      訝しげに眉をきつく寄せる龍影をチラリと見遣り、ソウマは少し考えてからいきなり立ち上がった。 
      「龍影…」 
      「!」 
      ソウマはギュッと、龍影にしがみついた。 
      「……こうすると、気持ち、いいのかな…」 
      「…………」 
      龍影の胸に顔を埋めて、ソウマは小さく吐息を零す。 
      「あ……気持ち、いいかも。龍影は、どう………」 
      言いながら龍影を振り仰いだソウマは、大きく目を見開いた。何か、信じられないものを、見た気がした。 
      「りゅう……?」 
      いつもは冷たく静かな黒曜石が、今は柔らかに、だが奥で熱い何かを揺らめかせながらソウマを見つめている。 
      龍影の手が、優しくソウマの髪を撫でる。 
      「あ………」 
      狭間の世界にいるせいで、互いの身体も人間に近い状態になっている。龍影の手の優しい感触と、触れあう身体に伝わる温かな体温を感じ、ソウマはうっとりと瞳を閉じた。 
      「……リョーマと、国光が、何をしていた、と…?」 
      「え………」 
      ゆっくりと開いたソウマの瞳に、龍影の美しい黒曜石が間近で揺らめくのが見えた。 
      「たとえば……こんなこと、か……?」 
      龍影の唇がソウマの唇にそっと触れた。 
      「うん………もっと、深く、触れあってた……」 
      「………こう、か?」 
      再び触れてきた龍影の唇が、ソウマの唇に深く重なってくる。 
      「ん……」 
      「……それから?」 
      「ベッドで……」 
      龍影はソウマを抱き上げるとベッドにそっと下ろした。 
      「…ここで…二人は…何をしていた?」 
      覆い被さるようにして身体を重ねてくる龍影を、潤む瞳で見上げて、ソウマはゆっくりと瞬きをした。 
      「……………わかんない」 
      「…………なに?」 
      「ベッドに倒れ込んだところまでしか見てないから、わかんない」 
      「…………」 
      頬を染めて瞳を揺らしながら素直にそう言ったソウマを、龍影は暫くじっと見つめてから深い溜息を吐いた。 
      「…龍影…?」 
      何も言わずに身体を起こした龍影の腕を、ソウマがそっと掴んだ。 
      「ごめん、あの、オレ……その…、…龍影は知ってるの?この後どうするのか…?」 
      「…………」 
      龍影はベッドの端に腰掛け、前髪を掻き上げた。 
      「…知らないのならやめておけ。…お前といると、俺はどうも『人間的』な行動をとりたくなって困る」 
      ソウマは瞳を大きく見開いてから、そっと伏せた。 
      「………ごめん…困らせるつもりは……ないんだけど……」 
      背を向けるように横を向いて丸まってしまったソウマにチラリと視線を向けてから、龍影はまた小さく溜息を吐いた。 
      「まったく………」 
      龍影はベッドを軋ませて、またソウマの上に覆い被さった。 
      「お前の行動を迷惑に感じているならば、今頃とっくにお前との接触は断ち切っている。俺がそういう性分だと言うことはお前も知っているだろう?」 
      ソウマはチラリと龍影に視線を向けて小さく頷いた。 
      ソウマが知る龍影は、自分たちを統率する存在にも一目置かれ、自分よりも遙かに優れた能力を持ち、常に冷静で物事を客観的に捉え、『仕事』に関しては一切私情を持ち込まないような『完璧な《天使》』だった。また、仕事以外では他人を寄せ付けず、ソウマと出逢うまではこの空間には誰も近づけないほど頑なに『独り』でいようとしていたらしい。 
      そんな、自分とは別次元にいるような龍影がこうして同じ空間にいることを許してくれるだけでも、自分が龍影にとって『特別』であることはソウマにもわかる。 
      だが、どう『特別』なのかは、ソウマにはまだよくわからなかった。 
      「…こっちを向け、ソウマ」 
      静かな龍影の声音に、ソウマはゆっくりと仰向けになった。だが視線は伏せたまま。 
      「…人間のように、お前も『言葉』の誓いが欲しいのか?」 
      「え?」 
      不思議そうに視線を向けてきたソウマを、龍影は真っ直ぐ見つめた。 
      「…以前、お前だけに許した『言葉』だけではわからないらしいからな。もう一つ、お前だけにこの『言葉』を許す」 
      「え……」 
      人間界で言う『言霊』は、彼らの精神世界ではさらに強力な呪文となって効力を発する。そのため、精神世界では強い想いを込められた『言葉』は使い方によっては魂自体を揺るがすような武器にもなるのだ。だから、特定の相手に許す『言葉』は、とてつもなく大きな意味がある。 
      以前、ソウマが龍影に対して使うことを許された『言葉』は、いつ、どこにいても龍影の心に響き、何を置いても龍影はソウマの元に現れてくれた。だが、そうであるからこそ、龍影は最後までその『言葉』を使うことをソウマに禁じている。いわゆる、『最終手段』としてその『言葉』を口にしろ、と。 
      それだけでも嬉しかったソウマに、龍影はさらにもう一つの『言葉』を与えてくれるというのだ。 
      ソウマの瞳が喜びに輝く。 
      「お前に許す、もう一つの『言葉』は……」 
      龍影はソウマの耳元に唇をよせ、そっと囁いた。 
      ソウマの瞳が大きく見開かれる。 
      「………いいの?そんな……」 
      「その代わり、お前からも同じ『言葉』をもらう。俺がこの『言葉』を使った時は、必ずその『言葉』通りにしろ。いいな?」 
      「うん。龍影に、オレの『言葉』をあげるよ」 
      「………」 
      龍影はそっとソウマに口づけた。 
      「ずっと…俺の傍にいろ」 
      「……うん。龍影の言う通りにする…」 
      「……お前も、こういう時に、さっき与えた『言葉』を使うんだ」 
      ソウマはニッコリ微笑むと『言葉』を口にした。 
      「《傍にいて》」 
      「ああ……お前の望むままに……」 
      滅多に見せてくれない柔らかな龍影の微笑みに、ソウマも頬を染めて極上の笑みを浮かべた。 
      「……龍影……さっきの続きを……オレに教えて……」 
      「……泣くなよ?」 
      「大丈夫。龍影が好きだから、どんなコトしてもいいよ……」 
      龍影が吐息混じりにソウマの耳元で囁く。 
      「今の、その『言質』はもらったぞ……」 
      「うん…」 
      再び重なってくる龍影の唇を、ソウマは微笑みながら受け止めた。受け止めながら、ソウマはリョーマが手塚に抱き締められた時に浮かべた微笑みを思い出した。 
      (オレも……あんなふうな、幸せそうな顔、してるのかな……) 
      喜びに包まれたソウマの穏やかな思考は、すぐに、魂の奥まで触れてくるような龍影の熱に、形を成さなくなった。
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
  助手席のドアを開けて、手塚は微笑んだ。 
      「着いたぞ」 
      「…オレを連れて行きたい場所って…ここだったんだ…」 
      ゆっくりと降り立った細い身体を、手塚は大事そうに抱き上げた。 
      「歩けるよ」 
      「いいから。ここには誰も来ない」 
      「うん…」 
      頬を染めてリョーマは手塚の首に腕を回した。 
      「変わってないね、このコート」 
      「ああ」 
      手塚はふと、デジャヴを覚えて立ち止まった。 
      「…国光?」 
      「……いや、前にもお前とこの道を通って車に乗ったような気がして……気のせいだな」 
      リョーマは小さく目を見開いてから、俯き加減に微笑んだ。 
      「………ずっと、夢なら見ていたよ。国光と、ここでテニスする夢」 
      「………そうか」 
      「うん」 
      また歩き出す手塚に合わせるように、リョーマは手塚の首筋に顔を埋める。 
      「また……できるようになるかな……テニス…」 
      「できるさ。専属のコーチも、ここに居るぞ」 
      そう言いながら額に口づけられ、リョーマはクスッと笑った。 
      「専属、か。いいね、それ」 
      「テニスだけじゃない。お前の傍に、ずっとついていてやる」 
      「え?」 
      コートの入り口で足を止め、手塚はコートを見つめたまま言う。 
      「一緒に暮らそう。リョーマ」 
      「…っ」 
      「もう離れたくないんだ」 
      手塚はぎゅうっと、リョーマの身体を抱き締める。 
      コートの向こう側の高架を、電車が轟音と共に走り抜けていった。 
      「………下ろして、国光」 
      「……」 
      手塚はハッとしたように顔を上げ、小さく眉を寄せながらリョーマの身体をそっと下ろした。 
      自分の足で立ったリョーマは、ゆっくりとコートのフェンス際まで歩き、そうして手塚を振り返った。 
      手塚はじっと、リョーマだけを見つめている。 
      「…まだ当分は、オレ、寝てばっかりだよ?」 
      「ああ」 
      「食事の用意とかも、ろくにできないよ?掃除も、洗濯も」 
      「そんなことは俺がやる」 
      リョーマは小さく微笑んだ。 
      「…これがラストチャンスだよ?本当に、オレでいいの?」 
      「お前以外はいらない。お前が傍にいてくれるだけで、俺にも生きる意味が生まれる」 
      「キザだね……10年前と変わんないね」 
      「変わったぞ」 
      「え?」 
      リョーマは微かに目を見開いた。 
      「10年前なら一緒に暮らそうなどとは言えなかった。どんなにそう願っていても、まだ子どもだったからな。だが今は違う。今、俺は一人の男として、自分の力で、お前を幸せにしてやりたいと思っている」 
      「くに……っ」 
      ゆっくりと歩み寄って、手塚がリョーマの目の前に立つ。 
      「俺と一緒に暮らして欲しい。一生、傍にいてくれ」 
      じっと手塚を見上げていたリョーマの瞳が、大きく揺らいだ。 
      「…ありがと……よろしく、お願いしますっ!」 
      涙を堪えるようにそう言って頭を上げたリョーマを、手塚はそっと抱き寄せる。 
      「幸せになろう、リョーマ。二人で。……失くした10年分を、これから取り返そう」 
      「うん…っ」 
      リョーマもギュッと手塚を抱き締め返す。 
      そうして、二人は互いを抱き締めあったまま暫く動かなかった。
  この高架下のコートで、二人はまた新たな一歩を踏み出した。
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
  「ん……」 
      自分の声にリョーマはゆっくりと覚醒した。 
      「…起きたか」 
      「え……国光……あれ?……あ」 
      なぜ自分は手塚と共にベッドにいるのだろうと思い、すぐ鮮明に蘇った記憶に、リョーマは頬を真っ赤に染めた。 
      「あ……う……オレ、寝てた…?」 
      多少狼狽えながらリョーマが部屋を見回すと窓の外はもうすでに沈みかけた夕陽の色に染まっていた。 
      「寝ていたというか……すまない、加減ができなかった」 
      「あ……いや、その………べつに……」 
      「…大丈夫か?」 
      心配そうに手塚に覗き込まれて、リョーマはまた頬を染め直した。 
      「だ……大丈夫っス」 
      「リョーマ」 
      名を呼ばれて手塚に視線を向けると、チュッと、額に口づけられた。 
      「……アンタは、寝てないの?」 
      「ああ。ずっとお前を見ていた」 
      「………っ」 
      言葉を失くすリョーマを、手塚は大事そうに抱き締めた。 
      「やっと俺のものになったんだと……嬉しくて眠れなかった…」 
      「国光……」 
      リョーマもそっと手塚の背に腕を回した。 
      「オレも嬉しいっス……やっと、アンタとひとつになれて……」 
      「リョーマ…」 
      堪らなくなったように手塚はリョーマに口づける。リョーマは頬を熱くしたまま、素直に手塚を迎え入れた。 
      艶めいた水音が部屋に響き、二人はゆっくりと唇を離す。 
      「ずっとこうしていたい気分だ…」 
      「…すっごいシアワセ?」 
      「ああ」 
      手塚は微笑んで触れるだけの口づけをリョーマに贈る。 
      「オレも」 
      リョーマも自ら唇を寄せて手塚に口づける。 
      離れてゆくリョーマの唇を追いかけるように手塚が深く口づけてくる。 
      甘く舌を絡め合ってからそっと唇を離し、見つめ合い、二人は額をすり寄せて目を閉じた。 
      「愛している、リョーマ」 
      「オレも……愛してる、国光」 
      二人の吐息が甘く混じり合い、熱を生み出す。 
      「これ以上は……朝練に……響く、な……」 
      「ん……でも、……ちゃんと出るから、朝練、……もっと……ダメ?」 
      「………バカ、煽るな……」 
      再び二人の舌が熱く絡まり合う。先程の甘い口づけよりももっと甘く、熱く、互いの官能に灯をともすように。 
      「……ス」 
      「…ん?」 
      甘い吐息の下で呟かれたリョーマの言葉を、手塚は優しく聞き返す。 
      「ENDLESS」 
      「ENDLESS?」 
      リョーマはふわりと微笑む。 
      「うん。オレたちはハッピーエンド、じゃなくて、HAPPY & ENDLESS 、…だよね?」 
      手塚も微笑んだ。 
      「そうだな。これで終わりじゃない。これからもずっと、俺たちは二人で幸せになっていくんだ」 
      「うん」 
      微笑み合いながら二人は口づける。 
      今この時間が、そしてこれから先の二人の時間が、ずっとずっと続くようにと、肌を熱く重ね合いながら、二人は同じように願った。
 
 
  HAPPY
      & ENDLESS 
      終わることのない互いへの想いをこそ、「永遠」と呼ぶのかもしれない。
 
 
 
 
 
  
      
 
 
  
      ENDLESS!
 
 
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      20050417 
      
      
 
  
      
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
      
 
 
 
  
      
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
      
 
 
 
 
  
      
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
      
 
 
 
 
 
 
  
      <おまけ> 
       服を整えたリョーマは、怠い下肢をなんとか動かしてベッドの端に腰掛けた。 
      「……あれ?」 
      「どうした?」 
      自分の上着のポケットに手を突っ込んで首を傾げるリョーマに、手塚も怪訝そうな視線を向ける。 
      ポケットからゆっくりと引き出されたリョーマの手には白いハンカチ。 
      「……誰のかな、これ」 
      「自分のじゃないのか?」 
      「うん……オレの持ち物って言うより、アンタが好きそうなデザイン。ああ、やっぱりほら、デザインはシンプルだけど素材の良さで結構有名なブランドのだ。アンタ、このブランド気に入ってたじゃないっスか」 
      「ああ」 
      リョーマは手にしたハンカチを拡げて手塚に見せた。新品ではなさそうだが、綺麗にアイロンがかけられており、大事に使われていたのがわかる。 
      「……心当たりはないのか?」 
      「ポケットに入っていたくらいだから、母さんか菜々子さんが入れたんだと思うけど……アンタにあげるよ、それ」 
      「ん?」 
      しげしげとハンカチを見ていた手塚が、少し驚いたように顔を上げてリョーマを見た。 
      「そういうシンプルなの、好きでしょ?だから、アンタにあげる」 
      「いいのか?」 
      「うん。なんか…なんて言うか、アンタに渡したくて、それ、持っていたような気がするから」 
      「……そうか」 
      手塚はもう一度手にしたハンカチを見つめてから、リョーマに微笑みかけた。 
      「ありがとう。大切に使わせてもらう」 
      「うん」 
      手塚は丁寧にハンカチを折りたたんで机の上に置いた。 
      「そろそろ……帰るか?」 
      「………うん」 
      俯き加減で頷いてから、「明日朝練あるしね」と笑いながらリョーマは顔を上げた。 
      「……昼休みは、屋上で逢えるか?」 
      「うん。行くよ、もちろん」 
      差し出された手塚の手を取ってリョーマが立ち上がる。 
      その手を離さずに、二人は部屋をあとにした。
 
  また日常生活が始まる。 
      街の景色がどこか新鮮に思えるのは、二人の距離がなくなったからなのだと、リョーマも、そして手塚も口には出さないが同じようにそう感じていた。 
      繋げられた手のように、二人の心には、もう誰も入り込む隙などないのだと。
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
  もう二度と、リョーマが未来へ迷い込むことはない。 
      だが、あの10年後の世界で手塚と過ごした束の間の時間は、その輪郭をぼやかしながらも、『手塚国光』という存在に対して抱いた切なく甘い記憶としてリョーマの心の一番奥へと静かに溶け込んでいる。 
      どんなに時が経っても変わることのなかった手塚の想い。 
      傷ついた手塚の心に、何とかして光を取り戻そうとしたリョーマの必死な想い。 
      そして、ありえないことさえも信じてしまえるほどの、二人の、想いの強さ。 
      そんな二人の想いを明確に記憶しているのは、今でもはもう手塚の机の上に置かれた白いハンカチだけだということを、この先、誰も知ることはない。
 
 
 
 
  それぞれの世界で、恋人たちはその心の中に新しい風が吹くのを感じる。 
      昨日まで囚われていた様々な重い鎖から解き放たれ、その視界に光が満ちる。
  そう、未来は、光の中に。 
      そして未来を照らすその光は、遥か頭上から降り注ぐものではなく、それぞれの魂から発せられる無限の輝きなのだと、いつか気づいてゆくことだろう。
 
 
  強い絆で結ばれた恋人たちは、一番大切な人と共に歩んでいける幸せを、今、強く強く噛み締めながら、生まれたばかりの世界へと新たな一歩を踏み出してゆく。 
      光輝く未来へ続く長い道を、今こそ、歩き始めたのだ。
 
 
 
 
 
  
      <完>
 
 
  
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      20050417 
      
      
  
    
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