昨日まで知らなかったこと・エピローグ

『人は自分のなくした半身を求めて、一つになろうとする』
そんな哲学の思想を、手塚はどこかで読んだ気がした。
人というものは、元々は二人で一つの存在だったが、あまりに高慢な生き物になってしまったために、神の手によって一人ずつに引き離されてしまったというのだ。
だから人は、自分の片割れであった半身を生涯探し求め、見つけたときには一つになりたがるのだ、と。
以前、その話を何かで読んだときは、SEXを美化するための言い逃れのように手塚には思えた。
だが今、隣で静かに寝息をたてているリョーマを見ると、このどうしようもなく一つになりたいと願う衝動が『半身を求めている』という欲求なのだと納得してしまいそうになる。
元々は一つであった半身。
それは『同じ性質』であり、しかし『同じもの』ではないことを意味する。
ものには左と右があるように、裏と表があるように、そしてプラスとマイナスがあるように、二つの違うものが一つになって初めて完璧な形を形成することが出来るのだ。
自分とリョーマもそうであったらいいと手塚は思う。
リョーマは自分にないものを多く持っている。自分はリョーマが持っていないものを持っているのだろうか?
リョーマは自分を追いかけるという。しかし本当は自分がリョーマを追い求めているのではないだろうか……
様々に思いを巡らしながら、手塚はリョーマを見つめ続ける。
「ん…」
リョーマが軽く身じろいでゆっくりと覚醒してゆく。
大きな目が数回瞬きをすると、すっと手塚の方に向けられた。
「……起きてたんスか?……もしかして、ずっと見てた…?」
手塚はやわらかく目を細めると、リョーマに軽くキスをする。
「おはよう」
「……っはよっス」
リョーマは頬を染めながらちょっと拗ねたような表情をする。
「何見てたんスか…」
「いや……身体は大丈夫か?」
「そんなヤワじゃないっスよ」
リョーマはニッと笑うが、手塚の方に身体を向けようとして顔をしかめた。
「…大丈夫ではなさそうだな………すまない」
「謝られると恥ずかしいんだけど」
真っ赤になってリョーマが睨んでくる。
「風呂を用意してこよう」
そう言って起きあがろうとする手塚の腕をリョーマが掴んで引き留めた。
「?」
「まだいいじゃないっスか……もう少し、こうしていようよ」
「………わかった」
再びベッドに身体を沈めると、リョーマが肌を寄せてくる。手塚はそっと腕をまわして枕にしてやった。
「あのさ…」
「ん…?」
「昨日……嬉しかった」
「……なにが?」
ちょっと言いづらいことなのか、リョーマが口ごもる。
黙って言葉の続きを待っている手塚の方に一度チラッと視線を投げてから肩口に顔を埋めてリョーマが呟いた。
「いつもオレからだったから……昨日は…アンタからしたいって言ってくれて…すごく、嬉しかった……」
「…………」
手塚は少し狼狽えた。
昨日は前の日から抑え込んでいた衝動がどうしようもなく膨れ上がってしまい、なりふり構わずにリョーマを求めてしまった。
自分の欲求に素直に従っただけなのに、それがリョーマにとっては嬉しいことだと言う。
「…ちゃんとアンタも、オレのこと欲しがってくれるんだな、って…思って」
「…そんな風に言うな」
「え?」
リョーマの肩を抱く手に力を込め手塚は溜息をつきながら呟く。
「本当は今だって……」
( かなり我慢しているというのに…)
好きな相手と直に肌を触れ合わせていて、平気でいられる男なんてこの世にはいない、と手塚は実感した。
自分だけはそんな風に我を忘れて相手を求めたりしないと思っていたのに、今こうしている自分は欲望を抑えるのに必死になっている。
こんな自分を、手塚は昨日まで知らなかった、と思う。
確かに今までもリョーマを抱くときはかなり理性をなくしかけていたが、昨日の自分は手塚自身が驚くほど欲望をむき出しにしていたように思える。
「オレは、アンタの全部が欲しいよ」
「…」
「だから、全部見せてよ。どんなアンタも、オレは好きになるから」
リョーマが、身体を起こして手塚に強い瞳を向ける。
そのままゆっくりと口づけてきた。唇を触れさせただけのキスなのに、今までのどんなキスよりも甘いと手塚は思った。
「リョーマ…」
リョーマを引き寄せて、今度は手塚から口づける。深く舌を絡めながら、手塚は体勢を入れ替えた。
「…俺の半身…か」
「え?なに…?」
唇を離しながら手塚が発した言葉にリョーマが首を傾げる。
「ずっと繋がっていたい…お前と…」
「それはヤダ」
あまりにきっぱりとリョーマが言い切ったので、手塚はちょっと心外に思ってリョーマを見た。
「だって、ずっとこんな風にしていたら、アンタを負かしてやれないじゃん」
いつもの生意気そうな顔をしてリョーマが不敵に笑う。
「…………口の減らないヤツだ」
そう言いながらも手塚の心は強い敵と戦う前のような、スリリングな期待感と高揚感に満たされていた。
「当分お前に負けてやる予定はないと言ったはずだぞ。テニスでも、プライベートでもな」
「簡単に負けてもらっちゃ困るっスよ。いつか世界の舞台でアンタを倒すんだから………でも」
「?」
赤くなって視線を逸らすリョーマを訝しく思って覗き込むと、蚊の鳴くような声でリョーマが呟いた。
「プライベートは……別に…」
「…………」
耳まで赤くしたリョーマがベッドの奥に逃げ込もうとするのを手塚はがっちり両手首を押さえつけて阻止した。
「…ったく……挑発するのはお前の十八番だとは知っているが、この状況で俺相手にそんなことを言ってどうなるかわかっているのだろうな?」
「……どうなるんスか?」
リョーマは真っ赤になりながらも、なかなか屈しようとしない。
「…今教えてやる」
囁きながら、手塚はゆっくりとリョーマの唇を奪ってゆく。
昨夜の名残も生々しいリョーマの身体のあちこちに新たな所有印を残しながら、手塚自身もまたこの所有の証に囚われていく気がした。
熱く零されるリョーマの声に余裕を奪われた手塚は、昂ぶり始めた身体と心を持て余して深く身体を繋いでゆく。

家族の帰宅まで、まだだいぶ時間がある。
このままリョーマとノンビリ過ごすのも悪くないと、手塚は思った。

END    
2002.04.02