私たちの「ファミリーヒストリー」~吉岡正文の五十回忌に寄せて~


表表紙、江戸時代の伊予街道である。父方の実家と母方の実家は斜め向かいに面して建っていた。
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裏表紙
いずれも江戸時代川島町全図である。
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  目 次
    一、郷町としての川島町
    二、吉岡家と川島町
    三、山口家と川島町
    四、吉岡家の家系図
    五、山口家の家系図
    六、結婚まで
    七、結婚それから
    八、公務死
    九、遺訓
    十、アルバム

      あとがき

                    表紙 「麻植郡川島町全図」(徳島県立図書館蔵)  
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三千の人の暮らしがあったこと思えど青い空があるのみ
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画像  あとがき
 二〇一二年に茂雄ちゃんが亡くなり、二〇一五年に千江ちゃんが亡くなったことも影響したのか。母が父親の五十回忌は甥ゆ姪とビールを飲みながら昔話をしたいと言い出した。異例であろう。しかしきぼうに沿いたいとも思った。この近辺で、生前の父を知る甥や姪に案内することにした。早くしても問題なしという寺の見解なので四十八年の二〇一九年を考えたが準備が整わなかった。寺でいうところの五十回忌の四十九年つまり二〇二〇年は新型コロナで延期、正味で五十年になる今年も収束は見通せない状況にある。母の希望が実現するかどうかは分からなくなった。しかし、これ以上は引き延ばせない。ビールの量も350㎖缶が135㎖缶を二日にかけて飲むのがやっとである。というわけで『私たちの「ファミリーヒストリー」~吉岡正文の五十回忌に寄せて~』を編んだ。法事の引出物のつもりである。「六、結婚まで」以降はともかく「一、郷町としての川島町」から「五、山口家の家系図」までは両家の関係者にも参考になるだろう。私の子供また姪や甥には全てが新しいはずだ。
 なお「よしおか」の「よし」が「𠮷」と「吉」、混然としているが「𠮷」に統一した。その他の資料については原本のままとした。戸籍謄本で印象に残ったのは、富太郎について記述した「戸主トナラズ入夫婚姻」である。その恣意的なこと、今日ではあり得ないだろう。
 徳島県立図書館にはお世話になった。「麻植郡川島町全図」の二次利用について許可頂いた上に、浮島八幡宮の写真について尋ねたところ懇切なレファレンスを頂いた。おかげで『私たちの「ファミリーヒストリー」~吉岡正文の五十回忌に寄せて~』が文字どおりヒストリーになった。
 
    城山から伊予街道を望をとき斜めに向かうちちははの家

          令和三年二月十一日      𠮷岡 生夫  


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