狂歌逍遙(第3巻) 



第1回 夢庵戯歌集(1) 

 すすとらすもちつかてすむ柴の戸もあくれははるか鴬のなく                                    大我

 『夢庵戯歌集(むあんげかしゆう)』は明和五(一七六八)年の刊。作者は僧侶の大我(だいが)(一七〇九~一七八に)、夢庵は号、ほかに草端房がある。なお「戯歌」の読みはルビに従った。題は「歳旦の心をよみたまへといへば」。補記すると〈煤取らず餅搗かですむ柴の戸を開くればはるか鴬の鳴く〉だろう。二句「済む」に「住む」、四句は「遥か」に「春か」を重ねた。草庵の春なのだ。

  かけとりに喧嘩をしたるかとかとをあけて御慶(ごけい)をいひまはるなり
  のみすきてはらひすみかねのこきりのめもあてられぬ歳のくれかな
  はつかしや身のほとしれとをしへつつはらひのならぬこのとしのくれ
  かさりせすすゝはらひせぬ世捨人もはるまちかほに梅の華見る
  世わたりはとてもかくても風鈴の銭かなけれはならぬなりけり

 一首目の題は「売人によする歳旦」。売人は商人、買人の側の歌が多いが、初句「掛け取り」(集金人)も生活が掛かっている。歳晩と歳旦の落差は同じなのだ。三句「門門」に「角々しい」(とげとげしい)の「角角」だろう。二首目の題は「大工の歳暮 ノミスミカネノコキリクレヲ入(レ)テ」。漢字を補うと〈飲み過ぎて払ひ(すみ)かね残(き)りの目も当てられぬ歳の暮れかな〉、これに「鑿・墨・矩(曲尺)・鋸・榑(板材)」を読み込んだ。三首目の題は「儒者の歳暮」。初句切れで「恥づかしや」、以下「身の程知れと教へつつ払ひのならぬこの年の暮れ」であろう。現金取引ではない。掛け取引なのだ。江戸では盆前と年末が掛け売買の決算期(節季)であった。ちなみに上方は六節季である。成句に「医者寒からず、儒者寒し」があった。四首目の題は「隠居の歳暮」。飾りせず煤払ひせぬ世捨て人も春待ち顔に梅の花見る〉。四句は他者から見た姿である。歳暮と歳旦、隠居と僧侶の違いはあるが、最初の「煤取らず」の歌と似るのは共に世捨て人の故であろう。五首目の題は「霊厳上人に見(まみ)えけるころ風鈴によせて世わたりを詠ぜられよとあれば」。一首の構造は〈世渡りは迚も斯くても(風鈴の)銭がなくては成らぬなりけり〉だろう。これに三句「風鈴」を挿入して結句「鳴らぬなりけり」を響かせる。脱俗の生も娑婆の論理と無縁ではなかった。そのアンビバレントであろう。

  うけたして愚妻にせんとおもひはる君かかはいさたふもいはれぬ
  さかつきをさしてつまとはいはねともおもふなさけはいろにみゆらん

 ここより「夢庵戯歌集下」である。一首目の題は「樗蒲(ちよぼ)によせて悦(よろこぶ)恋」(「樗蒲」は「博奕」と解した)。漢字を当てれば〈請け出して愚妻にせんと思ひ張る君が可愛さどうも言はれぬ〉だろう。身請けする金を博奕で得ようとする危うさと純朴、その青年に思われる「私」は遊女であろうか。いかにも場違いな「愚妻」の語そして結句がクライマックスで実にたまらない。二首目の題は「酒によせて忍顕(しのびてあらはるる)恋」。初二句は「盃を差して~」、二三句は「~さして妻とは言はねども」となる。下句は「ぞっこんの思いは所作からも知られるだろう」と解した。結句の「色」は気配、情人でもあるが、ストレートに出さない方が趣きを深くする。
 



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