人生の途上にて
My life, my way
Day by day in every way...
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「祈り」 Prayer 

2004.02.28

 ここしばらく忙しい日々が続いていた。朝は7時半すぎにはすでに職場に到着。8時のミーティングにはフル回転で頭も身体も整っていなければならない。それからいくつかのミーティングがあり、特に今週は予算関係のヒヤリング作業があったので、たくさんの人と調整しながらまとめていくのは大変だった。いつももっとうまくいくようにと祈っているのだが...。そう思いながらも、結果はかえってより忙しくなったり、次の課題が出現したり。

 祈りとは果たして応えられるものだろうか。その答えはもちろん「YES」である。クリスチャンだからそう考えるのではないが、最近、強く思うのは、実は祈った結果、そのように忙しくなったり思わぬ課題が出てくることもあるということである。

 つまり直接的に軽減されたり、スムーズに仕事が進むことはなくても、その困難さのゆえに、次のハードルに対して臨む姿勢が整われてくることで、時間の流れのなかではプラスになってくるということだろう。
 
 最近読んだある本の中に、「1週間や1ヶ月の短期的(決して短期だとは思わないのだが)なスパンで物事を見るのではなく、生涯を見通した長期的な展望のなかで物事を見つめていくのが大事」だとあったが、まさしくそうなのだろう。

 「試練を宝にする」 この言葉が非常に好きであるが、どんな状況にあっても、それをしっかりと受け入れていき、かつその中から意味を吸い上げていくことができると信じていく。そのとき、新しい展望が拡がっていくだろう。

 今月の半ばに、いろいろな事情があって掲示板を閉鎖することになった。いろいろとそれまで書いていただいた方々には、感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいである。しかし、結果的には良かったような気がする。最近は、掲示板の運営そのものが、最初にスタートしたときのような喜びが無くなって、むしろ義務感と、急いで返事を書かなければという思いに駆り立てられたいたからだった。そして忙しい中で自分を追い込んでいた部分もあったのだろう。
 
「ラストサムライ」 Last Samurai 2004.02.29

 またひとつ好きな映画が増えた、それが『ラストサムライ』である。トムクルーズも素晴らしかったが、それ以上に渡辺謙の武士の生き方に魅力と共感のようなものを覚えた。「武士道」については、これまで深く考えたことなどなかったが、しかし、確かに日本人の心のなかのどこかにDNAのごとく刻まれ、平成の今も見えない形で残っているように思えた。今回の映画で何か改めて目が覚める思いだった。(参考 新渡戸稲造著『武士道』)

 歴史を振り返ると、わずか百数十年ほども遡れば、祖父母のさらに父母の世代となり、その頃には武士について何かが語られていただろう。そして、その前の世代になると、確実に存在し、意味を持っていたサムライ達。

 戦いのシーンは殺伐として長かった、またシダが多い茂ったのは日本を感じさせない、果たして武士が最後に「パーフェクト」というだろうか、などなど様々な映画の批評や意見があったようだ。しかし、四国のかつて住んでいた地域では確かにシダが茂っていた。またハリウッド流の描写や言葉も、あれはあれで良かったのではないだろうか。決して時代考証がされていないとは思われなかった。むしろ明治初期の日本はあらゆるものが入ってきて、さながらアジアの活気ある新興国のような雰囲気が十二分に現れていた。冒頭のシーンは、実に美しい日本の夜明けのようで感動的さえあった。全体として、多少のマイナス面を差し引いたとしても、十二分に余りある作品であり、見応えのある、非常によく出来た構成だったと思う。
 
 いくつかのシーンでは目頭が熱くなった。それは意外にも日常の村人がそれぞれ勤勉に仕事に励んでいるシーンだったり、また明治天皇が自らの言葉で決断する場面。それに自らの命を犠牲にして近代兵器と闘う弓引き。一番最後の戦闘シーンで砲撃をやめて、主人公二人に対して土下座をするところは、一度目よりもむしろ2度目で泣けてくるのだった。武士としての流れは、身に付けるものや食べ物、外がどんなに変わろうとも、内なる心の中に消えずに残っていたからだろう。

 映画とは関係ないが、オルグレン大尉は英語では「Captain」と訳されているが、私の兄は自衛官であり、同じ「Captain(1等陸尉)」であることから、あらためて兄の仕事の任務の大きさと責任の重さを感じることだった。
「電車のなかで」 On the train 2004.03.02

 JRをいつも利用しているのであるが、帰りの夜の駅でのことだった。その日は、式典のために持っていった礼服とカバンで両手がふさがり、電車を待っていた。間もなく到着。ドアが開いたので、急いで空いた席を探したのだが、乗客は中途半端に座っているため、7人掛けのシートも6人ですでにふさがっていた。少し隙間があったのだが、そこに敢えて座ろうとすることなく、その空間を斜め下に見ながらつり革にぶらさがるように立っていると、間もなく電車が動き出した。ほんのしばらくたっただろうか。斜め前の座席に座っていた人がさっと立ち上がった。

 「ラッキー!」そう思いながら空いた座席に座ったのであるが、立ったその人の後を目で追うと、なぜかその人は、次の駅に到着しても降りることなく、また次の駅でも降りなかった。結局3つ目の駅で降りたのであるが、横顔がちらりと見えたとき、半ば意識したのか、こちらをちらりと見ていたように思った。

 彼はおそらく高校生から大学生くらいだろうか。細身でおとなしそうな感じの少年と青年の中間の年齢だった。

 果たしてなぜ席を立ったのか、老人に席を譲ったわけではないのだが、両手の荷物を持っていることに気付いて無言で立ったように思えた。そういえば、荷物のほうを少し見ていたことを思う。

 ちょっとうれしい気持ちで電車から降り、あらためて感謝の気持ちになるのだった。さりげない優しさ。今度は自分がそんなさりげなさで誰かに出来るといいのだが。

「NHKラジオ深夜便」 NHK on the air 2004.03.07

 深夜に目が覚めたり、早朝に目が覚めたりすることが多くなった。睡眠時間がけずられて、その分熟睡できていないということもないのだが、目が覚めると、イヤホンでラジオを聞くことにしている。その番組はきまってNHKの「ラジオ深夜便」で深夜から早朝の5時にかけて放送している番組である。

 内容についてはNHKのHPに譲るとして、午前3時からの音楽コーナーでは懐かしい歌が聴けたり、もっとも戦後すぐの曲や、生まれる前の曲は聞いても面白くないので、すぐに切るのだが、聞いたことのある曲だとしばらく聞き入ってしまう。そうしているうちにいつの間にか眠っている。

 午前4時からは「こころの時代」のコーナー。様々な分野の人のインタビューや講演を聞くことができるのだが、これが結構面白く、またなるほどと思うことも多い。人生の師と呼ばれる人のエッセンスのようなものが語られている。興味がもてる内容だと、後でインターネットで調べて著作をネットで購入したりもしているが、そうした本がすでに5冊ほどになった。

 なぜ笑うことは身体にいいのかという医学の話、教育のなかで熱心に取り組んでいる教師の話、こころの悩みに取り組んでいる電話相談人、それぞれ分野は異なっていても、皆熱い気持ちをもって仕事に取り組んでいる姿はおおいに刺激となり、また知恵が生きていることを感じる。

 明日の朝もまたラジオのスイッチを無意識のうちに入れて、聞いているのだろう。

「通勤途上に」 a way of life 2004.03.09

 昨年の6月以来ずっと続いていることであるが、通勤途上にはいつもカセットテープを聞いている。そのテープは、毎月定期的に送ってもらっている、ある教会の礼拝テープである。

 そこの牧師の話が非常に面白く、またいままでに知ることのなかった世界だったので、気が付けばもう1年以上も毎日毎日往復1時間半以上も聞き続けることになった。面白いもさることながら、一番大きな理由は前向き、肯定的なメッセージで勇気付けられるという点が最大の理由だろう。

 ところで最近、「吉野家」と同様、話題の「松屋」で昼食を取る機会があった。メニューはいま人気の豚めし。並で350円、セットだと500円。当然、オーダーし頼んだものが出てくる。これと同じように、日頃の生活で何を注文するのか、何をことばで言い表すか、実はその言葉によって自らに返ってくるものがある。つまり、否定的なことばを語れば、引き寄せられるように、否定的なことばが返ってくるようだ。

 「ダメだ〜」と言葉に出せば、「ダメなもの」がやってくる。しかし、いままでの人類の成長は、「ダメだ〜」と諦めた人からは進歩が生まれたことはなかった。かつて「音速を超えることは不可能ですよ」と講義で語られた内容を丸々暗記した学生ではなく、それならやってみようと挑戦したひとりの青年ダグラスによって、音速の壁を初めて超えることができたのである。

 そんな内容のメッセージを朝と帰りに繰り返し聞いているうちに、前向きなものが自然と心の内に入ってくるのを覚える。

 ことばはまるで生き物のように、似たものを運んでくる。人もしかり。人間関係を見渡すとまさしくぴったりとあてはまるだろう。夫婦もまた同じである。いつの間にか夫婦の顔が似てくるのは、お互いに影響しあっているからだろう。

 
「選択」 choice 2004.03.13

 インターネットで高校の名前を「○○高校」と入れて検索していたら、懐かしい名前が出てきた。「ウッチャン・ナンチャン」の「ナンチャン」は、高校時代、同じクラブの2年後輩で一緒に活動をしたことがあったのだが、意外にも同じクラブのそのさらに1年後輩が、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」で放送作家として活躍していると知り、驚きだった。また別のサイトでは、高校3年のときの同じクラスメートがジャズのボーカリストとして、CDを出していることもわかった。

 ただいっしょに時間をともにしたということだけで、身近に感じるのだったが、小さな選択の積み重ねがいまの姿を作っているのだろう。あのときにもっと接点が大きかったら、少しは自分も影響を受けて人生が変わっていたかも、(いやいや、そんな風には思えないが)、身近な中から有名な人が出てくるとそんな風にも思えてくるのである。

 「Choice」というカセットテープをハワイ・ホノルルの本屋で買ってきたのは、もう10年近く前だが、そのテープの本を読んでいたら、あらためて何を選んでいくかが大切だと書いてあった。

 よく現状を改革していくのに変化を求めることがある、しかし変化よりも、何を選択するか、そのことが確実に変化へとつながっていく。ちょっとした選択の積み重ねであったとしても、毎日、毎月、毎年と重なってくると、まさしく積み重ねの効果が出てくるのである。たとえ、それが朝の通勤の道であったり、どの座席に座ろうか、そんなことであろうとも...。将来の自分をどう描いていくか、それはいい選択からはじまっている。

 そしてその選択は、どう思うか、つまり肯定的に捉えるのか、否定的に捉えるのか、そんな感情の選び方にまで及んでいる。感情は意外にも選ぶことが出来るのである。その証拠にすべてのひとが同じ出来事に対して、まったく同じように思ってはいない。

 また、いいことを選んでいくことは大事だが、人は快・不快だと確実に快を選んでいく。案外そのときには不快と思えることの選択でも後に快へと変化していくこともある。
「ラジオの思い出1」 Radio Days 1 2004.03.14

 いまはテレビよりももっぱらラジオを聞くことのほうが増えつつあるようで、ラジオだと「〜しながら」が可能になるのが何よりいい。テレビだとなかなかそうもいかない。そうはいいつつも、お笑い系のバラエティや漫才で好きなのがあるとついつい見てしまう。最近はフットボールアワーにはまっているが、テツ&トモやトミーズもお気に入りの中に入っている。そしてナインティナインも「めちゃいけ」は何故かかかさず見ている(笑)。

 さて、ラジオで思い出すのは小学校の頃、兄がよくラジオを聞いていたので、つられるように一緒に聞いていたことだろうか。兄の机は同じ部屋だったので、すぐ隣に置いてあるラジオが聞こえてきた。歌謡曲の番組が多かったが、日曜日の朝日放送「不二家歌謡ベストテン」や夏休みなどの毎日放送の「ありがとう浜村淳」「ごめんやす馬場章夫です」はよく聞いていた。

 中学校に入り間もなくして兄とは部屋が別になり、好きな番組を聞くようになった。当時圧倒的な人気の「ヤングタウン」であり「オールナイトニッポン」を聞きながら夜遅くまで起きていた。朝日放送の「ヤングリクエスト」は23時からで、それまでは「日立ミュージックインハイフォニック」という番組を曜日によっては聞いていた。その中でクィーンの「ボヘミアンラプソディ」と出逢い、衝撃を受けた。それくらい印象に残る曲だった。24時を周ると「コッキーポップ」というヤマハの番組があって、そこで流される曲で気に入ったのがあると、ネット曲をはしごしながら、最大で2回聞くことができた。ここから出たミュージシャンとしては、中島みゆき、チャゲ&アスカ、NSP、山崎ハコ、谷山浩子、クリスタルキング、長渕剛、世良正則など数多くの世に出る前の登竜門になっていた。ロウィナコルテスという香港出身の歌手も同世代だったので、よく聞いていた。
大石吾郎さんのナレーションもたいへん良かった!

 ラジオといえば、中学時代にはBCLといってラジオ局からベリカードと呼ばれる受信カードを集めるのが流行っていた。また、ラジオの影響で多くのポップスに触れることになった。自分で演奏するには至らずもっぱら聞くほうが専門だったが、カーペンターズやビートルズ、ベイシティローラーズ、サイモンとガーファンクルなど、当時はポップスの全盛期ともいえる時代で、その手の番組も多かった。アメリカンTOP40を聞くためにFENにチューイングをするのだが、四国のため電波が届かず、かすかな音を頼りに耳を傾けたことも懐かしい。

 いまはNHKの講演や深夜番組のしっとりとした内容のほうが、しっくりと染み入るようで聞いているが、原点は小学校時代のラジオだった。基礎英語をいやいや聞いたことや、もっとさかのぼればラジオ体操もラジオとの接点だった。そんな時代から年月と共に大きく変化してきたが、やはりラジオは必要不可欠なものだと思う。        (中鳥モーツアルト)
「4月になって」 One Way 2004.04.03

 4月になった。この時期になると、新たなる出発!という気持ちにさせられるのだが、そうは思いながらも、心の中はそわそわとした気持ちになってしまう。年度末から新年度にかけての様々な仕事や異動にからむことを考えると心配、不安、恐れのほうが正直のところ大きい。そんな風に思っているのは一緒に仕事をしている人たちも同じようで、相談を持ちかけられることも多い。

 いまの領域、それが仕事の内容だったり、人間関係だったり、形は異なってもボーダーやテリトリーが拡がっていくときに感じる不安や恐れ、そして心配。しかし、それこそが人間の持っている自然な反応だろう。

 しかし、恐れ、不安、心配を乗り越える唯一の方法、それは恐れから逃れる方法を見つけることではなく、その中に飛び込んでいくことなのだろう。新入社員や新入生、異動によって新しい職場へと移る、どの状況をとってみても、期待以上に不安もあるだろうが、そう感じる、そのことこそがこの時期の大きなエネルギーとなるのだろう。敏感に感じること、感受性の中で日々を過ごすことは、やがて慣れてきたときにはもう感じることすらなくなる、今しかない貴重な経験となる。いい意味での緊張感をもたらす時にもなろう。そのときにしか過ごすことが出来ないチャンスと捉えることが出来れば、また違った意味の発見となる。

 やがて時がたったときに話すだろう。新しい領域に入ったときに感じたことや経験を。次の世代に、次に入ってくる人たちに有意義なストーリーとして残していけるものは、いましかない経験、不安と緊張の中での自らの体験である。

 『TIME』(2004.04.05)の広告に「Time is like Art - intangible, mysterious, but ultimately precious」とあった。時間とは不思議なもので、目に見る事ができない。そして触れることの出来ないアートのようなものだという。

 4月になったこの時期、時間の経過の中にしっかりと自らをおいていくことが出来れば、いまこそが次につながるさらなるチャンスを生み出すと知るのだろう。

 ONE WAY 歩む道はただひとつ、ひとつの道をしっかりと歩んでいくことだ。
「中東1」 Middle East 2004.04.11
 大学生のときにヨーロッパへ貧乏旅をしたが、そのときは南周りのキャセイパシフック航空だった。香港での半日以上の待ち時間の後、ようやくロンドン・ガトウィックへのフライトに搭乗したのは、ほぼ24時近かった。香港カイタック国際空港を離陸すると間もなく香港島の高層ビル群の夜景が眼下に展開し、1000万ドルの夜景を堪能。
 その飛行機はてっきりロンドンに直行するものと思っていたら、中東のバーレーンに到着した。約1時間ほどの待機時間だったが、トイレ休憩で降り立ったときの印象は強烈だった。
 いたるところに白装束の男性女性。そして一種独特の雰囲気がただよい、免税店は金製品が並んでいた。普通の扇風機さえも金メッキがほどこされ、別世界をつかの間体験することだった。

 石油とイスラム教のイメージしかなかった国々が、いま様々な形で注目を集めている。その多くは戦争であったり、紛争であったり必ずしも肯定的なものではないが、そんな中でも確実に日本との関わりが深くなってきているように思う。
 ドバイのホテル、観光資源であったり、カタールの中東のCNN「アルジャジーラ」、関西国際空港から直行便の就航「エミレーツ航空」。またサッカーでの対戦も記憶に新しい。

 中国ばかりが注目されているが、日本にとっての別の視線を中東に熱く送っていく必要があるのではないだろうか。

「"It"と呼ばれた子」 A Child Called "It" 2004.04.24

 ここ数年の中で、と書くと非常に恥ずかしい話だが、一日で一気に読んだ本がタイトルの本である。
 すでにベストセラーとなり、センセーショナルな実際にあったことに基づいた話だけに、ストーリーの内容は具体的かつ時には読み進めるのもつらいものがあった。しかし、何よりもこの本のすごいところは、幼児虐待を受けたその本人が書いたことだろうか。

 「幼年期」編を読んだだけだが、これから「少年期」「青年期」と成長していくにつれて、どのように主人公のこころが動いていくのか、そして何がきっかけになって、その試練と思えるような出来事を克服していけるのかは、ぜひとも知りたいところである。

 誰でも、本に書いてあるような体験をすると、果たして生きていこうとする希望をそれでももち続けることができるのだろうか。主人公はそれでも敢えて生きていくことを、幼い心の中に誓った。

 なぜこのような体験をしなければならないのか、時にはそれが、まるで自分の責任であるかのように自分を責めることもあった。

 「心の底では、誰よりも何よりも自分のことをいちばん憎んでいた。この身に降りかかることも、まわりで起こることも、何もかも自分のせいなのだと思うようになった。」(P218)
 「父さんが母さんが幸せになることを神様がお望みなら、ぼくは死ななくちゃならない、t。それでもいい、と思った」(P243)

 話は次の「少年期」へと続いていく。
「世界の中心で愛をさけぶ」 deeply impressed movie 2004.06.06

 ここ数週間、忙しくまた辛いと思えるような毎日だった。4月の中旬から、突然身体のいたるところに発疹ができ、病院に行って薬をもらって、直ったと思ったら、また発疹。しばらく治療ののち、大丈夫と思って、予定していた小田原、東京へ行ったところ、旅行の後半にまたひどくなり。ホテルの部屋では、痛さと痒さの戦いのなかで、眠れぬ夜を過ごすことになった。結局のべ3日間仕事を休むことになった。その中、様々な問題や気になることが出てきて、心理的にも厳しい時期だった。5月中旬からは土曜日も出勤となり、また弔慰関係の出席で、日曜もその対応に追われた。なかなかハードな日々でした。

 5月中旬からは、いままでの出勤時間をさらに敢えて早めて、朝7時45分スタートから7時半には仕事に取り掛かれるようにした。職場への駅も、ひと駅前に降りてそこから15分歩くことにしたので、起床は4時台後半に。それでもなんとかやっていけているところを見ると、案外自分はタフなのでは思ってみたり。まあこれも、発疹からすべてはスタートしたことなのだが、早朝に湯船につかり身体の節々をマッサージし、シャワーを浴びるのもいいことがわかった。

 さて、日頃あまり映画館で映画を観なかったが、今年は2本目。自分では多いほうか(笑)。本当は『パッション』を観るつもりが、ベストセラーで300部を突破という原作はどんなものかと映画を観てきた。そしてこれが良かった。涙を流せるかどうかでいい映画であるかどうかを判断するつもりはないが、もう一度観てみたいかと問われると、はいと答える作品だと思う。

 映画や小説で白血病が出ると、ストーリーが読めてしまうようで冷めた目で見てしまう自分が哀しいが、ストーリーの構成や、映像の美しさ、ふたりの出逢いから心が惹かれあっていく様子が、瀬戸内海の小さな町の情景のなかで、みずみずしく描かれていた。高校生時代を演じたふたりが、とくに良かったのではないだろうか。

 庵治町がロケの中心になっているという。庵治といってピンとくるヒトはおそらく少ないだろうが、この町は小さい頃にマリンパークという娯楽施設があって、何度か家族や遠足で行った記憶がある。背景の屋島のなだらかな山や、五剣山の切り立った頂が出てきて懐かしい思いになった。高校のひとつは、生まれ育った町にあり、また空港はよく利用していたロビーなので、親しみを覚えること大だった。

 そして懐かしいといえば、80年代がテーマ(のよう)になっているのもその理由だろう。ウォークマンをラジオで読まれて当てるというのが出てくるが、いまとは違って、ラジオとくに深夜放送がまだまだ人気があった。音楽で佐野元春の「サムデイ」や渡辺美里の曲が流れているシーンがあるが、当時に青春を送った世代ならきっとあんな時代もあったのだなと振り返るのではないだろうか。

 今朝のラジオ番組で言っていたのだが、人生いろいろ。しかし、楽しみや喜び、と同様に苦しみやしんどさの中にも意味があり、むしろそのことを通して生き方が問われているのだとか。最近いろいろと思うこと大のなかで、いまの自分にもっともぴったりのように感じたのでした!
「レーガン大統領」 Ronald W. Reagan 2004.06.19

 レーガン大統領のことを「The Eternal Optimist」と評してナンシーレーガン元大統領夫人の手記が寄せられていた。
その中にこのようなことが書かれていた。いつもロニー(レーガン氏の愛称)が息子に言っていたこと。

 「もしある店に入って、店員がひどい態度で応対したとしたら、それは彼女が辛い気持ちの中にあったからなのかもしれない」そして「彼女の立場になることができるように」
A gentleman always does the kind thing

 そんな風に考えられるようなポジティブさ、前向きさが、レーガン氏の人生をそのような人生へと導いていったのだろう。

 最近読んだ本「いいことが次々起こる心の魔法」のなかに、我慢のならない人たちこそ人生の師だ!とあったが、興味深いことが書かれてあった。すなわち、自分の価値観とはちがってむしろカチンときたり、腹立たしい思いをする中に、自分の見えていない部分を発見することにつながっていくという。同じ価値観で、賛同してくれるのではなく、むしろ嫌なヤツこそ、自分の成長に不可欠な大切な労者となるのである。

 環境や状況、ヒトのせいにしたり、理由をたくさん見つけるのもいいだろう。一歩進んで「〜にもかかわらず」と状況に負けずに立ち向かっていくのもすばらしい。しかし、さらにもう進んでいくと、状況や環境の厳しさが「〜のおかげで」と試練を宝に変えていくこともできる。そんな風に描いて仕事を進めているが、これからどんな変化がでてくるのか、楽しみ。
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「中国について」Leaving It All Behind 2004.08.07

 レーガン大統領のことを「The Eternal Optimist」と評してナンシーレーガン元大統領夫人の手記が寄せられていた。
その中にこのようなことが書かれていた。いつもロニー(レーガン氏の愛称)が息子に言っていたこと。

 「もしある店に入って、店員がひどい態度で応対したとしたら、それは彼女が辛い気持ちの中にあったからなのかもしれない」そして「彼女の立場になることができるように」
A gentleman always does the kind thing

 そんな風に考えられるようなポジティブさ、前向きさが、レーガン氏の人生をそのような人生へと導いていったのだろう。

 最近読んだ本「いいことが次々起こる心の魔法」のなかに、我慢のならない人たちこそ人生の師だ!とあったが、興味深いことが書かれてあった。すなわち、自分の価値観とはちがってむしろカチンときたり、腹立たしい思いをする中に、自分の見えていない部分を発見することにつながっていくという。同じ価値観で、賛同してくれるのではなく、むしろ嫌なヤツこそ、自分の成長に不可欠な大切な労者となるのである。

 環境や状況、ヒトのせいにしたり、理由をたくさん見つけるのもいいだろう。一歩進んで「〜にもかかわらず」と状況に負けずに立ち向かっていくのもすばらしい。しかし、さらにもう進んでいくと、状況や環境の厳しさが「〜のおかげで」と試練を宝に変えていくこともできる。そんな風に描いて仕事を進めているが、これからどんな変化がでてくるのか、楽しみ。