公開資料 16 「育てるカウンセリングの新しい方法」(國分康孝) 

T 序論
・なぜ育てるカウンセリングを強調するか。治すカウンセリングでは学校教育の役には立たないのではないかと考えるからである。
・昭和30年前後から日本にロジャーズの考え方が導入された。その当時は,ロジャーズを知らないとカウンセラーにあらずという印象が強かった。
・ロジャーズはカウンセリングと心理療法を識別しなかった。有名な著作「カウンセリングと心理療法」があるが,題名は両者を分けてあるが,中味は分けていなかった。
・教師がロジャーズのカウンセリング研修に数日出かけ,学校に戻り「心理療法を学んできた」という人たちが出た。それを聞いた精神科医の中には,たかが数日学んだだけで学校でやれるようでは「カウンセリングとは医者の真似事を素人がしているに過ぎない」と見下げる人も出てきた。また,教員の仲間からは「あいつは心理療法を学んできてから締まりがなくなった。子供を叱ることもできない。ただ話を聴くだけじゃないか」と浮き上がるようなこともあった。このようにカウンセリングは思うように普及しなかったという印象がある。
・平成7年度から臨床心理学で修士号を取った人たちが,臨床心理士として学校に入るようになった。(スクールカウンセラー) しかし,臨床心理士は学校になじまないと思う。なぜなら,臨床心理学は元々パソロジカル,つまり病気の人を治療するためのものだからである。臨床心理学は精神病理学,神経心理学,臨床アセスメント(投影法等),心理療法の4つがその柱になっている。ところがカウンセリングは病気を治すのではなく,発達課題のクリアを助けるものである。対象は健常な人である。学校というのは健常な子供を教育するところである。では,教育とは何か。いろいろな定義があると思うが,「教育とは社会化である」と考えている。「社会化」とは現実原則を教えることである。電車に乗って老人が前に立ったら席を譲るということを教えるのが教育である。ノイローゼの人が席を譲りたくないというのであれば,「君は老人に席を譲りたくないわけか,そうか」としっかり聴き,「老人を見ると父親を感じるのではないか」,「父親に対する怒りを赤の他人の老人にも向けたくなるわけだ,そうか」という対応になるだろう。しかし,教育の場合には「席を譲ってあげなさい」という現実原則を教えるのが基本となるだろう。教育は能動的である。ところが,心理療法はどちらかといえば能動的ではなく受け身である。「去る者は追わず,来るものは拒まず」という印象がある。しかし,教育は「去る者は追わず」ではどうにもならないだろう。それでは誰も学校に来ないかもしれない。学校に来ない生徒がいたら,家庭訪問をしたり,「学校にきたらどうだ」と誘ったりするだろう。教育は逃げる場合には追いかけるだろう。赤面や対人恐怖で悩んでいる人は黙っていても相談に来る。しかし,教育の場合は,「カンニングをやめたいのですがどうしたらいいでしょうか」,「万引きをやめる方法を教えてください」と相談に来る生徒は稀だろう。社会化の場合には能動的に働きかけないといけない。
・心理療法と教育は違う。カウンセリングの中にはきわめて心理療法に近いものがあるので,治すためのカウンセリングと発達課題を解くためのカウンセリングを識別した方がいい。
・アメリカのスクールカウンセラーは進路指導ができるのが常識である。進路指導は育てるカウンセリングのナンバーワン。その次は構成的グループエンカウンター,特活(グループ体験),サイコエデュケーション,対話のある授業と続く。
・社会化をねらう教育の世界では心理療法ではなく,能動的なカウンセリングでなければならない。これにレッテルを貼ると「育てるカウンセリング」という。
・もう一つ,育てるカウンセリングの特徴といえば,「集団対象」ということである。教師は授業においても特活においても集団を扱う。臨床心理士は相談室等で,個別に催眠をやったり,箱庭をやったり,心理テストをやったりということが主である。
・日本臨床心理士協会が認定し,現在,学校にスクールカウンセラーとして派遣している臨床心理士は個人面接が主なので,学校の中で個人開業しているような印象が強い。
・教師は集団を扱うことが主であるが,何か子供にかかわるときにカウンセリングの理論や技法を使えばもっと効率的ないい教育ができるであろう。
・育てるカウンセリングの特徴は二つ。一つは「能動的である」,もう一つは「集団対象である」ということである。
・教師が考えるべきことは,子供たちがどうしたらスムーズに発達課題を乗り越え,成長できるかということである。発達課題の意味は,教養,学歴,年齢等を問わず,誰もが人生で遭遇する問題のことである。親から離れて遊び仲間集団に入る,親から離れて学校に入る,親から離れて結婚する,結婚すれば育児,嫁姑問題など,人生の中では様々な出来事に遭遇する。それらを受けて立とうとするのがカウンセリングである。アメリカでは,カウンセリングは大学では教育学部に属し,教育の一方法である。臨床心理学は普通,心理学科に属する。アメリカでは両者は教育の場も就職の場も違う。アメリカで臨床心理学を専攻した人はだいたい病院に勤める。アメリカのスクールカウンセラーといえば,カウンセリング心理学専攻,学校心理学専攻,社会福祉専攻の人がほとんどであり,臨床心理学専攻は非常に少ない。日本はそれと逆。日本のやり方は世界の常識と逆を行っていると感じる。
・「教員の世界に外部の風を吹き込む」と言うが,それを言うなら教育の世界だけではないだろう。
・「教師は教育の専門家である」というアイデンティティを持たねばならない。臨床心理士の中には自分たちを「心の専門家である」という人がいる。気の弱い教師は子供がちょっと問題を抱えるとすべて臨床心理士に預けてしまおうという考えを持つ。逆に気の強い教師はお手並み拝見という感じで子供を預けてしまう傾向がある。しかし,「心の専門家」は臨床心理士の専売特許ではない。刑事,僧侶,教師,カウンセリング心理学者でも「心の専門家」としての資格がある。臨床心理士は「心の専門家」ではなく「心理療法の専門家」と言うべきだろう。教師は教育の専門家であるのだから,学校の中ではそれぞれの専門家がどう連携を取っていくかを考えていけばいいだろう。連携のためには,教師も臨床心理士も自分たちに何ができて,何ができないのかをしっかりと認識しなければならない。
・進路指導,学習指導,学級経営などの分野は教師にしかできない分野である。
・育てるカウンセリングは学校の他にも様々な分野に適応できるが,学校の中で教師が行うカウンセリングを「教育カウンセリング」と呼んだらどうかと考えている。
・なぜ,このように考えたか。アメリカで受けた教育,そして,社会人大学院生を指導する中で現場の声を聞き,このような考え方で進めていけるということを確信したからである。
 
U サイコエデュケーション概説
・文部科学省的には「心の教育」だが,「心とは何か」と疑問を持つ人がいて,未だに明確な答えをした人がいないので,「サイコエデュケーション」と言っている。
・サイコエデュケーションとは集団を対象にして,物の考え方(思考)や感情や行動の仕方を教育したり,三つのうちのいずれかを行うことをサイコエデュケーションと定義している。
 
1.思考のサイコエデュケーション
・ロジェリアンはすべての人間には自己決定権があるのだから,ああしろ,こうしろというべきではない,と言うだろう。心理療法の場合はそれでもいいが,教育の場合はああしろ,こうしろと言う必要のある場合が出てくる。人から物を借りるときに,何も言わずに黙って借りるような人間がいれば,「一言言ってから借りるようにしなさい」と教えなければならない。そうでなければ,行動の変容も起こらない。ただ,カウンセリングを元にしたサイコエデュケーションでは,相手の憎悪感情を引き起こさないような教育の仕方があるのではないかと提言したい。
 
(1)内観法
・吉本伊信先生が提唱。骨子は人は自分一人で人生を生きてきたのではない。人様のおかげでこれまで生きてきたんだということを知ること。これを口で言っても子供は誰も納得しないから作業をさせる。部屋の中に一人で入り,これまで母にしてもらったことやして返してことなど,1週間調べていく。(自分に問うていく) しかし,これをそのまま学校現場には取り入れられないので,山口大の林伸一先生が簡便法を考案した。二人一組にして,一方が「あなたはどんなときに誰からどんなことをしてもらいましたか」と聞き,一方が「○○に○○をしてもらいました」と答える。このやりとりを8分程度行う。これをすると,どんな傲慢な人間でも他の人への感謝の気持ちを持つ。外界への反応の仕方が変わる。ありがたい気持ちが出てくる。自分自身が愛された人間であると気づく。口で百万回言うよりも,このように体験すると納得する。
 
(2)対話方式
・アメリカの授業例。マイノリティ(インディアン,移民,日系2世,黒人等)への偏見を軽減するための教育。白人10人グループの中に一人のマイノリティを入れる。例えば,インディアンの生徒の場合,「過去,祖先が白人から受けた仕打ちに対して恨みはあるか」と聞く,「イエス」と答えたところで,白人に対して,「祖先の行いに対して罪意識はあるか」と尋ねる。すると,「俺が人を殺したのではないので罪意識はない」と言う白人もいれば,「祖先の犯したことに対する罪意識はある」と答える生徒もいた。その後,試験では「アメリカインディアンがどんな思いでアメリカ文化で生きているか」を答えるものであった。すると,生徒は必死になってマイノリティの気持ちを聞くようになる。その後も黒人や移民をグループに入れた討議を行っていく。このような教育を繰り返していくと,相手への理解が進む。とてもいい方法だと感じた。
・日本でも,養護教諭への偏見が一般教員の中にあるように感じていた。「ヨードチンキを塗ってくれる人」,「修学旅行で薬の鞄を持ってついていく人」など。養護教諭への認知を変えようと思い,アメリカ同様なグループワークを実施した。養護の先生への聞き取りをしたあとで,全員に「私は養護教諭です。○○の仕事をしています」と言ってもらうようにした。このようにいじめでも,帰国子女への認知変容でもエクササイズを使うと効果的ではないかと感じている。
・アメリカの管理職は用務員への偏見がある。そこで,その認知変容のために,机を積み,崩す,それを数回繰り返すというエクササイズを行った。その後,感想として「単純作業の大変さがよくわかった」と言う人が多かった。翌日から,用務員へ「ご苦労様」と声をかける管理職が増えたという。
 
(3)ロールプレイ
・息子に嫌われ,困っている父親。父親は何とか関係を改善したいと思っている。父親に子供の役になってもらい,ロールプレイを実施した。「なぜ父親が嫌いなの?」,「押しつけがましいからだよ」,「どんなところ?」,その後,父親は自分で答えられなくなった。ロールプレイが15秒だけしか続かなかった。そこで,翌週は5分,このロールができるように伝えた。すると,父親は息子と何とか会話を持つため,朝早く喫茶店でいろいろ話をしたという。國分先生の前でロールをやるので,息子の台詞を覚えるつもりで聞いたという。息子が「じゃ,仕事だから行って来るよ」と手を挙げて出て言ったという。初めて息子から挨拶されうれしかったと父親は言った。ロールでは5分持ち,その後,息子との関係も改善したという。ロールをすることによって,子供への認知が変わった例。
・学校現場で,いじめている子といじめられている子のロールをいつもと逆にして実施。あだ名で「とんま」と20回言わせる。言われてどんな感じだったと聞いたら,ふざけている感じで言っていたが,言われると不愉快だった。冗談でも言われる方は不愉快に感じると言うことがわかった。いじめがその後,なくなった。
・校長との関係がうまくいかない教師が家で,一人でロールをやったという。校長の気持ちが少しわかったという。「いつも怒っている」,「怒っているつもりはない。教えているんだ」,「でもそうは思えない」,「それは俺の言い方がそうなんだ」などのように役割を一人で交代しながらロールを行ってみるのも効果的であるという例。
 
(4)自己開示法
・教員が自己を語ることが子供の思考の変容につながるということ。
・戦争中,アメリカの大統領が亡くなったというアナウンスに陸軍幼年学校の生徒が拍手をした。食後,集合がかかり,「敵の大統領が亡くなったのに拍手するのはフェアではない。哀悼の意を表すべきである」と上官からの話があった。「なぜ行軍中に水を持ち歩くのか」とある生徒が上官に質問した。上官は「自分たちが飲むのではない。敵国の市民が水をほしがっているときに渡すものである。敵とはいえ一般市民は自分の父母と同じである」と答えた。上官が自己を語ってくれた例。
・教員は生徒に自分の考えを語ることをためらってはならない。灰谷健次郎の「兎の眼」の足立先生の自己開示。「僕は泥棒をしたことがある。ひもじかったので兄貴と一緒に畑のものを盗んだことがある。しかし,1回だけだった。そのあとは兄が一人で泥棒をして僕に食べさせてくれた。だから僕は死なずにすんだ。その代わりに兄は警察に捕まり,牢屋で死んでしまった。だから僕は兄の命を食べて生きていたんだ。君たちも誰かに命をもらって生きているんだよ。」と自己開示をした。その話を聞いて子供たちは誰も「先生は泥棒だ」と言わなかった。なぜか。話し手がその時の自分のことを肯定しているからである。自己受容しているからである。自己受容していない人が自己を語ると「告白」になり,それを聞いた人は,罪の告白を聞かされ,自分も犯罪者の一人になった感じになり,気が重くなってしまう。自分を肯定しているかどうかが自己開示のポイントである。
・平社員から出発して重役になる人とならない人の違いを研究した人がいる。違いは30代の頃に自己開示の豊かな上司に仕えたかどうかであった。それは,上司の自己開示により生き方を教えてもらうことになるからである。自己開示する上司のことを「メンター」(師匠)という。
・ノイローゼで休職する教員と元気に働く教員の違いは,モデルとなる教師を持っているかどうかである。モデルを持っていると,困ったときにそのモデルの教師を真似た対応が浮かぶ。教師は子供たちにとってモデルとなるといい。
 
2.感情のサイコエデュケーション
・喜怒哀楽は学習するから身に付く。「いないいないバー」は母親に会えたといううれしさの感情体験である。
 
(1)シェーピング方式
・行動療法の技法。順繰りにということ。高所恐怖症の解決にむけ,徐々に高い所に慣らしていく時などに使う。その際には自立訓練法などを併用すると効果的である。登校恐怖の子供にも適応できる。例えば,今日は玄関まで,今日は校門まで,今日は保健室までと徐々に登校恐怖をやわらげていく。
 
(2)音楽を用いたもの
・感情を揺さぶるにの有効である。
・エンカウンターのワークショップの中で,自己を語ると気持ちが重くなることもある。その時には休憩時間に係に気持ちの軽くなる音楽をかけてもらうと気持ちが楽になる。「別れの花束」では静かな音楽をかけたりすると効果的。音楽を利用したサイコエデュケーションを考えて欲しい。
・「ふるさと」をジェスチャー付きで歌う。感情を揺さぶるサイコエデュケーションである。
・一人ずつ,鐘を渡す。それぞれの音を鳴らし合い,全員で一つの曲を作り上げる。
・教師は,感情教育の役に立つ方法を考えていけばいい。
 
(3)課題法
・「〜しろ」と行動を課題として出し,課題を遂行しているうちに行動が変わってくるというものである。
・人が絶えず自分を見ているような気がする。色違いの靴下をはいて30分町を歩いてくるように課題を出す。それほど自分を見ていないことに気づき,気が楽になった。もう少しきつい課題は,ホテルのロビーに行き,「今,刑務所から出たばかりですが,今日は何月何日ですか」と聞く課題。皆,すぐに教えてくれ,誰も「何処の刑務所ですか」と聞く人はなく,気が楽になった。これらは一対一の心理療法だが,集団対象にこのようなことができるようにみんなでこれから研究してほしい。
 
*構成的グループエンカウンター
・採用試験にも出た。教育委員会の研修にかなり入ってきている。子供集団がフレンドリーになる。感情を刺激している。多くの著作が出ている。参考にして欲しい。
 
3.行動のサイコエデュケーション
(1)ソーシャルスキル
・いい人なのに地位が上がらないのはなぜか。ソーシャルスキルがないから。宴会の席で料理に箸を付けるのは年長者から。若い者から手を付けるのではない。年長者に譲るというのはソーシャルスキルである。意識的にスキルを教えるのを行動のサイコエデュケーションといい,スキル教育という。
・嫌なときにノーと言えることもスキル。アサーションスキル。
・留学生へのガイダンスもスキル教育。留学する直前に,「日本では○○する」というスキルを教えることが必要。
 
(2)スタディスキル
・アメリカでは勉強やる気があるのにできない子供が多いので,勉強のやり方(ノートの取り方等)を丁寧に教える。大学院の論文指導もそう。結構,書き方がわからない学生が多い。大人対象のスタディスキル教育。
 
(3)ヘルピングスキル
・生徒同士がお互いを支え合う。君たちはカウンセラーではない。旅の道連れである。ピアヘルパー。これが確立すれば,学級の中の関係が良くなっていくだろう。
 
<結論>
 これからの学校におけるカウンセリングは一対一の個人開業のようなカウンセリングであってはならない。集団対象の,能動的な,しかも,治療者でなく,教育者的なカウンセリングを開発しなければならない。その暁には,心理療法の専門家と教育の専門家が連携できるであろう。

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