2002学習会講義資料バックナンバー 1-2  

 
カウンセリングとは何か,教師が使えるカウンセリングとは何か
 
1.カウンセリングに対する様々な考え方
(1)カウンセリングの専門性をめぐる立場の相違
・カウンセリングに関して,「素人」と「玄人」の間に高い垣根を設けることに賛成しない立場と賛成する立場がある。前者の代表的存在は日本カウンセリング学会理事長の國分康孝であり,「カウンセリングマインド」を世に広めた。後者の立場は,日本臨床心理士資格認定協会会長の河合隼雄である。國分らの敷居の低いカウンセリング論に対する批判は次のようなものである。「カウンセリングマインドなる言葉は口当たりがよくわかったような気にさせるが,実体や厳しさがなく,カウンセリングは誰にでもやれるんだという安易なものを生み出し,安上がりのカウンセラーを作り,……」(引用;「心の専門家」はいらない)
 
(2)國分の考え
・心理療法の訓練を受けた臨床心理学出身者のみがカウンセラーであると考える人もいるが,私はこれに反対している。同じカウンセラーでも,病気を治す仕事と,人生問題の相談にのる仕事を識別する立場をとっている。病気ではない「普通の人々」が相談に乗ってほしいのは,進路相談,法律相談,栄養相談,育児相談,教育相談,健康相談,学生相談,留学相談,結婚相談,職業相談,人生相談,電話相談,心理相談などがある。これら多様な相談活動に一貫した原理,方法,技法,理論,倫理がある。それを研究・開発するのがカウンセリング心理学である。このカウンセリング心理学という知識体系(学問)がカウンセリングという援助活動(実践)を支えている。今日のようにカウンセリングが日常化すると安易にカウンセラーの看板を掲げる人が出てくる。そうならないために,人を援助するためには最低どのような知識を必要とするかを知っておいてほしい。
 カウンセリングとは援助活動である。ナースも教師も弁護士も裁判所調査官もカウンセリングをする。つまり,人を援助するには,医学知識も法律知識も必要であり,カウンセリング心理学の知識だけあれば十分というわけではない。カウンセリング心理学の研究成果を活用した援助活動をカウンセリングというが,しかし,カウンセリング心理学だけがカウンセリングを支えているわけではない。学校でカウンセリングをする場合には,学校心理学やソーシャルワークも支えになるし,医療機関で行う場合は臨床心理学も支えになる。また,企業でカウンセリングを行う場合は産業心理学や職業心理学,組織心理学も必要である。つまり,カウンセリングの世界には,心理学出身者だけでなく,教育学,看護学,神学,社会学,発達心理学,職業心理学出身者などが幅広く参加している。ところが,心理療法の世界は臨床心理学出身者しか入れない世界である。(引用;カウンセリング心理学入門)
 
(3)スクールカウンセラー制度
・学校に配置されるスクールカウンセラーは,現在,臨床心理士のほぼ「独占」状態である。指定大学院の修士課程修了以上を条件に,資格認定協会の試験を受け,さらに,現場での臨床経験も必要である。そのような専門的な訓練,審査を受けてはじめて資格が与えられ,「心の専門家」と呼ばれるようになる。文部省スクールカウンセラー活用調査研究委託事業がスタートしたのは1995年であり,前年の愛知県いじめ自殺をきっかけにするものである。
・「心の専門家」の必要性を説く河合隼雄の文章に,「深い問題は,心のこととして個別に取り組む必要があり,人間の心に関する専門的な知識も必要になる」,「国家が医師の資格を認定するように,心の専門家の資格を認定すべきである」等がある。河合は,学校をめぐる子どもの問題は,医療や教育では解決しない,臨床心理学の専門性こそが子どもの「心」の問題を解決しうるものだと述べている。(引用;「心の専門家」はいらない)
・スクールカウンセラーに類似のものに,1998年に文部省が導入を開始した「心の教室相談員」がある。高い資格を要求されるスクールカウンセラーの人手不足問題や予算削減の目的もあったかもしれない。(引用;「心の専門家」はいらない)
 
(4)ロジャーズのカウンセリングの影響
・1950年代から1970年前半まではロジャーズ理論の全盛時代である。この時代のロジェリアンはカウンセリングを心理療法を同義に解していた。それゆえ,カウンセリングを学んだ教師が心理療法家気取りで子どもに接するという図が見られた。教師の仕事は社会化(現実原則の学習)が主になるはずであるのに,非審判的,許容的雰囲気作りに傾倒して,教師は現実原則のスポークスマンであることに罪障感を持った。(中略)ところが,日本では,心理療法と識別され始めたカウンセリングの分野を,再び心理療法の分野に取り込もうとする動きが,1995年頃から活発になってきた。すなわち,日本臨床心理士資格認定協会の動きがそれである。この協会は「臨床心理士でなければ,スクールカウンセラーに起用されにくい風潮」を作り出した。(中略)カウンセラーになりたいという受験生がイメージしているのは臨床心理士のことである。臨床心理士は本来,サイコセラピストであり,カウンセラーではないと私は思っている。弁護士が法律相談に応じるからといってカウンセラーに転職したわけではないのと同じである。教師がキャリアカウンセリングをしたからといって,カウンセラーに転職したわけではない。臨床心理士がカウンセリングをしたからといってカウンセラーになったわけではない。つまり,カウンセリングという分野は臨床心理士の独占分野ではないといいたいのである。(引用;臨床心理学とカウンセリング心理学)
 
<論点>
○カウンセリングとは何か
 
*本稿では,以下,國分の論に沿って,カウンセリングという言葉を使う。
 
2.教師が使えるカウンセリング
・カウンセリングは,國分の論によれば,「治す(治療的)カウンセリング」と「育てる(予防,開発的)カウンセリング」の二つに大別される。前者は,臨床心理学をベースに,精神疾患を持つ人を対象にする。後者は,カウンセリング心理学をベースに健康な人を対象にする。
・学校に通う子どもたちの多くは健康な子どもたちである。精神疾患を持つ子供というのはまれである。現在,学校で問題を起こしている子どもたちの多くは,発達課題をクリアできずに困っているという捉え方が妥当であろう。それ故に,教師が学び,生かしていけるのは主に,「育てるカウンセリング」である。「育てるカウンセリング」は学校に限らず,病院でも企業等,様々なところに適用できるものである。学校で行う「育てるカウンセリング」を「教育カウンセリング」という。教師が日常的に使えるカウンセリングである。
*なお,不登校生徒等にも神経症などの精神疾患を持つ子どもたちも存在しないわけではない。それゆえ,「治すカウンセリング」の理論や技法にもなじんでおくことは意味のあることである。
 
3.育てるカウンセリングの構造(國分康孝公開講演より)
 教師が自分たちの砦を守っていく領域としては次のようなものがある。
 
(1)構成的グループエンカウンター(SGE)
 *ここでは省略
 
(2)キャリアガイダンス(進路指導)
・キャリアガイダンスが「学校の紹介」や「職業の紹介」というのでは,本質をついていない。本質は,将来を見据え,今をどう生きるかを考えさせること,つまり「人生計画学」である。
・子供たちが将来何をしていきたいのか考えられるようにしてやらないと生き方が定まらない。先が見えるようにする教育がキャリアガイダンスであり,教師の仕事である。
 
(3)グループ体験
・教師はリーダーシップの訓練を受けていない。教師はグループを扱うプロであってほしい。
・グループ体験の意味 
  @こんなこと考えるのは自分だけではないと気づき,気が楽になる。
  A人の行動をまねしているうちに行動が変わる。職業の違う人の生き方に触れ,価値   観が変わる。他の人の話にいやされる。成長する。
  Bグループにある「規範」が教育になる。
 
・教員が使えるのはグループを使ったカウンセリングである。SGEをはじめ,いろいろな組み合わせで,子供たちにグループ体験をさせるといい。
 
(4).対話のある授業
・この領域も教師の使えるカウンセリングとしたい。
・カウンセリングの第三勢力といわれる「ゲシュタルト療法」「論理療法」「実存主義的アプローチ」では,クライエントもしゃべるし,カウンセラーもしゃべる。対話の精神を生かしている。これが授業の中にも生かせるといい。
 
(5).サイコエデュケーション(心理教育)
・知的側面に視点を当てるのが特徴的。
 
@思考に関するサイコエデュケーション〜認知を変える。
・「ケーガン方式」〜人の表情をスライドで映して討論する。日常の人の表情で察しがつくようになる。
・「ミシガン方式」〜人種偏見の認知を変えていく。
・「ロールプレイ」〜例:用務員への偏見減らすために,机の積み卸しなどの単純作業を繰り返してやってみると,用務員への接し方が変わる。
 
A行動に関するサイコエデュケーション〜ハウツーを教える。
・「ソーシャルスキルトレーニング」〜スタディスキル(要領のよい勉強の仕方を教える),アサーションスキル(適切な自己主張の仕方を教える),コーピングスキル(様々な問題処理の仕方を教える)
 
B感情に関するサイコエデュケーション〜感情を豊かにする。
・論理療法のアルバートエリスは患者にユーモアソングを歌わせることを提唱している。
・自他一体感を味わわせるには,SGEより「合唱コンクールへの参加」が学級としては効果があるという。こうした面も感情のサイコエデュケーションといえる。
 
*教師は,心の問題を何でもかんでも臨床心理士に任せてはいけない。エンカウンターの技法が使える,対話のある授業ができる,キャリアカウンセリングができる,などを武器にして教育の専門家であるという意識を持ってほしい。
 
 子どもたちを育てていくために,教師だけが必要な存在なのではない。臨床心理士との連携が必要な場合もあるだろうし,医師や児童相談所関係者等との連携が必要な場合もある。もちろん,保護者との連携はいうまでもない。学校における問題が頻発する現代社会において,子どもたちを育てるためにはチーム支援が欠かせないということである。 
 
<参考・引用文献>
・「心の専門家」はいらない,小沢牧子,洋泉社,2002
・カウンセリング心理学入門,國分康孝,PHP新書,1998
・臨床心理学とカウンセリング心理学,國分康孝,東京成徳大学臨床心理学研究創刊号,2001
・國分康孝公開講演会;「教師の使えるカウンセリング」,学習会HPスキルアップ情報,2000
 

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