2001学習会講義資料バックナンバー 8 

 
「教育に生かすアイメッセージ」
 
 
1.アイメッセージ;相手の心に届く話し方
・T.ゴードンが「親業」の中で提唱したコミュニケーションの方法。「私メッセージ」ともいう。「私」を主語にして,自分自身がどう感じているかという思いを語ること。
 
2.ユーメッセージ;相手をやっつける話し方
・「あなたメッセージ」ともいう。「あなた」で始まるか,「あなた」がどこかに入っている話し方のこと。非難,評価,説教,指示などはユーメッセージである。ユーメッセージは相手の考え方を破壊するような影響を与えることが多いため,「相手をやっつける話し方」になりやすい。
 
3.二つのメッセージの違い
<例1>疲れて一休みしながら新聞を読んでいる父親のところに子どもが「パパ遊ぼうよ」と近づいてきた。
・ユーメッセージによる対応〜「(おまえは)うるさいなぁ」
・アイメッセージによる対応〜「(私は)疲れているんだよ」,「(私は)今,休みたいんだよ」
*この例のユーメッセージの場合,父親の「うるさいなぁ」の一言を「パパは私のことを嫌っている」,「私は悪い子だ」というように,自分への評価と解読する。アイメッセージの場合,「そうか,パパは今疲れているんだなぁ」という事実のみを受け止める。 
  
<例2>子どもが親のスネを蹴った。
・ユーメッセージによる対応〜「悪い子ね。そんなふうに人のことを蹴ったらダメじゃないの!!」
・アイメッセージによる対応〜「いたーい。あ〜,痛かった。蹴られるのは嫌だなぁ」
*この例のユーメッセージの場合,子どもは「悪い子」でそういうことを繰り返さないように警告しているが,「悪い子」,「繰り返す」のどちらにも子どもの方で反対を唱える余地があり,子どもが強い抵抗を感じる。アイメッセージの場合,子どもが蹴るとどう感じるかを述べただけであり,子どもの方に異存のあるはずのない事実を示している。
 
 ユーメッセージは,相手の行動がよくないと思うから,その行動を変えさせるために,ああしろ,こうしろと語ることになる。このメッセージは,相手の反発を強く招きやすい。ところが,アイメッセージは,相手の行動を変えていくのを相手自身の責任で行わせるために,無限の効果を持っている。「蹴られるのは嫌だなぁ」と自分自身の思い(感情)を伝えたあとで,それについて考え,どうするかという責任は相手(子ども)自身にゆだねてある。上記2例の子どもに対する対応として,アイメッセージは,子どもが成長するのを助け,自分の行動に責任を持つことを学ばせる。アイメッセージが子どもに伝えるのは,子どもに責任を持たせていること,子どもが状況を建設的に取り扱えるとあなたが信じていること,あなたの欲求を子どもが尊重してくれると思っていること,建設的に行動する機会を子どもに与えていること,などから,「無限の効果を持つ」と言われる。
 
4.アイメッセージを使う
(例1)車で家族旅行中,後部座席の子どもたちが非常にうるさく騒いでいた。夫も妻もそのことを嫌だと思いながらもしばらく我慢していたが,ついに夫がブレーキをかけ,車をワキに止め,次のように子どもに言った。「そんなに騒々しく後ろで騒がれてはもう我慢できない。私だって休みを楽しく過ごしたいし,運転も楽しくやりたいんだ。それなのに,後ろがそんなにうるさくちゃイライラして運転するのも嫌になる。私にも休みを楽しむ権利があるはずだ」 これを聞いて子どもたちはびっくりし,「驚いたなあ」と言った。自分たちの行動が父親にそこまで迷惑をかけていたとは思わなかった。父親は別に気にしていないと思っていたのだ。そして,その後は,子どもはもっと思いやりを示し,遊ぶ声も非常に低くした。
 
(例2)学校の規則を破る男子生徒のグループに対し,いつも嫌な思いをしていた校長が,ついに堪忍袋の緒が切れ,次のように言った。「全く君たちにはがっかりさせられるよ。君たちが学校を終えられるように,私のできることは全部してきたつもりだ。それなのに,君たちのすることといえば,規則を破ることだけだ。髪の長さもかなり無理のない長さにする規則にしたのに,君たちはそれさえも守っていない。この仕事では私は全く無力だよ」 その日の午後,少年たちが校長を訪ね,「校長先生,僕たちは今朝のことをずっと考えていたんです。先生が僕たちを怒ることができるなんて思いませんでした。これまで怒ったことなんてないし,先生が僕たちのせいで辞めて,他の校長先生が来たら,先生ほどよくないと思うので,僕たちは嫌なんです。これからは規則も守るようにします」 この例は,「一度,率直で正直な相手の気持ちを聞かされれば,子どもも大人の欲求について思いやることができる」ということを強く裏付けるものであった。
 
5.アイメッセージの間違った使い方
(1)偽のアイメッセージ
 「私」を主語にして語ることがアイメッセージになるという誤解を持つ場合がある。ある父親が息子に「おまえは自分のやるべき責任を果たしていないと私は思うよ」と言った。これは,相手の悪口を告げるメッセージに「〜と私は思う」をくっつけ,仮面をかぶせて「ユーメッセージ」を送ったに過ぎない。アイメッセージを伝えるには,「自分自身が具体的に何を感じているのか」を述べるとよい。
 
(2)感情をぶつけるだけのアイメッセージ
 親や教師に具体的な影響を与えていない子どもの影響について,ただ気に入らないからと,子どもにその感情をぶつけても説得力がない。例:「ママはS君が野菜を食べないのが嫌なのよ」 アイメッセージには三つの要素が必要である。子どもの「行動」を非難がましくなく描写すること,その子どもの行動が親に与える「具体的な影響」とは何かを伝えること,その影響が親に抱かせる「感情」を伝えることの三つ。例えば,野球の道具を玄関に置きっぱなしにしている子どもに対し,「片づけなさい」ではなく,「野球の道具が玄関に置いてあると(行動),掃除がやりにくくて(影響),イライラしちゃう(感情)」といった語りかけが効果的である。
 
(3)指示を付け加えてしまうアイメッセージ
 「野球の道具が玄関に置いてあると,掃除がやりにくくてイライラしちゃうのよ」のあとに,「だから今すぐ片づけてね」の一言を付け加えてしまう。これは,子どもが自分で考え,判断する余地を奪ってしまう。
 
6.万能ではないアイメッセージ 
 アイメッセージは子どもの変容を促す効果的なものといえるが,万能ではない。親や教師がいくら自分の思いを正直にメッセージにして伝えたとしても,全て子どもがそれを聞き入れ,子どもたちの行動が変わるわけではない。
 
(1)欲求が強い場合
 親や教師の思いは伝わっても,子どもには子どもの考えや思いがあり,自分のしていることを変えたくないこともある。そうした両者の欲求の対立を解消するには,どちらか一方が勝つのではない,「勝負なし法」を用いるとよい。勝負なし法は,両者が共に考えながら解決策を探っていく方法として効果的である。
 
(2)自分の行動が他人に悪影響を与えているとは考えたくない場合
 子どもでも大人でも,相手からのアイメッセージを受け,自分の行動が相手に何らかの感情を持たせている原因であると気づいても,それを認めたくない心理が働く。アイメッセージを送っても,相手に無視されたらどうするか。その時には「もう一度,アイメッセージを送りなさい」ということである。「本当にそう思っているんだよ」ということが伝わりやすくなる。あるいは,次のようなメッセージが「私は一生懸命なんだよ」という思いが伝わるだろう。「ねぇ,今,どう感じているかを話しているんだよ。これはとても大切なことなんだ。無視されたら困るなぁ。あなたが側から離れて,私の気持ちを聞いてくれないなんて嫌だなぁ。私が本当に困っているのに,それではフェアではないと思うよ」
 
(3)価値観が対立する場合
 (1)の「欲求の対立」と分けられないものかもしれないが,価値観の対立も日常場面ではよく見られるため,あえて取り上げて説明する。
 長髪の例を挙げる。例えば親が息子の長髪に対してあまりいい感情を持っていないことをアイメッセージで伝えたとする。すると,「僕の髪だよ」,「この方が好きなんだ」,「パパには関係ないだろう」という答えが返ってくるだろう。なぜ,息子が親のメッセージを受け,対立を解決しようと思わないのか。それは多くの場合,「自分の髪が長いからといって,親に具体的な形で影響を与えていると考えていないから」である。もし,親が本当に息子の髪のことで困っているなら,その影響をしっかり伝えるとよい。アイメッセージの3要素,「行動」,「影響」,「感情」が入っているかをチェックしてみるとよい。ある父親が学校の校長で,その学校は保守的な地域環境にあった。もし息子が長髪にすれば,それは父親が自由な考えのある証拠となり,そこの校長には向かないと他人が思うかもしれず,職業上の問題が起こるかもしれないと父親は考えた。その息子は,これを自分の長髪が父親の生活に与える具体的な影響だと考えた。そして,父親の欲求を本当に心遣う気持ちから髪を短くしたという。
 「親や教師の価値観を子どもに教えてはいけないのか?」という質問もよく出る。その答えは,「価値観を教えていいどころか,当然,教えることになる」である。その時に一つだけ注意することがある。それは,「自分が大切に思うことは何でも教えればよい。しかし,それには自分が自ら大切に思う価値を生活の中に体現しながら示すことである。価値観の押し売りはしてはいけない」
 
7.構成的グループエンカウンターの「シェアリング」
 シェアリングとは「エクササイズという共通の体験を通して,今ここで気づいたり,感じたりしたことをメンバー同士,アイメッセージで語り合うこと」である。非難や批判のないリレーションのある雰囲気の中で語ることにより,自己理解や他者理解等が促され,自己成長につながっていく。例えば,「あなたは人の話を全く聞かないし,人を責めるような言い方をするので,そういうことをやめた方がよい(ユーメッセージ)」と言わず,「あなたの態度や話し方から,何となく私の話を聞いてもらえないなぁと感じ,言いたいことが十分に言えなかったので,私はとても辛かった。(アイメッセージ」と言えばよい。他者の言動や行動を,「ああしろ,こうしろ」と要望・要求するのではない。他者の人格を否定するのではない。自分はどう感じ,どうしたいのかを語るのである。それを受けて,行動を変えるか変えないかは,相手の問題であり,当人が変わりたければ変わるであろう。メンバーにもリーダーにも他者の行動を変えようと努力する必要はないのである。「相手は」ではなく,「自分は」というところが,人生の主人公は自分であるという実存主義の思想を体現するエンカウンターの重要なポイントである。
 
<参考;不十分なシェアリング>
 次のような場合は,シェアリングが本来の意味となっていない。
(1)発言が,「今ここで」のことではなく,過去のことや評論的な内容になっている。
(2)自分の気持ちを語らず,「ユーメッセージ」で相手への非難,批評になっている。
(3)エクササイズの内容とは違う「おしゃべり」になっている。
(4)自分の気づきを語り合わず,「エクササイズの続き」をしている。
 
*教師同士が集まってシェアリングをすると,エクサイズの善し悪しやリーダーの進め方などに注意が行き,自分自身がどう感じ,何を気づいたか,という「今ここで」の気づきへの注意がおろそかになりやすい。学校でのSGEを取り入れた授業研究会での話し合いでは,「先生の進め方はとてもよかったです」という意見もよい。自分は参観者であり,子どもたちの様子を見ているだけなのだから。しかし,本学習会ではエンカウンター本来のシェアリングを大切にしたい。メンバー同士がお互いの気づきを自由にアイメッセージで語り合い,そして,共に成長していく場でありたい。「参観者・観察者」ではなく,「体験者」でありたい。「このエクサイズはクラスで使えるかどうか」を考えるなということではない。教師の目でエンカウンターを「観察」するのではなく,教師という役割を横に置き,一人の人間としてエンカウンターを「体験」してほしいと思うのである。この自らの体験を通して気づいたことが,自己成長につながり,現場でかかわる子どもたちにも伝えていけるものとなると思う。(「なるほどなぁ,相手に話を聴いてもらうのはこんなにもうれしいことなのか。すごく自分が大切にされていると感じたなぁ。この気持ちをぜひ,クラスの子どもたちにも感じてほしい。来週の学活で,今日のエクサイズをアレンジしてやってみよう!!」)
 
<参考文献>
1)「親業」;トマス・ゴードン,サイマル出版会,1970
2)「『親業』に学ぶ子どもとの接し方」;近藤千恵,企画室,1993
3)「エンカウンタースキルアップ」;國分康孝編,図書文化,2001
4)「エンカウンター」;國分康孝,誠信書房,1981

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