2001学習会講義資料バックナンバー 5 

 
「心の教育とは何か」
 
1.心とは何か,心を育てるとは何か
・教師は子供たちに「人を思いやる心を育てたい」,「目上の人を敬う心を育てたい」など,願うことがあるだろう。例えば,道徳の時間を使って,「心」を育てる授業を展開するだろう。副読本を使ったり,自分自身の経験を語ったりしながら,子供たちの心を育むことをねらって授業を展開する。しかしながら,「心」は漠としたものであり,教師自身,「心とは何か」という答えを持っていない場合が多いのではないだろうか。
・「心」とは何か。心理学者は「心」という言葉を使わない。漠然としていて測定できないからである。心理学者は「心」を使わず,「反応」という言葉を使う。では「反応」とは具体的に何のことか。「思考・感情・行動」のことである。これらは測定が可能である。それ故に心理学者は「思考・感情・行動」の総称である「反応」という言葉を使う。
 では「人を思いやる心を育てたい」と教師が願った場合,具体的にはどんなことをしていけばいいのだろうか。次のようになる。
 
〇思考の教育;考え方の教育である。バスの座席に座っている時に,お年寄りが前に立ったら若者は席を譲るものであるという考え方ができるように教育することである。
 
〇感情の教育;気持ちの教育である。前に立ったお年寄りは揺れているバスの中で立っているのは「気の毒だなぁ」,「つらそうだなぁ」という感情が生まれるように教育することである。
 
〇行動の教育;アクションの教育である。前に立ったお年寄りに「どうぞ」と声をかけて立ち上がり,席を譲る行動ができるように教育することである。
 
・つまり,心を育てるとは反応の仕方を学習させるということである。ロジャーズの理論では「人間にはよくなる力が内に潜んでいるので,ああせよ,こうせよと教えなくても成長する」と説く。しかし,行動理論では「人間は生まれた時は白紙であるので,ああせよ,こうせよと条件付けしていかないと反応が豊かにならない」と説く。戦後,ロジャーズの理論がカウンセリング,教育の世界に大きな影響力を持ち,児童中心主義に偏向しすぎたために現代のように心貧しき大人が増えたのではないだろうか。心が貧しいとは反応の仕方を学んでこなかった,学んだとしてもワンパターンだったということである。
 
<結論1>心を育てるとは複数の思考・感情・行動を学習させるということである。
 
・思考,感情,行動を学んだとしても,それらがバラバラではいけない。老人に席を譲るべきであるとわかっていても,実際に行動できないのでは困る。三つのことがセットになってはじめて意味をなす。
 
<結論2>心を育てるとは思考・感情・行動の三つをセットにして,まとまりとして学習させるということである。
 
・「子供の心を育てたい」と願った時,複数の思考や感情,行動をセットにして学習させたとしても,全てがそれでいいというわけではない。「心の質」をチェックしなければならない。チェックポイントは次の三つがある。
 
(1)その思考・感情・行動は現実的(実現可能)か
 
(2)その思考・感情・行動は論理的(筋が通っている)か
 
(3)その思考・感情・行動はその人を幸福にするか。現実的でも,論理的でなくても自他を不幸にしないものであれば許容したい。
 
<例>
・「老人には絶対に席を譲ろう」(思考)は現実的か?
・「老人は足腰が弱い。それゆえに,若者は席を譲るべきである」(思考)は論理的か?
・「僕は神の存在を信じている。それゆえに,飛行機に乗るときには,神に祈れば事故は起きない」(思考)は現実的か? 論理的か? 彼自身を幸せにするか?
 
*次のような思考はラショナル・ビリーフと言えるのではないか。
「老人にはなるべく席を譲ろう。しかし,老人の中には,年寄り扱いされるのを嫌がる人もいるだろう。どうぞ,と声をかけ,確認してから席を譲ることがいいだろう」
 
2.思考の教育の方法
(1)教師の自己開示
・哲学者の思想を紹介するだけでは知識教育にとどまってしまう。教師が自己の人生哲学を語ることが心の教育になる。
 
(2)仲間同士のシェアリング
・構成的グループエンカウンターによるメンバー同士の自己開示は教育方法として効果がある。
 
(3)価値観の異なる人が接する機会
・アメリカの大学の例。人種差別や偏見をなくすために,マイノリティ(アメリカインディアン,黒人他)をグループに一人入れてのシェアリング授業がある。「君たちはかつて白人に迫害されたことを今でも恨みに思っているか?」,「イエス」,「僕たちにどうしてほしい?」など,やりとりする中で,自然にマイノリティの気持ちがわかるようになるという。
 
3.感情の教育の方法
(1)親や教師がバラエティに富む感情を持ち,それを表現すること
・「いない,いない,バー」は感情教育の第一歩。親子が遊びを通して,「楽しい」という感情を学ぶ。
 
(2)音楽や美術,レクリェーションで感情表出の体験をすること
・音楽療法,ダンス療法,絵画療法などの方法も関心が持たれ始めてきている。
 
(3)同じ感情を共有する体験を持つこと
・一例。部活で先輩にしごかれた下級生同士は連帯感を持つ。
 
4.行動の教育の方法
(1)模倣(モデリング)
・教室では教師が,家庭では保護者が模倣の対象となりたい。構成的グループエンカウンターなども模倣の機会となる。
・例。何か問題にぶつかった教師がスムーズに対応できるかどうかということでは,「模倣の対象となる教師」を持っているかどうかによる,という研究がある。「模倣の対象となる教師」を持っている人は,「あの先生なら,この時にはこうする」という考えがパッと浮かび,わりとスムーズな行動ができるという。
 
(2)ロールプレイ
・話し方,頼み方,断り方,聴き方などの教育に,ロールプレイは手頃で効果的である。
現在,社会的スキル訓練,アサーショントレーニングなど,脚光を浴びている。
 
(3)指示法
・「老人には席を譲りなさい」と告げるのが指示法。相手に抵抗を起こさせないように工夫しながら行動の仕方を教示することが大切である。
・例。ある大学で力はあるのになかなか教授になれない人がいた。宴会の席で,年輩の先生方より先に刺身に箸をつけるような人であり,ある時,大先輩から「若い者から先に箸を付けるものではない」と叱責された。その人は,「今までそういうことを知らなかった」と納得し,その後,状況に応じた行動がとれるようになり,教授にも昇進したという。
 
(4)エンカウンター方式
・正直に自己を開示しあう方法。
・例。男女のつきあい方に悩む人がいる場合,ジェンダー(性役割)をめぐってエンカウンターしあうと,お互いにビクビクしないで行動できるようになる。
 
5.「心の教育」と「サイコエデュケーション」
・サイコエデュケーションとは,心理的なものの見方や行動の仕方を教えることであり,「心理教育」と訳す。しかし,邦訳すると「心理学教育」と混同しやすい。「心理学教育」とは心理学という知識体系(学問)を教えることである。それ故,原語のままに教育界に定着させたい。(國分.1998)
・サイコエデュケーションとは,予防・開発的なアプローチの一つの形態,すなわち,「育てるカウンセリング」の一つの形態である。サイコエデュケーションは次の四つのキーワードで語ることができる。
@集団対象 A思考・感情・行動 B能動的 C教える
 以上のキーを定義にまとめると次のようになる。
「集団を対象に,特定の事柄について,概念学習及び体験学習を通して,思考・行動・感情のいずれかの変容をねらいとするプログラムを展開することである」(國分.2001)
 本稿,1〜4までまとめてきたことは,まさにサイコエデュケーションについてである。文部科学省の提唱する「心の教育」をカウンセリング心理学で翻訳すると「サイコエデュケーション」となる。
 
6.「育てるカウンセリング」と「サイコエデュケーション」
・「育てるカウンセリング」とは「治すカウンセリング」の対照概念である。この育てるカウンセリングを展開する方法が6つある。
 
@構成的グループエンカウンター
Aキャリアガイダンス
Bサイコエデュケーション
Cグループ体験(特活)
D対話のある授業
E個別的対話
 
7.「サイコエデュケーション」と「構成的グループエンカウンター」
・サイコエデュケーションと構成的グループエンカウンターの関係については,現在,模索中である。理論的には構成的グループエンカウンターはサイコエデュケーションの下位概念になるべきものだが,上位概念のサイコエデュケーションの実態が構成的グループエンカウンターほどには明確にされていない。それ故,現在は両者を並列概念として扱っている。(國分.2000)
・「思考・行動・感情のいずれかの変容をねらうプラグラム」であるサイコエデュケーションに,構成的グループエンカウンターは技法として導入されている。
・サイコエデュケーションは「教える」,構成的グループエンカウンターは「気づき」を重視する。
 
<参考・引用文献>
・「カウンセリング心理学入門」.國分康孝.1998.PHP新書.89−112
・「サイコエデュケーション」.國分康孝.1998.図書文化
・「育てるカウンセリングが学級を変える 中学校編」.國分康孝.1998.図書文化
・「エンカウンターとは何か」.國分康孝.2000.図書文化.49−50
・「育てるカウンセリングの新しい方法」.國分康孝.2001.第43回 指導と評価大学講座講義資料.14−22

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